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壮年部夏季講習会 社会の信頼の柱たれ

1975.8.18 「広布第二章の指針」第7巻

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1  神奈川の壮年部の皆さん、こんにちは。(大拍手)まだまだ暑い夏の最中で、しかも、いろいろとご多忙ななかをお集まりくださり、たいへんにご苦労さまでした。
 毎日の仕事や活動といい、本日の講習会といい、壮年部の忙しさはたいへんなもので、私は深く感謝をしております。でも、それはそれとして、世間での多忙と、仏法での多忙と両方こなしていかねばならないのが、男としての壮年の宿命みたいなものと思っていただきたい。そのへんは、もう十分にわかっておられることでしょう。ともかくお身体を大切にして、ご健闘をお祈り申し上げます。
 ともあれ、暑い時侯ですし、しかも、そのなかできょうも十分になすべきことはやってこられたわけですから、この席での話は、楽な気持ちできいてください。
2  不況の荒波と賢明に対決
 このなかには、戦争を経験なさった方もずいぶんおられることでしょう。ほんとうにご苦労さまであったと思います。
 その「戦争と平和」に関する感想の断片は先日来、申し述べてまいりましたので、詳しいこししは略させていただきますが、戦後の歴史を通していま、世界は一つの共同体的、困難に直面しております。それは、はっきりいってみると、この世界的困難をリードできる国家がなくなったという事実であります。世界一流の国家は、武力では強大無比になったが、経済問題に対しては案外に非力で、リードする力をもってはいなかった。
 では、どうすべきか――というと、もはやどこにも対策はない、というのが現状であります。少しその内容に立ち入ってみますならば、資源の配分とその価格でまず動きがとれなくなってきた。そのうえに、たとえ製品を作っても、先進国ではそうした製品がゆき渡ってしまって、需要がなく、また、そうした物をほしい発展途上国のほうには購入する経済力がない。だから結論として作っても売れないというのが現実であります。
 事実のうえからながめてみても、わが国内でも、テレビや冷蔵庫など電化製品の普及率は、約九割に達している。車の普及率は車庫に満杯で、これ以上の新規需要は望むことができず、あとは代替需要しか期待できないところまできてしまったといわれております。
 さりとて、社会が必要としている住宅需要や老人福祉などの社会保障は、国家的にまったくまかなう余力がないというありさまであります。つまり、一種の”高級破産”の状態へ突入してきたのが日本経済の現状であり、世界全体がそういう方向へ進みつつある。それが世界的スタグフレーション――すなわちインフレ不況の実態だと学者たちは論じております。
 私としては、そういうことをあまり専門的に申し上げることもできませんし、またそういう立場にも立っておりませんが、仏法のうえからしても、たいへんな三災七難がグローバルな規模でもち上がってきているのではないかと、私は心配するのであります。
 われわれのこの社会は、ここ少なくとも数年のあいだは、たいへんな事態に当面せざるをえないのではないか。そのたいへんな事態とは、過去の蓄積をじりじり食いつぶしていくという事態であります。世相の流れがそういう方向に変わってしまったことをよく見通して、どうか壮年部の皆さん方は、賢明にこの世の荒波と戦っていってくださるよう、心から要望しておきます。
3  各部の支えとなってリード
 さて話は変わりますが、いままでの学会の全体をながめてみますと、表面的な感じだけでいうならば、青年部をみると男子部がリードして、女子部がそのあとを追っていく。大人のほうをみると、婦人部の活動のあとを壮年部が整理していく――というふうに外見的にはそう見えてきたような気がいたします。神奈川は違うかもしれませんけれども。(笑い、拍手)私はけっして、そういう表面だけは見てまいりませんでした。
 そうではなくて、創価学会の壮年こそが、いちばんつらい局面をあえて引き受けて、青年も婦人も、そのすべてを両肩に乗せてがんはってきたからこそ、創価学会の今日の大発展があったと、私は申し上げたいのであります。(大拍手)
 ということは、世法と仏法の両面にわたって、法性の大地にしっかりと根をおろして努力しているのが、ほかならぬ壮年の皆さん方で、あったと、私は申し残しておきたいのであります。(大拍手)
