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日蓮大聖人・池田大作

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方面長協議会  

2009.9.30 スピーチ(聖教新聞2009年下)

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2  心は青年で!
 日蓮大聖人は、「年は・わかうなり」と仰せである。
 たとえ、年をとっても、心まで老け込んではならない。
 妙法という生命の大法を持った我々は、生き生きと若返っていくのである。張り切って進むのである。
 大聖人の御生涯は、最後の最後まで、広宣流布の大闘争に貫かれていた。
 信心に「引退」はない。心は退いてはなない。一生涯、わが使命の旗を高く掲げ、若々しく前進することを誓い合いたい。
 イギリスの桂冠詩人ワーズワースは、こう謳った。
 「われらは今日を新しく、/年の初めと定めよう」(田部軍治選訳『ワーズワース詩集』岩波文庫)
 いついかなる時も、自らの心が、新しい決意で立ち上がったその日から、一切が生まれ変わる。
 「本因妙」の日蓮仏法を奉ずる我らには、新生の「今日」という日が、まさしく「久遠元初」である。
 先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生の誓願を受け継ぐ我らには、「今日」という日が峻厳なる「創立の日」なのである。
 「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の一念をば、わが生命に元初の旭日の如く、烈々と燃え上がらせながら、創立80周年へ、今日のこの集いから勇んで出発したい。
3  宇宙一の幸福者
 それにはまず、リーダーが、自分自身の生き生きとした「人間革命」から始めることだ。
 「人」ではない。「自分」が変わるのだ。「誰かがやるだろう」ではない。「自分がやる」のだ。
 たとえ、どんな状況にあっても、頭を使い、知恵を絞り、心を前に向けて、何かを為していくことだ。
 ある時は、お題目を唱える。
 ある時は、友の激励に走る。
 ある時は、仏法対話に打ち込む。
 根本は、御本尊に真剣に唱題して、「随縁真如の智」をわき立たせ、最も価値的な行動を起こしていくことである。
 仏法とは、「動く」ことだ。仏法とは、「勝つ」ことだ。
 ともあれ、わが創価学会は、宇宙の根源の妙法を実践し、弘めゆく、ただ一つの正統の団体である。
 この中で、誉れあるリーダーとして戦えることは、全宇宙で最高の幸福者であるといっても決して過言ではない。すごいことなのである。
 この偉大な使命を自覚して、「やらせていただきます!」と自ら決然と立ち上がるのが、本当の信仰者の姿である。
4  古代ギリシャの詩人ピンダロスは、戒めた。
 「人間の ある者は無分別なうぬぼれに/栄誉から遠ざけられ、またある者は、おのれの力を貶めるあまり/臆する心に手を後ろへ引かれて/得べかりし誉れを逸してしまう」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学出版会)
 増上慢になって、転落する者もいる。
 臆病になって、敗退する者もいる。
 どこまでも、「求道」、そして「勇気」を貫き通した人間こそ、真の「栄光」を勝ち得るのだ。
5  打って出よ!
 私が若くして第三代の会長となり、世界広宣流布の第一歩を踏み出して、この10月2日で満49年となる。
 当初、「世界広布」といっても、夢のまた夢のように思われていた。しかし、私は、戸田先生の弟子として、勇んで打って出た。
 利害の対立や、主義主張の違いを乗り越えて、世界を舞台に対話と友情を広げてきた。
 一民間人である。一庶民である。そこから、ただ「勇気」の二字で、尊敬するわが同志とともに、今日に至る「世界広布の時代」の突破口を開いてきたのである。
6  仏法は、慈悲が根本である。しかし、凡夫である我々の実践は、現実には、勇気であり、知恵である。
 大切なのは勇気だ。信心とは、最高の勇気なのである。皆も、勇気を持つことだ。
 ずるく臆病な幹部ではいけない。私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。
 勇気!──これが学会精神だ。
 三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである。
7  師弟不二の道を
 思えば、「師弟の真髄の道」を歩み抜かれた日興上人の「日興遺誡置文」は、いつの著作とされているのか。
 それは、日興上人の師であられる日蓮大聖人の「立宗宣言」から、満80年の折であった。〈元弘3年(正慶2年=1333年)〉
 この「日興遺誡置文」で、日興上人は厳命された。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事
 ただただ「広宣流布」の大願に向かって、どこまでも、師の仰せのままに、身命を惜しまず、戦い進んでいく。
 これこそが、師弟の魂である。これこそが、永遠の学会精神である。この一点を、リーダーから銘記し合いたい。
8  若き日より、私は命懸けで広布を思い、誠心誠意、恩師の戸田先生にお仕えしてきた。
