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SGI代表研修会  

2010.3.9 スピーチ(聖教新聞2010年上)

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2  私の大切な全世界の同志が、遠方から、はるばる来てくださり、こんなうれしいことはない。こんな楽しいことはない。
 ここ金舞会館に集った方々は、全員が、妙法の金の人である。栄光と勝利の黄金の人生を、舞いに舞いゆく人である。
 皆様、本当にご苦労さまです!
 通訳の皆さん ありがとう!
3  通訳の皆様も、毎日毎日、フル回転、ご苦労さま! ありがとう!
 連日の研修会の様子は、詳細に報告を受けています。
 何の事故もなく、SGIの皆さんが、勇んで広宣流布のためにスクラムを組みながら進んでくださって、有意義な研修になりました。
 天候も不順ななか、毎日、ご苦労さまでした。
 昨日(7日)の関東各県との交流も、日本のメンバーは皆、心から感動し、喜んでおりました。
 本当に、ありがとうこざいます。
4  偉大な使命を帯びた各国の尊きリーダーの皆様にお願いしたい。
 全世界の模範たれ! 師弟不二を忘れるな!
 全会員の幸福のために、「信念」と「情熱」と「勇気」と「努力」と「包容力」、そして「責任感」を持ちゆく名指導者たれ!
 きょうは、このことを強く申し上げておきたい。
 会員の皆さんは、日蓮大聖人のお使いとして、役職の上下なく、広宣流布のために、尽くしてくださっている。
 最大に大事にすることだ。
 絶対に護り抜くことだ。
 一人ももれなく、楽しく力強く活躍できるように、温かい愛情をもって励ますことだ。
 自分の家族を大切に思うのと同じ心で、否、それ以上の真心で、わが同志を大切にしていくのが、仏法の指導者の姿である。
 私自身、若き日から、大聖人の御遺命である世界広布に、すべてを捧げて指揮を執ってきたつもりだ。
 それが恩師・戸田城聖先生から受け継いだ「師弟の魂」であるからだ。
5  同志愛の心で
 御聖訓には、「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」と仰せである。
 異体同心でなければ、勝てない。
 異体同心とは、信心の心と心を合致させていくことだ。その「美しい心」「同志愛の心」、そして「勝利の心」を、決して忘れずに行動する精神のことだ。
 ゆえに、断じて威張ってはならない。
 同志を見下してはならない。軽んじてはならない。
 あくまでも平等な心で、尊敬し合っていくことだ。学び合っていくことだ。
 たとえ、結果が出ないことがあっても、優しく忍耐強く、同志として、後輩として、どこまでも慈しみ護っていくことだ。
 何でも語り合える、和気あいあいとした仲良き集いこそ、真実の仏法の世界である。
6  その異体同心の団結の根幹が、師弟である。
 「華果成就御書」には断言なされている。
 「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず
 ともあれ、師弟不二の心がなくなったら、勝利はない。派閥ができ、団結が崩れる。もはや力は出ない。そうなれば、我見と増上慢で仏罰を受けてしまう。
 大聖人は、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と仰せになられている。
 「異体同心」そして「師弟不二」の信心で、晴れ晴れと一生を送ることだ。
 勝ち抜いて一生を送ることだ。
 仏になって、最高の満足の一生を送ることだ。
7  私が入信したのは、昭和22年(1947年)8月24日。19歳の時である。
 当時、戦後の日本社会はまだまだ太陽が昇らず、陰湿な夜明け前のような時代だった。
 正しき大仏法を弘めるのは、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、生命の尊厳を護るため、そして、慈愛に満ちた平和の世界を創るためである。
 第2次世界大戦中、軍部権力と戦った先師・牧口常三郎先生は牢獄に入れられ、1年4カ月後に、獄死なされた。
 荘厳な殉教のその日、11月18日は、創価学会創立の記念の日であった。
 その牧口先生に勇んでお供した声田先生は、2年間の獄中闘争の後、出獄されて、学会の再建のため、妙法の巌窟王となって立ち上がられたのである。
 戸田先生は、牧口先生を偲んで、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝された。
