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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表協議会  

2009.12.22 スピーチ(聖教新聞2009年下)

前後
2  最初に、恩師・戸田第二代会長の忘れ得ぬ指導を学び合いたい。
 恩師が晩年に、こうおっしゃった。
 「人生において大事なのは、希望だ。
 希望があれば、前進できる。何があっても戦える。生き抜いていける。
 そして、忍耐だ。
 忍耐なき人は、愚痴に負ける。
 前進している人は、息吹がある。朗らかだ。
 前進していない人は、暗い。佗しい。
 不退転の心で、朗らかに前進すれば、必ず勝利できるのである」
 この恩師が示した「希望」「忍耐」「前進」、そして「勝利」を合言葉に、晴れ晴れと、全員が、明年を勝ち飾っていこう!
3  会員が中心!
 さらに恩師の指導を紹介したい。先生は最高幹部に対して叫ばれた。
 「大変なところ、人が嫌がるようなところで、うんと戦うのだ。そこに自分の勝利がある。そこで、広宣流布の勝利を開いていくのだ」と。
 大変な中で、勝利の活路を開いてこそ、リーダーである。同志の期待に応えていくのである。
 もしも幹部に気取りや威張りがあれば、真剣な同志の戦いの邪魔になるだけだ。
 また、幹部だからと思い上がって、信心を忘れ、道を踏み外して、真面目な会員を失望させるようなことは、絶対にあってはならない。くれぐれも心していただきたい。
 戸田先生は、こうも言われた。
 「負けるということは、恥である。どんな戦いも、絶対に負けるな! 御本尊に祈り抜いてみよ!
 今の20倍、そして、100倍の結果が必ず得られるのである」
 私も戸田先生のもとで、あらぬる戦いを勝ってきた。
 先生のおっしゃる通り、御本尊に祈り抜いて勝ってきた。
 私は一人立った。常に先頭を走った。
 真剣に語った。誠実を貫いた。
 行くところ、行くところで、「あなたなら信頼できる」「あなたなら応援したい」と言われ、多くの人を味方に変えていった。
 どうか、わが生命を赤々と燃え上がらせて、聞く人の胸が熱くなるような、心に響く対話を広げていってもらいたい。
 また、会合で話す際も、「きょうの話は聞いていて疲れなかった」「きょうの話は心に染みたな」と皆に喜んでもらうには、どうすればいいのかを真剣に考えることだ。それが自分自身の成長につながっていく。
 独りよがりではない、また「幹部中心」ではない、本当の「会員中心」の学会を、皆さんがつくっていくのである。
4  冷戦の渦中に各国の首脳と
 さて、学会創立80周年の明年は、SGI(創価学会インタナショナル)の発足35周年でもある。
 この佳節を祝賀して、SGI発足の地であるグアム、そしてハワイで、盛大に祝賀行事が開催されることになっている。
 すべては、ナガシマ理事長を中心としたアメリカの同志のおかげであり、また世界広布に奮闘しゆく全世界の同志のおかげである。
 「本当にありがとう! ご苦労さま!」と深く深く感謝申し上げたい。
 太平洋戦争の激戦地・グアムの地でSGIが発足したのは、1975年(昭和50年)の1月26日。
 当時、東西冷戦、中ソ対立の渦中にあり、国際情勢は緊迫していた。その中を、私は、仏法者として、世界の平和と友好のために、各国の首脳と真摯に語らいを重ねた。
 こうした行動に込められた私の心を、誰も知る由はなかったであろう。しかし今、世界に対話の潮流は広がり、平和と文化と教育の連帯を築くことができたのである。
 〈SGI発足前年の1974年、名誉会長は中国を2度にわたり訪問。同年、ソ連にも足を運び、厳しく対立していた中ソ両国の間に「対話の橋」を懸けていった。
 続く75年の1月、ニューヨークの国連本部で、当時のワルトハイム国連事務総長と会談。青年部の手による核廃絶の1千万人の署名簿を手渡した。
 さらに同月、首都ワシントンDCでキッシンジャー国務長官と会見。こうして、国連及び米中ソの3カ国の首脳に世界平和と軍縮を強く訴えていったのである〉
5  大事なのは行動である。
 誰が見ていなくとも、地道に友と語り、友を励ましていくのだ。
 派手さはなくとも、地位とか肩書などなくても、尊き庶民の同志から慕われる、偉大な心の王者の人生を歩んでいくことだ。