 戦後の混乱の中、先生が事業に失敗され、莫大な借金が背負われたときも、私が、そのすべてを返済していった。
 朝も晩も、先生をお護りした。我が青春を、師匠と学会のために捧げてきた。
 御本尊に誓って、本当に微塵も後悔なく、そう言える。
 恩師の戸田先生は、亡くなる前に私に言われた。
 「大作、お前は、私が一番大変な時に、よくやってくれた。勝ったよ。私の人生は勝った。いい人生だったよ」と。
 先生亡き後も、私はただ、苦しむ民衆を救わんとされた恩師の勇姿を偲び、恩師の心をわが心として戦ってきた。
 師弟不二──真実の戦いは、ここにしかない。ここにしか、仏法はない。深き人間の道もない。
 師匠に応えんとする、その一念、その祈りから、勝利の力が生まれるのだ。
9  「油断大敵」が将軍学の鉄則
 教育者であった牧口先生は、若き日、中国からの留学生のための弘文学院で、独創的な「人生地理学」を講義しておられた。
 牧口先生の学識に感銘した中国の青年たちが翻訳した、先生の大著『人生地理学』は、当時から中国各地で学ばれていたようだ。
 〈1907年に発刊された『最新人生地理学』(『人生地理学』の中国語の全訳)は現在、蘇州大学、北京師範大学、復旦大学、中山大学、南京図書館、浙江省立図書館、上海図書館、天津図書館で存在が確認されている〉
 弘文学院は、近代柔道の創始者・嘉納治五郎先生によって創立された。この嘉納先生が、著書の中で、江戸幕府の重臣・永井信濃守尚政の逸話を紹介されている。
 永井信濃守といえば、現在の学会本部がある一帯に下屋敷(本邸以外に江戸近郊に設けた控えの屋敷)があった。「信濃町」の地名も、この「信濃守」に由来する。
 それは、永井信濃守が幕府の老中になった時のことである。信濃守は、すでに重臣として深い信頼を得ていた井伊掃部頭かもんのかみ直孝に、謙虚に助言を求めた。
 ──不才の身で大任を受けて誠に覚束ないが貴下のご教訓を得て無事に勤務したいものである──。
 それに応えて、井伊直孝は語った。
 ──世の諺に「油断大敵」という事がある、これは定めてご承知であろうけれど、万事は油断から破れるからこの詞を忘れさえせねば間違いない──(『嘉納治五郎著作集第1巻』五月書房)
 古今東西を問わず、「油断大敵」が将軍学の鉄則である。
 本当に自分が責任を担い立って、血のにじむような苦労を重ねてきた指導者は、この「油断大敵」という一点を心に刻んでいる。
 ゆえに、本物には隙がない。傲りもない。その人格には、鍛え抜かれた真金のような光が輝いている。
10  真剣勝負で!
 戸田先生は、厳しく言われた。
 「自分が責任を持つのだ。手伝いをしている気持ちの人間が何万人集まろうが、本当の戦いはできない!」
 その通りだ。戦いは真剣勝負でなければ勝てない。“死ぬか生きるか”──そのくらいの覚悟がなければ、遊びだ。甘えや油断は、微塵もあってはならない。
 私は、どんな戦いでも、全力を注いできた。「不可能」さえも「可能」に!──その決心で、師匠のため、広宣流布のために戦い抜いた。
 経済的に苦しい時もあった。真冬でもオーバーもない。新しい靴が買えず、高下駄を履いて出かけたこともある。
 しかし、心は誇り高かった。仏法が真実であるならば、未来の勝利は絶対と確信していたからだ。
11  各地の尊き同志の皆様が、どれほど真剣に戦ってくださっているか。
 私は報告書や手紙などでうかがい、よく存じ上げているつもりである。そうした書類は、学会本部で大切に保管している。
 皆様が、広宣流布のためにどう行動し、どのような歴史を綴ってくださったのか。大事な記録として、後世のために残している。
12  「幹部が走るから皆もついてくる」
 人間指導者の真髄は、「率先垂範」にある。
 中国・明代の哲人指導者として名高い呂新吾は述べている。
 「聖人は、手足にたこやあかぎれをつくりながら駆けずりまわり、一時も心の安まる暇はない。
 そして天下を安泰に導いてから、初めて楽しむのである。言わば、苦しみのなかに楽しみを見出すのが、聖人の楽しみにほかならない」(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)
 いわんや広宣流布の指導者は、師弟の精神をたぎらせて、最前線へ、座談会へ、一軒一軒の家庭訪問へ、一対一の対話へ、徹して走り抜いていくのだ。どこまでも、同志のため、友のために行動し抜くのだ。
 この心が脈動している限り、わが学会の前進と拡大、そして勝利の道は永遠である。
 私は若き日、自分が責任者となった地域で、隅々まで、自転車に乗って、一軒一軒、同志のお宅を回った。
 まだ車など持てない時代である。立派な会館もなかった。
 家庭訪問の途中で、自転車がパンクしてしまったこともあった。そんな時は、同志に頼んで自転車をお借りし、再び街へと飛び出していった。
 そうやって、一人一人を立ち上がらせた。一つ一つ壁を破り、広宣流布の勝利の道を開いていったのである。
 人間の力はすごい。いわんや御本尊を持った私たちは、どれほど大きな力を発揮できることか。
 本気になって祈り、戦えば、必ず結果が出るのだ。
 不思議な信心である。だれもが、深い使命を持っている。
 正義が勝たなければ、皆が悲しむ。苦しい思いをする。混迷の社会になる。だからこそ、断じて勝利するのだ。
 今の千倍、戦おう!
