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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表協議会  

2009.4.14 スピーチ(聖教新聞2009年下)

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1  全国代表協議会の開催、ご苦労さまです。
 新しき太陽が昇るがごとく、我らは、満々たる生命力で、日に日に新たに前進してまいりたい。
2  自らを磨け!
 リーダーの話に気取りはいらない。
 事務的なことばかりであったり、味気ない話では、皆の心に響かない。
 また必要以上に大声を出したり、怒鳴ったりするのは、時代遅れの指導者である。
 学会員は人柄がいいから、どんな話でも、皆、拍手をしてくれるかもしれない。
 しかし、それで、いい気になっていては、幹部の成長はない。
 幹部は、しっかりと勉強し、広布の最前線で戦って、同志と心を結んでいくのだ。
 そうした努力を真剣に重ねたうえで、あとは、“真実の自分の心を友に語っていこう”と思っていけばいいのである。
 気取らず、真心と勇気をもって!
 皆を包み込む、慈愛と温かさをもって!
 ある時は情熱的に。
 ある時は心静かに。
 聞く人の胸に、すーっと染み入るように。
 ともあれ、学会ほど話をする機会が多いところもないだろう。
 だからこそ、絶えず自らを磨き、高めて、「きょうは清々しい話を聞けたな」といわれるような聡明な指導をお願いしたい。
 そこに学会が一段と発展しゆくかどうかの鍵があるからだ。
3  行動の中にこそ師弟の魂は光る
 「師弟」を語ることは大切だ。
 そのうえで、大事なのは、「師匠の教えを守り、実践する」ことである。
 「師弟」という言葉を単なる掛け声にしてはならない。
 また、師匠の近くにいるから師弟不二であるというのも間違いである。
 師弟は“距離”ではない。師匠の教えを実行する人が真実の弟子なのである。
 戸田先生は厳然と語られた。
 「牧口先生といえば戸田、戸田といえば牧口先生といわれた。師弟不二の仲であった」
 「師匠の教えを素直に守り、素直に実行することだ。そして、自身の生活のうえに、師匠の教えを顕現しなければならない」と。
 一人一人の日々の生活のなかに、誓願の「祈り」と「行動」が光っているかどうか。
 私は、いつも恩師を心の中心に置いて生きてきた。
 我々の生命に真実の師弟が脈動していなければ、学会は衰退していくしか道はない。
 だからこそ「断じて師弟に生き抜け!」と叫びたいのだ。
4  戸田先生は指導された。
 「地涌の菩薩である一人一人が祈り抜き、邪悪を打ち破っていくことだ。この大乱戦の日々が今の広宣流布の姿なのである」
 広宣流布に戦う、わが同志こそ地涌の菩薩である。
 その正義の大行進の先頭に立つのが皆さん方である。
 いかなる状況にあっても、敢然と勝利の活路を開きゆく、名指揮のリーダーであっていただきたい。
5  女牲に最敬礼!
 男性は、どんなことがあっても、婦人部・女子部を叱ってはいけない。
 たとえば、本人の信心の成長のために、指導や注意が必要なことはあるだろう。
 しかし、感情的に叱るとか、威張るのは間違いである。
 また、女性を叱るような幹部を、周囲は許してはならない。
 婦人部・女子部の皆さん方が懸命に広布に尽力してくださることを、仮にも、当たり前などと思ったら、とんでもないことだ。常に賞讃していくのだ。尊敬していくのだ。
 そして、もしも、何か足りない点があれば、男性が代わりに努力していくのだ。それでこそ男である。
 婦人部・女子部の尊き奮闘に、より一層、感謝できる「美しき心の創価学会」になっていこう!
6  ドイツの大文豪ゲーテは、「勇気」と題した詩のなかで、こう歌った。
 「最も大胆な先達の手で/路の開かれて居ない所は/汝みづから それをひらけ」(三浦吉兵衛訳『ゲーテ全集第1巻詩集』大東出版社。現代表記に改めた)
 広宣流布の指導者ならば、死にものぐるいで道を開くことだ。
 私は戸田先生の弟子となり、先生に命懸けでお仕えした。
 お金もなかった。批判ばかりであった。
 その苦闘の日々は、皆さんには想像もつかないだろう。
 先生亡き後も、正義ゆえの難を一身に受けながら、ただ恩師の構想の実現のために戦った。そして、恩師を世界に知らしめてきた。
 真剣でなければ、道は開けない。新しい歴史をつくるのは、必死の一人である。
 皆さんは、決然と一人立つ勇者であっていただきたいのだ。
7  今月の20日、聖教新聞は創刊58周年を迎える。
 写真も文字も、一段と鮮やかで見やすく、読みやすい紙面に生まれ変わった。
 戸田先生は、「(広宣流布の)使命完遂のために聖教新聞は働くのである」「聖教新聞が、どれほどすごい新聞か、認識させ、理解させていくんだよ」と訴えておられた。
 「会員第一」の信念をもち、広布の機関紙として、さらなる正義の前進を期待したい。
8  アフリカの友も意気軒高!
