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日蓮大聖人・池田大作

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全国各部協議会  

2010.1.19 スピーチ(聖教新聞2010年上)

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2  不滅の創価城を
 50年先、100年先のために、私は「永遠不滅の創価城」を完壁につくっていく決心だ。
 各地の会館の整備も一段と進めていきたい。
 皆さん方も、健康で、長生きをして、私とともに「世界一の創価学会」を断固として築いていこう! 断じて勝とう!〈「ハイ!」と会場から勢いよく返事が〉
 19世紀から20世紀にかけて活躍した、アメリカの女子育成運動の先駆者ジュリエット・ゴードン・ローの言葉を皆様に贈りたい。
 「今日の努力が明日の歴史となります。私たちは、その歴史をつくっているのです」
3  活字文化の興隆のため
 さて、今年は、「国民読書年」である。
 「活字文化」の衰退が叫ばれる時代にあって、わが創価の人間主義の言論活動に寄せられる期待は、ますます大きい。
 関係者の皆様の尊い努力にも、心から感謝申し上げたい。
 〈これまで、名誉会長の「活字文化」への一貫した貢献に、出版界、言論界、教育界など、各界から高い評価が寄せられている。また全国各地の書店商業組合や書店などから、名誉会長に贈られた感謝状・貢献賞は「26」を数えている〉
 戸田先生は、良書を読むことによって、ますます教学の理解が深まり、仏法の一分が分かるようになるとも語っておられた。
 きょうは、東西の文学作品を通して、少々、語らせていただきたい。
 なかなか読書の時間がとれない人のためにも(笑い)、なるべく分かりやすく簡潔に紹介したい。
4  ナポレオンが7回も読破!
 ドイツの大文豪ゲーテが25歳時に発表した小説『若きウェルテルの悩み』は、彼の名を一躍、世に知らしめた名作である。
 かの英雄ナポレオンが陣中に携えて、一説には、7回も読み返したと言われる。
 青年ウェルテルの悲劇は、当時の若者に強い影響を及ぼした。
 そのため、ゲーテは、改版の際、若い男性読者へのメッセージとして、「男であれ」と書き添えたという研究も残されている。〈高橋健二著『ヴァイマルのゲーテ 評伝』河出書房新社〉
 戸田先生も、よく壮年部や男子部を激励された。
 「男じゃないか!」「男らしくやろうじゃないか!」と。
 私も若き日、苦境に陥った戸田先生の事業を支えながら、学会の活路を敢然と開いていった。
 早朝から深夜まで、いつ眠り、いつ起きたのか、分からないくらい、働きに働いた。
 先生は、どんな時でも、何があっても、「大作に聞け」「大作に相談しろ」と言われたものだ。それほどの信頼で結ばれた師弟であった。
 後年、苦難を越えて、先生がニッコリとして、こう言われたことがある。
 「俺も、大作も、男らしい戦いをやり抜いてきたなあ」と。
 本当に懐かしい。わが青春の栄光の劇である。
5  苦労は自分が 友には感謝を
 ゲーテは、ある時、友への手紙にこう綴った。
 「君がとかく苦労しまいとする事は、悪いことである」(木村謹治訳『ゲーテ全集第29巻』改造社)
 苦労は、自分が背負う。後輩は、ほめて伸ばしていく。それが妙法のリーダーだ。
 誠実にやるのだ。
 自らが打って出て、人と会い、人と語り、熱い握手を交わし、心を通わせていく。
 陰で苦労を惜しまぬ友、最前線で真剣に戦う友に、最敬礼して心から感謝していくのだ。
 ゲーテは『若きウェルテルの悩み』の中で、こう綴っている。
 「人間がお互いに苦しめあうほど、いやなことはない」
 「自分をも身近の者をも傷つけるようなことは、当然悪徳と呼ばるべきですよ」(竹山道雄訳、岩波文庫)
 その通りである。
 ましてや、信心の世界は、全員が尊敬し合い、幸福になるためにある。
 幹部の傲慢さや無責任によって、大切な同志が苦しむようなことは、絶対にあってはならない。
 それは信心の世界ではないからだ。
 仏法の因果は厳格である。
 同志をいじめた人間は、必ず諸天善神に叱られる。
 同志を大事にした分だけ、必ず諸天善神から護られる。
 先輩幹部は、たとえ自分が犠牲になってでも、後輩が楽しく、伸び伸びと広布に戦える舞台をつくってあげることだ。それが先輩の役目である。
6  前進する人はすがすがしい
 さらにゲーテは『若きウェルテルの悩み』の中で記している。
 「不機嫌は怠惰と似たものです」(同)
 確かに、怠け者の人間にかぎって、何かあるとすぐに不機嫌になるものだ。
 反対に、常に前進している人は、すがすがしい。
 快活である。弾むような勢いがある。
 ゲーテは、こうも言う。
 「いったん自分の気持をひきたてて奮起する力をもちさえすれば、仕事もさっさとはかどるし、活動がほんとうの喜びにもなります」(同)
 私たちは、自分の気持ちを奮起させる「力」を持っている。絶対勝利の題目がある。
 ゆえに、何があっても生き生きと、仲良く、賢く、迅速に、団結第一で進もう!