 だが、それだけで十分ことたりたと考えてはならない場合もある。「御義口伝」の涌出品の俊には「法性之淵底玄宗之極地」とある。すなわち日蓮大聖人は「法性の大地、玄宗の極地から敢然と躍り出てこそ真の地涌の流類ではないか」と仰せなのであります。
 「法性之淵底」――法性とは万有の本性の意で、その淵底とは、一切の事象の奥底にある真理ということであります。「玄宗之極地」とは、あらゆる思想、哲学、宗教の根本。それが南無妙法蓮華経であり、自分自身が南無妙法蓮華経の当体として、より以上広宣流布のため、社会のため、また青年部、婦人部等をもう一歩大きくかかえ、そしてまたリードしていかねばならないという御文と拝するのであります。
 いまここにお集まりの皆さん方は、信仰の年月も長く教学も十分に究めた方が多いと思います。いまさらあれこれ文証を読み上げて説教がましい口調でこの壇上からものを申し上げようとは思ってはおりません。皆さん方は、ぜんぶ同志です。友人です。兄弟です。家族です、だが、それはそれとして、男は男同士、腹と腹、気迫と気迫、意気と意気で語り合って、創価学会を世界一の麗しい団体にしていきたいと思いますけれども、よろしくお願い申し上げます。(大拍手)
4  妙法の大地での人生
 次に「妙心尼御前御返事」のなかにこのような一節がございます。
 「此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり」と。
 この妙の文字は月でもある。太陽でもある。星でもある。鏡でもある。衣でもある。食べ物でもある。花でもある。大地でもある。大海でもある。一切宇宙の功徳を合わせて妙の文字となっている。「如意宝珠」とは、自分の意のままに宝物がでてくる。これが御本尊である、と仰せなのであります。したがってあとはわれわれの信心しかないわけであります。
 万物の根源である南無妙法蓮華経――この妙法の哲理から、一切の森羅万象が出生している。妙法には宇宙の本源力が力強く脈打っている。だから、自分の宿命転換もできないわけがありません。この社会に、この日本に、また世界に、どんな難問題があっても転換できないわけはないという、甚深の哲理なのであります。
 この強靱な流れに、己が生命が冥合していく。リズムに乗っていく。そこに生への喜びも、それから、清らかな生命力、強い生命力等々が自然のうちにみなぎってくるわけです。だからといって、それでは、もう夜も寝ないで私は題目だけを唱えていこう(笑い)――こういう必要はありません。私たちは、凡夫ですし、また生身の身体ですから、休むときは休み、リズム正しい生活をしていかねばならない。無理は絶対あってはならない。冒険もあってはならない。
 また「一念三千法門」には、こういう御文がございます。「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、たとえば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す」と。
 この御書の一節を現代的に展開するならば、学会の指導どおりに如説修行していけば、最後はぜんぶ成仏はまちがいない、一家一族、子孫末代までの永遠の功徳はまちがいない――こういう意味であります。
 同じく、この「一念三千法門」のなかには、この三大秘法の御本尊を受持し、そして信行学に励み、即それが生活、社会に影響をおよぼしていくという人聞革命の軌跡を地道に歩んでいくならば、だれびともかならず、しょせんは「所願満足の人生」に入ることはまちがいない、必然的にそのリズムに入っていく、との深い御本仏の確信が述べられております。
 どうか皆さん方は、学会の、重鎮として、十分にもてる力を発揮してください。アッというまに終わってしまう人生でもあります。勇ましく、社会の信頼の柱となって、汝自身の歴史的な人生をつくりあげていただきたいのであります。そして舎衛の三億をめざし、さらにいちだんと深く寺檀和合して、広宣流布の総仕上げをしてまいりたいと思います。
 どうか、お身体を大切にしてください。全員が二十一世紀まで生きぬいてください。そして自らがなしえなかったことが今世にあったとしたならば、お子さまに全部バトンタッチをしてください。さらに、もっとも大切な奥様を大事にしてください。きょうはたいへんにご苦労さまでございました。以上をもって、私の話とさせていただきます。(大拍手)

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