Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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全国代表者会議
2010.2.23 スピーチ(聖教新聞2010年上)
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2
日の出の勢い!
おかげさまで、全世界の同志の皆様の力によって、学会は、大きく発展した。
幾多の団体が、時代の変化の波に衰退を余儀なくされる中、わが学会は、民衆の平和の柱として、揺るぎない存在となった。
本当にありがとう!
あらゆる嫉妬や偏見も、すべて、学会の前進によって、厳然と打ち破った。
まさに日の出の勢いである。広布へ進む友の、勝ち戦の万歳が轟いている。これほど、うれしいことはない。
正義に生きる皆様の福徳は、無量無辺である。
3
きょうは、北海道の代表も参加し、今年にかける意気込みを伝えてくれた。
広大な山河を縦横に駆けるその胸には、「よいか! 友よ、負けるな!」「どこからでも、どんとこい! 一緒に勝利だ!」との不屈の息吹があふれている。
万年に崩れぬ土台を築きゆく今、皆が朗らかに声をかけ合い、力を合わせて大前進したい。
4
威風堂々と! 信心のスクラム
「経の王」である法華経は、一体、何のために説かれたのか。
それは、万人を仏にするためである。
広宣流布こそ法華経の魂なのである。
法華経の宝塔品で、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が来集した。それは「令法久住(法をして久しく住せしめん)」のためであり、「
未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと
」されたゆえである──。
そのように、「開目抄」で仰せである。
広宣流布の闘士が集い、大仏法を学び弘めゆく会合も、一面からいえば、現代における法華経の会座であるといってよい。
法華経は、峻厳なる師弟の儀式である。
日蓮大聖人の御心のままに、我らも誉れの弟子として、濁悪の世に、広宣流布の前進と勝利を開いてまいりたい。
5
師のもとから勇んで打って出る。そこに、発展と勝利のリズムが生まれる。
この根本の軌道を、戸田先生は教えてくださった。
先生は、重要な広布の会議について、その精神を、厳しく打ち込まれた。
「全員が責任者の覚悟で参加し、意見を述べよ! 決まったことは、何があっても実行し、実践せよ!
そして、断じて戦い、勝って、次にまた集まるのだ!」
師弟不二の、この呼吸、この息吹、この祈り、この決意、この勢いで、学会は威光勢力を増し、勝ち進んできたのである。
上も下もなく、皆が自分らしい持ち味を生かし、同じ責任感に立って、威風堂々と進んでいく。ここに学会の強さがある。
師とともに、同志とともに、心を合わせていけば、信心の軌道から外れることはない。
正々堂々と、皆でスクラムを組んで、広宣流布のために戦おう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
6
世紀を担う秀才
きょうは、アメリカ創価大学出身の男子部、女子部、男女学生部、そして未来部のリーダーも出席している。
いい青年が育っている。「核兵器のない世界」へ向けて、学友に対話を広げる学生部員の活躍も、よくうかがっている。恩師・戸田先生が、どれほどお喜びであろうか。
思えば、学生部の結成は、昭和32年(1957年)の6月30日のことだった。
私は北海道・夕張の天地から、「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会おめでとう。会長先生のもとに勇んで巣立ちゆけ」と祝電を送った。