 必死になって同志のもとを訪れ、励ましを贈っていこう!──最高幹部が、なかんずく壮年が、そうした決意で立ち上がることだ。
 戸田先生は「幹部が必死に走るから、皆もついてくるんだ」と語っておられた。
 皆に「やらせる」のは卑怯だ。自分が動くのだ。自分が先頭に立ってこそ、同志も一緒に戦ってくれる。これが鉄則だ。
 幹部が要領ばかりよくなり、陰で楽をするようなことがあれば、皆はついてこない。それでは学会の組織は、崩れてしまう。
13  後輩を大切に人材を育てよ
 指導者の責務は、後継の人材の育成である。
 どれだけ多くの優秀な人材を育て、伸ばしたか。それこそが、指導者の誠の栄光といってよい。
 どうか後輩を大切にし、よく面倒を見てあげてほしい。
 また一人一人が、後輩の模範となる、立派な指導者であって頂きたい。
14  いよいよ、青年部の時代である。
 青年部、頼むよ!〈「ハイ!」と元気な返事〉
 青年部が立ち上がるのだ。日本中で、世界中で、青年部が広宣流布の大行進を開始するのだ。
 学会創立80周年へ、拡大の大目標を掲げて、堂々と進むことだ。
 「師弟の精神」を赤々と燃やし、新しい道をどんどん切り開いていくのだ。青年部が立てば、婦人部も、壮年部も喜ぶ。
 そして、充実した大座談会運動を全世界で展開していこう。
 ともあれ、学会活動は、すべて自分のためである。広布のためである。
 全世界の、全人類の幸福のためである。
 どこまでも楽しく、おもしろく、にぎやかに前進しよう!
15  時代を変えるのは、青年だ。
 未来は、すべて青年に託す以外にない。後輩たちを励まし、頑張ってもらうのだ。
 若い人たちは、ぐんぐん伸びていく。年配の幹部を追い抜いていく面もあるだろう。
 先輩は、どんどん力を発揮させてあげるのだ。青年のために、あらゆる手を打つのだ。決して、邪魔したり、押さえつけたりしてはいけない。むしろ、先輩から声をかけ、温かく激励するのだ。
 若いからといって、下に見て、あごで使おうとするのは、大間違いだ。そうではなく、信頼し、慈愛をもって「一緒にやろう!」と応援していく。完壁に、バトンタッチしていく。そして、全員が伸び伸びと、楽しく、若々しく動いていく。そこに新たな勝利の突破口が開けるのだ。
16  大願に生き抜け
 日蓮大聖人は、厳しい「熱原の法難」の渦中に、若き南条時光に仰せになられた。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ
 一生成仏、そして広宣流布という、人間として最極の「大願」に若き生命を燃焼させて、いかなる苦難も突破していくことを厳命なされたのである。
 この仰せに奮い立った南条青年は、師匠を護り、同志を護り、正義の勝利の旗を打ち立てていった。
 これが、広宣流布の方程式である。
 戸田先生のもとで、私も、未来永劫に消えない弟子の勝ち戦を刻み残した。
 戸田先生は、よく言われた。
 「これからの学会を背負っていくのは、青年である。諸君の手で、広宣流布の尊き大使命を達成せよ!」
 先生は、決して青年を甘やかされなかった。
 「このことは、青年部に任せよう」「この戦いは、青年部にやらせてみよう」と、名誉ある責任を一人一人にもたせ、新展開を託された。これが、先生の薫陶であった。
 師匠の期待と信頼に、私を中心に完壁に応えてきたのが、創価学会青年部の栄光である。この伝統を担い立ち、青年部が、すべてを勝ち開いていく時が、学会創立80周年であると、私は強く申し上げたい。
17  信念の対話を!
