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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第37回本部幹部会 創立80周年記念第3回全国青年部幹部会

2010.2.6 スピーチ(聖教新聞2010年上)

前後
1  どうかリラックスして、自由な気持ちで聞いてください。
 私も、懇談的に話をさせていただきたい。
2  戦う青年部の幹部会、本当におめでとう!
 〈「ありがとうございます!」と会場の青年部から勢いよく返事が〉
 青年部がいてくれれば安心だ。
 次の時代をつくるのは、青年部に決まっているのだから。
 私も戦った。青年部時代、本当に師匠にお仕えした。
 恩師・戸田先生の命を受けて、一番伸び悩んでいた支部を担当し、全国一の支部に押し上げたこともある。
 学会は、そこから、ぐんぐんと前進していった。そして今日の学会となった。
 真剣だった。必死であった。
 私は「師弟不二」で勝った。
 「大作は、名前の通り、大きく作るな」と先生は喜んでくださった。
 わが青春の誉れの歴史である。
 “%無冠の友” 寒風の中 ありがとう
3  海外の同志の皆さん、本当に、ようこそ! 懐かしい同志とお会いできて、うれしい。ありがとう!
 無冠の友(配達員)の皆さん、寒風の中、毎日、本当にありがとうございます! どうか、お体を大切に!
 農漁村部の皆さん、尊い活躍、ご苦労さまです。今年も、豊作と豊漁を皆で祈りたいと思います!
 音楽隊の皆さん、合唱団の皆さん、いつもいつもありがとう! 学会は、音楽隊の力強い演奏とともに、そして合唱団の明るい歌声とともに、きょうよりまた、一段と団結固く、威風堂々と大行進していこう!
4  苦しみと楽しみの境はどこに
 何のための「人生」であり、何のための「信仰」か──。
 喜びに生きゆく人生。
 苦しみに生きゆく人生。
 悲しみに打ち砕かれていく人生。
 不幸という縄に縛られて生きていく人生。
 生き生きと勝ち抜いていく歓喜の人生。
 人の生き方は、さまざまである。
 社会が悪いからという理由もあるだろう。
 一家が貧しいから、そうなってしまうということもあるにちがいない。
 勝利の遊楽と、敗北の地獄の苦しみ──。
 人生はさまざまである。境遇もさまざまである。
 人生の成功と失敗、楽しみと苦しみの境は、いったい、何によるのか? それは複雑であり、微妙である。
 しかし、南無妙法蓮華経は、「絶対勝利」の法である。
 「常楽我浄」の悠然たる長者の生命となりゆく仏法なのである。
 南無妙法蓮華経を持つことは、いかなる財宝を持ち、大邸宅を持つよりも、ずっとずっと裕福なのである。
 南無妙法蓮華経は、大宇宙の生命であり、根源の法である。それを唱えているのだから、何の心配もない。
 日蓮大聖人の仰せには、絶対に嘘はないのである。
 幸福と勝利のための我らの信仰であり、信心である。
 永遠唯一の御本仏であられる大聖人の仏法の実体である。
 我々は、この人生を、この大仏法とともに、悠然と勝利、勝利で進んでいこう。
 何ものも恐れぬ「幸福街道」を、自分自身も、家族全体も、多くの友人とともに、生き生きと、はつらつと前進するのだ。
 わが生命は、楽しむ一生を送るためにある。不幸という、悲しみ、苦しみ、敗北の人生には、絶対になってはいけないし、絶対にならないのだ。
 これが妙法の信仰である。
 これが宇宙第一の大聖哲・日蓮大聖人の教訓である。
 何と偉大なことか。
 皆、この人生を、楽しみ、勝ち抜いて、朗らかに、大満足して、価値ある一生を送っていこう! そのための仏道修行なのである。
5  恩師の生誕110周年に寄せて
 今月11日は恩師の生誕「110周年」である。
 戸田先生の指導を学びたい。
 先生は言われた。
 「歴史の歯車は、一瞬もたゆむことなく、前に前に前進してやまない。
 青年よ、勇気と情熱で突破口を開け!
 君たち青年がいるかぎり、学会は永遠に盤石である!