 「活動」の中にこそ、「喜び」がある。
 学会活動には、最高の充実があり、無量の福徳が輝くのである。
7  ここで戸田先生の指導を紹介したい。
 私の心には、いつも先生がいる。
 弱い立場の人、正直な人、苦しんでいる人には、優しく温かく、大慈悲をもって励ましてくださった。慈父のような先生であった。
 強い立場の者、傲慢な者、闘魂を忘れた者、庶民を見下すような者には、獅子が吼えるがごとく叱咤の声を発せられた。周りも震え上がるほどであった。
 戦時中、師匠の牧口先生にお供して牢獄に捕らわれた戸田先生は、出獄後、獄死された牧口先生を偲ばれ、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を捧げられた。
 どれほど「崇高な師弟」であったか。
 その方に、早朝から夜中まで365日、お仕えしたことは、私の誉れである。
8  勝つために祈れ
 戸田先生は、婦人部の友に指導された。
 「あなたが信心に立ち上がれば、必ず、すべてが軌道に乗ります。信心が強ければ、周囲が、あなたの幸福の力となる。本当に不思議なものだ。
 法華経には『魔及び魔民有りと雖も、皆な仏法を護らん』とさえある。
 周りの人が信心をしていなくとも、広宣流布のために驚くほど働いてくれるのである。
 ゆえに自分自身の信心を強くしなさい」
 要するに、「自分」である。わが一念で決まる。
 状況を嘆いたり、人のせいにしても、何も変わらない。
 自分が変わることだ。自分自身の信心を強くすることだ。
 その人を、諸天・諸仏も護り支えるのである。
 仏典に「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」と記されている通りだ。
 さらに戸田先生は語っている。
 「魔が強いからこそ、勝てるのだ。信心が毅然として、そのうえで、魔が強いということは、必ず勝てるという証拠なのである。要は自分自身の信心の決心にかかっている」
 魔が競い起こったときこそ、もう一歩も二歩も、大きく成長していくチャンスなのである。
 大聖人は、大事な破邪顕正の戦いに挑む弟子に言われた。
 「ひとえに思い切るべし」と。
 そして、「『釈迦・多宝・十方の仏よ! 来り集まって、わが身に入りかわり、我を助け給え!』と祈念しなさい」(同㌻、通解)と。
 大事なのは「勝つための祈り」だ。真剣勝負の強盛なる祈りだ。
 今こそ一人一人が、わが生命に、仏菩薩も、梵天・帝釈も、「入其身(=其の身に入る)」させるのだ。そして仏の力、仏の智慧を思う存分に発揮していくのだ。
9  「私は絶対にひるまない!」
 戸田先生は言われた。
 「相手が聞いても聞かなくても、ともに仏縁を結んでいることは、絶対に間違いない。
 この『下種』にこそ大功徳があるというのが、大聖人の絶対の保証なのである。
 我々は、最も正しい実践をしている。ありのままに、真実を語っていけばよいのだ」
 一人のために祈り、一人のために語る。
 この「一人」から始まり、やがては千波、万波の幸福と共感の波動を広げていく。
 それが広宣流布の方程式である。
 やろう! 頭を使い、口を使い、手を使い、足を使い、すべてをフル回転させよう。
 皆、戦い勝つ指導者たれ!
 ひとたび戦いを起こしたならば、断じて勝たねばならない。
 真剣に活動してくれた同志が勝って喜び、「どうだ!」と胸を張れるようにしてあげるのが、幹部の責務である。
 自分が戦って勝つ。自分が動かずして、「人を使おう」「人を動かそう」という考えは卑怯だ。
 自分が動いてこそ、周りも動いてくれる。自分が動けば、周りは10倍、20倍の力を発揮してくれるものだ。
 19・20世紀のポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクの言葉を贈りたい。
 「なすべき闘い、なすべき仕事が、たくさんたくさんあることでしょう。けれども私は絶対にひるみません」(伊藤成彦訳『友への手紙』論創社)
 我らにも、「なすべき闘い」がたくさんある。
 何があっても恐れなく、「師子王の心」を取り出して、勇気、勇気で前進しよう!
10  明治の文豪・夏目漱石の長編小説『吾輩は猫である』といえば、懐かしい人も多いと思う。
 少し気分を変えて、この有名な作品について若干お話ししたい。
 難しい話ばかり、固い話ばかりでは、聞いているほうも疲れてしまう。一服の清涼剤となるような、皆がホッとする話をすることも大切だ。
 同志が心軽やかに前進できるように、智慧を使い、力を尽くしていく。それが真のリーダーの道である。
 『吾輩は猫である』の書き出しは、有名な一節「吾輩は猫である。名前はまだない」から始まる。
 〈引用は岩波文庫版から。以下同じ〉
 「猫」が語り手となって、猫の視点から、人間社会の様子が観察され、描かれている。
 肩の凝らない軽妙な語り口でありながら、含蓄ある批評が随所に織り込まれ、読者をうならせる。
 江戸っ子の漱石らしいユーモアに富んでおり、「高等落語」とも言われる。
 漱石が38歳になる1905年(明治38年)から約1年半、雑誌『ホトトギス』に掲載された。単行本も、またたく間に大ベストセラーとなった。
 当時、漱石は東京帝国大学などで教師をしていた。この作品で小説家としての地歩を確立し、朝日新聞社に入社している。
 その後、『坊っちゃん』『三四郎』『門』『こころ』など数多くの名作を残し、日本を代表する文豪となった。
11  「吾輩は猫である」の鋭い人間洞察
 この「猫」が住む家の主人は、東京の中学校で英語教師をする珍野苦沙弥ちんの・くしゃみ先生。家族からは勉強家と見られているが、自分の部屋では、居眠りばかりしている。
 苦沙弥先生や周囲を取り巻く人間たちは、負けず劣らずの変わり者ぞろい。次々と苦沙弥の家を訪れては、滑稽な話を取り交わす。
 たたみかけるようなやりとりのなかで、世情を風刺し、権威を笑い飛ばし、文明のあり方まで自在に論じる。
 猫は言う。
 「元来人間というものは自己の力量に慢じて皆んな増長している。少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない」
 人間の本質の一端を鋭くえぐった言葉といえよう。
 人間は、誰からも厳しく言われなくなると、増上慢になって、駄目になる。堕落してしまう。だからこそ、謙虚に自分を律していかねばならない。
 また猫は、主人の様子を観察しながら、こう語る。
 「熱心は成効の度に応じて鼓舞せられるものである」
 一つの真理である。
 何かを成し遂げ、人々から賞讃されれば、喜びは何倍にもなる。「よかったな」「もっと頑張ろう」と思う。
 私たちも学会活動において、同志の健闘に対しては最大の賞讃を送りたい。「すごいですね!」「頑張りましたね!」と声も惜しまずに、ほめ、讃えていくことだ。
 そういう温かな心が脈打っている組織は、生き生きと前進できる。どんどん発展していける。
12  漱石は猫に次のように語らせている。
 「凡て人間の研究というものは自己を研究するのである。天地といい山川といい日月といい星辰というも皆自己の異名に過ぎぬ」
 自分自身を知ることから、すべては始まる。また、さまざまな研究も、結局は人間自身の探究へと帰着していくといえる。
 御書には「日月・衆星も己心にあり」と仰せである。
