Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新時代第30回本部幹部会 全国婦人部幹部会、全国学生部幹部会

2009.6.16 スピーチ(聖教新聞2009年下)

前後
2  「すごいな」と仰がれる闘争を
 海外から参加された皆さん、本当にご苦労さま! ようこそ!
 はるばると、遠いところから、よく参加してくださった。立派な方々である。
 海外はじめ、遠方から集ってくださった方は、最大に大事にしてまいりたい。盛大な拍手を送ろう!
 また、きょうは婦人部の幹部会、おめでとう!
 折伏でも、拡大の戦いでも、一番、結果を出してくださっているのは婦人部である。
 もちろん男性も頑張っているが、やはり婦人部にはかなわない。
 ここで、婦人部の皆さんに最敬礼し、最大に感謝したいと思うが、どうだろうか。
 〈壮年部・男子部の代表が立ち上がり、心からの感謝を述べた〉
 男性のリーダーは、婦人部や女子部の尊き奮闘を、最大にほめ讃えていくべきである。
 かりにも女性に対して威張ったり、叱ったりするようなことは、絶対にあってはならない。これは、戸田先生が厳しく言われていたことでもあった。
 どこまでも女性を守り、大切にする──これが男性の最高の礼儀である。人格の表れである。「ナイト(騎士)の精神」である。
 また、芸術部の皆さんも、ありがとう!
 芸術部は、正義のため、同志のために、本当によくやってくださっている。多くの人々から賞讃の声が寄せられている。
 広布のリーダーの皆さんも、多くの人々から「すごいな」「よくぞ、ここまでやっているな」と仰がれ、諸天善神から讃えられる、日々の闘争であっていただきたい。
 男女青年部も、ご苦労さま!
 学生部も、よく頑張ってくれている。
 女子学生部の健闘も光っている。
 青年部、とくに男子の諸君は、草創の不惜身命の精神を永遠に忘れないでもらいたい。
 スポーツ部の皆さんも、ようこそ! 皆さんの活躍は、よくうかがっています。お元気そうで、本当に、うれしい。
3  若い力を伸ばせ
 本年は、ここ八王子の美しい夕焼けを歌った有名な童謡である「夕焼け小焼け」の歌詞が誕生して、ちょうど90年である。
 「夕焼け小焼け」は1919年(大正8年)、八王子出身の詩人・中村{雨紅}(うこう)が青年時代に作詞したものである。彼は当時、東京・荒川で小学校の教員をしていた。
 中村雨紅は、ある詩の中で、成長しゆく若き勇敢な心を生き生きと歌っている。
 「今に見ていろ 驚くな/青空までも伸びあがり/立派な 大きな木になるぞ」(『中村雨紅詩謡集』世界書院)
 青春時代、こうした詩をいくつも暗記したことが懐かしい。
 大事なのは若き力だ。青年部だ。皆さんは、どんなに大変な状況にあっても、「じっとこらえて、今に見ろ!」の心で戦っていただきたい。
 また、若い力を伸ばすのが、本当に偉い人である。
 壮年・婦人部のリーダーの皆様は、次の時代を考えて、青年を育てていただきたい。それこそ、わが子以上に慈愛を注ぎ、励ましを贈り、真心と誠意を尽くして面倒を見てあげてほしい。
 そして自分も、生涯、青年の心意気で進んでいく。この決意が大切である。
 私も、これまで、その思いでやってきた。
4  矢面に立って
 近代日本の大文豪である森鴎外。彼は青年時代、東京・足立に住み、医師として活動した。
 「鴎外」という名前は、足立区千住の地域を指すともいわれる。
 きょうは、足立のメンバーはいるだろうか?〈足立の代表から元気な返事が〉