 メキシコの20世紀の詩人オクタビオ・パスは歌った。
 「私は目の前の一人一人を信ずる。どの命も、一見、素朴に見えても、大英雄に劣ることはない」
 いわんや学会員は、一人一人が地涌の菩薩である。一人一人が広宣流布の大英雄である。
 全力で励まし、その力を引き出していくことだ。それがリーダーの責務なのである。
6  恩師との出会い
 「戸田大学」の卒業生──それが私の誇りである。
 青春時代、私は戦争のため、満足に学校に行けない状況だった。
 4人の兄は次々と戦地へ送られ、残った私は肺病で苦しんだ。
 戦後も混乱は続いていた。
 そんな時、19歳で戸田先生と出会った。
 1947年(昭和22年)の8月14日、座談会で初めて先生とお会いした。
 「池田です」──私の紹介を受けて、先生は言われた。
 「池田君は、幾つになったね?」
 初対面とは思えない、なんともいえない親しみを込めて、私に話をしてくださった。
 仏法の深遠な哲学は、まだわからなかった。しかし私は、戸田先生の人間性と、その率直な振る舞いに深い感銘を受けた。何より2年間、軍部政府と戦って牢獄に入った事実は決定的であった。
 この人についていこう!──そう心に決めたのである。
 その10日後に入信。やがて「私のところに来なさい」と言われて、21歳の時から戸田先生の会社で働くようになった。
 当時、先生は日本正学館という出版社を経営されていた。事務所は東京の西神田にあった。
 小さな建物で、3階建てだった。今、振り返れば、「戸田先生は、あんな狭いところで大号令を発していたのか」と驚くほど、質素な建物であった。
7  荒波を越えて
 ドイツの文豪ゲーテは、戯曲の中で、こう記している。
 「人格を磨くには世の荒波に揉まれねばなりませぬ」(成瀬無極訳「トルクヮートー・タッソオ」、『ゲーテ全集第13巻』所収、改造社)
 私の青春もまた、荒波の中での闘争の連続であった。
 戸田先生のもとで働き始めてからしばらくすると、経済の混乱にのまれ、先生の事業は破綻してしまった。多額の負債を抱えた。
 先生は大実業家だったが、長い獄中生活で、それまでの会社は皆、駄目になってしまった。
 戦後、新たな事業を起こされたが、時代の荒波には抗しがたかった。明日をも知れぬ状況だった。
 戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために、“男の生きざまとはこうだ!”というものを、俺と大作の二人で、この世に残そうじゃないか!」と。
 先生をお護りするため、私はすべてをなげうって戦った。病をかかえ、弱い体だったが、先生を支え抜いた。先生の奥様も、私に「そばにいてやってください」と言われていた。
 戸田先生は私のことを心配され、「大作は30歳まで生きられない。私が無理をさせてしまった」と言って、慟哭された。
 どんな権力者も、どんな権威の人も恐れない先生だった。誰に対しても変わらぬ態度であった。
 不条理に対しては激怒された。
 そのすさまじさに、邪悪な人間は震えあがった。
 戦時中の軍部の弾圧にさえ屈しなかった先生である。
 肩書ではない。人間の中身を、まっすぐに見ておられた。地位や立場など、表面的なものに過ぎないと考えておられた。
 まさに正義の巌窟王であった。
 その剛毅な先生が、私の体を案じ泣いてくださったのである。私は、この偉大な師匠に仕えきってきた。
 牧口先生、百田先生、そして私の三代で、完壁な師弟の土台はできあがった。
 このことを強く申し上げておきたい。
8  全同志を代表しての栄誉
 私は学業を断念せざるを得なかったが、戸田先生は「私が責任をもって教えてあげよう」と言ってくださった。「戸田大学」であった。
 今、私は全世界の大学等から名誉学術称号を受章している。
 これも仏法の眼から見れば、若き日に一切をなげうって師匠のため、広宣流布のために戦い抜いた一つの結果である。私は、そう確信している。
 また、かつてイギリスの歴史家であるトインビー博士と対談をした際、最後に博士がこう言われた。
 「あなたは私以上に、世界中から名誉博士号を受けることでしょう」
 本当に、その通りになった。博士も心から喜んでくださっていると思う。
 〈これまで名誉会長に世界の大学・学術機関から贈られた名誉学術称号は272。世界一の栄誉である。