 わが生命に全宇宙が収まっている。この自己の生命を、あますところなく説き明かしているのが妙法である。
 妙法を持った人こそ、最高の大哲学者なのである。
13  信心で決まる
 世をごまかし、うまく立ち回る者について、「人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る」と、猫が言う。
 皆さんも、ありのままの実像で、偉い人物となるのだ。
 仏法の眼から見れば、どんな立派な大学を出た人よりも、広布のため、妙法のために行動しゆく人のほうが、何千倍も尊い。
 学会においては、学歴があるからといって特別扱いしたり、威張らせるようなことがあってはならない。
 大学で学ぶのは、社会に尽くし、人々に尽くすためである。
 庶民を護り、正しい人を護っていく。そのための学問である。それができる人が、本当に偉い人だ。
 学歴や地位ではない。その人の本当の偉さを決めるのは、信心だ。行動だ。人格だ。
 学会は、不屈の信心をもった庶民の力で、ここまで発展してきた。このことを決して忘れてはならない。
14  小説の最後のほうで、猫は言う。
 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
 他人には分からない悲しみもある。気楽な暮らしも、いつまでも続かない。
 人生は変化の連続だ。人間は、やがて年を取る。病気にもなる。そして最後は死んでいく──。
 それが人生の実相である。だからこそ確固たる哲学を持ち、真に価値ある日々を築いていかねばならない。
15  後輩に励ましを
 夏目漱石は、文筆家を志す青年に宛てた手紙で綴っている。
 「自分で自分の価値は容易に分るものではない」
 「君杯きみなども死ぬ迄進歩する積りでやればいいではないか。作に対したら一生懸命に自分の有らん限りの力をつくしてやればいいではないか」(『漱石人生論集』講談社)
 私だって、君くらいの年齢の時は、たいした作品は書けなかったよ。自分を信じて頑張り抜くのだ──。
 手紙には、漱石の後輩に対する温かな励ましの心が光っている。
 別の青年には、こう綴っている。
 「余は君にもっと大胆なれと勧む。世の中を恐るるなとすすむ」(同)
 「大に勇猛心を起して進まなければならない」「世の中は苦にすると何でも苦になる苦にせぬと大概な事は平気で居られる」(同)
 また、別の手紙では、こう励ました。
 「男子堂々たり」「君が生涯は是からである。功業は百歳の後に価値が定まる」(同)
 今の苦悩は、小さなことにすぎない。大業をなした後には、かえって君に光彩をもたらすだろう──。
 漱石自身の経験に基づいた言葉であろう。
 青年には無限の力がある。可能性がある。
 青年よ大胆に進め! 何ものも恐れるな! そして、わが勝利の歴史を綴りゆけ!──私は、そう申し上げたい。
 また漱石が、俳人で小説家の高浜虚子に宛てた手紙には、こう綴られている。
 「機会は何でも避けないで、其儘に自分の力量を試験するのが一番かと存候」(同)
 大事なのは挑戦だ。行動だ。私たちは、この気概で壁を破りたい。
16  私は青年時代、苦境にあった戸田先生を護り抜いた。先生や学会を中傷する人間がいれば、断固として抗議した。誠意を尽くして対話し、認識を改めさせた。
 最後には「学会には、こんな立派な青年がいるのか」と感心してくれる相手もいた。
 私は、嘘や不正義は許さなかった。師匠に仇をなす人間とは戦い抜いた。
 悪い人間と戦えない。悪を見て見ぬふりをする。そんな意気地なしの弟子であってはならない。私は、この信念で戦ってきた。そして勝ってきた。
 これが私の最大の誇りである。
17  きょうも歴史を
 私は、学会が未来に伸びるように、ありとあらゆる手を打ってきた。今、創価の平和・文化・教育の大城は、日本中、世界中に、そびえ立っている。
 日本でも、各地の研修道場など自然豊かな施設が光っている。
 北中南米にも、欧州にも、アジアにも、さらにオセアニアにも、アフリカにも、素晴らしき希望と友情の園が広がっている。
 万年の大発展の土台を、完壁に築きたい。いよいよ、これからが本当の勝負である。
 今、この時に戦わずして、いつ戦うのか。
 栄光のゴールを目指して走ろう!
 飛び出そう! きょうも最前線へ! きょうも友のもとへ!
 「昔の先輩たちは、このように歴史を綴ってきたのか」と、後世の人々から仰がれゆく、模範の金字塔を打ち立ててもらいたい。
 信心の世界は「真実の心の世界」である。嘘偽りは最後に敗北する。どこまでも誠実に戦い抜くのだ。
 皆さんには、広宣流布の血脈を流れ通わせ、師弟の大精神を脈々と伝えていく使命がある。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
18  広布の女性に最敬礼!
 インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは述べている。
 「真に文化を向上せしめようとするならば、知識と教養とが共々啓発せらるべきだ、と考えます。
 では一体誰が何者にもまして、教養をたかめ得るのに力があったのでしょうか──それこそ他でもない、婦人であり母であると思います。母の下に於て人間はその最初の教育を受けるからです」(牛江清名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)
 全くその通りだ。
 学会の前進においても、婦人部の力が、どれだけ大きいか。
 男性のリーダーは、女性の皆さんが喜んで、安心して活動に励めるよう、心を砕いてもらいたい。
 婦人部や女子部の尊き奮闘に対して、うわべのお世辞ではなく、真心込めて、最大に賞讃していくのだ。
19  アメリカの作家パール・バックは、日本の関西の人々とも交流を結んだ。彼女は、自らの母を讃え、こう記している。
 「母は何でも勇敢な、度胸のいいことを愛した」
 「ケアリ(母=編集部注)はいつでも難関にぶつかると奮い立つのだった」(ともに村岡花子訳「母の肖像」、『ノーベル賞文学全集7』所収、主婦の友社)
 「(母は)人生の経験によって何が来ようとも、断固として立ち向かえるだけの強さを身につけていた」(佐藤亮一訳『母の肖像』芙蓉書房)
 まさに、創価の母たちであり、常勝関西の母たちの姿に重なる。
 母の祈りに勝るものはない。
 大難の嵐が吹き荒れた時、「尊き学会の世界が護られ、断じて邪悪が去るように」と祈って祈って祈り抜き、一切を勝ち開いたのは、心美しき母であった。
 偉大なる広布の女性の皆様方に、最敬礼して感謝を捧げたい。
20  師弟に生き抜け
 日蓮大聖人は厳然と仰せである。
 「日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言の通り、三類の強敵による迫害を受け、種々の災難にあって、身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師であるか邪師であるか、よくよくお考えいただきたい」(御書1341㌻、通解)
 法のために大難を受けているのは誰か。
 三類の強敵と戦っている人は誰なのか。
 その人こそを、正しき師と仰げ!──
 これが仏法の教えである。
 どんなに偉ぶって見せても、難を避け、虚栄を貪る人間は、真実の仏法者ではない。