 足立は、自分の「足」で、堂々と「立」っていただきたい。
 森鴎外は、逆境の中での信条を、こう綴っている。
 「打タルルモノハ或ハ名刀トモナルベシ」(『鴎外全集第36巻』岩波書店)深い意味のある言葉だ。
 私は19歳の青年時代から、ずっと戸田先生という大師匠に仕えてきた。
 先生は、正義を貫くゆえに、難が起こり、敵が襲いかかる。そのたびに、私は矢面に立った。
 理不尽な悪口や中傷で、自分が打たれ、たたかれても、わが師を護り抜いた。
 臆病な、ずるい人間は、すぐに逃げ、自分だけ、いい子になろうとする。これが世の常である。
 しかし、真の弟子は、そんなことは眼中に置かない。
 御聖訓には仰せである。
 「鉄は、炎に入れ熱して打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである」(御書958㌻、通解)
 鉄は炎の中で鍛えられてこそ、鋼となる。見事な剣となる。人間も同じであろう。
 人生は、苦労したほうが勝ちだ。悔しい思いを乗り越えた青年が、最後は勝利するのである。
 これは、私自身の強い実感である。
 青年時代から、私はあらゆる苦労を乗り越えてきた。
 戦後、事業が挫折し、四面楚歌に陥った戸田先生を、私は一人、支え抜いた。
 先生の会社は、膨大な借金。私は肺病だった。その中で、私は一切を戸田先生に捧げて戦った。
 前も敵。後ろも敵。誰も頼れない。私がいなければ、先生はどうなっていたかわからない。それほど厳しい状況だった。
 明日をも知れぬ、絶体絶命の危機を、偉大なる信心の力で、不二の師弟の闘争で、劇のごとくに大転換させた。
 あの時の闘争があるからこそ、今日の学会の発展があるのである。
5  師匠のために
 戸田先生の後を継ぎ、若くして第三代会長に就任した後も、私はあらゆる嫉妬の虚言を浴びせられた。迫害の連続であった。
 しかし、その中を、敢然と戦い抜いてきた。先頭に立って、世界広布の道を切り開いてきた。
 そして私は、師匠の偉業を全世界に宣揚した。恩師の偉大さを、語りに語ってきた。
 今、世界が戸田先生を讃える時代となったことは、皆様がご存じの通りである。
 〈イタリアやブラジルなどに戸田第二代会長の名を冠した道路や公園が誕生。戸田会長の偉業を讃える顕彰が各国で行われている〉
 師匠を守り、師匠のために、すべてをなげうって戦う。これが真実の弟子だ。本当の師弟の姿だ。
 いざという時にこそ、本気になって立ち上がるのだ。意気地なしであってはならない。
 ともあれ、皆さんの力で、新時代の勝利の歴史を築いていただきたい。
 頼むよ!〈会場から「ハイ!」との返事〉
6  近代日本の青年詩人・八木重吉(1898〜1927年)をご存じだろうか。
 彼は、東京・町田の出身である。
 町田から来た方は、いますか?〈会場から力強い返事が〉
 本当に美しいものを求めで求め抜いた、清冽な詩人である。
 彼の詩の一節を紹介したい。
 「若きこと だんぜんとして すべてにまさりてみゆる」(『八木重吉全集第1巻』筑摩書房)
 若さゆえの未熟さもある。それでもなお、若さはすべてに勝ると詩人は見る。
 青年の力こそ、何ものにも勝る、勝利の力である。
 戸田先生も、青年以外、信じなかった。
 古参の幹部には、戦時中の弾圧に屈した、ずるい人間もいた。
 先生は厳しく見ていた。ゆえに、青年に未来を託された。
 そこで立ち上がった青年部の代表が、私であった。
 常に新しい戦野を切り開き、最高の勝利をつかんだ。
 信心の戦いで勝ったのである。
7  きょうも向上!