 また、平和・文化・教育への多大な貢献を讃えて各国から28の国家勲章が授与されている。各都市から贈られた名誉市民の称号は660を超える。
 さらに国連平和賞や桂冠詩人・世界民衆詩人の称号、世界桂冠詩人賞のほか、ワイマール・ゲーテ協会の特別顕彰、「トルストイの時代」賞、タゴール平和賞など、偉人の名を冠した栄誉が贈られている。
 こうした顕彰の総数は4,000を超える〉
9  世界の各都市から贈られた名誉市民の称号をはじめ、数多くの栄誉は、すべて全同志を代表して頂戴したものである。
 すべて皆さんの子々孫々までの福徳となり、栄誉となっていくことは、絶対に間違いない。
 各国で、各地域で、模範の市民として平和と文化、教育の発展に尽くしゆくSGIの友の姿に、深い信頼と賞讃が寄せられているのである。一つ一つに、本当に大きな意味がある。
 日蓮大聖人は「法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人、さらには日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい」(御書1118㌻、通解)と仰せである。
 仏法者として、また一人の市民として、「あの人は立派だ」「さすが学会員だ」と讃えられるようになっていかねばならない。
 世界から寄せられるSGIへの賞讃は、この御聖訓に示される通りの姿であると思うが、どうだろうか。
10  正義を叫び抜け 臆病者になるな
 私は青年時代、戸田先生や学会を中傷する者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。
 栃木などにも足を運び、学会の正義、師匠の偉大さを正々堂々と訴えた。
 そして最後には、認識を改めさせた。
 御聖訓には仰せである。
 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
 大事なのは勇気だ。
 相手が誰であろうと、堂々と正しいことを言い切っていく。仏法の偉大さ、学会の正義を叫び切っていく。
 皆さんは、そうしたリーダーであってもらいたい。
 特に犬切なのは青年だ。いよいよ青年を薫陶して、伸ばしていく時である。
 新時代を開きゆく、広宣流布の闘士の陣列を築いてまいりたい。
11  心を開けば友情が生まれる
 恩師の心をわが心として、私はこれまで、五大陸の54カ国・地域を駆けた。「平和の種」「妙法の種」を蒔いてきた。
 明年は、世界への平和旅を開始してから、ちょうど50年。
 SGIの連帯は、192カ国・地域にまで大発展した。
 海外の大学・学術機関から招聘され、記念講演を行ったことも懐かしい。〈講演はハーバード大学、モスクワ大学、北京大学、ボローニャ大学、フランス学士院など、最高峰の知性の殿堂で行われ、計32回を数える〉
 会見した世界の指導者、識者は7,000人を超えた。
 タイでは、国民から広く敬愛されているプーミポン国王と3度、お会いした。国王と私は同い年であり、思い出が深い。
 語らいの途中、私が「ご多忙であられることは、よく存じ上げております」と辞去しようとすると、国王は「いや」と押しとどめられる。会見は毎回、長時間に及んだ。
 ほかにも、大統領や元首級の多くの方々と交友を重ねてきた。
 〈今月9日、再会したゴルバチョフ元ソ連大統領は語っていた。
 「池田会長との友情を本当に大切に思っています。私たちの協力関係において、会長はエネルギッシュに、すべてを前へと引っ張ってくれています。これからも創造の才を発揮してください。会長の平和・文化へのリーダーシップに、私もついていきたいと思います」〉
 私は一対一の対話を重ね、人間主義の新世紀を建設してきた。
 若き皆さんもまた、この「対話と友情の大道」に、勇敢に続いていただきたい。
 心を開いて、人と会って語れば、必ず何かが生まれる。
 出会いが結実して、トインビー博士との『21世紀への対話』が生まれた。現在、世界の知性との対談集は50点を超えている。
12  活字文化は「精神の泉」「社会の光」
 明年は「国民読書年」である。
 わが国でも活字離れが進み、心ある人々は「活字文化の振興」を強く願っている。