 青年がいるか、いないか。
 その青年に力があるか、ないか。
 これで未来は決まる。会社でも、国でも、全部、そうだ。
 広布の未来も同じだ。これは根本法則である。
6  19歳から一筋に
 私は19歳で信心を始め、今日まで63年間、まっすぐに、師弟の道を進んできた。
 戸田先生の経営する会社にお世話になったのは21歳の時である。
 〈1949年(昭和24年)1月〉
 当時、学会は、何かにつけて批判され、いじめられた。
 さらに戦後の混乱の打撃を受けて、先生の会社も挫折を余儀なくされていった。
 先生は山のような借金を抱え、社員は一人、二人と去っていく。やって来るのは、“借金取り”ばかりである。
 嵐の中で、私は一切の責任を担い、会社の再建に当たった。
 先生は、学会の理事長も辞任せざるをえなかった。
 戦時中、牧口先生にお供して牢獄に入り、最後まで生死を共にされたのは戸田先生だけである。
 何があろうとも、後継者は、戸田先生に決まっていた。
 先生が難を受けられれば、皆が報恩の心で護らねばならないはずだった。
 しかし、幹部の中には、苦境にあった先生を下に見て、自分が中心のように振る舞う者も出てきた。それに追従する幹部もいた。
 私は、戸田先生に、うかがった。
 ──私の師匠は誰になるのですか──と。
 小さな本部の一室であった。二人きりであった。
 先生は言われた。
 「苦労ばかりかけて悪いけれども、君の師匠は私だよ」
 その一言で私の心は決まった。
 ──戸田先生に必ず会長になっていただくのだ。そのためなら、私はどうなってもかまわない──と。
 孤軍奮闘であった。給料は何カ月も遅配。新しい靴も買えない。
 しかし、心は晴れやかであり、高下駄を鳴らしながら歩いた。
 真冬に開襟シャツで過ごしたこともある。
 働きに働いて、借金を返済していった。
 月日が経ち、年が変わり、昭和26年(1951年)の5月3日、苦難を乗り越えて、師弟に「勝利の春」が訪れた。
 戸田先生が、晴れて第二代会長に就任されたのである。
7  試練の船出!
 戸田先生の指揮のもと、学会は意気揚々と船出した。
 しかし、学会全体として、なかなか折伏が進まない。
 先生は、「みんな一生懸命に頑張ってくれているけれども、これでは広宣流布は5万年かかってしまうなあ」と、一人、嘆いておられた。
 先生は、当時、必死で事業を支えていた私をじっと見つめて、「大作、立ち上がってくれないか」と。
 私は即座に申し上げた。
 「わかりました。
 先生がびっくりするような折伏の攻勢に転じてご覧にいれます。先生はゆっくりと見ていてください」と。
 これが師弟である。
 ここから、学会は、日の出の勢いで前進を開始したのである。
 〈戸田会長の命を受け、若き名誉会長は、蒲田支部の支部幹事に就任。
 1952年(昭和27年)2月、名誉会長の指揮のもと、蒲田支部は、1カ月で201世帯の弘教を達成した。
 当時、最も力のある支部でも、月に100世帯前後の弘教が限界だった。
 ここに、壁を破る「伝統の2月」の歴史が築かれた。
 学会全体にも拡大の勢いが広がり、戸田会長が生涯の願業に掲げた「75万世帯達成」へ、大きな上げ潮がつくられていったのである。
 さらに翌1953年(昭和28年)、名誉会長は、文京支部の支部長代理に就任。これも戸田先生の指名であった。
 当時の文京支部は、女性の支部長が指揮を執っていたが、残念ながら、毎月の折伏成果は低迷を続けていた。
 名誉会長を迎え、生まれ変わった文京支部は、同年12月には、431世帯の弘教を成し遂げ、第1級の大支部へと飛躍。
 さらに1960年(昭和35年)の第三代会長就任の折には、支部として全国第1位の折伏の金字塔を打ち立てている〉
8  2月闘争の魂
 学会の大躍進の姿に戸田先生の喜びは、ひとしおであった。
 「大作は、すごいと思っていたけれど、こんなにやるとは思わなかったな」
 青年は力を出すのだ。力をつけるのだ。師匠を落胆させる弟子ではいけない。
 師匠が一番大変なときに、一番大変なところへ行って、広布の一番星をつかみ取る。
 それが「真の弟子」である。「2月闘争」の不滅の魂である。
