Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新時代第29回本幹部会 広布第2幕第15回全国青年部幹部会

2009.5.27 スピーチ(聖教新聞2009年下)

前後
2  青隼の力は偉大
 皆さん、いつもご苦労さま!
 きょうはリラックスして聞いていただきたい。疲れている人は寝てしまっても、かまわない。仏法は、堅苦しい世界ではないのである。
 全国の青年部の幹部会、ご苦労さま! おめでとう!
 とくに、若い「ニュー・リーダー」「ヤング男子部」の大会、おめでとう!
 皆さんがいれば、学会の未来は明るい。
 「後生畏るべし」である。若い力は偉大だ。未来を決するのは青年である。君たちである。
 頼むよ!〈参加者から勢いよく「ハイ!」と返事が〉
 心美しき女子部の“華陽のスクラム”も、世界中に広がっている。うれしいことだ。皆の希望である。おめでとう!
 ここで、常勝関西の万歳を、皆で叫ぼう。〈参加者全員で万歳三唱を行った〉
3  非難を越えて
 私が中国への第一歩をしるしたのは、1974年(昭和49年)5月の30日。
 “今年で、あれから35周年を迎えることができた”──今朝、起きた時にも、感慨深いものがあった。
 かつて、東西の冷戦が厳しく、日本が中国を敵視していた時代に、私は敢然と、中国との友好を提唱した。
 賛同よりも、むしろ非難の声が高かった。
 邪魔もされた。悪意の攻撃もあった。
 そうしたなかの初訪中であった。2度目の訪中の際、周恩来総理が最大の礼をもって迎えてくださったことは、永遠に忘れ得ぬ思い出である。
 折しも、今回の佳節に合わせて、明日(5月28日)、中国・新疆ウイグル自治区の重点大学である「新疆財経大学」より、名誉教授称号が授与されることになっている。
 〈本紙5月29日付で報道。これで池田名誉会長に対して世界から贈られた名誉教授、名誉博士などの名誉学術称号は「256」となった。さらに、中国・広東省にある、寥承志氏(中日友好協会初代会長)の父君・{寥仲愷}(りょう・ちゅうがい)氏ゆかりの「仲愷農業工程学院」から届けられた名誉教授への就任要請をはじめ、世界各地から届いている決定通知を合わせると「278」を数える〉
 皆さんもよくご存じの通り、嫉妬と偏見による、学会に対する中傷が繰り返されてきた。しかしそのなかで、世界の心ある人々は、創価の真実を見つめてくださっている。
 「創価学会とは、どのような存在なのか」「一度、直接会って話したい」等々、驚きと共感の声が寄せられていることも、各国からうかがっている。そうした声は大きな波のように広がっている。
4  一庶民として
 新疆ウイグル自治区は、中国の最西北にあり、古のシルクロードの要衝として栄えた、世界的に有名な地域である。仏法との縁も、まことに深い天地とされ、歴史に輝いている。
 初めての訪中より35年──。
 私は“友好の金の橋を結び、平和と文化と教育のシルクロードを、壮大な広がりをもって構築することができた”と申し上げておきたい。
 当時、日中関係の改善は、日本にとって極めて大事な仕事であった。そして中国との対話の前進は、世界の平和を願われた日蓮大聖人の御精神に則った行動である。戸田先生の遺言でもあった。