 正しい法を広め、難と戦う人こそが、偉大なのである。
 正義に生きる我らには、難こそ誉れだ。最高の勲章である。
 思えば、恩師・戸田先生と私は、28歳の開きがあった。
 大難と戦う師匠を護る。それが大仏法をお護りすることに通じていく──そう決心し、私は恩師・戸田先生に仕え抜いた。
 広布の大将軍は、戸田先生しかいない。断じて指揮を執っていただきたい──そう確信し、逆境の中、第二代会長就任への道を、命がけで開いた。
 「先生! 時が来ました。舞台は整いました!」。そう申し上げた時の、恩師のうれしそうな笑顔。私は忘れることができない。
 信心とは、役職や立場ではない。師弟に生き抜く人に、無量の功徳と栄光が輝くのだ。
 そのことを知り、学会を護り、同志を護り抜く人間が、本当の指導者なのである。
21  御聖訓には、こうも仰せである。
 「世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(人の道に適った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである」(同491㌻、通解)
 人の心は恐ろしい。
 いざとなると、臆病になり、保身に走る。手のひらを返して、傲慢になる。卑劣にも、裏切る。そうした者たちが、どれほど多くの民衆を苦しめたか。ここに、重大なる歴史の教訓がある。
 恩を知る。恩に報いる。これが人間の道である。
 いかなる時代になろうとも、たとえ誰一人、立ち上がらなくとも、自分は戦う。師匠が見ていないところでこそ、命がけで歴史を開く。正義を叫び抜く。それが真正の弟子だ。
 皆さんは、そうした一人一人であっていただきたいのだ。
22  楽しく前進
 信心で乗り越えられない山はない。
 “絶対に勝てない”と言われた、あの大阪の戦いで、私は「まさか」を実現した。
 戸田先生に勝利をご報告し、「先生のおかげです。学会員の力です」と申し上げると、先生は、にっこりと微笑まれた。忘れ得ぬ思い出だ。
 「大切なのは始めることであり、目を開くことなのだ」とは、ドイツの文豪ヘッセの言葉である(高橋修訳「小さな喜び」、『ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集第4巻』所収、臨川書店)。
 まず祈る。そして、勇敢なる一歩を踏み出すことだ。必ずや、勝利の未来は開かれる。
 我らの信心は「不可能を可能にする」原動力である。
 皆が勇気凛々と前へ進めるよう、リーダーは賢明な指揮をお願いしたい。
 きょうは、全国の青年部の代表も参加している。
 私たちの友人であった、アメリカの人権の母、ローザ・パークスさんは「若者たちが、自分の持っている最高の可能性に目覚められるように」手助けしたい。そう願って、青年の育成に力を注がれた(高橋朋子訳『ローザ・パークス自伝』潮出版社)。
 私と妻もまた、同じ思いである。
 青年の時代だ。青年部、頑張れ!
 最後に、皆さんと一緒に「広宣流布の大勝利、万歳!」と声を大にして叫びたい。
 長時間ありがとう! またお会いしよう! 楽しく前進しよう! 遠くから来られた皆さんも、本当にありがとう!
 お帰りになりましたら、大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。皆、お元気で!
23  201001.26:「SGIの日」記念協議会
24  本日は、各地のリーダーの皆さんが集まってくださった。
 遠方から参加した皆さん方も、大変にご苦労さま!
 きょうは、ゆっくりと懇談的に語りたい。
25  歌声高く!
 初めに、歌を歌おう。歌いたい歌を、どうぞ!
 〈ここで、女子部の代表が「華陽の誓い」を心清らかに合唱。
 男子部・学生部の代表は力強く“大楠公”を歌った。
 さらに代表が「牙城会歌」を高らかに響かせた〉
 皆さん、ありがとう、ありがとう! とても上手だ。皆で拍手を贈ろう!
 歌は、生命の響きである。
 歌を歌えば、元気が出る。勇気がわく。
 学会は、どこまでも、民衆の歌声とともに前進するのだ。
26  燃え立つ信心心で
 戸田先生は言われた。
 「朗々と妙法を唱え抜き、感激に燃えて戦うのだ!
 『本当にありがたい! うれしい!』──この燃え立つ信心があれば、祈りは叶うのだ」
 私たちの唱える南無妙法蓮華経は、「大宇宙」と「わが生命」とを貫く、根源の音律である。
 広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていくのだ。
 その祈りが、叶わないわけはない。
27  全権大使たれ!
 戸田先生は、国家の弾圧による2年間の投獄から出獄して間もなく、こう語っておられる。
 「ぐずぐずしてはいられない。出獄後、私は、一日の休みもなく、奮闘している。
 これからの半年の間に、2年間の投獄の空白を取り返す決心で戦っている!」
 限りある時間だ。
 私たちも、ぐずぐずしてはいられない。
 決断である。行動である。
 祈るのだ。動くのだ。
 特にリーダーは、道を歩くときも、さっそうと歩き、会員・同志の皆さん、近隣の方々と、すがすがしいあいさつを交わしていくのである。
 一人一人が“学会の全権大使である”との気概で、勇んで打って出よう!
28  小さな島から
 きょう1月26日は、SGI(創価学会インタナショナル)発足35周年である。おめでとう!
 全世界で、この日を祝賀してくれている。
 〈SGIの発足は1975年(昭和50年)1月26日。
 西太平洋のマリアナ諸島の島・グァムに、51カ国・地域の同志の代表158人が集い、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGIが結成された。席上、全参加者の総意として懇請され、池田SGI会長が就任した。
 当時の模様は、小説『新・人間革命』第21巻「SGI」の章に詳しく記されている〉
 なぜ、SGIを、グアムの地で結成したのか。
 それは、グアムが、太平洋戦争における日米の激戦地の一つであったからである。
 戦争によって、最も犠牲を強いられるのは、いつも庶民である。
 また大国が起こした戦争によって、元来、平和であった小さな島々が、無残に蹂躙されることも少なくない。日本でいえば、沖縄がそうであった。
 グアムもまた戦乱に苦しんできた。
 だからこそ私は、グアムに行って、そこから世界平和の指揮を新たに執り始めたのである。
 このとき、私は、ハワイからグアムに入った。小さなグアムで、メンバーを激励し、皆とともに太陽を仰いだ。全宇宙に、全世界に轟けと、妙法を唱えて出発した。
 そして今、35年が経過して、創価の平和と文化と人間主義の大連帯は、192カ国・地域に広がったのである。
29  陰徳には陽報が
 今月、この原点の地で、SGI発足35周年の慶祝行事が相次いで開催された。
 いずれも、グアム準州政府の全面協力によるものである。
 SGIに最大のエール(声援)を贈ってくださった、グアム準州のフェリックス・カマチョ知事をはじめ、皆様方に最大の感謝を申し上げたい。
 SGI結成の舞台となった国際貿易センターの前に広がる公園には、「SGI発足記念碑」が設置されたとも、うかがった。
 すべては全国、全世界の同志の皆様の奮闘のおかげである。
 「陰徳あれば陽報あり」である。皆さん、おめでとう!