 大聖人は、南条時光に「ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい」(同1557㌻、通解)とも仰せである。
 広布に生きる青春ほど尊いものはない。青年らしく、勇敢に大仏法を語り抜いていくことだ。
 若い熱と力で対話を広げ、仏縁を結んでいくのだ。青年が確信をもって語った分だけ、縁ある大切な人々を、幸福へとリードすることができる。
 希望の対話。哲学の対話。正義の対話。信念の対話。
 これこそ、今の時代が最も渇仰しているものだ。
 どうか、勇気をもって、明るく朗らかに、自信満々と、対話の波また波を起こしていっていただきたい。
18  南米コロンビアの詩人アンヘル・マリア・セスペデスは歌った。
 「太陽は常に若い」
 皆さん方は、それぞれの使命の天地にあって、「広宣流布の太陽」の存在である。
 ゆえに、常に若々しく大情熱を燃やしていくことだ。明るく同志を励まし、組織を照らしていくのだ。
 そして、自分以上の人材を育んでいくことだ。
 「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」(同1598㌻、通解)と御書には説かれる。
 友のため、後輩のために真心を尽くしていくことが、自分自身の福運となる。
 わが栄光の未来を、明々と照らす。
19  学会は、若い力が光っているから、強い。私がお会いした職者も、その点に注目し、感嘆されていた。
 「青年が、世界で活躍している。どうして、あれほどの発展を築くことができたのか」と。
 多くの方々から、「学会の話を聞きたい」「学会のことを教えてもらいたい」との声が寄せられた。
 それに応え、私は、各国の指導者、識者と会って会って会いまくった。
 「あなたと話して、よくわかりました。これからも、見守らせてもらいます」──そう語る人もいた。
 友人をつくろう! 味方を増やそう! 偏見や誤解のある人をも、よき理解者に!
 そう決意して、誠実に、また大胆に、人間革命の希望の哲学を語りに語ってきた。
 あえて大変なところへ行った。急所の人と会った。心を変え、心を結んできた。
20  今、あの国にも、この地にも、我らの友人がいる。同志がいる。世界の多くの指導者が、創価の平和・文化・教育運動に深い賛同を寄せている。
 その一人が、南米、そして世界を舞台に行動を広げておられる、アルゼンチンの「人権の闘士」エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)である。
 博士と私との対談集が、今年の創立の日(11月18日)を記念して、発刊される。〈「人権の世紀へのメッセージ」とのタイトルで『東洋学術研究』で連載されてきた〉
 博士は、正義のため、人権のため、命を賭して軍の独裁政治と戦い、青年の道を開いてきた方である。
 追放、投獄、拷問──幾多の迫害を勝ち越え、乗り越えてきた真情を、博士は私に語られた。
 「臆病に負けてしまえば、人間としての根本条件を失い、暴力と恐怖を生み出す権力に追随するだけの人間に堕落してしまいます。そうはなるまいと私は決めていたのです」
 そして青年への期待を、こう述べられた。
 「青年は諸国民の未来であると言われますが、私はむしろ青年は『現在であり、今日であり、今である』と呼びかけたいのです。
 なぜなら、青年が“今”何をしているか、その現在が未来を決定するからです。未来は、その現在から直結している《結果》です。
 今日、種を植える勇気をもつものが、あした、果実を収穫するのです」
 博士は、SGI(創価学会インタナショナル)の会合等にも出席し、激励してくださった。
 アルゼンチンSGIは、青年部を先頭に、目覚ましい前進を続けている。私は、本当にうれしい。
 今年2月、アルゼンチンの全国青年部幹部会で、博士は、こう呼びかけておられた。
 「大事なことは、皆さんが絶対に『笑顔』と『希望』を失わないことです」
 「なかには、現実を目の当たりにして、希望が消え失せていくような気がする人もいるでしょう。ところが、そうではないのです。『希望』こそ、『変革』するための原点なのです。若い皆さんは、常に希望に燃えて、美しい笑顔をたたえて戦ってください」
 この博士の言葉は、女子部の池田華陽会の皆さん方に対する力強い励ましでもあると、私には思える。
 博士はこうも言われた。
 「女性は、大いなる智慧と勇気の持ち主です」「正義を確立するために団結してください!」
 古代ギリシャの詩人ピンダロスの歌にも、「正義の道を進むあなたは、大いなる福に囲まれている」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)とある。
 日本、そして全世界の池田華陽会の皆さん! いよいよ胸を張って、歌声も楽しく、仲良く朗らかな大前進を、と申し上げたい。
 〈エスキベル博士は、アルゼンチン青年部の幹部会で、こうも語っている。
 「池田SGI会長と創価学会が示す軌道に連なり、訓練を受けられるのが、いかに福運あることか、皆さんには、想像もつかないでしょう。
 創価学会の中で、皆さんは、青年として、池田先生のような師匠を得て、その師匠から価値観や精神性について薫陶を受けられることを感謝すべきです」〉
21  「信教の自由」の擁護のために行動する創価学会青年部に、エスキベル博士のエールは、絶大である。
 「皆さんは、人間の一切の基盤である『人権』と『生命の尊厳』という、実に重要なテーマに取り組んでおります」
 「人権には、すべての民族、すべての人間の『信教の自由』をこそ含めなければならないはずです」
 「私は、皆さんの行動に対する『連帯』の意思を表明させていただきます」
 創価の青年こそ、人権を護り抜く難攻不落の大城たれ!──世界の良識は、こういう思いで熱く見つめていることを、皆さんには知っていただきたいのである。
22  「正義」が勝つ歴史をつくれ!