 それを私は厳然と、一庶民として実行したのである。
 これまで私は、政治家でもない、学者でもない、一人の“庶民の代表”として行動してきた。その私に対する栄誉はすべて、世界各地でよき市民として、真剣に地域友好に、社会貢献に励んでおられる同志の皆様方に対する、信頼の証し以外の何ものでもない。
 今、全世界の最高峰の知性が、創価の師弟を讃嘆してくださっている。恩師・戸田先生のお喜びは、いかばかりであろうか。
 これらはすべて、皆様方と子孫末代にまで流れ通う栄誉となり、福徳となる。
 しっかりと信心を持ち抜く人は全員、「師弟不二」の原理によって、その子孫が将来、栄誉ある立場になっていくことは間違いないのである。
5  イスラムと仏教を結びゆく対話
 私は今、インドネシアを代表するイスラム指導者であり、哲人政治家として歴史に刻まれた、元大統領のワヒド博士と対談を進めている。
 〈博士は2002年4月、東京牧口記念会館で名誉会長と会見。、その後、創価学会インドネシアが開催した「自然との対話」写真展や平和芸術祭などにも出席し、友誼の交流を続けている〉
 ワヒド博士は、偉大なる正視眼の人である。信義を重んじ、誠実を貫く、輝く知性の大指導者として、私は心から尊敬している。
 今後、博士が提案された「イスラムと仏教を結ぶ対談」を、縦横に展開していく予定である。
 文化の多様性を尊重しておられる博士は、来日の際、民音文化センター(東京・新宿区)を訪れたことを、深く心に留めてくださった。対談でも、文化の力をめぐって意見を交わしている。
 〈民音訪問を振り返って博士は、「私は、池田先生が『文化の力』で人類の高みに立っておられる方だと実感しました」「20世紀、21世紀を通じて、最も偉大な人物でしょう」と述べている〉
6  太陽の婦人部に心からの御礼を
 さらに語らいのなかで博士は、お母様への敬愛の心を、次のように話されていた。
 「母は社会奉仕の人でした。広く社会に貢献することであれば、母は自らその役目を買ってでました。
 母は“社会の皆の母”として慕われていました。私は、行く先々で、人たから言われました。
 『あのお母様の息子さんですね』と。
 そして皆は、自分たちが、どれだけ私の母に助けられたかを語ってくれるのでした」
 私には(このお母様の話が、わが婦人部の皆様の尊き社会貢献の姿と重なる。
 和楽の太陽である皆様は、さまざまな悩みと闘いながら、地域のため、社会のために、毎日、生き生きと前進しておられる。
 婦人部の皆様、いつも本当にありがとう!
 男性の諸君は、立ち上がって御礼をしよう!〈男性の参加者が立ち上がり、女性の参加者へ「いつも、ありがとうございます」と言葉をかけた〉
 男女は平等に尊い。
 御聖訓には「男女はきらふべからず」と仰せである。私は誰よりも、女子部・婦人部の友を尊重してきた。
 弘教に、個人指導に、一生懸命、励んで、広宣流布を進めておられる方々を、心から大事にしなければならない。
 善の目的に向かって頑張っている人を、責めたり、苦しめるのは、正しい人間の世界ではない。とんでもないことだ。威張る人間の傲慢さをこそ、厳しく戒めるべきである。
 女性に親切にするのが、本当の紳士の生き方である。
7  不知恩の人間を断じて許すな!
