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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部・女子部最高協議会  

2009.2.18 スピーチ(聖教新聞2009年下)

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1  お忙しいなか、また寒いなか、ご苦労さま!
 きょうは、全国の婦人部のリーダー、東京、埼玉、千葉、神奈川、そして関東、東海道の婦人部の代表が集っておられる。
 皆様方をはじめ、わが使命の天地を駆けめぐる、尊き同志のご活躍の様子は、すべてうかがっている。いつも、本当にありがとう!
 さらに、女子部、女子学生部の代表も参加されている。
 今、全国各地で「青年・勝利座談会」が活発に行われている。青年が原動力となり、全員が「青年の心」で進みゆく創価家族の姿こそ、わが地域の希望の光だ。
 烈風が吹き荒れるような社会の状況である。しかし、大変な時の戦いだからこそ、大きく成長できる。広宣流布の地盤は、さらに強固になり、信頼が広がる──そう深く決意して、前進していただきたい。
 全国、そして全世界の婦人部・女子部の皆様方の尊きご健闘を心から讃えつつ、記念の句を贈りたい。
  春 近し
    寒風 涼しく
      梅 笑顔
2  近代看護の母・ナイチンゲールは綴った。
 「正義は常に幸福であり、幸福に至る道なのです」(M・D・カラブリア他編善、小林章夫監訳、竹内喜・菱沼裕子・助川尚子訳『真理の探究』うぶすな書院)
 広宣流布という「正義の中の正義」の道を生きゆく皆様方の人生ほど、誇り高く、幸福なものはない。
 しかも、それは、今世のみの幸福ではない。妙法という宇宙の大法則とともに、どこまでも向上しゆく、永遠不滅の「常楽我浄」の道なのである。
 ナイチンゲールは、こうも記した。
 「世界は私たちが形づくるものであり、そこから逃避するものではないのです」(同)
 苦悩渦巻く現実の社会から、逃げるのではない。嘆くのでもない。たゆまざる挑戦と行動によって、自らが、日々、新たな世界を築き上げていくのだ。
 御聖訓には「心の一法より国土世間も出来する事なり」と仰せである。
 大事なのは「心」である。戦う「魂」だ。そこから、すべての変革が始まる。
 今、この時を戦い、開いていく。使命あるわが人生を勝ち飾っていく。そのための信心なのである。
 私は、創価の太陽の母たち、広布の華の乙女たちの清らかな、そして強き祈りから、希望と勝利の大建設は始まると申し上げたい。
3  深き包容力を
 いよいよ、これからが広宣流布の総仕上げの時である。
 本部第2別館やSGI(創価学会インタナショナル)世界文化センターなど、学会本部周辺の建物の建設も、順調に進んでいる。
 全同志のため、そして未来のために、盤石な土台をつくりあげておきたい。私は、その決意で真剣に指揮を執っている。
 学会の発展のため、友のために、これまでどれほど心を砕いてきたか。
 陰で学会を支えてくださっている方々が少しでも元気になり、喜び勇んで戦えるよう、激励を贈ってきた。
 こまかいことまで気を配り、「ここまで」と相手が驚くほど、手を尽くして、一人一人を励ましてきた。
 全世界に、ありとあらゆる手を打ってきた。まさに生命を削っての一日一日の闘争だった。
 友のために「頭」を使い、「心」を使う。それが真実の指導者である。無慈悲であってはいけない。リーダーは、深き包容力を持たねばならない。
 これは師匠・戸田先生の指導である。私は、その通りに実践している。
4  私は、師匠に徹してお仕えした。
 戸田先生がおられるからこそ、広宣流布は実現できる。全同志が、幸福の道を歩むことができる。
 師匠を護ることが学会を護ることであり、広宣流布を進めることである。私は、そう深く確信していた。
 戸田先生の教えに背き、反逆していった人間は、この一点がわからなかった。