 八木重吉は、師範学校や中学校で教師を務めながら、人生の道を求める青年の心を詩にうたいあげた。
 結核にがかり、29歳の若さで逝去するまでの間、書いて書いて、病床に伏しても書いて、数多くの詩を残した。
 青春の生命を燃やし尽くした、その純粋な文学は、今も人々の心に静かに語りかけ、感銘を与えている。
 彼は日記に記した。
 「『感謝』の無い生活、向上の無い生活は死である。『向上』そのものが強味だ」(『同全集第3巻』)
 感謝を忘れず、向上を続ける人が光る。
 向上しよう! その心をもつ人は強い。
 同じ生きるなら、「最高の何か」のために生きるのだ。
 人類の平和と幸福に尽くし抜く妙法の流布こそ、まさしく最高の生き方なのである。
 「自らを錬ふるは今日に在る。人生は『今日』の連続だ」(同)これも八木重吉の信念の言葉である。
 人生の勝利は、きょう一日を勝つところから始まるのである。
 きょう、ここには、ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)ドクター部の副部長、マリア・デ・ナザレさんも参加されている。
 最優秀の医師であるナザレさんは、スイスでの国際会議の前に、わざわざ日本に立ち寄ってくださった。世界広布の功労者の一人である。
8  さて、八木重吉が師範学校時代の教え子にあてた手紙には、こう綴られていた。
 「希望のつばさ、理想のつばさへ乗って勇ましくかけりなさい。渾心のちからをふるひおこして」
 「ゆきなさい。すすみなさい。ただただ、どんなときどんなことがあらう共、その純な眸のかがやきを失わぬ様にしてくれ」(ともに『八木重吉全集第2巻』)
 私もまた、「君よ、あなたよ、青春の誓いのままに、まっすぐに勇敢に戦い抜け!」と申し上げたい。
 詩人の呼びかけは、強く響く。これも、教え子の将来を、深く思いやるゆえである。
 詩人は、人生を勝ちゆく方程式を教えてくれているのである。
9  近代日本において広く読まれた作家の一人に、徳冨蘆花がいる。名作『自然と人生』を、私も青春時代に繙いた。読書ノートに、その一節を書き写したことも懐かしい。
 彼は1906年、尊敬するロシアの文豪トルストイの故郷、ヤースナヤ・ポリャーナを訪問する。トルストイと会見し、文学における日露交流の歴史を刻んでいる。
 〈名誉会長は、このトルストイの故郷にあるL・N・トルストイ記念トゥーラ国立教育大学から、昨年4月、名誉教授称号を受章。
 トルストイの直系の玄孫(孫の孫)であるウラジーミル・トルストイ氏(国立記念自然保護区・L・N・トルストイの屋敷博物館“ヤースナヤ・ポリャーナ”館長)とも交流を重ねている〉
10  徳冨蘆花は、東京・世田谷の地域を愛し、長年、文学と人生の拠点としたことでもよく知られている。
 彼の『思出の記』には、こうあった。
 ──世が進んでくると、すべてのことが立派に組織的になり、また悪くいえば機械的になってくるだけ、「師弟の情義」や「朋友の切磋(学徳をみがくこと)」といったものが、とかく乏しくなりやすい──と。
 一流の人物の眼は鋭い。深くかみしめるべき言葉である。
 「いかなる時代になろうとも、学会は、断じて師弟を忘れてはならない」「永遠に、麗しい同志の励ましのスクラムであれ!」と強く申し上げたい。
11  勇気あれ!
 同じく、近代日本の文豪に、国木田独歩がいる。
 彼が愛した武蔵野の天地は広範にわたる。
 名作『武蔵野』には、武蔵野の詩趣を描くのに欠かせない地域の一つとして、また武蔵野の水流が走る地域の一つとして、東京の目黒が挙げられていた。
 国木田独歩の『欺かざるの記』も、わが青春の一書である。
 彼は述べている。
 「勇気あれ、善を行うにためらう勿れ」(『欺かざるの記』潮文庫、現代表記に改めた)
 これこそ、学会のいき方である。我らは正しい。絶対の確信で前進してまいりたい。
 ある著名な知性の人が、こう語っていた。
 ──今や、創価学会だけが残った。日本一の富士山のごとく、聳え立っている。本当にすごいことだ。創価学会ほど、世界で認められ、発展している宗教団体はない。文化団体はない。これは、学会の理念が正しいという一つの証左であろう、と。
12  互いを讃え合え
 明治から昭和にかけて活躍した文豪・幸田露伴。
 露伴は、明治の文壇に登場し、天下の人気を集めて黄金時代を築く。東京・墨田にも居を構えた。教育にも貢献し、新しい人材を育てていった。
 露伴は、「士は己を知るもののために死す」との古語とともに、次のように述べている。
 「自己の手腕や精神を認識了知して貰うということは、最第一の満足であり愉悦である。之に反して最善を尽して執務して居るにもかかわらず、之を認めて貰え無かった場合には最大苦痛を感ぜずには居られ無い」(「修省論」、露伴全集第28巻』所収、岩波書店、現代表記に改めた)