 私と妻のもとには、日本中、世界中の健気な同志からの報告が、間断なく届く。
 先日、西アフリカのシエラレオネ共和国からも、意気軒高なメンバーのアルバムをいただいた。
 シエラレオネは、わが北海道とほぼ同じ面積と人口の国で、国の名前は「獅子の山」という意味である。
 10年以上にわたる内戦に苦しんだシエラレオネでも、創価の友が「自身の宿命転換を通して、家庭、地域、国家の宿命転換を!」と、行学の二道に励んでいる。本当にすごいことだ。
 また、創価同窓の女性リーダーも元気に活躍している。世界中で、創価同窓生、そして池田華陽会の友が、平和と文化の推進力となってくれている。本当にありがとう!
9  栃木の天地で
 栃木・日光総県の婦人部長からは、広大な山間部で活躍する同志の報告が届いた。
 それは、福島県との県境に位置する、川治かわじ地区である。
 同地区の所属する川治支部は、東京23区が入ってしまう広さ。地区の家々を一回りすると、ゆうに100㌔を超える。冬は深い雪に包まれる。聖教新聞の購読料も、郵送費がかかる分、高くなる。
 この川治地区では、地区部長、地区婦人部長のご夫妻を中心に、一軒また一軒と対話を重ねながら、聖教新聞の購読世帯を大きく拡大。3月も、目覚ましい友人への購読を達成されたのである。
 その陰では本部新聞長が、「共に勝って、池田先生へ勝利の報告を」との思いで、激励に次ぐ激励を、真剣に続けてくださったとうかがっている。
 これまでも私は、さまざまな報告に対して、即座に応え、一人一人に細かく激励の手を差し伸べてきた。
 文豪ゲーテは、「ひとにはいつもはげましが必要なのです」(ビーダーマン編・菊池栄一訳『ゲーテ対話録Ⅱ』白水社)と述べている。ゲーテ自身も、小さなことでもほめ讃え、元気づけ、励ます名人だったといわれる。
 あまりにも健気な、尊き同志の奮闘を、広布のリーダーであるならば、ゆめゆめ忘れてはならない。
 「大変な環境のなかで、これほどまでに!」と皆が感嘆せずにはいられない、偉大な歴史を開いている友が、たくさんおられる。
 日本と世界の、そうした友の勇姿を、私は、これまで以上に宣揚し、大きく光を当てて差し上げたい。いまだ知られていない、師弟の勝利の物語が、無数にある。
10  油断を排せ!