 要するに「自分が偉い」と慢心を起こし、師匠から離れていってしまったのである。
 私は今、未来を見据えて、万年の発展への道を築いている。永遠に学会が伸びていけるように、人知れず手を打っている。
 どうかリーダーの皆様は、広宣流布へ向かって、心を一つにして進んでいただきたい。師弟の道を、まっすぐに歩み抜いていただきたい。
5  「行動」で決まる
 大事なのは「行動」である。
 私は、戸田先生のために命をかけて戦い抜いた。先生を護り抜いた。師匠に仇をなす人間とは、言論で徹底的に戦った。
 自分が偉くなろうとか、幸せになろうとか、そんなことは、まったく考えなかった。
 仏法の根幹は「報恩」である。先生のために戦いきって死んでいこう。師匠の大恩に報いるのだ。その思いで戦った。
 そして現実の上で、私は広宣流布を進めた。学会を発展させた。明確な「実証」を示した。
 「大作、お前がいてくれて私はうれしい」「本物の弟子をもって、私は幸せだった」──亡くなる前に、先生は、こう語ってくださった。私の永遠の誇りである。
 師匠が不当に罵られ、中傷されても、何の反論もできない。そんな情けない弟子であってはならない。
 私は、この決意で走り抜いてきた。
 仏法は厳しい。絶対の法則だ。
 本当に真剣に戦っている人には、無量無辺の功徳がある。
 御聖訓には「身はをちねども心をち」と仰せである。外見は立派に信心しているようであっても、心が堕落してしまえば敗北である。
 リーダーが率先して広布の最前線に飛び込み、同志と一緒に泥まみれになって戦っていく。これが学会精神である。
6  『人生問答』で
 年頭から、私は小説『新・人間革命』の中で、松下電器産業(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助氏との交流の思い出を綴らせていただいた。
 まことに懐かしい、そして忘れ得ぬ、人生の大先輩である。
 厳しい経済不況の今だからこそ、大実業家である松下氏の信念と哲学から学ぶべきことは多い。
 松下氏とともに発刊した往復書簡集『人生問答』は、中国語などにも翻訳され、各国の若き経営者からも、反響をいただいている。
 この『人生問答』の中で、松下氏から鋭く質問されたことがある。
 それは──
 創価学会の急速な拡大には、まことに目を見張るものがある。武力も権力も用いずして、これほどの偉大な発展を遂げた例は、過去の歴史において、いかなる団体にも見なかった。学会の発展の要因は、一体、どこにあるのか、という問いかけであった。
 裸一貫で自ら会社を興し、若き日より、苦労に苦労を重ね、世界に冠たる大企業を築き上げられた“経営の神様”からの質問である。
 私は、大きく4つの観点から率直に語らせていただいた。
 第1は、「日蓮仏法を、正しく現代に生きた実践哲理として展開してきた」ことである。
 いかに優れた哲理、宗教であっても、時代性、社会性を無視して、教条的、独善的に用いたならば、大きな潮流を起こすことはできない。
 大切なのは、仏法を「生きた哲学」として現代社会に展開していくことである。
 第2に、「学会は庶民に根差し、庶民から出発した団体である」ことである。
 庶民の一人一人が、正しき信仰によって目覚め、人間革命、生活革命、家庭革命を成し遂げ、見事な実証を示してきた。
 第3に、「学会員が自らの体験と実証をもとにして、他の人々に働きかけるという『自行化他』の実践をたゆみなく続けてきた」ことである。
 信仰によって確かな実証を得たならば、隣人にも、友人にも、教え伝えていくことこそが、人間として本然の振る舞いである。利他こそ、宗教の生命といってよい。
 民衆が自発的に布教に立ち上がり、歓喜に燃えて折伏を行ってきたことが、学会を興隆させてきたのである。
 第4に、「戸田先生という卓越した指導者を得た」ことである。
 戸田先生という師匠がいなければ、学会の発展は、まったくあり得なかったといってよい。この稀有の師匠の指導通りに、師弟の道をまっすぐに歩み通してきたからこそ、学会は奇跡と言われる大前進を遂げたのである。