 人情の機微に触れた言葉だ。私たちもまた、互いの努力を認め合い、讃え合う連帯であらねばならない。
 露伴は指摘する。
 「努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない。努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である」(「努力論」、『同全集第27巻』所収、岩波書店、現代表記に改めた)
 いい言葉である。
 大事なのは、努力である。
 努力をせず、偉そうに見せるのは、偽者である。悪賢い人間だ。そうした者にリーダーになる資格はない。
 立場が上になり、担う責任が大きくなるほど、一段と努力する。生ある限り、努力し抜いていく。そういう皆さんであっていただきたいのだ。
 私も、そうしてきた。今も努力している。
 努力──ただ、ここにのみ、勝利の証しがある。真の美しさがある。悔いのない人生がある。
 努力しよう! 広宣流布を成し遂げるという最高の努力を!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
13  学べば自分が大きくなる
 さらに、語っておきたい。後世のために。大勢の人たちのために。
 幸田露伴の次の言葉を、学生部の皆さんに贈りたい。
 「人学べば則ち漸く大、学ばざれば則ち永く小なのである」(同)
 露伴自身が学び究めた東洋の文学・哲学の幅広い教養は、人々から深く尊敬された。その作品は、青年の精神を豊かにし、大きくする滋養ともなった。
 なお、幸田露伴の子孫の方々も、これまで聖教新聞に登場されている。
 心より感謝申し上げたい。
14  最後に勝つのが本当の成功
 次に、江戸時代の文豪・滝沢(曲亭)馬琴の作品に触れておきたい。
 彼は東京・荒川の天地を愛し、親しんだことでも知られている。
 「善に味方して悪を討つという義兵(=公的な正義を貫くための戦い)としての意義をお忘れか」
 「最終的に勝つことこそ本当の成功である」(徳田武校注・訳『近世説美少年録』小学館)
 途中で何があろうとも、正義は、最後に必ず勝たねばならない。
 善が栄え、正義が勝つ社会。これこそ、古今変わらぬ民衆の願いであった。
 これを我らは実現しようとしている。
 ゆえに、庶民に深く同苦する偉人や賢人たちは、皆、学会に味方するに違いない。
 学会をほめ讃え、「私がやりたかったことを、見事に実行してくれている」──そう感じることだろう。
 馬琴の小説には「悪人の、恩義を思わない邪悪な本性」(同)との一節もあった。
 恩知らずが、邪悪な人間の正体である。
 そうした人間に騙されてはならない。誑かされてはならない。
 賢明に見破り、非を糾し、信心の利剣で断じて打ち破っていかねばならない。
15  現在、私は、インドネシアの元大統領であるワヒド博士と対談を進めている。
 ワヒド博士は、インドネシアを代表するイスラム指導者である。
 〈「イスラムと仏教を結ぶ語らい」として各界から注目を集めている〉
 女性解放の先駆者 カルティニ
 「私の心底 好きな乙女は
 自分ひとりの安穏だけでなく
 社会と人類の向上について
 努力をおしまぬ女性です!」
16  信念に生きればわが心は安らか
 さて、インドネシアの“女性解放の先駆者”といえば、カルティニ(1879〜1904年)が有名である。
 インドネシアの“民族独立の母”とも敬愛されている。
 この先駆の女性が、ちょうど女子学生部の皆さんと同じ年代の時であった。
 一人の婦人が心配して、彼女に、こう問いかけた。〈以下、カルティニの言葉は牛江清名訳『暗黒を越えて──若き蘭印女性の書簡集』日新書院から引用。現代表記に改めた〉
 「道を切り開き、道を探しにかかる開拓者の運命は、何時の世にも必ずひどい苦労の多いものであることを貴女は承知していらっしゃるの」
 「誹謗と不満が跡をたたず おしよせるものです」「侮蔑が貴女を手ひどく圧迫することを承知していらっしゃるの」
 若きカルティニは、決然と答えた。
 「ええ知っておりますわ」
 「(わたしは)恐ろしいと思うことも、身震いすることもありません。わたくしは心安らかで、実に勇敢であることができるのでございます」
 まさに、彼女は、創価の女性たちのような信念強き人であった。
 婦人部、女子部の皆さんは、何があろうとも、朗らかに友好を広げ、敢然と勝利の道を開いておられる。
 男性は、広布に戦う女性を心から尊敬していかねばならない。あらゆる障魔から護っていかねばならない。
 その心があるところには、本当の異体同心ができる。また、それが、正しい人生の真髄である。
 男性の皆さん、頼むよ!