 〈記念碑には、中央に、SGI結成の際のSGI会長のスピーチの一節が刻まれ、向かって左には、小説『人間革命』の冒頭の一節、右には小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれている〉
30  子孫家代まで
 思えば、SGI発足の年(1975年)の5月、私はモスクワ大学から「名誉博士号」をお受けした。
 これが私にとって、海外諸大学からの名誉学術称号の「第1号」であった。
 授与式は、天に向かってそびえ立つ、立派な大学本館の中の総長室で行われた。
 室内に案内されると、教授・学生をはじめ関係者が、厳粛な面持ちで、そろって待ってくださっており、皆さんが大きな拍手で迎えてくださったことが忘れられない。
 〈式典では、SGI会長への推挙理由として、①人間教育による社会貢献②核廃絶と平和運動の展開③哲学的著作の発刊④文学の創造⑤これらの活動を通した人類社会への貢献が挙げられた〉
 じつは、あす(1月27日)、創価大学で、中国の名門・安徽あんき理工大学から名誉教授の称号を授与していただくことになっている。
 〈これで、SGI会長に世界の大学等から授与された名誉学術称号は「274」を数える〉
 世界から贈られた、すべてめ栄誉を、私は、師弟の絆で結ばれた同志の皆様方と等しく分かち合いたい。
 そのために私はお受けしている。
 これこそ、師弟勝利の証しなのである。
 また、すべては、皆様方の子どもさんやお孫さんに、流れ通っていく栄誉であることを知っておいていただきたい。
31  難に打ち勝て
 昨日(25日)、東京富士美術館企画の「ハプスブルク帝国の栄光──華麗なるオーストリア大宮殿展」の開幕式が岡山県立美術館で盛大に行われた。関係者の皆様、ご苦労さまです!
 ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアン1世が、戦いに臨んだ際に語ったとされる言葉を皆様に贈りたい。
 「私は君たちに勇敢とはどういうことなのか、その模範を見せてあげよう」(江村洋著『中世最後の騎士』中央公論新社)
 リーダーならば、先頭に立つことだ。
 先頭を行けば、当然、風圧は強い。難にあう。それに断固として打ち勝って、道を開いていく。それがリーダーである。
 戦時中、軍部と戦い、正義の信念を貫いた牧口先生、戸田先生は、自らを犠牲にして、学会を護り、同志を護っていかれた。
 私もまた、お二人の精神のままに行動してきた。
 「各国各地の大切な同志を護れるように」「皆が安心して活動できるように」と、祈って祈って祈り抜いてきた。
 そのために、あらゆる努力を借しまず、道を開き、道を作り、時代を変え、学会への認識を新たにさせてきた。
 これが「創価の三代の心」である。
 この会員厳護の精神を離れて、創価学会はない。リーダーは忘れてはならない。
 嫉妬の邪宗門からも陰険な攻撃を受けてきたが、私は微動だにしなかった。
 私たちは、邪宗門から離れることができて本当によかった。まさに御仏意であった。
32  インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは叫んだ。
 「まず手本を示す人があるとよい」「思いきって始める人さえあれば、きっと多くの人がこれにならうものだと確信しております」(牛江清名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)
 我らは今、永遠に崩れぬ「創価城」を築いている。
 「広宣の道」「勝利の道」「歓喜の道」を、皆さんが全世界に大きく広げていくのだ。勇気の剣を高く掲げ、さっそうと前進していただきたい。
33  「一人が十人の役割を果たせ」
 私が敬愛する中国の周恩来総理は、抗日戦争のさなか、安徽省の天地で、同志に力強く呼びかけた。
 「われわれは、一人が十人の役割を果たし、幹部一人が幹部百人の役割を果たすようにしなければならない」「幹部が健全であってこそ、事業を発展させることができる」(日本語版《周恩来選集》翻訳室訳『周恩来選集(1926年〜1949年)』外文出版社)
 学会の発展と勝利もリーダーで決まる。
 戸田先生は私に「千人分の役割を果たしてくれ」と言われ、その通りに私は戦った。
 悪には厳しく、友には慈悲広大に──この一念に徹して、今日の学会をつくり上げたのである。
 ニュージーランド出身の女性作家マンスフィールドは、日記で自身に言い聞かせた。
 「成功、失敗を少しも意に介せず、ただつづけて行くこと」「たった今決心すること!」(橋本福夫訳『マンスフィールドの日記と感想』大観堂。現代表記に改めた)
 何があっても、へこたれない。今再び挑戦を開始する。勇気と忍耐で戦い続ける人が、栄冠をつかむのだ。
 今、各地に、新しい若きリーダーが陸続と登場してきた。
 「君よ、いかなる嵐があろうとも、創価の師弟の魂を、断じて護り抜け!」──こう強く申し上げたい。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
34  「私がやる」との自覚と使命感を
 周総理は、こうも述べている。
 「困難な条件におかれていればいるほど、われわれの強味を生かすことができ、自己を鍛えることができる。
 われわれは安穏な地区で発展してゆこうとは思わない。
 なぜなら、安穏な地区は、だれでも来たがるし、だれでも生存できるからである。
 われわれは主として困難な地区へ発展してゆかなければならない」(前掲『周恩来選集』)
 誰も勝てると思わなかった昭和31年(1956年)の大阪の戦い。
 私は大変な地域へ、誰も行かない遠い地域へと、勇んで飛び込んだ。大阪中を隅々まで回り、寸暇を惜しんで、新たな発展の道を切り開いていった。
 その波動が、「まさかが実現」へとつながり、勝利を収めることができたのである。
 大事なのは「自分が広宣流布を成し遂げてみせる!」との「自覚」である。歴史を開く「使命感」に燃え立つことだ。
 きょうは、関西の山下以知子婦人部長も参加してくれている。
 昨日(1月25日)は「関西婦人部の日」。常勝の母たちの祈りで、私が大阪事件の無罪判決を勝ち取った日である。
 関西の同志、ありがとう!