 こうした点については、松下氏も深く納得してくださった。
 これからも、この基本を大切にするならば、学会は勝ち進んでいくことができる。
 すなわち、要約すれば──
 ①「社会へ正しく展開する」
 ②「庶民の大地に根を張る」
 ③「他者へ生き生きと語る」
 ④「師弟の道を貫き通す」となる。
7  忘れてならないのは、この4点のいずれも、最も真剣に実践し抜いてこられたのは、婦人部・女子部の皆様方だということである。
 ゆえに私は、この4点に加えて、「偉大なる女性のスクラムを大切にする」ことを改めて強調しておきたい。
 婦人部・女子部の活躍こそが、学会の大発展を成し遂げた。
 そして、これからも、大発展を成し遂げていく最重要の力である。
 フランスの歴史家ミシュレは、『フランス革命史』の中で、「女性は巨大な、真に不敗の力だ」(桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳『フランス革命史』中公文庫)と洞察した。
 歴史家の眼は鋭い。本当に、女性の存在は偉大である。
 創価学会も、信心強き女性の力で勝ってきた。
 地位とか肩書とかで威張って、人にやらせるだけで、自分は何の苦労もしない──そういう男性にかぎって、いざという時は臆病だ。何もできはしない。
 大事なのは、女性である。
 特別な権威とか権力を持っているわけではない、平凡な一庶民の婦人たちが、師弟の心で、不惜の命で、懸命に戦い抜いてくださったから、学会は伸びてきたのだ。
 広宣流布は、女性で決まる。
 この尊き女性をいじめるような人間や組織は、いずれ、必ずダメになる。
 現実に戦ってくださる方を大事にしなければ、発展するはずはない。
 ともあれ、婦人部・女子部を、これまで以上に尊重し、大切にしていく。
 ここにこそ、これからの学会の拡大と勝利の鍵があることを強く訴えておきたい。
 ワイダー博士の母が心に刻む箴言
 「いまだかつて熱意なしに成し遂げられた偉業はない」
8  女手一つで育て上げる
 私は今、アメリカの名高い「エマソン協会」の前会長で、詩人として活躍されるサーラ・ワイダー博士との対談を進めている。
 博士との対談では、アメリカ・ルネサンスの旗手エマソン(1803〜1882年)、そして、その思想に大いなる影響を与えた偉大な女性たち──エマソンの母やおばなどに光を当てながら、文学論から教育論まで、幅広く語り合っている。
 この対談では、エマソンの母ルースが、子どもたちを育てるために、どれほど心を砕き、苦労したかも話題になった。
 エマソンが8歳の年に、父親が亡くなった。母は、残された子どもたちを、女手一つで育て上げていった。
 家計は常に苦しく、食べる物も、着る物も十分になかった。
 子どもたちは、一着のコートを、代わる代わるに着たという。
 しかし、お母さんは決して挫けなかった。経済苦を乗り越えながら、子どもたちの教育に熱心に取り組んだ。エマソンをはじめ4人の子どもたちは、ハーバード大学へ進学した。
 私には、苦労に苦労を重ねながら、わが子を、創価学園や創価大学へ送り出してくださっているお母さん方とも重なり合って、胸に迫ってくる。
9  母の学ぶ姿が子に学ぶ喜びを
 母親のルースが、子どもたちを、いかに愛情豊かに、そして聡明に育て上げていったか──ワイダー博士は、その尊き姿の一端を、紹介しておられた。
 「若き日のエマソンの心に刻まれたのは、多忙ななかでも、常に読書をしている母親の姿でした。
 彼女は、毎日、時間を割いては、重要と思われる書物を読んでいたのです。
 エマソンも、他の子どもたちも、皆、その姿を尊敬していました。彼女のこの姿から、エマソン自身も生涯にわたる読書の習慣を身につけていったのです」
 母の模範の姿が、無言のうちに、子どもたちに、学ぶことの尊さと喜びを教えていったというのである。
 その意味から、わが婦人部の皆様が忙しい活動のなかで、時間を見つけては、御書をひもとく。聖教新聞を開く。世界との対話を学ぶ──。