9  社会のために平和のために
 若さこそ力だ。戸田先生は、青年に大きな期待を託して、こう語られた。
 「一人の強き生命力が、他の人の生命に影響を与え、変えることができるのだ。この働きを、最も確実に推進する力が、妙法なのである」
 正義を貫く青年の確固たる生命力こそが、相手の心を変える。社会を変えるのだ。
 平凡に生きる人生。それもいい。
 気ままに暮らす人生も、いいだろう。
 しかし、瞬間瞬間、心は動く。宿命や乱世の波もある。心を強く、豊かにしていかなければ、一見、自由なようで、不自由な人生になってしまう。
 根本的な人生の光、生命の勝利は、いったい、どこにあるのか。
 それは、やはり、社会のため、世界のため、平和のために生きる中に輝きわたるものではないだろうか。
 皆の幸福のため、連帯のため──そうした大目的の柱を持たなければ、独りぼっちで、あてどなく流浪するだけの人生で終わってしまう。
 人のため、妙法という大法のため──この広宣流布の尊き使命に奮い立つ時、わが人間革命の劇が始まる。
 大宇宙を動かし、三世永遠を貫く南無妙法蓮華経である。
 題目を唱え、妙法にわが生命を合致させながら、絶対的幸福の軌道を、楽しく歩み抜いていただきたい。
 青年部の皆さん、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
10  「根本の道」を忘れるな
 戸田先生は、最前線の“草の根”の集いを大切にされた。
 若き友に、こう呼びかけられた。
 「座談会に出て、学会活動の第一線に出て、妙法の力で、人々を救っていくのだ。何万人とも対話するのだ。広宣流布の組織を盛り上げるのだ。一生懸命、仕事をするのだ。足元をしっかり見つめて戦うのだ! そして、勝つのだ」
 座談会に出ている人は?〈「ハイ!」と元気に皆が挙手〉
 幹部から先頭を切って、座談会に参加しなくてはいけない。
 男子部が勇んで座談会に出席する。そうしたら、会場にいる婦人部や女子部の皆さんも、「ああ、こんな立派な青年がいたのか」「こんなに素晴らしい、若き指導者がいたのか」と感嘆する──そういう諸君であってもらいたい。
 若い皆さんは、どうしても目先のことに心を奪われ、「今がよければいい」と思いがちだ。それはそれで自由であるけれども、人生の根本の道だけは、忘れてはならない。
 福運を積み、人を救い、平和をつくる根本の道を教えるのが、創価学会である。
 だから今、創価の友は、世界中にいる。どんどん伸びている。
 我らの平和・文化・教育運動への賞讃は、国を超え、あらゆる垣根を超えて、広がっているのである。
 日蓮大聖人は、末法万年の未来を見つめておられた。少しも、あせることはない。
 布石は、すでに打たれている。歴史の潮流は、人間主義へと向かっている。
 それを深く確信し、大きな心で進んでいただきたい。
11  勝利の日まで!
 イギリスの劇作家シェークスピアの戯曲(「アントニーとクレオパトラ」)に、こんな言葉があった。
 「勝利の日を迎えるよう/いのちをかけて戦えばおのずから道は開かれよう」(小田島雄志訳『シェイクスピア全集Ⅳ』白水社)
 いわんや、我らには無敵の妙法がある。
 社会の繁栄、民衆の幸福のための大言論戦に、「断じて勝つ」と決めて、祈ることだ。
 誰かにやらせるのではない。自分が、わが身を惜しまず、戦い抜くことである。
 不惜身命の精神で進め!──こう戸田先生は指導された。それが、大聖人の仰せであるからだ。
 壮年は壮年らしく、青年は青年らしく、立ち上がっていくことである。
 広布のために、何ができるか。日々、心を砕く。時間を捧げる。苦労を買って出る。
 そして、いざという時こそ、決然と、正義に生き抜く。これが大事だ。その覚悟が、わが境涯を大きく開いていくのである。
 ともあれ、若い人もいれば、年配の人もいる。千差万別である。
 ゆえにリーダーは、皆が伸び伸びと、力を発揮していけるよう、聡明な指揮をお願いしたい。
 法華経に「衆生所遊楽」とある通り、我らは本来、楽しむために生まれてきた。たとえ年齢は重ねても、信心根本に、心晴れ晴れと広布に邁進していきたい。