 戸田先生はおっしゃった。
 「こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。戦いには必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立てなければならない」と。
 どんな小さな報告にも、私はすべて手を打ってきた。真夜中に及ぶことも、たびたびである。
 懸命な報告を見逃す指導者は、卑怯であり、無慈悲である。私は絶対に見逃さなかった。きちっと対応した。御聖訓に「億劫の辛労」と仰せの通り、祈りに祈り、全身全霊を捧げてきた。
 ゆえに今日の学会ができあがった。世界に広がる、創価の連帯が築かれたのである。
 これまで私は微塵も悔いを残さず、学会に尽くし抜いてきた。この真実を、御本尊の前で明確に申し上げておきたい。
11  ゲーテは語った。
 「何度もひどくののしられたものだ。これは、最も高貴な行為をした時が一番ひどかった。しかし、私は人々の叫び声などには少しも気をかけなかった」(ビーダーマン編・国松孝二訳『ゲーテ対話録Ⅲ』白水社)
 ゲーテの偉大な境涯が偲ばれる言葉だ。
 今から30年前の昭和54年(1979年)5月3日──。
 私は、八王子の創価大学で“会長辞任の本部総会”を終えた後、学会本部へは戻らずに、そのまま神奈川文化会館へと向かった。
 当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。いわば“絶頂期”であり、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。
 その時に、非道な迫害の嵐の中で、第三代会長を辞めざるを得なくなったのである。
 〈この日、読売新聞の朝刊に、日米の国民の意識調査の結果が掲載されていた。そこには、日本人が「最も尊敬する」日本人の名前が載っており、第6位に池田名誉会長の名前が挙げられていた。
 1位から順に吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、昭和天皇、その次が名誉会長であった〉
 私が第三代会長を辞任した背景には、学会の発展を妬み、私を陥れんとする宗門や反逆者たちの醜い謀略があった。
 ゲーテは「多くのひとは、私欲で落伍をする」(前掲『ゲーテ対話録Ⅱ』)と述べたが、卑劣な反逆者の姿は、まさにこの言葉通りであった。
 本気になって学会のため、正義のために戦う人間はいないのか。真実の味方はいないのか──。
 あまりにも情けない無残な姿であった。本当に、人間の心ほど恐ろしいものはない。
 思えば、その少し前の4月24日、私が会長辞任を発表し、信濃町の自宅に戻ると、妻がいつもと変わらぬ様子で迎えてくれた。
 「本当にご苦労さまでした。健康でよかったです。
 これでまた、大勢の同志に会えますね」
 そう言って、微笑んでくれた。今でも忘れ得ぬ一コマである。
12  真実の歴史を
 私は、会長として指揮を執ることはできなくなった。
 しかし私は、牧口先生、そして戸田先生が命を懸けてつくられた学会だけは絶対に守らねばならないと、深く決意をしていた。私とともに戦ってくださった、多くの真実の同志を守り抜こうと心に決めていた。
 少しでも長生きをして、もう一度、本当の学会をつくり、未来に残すのだ。その思いで立ち上がり、ここまで頑張ってきた。
 あの会長辞任から30年。私が陰で、友のため、世界の広宣流布のために、どれほど心を砕き、手を尽くしてきたか。学会をここまで発展させるのに、どれほど壮絶な戦いをしてきたか。
 皆さんには、真実の歴史を知っておいてもらいたいのだ。
 私の心を知り、私と同じ心で、戦ってもらいたいのだ。
13  世界が舞台だ
 八王子での本部総会の後、なぜ、私が神奈川へ向かったのか。
 神奈川には、世界につながる海があるからだ。もう一度、世界を舞台に戦うのだ!──これが私の決心であった。神奈川の友も、変わらぬ心で迎えてくれた。
 神奈川文化会館に着いた5月3日の夜、私は筆を執った。その時の揮毫を30年を経て、ここで披露したい。
 それは「共戦」という二字である。脇書には次のように記した。
 「五十四年五月三日夜
  生涯にわたり
    われ広布を
      不動の心にて 決意あり
    真実の同志あるを 信じつつ
      合掌」
 真実の同志──それは、私と心一つに、広宣流布へ戦う皆様方である。
 これまで、どれほど多くの忘恩の輩が出たことか。
 私は戸田先生を守りに守った。先生亡き後は、先生のご家族にも最大に心を尽くした。一切を犠牲にして、妻とともに弟子の道を貫いた。
 師匠が罵られ、中傷されても何の反論もできない。戦えない。そんな情けない弟子であってはならない。
 その思いで生き抜いてきた。
 未来に生きる皆さんは、私との「共戦」の人生を歩み抜いてほしい。頼むよ!〈参加者から「ハイ!」との力強い返事〉
14  勇気と誠実で同志に希望を
 戸田先生は指導しておられた。
 「中心者がしっかりせよ!
 なんといっても、まず責任を持つ自分自身が、どう戦うか。
 それが何よりも大切だということを、自覚しなければならない」
 どんな戦いも、中心者で決まる。
 リーダーは、皆を激励するにしても、真実の勇気が光る話をしなければならない。表面だけ飾ったような、つくったような話では、友の心を動かすことはできない。
 またゲーテは、こう訴えていた。
 「人間、つねに積極的にふるまわなければならない、つねに新しく建築し、他人をおとしめることにかかずらってはならない」(同)
 どこまでも明るく、前へ、前へと進む。新たな建設へ挑みゆく。
 皆様は、勇気と誠実の振る舞いで、多くの人々に希望を贈る存在であっていただきたい。
15  広布の労苦は大功徳に
 法華経は、数々の胸打つドラマに彩られている。
 その一つに「化城宝処の譬え」がある。
 ──宝のある場所(宝処)を目指して、険しい遠路を隊商が進む。途中で人々は疲れ果て、「もう進めない」と言う。しかし、引き返せば、これまでの苦労が無駄になる。
 導師は神通力によって城(都市)をつくり、「あの城に入れば安穏になれる」と励ます。歓喜した人々は、前進して城に入る。
 十分に休息をとったことを確認した導師は、その城を消し去る。そして、城は幻であり、真の目標である宝処は近いと説く──
 こういうあらすじである。
16  共に宝処へ!