あの嵐の「夕張炭労事件」の最中に学生部は誕生したのである。
私が夕張を初めて訪れたのは、雪の舞う、昭和32年の冬1月のことであった。
文京支部であった夕張地区の大会に出席するためである。
夕張の鹿ノ谷駅に降り立つと、とても寒かったことを、今でも鮮明に覚えている。
夕張地区の大会には、1,300人の同志が集い、意気天を衝く勢いであった。
私は文京支部長代理として、“逆境をも追い風にしていく生命力で、師子王のごとく前進を”と激励した。
この年の5月、理不尽にも炭労は、公然と、人権蹂躙の暴挙に出たのである。
〈当時、絶大な勢力を誇っていた炭労(日本炭鉱労働組合)が、学会の躍進に警戒感を抱き、組合員である学会員を不当に弾圧した。信心をやめよと脅されたり、仲間はずれや嫌がらせなど、陰険にいじめられた。
“泣く子も黙る天下の炭労”と恐れられたほど、強大な組織であった。炭労と創価学会の対決に、世間やマスコミも、“大事件”として注目した〉
7
信教の自由を守り抜く戦い
北海道は戸田先生の故郷である。
横暴な圧迫に、幾千の学会員が苦しんでいる。
同志がかわいそうではないか──。
戸田先生は自ら北海道へ行こうとされた。
私は戸田先生の身を案じた。いかなる危険があるかもわからなかった。
「先生! 私が行きます」「私が戦いますから、どうぞご安心ください」──。
私は6月28日、北海道へ乗り込んだ。
学会員が二度といじめられないように、機先を制し、次々と手を打った。
7月1日は「札幌大会」に出席した。記者会見でも学会の主張を堂々と訴えた。
翌2日は「夕張大会」である。「信教の自由」を守り抜く、正義の言論戦を、果敢に展開した。この大会に参加した、炭労の幹部の数人は、途中で逃げ去っていった。
大会終了後、一人の真谷地炭労の副委員長が、私のもとに、丁重にあいさつに訪れた。
「学会の主張は、よくわかりました。我々は浅はかな行動はとりません」
一つの勝利の決着を見たのである。
7月3日、私は空路、羽田空港へ舞い戻る。空港で戸田先生にご報告をし、そのまま大阪に向かった。
そしてこの日、「大阪事件」で、私は不当にも逮捕された。
これが、まったくの冤罪(無実の罪)であったことは、後に、裁判で、明確に証明された。不二の師弟は、勝ったのである。
8
私は戸田先生のために、あらゆるところで戦った。当時、20代の青年であった。
青年は、邪悪と戦う勇気を持たねばならない。どんな相手であろうと、正義を叫び抜くのだ。屋根となって、庶民を護るのだ。
私はこれまで、さまざまな思想・宗教・イデオロギーの指導者とも対話を重ねてきた。
世の中を平和にしたい──その思いは共通しているはずだ。
同じ人間として、率直に、腹を割って対話した。心を通わせていったのである。
広布のため、恩師のために、わが身がどうなろうと本望だ──。この精神で、今日まで来た。だからこそ、諸天善神が守ったのである。
目先の欲にとらわれ、虚栄を追っても、仏法の眼から見れば、あまりにも小さい。
師匠のため、学会のため、同志のために尽くす。悔いなき人生を生ききる。これが何より大切なのだ。
今、懐かしき夕張の地では、地元・夕張正義圏の同志が、町内会や商工会、また伝統の映画祭の応援など、地域の先頭に立って活躍している。勇敢なる夕張の友に、心からエール(声援)を送りたい。
9
竪塁中部よ立て
戸田先生はまず、中核となる地域に手を打たれた。
東京を盤石に固めた。そして関西に私を派遣された。
本陣・東京と常勝・関西は、わが青春の法戦場である。いよいよ堅塁・中部の出番だ。
中部が強くなり、関西・中部・東京がガッチリとスクラムを組めば、未来の創価城は、一段と盤石である。難攻不落である。
張り切って進め! 戦って強くなれ! 愛知、そして中部の同志、頑張れ!