12  大聖人は釈を引かれ、法華経の行者の境涯と力用について、こう仰せである。
 「横には十方世界(全宇宙)に遍くいきわたるから弘しといい、竪には三世にわたって法性の淵底(一切の諸法が拠りどころとする根本の真理)までも極めるから深しというのである」(御書571㌻、通解)
 仏法は、大宇宙を貫く根本の法則である。その功力は、全世界、全宇宙をも包む。
 どれほどすごいことか。身震いするほどである。
 広宣流布の戦いに勝利する栄光は、永遠に不滅である。ゆえに今世を、断じて勝ち抜くのだ。
13  庶民の誇り
 2月の16日は、日蓮大聖人の御聖誕の日である。
 大聖人は、安房国長狭郡東条郷の片海(現・千葉県鴨川市の一部)の「漁師の子」として誕生された。御自身の出生について、誇りも高く宣言なされた。
 「日蓮は、中央の都の者でもない。地方の将軍などの(有力者の)息子でもない。(都から)遠く離れた国の者であり、民の子である。そうした庶民の出身である日蓮が、日本国で、七百年以上もの間、ただの一人も、いまだ唱えられることのなかった南無妙法蓮華経を唱えたのである」(御書1332㌻、通解)
 貴族でもなければ、富豪でもない。
 大聖人は、本当の庶民の代表として、全民衆の幸福のため、仏法を説いてくださった。だからこそ、あれほどの迫害を受けられた。
 この大聖人に直結し、民衆の味方として戦う。これが、創価の三代の誉れである。
14  仏のごとく敬え
 御本仏・日蓮大聖人は、健気に信心に励む、広布の母たちを徹して大切にされた。
 「妙一女」と呼ばれる門下を、こう讃えておられる。
 「女性の身として、たびたびこのように(即身成仏の)法門について尋ねられたのは、ひとえにただごとではありません。
 教主釈尊が、あなたの身に入りかわられたのでありましょうか」(御書1262㌻、通解)
 大聖人の慈愛あふれる御手紙に、妙一女は、どれほど励まされたことであろう。
 無理解や反対を乗り越え、広宣流布のために、労苦をいとわず、真心を尽くして戦う女性が、いかに尊いか。
 この方々こそが、仏と輝くのである。如来の使いである。
 一番、尊貴なのは、創価の女性である。
 一番、偉大なのは、広布の母である。
 私たちは婦人部・女子部の皆様方を、仏のごとく大切にしてまいりたい。
15  永遠に胸を張れる歴史を残せ
 遠大な広布の未来を展望する時、要となる地域がある。
 首都圏では、本陣・東京、神奈川や千葉と並んで、埼玉が大事である。
 戸田先生は、周りの無理解の中で信心に励む、埼玉の婦人部に指導された。
 「必ず立派な広宣流布の戦いができるよ。御本尊に祈りなさい。たとえ、周囲に反対する人がいても、あなたの信心で、皆がついてくるようになるのだ」
 ちょうど55年前の昭和30年(1955年)2月16日。若き私は、埼玉へ走った。
 当時、27歳。
 ある新聞の埼玉版に、事実無根の学会への中傷記事が出た。その抗議のために、埼玉の支局に赴いたのである。
 私は、わが師に対する侮辱を、絶対に許さなかった。
 学会の渉外部長として、埼玉の天地でも、私は真実を訴えた。最後には、先方も誤りを認め、訂正するとともに、学会側の主張を掲載するに至った。
 勇気と誠実の外交戦の完全勝利であった。
 その報告を聞かれた戸田先生は、にっこりと微笑み、喜んでくださった。
 戦争の時代に、軍部に投獄された戸田先生は、耐えて、生き抜いて牢を出た。
 獄死された師匠・牧口先生に喜んでいただけるように、学会の再建を成し遂げたい──強く深く決意しておられた。
 しかし、戸田先生は満身創痩であった。残された時間にも限りがある──その苦心孤忠の胸のうちを、誰もわからない。
 先生は一人、苦しみ抜いておられた。
 先生の心をわが心として、一切を打開しゆく若い力は、私しかいなかった。
 「誰もできない。勝てっこない」と思われた広布の戦の指揮を執り、いつも私は、最高の結果を出した。
 青年らしく、ただ師のために戦い、師のために勝ったのである。
 ともあれ、青年には無限の力がある。
 若き君たちも、歴史を残すのだ!