 そうした姿が、どれほど重要な人間教育の力となっているか。
 創価の女性は、活字文化を興隆させゆく、みずみずしい推進力でもある。
10  ところで、ワイダー博士は、ご自身が教壇に立たれる名門コルゲート大学での授業で、私の詩を教材に取り上げてくださっている。
 博士は、私が詠んだ母についての詩に深い共感の声を寄せてくださった。
 「“母は太陽”であるという池田博士の詩の表現は、私の心を高揚させてくれる、とても、うれしいものです。
 なぜなら、西洋では、女性はよく“月”に譬えられるからです。“月”は美しくて、私も好きですが、どこか“依存”というイメージを伴います。
 ですから、池田博士が、女性を“太陽”に譬え、母親を“太陽”に譬えられたことが、私はとても、うれしいのです。
 母親は、子どもにとって“光”を投げかけ、温かさをもたらす存在です。
 子どもたちが育ち、自分たちの人生を歩んでいくとき、母親こそ彼らに光を注ぐ、まさに“太陽”の存在なのです。
 子どもたちが、それぞれの人生で前進できるよう“陽光”で照らすのが母親です。そして事実、太陽こそ、この地上のあらゆる生命の源泉なのです」
 私自身のことにもなって恐縮だが、地域の、また、一家の太陽と輝くお母さんたちへの大いなる期待として、紹介させていただいた。
11  人と人を結ぶ婦人部に喝采
 ワイダー博士は、ご自身の亡き母君を、ことのほか敬愛しておられる。
 その母君が残された教えを、博士は、こう語っておられた。
 「私の母は、熱意あふれる人でした。エマソンの『いまだかつて、熱意なしに成し遂げられた偉業はない』との言葉を、まさに身をもって実践した人でした」
 「私が母を深く尊敬する理由の一つは、母が“この世の中で、どんなことを行い、どんな職業に就くにせよ、人々に良い影響を与えなければならない”という信念を持っていたことです。
 これは、一人の教師として、また一人の親として、私の大切な考え方になっています」
 そして博士は、母君から学ばれた、ご自身の哲学に照らして、「人と人を結びつけ、多くの人々に励ましを贈り続けておられる創価学会の婦人部の皆さんは、本当に素晴らしいですね」と、高く評価されているのである。
 〈なおワイダー博士、から、次のような祝福の声が寄せられた。
 「このたびの奥様のお誕生日を、心より、お祝い申し上げます。
 私は、2006年の7月3日、池田博士と奥様にお会いする栄誉をいただきました。
 博士と奥様は、共に戦う同志として、私の前に立っておられました。
 その時、“奥様は、池田博士と共に、長年にわたり、平和のために献身してこられたのだ。いつも博士と共に、おられたのだ”との感慨がわいてきました。そして、お二人のお姿を拝見し、“人生の真の意義は、こうした関係の中にこそあるのだ”と私は悟ったのです。
 さらにまた、“お二人は、それぞれの特質を、いかんなく発揮されながら、瞬間瞬間を支え合って生きておられるのだ”と、実感したのです」〉
12  ヤング・ミセスへ
 なお、対談のなかで、ワイダー博士は、小さなお子さんを育てる若いお母さん方にも、ご自身の子育ての体験から、心からのエール(声援)を贈っておられる。
 「お母さん方に対して、励ましが必要です。子育ては、どれほど心身を消耗するものか。それを、私は、よく知っているからです」
 「アメリカにも、他の国々にも当てはまることですが、母親たちは、あまりにも完壁さを求められています」
 「しかし、子どもたちが心に留めるのは、母親が注いでくれた愛情、払ってくれた心遣い、そして何をしてくれたかです。
 時には母親として、『ああ、私は忍耐が足りなかった、もっと我慢してやればよかった』と思うこともあるでしょう。でも、それでよいのです」
 ともあれ、日々、奔走するヤング・ミセスの皆様方に、私と妻からも、「自分で自分を励ましながら、朗らかに、ともかく朗らかに前進を!」とエールを贈りたい。
13  もうすぐ希望の春が来る。わが人生の喜びの春へ、輝く勝利の創価の春へ、張り切って進もう!