10
心が心を動かす
私は今、世界のジャズの王者ハービー・ハンコックさんとも対談を進めている。
SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーであるハンコックさんは、「仏法では『心こそ大切』と教えられています。演奏家にとって大切なことも、自らの心をどう表現できるかです」とも語っておられた。
心が心を揺さぶる。
心を磨き、心を豊かにする──そのための信心である。
〈ハンコック氏は、こうも述べている。
「池田先生はスピーチや、ピアノの演奏をされる前に、まず“いかにして自分の心を人々に伝えるか”真剣に祈っておられると、私は確信します。
スピーチを伺っても、演奏を聴いても、そこに、池田先生の題目が染みこんでいることを、強く感じてならないからです」〉
上手な話をするよりも、もっと大事なのは、まず、同志の幸福を祈り、広宣流布の勝利を祈りきることだ。
その深き祈りを込めた声の響きが、皆の胸を打ち、歓喜の渦を巻き起こすのである。
11
時を創れ! 信念を貫け
インドネシアの元大統領、アブドゥルラフマン・ワヒド博士とは、「平和の哲学」「寛容の智慧」をめぐって語り合った。
博士は、多様な文化を尊び、民主主義の道を開いた哲人指導者である。
イスラムの大賢人でもあり、民族や宗教間の融和に尽くされた。
SGIの平和・文化・教育運動に対して、博士は、「物質主義が強まりゆく社会において、人間主義に溢れる仏教的な哲学を蘇らせておられます」と正視眼で評価された。
「友情を育み、関係をさらに発展させ続けていきたい」──こう語り、温かい理解を寄せてくださった。
〈ワヒド博士は「池田会長は、偉大な方です。 『文化の力』で人類の高みに立っておられる。人間を探究し、人間のレベルを引き上げておられます」とも述ベている〉
ワヒド博士は、私との「イスラムと仏教の語らい」を終え、昨年末、逝去された。
まさしく生涯をかけて、対話に打ち込まれた博士。私は、心からの哀悼を捧げた。
インドネシアでは、国葬をもって、「改革の闘士」としての功績を歴史に刻んだ。
〈ワヒド博士への名誉会長の弔電が伝えられた際、シンタ・ヌリヤ夫人は目頭を熱くしていた。
そして「池田博士との対談集は、夫の最後の仕事です。多くの人が待ち望んでいます」と、その出版への期待を述べた〉
苦闘を越え、共生の道を開いたワヒド博士の人生が、青年に残した教訓は大きい。
中傷され、悪口されようが、わが理想を手放さない。時を待ち、時を創り、いい方向へ変えていく。
一番困難な事態でさえも、一番やりやすい状況へと大転換していくのだ。
人生も、社会も、すべては戦いである。
抜本的に時流を変えていく──そういう戦いができる、強き信念の指導者が出なければならない。
自らが奮い立ち、使命の天地で、大勝利の旗を打ち立てるのだ。
皆と仲良く、はつらつと、あらゆる人を生かしていくのだ。
正義と真実を語り抜く、対話の道を突き進むのだ。
未来を開く後継の諸君、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
12
創価の魂は勇気
ワヒド博士は私との対談で、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニの信条を語ってくださった。
人々の心に光を送ったカルティニの言葉を皆さんに贈りたい。
「『勇気を持たない者に、どうして勝つことが出来よう』というのが私の座右銘なのです。
ですから、さあ、進もうではありませんか。心を引き締め、何事も試してみましょう!
勇気を持って行えば、失うものよりは得るものの方がずっと大きいのです」(シティスマンダリ・スロト著、舟知恵・松田まゆみ訳『民族意識の母 カルティニ伝』井村文化事業社)
勇気──この魂を、牧口先生も、戸田先生も、何度となく訴えておられた。
「もうだめだ」と思う心の壁を打ち破るのも、「勇気」だ。
新たな一歩を踏み出すのも「勇気」だ。
この一点を、皆さんは絶対に忘れてはならない。
私は勇気で、世界中に道を開いた。
分厚い不信の氷を溶かし、敵意の火も鎮めた。勇気で心の橋を懸けた。
信心とは、勇気の異名なのである。
女子部も、勇気をもって朗らかに前進を! 壮年部も、真剣に、賢明に、勇気をもって進むのだ。
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正義が勝つ社会を築け
西洋文明の源流であるギリシャでも、創価の友は、生き生きと活躍している。
〈これまで「ギリシャ国際作家・芸術家協会」から、名誉会長に数々の顕彰が贈られている。名誉会長の『私の釈尊観』のギリシャ語版も発刊された〉
古代ギリシャを代表する劇作家の一人に、メナンドロスがいる。
彼の戯曲に、こういう台詞があった。
「どんな時にも、どこであっても、正義が勝たねばなりません」(吉武純夫訳「辻裁判」、『ギリシア喜劇全集5』所収、岩波書店)
正義が勝つ社会を築かねばならない。
また、こういう言葉も残っている。
「人生行路の路銀としては、度胸以上のものはない」(中務哲郎・脇本由佳・荒井直訳『ギリシア喜劇全集6』岩波書店)
八方ふさがりでも、降参しない。当たって砕けろ!──この心意気が人生を開くものだ。
いわんや我らには、妙法という無敵の宝剣がある。何も恐れるものはない。
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誠実に、大胆に!