 〈「大阪の戦い」について、草創の関西の婦人部は、こう証言している。
 「関西は、池田先生のもと、一会員にいたるまで、“私がやらなければ勝てない”との決意に立ち、行動を起こしたのです。
 皆が日々の闘いを通して、御本尊の功力を実感していました。創価の正義に目覚めた関西の同志の大歓喜の生命が、報恩への行動となって拡大していったのです」〉
35  理想の建設へ大局観に立て
 本年は、日蓮大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府の最高権力者・北条時頼に提出してから満750年の佳節に当たる。〈大聖人が「立正安国論」を提出されたのは文応元年(1260年)7月16日〉
 大聖人の御一代の弘法は「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。
 「立正安国論」には、正法によって断じて民衆の幸福と平和を実現するのだとの、御本仏の大慈悲と大情熱が脈打っている。
 私たちは、この立正安国の御精神のままに、いかなる迫害の嵐も乗り越えて、広宣流布へ進んできた。
 大聖人の御賞讃は間違いないと確信する。
 「立正安国論」には記されている。
 「すべからく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か
 自らの幸福を願うならば、まず社会の安定や繁栄、世界の平和を祈っていくべきであるとの仰せである。
 国土が戦乱や災害に覆われてしまえば、個人の幸福の実現もありえない。
 自分一人の幸せではない。社会の平穏と繁栄を祈り、その実現に尽くしてこそ、真実の幸福は実現される。
 また、そうした生き方を貫いてこそ、自己の小さな殻を打ち破り、本当に価値のある、充実した人生を築いていくことができる、のである。
 戸田先生は青年部に語っておられた。
 「社会をどう変革するか、理想の社会を構築するためには、どのような実践行動が必要かを考えよ!
 その大局観に立った一切の振る舞いであってほしい」
 青年こそ、理想の社会建設の先頭に立ってもらいたい。
 勇んで現実社会の真っただ中に飛び込み、泥まみれになって民衆のため、地域のために尽くし抜くことだ。
 ここに日蓮仏法の魂もある。
36  思想の乱れが社会の乱れに
 大聖人が「立正安国論」を御執筆された当時、大地震や飢饉、疫病などが続き、民衆は塗炭の苦しみを味わっていた。
 大聖人は、その原因について、こう喝破されている。
 「世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。
 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである」(同17㌻、通解)
 人々は正法に背き、誤った教えを拠り所としている。こうした思想・哲学の乱れが、世の中の乱れの元凶であるとの仰せである。
 国といい、社会といっても、その根本は人間である。人間の行動を決めるのは思想であり、哲学だ。宗教である。
 民衆が、何を規範とし、何を求めて生きるのか。それによって、社会のあり方は大きく変わってくる。
 だからこそ、民衆一人一人が確固たる哲学を持つことが重要なのだ。
 私たちの広宣流布の運動は即、立正安国の戦いなのである。
37  大聖人は御断言された。
 「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし
 仏法は「勝負」である。正義が勝ち、正法が興隆してこそ、真の平和と繁栄の実現もあるのである。
 人生も戦いだ。真剣に祈り、努力し、行動し抜いてこそ、勝利の結果が生まれる。
 私たちは信念の行動で、誠実の対話で、すべてに勝ちゆく一人一人でありたい。
38  共生と調和へ対話を推進
 国主諫暁を断行されたことで、大聖人は国家権力から厳しい迫害を受けた。
 大聖人は、なぜ大難を覚悟の上で、「立正安国論」を著されたのか。
 「安国論御勘由来」には、その理由について「ただひとえに国のため、法のため、人のためであって、自分の身のために言うのではない」(同35㌻、通解)と綴られている。
 仏法のため、平和のため、民衆のために正義を断じて叫びきらねばならない。これが御本仏の御覚悟であられた。
 戸田先生は訴えておられた。
 「日蓮大聖人は、首の座にのぼっても、佐渡の雪の中で凍えても、“われ日本の柱となるのだ! 眼目となるのだ! 大船となるのだ!”と仰せになられた。そして、民衆のために、あれほど戦われたではないか!
 我々も、強い自分に立ち返って、体当たりで戦うことだ!」
 学会は大聖人の仏法を根幹として、全世界に平和と教育と文化の連帯を大きく広げてきた。「人間革命」の哲学を掲げて全民衆の幸福の実現を目指すとともに、共生と調和の社会の実現を願い、「文明間対話」を地球規模で推進してきた。
 御書には「智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(1466㌻、通解)と仰せである。
 現実の社会の中で、仏法の智慧を発揮し、貢献していく。そうであってこそ、真に“生きた宗教”として輝いていくことができるのである。
 今、SGIの人類貢献の活動に、各国の指導者や識者からも多大な賞讃が寄せられている。
 日蓮大聖人の仰せのままに、大聖人に直結して前進する我ら創価学会は、世界の「平和の柱」である。
 青年の「教育の眼目」である。
 人類の「文化の大船」である。
 この深き誇りと確信を胸に、威風も堂々と進みたい。
39  戸田先生のもとに全体が集い、みずみずしい心で、新たな戦いに打って出る──。
 これが、勝利の根本のリズムであった。
 毎月のように行われる師弟の会合を、先生は最重要視された。
 広宣流布のために、また学会を、同志を護るために、それはそれは真剣であられた。
40  世界を駆ける
 当時、戸田先生は50代。
 事業の挫折を乗り越え、晴れて第二代会長に就任された。
 しかし、大変だった。学会員は、まだ少ない。弘教も進まない。皆、まだまだ力を出し切れていなかった。
 弘教の突破口は、私が開いた。
 先生のもとで、あらゆる道を切り開き、先生をお護りした。
 それが弟子の道だと決めていたからだ。
 夜学を断念せざるを得なかった私に、「お前には、本当に苦労をかけた。恩義がある」と言われ、先生は自ら、万学の真髄を教えてくださった。
 ある時には、「世界に行った夢を見たよ」と先生は語られた。
 その心を抱きしめ、私は全世界を駆けた。平和と文化の花園を広げるために。
 今や、地球上のあらゆる天地に、我ら創価の同志がいる。
 皆さんも、頑張れ!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
 戸田先生は、常々、訴えておられた。
 「信心を根本に団結し、そして、勝利していくのだ!」
 先生は、一回一回の会合に、真剣勝負で臨まれた。邪な人間は震え上がった。真の弟子は欣喜雀躍した。