 エスキベル博士とは、アルゼンチンの民衆詩人ホセ・エルナンデスの不朽の叙事詩『マルティン・フィエロ』についても語り合った。
 その一節を、男子青年部に贈りたい。
 「いかなる土地も戦場であることは、誰もが知っていることだ。
 男として生まれた以上、どこであろうと、しっかりと足を踏ん張るのだ」
 「もし生意気にも誰かが道を妨げようとも、私はわが道を行く。
 男はなすべきことをなさねばならない」
 「人は、受けた恩義を決して忘れてはならない」
 「戦うべき時は、粘り強さがなくてはならない」
 私は、大地を踏みしめ、道を切り開き、今日の世界広宣流布の地盤をつくった。
 どれだけ疲れたか。どれだけ苦しんだか。
 しかし、わが身を犠牲にしても、学会を護り、同志を護り、師弟の道を貫く。そういう人生を歩んできた。
 立場ではない。役職ではない。真の弟子と立つ「一人」がいるかどうかだ。
 戦うべき時に、戦わない。手のひらを返して逃げる。そうした忘恩の人間の末路が、いかに、わびしいか。
 誰が師匠を護ったか。誰が同志を護ったか。誰が勝利を開いたか。
 人は見ていなくとも、天は見ている。歴史が裁く。
 今こそ、青年部は師弟直結で立ち上がってもらいたい。
 ここまで私が言うのは、未来のことを思うからだ。
 私は真剣だ。
 広宣流布の将来が、どうなるか。どうするのか。それを、じっと祈り、見つめ、戦っている。
 人がどうかではない。自分が、必死の祈りで立ち上がるのだ。
 私が入信した当時の学会には、威張るだけの幹部や、後輩を大切にしない幹部がいた。私は大嫌いだった。
 そんな私の思いを戸田先生は見抜かれ、こう言われた。
 「それならば、大作、お前が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、お前の力で理想的な学会をつくれ!」
 その通りに、私は、世界が賞讃する学会をつくり上げた。
 戸田先生と不二の心で、輝く民衆の幸福城を築いてきた。
 今度は若き皆さんが、正義が勝つ歴史を晴れ晴れと築いていただきたい!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
23  理想が高いほど到達点は高い
 迫害のなか、民主主義のために戦った、アルゼンチンの大科学者ウサイ博士は語っている。
 「青年は、崇高な理想をもち、偉業を成し遂げることを考えねばなりません。
 なぜならば、人生というものが常に、志の一端しか実現できないならば、夢見ることが高いところにあればあるほど、より一層高いところまで到達し得るからです。
 今日、獲得されたものは、かつて不可能とされていた青年の夢が現実化したものであります」
 たしかに、戸田先生も言われていた。
 「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる」と。
 わが青年部よ!
 君たちの時代に、人類の希望と輝く、壮大なる連帯を、思う存分、築き上げてくれたまえ!──そう私は託したい。
 〈エスキベル博士はこうも語っている。
 「『平和は実現可能である』との深い確信を持って、池田大作博士は、超人的な忍耐力で、世界各国の青年と対話の場を作り続けています」
 「私はこの今の時代を覆う闇を打ち破る思想として、池田SGI会長の掲げる『人間主義』に深く共鳴するものである。これこそ、天類が進むべき新しき道ではないだろうか。『平和と善の連帯』を地球全体へと広げゆく挑戦は、まさしく喫緊のテーマなのである」〉
24  宿命転換の好機(チャンス)
 仏法では、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「娑婆即寂光」「化城即宝処」など、「即」という甚深の法門が説かれている。
 これは、「迷い」と「悟り」など、正反対の概念を、単なる「イコール」で結ぶものではない。誠にダイナミックな実践論であり、究極の希望の大哲学である。
 広宣流布を目指し、信心根本に進む途上にあって、いかなる難事が競い起ころうとも、断じて打ち破れないことはない。
 その時こそ、「宿命転換できるのだ」「ピンチこそチャンスなのだ」「偉大なる勝利の土台を築くのだ」と大確信に燃えて、勇気ある信心で、妙法という「絶対勝利」の軌道を、前へ前へと進んでいくことだ。
 牧口先生も、座談会などで悠然と語られた。
 「難というものは、どんなに大きな難であろうとも、それは大きな舟に小石を積んだようなものだ」
 一喜一憂する必要はない。
 「冬は必ず春となる」との仰せを抱きしめて、「絶対に乗り越えられる!」「断固として勝ち越えてみせる!」「勝利しないわけがない!」と、一念を定めて祈り抜き、祈り切るのだ。
 大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」と明かしておられる。
 妙法を唱え、妙法に生き、「勇猛精進」していけば、この法理に則り、どんな苦難も栄光に転じゆく「逆転劇」が、必ず必ず開かれるのだ。
 この絶対の確信に立って、永遠の栄光を勝ち取るまで、“わが弟子として、不屈の信心を勇敢に貫け!”と、御本仏は常に励ましてくださっている。
 御聖訓には仰せである。
 「法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい」(同1360㌻、通解)
 「法華経の信心を貫き通しなさい」(同1117㌻、通解)
 勝つまで戦う! 貫いて、最後は必ず勝つ!