さらに、恩師・戸田先生の指導を心に刻んでいきたい。
私は、戸田先生の一言一句を、すべて遺言と思って、大切に記し残してきた。
先生は、声の響きや、振る舞いからでも、その人物の心根を、鋭く見抜いた。
「上が、もっと真剣に戦うのだ! 皆と一緒に動くのだ。そして、必ず勝利の結果を出せ!」とも叫ばれた。
無責任な、ずるい人間になってはならない。
私は、同志とともに動き、走った。全部、先陣を切ってきた。
新しい天地へ飛び込んだ。新しい友と友情を結んだ。出会いの劇は、数知れない。
どうか皆さんも、愛する地域で、誠実に、また大胆に、人間としての信頼を大きく広げていただきたい。
戸田先生は、決して愛弟子を甘やかさなかった。あえて私に、厳しい試練を課した。
しかし、主要な幹部に対して、「大作を見習え! 強さ、勇気、勤勉、努力を学べ! 大作のように、大胆に戦い、勝て!」と言われたこともあった。
先生は、私をそばから離さなかった。私の姿が見えないと、「大作はいるか」「大作を呼べ」。亡くなられる前も、何度も私を枕元に呼んだ。「大作、大作」と。先生の手を、私は握りしめた。
波瀾万丈であった。何もかも勝ち越えた。
そういう弟子に、君たちも、なってもらいたいのだ。
先生は、後継の若き指導者に、こう教えてくださった。
「自分が行ったところで、自分の力を示すのだ! 最も大変なところでこそ、断じて勝つのだ!」
皆さんも、頼むよ! 恵まれた、いいところにばかり行けば、楽かもしれないが、常勝の剣は磨かれない。
一番、状況の悪いところで勝つ。それが本当の勝利者である。功徳も大きい。
皆さんの中には、新しい人事の任命を受けた人、新しい立場で戦う人もいるだろう。
健闘を祈りたい。
仏法は「本有常住」「常寂光土」と説く。
どこへ行っても、広布へ戦うその場に、最高の使命の本舞台がある。そこで、最高の自分を築いていける。
今いる場所で、堂々と、勝利の金字塔を打ち立てていただきたい。
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私の願いは、わが後継の諸君が、一人も残らず、人生を勝利しゆくことである。
戸田先生は、青年に期待を寄せ、次のように語っておられた。
「青年ならば、その立場立場で、喜んで生きることだ。
自分の使命に生き切ることが大切だ。生活に苦しいことがあっても、明朗であれ!
自分が託された使命の舞台で、日本一を目指せ!
これが青年らしい生き方だ」
私も、この通りに戦ってきた。先生の指導通りに進んできた。
青春時代から、一点の曇りもなく、わが使命の大道を、まっすぐに歩み抜いてきた。
皆さんも頑張れ!
何でもいい、何かで一番に!
自分らしく、わが舞台で、日本一、世界一を目指すのだ。
今の苦労が一生の宝になる。苦労しなければ、人間はできない。悩んだ分だけ、苦しんだ分だけ、どんな嵐にも負けない、金剛不壊の自分になるのだ。
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建設的な声を
牧口先生は、鋭く教えられた。
「下から上を動かかせ! 下から上を変えていけ!」
いいですね!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
青年が強くなり、賢明になっていくことである。そして、青年が全体を動かしていくのだ。
戸田先生は実に厳しかった。
「上の人間が戦わない。自分は動かない。それで、号令ばかりかけている。
それでは、全体が澱んでしまう。勢いが出ないのは当然である。あまりにも、会員がかわいそうではないか。
そうした、ずる賢い上の人間は、厳しく叱り飛ばせ!」と。
全くその通りだ。
リーダーは、常に、わが身を省みて、肝に銘じてもらいたい。
自分自身が率先して祈り動く。恩返しの戦いを貫き、後輩を立派に育てていく。
そうでなければ、後悔を残すだけである。
また先生は、「学会を良くするために、そして、学会が勝つために、青年は、どんなことでも勇気をもって、上に言い切っていきなさい」とも語っておられた。
どんどん建設的な声をあげるのだ。広宣流布の貢任感の上から、皆、遠慮なく意見を言っていくのである。
意気地のない、弱々しい青年であってはならない。また、年配の同志も、勝利のために、どんどん声を発していくのだ。
頼むよ!〈「ハイ!」と元気な返事が〉
17
「勝つためにうんと悩め」
広宣流布の前進において、リーダーの責任は、あまりにも大きい。
戸田先生は、厳として言われた。
「勝つために、うんと悩むのだ!