 古代ローマの哲人・セネカの箴言を紹介したい。人類普遍の英知の言葉である。
 「すべての罪悪以上の悪は、恩知らずということである」(茂手木元蔵訳『セネカ道徳論集』東海大学出版会)
 その通りだ。何度、強調してもしすぎることはない。
 恩知らず──これ以上の悪はない。偉くなり、増上慢になると、人は恩を忘れるものだ。絶対に、不知恩の人間になってはならない。臆病な人間、卑怯な人間になってはならない。
 私は戸田先生に仕え抜いた。恩を知っているからである。
 あれほど師匠を大事にした人間は、世界中にいないだろう。歴史上も、いないであろう──そう言われるくらい、戸田先生に仕えた。身を粉にして、自身の一切を犠牲にして、師を支えた。
 先生が戦後、経済の混乱のあおりを受け、絶体絶命の窮地に追い込まれていた時のことである。
 私は一人、師を護り抜いた。
 多くの者は、あざ笑って、去っていった。
 一人いればいいのである。
 一人の本当の弟子がいるかどうか。すべては、それで決まる。
 戸田先生は、私に語ってくださった。
 「偉大な弟子を持つことは、最高に嬉しいことだ」
 本当にそうだと、今、私も思う。
 最高の幸せなのだと恩師は言われた。どうか皆さんも、そういう弟子になっていただきたい。
 戸田先生は、最晩年の日々のなか、身を横たえたまま、私を見ながら言われた。
 「お前がいてくれたから、よき弟子がいてくれたから、私は最高に満足だ」と。
 先生は、滅多に「ありがとう」とは言わない。明治生まれの先生は、“師匠は弟子に、ありがとうと言う必要はない”という考えであられたからだ。
 ともあれ、本当に喜んでおられた。先生の言葉は、わが胸の奥に、金のように光っている。
 戸田先生は師子吼された。
 「学会は、大聖人の御命令通りに戦うのだ。広宣流布の御遺命を、我々の手で成し遂げるとの決心で、すべての大闘争に勝ち抜いていくのだ」
 大聖人の御命令の通りに進むのだ。誰のためでもない、ただ広宣流布のために、信心で戦うのだ。
 この一点を見失えば、虚栄や権勢に惑わされてしまう。
8  仏法は勝負 断じて勝て
 広宣流布は、慈悲の精神を、社会の根底に据える革命だ。
 人間を蔑む、権力の魔性との戦いである。
 戸田先生は厳として叫ばれた。
 「仏法は、真剣勝負である。戦う以上、断じて勝たねばならない。
 勝って勝って、勝ちまくれ! 勝利、勝利の創価学会たれ!」
 広布の闘争は、すべて、自分のためである。民衆のためである。
 それは、三類の強敵との熾烈な戦いである。題目をあげなければ、勝つことはできない。
9  「師匠に喜んでもらいたい!」
 戸田先生は、青年部に厳命された。
 「青年は、先駆者たれ! 先駆の気概を持て! 広宣流布を成し遂げるのは、君たち青年の力なのだ」
 青年部、頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 人がどうあれ、環境がどうあれ、若き皆さんが、広宣流布を成し遂げていくのだ。
 昭和31年(1956年)の戦いは、東京は「絶対に勝つ」と言われ、大阪は「絶対に負ける」と言われた。
 私は大阪の指揮を任された。「負ければ、おもしろい」と冷ややかに見る人間もいた。
 私は一人、師子奮迅で立ち上がった。
 嗤う者は嗤え! 謗る者は謗れ!
 私は、まっすぐに大聖人を信じ、御書を根本に指揮を執った。
 ただ、戸田先生に喜んでいただきたい──その一心で戦った。
 「師弟一体」で勝ったのである。
 この心を、若き皆さんは忘れないでもらいたいのだ。〈昭和31年、参院大阪地方区の選挙で、圧倒的に不利だった学会推薦の候補者が、当選を果たした〉
10  必死の一人に!
 戸田先生は、青年部に言われていた。
 「人生は、山あり、川あり、野原ありだ。青年は、険しい山や坂を登っているのだ。頑張り抜いて、勝ち越えよ!」
 戸田先生の言葉通りに、私も戦った。
 先生は、事業が失敗し、莫大な借金を抱え込んだ。いつ、万事休すとなるかもわからない。
 弘教も一向に進まない。行き詰まりきったうえに、学会は、周囲から袋だたき。
 そのなかにあって、私は一人、「先生に、本当に喜んでもらいたい。ぜひとも、学会の会長になっていただこう」「先生を、世界の歴史に残したい。偉人として宣揚するのだ」──こう決意して、一心不乱に戦った。
 そして、その通りになったのである。
 皆さんも、後世に胸を張れる歴史をつくってもらいたい。いつまでも、師に甘えるばかりでは情けない。必死の一人が出なければ、新しき広布の道は開けないからだ。
11  戸田先生は、こうも述べておられた。
 「学会員は、宗祖・日蓮大聖人の眷属として、広宣流布の旗の下に結集し、闘争しているのである。
 心強き一人ひとりが、固く手を結べば、広宣流布は必ず進むのである」
 学会は永遠に、大聖人直結である。御本尊根本である。
 邪宗門は、何をしたか。大聖人に違背し、広布を破壊し、堕落・腐敗しきった姿は悪逆極まりない。
 学会は、恩師の言葉の通り、心一つに団結し、広宣流布を全世界に実現してきた。
 未来もまた、そうあらねばならない。
 頼むよ!