  皆様の
    幸福うたわむ
      梅の花
 今、本部周辺でも、紅梅や白梅が、高貴な香りを広げている。
 女子部は広布の華である。妙法の華である。
 有名な御聖訓には、「我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である」(御書716㌻、通解)と、明快に仰せである。
 妙法蓮華経の意義は、幾重にも深い。
 頭を使うのだ。正義の勝利のために。仏縁を広げるために。
 語るのだ。「声仏事を為す」である。生き生きとした声で、同志を鼓舞していくのだ。
 そして、心を尽くすのだ。心を使うのだ。皆が歓喜にあふれて前進できるように。
 また、法華経には、「因果倶時」の法理が示されている。その象徴が「蓮華」である。
 普通は、花が散ってから実がなる。しかし「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」。花と実が同時に成長する。
 広布のために祈り、戦う、今の一念の「因」に、幸福と勝利の「果」は厳然と輝いているのである。
 ゆえに行動することだ。大目的のために。
 歩くのだ。民衆のために。同志のもとへ、足を運ぶのだ。
 妙法を唱え、弘めゆく人には、尊極の仏の生命が涌現する。
 尊き皆様こそが、妙法蓮華経の当体なのである。
 華のごとく、わが人生を開き、華のごとく使命の大輪を咲き薫らせていただきたい。
14  新たな常勝の時代を築け!
 さて、3月3日「ひな祭り」の日は、「大阪婦人部の日」でもある。
 大阪・堺出身の歌人・与謝野晶子が「ひな祭り」について書いている。関東大震災の明くる年で、被災地にはバラック(仮小屋)が建ち並んでいた。
 「雛祭の日が来ました。昔からの習俗の中でも、この遊びは女の子のある家に今も行われて、美くしくもあり、優しくもあり、大人の心までを柔かにします」
 「東京や横浜では、今年はバラックの中でお雛様が祭られる事でしょう」
 「苦労を忘れると共に、新しく励む元気を生むことになります」(『與謝野晶子全集第13巻』文泉堂出版。現代表記に改めた)
 いかなる苦難の嵐の中にあっても、乙女の成長を願うところ、そして、乙女が生き生きと成長するところには、明るさがある。笑顔が広がる。
 創価学会の希望は、はつらつたる女子部、女子学生部である。
15  池田華陽会の前進、ご苦労さま!
 与謝野晶子は、青年を大事にし、青年の成長を願ってやまなかった。
 彼女は、自らの誕生日を祝ってくれた学生たちの真心に感謝しながら、こう書き記している。
 「学生達はすべて新しい人間の初花である。無限に豊富な未来が皆さんの手に握られている。私などの夢想にものぼし得ない輝く時代が皆さんに由って作られるであろう。私は今日この機会に自分を祝わずに皆さんをお祝いする」(『同全集第11巻』。同)
 今の女子部、女子学生部の皆さん方が、創価学会の新しい常勝の時代を築いてくれることを、私も妻も深く確信している。
 そしてまた、婦人部の方々も、私たち夫婦と同じ心で、女子部を大切に大切に育ててくれている。心から感謝申し上げたい。
16  「時」を創れ
 若い心には、深き哲学が滋養となる。
 創価大学には、レオナルド・ダ・ヴィンチやトルストイ、マリー・キュリーらの像とともに、「中央アジアのゲーテ」と讃えられるウズベキスタンの大詩人ナワイーの像が立っている。
 ナワイーの英知の言葉に、こうあった。
 「幸福とは、千の苦悩で傷ついても、最後に精神と魂の中に花を見いだす者のことである」
 現実は、誰人であっても、苦悩との戦いである。断じて負けず、あきらめず、強く耐え抜くところに、幸福の花は咲く。
 ブラジルの女性の識者の信条を思い出す。
 名門ロンドリーナ大学の総長として活躍された、パラナ州のプパト科学技術高等教育長官の言葉である。〈名誉会長は2004年、ロンドリーナ大学の名誉博士号を受章〉
 「冬には、植物も、花や葉のない姿です。
 それは、自分が一番いい時期に、花を咲かせようと待っているのです。
 人生も同じです。私たちも、自然をお手本にして、自身に具わった力と知恵を信じて、開花させていくことが大切だと思います」
 これが、天然の道理であり、生命のリズムである。
 決して、あせることはない。じっくりと、「時」を創り、幸福と勝利を開花させていく。その究極の力と智慧の源泉こそが、私どもの信仰である。
 ブラジルでも、またアメリカでも、2月27日を「婦人部の日」として、誇りも高く前進されている。
17  妙法に生きる人に悲嘆はない!