 そうすれば、永遠に胸を張れる。満足できる。大福徳に輝く。
 皆から「よく戦っている。見事だな。話も素晴らしい。あの人とともに進みたい」──そう言われるくらいの働きをするのだ。
16  埼玉は、幾重にも思い出が深い。埼玉は、私の手作りである。
 川越にも、何度も通った。戸田先生の命を受け、御書講義を担当した。一回一回が真剣勝負だった。
 寒い日も、空腹の日もあった。長い間、列車に揺られて行った。本当に遠かった。
 一つ一つ、内から外から、盤石に固めた。埼玉の未来を託された、先生の期待にお応えするために。
 埼玉の同志の皆さんとは、深い縁で結ばれている。思えば、第三代会長の推戴の声も、埼玉から上がった。
 その埼玉が、雄々しき大行進を開始した。「大埼玉、万歳!」と声を大にして叫びたい。
17  自分が変われ!
 今、大事なことは、「幹部革命」である。今年から、これまで以上に、この一点に力を注ぎたい。
 一人一人のリーダーが、さらに成長し、殻を破り、生まれ変わっていかなければ、新たな発展はない。未来は開けない。
 広布に進む同志を、心から大事にするのだ。皆が仏になりゆくための学会活動である。一人ももれなく、偉大な幸福境涯を闘いていけるように、尽くしていくのだ。
 戦いは、リーダーで決まる。その心に油断や慢心があってはならない。
 どこまでも、皆のために勝つのである。
 皆の心を信じ、本当に皆に喜んでもらえるような、皆が確信を持てるような指導をするのだ。
 リーダーに、断固たる決意と行動がなければ、壁を打ち破る勢いは生まれない。
 戸田先生は言われた。
 「一つの方針を定めたら、それを貫く意志力を持て!
 思い切って戦え!
 戦いには、突進力がなければならぬ」
 誰よりも最前線に躍り出て、勇気の風を巻き起こす。それが広布の指導者である。
 万年の歴史に残る、この創立80周年。
 今、各地で、新しき息吹のリーダーが「私は勝ちます!」と声高らかに叫び、走っている。本当に、うれしい限りだ。
 わが地域に、永遠に輝く創価城を、皆の力で築いていただきたい。
18  民衆よ強くなれ
 インドネシアの著名な詩人に、レンドラ氏がいる。〈1935〜2009年〉
 迫害にも屈せず、人間性を謳い上げた。「インドネシアの良心」として、広く民衆から支持されている。
 創価学会インドネシアの文化祭などにも足を運び、期待を寄せてくださった。
 虐げられてもなお立ち上がる、正義の民衆の魂。それを氏は、戯曲の中で、ある村の長の言葉に託した。
 「抑圧されても、転んではならぬ」
 「われわれは、ともに闘わねばならぬ。そうすれば、必ず勝つじゃろう」(村井吉敬・三宅良美訳『ナガ族の闘いの物語』めこん)
 民衆が、団結し、勇気をもって声をあげることだ。その時、歴史は変わる。
 我らは今、新しい時代、新しい社会を築いているのだ。大変革の時である。何よりも、自分自身が、本気になって、人間革命しなければならない。
 強くなることだ。
 賢くなることだ。
 健気な庶民を見下し、威張る人間を、戸田先生は絶対に許さなかった。「民衆を馬鹿にするな!」と激怒された。その峻厳さが、生命に巣くう魔性を打ち砕いていったのである。
 心から民衆を敬え! 真に民衆のために戦え!──先哲の血涙をしぼる訴えを、指導者は、断じて永遠に忘れてはならない。
19  言論が、人々を動かす。活字が、思想を広げる。
 私は、語りに語り、書いて書いて書きまくってきた。同志の皆さんが、仏法の人間主義を友に伝えゆく一助になれば、との思いからであった。
 国内外の新聞や雑誌にも、要請に応えて寄稿してきた。平和と文化と民衆の詩を綴り残してきたのである。
 さらに、このほど、アメリカの世界的な音楽家で、ジャズ界の巨匠であるハービー・ハンコック氏、そしてウェイン・ショーター氏とともに、新たな、てい談を開始することになった。
 ジャズには自由の響きがある。アメリカの歴史が凝縮している。公民権運動を鼓舞する力ともなってきた。
 ジャズと人生と仏法をめぐる語らいには、世界の友から強い要請が寄せられている。
 対話は、すでに始まった。ハンコックさんとショーターさんは、わがSGIの同志でもある。過密なスケジュールの中、喜び勇んで準備に取り組んでくれている。