12  師子は打たれるほど猛り立つ!
 先生は力強く宣言された。
 「師子は、打たれれば打たれるほど、強くなる! 猛り立つ!
 そして、師子王となって、天下に大師子吼をするのだ。
 創価学会こそ、師子王の団体である」
 この先生の指導のままに、私は師子となって戦った。師子王の学会を築き上げた。
 打たれるほど強くなる──本当にそうだ。
 若き日の私は、体が弱かった。そのうえ、時間もない。お金もない。通っていた夜学も断念せざるを得なかった。わが師のために、青春のすべてを捧げた。
 当時を思えば、今は恵まれているといえるかもしれない。
 「大作、全然、折伏ができないんだよ。75万世帯と言ったけれども、このままでは難しいぞ」──先生は深く憂慮されていた。
 当時は、1支部で月に100世帯前後の折伏が限界であった。
 「広宣流布は5万年もかかってしまうな、大作」とおっしゃる先生に、即座に「私がやります!」と立ち上がった。
 この不二の戦いから、怒濤の前進が始まり、75万世帯の願業を達成することができたのである。
 これが師弟である。仏法である。
 今度は、若き君たちが、私と同じ心で立ち上がってもらいたい。頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
13  「心」を決めて祈り行動せよ
 さらに戸田先生の指導を紹介したい。
 「題目をあげて、人々にどんどん仏法を語っていきなさい。将来必ず、すごい境涯になれる。生命力あふれる対話をするのだ」
 大事なのは「対話」である。
 まさに、勇敢に正義を語る皆様方の姿である。「先生の教えてくださった通りにやっています」と、私は誇りをもって、ご報告したい。
 先生は、こうも言われていた。
 「信心を、一言でいうならば、『心』を決めることである。
 同じ決めるのであれば、『勝つ!』と決めなさい」
 まず、勝つと「決める」。その上で、「行動」を起こすのだ。
 決めて、祈って、行動する──この勝利の方程式を胸に、我らは広宣流布の大闘争を、痛快に勝ちまくってまいりたい。
14  今、あの地でもこの地でも、創価の女性たちの"対話と友好の花"が美しく咲き薫っている。
 婦人部・女子部の皆様、大変に、ご苦労さまです。
 素晴らしい創価の女性の連帯が、でき上がりました。
 本当におめでとう!
15  リーダーは、「声」が大事である。
 下を向いて、ボソボソと話をしても、皆の心には入らない。
 聴いてくれる人の心の中に、ぐっと入っていくような声で、また時には、名曲を奏でるような声で、友の心を励まし、鼓舞していっていただきたい。
16  悩みに負けるな
 あるとき、戸田先生は、東京の婦人部に話された。
 「学会員は、地涌の勇者として、自ら願って、この悪世に生まれてきたのである。
 衆生を救うために、人生の苦労を乗り越えながら、御本尊の大功徳を示し切って、広宣流布をするために生まれてきたのである」
 人間、誰しも、悩みがある。現代のような悪世ならば、なおさらである。
 しかし、どのような悪世、乱世にあっても、信心だけは微動だにしてはならない。
 私たちは、御本尊の偉大な功力を示し切っていくために、自ら願って、悩みを引き受けたのである。
 そのように仏法では説いている。
 ゆえに、乗り越えられない悩みなど絶対にない。結論は「勝つ」に決まっているのだ。
 それが分かれば、悩みに負けて、嘆いたり、迷ったりするのは愚かである。
 どこまでも御本尊に祈り切って、悠々と、堂々と進んでいけばよいのである。
17  戸田先生は、経済苦と戦う壮年に、こう指導された。
 「一時的に損をしたように見えても、断固たる信心を貫けば、必ず、もとの10倍、20倍とすることができる。それが仏法の変毒為薬というものだ」と。
 大事なのは、信心を貫くことである。
 「凡夫は、過ぎ去った後ろしか見えない。しかし、仏の智慧は、未来を見通すことができる。ゆえに、どんなことがあっても、ただまっしぐらに、妙法を信じて、戦っていけばよいのである」──これが戸田先生の大確信の指導であった。
18  無敵の王者!