 この堅忍不抜の一念で戦い抜いてこそ、無上の栄冠は輝くのである。
25  困難は発展の源
 大実業家であった松下幸之助先生とは、幾たびとなくお会いした。松下先生が繰り返し強調された哲学の一つは“困難こそ発展の源”ということであった。
 「困難に直面した場合には、それから逃げてしまうのでなく、それをのり越えていくよう勇気をふるって立ち向かうことが大切である。そういうところから、思わぬ知恵と力も発揮され、自他ともによりょき成果を得ることもできる場合が少なくない」(松下幸之助著『決断の経営』PHP研究所)
 とくに、松下先生は、どんな事業も、どんな団体も、「10年」を一つのリズムとして、何らかの困難の壁にぶつかる。その時に、全力で立ち向かっていく。その繰り返しのなかで、発展への道が開かれると達観されていた。
 〈松下氏は、池田名誉会長が第三代会長を辞任した翌年の昭和55年(1980年)に会見した直後、「この法難を乗り切れば学会は10倍にも発展する。かつてない難局は、かつてない発展の基礎になる。今こそ全力で先生をお守りし、学会の基礎を盤石にする時だ」と周囲に語っている〉
 ともあれ、御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(御書1124㌻、通解)と御断言されている。
 我々には、御本尊があられる。信心がある。祈りがある。ゆえに、何も恐れるものはないのだ。
 戸田先生は言われた。
 「何があっても、御本尊に祈り抜くと決め切っていくことが、最も立派な哲学である」
 そして「いかなる大難があろうとも、がっちり結束して、学会の大行進を絶対に乱すな!」と。
 異体同心の「祈り」と「団結」で、各方面、各県区の未曾有の広宣流布の大前進を頼みます!
26  私の心には、いつも民衆の声が響いている。そして、恩師・戸田先生の声が轟いている。
 戦後の焼け野原から新たな一歩を踏み出した恩師の胸には、やむにやまれぬ思いがほとばしっていた。
 ──民衆を苦しめるな! 悲しませるな! かわいそうではないか! 絶対に民衆を愚弄させてなるものか!──
 この血涙の叫びに、学会の魂がある。
 だからこそ恩師は、傲慢や虚偽の人間を断じて許さなかった。
 同じ決心で、私も生きてきた。
 「戸田先生に、本当に喜んでもらいたい!」
 「わが同志が、晴れ晴れと胸を張れるように!」「一人も残らず、勝利者になり、幸福者になるように!」
 そう祈り抜き、一心不乱に私は戦った。
 私が第三代会長に就任した時には、立派な会館もない、何もない学会だった。
 あれから、明年で50年。今や、世界に誇る大法城が、各地に、そびえ立つ。隆々たる発展を遂げている。
 これから、さらに大事なのは幹部革命だ。一人一人が、広宣流布の柱だ。柱は、断じて倒れてはならない。
 堕落は、目に見えない「心」から始まる。やがて姿に現れる。
 今、心の底から、新しい決意に立ち、大成長していかなければ、次の時代は開けない。
 一段と信頼される人になるのだ。そして、師匠にほめられる人間に!──これが仏法の極意である。
 ほめられるといっても、一時の表面的なことではない。
 師弟を、わが人生の根幹に据える。人生の第一に定める。師匠が見ていないところでこそ、師と一体で広宣流布に戦い抜く。その人を、師は讃える。
 私は、この道を貫いた。ゆえに、激しい迫害の嵐を越えて、私は勝った。戸田先生とともに勝ったのだ。
 さあ創立80周年へ、自分自身の楽しき勝利劇を綴りゆこう!