41  皆を喜ばせるのが真のリーダー
 戸田先生は、こうも叫ばれた。
 「リーダーは、先頭に立て! 同志の方々の模範となるべきだ。
 皆が安心し、皆に喜んでもらえるような存在に、断じて、なっていきなさい」
 皆のおかげで、リーダーがいる。
 皆のために、リーダーはいる。
 これが戸田先生の大精神であった。
 リーダーが最前線に立つのだ。それが正しい。当然のことだ。
 同志は皆、雨の日も、雪の日も、寒い中でも、一生懸命、広宣流布のために戦ってくれている。
 リーダーは心から感謝し、誰よりも真剣に行動するのだ。
 そうすれば、皆も、うれしい。「ああ、来てくれた」と喜びが広がる。
 それとは反対に、号令だけかけて、自分は動かない。立場にあぐらをかいて、ふんぞり返る──そんな増上慢の人間が出てきたら、学会はどうなるか。
 私は、将来のために語り残しておきたい。
 誰よりもリーダー自身が、人間の中へ飛び込んでいくことだ。
 「あの人の戦う姿に勇気をもらった」「あの励ましのおかげで頑張れた」──そう思ってもらえるくらい、同志のために尽くし抜いていく。その振る舞いが、永遠に光っていくのである。
 広布の人生に引退はない。最後の一瞬まで戦い、立派に総仕上げしていくのだ。
 どんな立場になっても、同志を尊敬し、後輩をほめ讃えながら、自分は“一兵卒”の気概で、尊き和合を護り抜くのである。
 決して威張ったり、利己主義に陥ってはならない。自己には厳しく、人には温かく。皆に信頼され、頼りにされる存在であってもらいたい。
42  「繰り返し」の道に豊かな実りが
 近代スペインの大建築家ガウディの言葉は味わい深い。
 「唯一の実り豊かな道は繰り返しの道である」(鳥居徳敏編・訳・注解『建築家ガウディ全語録』中央公論美術出版)
 偉大な芸術家は、繰り返しをいとわない。たゆみなく、人知れず努力を重ねる。そこに創造の道がある。
 信心の世界も、そうだ。日々の勤行・唱題。友への励まし。その繰り返しが、実り豊かな大功徳を生む。
 一生懸命、学会のため、同志のため、何よりも、師匠のために戦い続ける。その人が、最後の勝利者と輝くのだ。
43  戸田先生は、若き友に叫ばれた。
 「戦え! 攻めよ! 怯むな! 広宣流布の戦に自分から切り込んでいくのだ。
 特に、青年部は、先駆者の気概で戦え!」
 この言葉を、後継の諸君に贈りたい。
 青年部は、本当に頑張ってくれている。頼もしい限りだ。
44  フランスの詩人ボワローは、こう強く語りかける。
 「愚か者が君を非難する場合には、もうそれに屈したもうな」(小場瀬卓三訳「詩法」、『世界大思想全集 哲学・文芸思想篇21』所収、河出書房新社)
 彼は、知性の最高峰・フランス学士院の会員であった。
 〈SGI会長は1989年にフランス学士院の招聘を受け、「東西における芸術と精神性」と題する講演を行っている〉
 火を吐くような彼の詩に、こんな言葉が躍っていた。
 「手に筆を執り世の悪徳を叱咤する」
 「傲慢と不正不義とに立向い」「悪徳懲しに行くのです」
 「何を惧れることあらん」(守屋駿二訳『諷刺詩』岩波書店)
 ボワローは、理性を愛し、真実を見つめ、鋭い批評を繰り広げた。
 不滅の大詩人のごとく、我らは勇気の言論で、民衆の大叙事詩を綴っていきたい。
45  「1万人と対話する気迫で!」
 戸田先生は力を込めて言われた。
 「広宣流布に戦う以外に信心はない。こう覚悟することだ」
 何の信仰も哲学も持たない生き方は、気楽なようだが、永遠性の幸福はつかめない。
 皆さん方は、仏になる修行をしている。仏界という無上の境涯を開いているのだ。
 永遠に、最大の功徳に包まれる。永遠に、生死不二の、最高の生命の状態が貫かれていく。そのための信心なのである。
 さらに先生は、「一万人と対話するぐらいの気迫を持て!」とも叫ばれた。
 対話で心をつかむには、まず祈りだ。確信だ。生命力である。
 烈々たる気迫の声で、新たな時代を切り開くのだ。
 壮年部に
 たとえ年配になっても――25歳の心意気で!
 婦人部・女子部の友に
 広宣流布の旗を持ち、立ち上がれ! 生命は永遠だ。苦しい時期も“瞬間”のようなものだ。
 最後まで頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ!
46  正義の師子の風格を持て!
 戸田先生は壮年リーダーの奮起を願って語られた。
 「正義の師子の風格を持て! その頼もしき姿に、皆がついてくるのだ」
 黄金柱の壮年部が、今こそ立ち上がる時である。
 たとえ年配になっても、25歳の青年の心意気で、この一生を生き抜いていただきたい!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 断じて心まで老いてはならない。若々しい心を燃やさなければ、何事も勝てるはずがないからだ。
 また戸田先生は、婦人部と女子部の友を励まして言われた。
 「広宣流布の旗を持って、立ち上がれ! 永遠の生命から見れば、苦しい時期というのは、瞬間のようなものである。最後まで、しっかり頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ」
 深い意味が込められた言葉だ。
 同志の皆様の中には、ご家族が病気の方もいるでしょう。この不況で経済的に大変な方がいることも、よくうかがっています。
 壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 私は、一切が、希望の方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へ行くようにと、毎日、真剣に祈っている。
 どうか勇気ある信心で、苦難を乗り越えていただきたい!
 ニュージーランド出身の女性作家マンスフイールド。彼女は、ちょうど女子部の皆さんと同じ青春時代に、こう綴っている。
 「困難を征服している時以外に私が幸福になれる時があろうか? 決してない」(佐野英一訳『文学する日記(全訳)』建設社。現代表記に改めた)
 困難がないことが幸福なのではない。困難に打ち勝つなかに幸福があるのだ。
 女子部の皆さんは、いかなる悩みも乗り越えて、一人ももれなく、世界一の幸福王女になっていただきたいのです。
 頼むよ!〈会場から「女子部は必ず勝利してまいります!」との声が〉
 うれしいね。広宣流布に挑みゆく、その心が偉大だ。本当に尊いことです。
 男性陣も、負けずに頑張れ!〈「ハイ!」と元気いっぱいの返事〉
47  心は必ず通じる
 戸田先生の指導を拝したい。
 「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。
 真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」
 勝つための仏法だ。
 1年365日、強き祈りを根本に、すべてに勝ち抜こう!