 19世紀の英国の作家に、オスカー・ワイルドがいる。
 ワイルドは、現在のイギリスSGI(創価学会インタナショナル)の総合文化センターであるタブロー・コートを訪問している。当時からタブロー・コートは、多くの文化人・知識人が集う社交場として賑わっていた。
 ワイルドは、ある戯曲の中で、登場人物に、こう語らせている。若者への励ましの言葉である。
 「きみにはこの世でもっともすばらしい味方がいるじゃないか──青春というものが!」(西村孝次訳『オスカー・ワイルド全集2』青土社)
 いい言葉である。
 青春は、無敵の王者である。
 また、たとえ年齢を重ねても、心は“生涯青春”でありたい。
 いくつになっても、生命は若々しく輝いている。そのように生きていくために妙法はあるのだ。
19  「迫害の動機は『嫉妬』」
 “ヨーロッパ統合の父”と讃えられるクーデンホーフ・カレルギー伯爵を、ご存じだろうか。
 来日された折、伯爵は、学会本部や創価学園にも来てくださった。若い私を本当に大事にしてくださり、何度も親しく語り合ったことが忘れられない。
 〈初の出会いは1967年(昭和42年)10月。当時、伯爵は72歳。名誉会長は39歳。
 会見は、伯爵からの要請で行われた。伯爵は、名誉会長との出会いの感想を自著に、こう記している。
 「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである。彼は生まれながらの指導者である」「生命力の満ち溢れている、人生を愛する人物である。率直で、友好的で、かつ非常に知性の高い人物である」(鹿島守之助訳『美の国──日本への帰郷』鹿島研究所出版会)
 二人は1970年にも対話を重ね、対談集『文明・西と東』を発刊。『池田大作全集』102巻に収録されている〉
 かつて伯爵は、ヨーロッパの精神史を展望して、次のように述べておられた。
 「今日一流の人にたいして反対の扇動が行なわれていて、しかもその動機が明らかでない場合は、本当の動機は嫉妬であるといってもたいていの場合間違いではない」(鹿島守之助訳『クーデンホーフ・カレルギー全集5』同)
 ヨーロッパの古代史──ソクラテスの刑死など──から、中世、近世、そして現代にいたるまで、数々の偉大な指導者が、「嫉妬」によって迫害されてきた。それを伯爵は鋭く喝破されたのである。
20  娘から父へ
 続いて、16・17世紀のイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイの愛娘、マリア・チェレステの言葉を紹介したい。彼女は、迫害に遭う父を支え、励まし続けた。
 父への手紙に、彼女は、こう綴っている。
 「活動的であることが私の健康の源」(デーヴァ・ソベル著、田中一郎監修、田中勝彦訳『ガリレオの娘 科学と信仰と愛についての父への手紙』株式会社DHC)と。
 前向きに生きること、活発に行動することが、心身の健康の源泉である。
 なかんずく、広宣流布のための行動は、世界最高の善の行動である。その人生が、どれほど偉大な功徳に包まれていくことか。
 真面目に学会活動をやった人が勝つ。やらなければ自分が損をするだけだ。
 御聖訓には、「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし」と仰せである。
 途中がどんなに苦しくとも、最後は必ず幸福になる。それが信心であることを確信していただきたい。
21  さあ行進の時だ
 アイルランドの文芸復興を担った大詩人イェーツに、次のような詩がある。
 「行進の時来たる」
 「行進だ ぐんぐんと行進するんだ