祈り抜くのだ!
油断を排して、思い切って戦うのだ!」
思えば、昔の学会において、未来を見すえ、新たな布石を打っていったのは、実質的に、先生と私の二人だけであった。
財政的な基盤もない。組織も整っていない。折伏も進まない。
その中で私は、先生に満足して喜んでもらえるよう、祈りに祈り、戦いに戦った。
「先生は、ゆっくり見ていてください」と申し上げ、先生の事業を支えながら、広布の活路を決然と開いていった。
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ここで、アフリカのギニア独立の指導者、セク・トゥーレ初代大統領の信念を紹介したい。
「われわれの途上にあるすべての障害にいっそう強力にたちむかうため、団結をさらにかためよう。国民的な責任の自覚のみが生む不敗の力で武装しよう」(小出峻・野沢協訳『アフリカの未来像』理論社)
西アフリカ全域の解放に立ち上がった闘士の、幸福建設への熱情あふれる言葉だ。
わが学会の使命――それは「立正安国」である。社会の繁栄と民衆の幸福を、断じて実現しゆくことだ。
時代の闇は深い。
だからこそ、正しい思想の確立が必要である。
私たちは今こそ、団結固く、わが地域に、人間革命の希望の大哲学を語り広げてまいりたい。
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ともあれ、師匠のため、学会のために、私は一心不乱に戦った。
そんな私に、戸田先生は、「大作が俺の弟子でうれしいよ」「本当に俺は幸せだよ」と何度も言われた。
厳しい先生であった。天才中の天才の指導者であった。
しかし、師匠である牧口先生には、弟子として、徹して仕え抜かれた。
その先生が、「大作は、私が牧口先生に仕えた以上に、私に仕えてくれたな」と言ってくださった。
弟子にとって、これ以上の誉れはない。
次は、いよいよ、若き諸君の出番である。
君たちが成長し、偉くなって、学会の全責任を担っていくのだ。
決して威張ってはならない。高飛車になってはならない。
大勢の前で大号令をかけるだけ――それがリーダーなのではない。人を動かそう、従わせようとするのではない。
そうではなく、全身全霊を捧げて同志のために――その思いと祈りがにじみ出るような、心優しい声で語りかけていくのだ。
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味方をつくれ
近代日本の哲学者・西田
幾多郎
きたろう
博士は、戸田先生と同じ北陸の出身である。『善の研究』などの著作で知られている。
博士は手紙にこう綴っている。
「人間は如何なる場合にも“強く生きる”という精神を失わぬ事肝要と存じます」(『西田幾多郎全集第19巻』岩波書店、現代表記に改めた)
戸田先生も「人生は強気でいけ」と、よく語っておられた。
最高の勇気の源泉である妙法を持った私たちである。どこまでも、強い心で進むことだ。勇気をわき出していくことだ。
強い人は幸福だ。人生を楽しんでいける。
勢いがなければ、何事も成し遂げることはできない。たとえ思うようにいかないことがあっても、「最後は必ず勝つ」との大確信で、前を向いて、強気で前進するのだ。
西田博士は、こうも書いている。
「人生健気なる決心より美しきものはなし」(同)
婦人部・女子部をはじめ、尊き学会員は、健気なる決心で生き抜いてこられた。世界広布の大道を堂々と開いてこられた。
私も深き決心で世界中の指導者、識者と会い、語らいを重ねてきた。そして、あらゆる人を学会の味方へと変えてきた。
「学会はすごいですね!」「あなたのためなら協力します!」――こう言ってもらえるくらい、誠意を尽くして語り、友情を結んでいくことである。
インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは叫んだ。女子部の皆さんと同じ年代での言葉である。
「愚痴をこぼすだけでは何の足しにもなりません。行動しなければ!
ですから、さあ、老いも若きも、すべての女性は立ち上ろうではありませんか!