 祈りこそ力だ。今の決意が未来をつくる。戦いがあるから、人生はおもしろい。
 何でもいい、何かで「一歩前進した!」「私は勝った!」「わが家は勝利した!」と万歳を叫べる行進を、一人一人が開始してまいりたい。
27  自分が強くなれ
 この10月31日から、「日本オーストリア交流年2009」を慶祝し、東京富士美術館で「ハプスブルク帝国の栄光──華麗なるオーストリア大宮殿展」が開幕する。
 〈池田名誉会長は、1992年、オーストリアの国家勲章「学術・芸術最高勲位栄誉章」を受章している〉
 ハプスブルク家は、ヨーロッパに勢力を拡大し、13世紀から、実に600年以上にわたって広大な版図を統治した名門王家である。
 私も、かつて、東京富士美術館に展示された、ハプスブルク家出身の有名な皇帝マクシミリアン1世の凱旋の様子を描いた版画を鑑賞したことがある。
 素晴らしい、荘厳な絵であった。
 我ら創価学会も、かくの如き、民衆勝利の凱旋をと、深く心に期した。
 オーストリア出身の欧州統合の父クーデンホーフ・カレルギー伯爵は述べられた。
 「人物の偉大さはその強さにある」(鹿島守之助訳『実践的理想主義』鹿島研究所出版会)
 まず自分自身が強くなることだ。そして、ともに進む一人一人を強くしていくのだ。
 今こそ、創価の万代にわたる勝利を開く、凱旋の歴史を飾っていこう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
28  非難をするより実行の人が偉大
 この版画「皇帝マクシミリアンの凱旋」の作者は、大画家として歴史に輝くデューラーである。
 卓越した者の常として、デューラーもまた、嫉妬ゆえの非難を受けた。しかし彼は、毅然と綴っている。
 「より良きものを作ることよりもあることを非難することの方が容易いことを、私は知っています」
 〈デューラーの言葉は下村耕史訳「ヴィリバルト・ピルクハイマーへの献辞」、前川誠郎訳・注『デューラーの手紙』所収、中央公論美術出版から。以下同じ〉
 その通りである。
 自分は何もしないで、人を非難する。そして自分は賢いと錯覚する。それほど卑怯な姿はない。
 一歩でもよい。自分労苦と努力で、広宣流布を進めるために、道をつくっている人が最も偉大なのである。
29  デューラーは、自らが勝ち取ったものを、借しげもなく、後輩たちに広く伝え、青年たちの成長に役立とうと努力した。そのための書物に寄せて一文を草した。
 「苦労と仕事を重ね、しかも生計を無視しながら、多くの時間をかけて考案された私の教えが、[本書で]若者たちに伝えられれば、彼らが喜んでそれを自己の改善に役立てることは、疑いないことと思います。というのも自分の知識が増せば増すほど、私はそれを彼らに一層よく伝えたいと思うからです。私としてはそれが少しでも彼らの役に立つことを望んでいます」
 ここに、人間としての偉さがある。
 私も、生命を削る思いで、後継の青年たちのために語りに語り、書きに書いている。
 さらに、デューラーは、こんな言葉も残している。
 「つねに他人に従うだけで、自己の能力からより良いものやそれ以上のものを求めようとしない人を、粗末な知性の持ち主と私はみなす」
 人に言われるまま、現状のままでよしとする、事なかれ主義や受け身がはびこれば、進歩も、創造もなくなる。厳重に戒めねばならない悪弊である。
30  正しい道を進め
 オーストリアといえば、19世紀から20世紀に活躍した、大音楽家マーラーがいる。
 彼は、知人への手紙に、自身の信条を、こう記している。
 「皆が我も我もと声を上げるこのおそるべきご時勢では(演奏を始める前のオーケストラ各パートの『声部』みたいだ)、自らもまた声を上げるのが不可欠になる」
 〈マーラーの言葉はヘルタ・ブラウコップフ編、須永恒雄訳『マーラー書簡集』法政大学出版局。以下同じ〉
 芸術家らしい表現である。
 わが学会も、リーダーが、大きな声、堂々たる声、明晰な声で友を励まし、そして強気で、真実を語り抜いていくことだ。
 マーラーは、こうも書いた。
 「僕は正道を行って、誰をも懼れはしない」
 正義は恐れない。
 マーラーは力強く述べている。
 「地に足をつけて一歩一歩交互に踏み出すこと──そのようにしてこそ先へ進めるのだ」
 新たな勝利に向かって、確かな一歩また一歩を、快活に踏み出してまいりたい。
31  中国の哲人指導者・呂新吾りょ・しんごの言葉に、こうあった。
 「断固行動する人物は、忙しそうにみえても、心には常に余裕がある。
 ぐずぐずして決断できない人物は、暇があるようにみえても、心には常に疲れがたまっている」
 「頭も体も、常に使っていなければならない。頭は、使えば使うほど明晰になるし、体は、使えば使うほど強健になる」(ともに守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)