 人間らしい社会を。胸躍るロマンを。危機を乗り越える英知を。人類を結ぶ哲学を──そのために私たちは出版活動に力を注いできた。
 この場をお借りして、関係者の皆様のご尽力に、心から感謝申し上げたい。
 〈トインビー対談は28言語で発刊された。本年の名誉会長の海外出版は12言語85点に及ぶ。総数は40言語1,140点となった。
 なお、10月に発刊された小説『新・人間革命』の第20巻は、「単行本・ノンフィクション他」の年間第2位のベストセラー。『池田大作全集』は、「全集」部門で21年連続で年間第1位に輝いた(トーハン調べ)。
 また、国内外の新聞や雑誌からの要請に応えて寄稿。数多くの提言やコラム、インタビュー等を寄せている。
 名誉会長の活字文化振興への功績に対し、今月21日には出版取次大手の「株式会社 大阪屋」から「感謝状」が贈られた〉
 「哲学なき時代」にあって、活字文化こそ「精神の泉」である。「社会の光」である。
 ゲーテが望み、ユゴーが夢見た調和と共生の世界を、我らは、民衆の心の革命によって開いていきたい。
13  なぜ、創価学会が世界中に広まったのか。
 哲学が深いからである。この仏法に絶対の力があるからだ。
 愚かな争いに翻弄される、人間自身を変革し、全人類の宿命をも転換させる。
 そのための根本の哲理を、心ある人は真剣に求めている。
 日蓮大聖人は、宗教を判別する基準について「道理証文よりも現証にはすぎず」と仰せである。
 牧口先生は、この御聖訓を拝して、次のように語られた。
 「道理も証文ももちろん大事だが、論より証拠で、生活の中に功徳の実証を示すことが、それ以上に大事である」
 勝利の実証にまさる雄弁はないのである。
 まず、自らの臆病の心に勝つのだ。
 策ではなく、祈って祈って祈り抜く。そして、見事な結果を出すのだ。
 現実には困難の壁もある。障魔も競う。それを突き破るには、師弟が大事だ。よき先輩をもつのだ。信心の指導を求める心を忘れてはならない。
 私は毎日、胸中の戸田先生と対話しながら前進している。先生の厳愛の訓練があったゆえに、どんな嵐にも微動だにしない。
14  祈りから出発!
 事実の上で、「さすがだ」と言われる模範を示すのが、リーダーである。
 強き祈りから出発し、満々たる生命力をわきたたせ、新しき人材のスクラムを広げていくことだ。
 わが舞台で、使命の天地で、断じて勝利の実証を打ち立てるのだ。
 「常勝」こそ、広宣流布の指導者の誓願だ。天命である。
 わが後継の青年部は、この崇高なる魂を受け継ぎ、立派に成長してもらいたい。
 すべて、君たち青年部に託しゆく時代に入った。
 頼むよ!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
15  師子王の心で
 戸田先生は、よく教えられた。
 「本当の決意を込めた題目をあげよ! 題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!」
 何と力強い言葉か。題目こそ、最極の勝利の利剣である。
 私は妻とともに、題目をあげ抜いて、学会を護り、戸田先生を護りに護った。ただただ、師匠のこと、広宣流布の前進を祈り抜いた。
 ゆえに、今日の学会ができあがったのである。
 正義を護れない。難と戦えない。そんな情けない弟子であってはならない。
 敢然と、師子王の心で立ち上がるのだ。
16  感謝の人は豊か
 決して恩を忘れるな。感謝の念を失うな――ドイツの文豪ゲーテは、いつも自身に、そう言い聞かせた。
 「自分のより高貴な精神の宝がいつ、どこからえられたものかを、好んで反復し、追想するのである」とゲーテは自伝に綴っている(河原忠彦訳「詩と真実 第2部第10章」、『ゲーテ全集9』所収、潮出版社)
 時を経ても、精神の恩を忘れてはならない――賢人ゲーテでさえ、そう自戒した。ここに深き人生の教訓がある。
 なかんずく「師匠の恩」を、仏法は重んずる。不知恩を戒める。
 恩に報いる人生は美しく、豊かである。
 わが精神の原点を忘れない人は強い。
17  よし戦うぞ!
 戸田先生は、厳として言われた。
 「よし、戦うぞ! 何ものにも、広宣流布の邪魔を断じてさせてなるものか!」
 この大師子吼を、わが心に刻みつけるのだ。
 時代が変わろうと、どんな立場になろうとも、我らは永遠に、この心意気で進もう!