 この譬えについて、御義口伝では、次のように教えられている。
 「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処に至る』のである。この『共』の一字は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至る。『共』に進まないならば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるということである」(御書734㌻、通解)
 わが師と共に──この一念で、広宣流布へ進む人は、すでに胸中で勝っているのだ。
 仏法は厳しい。
 大難が襲いかかってきた時に、師匠の恩を忘れ、裏切るならば、峻厳な報いを受ける。
 反対に、広布の師弟共戦は、晴れ晴れとした、永遠の幸福勝利の道なのである。
 戸田先生は厳しく言われていた。
 「師匠の戦いに後れをとるようでは、大聖人の仏法の真髄はわからないぞ!」
 「師匠を師匠として認識できないような、失敗の人生にだけはなるな!」
 この恩師の叫びを、未来を担うリーダーは、深く魂に刻みつけていただきたい。
17  真の信仰者には“難こそ誉れ”である。
 仏法は、いかなる宿命をも転換できる、幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。
 ゆえに、人々を意のままに操り、欲望を恣にしようとする「権力の魔性」からは、激しい反発を受ける。
 正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る。御書に「仏と提婆とは身と影とのごとし」(230㌻)と仰せの通り、釈尊の時代には悪逆の提婆達多がいた。
 麗しい和合を壊し、尊き仏子を苦しめ、五逆罪を犯した。最後は無間地獄に堕ちた。
 提婆達多は、教団の実力者であった。釈尊の声望を妬み、追い落とそうと、陰謀をめぐらしたのである。
 広宣流布を阻む最大の仏敵は、教団の外ではなく、中に現れる。邪宗門と結託した反逆者も、そうであった。
 日蓮大聖人は、提婆達多は「虚言」「虚誑罪」「大妄語」であると指弾され、「妬む心が深く」(御書1349㌻、通解)、「名聞名利が深い」(同1348㌻、通解)と喝破されている。
 広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。
 イギリスの哲学者、J・S・ミルは「だれが責任をとるのかを、だれも知らないときには、責任は存在しない」(水田洋訳『代議制統治論』岩波文庫)と論じている。
 万事において、責任を明確にして前進していくことだ。
 誰かがやるだろう。何とかなるだろう──そんな無責任で、臆病な人間になってはならない。
 民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばない──そんな卑怯な人間に、絶対になってはならない。
18  すべてを恩師に
 私は先日(10日)、全同志の皆様を代表して、中央アジア・キルギス共和国のイシク・クル国立大学から「名誉教授」の称号を拝受した。〈世界からの名誉学術称号は253。決定通知を含めると、274になる〉
 戸田先生はよく、「わが愛弟子には世界的英雄になってもらいたい」と言われた。
 ありがたい師匠であった。
 私自身は、「私への栄誉は、すべて戸田先生への栄誉」との心で、あらゆる顕彰をお受けしてきた。
 戸田先生という偉大な指導者を、日本中、世界中の人々に認めさせたい。最高最大に宣揚したい。それが私の誓いであり、人生であった。
 体が弱く、無冠の青年であった私が、日本のため、世界のため、そして広布のため、学会のために、命を削って働いてきた。
 疲労困憊の日もあった。満身創痍の時もあった。働いて働き抜いて、今日を迎えた。
 同志の皆様の深き祈りのおかげで、私は、ますます健康である。
19  学会は今、世界が注目し、讃嘆する偉大な教団となった。
 〈たとえば、名誉会長の名誉学術称号が250に達したことに対し、次のような祝福の声が寄せられている。
 「全世界の満場一致の賞讃」(ローマクラブのホフライトネル名誉会長)
 「進歩を続ける全人類にとっての慶事」(ウクライナ・キエフ国立貿易経済大学のマザラキ総長)
 「世界中の『庶民』と会ってこられたそのご尽力が形になったもの」(アメリカ・モアハウス大学キング国際チャペルのカーター所長)
 「3つの柱(=平和・文化・教育運動)が世界的な大潮流となったことへの世界からの賞讃と感謝の証し」(お茶の水女子大学の遠山益〈すすむ〉名誉教授)
