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第二東京夏季幹部会 平和を守る民衆の時代を

1975.8.15 「広布第二章の指針」第7巻

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1  本日は、第二東京本部の皆さんの会合に参加をさせていただき、晴れがましい希望にあふれた皆さん方一人ひとりを見て、たいへんにうれしく”第二東京盤石なり”との確信を深めることができました。(大拍手)
 かつて第二東京といえば、東京とすぐ隣りに接していながら、中心もなんとなくはっきりせず、東京の”はずれ”という感じで受け取られていました。しかしながら、人口も急速に増え、やがて東京都区内とならぶ、あるいはそれ以上に重要な地域になることはまちがいありません。
 その点については、これまでにも申し上げているとおりでありますが、ひとこと未来への展望に立ってつけ加えて申しますならば、まさしくこの地が広宣流布の本拠点になることを、私は待望しておきたいと思うのであります。(大拍手)
 どうか皆さん方は、そのつもりで、この重要な拠点を守り、拓きゆく一人として、理想地域の建設に雄々しく進んでいかれますようお願いいたします。
 きょうはご承知のように、私たち日本人にとって、いな、平和を願う人ならだれしも忘れることのできない終戦記念日であります。つい先日、はるか宇宙の彼方で、アメリカのアポロとソ連のソューズ両宇宙船がドッキングをして、世界の注目を集めました。
 私はあのニュースを聞きながら、さる五月、ソ連において懇談したテレシコワ女史の話をふり返って思い出しまた。テレシコワさんは、皆さんも、ご存知のように人類初の女性宇宙飛行士であります、彼女は自らの宇密飛行の経験を述懐して、こう語っていました。
 「地球が見えるといううれしさは、たとえようもありません。地球はとてもきれいでした。どの大陸、どの大洋も、それぞれの美しさをもっていまし、たし私の考えでは、宇宙に長くいようがいまいが、一度でも宇宙から地球を見た人は、自分たちの揺藍の地であり地球を、尊く思うにちがいありません」と。
 私はこの言葉を聞いて、好戦主義者よ宇宙を飛ぶがよい、悪夢は醒めるであろう、と実感しました。はるか宇宙から見た地球は、人類が憩う一つの宇宙船であります。宇宙開発というものが、こうした”地球は一つ”というグローバルな視点に、人々の意議を高めたことは事実であります。
 しかし一方、現実の世界は、複雑多岐な抗争を、いまなお続けているという悲しむべき姿がある。この”地球は一つ”という意識と、その冷厳なる現実とのあいだに、人類は試行錯誤を続けているといってよい。いまここに、戦後三十年をへた終戦記念日という意義を含めつつ、今後の日本の進路とともに、私ども学会のゆく手を考えてみたい。
 私自身、二度と日本を、また世界を、戦渦にまきこんではならないとの信心のもとに、微力ながらできうるかぎりの努力は重ねてきたつもりであリます、ただ、もう一歩すすめて、戦争を防止し平和を守るための、われわれ日本民衆の意識のあり方として、大事な点はなにかということであります。
 いうまでもなく戦争でもっとも悲惨な目にあうのは、無名の庶民であります。社会が歪んだとき、そのヒズミがしわよせされるのは、つねに権力をもたず、財力もない弱者としての庶民である。にもかかわらず、戦前の日本民衆は、なぜあのように、無謀な戦争に自らまきこまれていかなければならなかったか。
 この根本的な問題が解明され、変革されないかぎり、再びあのような惨事が未然に防げる保障はない、といわざるをえない。この原因を考えてみるとき、その一つとして、私は庶民がいうべきこともいえない、なすべきこともなしえない、悲しむべき状況におかれていた、あの戦前の時代にあったと思わざるをえない。つまり、人間が社会のなかで負っている権利と義務のうち、権利の一切は為政者によって握られ、国民大衆は義務のみ課せられていた。
 民主主義とは、この大衆一人ひとりについて、基本的権利を保障することはもとより、この社会的に負っている義務に応じた権利を認めるところから出発する。いいかえれば、権利と義務は分割されて、別々に分担されるものではなく、権利をもつ以上、それに応じた義務を負い、義務を担う以上、それに応じた権利をもつ、それは一体不離のものだという認識、自覚、そして行動がなければならないのであります。
 戦後、日本は民主主義国家として再生した。と同時に、平和国家としての基本姿勢を定めたことはいうまでもありません。しかしながら、この民主主義を、さらに根底から支え、それに実体を与えるものこそ、一人ひとりの人間の、そして庶民の、権利と義務についての、強い明確な自覚であり、そこに立脚した行動であります。
 庶民こそ平和への参加権をもつと同時に、その達成への義務をもつ、との認識がもっとも大事であると思う。すなわち、民衆を離れて、独自に歴史が動いていくというのではなく”自らも歴史の主役を担っている”との自覚が必要なのであります。それは、どんな表舞台で活躍する人であれ、また陰で働く人であれ、一人ひとりがその”主役である”との自覚に立つことこそ、時代回転の鍵なのであります。私はこれ以外に、人間の尊厳を守り、ひいては一国、世界の平和を堅持する遭はない、と訴えておきたい。
 その行動も、けっして派手な行動ではなくして、地味な行動のなかに、一切の勝利の結晶はあると思う。足元を離れた行動はいつしか霧散してしまうからであります。日々の唱題、日々の家庭の和楽、日々の地域の友好、さらに日々の職場における信頼等が積み重なって、はじめて獲得できるのであります。われわれの行動は、あくまでも、常識第一で貫き通すのが、仏法の道理にかなっているのであります。この行動の脈動こそ、創価学会のなすべき広宣流布の行動であります。すなわち、民衆のなかにある知恵とエネルギーを引き出し、開花させていく人間革命運動、即平和運動の団体こそ、創価学会であります。
 「富木入道殿御返事、に「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」、「御義口伝」に「畢竟とは広宣流布なり」と仰せであります。
 私どもの創価学会運動は、明らかに日本の柱であり、世界に煌々と輝く太陽であります。いかなる批判、中傷がありましょうとも、この御金言を胸に、わが道を誇り高く堅実に進んでまいろうではありませんか。以上をもって終わりとします。(拍手)

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