17  転換期に生まれ合わせた幸せ!
 カルティニは、民族独立の未来を展望して、次のように語っている。
 「婦人がたちあがるのです。変革の時代、旧時代から新時代への転換期に生れ合わすことのできるわたし達は、なんと幸いなことでしょう」
 簡潔だけれども、いい言葉である。
 正義のために、新しい社会への変革のために戦える。それは幸福な充実の人生である。
 きょうは関西から、山下以知子関西婦人部長も参加している。
 関西婦人部は、日本一の婦人部の模範である。
18  スピーチも長時間になったので、ここで、皆、一度立って、万歳三唱をしよう。
 一回は「創価学会、万歳!」。もう一回は「自分自身の一家の繁栄、万歳!」を。
 〈全員が立ち上がり、万歳三唱を2度、行った〉
19  家柄を誇ることなど愚かだ
 カルティニは、自身の信条を、こう記している。
 「婦人こそ人間の福祉を、もっともよく進める助けとなることができる」と。
 その通りであろう。
 女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる。
 語った分だけ、真実と正義が広がる。
 女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力なのである。
 さらにカルティニは綴っている。
 「家柄を誇るなどということほど愚かなことはないのです」
 「いたずらに地位を誇示したところで、そういった人たちはそれだけで一体 何処に功績があるというのでしょう」
 大切なのは、人のため、社会のために、何をしたかという行動である。実績である。
20  女子学生部よ! 使命に生き抜け
 さらに、カルティニの言葉を紹介したい。
 これも、女子学生部の皆さんと同じ年代の時のものである。〈女子学生部の代表から「ありがとうございます!」との声が〉
 いい声だね。声は“心”である。声は“力”である。
 彼女は語った。
 「わたくしがしんそこから好きな乙女は、闊達な歩調で、心ほがらかに生活の道を進み、熱情をかたむけ、ひたむきに打ち込む方です。
 自分一人の安穏ばかりを心がけずに社会の、ひいては全人類の向上ということにも努力を借しまぬ女性なのです」
 偉大な先哲は、また指導者は、鋭く本質を見抜いて、後世に言葉を残し、理念を留めているものだ。
 カルティニが「私の好きな乙女」として描いた理想の女性像──それは、まさに女子学生部の皆さん方のことである。
 皆さん方を讃えているのである。
 皆さんは、どんな生き方もできる自由な若い年代にあって、自ら選んで広宣流布のために行動している。
 悪口されることも覚悟のうえで折伏し、学会活動に取り組んでいる。
 すごいことだ。ありがたいことだ。
 尊き使命の女子学生部を皆で護っていこう!
 カルティニは言う。
 「新しい時代を想うとわたくしの胸はよろこびに燃えたつのです」と。
 新しい、正しい社会の建設に立ち上がった、女子学生部の皆さん、本当にご苦労さま!〈「ありがとうございます!」と会場から返事が〉
21  カルティニの胸中には、無限の希望が輝いていた。
 彼女は語っている。
 「よく闇夜の後には輝かしい朝があけるものでございます」
 「人生は自然界の状態とまったく軌を一にしているのでございます」
 妙法に生き抜く創価の女性の生命は、「幸福の太陽」と輝く。
 どんな苦難も乗り越えて、必ず希望の朝を開くことができる。必ずや栄光の明日を勝ち飾ることができるのである。
22  師を深く信じよ
 日本が世界に誇る古典芸能の一つに、「能」がある。「能」を大成したのは、言うまでもなく世阿弥である。芸術の巨人というべき存在であり、彼の「初心忘るべからず」との言葉は、あまりにも有名だ。
 イギリスの歴史学者であるトインビー博士も、初めて日本を訪問した際、最も魅了された文化の一つが「能」であったと、懐かしそうに、私に語っておられた。
 世阿弥は、時の権力者によって逆境に立たされる。
 しかし、その苦難をも糧として、後世のため、不滅の芸術論を数多く書き残していった。
 世阿弥は、『{花鏡}(かきょう)』という著書に記している。
 「先、師の云事を深く信じて、心中に持つべし」(表章・加藤周一校注『日本思想大系24 世阿弥 禅竹』岩波書店)
 まず、師の教えを深く信じて、わが心に持つべきである。
 これは、なんでもないことのように聞こえるかもしれない。しかし世阿弥は、非常に重要な急所を押さえていると思う。
 今日まで、600年以上の歴史を刻んできた能には、師から弟子への、絶え間なき薫陶が光っている。
23  陰徳は陽報に!