手を取り合ってこの耐え難い状況を変えるために、共に働きましょう!」(シティスマンダリ・スロト著、舟知恵・松田まゆみ訳『民族意識の母 カルティニ伝』井村文化事業社)
勇敢なる決意で戦おう! 断じて勝とう!〈「ハイ!」と元気な返事〉
大事なのは「声」だ。生命力のある声、張りのある声、真剣な声で、皆に元気を与えていくことだ。一念を変えていくことだ。
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創価の人間生義の哲学を世界へ
フランスの大詩人ボワローは綴った。
「友情を育て、信用される人になりたまえ」(小場瀬卓三訳「詩法」、『世界大思想全集 哲学・文芸思想編21』所収、河出書房新社)
私たちも、自身の使命の場で友情を広げ、信用を勝ち取る一人一人でありたい。
このボワローは、ヨーロッパを代表する知性の殿堂であるフランス学士院の会員であった。
1989年、私はフランス学士院で、「東西における芸術と精神性」とのテーマで講演を行った。最後に自作の詩を読み上げて講演を結んだ。万雷の共鳴の拍手をいただいたことが忘れられない。
「声仏事を為す」である。私は、ヨーロッパをはじめ中国やアメリカなど、世界の最高学府で、仏法の哲学を根幹として講演を行ってきた。
創価の人間主義を世界に広げるために、青年時代から、一つ一つ手を打ってきた。
政治家ではない。一人の庶民として、堂々と行動してきた。歴史を切り開いてきた。戦ってきた。
皆さんも、そうあってください!〈「ハイ!」と元気な返事〉
社会的に偉くなったり、立場を得ると傲慢になり、堕落する人間がいる。
悪い人間とは戦う。悪い人間には強く言う。これが本当の正義である。傲慢な人間というのは、他人から厳しく言われると、案外、小さくなってしまうものだ。
御書に「
修羅
しゅら
のおごり
帝釈
たいしゃく
に
せ
責
められて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し
」と仰せの通りである。
不正な人間というのは、最後は自分で身を滅ぼしていく。これが歴史の常である。どんな世界にあってもそうだ。
大事なのは、真実を見抜く眼をもつことだ。特にリーダーが、しっかりしなければいけない。油断があってはならない。
妙法の世界においては、なおさらである。この尊き創価の世界を断じて守り抜いていかねばならない。後世のために、あえて申し上げておきたい。
22
全同志に感謝
このほど、シルクロードの要衝の地である中央アジア・ウズベキスタン共和国の科学アカデミー芸術学研究所から、栄えある「名誉博士号」を授与していただく運びとなった(2月24日に授与)。
さらに、中国・西安外事学院から「名誉教授」称号を拝受することになっている(同27日に授与)。
平和と友好に尽くしておられる全同志の皆様を代表してお受けするものであり、ありのままに、ご報告申し上げたい。
すべては、同志の方々の子孫末代へと流れ通っていく栄誉である。それを確信していただきたい。〈これで、名誉会長に世界の大学・学術機関等から授与された名誉学術称号は「276」となった〉
こうした学術・教育の栄誉を、誰よりも喜び、讃えてくださっているのは、戸田先生であろう。先生の薫陶ありて、今の私がある。
23
2月27日は、「ブラジル婦人部の日」である。そのブラジルから、喜びの報告が届いた。
それは、美しい環境都市・ロンドリーナ市に「池田香峯子夫人環境広場」が開設されたというニュースである。
〈同市には2000年に「池田大作博士環境公園」がオープン。今回の「池田香峯子夫人環境広場」の開園式は2月20日に行われ、バルボザ・ネット市長をはじめ、各界の識者や市民約600人が参加し、ブラジル有数のテレビ局など多数が取材に訪れた〉
この広場には、婦人部のシンボルである「白ゆり」のマークを模した、素晴らしい記念碑もつくられた。創価の婦人部の前進を世界中が讃えている。おめでとう!(大拍手)
24
戦争から平和へ 対立から調和へ
さらにSGI発足の地・グアムでは、年頭からSGI誕生35周年を記念して、さまざまな祝賀の行事が行われてきた。
2月27日は、「アメリカ婦人部の日」でもある。その翌28日には、SGI発足の場所である国際貿易センターの前に広がる公園内に、記念の平和パビリオン(多目的施設)が除幕されることも決まっている。
活発に市民が集い合い、対話と連帯を広げる交流の広場になるとうかがった。本当におめでとう!