 広宣流布の指導者として、勇気凛々と題目を唱え、威風堂々と指揮を執ることだ。
 いよいよ健康になり、智慧を光らせていくことができるのだ。
32  真の知識人とは人類に尽くす人
 本日(9月30日)、私たちの大切な友人であるマレーシアのアブドゥラ・バダウィ前首相ご夫妻が、創価大学を再び訪れてくださっている。
 今年の2月には、マレーシア公開大学の総長でもあるジーン・アブドゥラ夫人が、同大学から私に対する名誉人文学博士号授与のため、わざわざ来日してくださった。
 ご夫妻そろっての創大への訪問は、今回が2度目となる。
 マレーシアと創価大学の友好は、うれしいことに、年を重ねることに深まり、教育・学術交流も、ますます進んでいる。両国の懸け橋となる優秀な卒業生たちも数多く羽ばたき、活躍し始めている。
 昨年の5月、首相とともに来日された夫人は、創価女子短期大学で、こう語っておられた。
 「真の知識人とは何か。それは、自らの知識を、人類に奉仕するために使うという“智慧”を備えた人だと思います」
 まさにその通りである。そして、その賢明な智慧の輝きと、深き愛情によって、多くの人々を照らし、励まし、幸福にしてきたのが、わが創価の女性たちであり、健気なる母たちである。
33  「母」の晴朗さは不和に打ち勝つ
 ここで、マレーシアの国民詩人ウスマン・アワンの詩のを紹介したい。
 「我々がどれほど、我が身を捧げ、献身しようとも、我々を生んでくれた母の愛には、はるかにおよばない。
 母の愛は、無限であり、それは、人間性のもっとも純粋で、輝かしいものであるから」
 婦人部の方々に、「いつも本当にありがとう!」と、皆で最敬礼し、感謝を捧げたい。
34  ドイツの大哲学者ヤスパースが母を讃えた言葉がある。
 私には、学会婦人部の皆様の姿と重なり合って迫ってくる。
 「(母は)あらゆることを支える力であった。母の立派な魂と超克できない困難はありえないほどの毅然たる態度とが、私たちの支えになった。
 彼女の晴朗さがどんな不和にも打ち勝った。私たちは母が元気を失ったところを見たことがない」(林田新二訳、ハンス・ザーナー編『運命と意志』以文社)
 母は強く尊い。広布の母は、何よりも尊く強い。
 哲人ヤスパースは、さらに語った。
 「(病気や不愉快、不満が)現実生活を乱す場合、母は、人を元気づけ生活の楽しみを再び進行せしめるような調子を見いだした。(中略)私たちを力づけるような言い方をし、その周囲を彼女の喜びで充たし、くじきえないほどに溌剌としていた。
 母がいると私たちは、どんな不信によっても不安によっても脅かされることのない、安全だという気持ちになることができた」(同)
 まさに、創価の母たちの振る舞いであると私は思う。
 我々は、どこまでも女性を尊重し、大切にしながら、座談会を中心に進むのだ。
35  「座談会」こそ学会の推進力
 「原点」を大切にする組織は強い。創価学会の原点は座談会にある。座談会こそ、学会の「推進力」であり、広宣流布の「勝利の根本」であるといってもよい。
 友人の方々が、楽しく集える座談会。新会員が元気になる、和楽の座談会。普段なかなか会合に参加できない人が来ても、「本当に来てよかった」と納得する座談会──そのために、徹底して相談し、それぞれの地域、組織の特長を生かせるよう、中身を考えていただきたい。
 座談会を迎えるまでの活動が大切だ。リーダー率先の、一軒一軒への励ましが、当日の充実した集いとして結実するのである。
 座談会会場を提供してくださる方々には、いつも、さまざまなご苦労をおかけしている。私は妻とともに、日々、心から感謝の題目をお送り申し上げている。会場提供者への配慮を決して忘れてはいけない。
 また、会場には多くの人が出入りする。近隣への配慮も不可欠である。
 ともどもに、「大座談会運動」の大波を起こそう! そして明年へ、世界一、希望と喜びに満ちた創価家族のスクラムを、さらに拡大してまいりたい。
36  結びに、婦人部の皆様方へ、
  偉大なる
    広布の母に
      栄光あれ
 と捧げたい。そして全同志に、
  偉大なる
    勝利の道を
      築かむと
    師弟の栄光
      いやまし光りぬ
 と詠み贈って、記念のスピーチとしたい。
 いよいよ、続々と、新しいリーダーが躍り出る時だ。
 まずリーダー自身が、最前線を走って走って走り抜く。正義と真実を、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いて戦うのだ。
 壁を破ってこそ青年だ。後継者である。
 聡明に、希望と幸福のスクラムを広げていただきたい。
 鉄の団結で進もう! 私と一緒に戦おう! 勇気をもって!

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