 「魂の人間讃歌」を主題に進めていきたい。
20  広布の祈りは全宇宙に響く
 戸田先生は語っておられた。
 「宇宙を変化させる根本の生命力、これを名付けて南無妙法蓮華経というのである。この妙法が、自分の中にあるのだ。ゆえに、自分の望む方向に変化させていけるのは、当然のことである」
 大難を勝ち越えられた大確信の言葉だ。
 妙法の力は、はかりしれない。「一身一念法界に遍し」と示されている通り、信心の一念は、全宇宙に通ずる。広布の闘士の祈りは、いかなる状況をも突き動かしていける。
 たとえ一時は、祈りが叶わないように見えたとしても、徹して祈り抜くならば、必ず一番いい方向に行く。全部、意味がある。
 三世永遠の幸福をつかんでいけることは、絶対に間違いないのである。
 先生は言われた。
 「真の仏法を、日本に、世界に、広宣流布して、全民衆を救おうというのが、創価学会の大闘争である。
 これに参加し、戦う我らこそ、真の大功徳を獲得できるのである」
 大いなる誇りを胸に、喜び勇んで、創立80周年の大闘争を、晴れ晴れと勝ち抜いてまいりたい。
21  勝利の名指揮を
 時代の変化は激しい。いかなる国家も団体も、その盛衰は、指導者が賢明であるかどうかにかかっている。
 さまざまな兆候を捉えて、その本質を見抜き、時を逃さず的確に対処する。
 ここに発展の急所がある。リーダーの重大な責務がある。
 私は、青春時代、戸田先生から人間学の要諦を教わった。
 弟子は、夜学も断念し、命を捧げる覚悟で、師に仕えた。
 師もまた、弟子を大切にした。ご自身の英知を惜しみなく注いでくださった。
 「戸田大学」の薫陶を胸に、私は広布の戦野に躍り出た。
 愛する関西の天地では、圧倒的な勝利の金字塔を打ち立てた。
 あらゆる苦難を乗り越え、勝ち越えた。
 障魔の嵐が吹き荒れた時、四国の同志が、大きな船に乗って、神奈川で指揮を執る私のもとへ、会いに来てくれた。あの光景は、永遠に、わが胸中から離れることはない。
 師弟不二の闘争によって、仏法史に輝く、世界一の創価学会をつくることができた。
 今、これだけの青年が生き生きと集う教団が、いずこにあるか。
 伸びゆく後継の友の姿こそ、私の誇りであり、喜びである。
 本当の勝負は、これからだ。これからが、一番大事である。
22  スペインの大作家セルバンテスは綴っている。
 「偉大なる船長、大いなる苦労なくして大いなる事業は成りません」(荻内勝之訳『ペルシーレス』ちくま文庫)
 また、こういう言葉もあった。
 「勇気を奮って進もうではないか。行手には千の福、万の幸せが待っている」(同)
 広宣流布の船長、勝利のキャプテンである壮年部の皆さん!
 雄渾の指揮を頼みます!
 私が戸田先生の後を継ぎ、第三代会長に就任してから50年。
 私は、世界に打って出た。対話で心を結んだ。同志を護り、三類の強敵と戦い、すべてに勝利した。
 皆さんも、頑張れ!
 使命のない人はいない。誰もが、かけがえのない宝の存在だ。
 「一人」を最大に大切にし、「一人」の人間の持てる力を限りなく発揮させていくのが、私たちの人間革命運動である。
23  フランスの文豪ユゴーは、追放されてなお毅然と叫んだ。
 「嘲弄され、侮辱され、否認され、誹謗されようとも、彼(=正義の人)は常に善である」(神津道一訳「追放」、『ユーゴー全集復刻版第6巻』所収、本の友社)
 正義の人は強い。正義の人生は朗らかである。私は、この通りの人生を歩んできた。一片の悔いもない。
24  報恩は人間の光
 私は、今春から、中国文化界を代表する識者である高占祥こう・せんしょう・中華文化促進会主席と対談の連載を開始する予定である。〈月刊誌「潮」5月号から〉
 高占祥主席は、著名な詩人でもある。
 私は、これまで多くの指導者と対談を重ねてきた。あらゆる分野の識者と語り合ってきた。
 小さな日本だけではない。世界の一流の人物と意見を交わしてきた。どんな角度、どんな分野の話であれ、仏法者としての立場から、本質を捉え、堂々と対話を行ってきたつもりである。
 高占祥主席は、こう述べておられる。
 「本当の賢人は、常に恩を銘記し、力の限り報恩に励みます」
 「恩を感じる心は道徳心の基礎であり、人間性の真髄です」