 「池田会長は、『流芳百世』(百代の後まで伝わる名声)であると確信します」(韓国・昌原〈チャンウォン〉大学の李寿晤〈イ・スオ〉総長)
 「地球は、会長のまぶしき光の中で、感動にうち震えています」(インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ理事長)〉
 この創価の運動の大隆盛を、当たり前と思ってはならない。
 広宣流布は、難事中の難事である。簡単な戦いなど一つもない。
 人類初の宇宙飛行士ガガーリンが「人間は障害との戦いの中で、その真価が問われる」と述べている通りだ。
 厳しい戦いに立ち向かい、一つ一つ勝ち抜いてきたからこそ、学会は偉大な栄光を築いてきた。これからも、方程式は同じである。
20  「私は幸せだ」
 私がどれほど師匠を大事にし、弟子を大事にし、学会を大事にし、大聖人の仏法を世界に広げてきたか。
 青春時代からの言語に尽くせぬ闘争は、そばにいた妻が、一番よく知っている。
 師匠に「大作、立ち上がってくれ」と言われれば、即座に戦いを起こした。あらゆる難局を切り開き、学会を大前進させてきた。
 そういう私に、先生は、毎朝のように「戸田大学」を開き、万般の学問を、自ら授けてくださった。
 偉大な先生であった。怖い先生であった。先生が怒る時は、天地がひっくり返るほどのすさまじさであった。
 その先生が、亡くなる間際、私にこう言ってくださった。
 「いい弟子を持って、俺は満足だ。本当に幸せだ。大作、ありがとう」
 これが、美しく尊き創価の師弟の世界なのである。
 戸田先生の言葉を、青年に贈りたい。
 「青年は嵐のごとく団結せよ! そして、一つの目的に対して、嵐のごとく拍手の応援をせよ! 広宣流布の勝利は、この青年の力に期待をかける以外にない」
21  本物よ出でよ!
 遠大な広布の未来を展望する時、本当の勝負は、いよいよこれからである。
 私は戸田先生の弟子として、「不二の心」で生きてきた。何があろうと、平気である。
 誓いを貫き、同志を護り、正義を打ち立てる「師弟不二の弟子」がいるかどうか。一切は、それで決まる。
 ドイツの大詩人ゲーテは謳った。
 「若き日々を大切に活用しなさい。早く賢明になれるよう学んでいきなさい」「君は、上に向かって登るのか、下に向かって沈むかだ。強大な勢力を得て勝利するか、服従して敗北するかだ。苦しみ悩むか、凱歌をあげるかだ」
 仏法は勝負だ。仏と魔の闘争である。勝つか負けるか、どちらかしかない。
 ゆえに青年は、心を磨き、頭を鍛え、勝ち抜く力をつけるのだ。
 「本物の弟子よ、出でよ!」
 こう私は声を大にして叫びたい。頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
22  誰が上とか下とかではない。皆が同じ責任感に立ち、戦う心を燃やして、広宣流布へ前進する。だから学会は強い。それが、戸田先生以来の伝統である。
 劇作家としても知られるゲーテは、ある時、劇の出演者にこう呼びかけた。
 「どんな小さな役だって重要なんだよ」「厳密な意味でのわき役なんてものはない。どんな役も、ある一個の全体にとって、なくてはならない部分だ」(ビーダーマン編・菊池栄一訳『ゲーテ対話録Ⅱ』白水社)
 全員が、広宣流布の勝利の劇の「主役」の誇りに燃えて戦おう!
23  正義を満天下に
 民衆の前進を阻もうとする権力の圧迫に対して、私は敢然と立ち向かい、すべてに打ち勝ってきた。
 不当逮捕された「大阪事件」は、無罪で全面勝利。
 判決の前、担当の弁護士は、まったくの無実と知りながら、敗北を覚悟するよう言い出すありさまであった。
 しかし私は、「断じて無罪を勝ち取ってみせます!」と言い切った。法廷で、検察側の巧妙な主張も、次々と打ち破っていった。
 そして判決の日、昭和37年の1月25日。
 裁判長は「無罪」を宣言したのである。
 その後、公判を担当した一人の検察官が「これで、当然です」と語りかけてきたことも忘れがたい。
 この裁判の行方を、恩師・戸田先生は最後まで心配されていた。
 関西婦人部をはじめ多くの同志が祈り続けてくれた。
 あの勝利の日──先生は、すでに逝去されていた。報告を聞かれたら、どれほどお喜びくださったことか。
 ともあれ、我らの正義と真実は、司法の場においても、厳然と立証されてきた。
 戸田先生は言われた。
 「仏法のうえから論じ、国法のうえから論じ、世法のうえから論じて、堂々たる行動を行うのだから、創価学会は、なにびとたりとも恐れない会である」
 この確信でいこう!