 広布を阻む悪には強く。同志には慈愛を。誰よりもリーダーが先頭を切って戦い抜くのだ。
 先生は、こうもおっしゃっていた。
 「師匠は、日蓮仏法への絶対の確信を持っている。ゆえに、弟子は、師匠の言う通りに戦うのだ。
 広宣流布のために、戦い勝てる弟子になれ!」
 最高幹部は、この深き決意に立って、栄光の道を開くのだ。
 いよいよ創立80周年。永遠に輝く創価城を築くのは、今をおいて、ほかにない。
 歴史的な戦いの開幕である。
 人まかせでは、勝利は開けない。
 自分が誓願するのだ。その深き一念に立ってこそ、すべてが勝利へ、勝利へと大回転を始める。
 そして師弟不二の祈りこそ、広宣流布の大原動力である。
18  民の苦労を知れ 同志に最敬礼を
 日蓮大聖人は、お米やお酒など、真心の御供養を捧げた門下に対し、「民の骨をくだいてつくったような貴い白米」(御書1390㌻、通解)等と、最大の礼を尽くして感謝を述べられた。
 戸田先生は、この御聖訓を引いて、次のように力説された。
 「何と人民の苦労をわかってくださる崇高な大慈悲の御精神であろうか。この精神で、我らも、同志を最大に大切にするのだ」
 広布へ進む尊き同志に、最敬礼する思いで尽くしていくことだ。
 全同志が功徳を受けて幸福になるよう、一切無事故で前進できるよう、リーダーは真剣に祈ってまいりたい。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 この心で進んできたから、学会はここまで大発展したのだ。それを絶対に忘れてはならない。
19  師弟の城を護れ
 戸田先生は、婦人部、女子部に語っておられた。
 「毅然たる信心、そして、厳然たる信心に立ちなさい。
 どんな困難があっても、絶対に、一歩も退いてはなりません。強い強い信心を貫いて、創価学会を守り抜いていきなさい」
 創価学会は民衆の柱である。師弟の大城である。幸福の安全地帯である。この尊き和合を、断じて護り抜かねばならない。
 信心さえ不動であれば、いかなる苦難も乗こり越えられる。
 大切な同志を護っていける強い自分になれるのだ。
 また、戸田先生は、こうも言われていた。
 「信心とは、要するに、どんなことがあっても、必ず勝つと、ハラが決まっていればよいのだ。十人前の戦いをせよ! そして、断じて勝て!」
 その通りだ。「必ず勝つ!」「断じて勝つ!」と腹を決めて、指導者が率先して動きに動くのだ。
 手を抜いて要領よく立ち回ったり、人に苦労を押しつけるのは、卑怯である。
 すべて自分の責任で勝つ!――こう決意して指揮を執れば、必ず道は開けるのだ。
20  青年よ伸びゆけ
 戸田先生は、青年部に限りない期待を寄せておられた。
 「創価学会には、いかなる世界の思想もできる大仏法がある。そして、大仏法の師匠がいる。ゆえに、学会の青年部こそが、偉大な指導者となって勝ち進め!」
 いよいよ青年部が立ち上がってきた。青年部が伸びれば、創価の未来は盤石だ。
 永遠の広布の基盤を完成させるため、各地の法城の建設・整備も進んでいる。
 これもすべて、同志の皆様のためである。
 皆様が、ゆったりとした気持ちで、時には詩歌や俳句を作って、心豊かに友と語り、「本当に来てよかった!」と思えるように、一歩一歩、整備を進めている。楽しみに待っていていただきたい。
 私と妻は、いつも同志の皆様のことを祈っている。ご家族に病気の方がいるとの報告を聞けば、心からお見舞いし、真剣に平癒をご祈念する。そういう日々である。
 尊き同志のご一家に、健康と和楽あれ!
 これが広布の指導者の心である。どうか、一人も残らず、最高に幸福な人生を送っていただきたい。
21  大胆に、迅速に
 ゲーテが書き留めた言葉がある。
 「躊躇逡巡は頼りにならない人間を作るだけだ」(山崎章甫訳『詩と真実 第3部』岩波文庫)
 臆病になって逡巡するのが、一番、よくない。逡巡するのは、ずるい。
 大胆に! スピードをもって戦うのだ。
 ゲーテは叫んだ。
 「すぐに勇気を出したまえ。君は青春の血を持っている。君の齢なら力があろう。希望を果たす勇気があろう」(片山俊彦訳「涙の中にある慰め」、『ゲーテ全集第1巻』所収、改造社、現代表記に改めた)
 勝利の鍵は勇気だ!
 勇気の指揮を執るのだ。青年部、頑張れ!
 後継の君よ、負けるな!
 〈ここで名誉会長の導師で全員で唱題した〉
 一年間、本当にありがとう! また来年も勇敢に戦おう! すべてに勝とう!
 勝たなければ、わびしい。さびしい。
 勝てぱ楽しい。うれしい。皆が大歓喜に包まれる。
 「仏法は勝負」である。勝つための仏法だ。正義は断じて勝たねばならない。
 新しい一年を晴れやかに勝利しよう!
 皆さん、ありがとう!

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