 恩知らずの卑劣な人生であってはならない。それでは、「畜生」の生き方である。報恩こそ、最も崇高な人生の道なのである。
25  すべてが功徳に
 近代スペインの大建築家ガウディは述べている。
 「いのちは闘い。戦うには力を必要とし、力は徳である。徳は精神的研鑚、すなわち宗教の実践によってのみ維持され、増大する」(鳥居徳敏編・訳・注解『建築家ガウディ全語録』中央公論美術出版)
 人生は戦いだ。
 牧口先生も、戸田先生も、この信念で生き抜かれた。
 宗教こそ、人生を勝ち抜くための究極の力である。そして、仏法は、人生の戦いに勝利する最高の力なのである。
 ガウディは、「努力に報いのないものは一つもない」(同)とも語っている。一つの真理といってよい。
 広宣流布のための努力は、すべて大功徳に変わっていく。大切なのは、人の見ていないところで、仏法のため、師匠のために、どれだけ尽くせるかである。
 私はこの信念で行動してきた。戸田先生にお仕えしてきた。広布のため、同志のために尽くしてきた。
 自分自身のことなど、何一つ考えてこなかった。
 私にとって一番、大切なのは学会員の皆様である。皆様が幸福になり、皆様の子どもたちが立派な人材として育っていく。それが最大の願いである。
 そしてまた、創価教育の学舎から、世界に貢献する一流の人材が陸続と育ってほしい。それが私の一貫した祈りである。
26  弟子ならば、青年ならば、師匠の正義を叫び抜いていくのだ。
 常に師匠のそばにいる──その心で仕える。一つ一つを、すべて師匠に報告する。私は、そうやって戦ってきた。
 夜を徹して、戸田先生をお護りしたこともある。陰の陰で、師匠を支え抜いてきた。そういう弟子だった。師弟だった。
 青年部も、この魂を受け継いでもらいたい。
 また、私は青年時代から、年配の方々を大切にしてきた。』真剣に戦ってくださっている先輩方への感謝を忘れずにやってきた。
 すべて、ありのままに伝えておきたい。
27  温かい書葉を
 幹部は、大誠実を貫くことだ。
 第一線で頑張ってくださっている同志を心から讃えていく。尊敬する。最敬礼していく。温かく包み込んでいく。そして小さなことを大事にする。
 それが真のリーダーである。
 戦いに勝ったら「本当に皆さんのおかげです」と、深々と頭を垂れて感謝していくことだ。特に男性は、女子部・婦人部への感謝を忘れてはならない。
 また遠くから来られた人がいれば、「わざわざ本当にご苦労さまです」と讃えていくことだ。温かく歓迎することだ。
 大切な大切な同志の皆様である。
 同志に対しては、どこまでも優しく。皆にやらせるのではなく、自分が皆のかわりに苦労を引き受ける。皆に楽をさせてあげる。それが創価の指導者である。
 このことを深く胸に刻んでほしい。
 「公平」と「正義」。私は、これを実行してきた。だからこそ、学会は世界的な団体となったのである。
28  負けない人生!
 青年のために、さらに語りたい。
 オーストリアの女帝マリア・テレジアといえば、16人の子の母として、内外の苦難と戦いながら、祖国を栄えさせた。国母として敬愛されている。
 私が欧州統合の父、クーデンホーフ・カレルギー伯爵と語り合った際にも、女性指導者の模範として名前があがった。
 マリア・テレジアが、ある名将に送った手紙がある。
 「おお、英雄のあなた」「正義を楯としなさい。正しいと思うことを行いなさい」(アン・ティツィア・ライティヒ著、江村洋訳『女帝マリア・テレジア』谷沢書房)
 妙法に勝る正義はない。信心を根幹に、民衆のために、正しいことを断行するのだ。正義こそ最も強い力である。
 この確信で進もう! きょうは、ありがとう! あらためて、海外の友に拍手を贈りたい。〈ここで名誉会長の導師で題目を唱えた〉
 朗らかに人生を生きよう! 絶対に負けないでね! 全員で万歳をしよう!
 〈正木理事長の音頭で「皆様の幸福、万歳」を三唱した〉
 皆さん、きょうは本当にご苦労さま!
 日々の奮闘に、心から御礼を申し上げたい。どうか、風邪などひかれませんように。
 海外の皆さん、きょうは遠いところ、本当にありがとう! お体を大切に! お達者で! ありがとう!

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