 戸田先生は、こうも言われていた。
 「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、人間として、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」
 友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。
 気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。
 ともあれ、日蓮大聖人に連なって、真剣に、妙法を唱えゆく我らには、「無作三身の如来」の生命が滾々とわいてくる。
 「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」──ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていける。ここに妙法の偉大さがある。
48  今いる場所が使命の晴れ舞台
 「誰か」ではない。「どこか」でもない。「自分が今いるその場所」が、わが人生の晴れ舞台である。
 自分にしかできない使命の劇を、思う存分、勝ち飾るのだ。
 心に大きな目標を持つ人は、それだけ大きな人生を生きられる。
 自ら決めた目標へ、祈り戦い抜く人は、最後に必ず勝利する。
 「広宣流布」即「世界平和」。
 それが我らの大目的である。
 歴史を開く80周年。
 どうせ戦うならば、日本中がびっくりするような、正義と勇気の大対話運動を巻き起こし、民衆が輝く新時代を開くのだ。
 やってみよう! 対立から調和へ、平和の連帯を大きく広げるのだ。世界を、あっと言わせよう!
 時は来た。大勢の同志もいる。ここで躊躇し、臆しては、後世の人々に笑われる。
 戸田先生は教えてくださった。
 「今は乱世である。非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
 ゆえに、我が身を惜しまず、厳しい使命の実現に骨身を削る以外にない。そこに、勝利が開かれる」
 乱世をもチャンスに変えて、強気、強気で進むのだ。
 先生の言葉のままに、私は戦った。一念に億劫の辛労を尽くして、祈り、走った。
 行くところ行くところで、皆が驚くような結果を示し、妙法流布の活路を開いた。飛躍的な拡大は、日本はもとより、世界まで波動を広げた。
 思えば、戸田先生は、愛弟子を、あえて最激戦地に挑ませて、鍛えた。そのたびに、私は敢然と戦い、勝利を報告した。
 先生は「どこに行ったって、大作は何でもやり遂げる」と、本当にうれしそうだった。
 師匠の期待に、より以上の結果をもってお応えする。
 これが、真実の弟子の道である。
49  われも戦う 君も、広布へ
 忘れもしない、昭和31年の大阪の戦いで、私は愛する関西の若き友に贈った。
 「仏法は勝負なり」「正義に依って起て、汝の力百倍せん」と。そして「吾れも断固斗う。君も共に、広布の為に奮斗されん事を」と呼びかけた。
 正義なればこそ、断じて勝たねばならない。
 熾烈な戦いにあって、その勝敗を分けるものは一体、何か。それは、リーダーの一念である。先陣を切る将の姿である。
 大阪の戦いでは、まず私自身から、必死の祈りを開始した。それが、友へと広がり、一人また一人と立ち上がり、遂には時代を動かす、大いなるうねりとなった。
 決戦の日の早朝、5時ごろ。戸田先生から電話を受けた。
 「何だ、大作、起きていたのか」と言われながら、情勢のゆくえを心配される先生。
 その時、すでに私の胸中には、揺るぎない勝利の確信があった。師弟の祈り、不二の闘争で勝ったのだ。
50  不惜身命の魂を継ぎゆけ
 戸田先生の時代も、多くの幹部がいた。しかし、誰よりも先生をお護りし、誰よりも勝利を打ち立てたのは、私である。後世のために、ありのままに語っておきたい。
 先生は心から信頼してくださり、亡くなられる前に、「大作、お前がいたから、よくやってくれたから、俺は栄えある身になれたよ。これからの学会を頼む」と語ってくださった。
 師匠のためなら、何でもやる。すべてに勝つ。これが弟子だ。
 この心が、創価学会という民衆の大幸福城を築き上げたのだ。
 最も過酷な時代にあって、正義を貫き、殉教された牧口先生。
 ともに投獄され、満身創痍の身で、学会を再建された戸田先生。
 その不惜身命の魂を継ぎ、私は広宣流布に立ち上がった。
 苦境の戸田先生を、多くの人が見限り、軽侮し、恩を仇で返していった時、私は「戸田先生!」と叫んで戦った。心黒き増上慢の人間を、清浄な広布の世界から叩き出した。
 後に「俺は、いい弟子をもって、幸せだったよ、大作」と喜んでくださった先生。
 病弱だった私の身を案じて、「大作、長生きしてくれ」と叫び、人目もはばからず慟哭された先生。
 「なんとか長生きしてもらわないといけない」と、先生は、私のために祈ってくださった。
 本当にありがたい師匠であった。
 先生亡き後も、弘教の上げ潮をつくり、あらゆる基盤を整え、五大州に道を開いた。
 世界も、心配ありません──今、私は、こう胸を張って、先生にご報告することができる。
51  50年後、100年後の同志の模範に
 風が吹けば、波が立つ。正義を叫べば、反発も起こる。
 御書に「風大なれば波大なり」と仰せの通り、これからも、大仏法を弘めれば、必ず難が競うだろう。
 それは、正義のゆえであり、時代が変わる兆しなのだ。
 戦おう! 断じて勝つのだ。
 頑張ろう!
 今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく。
 創立80周年のこの時に、皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
 脚光を浴びない舞台で、誰が見ていなくとも、黙々と、わが使命を果たしてくれている友もいる。
 しかし、全部が仏道修行である。仏法には一切無駄はない。
 かつて戸田先生は、「水滸会」の野外訓練で、キャンプファイアを囲みながら、こう語られた。
 「この炎のように、私たちの生命も、燃え上がらせていくのだ。
 学会精神とは、信心の炎を燃え上がらせることなのだ」
 強い祈りと熱い決意で、友を励まし、同志に尽くすのだ。
52  皆様の「勝利」と「健康」を祈る
 師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。
 いかなる時代になろうとも、師弟の魂を叫び抜き、師弟の道に生きるのだ。それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命に刻みつけていただきたい。
 きょうは長時間、本当にありがとう!
 皆さん方のご家族が健康であるように。そして、一切に勝利していけるように。それを祈って、題目をあげたい。〈ここでSGI会長の導師で、全員で唱題した〉
 ご苦労さま! お元気で!
 私は、妻とともに、一生懸命、皆さんの「勝利」と「健康」を祈っています。それぞれの地域の広宣流布は、皆さんにお願いする以外にないからだ。
 地元に帰られましたら、同志の方々に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 青年部、頑張れ! 成長がうれしい。民衆を護るために、偉くなれ! 負けるな! 皆さん、ありがとう!

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