 私は、かつて関西のある同志に対し、次の言葉を扇子に書いて贈ったことがある。
 「師匠の恩は 山よりも高く 海よりも深し
 同志の愛は 月光の如く 美しく消えず」
 昭和31年(1956年)──私が28歳の時である。
 また、同じ年の5月、私は関西の婦人部の方に書き送った。
 “陰徳あれば、陽報があらわれます。これが、仏法の因果の理法であります”
 “仏法の根本は、師弟より出発します。大聖人の仰せの実現のための、戸田先生の闘争なれば、勇んで堂々と、師匠の期待に添う戦いを展開しよう”
 その通りに戦い、関西は勝った。そして永遠に勝っていくのだ。
24  イギリスの「海の英雄」といえば、誰だろうか。〈東京青年部の代表が「ネルソンです」と答えた〉
 その通りだ。
 イギリス艦隊を率いたネルソン提督は、ナポレオンとの歴史的な激戦に勝つ(1798年の「ナイルの海戦」と1805年の「トラファルガーの戦い」)。
 この名将のモットーは何であったか。
 彼は「信仰と努力」という言葉を大切にしていたという(松本赳編習『ネルソン言行録』内外出版協会)。
 きょうは、“創価の海の英雄”である波濤会の皆さん、ご苦労さま!
 波濤会の方々が来られるとうかがっていたので、激励のために一言、申し上げておきたかった。
 人生において、「信仰」と「努力」こそ無敵の力である。勝利の道は、これ以外にない。学会は、正しい道を進んでいる。
 皆で立派な歴史をつくるのだ。決して一歩も引いてはならない。
25  法華経の行者は誰よりも偉大
 ここで御書を拝したい。
 「法華経を持つ人は、男性ならば、どんな身分の低い者であっても、三界の主である大梵天王、帝釈天、四大天王、転輪聖王、また中国、日本の国主などよりも勝れている。
 ましてや、日本国の大臣や公卿、源氏や平家の侍、あらゆる人々に勝れていることは、いうに及ばない。
 女性ならば憍尸迦女きょうしかにょ(帝釈天の妃)、吉祥天女(インドの女性神)、あるいは漢の李夫人(武帝の夫人)、楊貴妃などの無量無辺の一切の女性に勝れている」(御書1378㌻、通解)
 皆様方がどれほど尊貴であるか。広宣流布に前進する皆様方こそ、どんな大王よりも偉大なのである。これが仏法の眼である。
 また大聖人は、愛弟子に仰せになられた。
 「強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金百と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい」(同1118㌻、通解)
 世間の悪口罵詈などはね返して、堂々と“自身のよき名を流布せよ!”と励まされたのである。
 私は、牧口・戸田両先生の弟子として、あらゆる三障四魔、三類の強敵を勝ち越えて、“創価の師弟が一閻浮提から讃嘆される時代”を、晴れ晴れと開いてきたつもりである。
 御聖訓には、「日天(太陽)が朝、東に出て、大光明を放って、天眼を開いて全世界をご覧になるのに、そこに法華経の行者があれば心に歓喜し、法華経の行者を憎む国があれば、(日天は)眼を怒らして、その国を睨まれ……」(同1380㌻、通解)との一節がある。
 諸天は、創価の陣列を讃えに讃え、護りに護る。私は諸君に、「誇り高く、勝利の旗を打ち立てよ!」と申し上げたい。
26  フランス学士院講演から20周年
 ちょうど20年前の1989年6月。
 私はパリのフランス学士院を訪れ、「東西における芸術と精神性」をテーマに講演を行った。
 フランス学士院は、創立から370年を超える伝統と格式を誇る、世界第一級の英知の殿堂である。
 会場には、アカデミー会員である一流の識者が詰めかけていた。
 私の一言一句に注目していた。
 講演には、私の妻とヤマザキ欧州名誉議長も同席していた。
