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婦人部夏季講習会 戦争の根絶は仏法者の使命

1975.8.17 「広布第二章の指針」第7巻

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1  神奈川の婦人部の皆さん方の講習会、まだまだ残暑の厳しいおりから、きょうはほんとうにご苦労さまでした。多彩な各種の行事を通じて、学ぶべきことはもはやすべて身につけたと思いますが、私からは懇談的に告さん方と気楽に少々お話をさせていただきます。(大拍手)
 ご承知のとおり、今月で、終戦から満三十年の歳月が流れました。これについて「戦争論」や「平和論」をとうとうと展開することは、むしろ易しいことかもしれない、終戦記念日にあたるさる十五日にも、第二東京の夏季幹部会で少々ふれてみましたが、私が思うには、ただ声を大にして「平和論」を主張しても、それだけでは人類の未来に対して本当の役に立たない、ということであります。
 もう少し具体的にいうならば、世界的な規模をもった、しかもだれびとも壊すことのできない、強靱性を備えた、そういう平和勢力がこの世に出現して、その勢力が平和運動を展開しなければ、ほんとうの役には立たない、という結論であります。
 その中核に、創価学会は存在していると、私は確信しております。仏法は暴力を一切否定するものでありますから、仏法の真髄の団体である創価学会が、その一面を担っていることは当然の使命とすべきであると思います。
 だいたい昔から戦争というものは、男性が開始し、かつ遂行するものでありました。歴史上、女性が戦争を起こした例などは聞いたことがございません。家庭内の紛争というものは別として。(笑い)そして、人類の半数は女性でありますから、極端な表現で申し上げますならば、人類の女性がせめてその半分でも、私たちが主張する平和勢力として団結し、平和運動に力を出すならば、それだけでも未来の戦争は根絶することができると思うのであります。
 世法のうえからみましても、平和を壊したり、戦争を起こしたりする勝因は、もちろんもう一つあります。それは、民族的、世界的な経済関係であります。しかし、その面は壮年部の方々が担っていくべき分野と思いますので、この席では省略させていただきます。
 以上申し上げた二点は、世法の面からのことであり、問題の本質はけっして以上の二点だけでつきているものとは思えません。それには、第一次大戦、第二次大戦までの世界の指導者層の心理、内面、精神状態に着目してみなければならかい。彼らは「力は正義なり」という思想に固執していたのであります。「力は正義なり」――この考え方は「正義は力なり」という一つの真理をあえて逆転して立てた詭弁なのであります。
 世界中の一部の人を除けば、当時といえども戦争を可とする人間などはいなかった。それなのに現実には二度も大戦争を起こしてしまった。そこをよく見きわめてみますと、当時の指導者層もその心のなかに、一面では平和志向の心情をもっていた。”戦争はいけない! 平和でいこう!”という心情をもち、それでいながらもう一面では”戦争も辞せず”という鬼の心を宿していたといわざるをえないのであります。
 こういう状態は、社会的文化水準において、医学も、心理学も、とうてい手におえなかったという文明上の問題もあったと思われるのであります。しかるがゆえに、この大問題と取り組んでいくのが、われわれの使命であると思うのであります。結局は地道ではあるけれども、この仏法を教える以外に戦争を防ぐ人間をつくる法はなくなってしまった、ということなのであります。
 戦後の焦土のなかから、恩師戸田二代会長はただ一人立ち上がられ「一民族が他民族を犠牲にするような風潮を根絶せよ」と訴えられました。「アジアの民、果ては世界の人々に対して”月の光”ではなく”太陽の光”を送れ」とも呼号されました。
 終戦以来三十年、それとともに戸田前会長の再起以来三十年。戦後の三十年間は、日本の三十年間であり、世界の三十年間であり、ともにわが創価学会の三十年間であったわけであります。そしてまた、皆さま方一人ひとりの三十年間でもあったわけであります。
 ここで、まさしく次の第二段階の三十年間へ世界も、日本も、そして創価学会も歩み始めたわけであります。そして皆さま方も、次の三十年間へ前進を開始なされたわけであります。次の三十年間が幸せの実り多く、ご長寿で一家一族が晴れがましく人間勝利の三十年間の軌跡でありますことを、私は心よりお祈り申し上げるものであります。
 次の、三十年目は、二十一世紀に入っております。したがって、この三十年が、世界も日本も個人も、学会もすべてにとって、重要な三十年間になると思うし、あらゆる人々が、真剣に考えねばならない段階に入ったと、私は痛感しているのであります。低い次元の抗争、葛藤より、すべての民族、そして世界の人々がより楽しく、平和に暮らせるよう、あらゆる勇気と英知をもって語り合っていかねば、その道は開けないというのが、私の考えであるし、また私はそれを強く痛感している一人であります。
 「御義口伝」に次のような一節があります。「御義口伝に云く当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行とは無疑曰信の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云」と。
 この御文には、総別の二義が明らかであると思います。総とは世界、別は日本。日本がしっかりしてこそ、総の世界のほうもしっかりしてくる、という意味です。これは現実をふまえたいき方を示されております。したがって、日本のゆく手の安泰のために、また世界の平和のために、日本の広宣流布に力を入れなければならないという御文なのであります。
 一般的に申して、婦人の日常というものは、まことに地道なものであります。でも、きょうはその地道な家庭性、日常性から解放されて、こうして喜々としてお集まりでありますから、たまには硬い話も聞いていただいたほうがよろしいと思いまして申し上げました。(笑い)
 なんといっても、むやみな背伸びをする必要はない。背伸びをした人は、後で自分が苦しんでしまう。コツコツと人生を築き上げていくのがご婦人の最も賢明な特質であります。どうかその生き方のままに立派に家庭を守りとおし、その果報として見事な幸せをおつくりくださいますよう、心からお祈り申し上げます。ご主人さま方に、またお子さま方にくれぐれもよろしくと申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。(大拍手)
 (昭和50年8月17日 東京・創価大学体育館)

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