 進めや進め うたごえ張りあげ」(鈴木弘訳『W・B・イェイツ全詩集』北星堂書店)
 私は先日(5月18日)、英国屈指の名門である、北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストから「名誉博士号」を拝受した。
 この大詩人も、クイーンズ大学の名誉博士である。
 イェーツは、人生の総仕上げの時期に、こう力強く謳った。
 「私は信念と誇りの両方を残そう、
 若い まっすぐな人たちに」(金子光晴・尾島庄太郎著、野中涼編『イェイツの詩を読む』思潮社)
 今こそ、新たなる精神の復興へ、民衆が大行進する時である。青年を先頭に、一切の大闘争に勝ち抜いてまいりたい。
22  戸田先生は指導された。
 「御本尊を受持して、強盛に信心するならば、経文において明らかなごとく、新しく強い生命力を得て、事業に、健康に、生き生きとした生活が始まってくる」
 これが我らの人生だ。皆、健康で、生き生きと、若々しく勝ち進もう!
 さらに、戸田先生の指導を拝したい。
 「御本尊は、皆が考えている以上に、すごい力があるのだ。何ものにもまさる、偉大な力があるのだ。大難のときこそ、大いに闘おうではないか」
 大確信をもって進んでいきたい。
23  日々、訓練を! 日々、成長を!
 ドイツの大詩人ゲーテは、青年時代の手紙に、こう綴った。
 「わたしには一人の人間の望みうるすべてのもの、日々訓練を積み、日々成長する生活があります」(アルベルト・ビルショフスキ著、高橋義孝・佐藤正樹訳『ゲーテ――その生涯と作品』岩波書店)
 訓練と成長──そのための勤行であり、折伏である。仏道修行である。
 毎日毎日、訓練を積みゆけ!
 毎日毎日、成長していくのだ!
 そこに最高の青春がある。これを実践しているのが、創価学会である。私たちが敬愛する友・ゲーテも、喜んでいるに違いない。
 人生の賢者の大詩人のごとく、我らも快活に、朗らかに、日々を生き抜きたい。
24  粘り強い対話で
 ゲーテは、芸術の道で奮闘する若き友に語った。
 「こんなもの(=仕組まれた、卑劣な非難・攻撃)には頓着しないで、正しいことをしていけばいいのだ、さもなければ何もできはしない」(ビーダーマン編・大野俊一訳『ゲーテ対話録Ⅰ』白水社)
 卑しい非難などには頓着するな、との大激励であった。
 私も、嫉妬ゆえの讒言を、どれほど受けてきたことか。
 これだけの迫害を受けたら、ふつうなら倒れてしまう。そう言う人もいた。
 しかし、私は平然としていた。ゲーテの言葉通り、無認識の評価や批判など歯芽にもかけず、正しい行動を貫いてきた。
 ゲーテの著作は、青年時代から愛読してきた。私のアパートの本棚には、ゲーテの本が並んでいた。
 妻とも、ゲーテについて語り合ったことが懐かしい。
 若き日、私は毎晩のように一流の文学をひもといた。
 御書を徹して学んだ。戸田先生の指導を記し、残していった。
 すべてを自身の血肉としていったのである。
25  ゲーテは、こうも述べている。
 「私個人は多年 人に噛みつかれることになれているので、経験からこう言いたいと思います。
 たとえ人の反対を受けても、自分の声がかき消されるなどという心配はさらさらない。
 ただ焦ってはいけない。つねに行動を続け、時に語りあうこと。そうすれば、われわれの考え方に賛成する人がしまいには結構たくさん出てきます」(小栗浩訳「書簡」、『ゲーテ全集15』所収、潮出版社)
 大切なのは、粘り強く声を発していくことだ。誠実の対話を続けていくことだ。
 そうすれば、理解と賛同の輪は、必ず大きく広がっていく。
26  創大柔道部の活躍に喝采!