 創立80周年へ、連戦連勝で進もう!
 ファシズムに反対したドイツの文豪トーマス・マンは「最後に勝利が確定するまで油断は禁物です」(森川俊夫ほか訳『トーマス・マン日記 1944―1946』紀伊國屋書店)と叫んだ。
 油断は大敵である。慢心を許してはいけない。特に幹部は心していかねばならない。策や要領ではなく、真実の仏法に生きるのだ。
 今こそ、万代に崩れざる創価城を、晴れ晴れと築いてまいりたい。
24  ゲーテは『ファウスト』に、次のように記している。
 「功労と幸福とは一つにつながる」(相良守峯訳『ファウスト』岩波文庫)
 仏法に通じる、味わい深い言葉である。
 広宣流布の労苦──特に陰の努力と功績にこそ、不滅の福徳が光る。
 戸田先生は婦人部に強く言われた。
 「信心を貫いていけば、功徳は厳然と現れる。その功徳とは、中途半端なものではないよ。目に見える絶大な功徳なのだ」
 戦後間もないころ、戸田先生は事業に失敗され、莫大な借金を抱えられた。
 私は、ただ一人、すべてをなげうって、先生をお護りした。
 給料は何カ月も遅配。真冬でもオーバーもなかった。靴が買えず、足駄(=高下駄)を履いたこともある。
 「カランコロン」と音を鳴らして歩いていると、かつて勤めていた会社の上司と、ばったり出くわした。
 昔はよく、雨の日、道が悪いので、足駄を履いたものだ。しかし、その日は晴れていた。
 「池田君、きょうは天気なのに、何で足駄を履いているの?」
 私は朗らかに、「背が高くなるよう足駄を……」と答えた。
 その上司が、「池田君は、必ず将来、偉くなるよ」と期待を寄せてくださったことも、懐かしい。
 思い出深き、わが青春の一ページである。
 私の人生は、恩師に捧げた人生である。
 恩師ありて、今の自分がある。本当に幸せだ。
 この師弟の道を、まっすぐに走り抜いてきたゆえに、すべての労苦は今、世界一の栄誉となって、満開の桜のごとく花開いている。
25  宝は自分の中に
 ゲーテは、こうも綴っている。
 「私の中には、高貴な宝が豊富にある。それは、人のためになる宝なのです」
 この宝を引き出す究極の力が、「信心」であり、「師弟」なのである。
 さらに、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。
 「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」(手塚富雄著『いきいきと生きよ──ゲーテに学ぶ』講談社現代新書)
 いい言葉だ。簡単なようで深い哲学が込められている。
 いくら健康であっても、何の目標もなく、張り合いもない。挑戦もなければ、喜びもない。ただ漫然と、むなしい日々を送るだけ。そんな“生ける屍”になってはいけない。
 「生き生きと」進むのだ!
 たとえ病気になっても、心は生き生きと!──絶対に負けてはいけない。戦う心まで病魔に食い破られてはならない。
 勝っても負けても、生き生きと!──人生の勝敗は、途中では決まらない。最後に勝つ人が、真の勝利者なのである。
26  強く! 強く! 折伏精神で!
 広宣流布の戦は断じて勝つことだ。
 勝ってこそ正義である。自身のため、一家のため、わが愛する地域のために、勝ちまくっていただきたい。
 戸田先生は呼びかけられた。
 「しっかりと信心で立ち上がることだ。いかなる戦いも、折伏精神を大いに盛り上げて断じて勝つことだ」
 「引っ込み思案は大きな欠点である。強く強く前に出なさい!」
 折伏精神で、強き信心で進もう! きょうは長時間、ご苦労さま! ありがとう!
 どうか風邪をひかれませんように。皆、元気で活躍していただきたい。勝利の名指揮を頼みます!

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