 ヤマザキ君は、誇らかに、蝶ネクタイをきりりと結び、礼装に身を包んでいた。
 「私の師匠である池田会長は、皆さん方、ヨーロッパ最高峰の知性を前に、最高の講演をしてくださる!」──そのように彼は、かねてから語っていたようだ。
 私は、仏教の「縁起」「空」の思想や法華経の明かした生命のダイナミズムなどに触れつつ、「精神革命」の道を論じた。
 通訳も難解な仏教用語の翻訳など、本当によく頑張ってくれた。
 私が最後に、芸術を讃える一詩を捧げ、講演を終えると、盛大な拍手が響き、しばらくの間、鳴りやまなかった。
 〈列席者からは「仏教の真髄に初めて触れた気がする」「詩的な美しさに満ちた英知の言に敬意を表したい」など、次々と賞讃の言葉が寄せられた〉
 その会場となった学士院会議場の壁には、フランスの大詩人ラ・フォンテーヌの彫像が飾られ、私の講演を見守っていた。
 フランス学士院の会員でもあった、この詩人は綴っている。
 「団結していなければどんな力も弱い」
 「見なさい」「一致協力の結果を。力をあわせるのだ」(今野一雄訳『ラ・フォンテーヌ寓話 上』岩波文庫)
 異体同心の団結こそが勝利の力だ。これが世界共通の真理なのである。
27  6月と言えば、イギリス・スコットランドの名門グラスゴー大学から名誉博士号を授与されたのも、1994年の6月のことであった。
 今年で15周年の佳節を迎える。
 〈世界の大学・学術機関から名誉会長に贈られた名誉学術称号は、現在、「256」に。決定通知を含めると「282」に及ぶ〉
 厳粛な式典であった。マンロー評議会議長が「推挙の辞」で、光栄にも私の「滝」の詩を朗読してくださったことも、忘れることができない。
 「滝の如く 激しく
  滝の如く 撓まず
  滝の如く 恐れず
  滝の如く 朗らかに
  滝の如く 堂々と
  男は 王者の風格を持て」
 この詩のように、王者の風格で「何か」をやり遂げるのだ。
 「あの人がいるから勝った」「組織が強くなった」「あの人のおかげで、人生が素晴らしい方向に変わった」──そう讃えられる皆さんであっていただきたい。
28  勝利の青春を!
 スコットランド出身の歴史家カーライルが、学生に呼びかけた言葉を紹介したい。
 「年若い諸君が、わたしの言葉を信じてくださるなら、わたしは諸君の過ごしているのは人生の黄金の季節である、と申し上げたい」
 「総じて諸君は、悲しみや矛盾にうち負かされず、目標に向かって突き進むべく決然と立ちむかい、それを恐れることのないように、と申し上げたい」(高村新一訳『カーライル選集5』日本教文社)
 学生部の皆さん! 黄金の学生時代に、学業も、就職も、広宣流布の闘争も、勝利で飾ってください!〈「ハイ!」と返事が〉
29  戸田先生は教えてくださった。
 「人を育てなさい。それには、君自身が戦うことだ。君が立派になることだ。それ以外ないよ」
 人に「やらせる」のではない。まず自分が立ち上がるのだ。
 自分が戦った分、後輩も成長する。人材を育て、人材で勝つのだ。
30  環境運動の母と讃えられるアメリカの未来学者ヘンダーソン博士は、学会の婦人部、女子部を深く信頼して、こう語られた。
 「人々の幸せのために、日夜、奔走される創価の女性たちを、私は、心から尊敬しております。私たちは、創価の女性たちに、エール(声援)を、送り続けなければなりません。そして、創価の女性たちを、誇りに思わねばなりません」
 一流の女性リーダーが皆さんの活躍に限りない期待を寄せていることを、最後にご報告させていただきたい。
 長時間、ご苦労さま!
 〈ここで名誉会長の導師で、全員で唱題した〉
 関西をはじめ、全国各地から、はるばる来てくださった方々、本当にありがとう!
 気取りがあれば、本当の力は出ない。臆病の心を捨てて、前進するのだ。
 勇気で勝とう! 皆さん、ありがとう!

1
2