 きょうは、創価大学のメンバーは参加しているだろうか?
 〈山本学長ら代表が手を挙げた〉
 創価大学の柔道部が、このほど全国大会への出場を決めた。おめでとう!
 〈席上、山本学長が柔道部の男子・女子ともに全国大会への出場が決まったこと、昨年は女子が全国大会で優勝したことなどを紹介した〉
 本当に素晴らしい。
 ともあれ、何でも「一番」を目指すことだ。その努力の中で、大きな力をつけていくことができる。
 今、創大の発展は目覚ましい。多くの方からも、賞讃の声が寄せられている。
 きょうの参加者で、創大の卒業生はいるだろうか。ここで、全員で学生歌を歌ってはどうだろう(賛同の大拍手)。
 大きい声で歌おう。音楽隊の皆さん、頼みます!
 〈創大出身の参加者がいっせいに立ち上がり、音楽隊の見事な呼吸の演奏で学生歌を熱唱した〉
 いい歌だ。ありがとう! 創大生の万歳をしよう!〈ここで、参加者で創大生の万歳三唱を行った〉
27  最後に、近代柔道の創始者であり、国際教育に尽力した嘉納治五郎先生の勝負の哲学を紹介したい。
 〈嘉納治五郎(1860〜1938年)は、明治から昭和にかけて活躍した柔道家、教育者。1909年には、日本人として初のIOC(国際オリンピック委員会)委員に選ばれ、日本のオリンピック参加にも尽くした〉
 初代会長・牧口先生は、嘉納先生が中国からの留学生のために創立した{弘文}(こうぶん)学院で、教壇に立たれていた。
 また、嘉納先生が創設した柔道の道場・講道館にも名を連ねておられた。
 嘉納先生は著作の中で、柔道をはじめ人生万般にわたる哲学について記しておられる。
 例えば“終始、最善を尽くせ”ということを教えられている。
 自分より強い者を相手にする場合には、“どうせ勝てない”とあきらめて、いい加減になることがある。そうすると、せっかく相手に隙があり、勝てるチャンスがあっても、その機会を生かすことができない。
 反対に、自分より弱い者を相手にすると油断して、そこにつけ込まれて負けてしまう。油断は大敵である。
 また、“あらゆる機会を利用せよ”ということについて述べておられる。
 柔道の乱取で相手を攻める時、一つの技を仕掛けて相手の体勢を崩した時には、その機会を生かして、さらに次の攻撃を仕掛けなければならない。ひとたび相手が元の体勢に戻ってしまえば、それまでの攻撃は無駄になってしまう。
 次から次へ攻め抜け──これが勝利の鉄則である。
 そして“己を捨てる覚悟をせよ”ということを教えておられる。
 己を捨てる覚悟ができれば、怖いものはなくなる。全力を攻撃に費やすことができる。すると、ますます強くなるというのである。
 わが身を惜しまず、一心不乱に戦い抜く。そこに勝利への道が開ける。〈嘉納治五郎については、『嘉納治五郎著作集 第2巻』五月書房などを参照した〉
28  勝利の歴史を
 ともあれ、戦うからには勝つことだ。勝てば楽しい。さらに勢いを増していける。
 広宣流布の勝利を、頼みます!
 リーダーは気取りを捨てて戦うことだ。
 そして、皆が「すごいな」と思うような結果を、堂々と残していってほしい。励ましの声で、皆に勇気を送っていただきたい。
 それでは、きょうはこれで終わります。どうか、お元気で!〈ここで名誉会長を中心に全員で唱題した〉
 長時間、本当にご苦労さまでした。ありがとう!

1
2