〈このパビリオンは、名誉会長夫妻の世界平和への貢献を讃え、「池田大作・香峯子平和パビリオン」と命名された。
これは公園を有するグアムの中心都市タムニンの決定によるものである〉
かつての戦乱の地・グアム――。
ここから私は、戦争から平和へ、対立から調和へ、不信から信頼へ、人類史を転換する人間革命の波を起こしていこうと誓った。
今、原点の地・グアムは、SGIとともに、創価とともに、平和と共生の楽土へと大発展されている。これほど、うれしいことはない。誇り高いことはない。
地元・グアムの友の尽力に、そして全アメリカ、全世界の同志の偉大なる前進に、心から感謝申し上げたい!
25
今年は、学会創立80周年であると同時に、創価教育の出発から80周年でもある。
〈牧口初代会長の『創価教育学体系』第1巻の発刊(1930年)から今年で満80年となる〉
今、創価の青年教育者の奮闘に、各界から絶大なる信頼が寄せられている。
〈2月28日には、首都圏の青年教育者の代表が東京戸田記念講堂に集い、盛大に大会が開催された〉
また、このほど青年教育者の有志の方々が、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したノルウェーの劇作家イプセンの「全集」を届けてくださった。
イプセンと言えば、私たちが若き日、戸田先生のもとで学んだ作家の一人である。
若き「人間教育のリーダー」の皆さんへ、エール(声援)を贈る意味も込めて、わが心に刻むイプセンの箴言を紹介したい。
最初に、有名な戯曲のなかで、苦難に直面しつつも、わが地域の変革のために立ち上がっていく主人公の言葉である。
「わたしには正義がある!」「戦場はここだ。戦うのはここだ。わたしはあくまでここで勝つ気だ!」(竹山道雄訳『民衆の敵』岩波文庫、現代表記に改めた)
仏法もまた、「今いる場所」で勝ち、幸福をつかむことを教えている。
現実の苦難から逃げるのではない。ほかの「どこか」に行くのでもない。「
此
ここ
を去つて
彼
かしこ
に行くには非ざるなり
」である。
自分の今いる地域や職場こそ、勝利の「使命の舞台」であることを忘れてはならない。
またイプセンは、友への手紙にこう記した。
「僕はきっと攻撃されるよ」「僕は自分が正しいから、彼らが何と言おうとへこたれないさ」(原千代海訳『イプセンの手紙』未来社)
正義の人生に圧迫はつきものだが、正義を貫いている限り、心はいつも晴れやかで、すがすがしい。
何があろうと、堂々と正義を叫び切るのだ。
26
自分自身の行動で勝て
さらに彼の戯曲で、若き女性がこう呼びかける場面がある。
「今日という日をあなたにとって新しいはじまりにするのよ」(原千代海訳『原典によるイプセン戯曲全集2』未来社)
一日一日、前進だ。新たな決意で前進だ。
本陣のリーダーならば、あらゆる広布の戦いを、自分自身の行動で勝つのである。
「自分は戦ってきたから、もういいだろう」という怠惰や慢心、「誰かがやるだろう」という人まかせの態度は、断じて排していかねばならない。
リーダーが自ら「もう一度、戦おう!」と心の底から決意し、祈り、行動を起こしていくのだ。真っ先に、まっすぐに、最前線へ飛び込んでいくのである。
リーダーの生き生きとした信心の息吹に触れて、同志も元気になる。若返っていく。
「私も、もう一度、頑張ろう!」と立ち上がってくださるのである。
27
清浄潔白であれ
結びに19世紀アメリカの思想家エマソンの言葉を皆様に贈りたい。
「自分自身にとってみずからを清浄潔白なものとすることである。そうすればその人は世界の賛同を得るであろう」(入江勇起男訳『エマソン選集2』日本教文社)
「自分の仕事をすることだ、すると自分の力も強化される」(同)
さらにエマソンは語った。
「幸運の鍵はわが手中に歓喜のあることである」(同)
大聖人は「
南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり
」と仰せになられた。
題目こそ、究極の幸運を開く鍵なのである。
幸福の鍵は、わが胸中にあり!――この心で、今再び立ち上がり、難攻不落の創価城を、晴れ晴れと築いていこう! よろしく頼みます!
風邪など、ひかないように。長時間、本当にありがとう!
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