 これが弟子である。
 私もまた、師匠である戸田先生に、それはそれは、諸天も驚くほど、忠実にご奉公申し上げた。
 先生の事業が失敗し、給料は何カ月も遅配。真冬でもオーバーもない。
 新しい靴が買えず、高下駄を履いて出かけたこともある。
 そのなかで私は、働きに働いて、借金を返済していった。一切の苦境を勝ち越えて、先生の第二代会長への就任の道を開いたのである。
 学会を護り、師弟の道に生き抜けば、永遠の大功徳に包まれる。
 皆さんにも、この道に続いていってもらいたい。
8  私が入会した当時の学会は、理事長であられた戸田先生を中心として、学会員は実質、5〜600人であったと記憶している。
 戸田先生が会長に就任される前も、折伏は、月に100世帯に満たなかった。
 「このままでは、広宣流布に5万年かかってしまう」と嘆かれる先生に、私は「断じて私がやります!」と一人立ち上がった。
 そして、私が蒲田支部の支部幹事に就任して、2月闘争で陣頭指揮を執り始めてからは、学会は大回転して、毎月、何千、何万世帯もの弘教の上げ潮へと変わっていったのである。
9  旭日のごとく新しき同志が
 私もまた無実の罪で、関西の地で牢に入った。
 戸田先生が出獄された12年後(1957年)の同じ7月3日である。その後、4年半の法廷闘争によって、当然ながら、無罪判決を勝ち取った。
 私は、昭和35年(1960年)の5月3日、32歳で第三代会長に就任し、全身全霊で走り抜き、迫害の嵐のなかを、青年会長として勇敢に戦い、世界広布のうねりを巻き起こしてきた。
 そして、戸田先生のお心のままに、師弟不二の仏法を体現して、理想の創価学会を構築してきた。
 偉大なる同志の皆様とともに戦い、192カ国・地域に人間主義のスクラムを築き上げたのである。
 今、全世界に太陽が昇りゆくがごとく、新たな同志が誕生していることは、皆様がご存じの通りだ。
 私は、世界中の指導者や識者とも会い、平和と文化の語らいを重ねてきた。あの国でも、この国でも、一級の知性と友情を結び、信頼と共感を勝ち取ってきた。
 一つ一つが忘れ得ぬ思い出である。一つ一つが黄金の輝きを放つ歴史である。
 私は、ヨーロッパ広布の道も開いてきた。
 当初、ヨーロッパ広布は遅々として進まなかった。私は、初代の欧州議長で医学博士でもあった山崎鋭一さんを中心に、あらゆる角度から手を打ち、メンバーへの激励を重ね、私自身も各国を飛び回って、ヨーロッパ広布の基盤をつくった。
 山崎博士の奥様・良子さんもお元気であるとうかがっている。うれしい限りである。
 私は「ヨーロッパ、頑張れ! 師弟不二で新たな広布前進の歴史を!」と強く申し上げたい。
 創価学会は、地球に輝く民衆の大連帯となった。
 平和と社会に貢献する模範の団体として、各国・地域からの顕彰も相次いでいる。
 事実の上で、全世界が讃える希望の団体となった。
10  使命に生き抜け
 御聖訓には、こう仰せである。
 「あなたが仏になろうと思うならば、慢心のはたほこ(軍の指揮に用いる旗)を倒し、忿いかりの杖を捨てて、ひとえに一乗の法華経に帰依しなさい。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢(我を傲り他を軽んずる)や偏執は後世の成仏を妨げる足かせである」(同463㌻、通解)
 リーダーは、どこまでも、誠実な、純粋な心で、同志のため、学会のために尽くしていくのだ。
 そして、偉大な仏の境涯を開いていっていただきたい。
 「仏」とは幸福の極致、勝利の極致の生命であり、慈愛と喜びに満ちた極致の生命である。
 悔いのない人生を送っていただきたい。
 書びに満ちた自分をつくりながら、「立正安国」の精神を胸に、自身の一族と国家の安穏・繁栄を祈り、行動していくことだ。弘教に走っていくのだ。
 弘教は、仏の使いの尊き実践である。その福徳は無量である。
 永遠にわたる、その誉れ、その崇高な使命、仏になりゆく喜びの生命をつくるために今世があるのだ。今があるのだ。
 同志、万歳! 北米、万歳! オセアニア、万歳! 中南米、万歳! ヨーロッパ、万歳! アジア、万歳! アフリカ、万歳! 世界、万歳!
 お帰りになったら、各国、各地の大事な大事な同志の皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えください。どうか、体を大切にしてください。
 私と妻は、毎日、皆さんの健康と無事故と長寿を一生懸命に祈っています。きょうは、本当にありがとう! サンキュー!

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