 ロシアの著名な法華経研究者であるヴォロビヨヴァ=デシャトフスカヤ博士は語っておられた。
 「生活環境は変わり、技術の時代、宇宙の時代を迎えています。
 すべてが新しい。
 ただ人間の生だけは、『生老病死』という変わらぬ法則に従って流れていきます。
 法華経の力を信じている人は、たとえ生活にどんな変化が生じても、人生を苦しみとは思いません。
 人生がどんな困難や苦しみを人間に与えようとも、法華経の教えに従っていくならば、恐れることなく、堂々と乗り越えていけるのです」
 妙法という大法則に生き抜く人生に、不幸はない。悲嘆もない。敗北もない。
 私たちは、生老病死という人生の根本課題を、一つ一つ打開し、「変毒為薬」して、「常楽我浄」の香風を広げながら、縁する人々と一緒に、絶対的幸福の軌道を悠々と進んでいけるのである。
 私と妻は、全国、全世界の婦人部、女子部の皆様の「健康和楽」と「幸福勝利」の前進を、毎日、真剣に祈り続けている。
18  「仏に誉められる境涯に」
 きょうも戸田先生の指導に学びたい。先生はよく言われた。
 「生活の上に、いろいろな試練が出てきても、負けてはいけない。
 どんなことがあっても、それは『護法の功徳力』によるものである。必ず全部、宿業が軽く転換できることは間違いない」
 また、健気に戦う同志を、こう励ましてくださった。
 「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が、聞いてくださっているよ。あなたを必ず護る」
 広宣流布のために戦う善き人を、諸天善神は必ず守護する。
 自分自身の生命には倶生神(=人が生まれるときに倶に生ずるとされる神)がいる。常に、その人自身の行動を見ている。信心の上の、どんな努力も、苦労も、天は見逃さない。
 広宣流布という、最極の正義に生き抜く皆様方が、断じて護られないわけがない。
19  さらに戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属となり、諸天となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」
 「よき友、よき同志に守られた人生は、絶対に負けない」
 まったくその通りである。
 また、自分自身が善知識になっていかねばならない。
20  人に接する時には、ツンとした、冷たい態度ではいけない。
 焼きもちを焼いてはいけない。信仰においても、人生においても、一番、気をつけるべきことである。
 嫉妬の人は伸びない。妬んでばかりの人とつきあっても、何の得もない。
 ともあれ、同志を守ってこそ、リーダーだ。女性を尊重してこそ、紳士だ。多くの後輩を伸ばしてこそ、先輩である。
 それをはき違えて、女性に対して威張る男性、若い人をいじめる幹部が、もしも将来、出たならば、心ある皆さんが、勇気をもって戦うのだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「信仰の上に立って、目標を完遂して、凡夫に誉められるのではなくて、たえず、仏様に誉められる境涯になろうではありませんか」
 この気概で、胸を張って進んでいきたい。
21  同志を護り抜け
 戸田先生は、私と妻に言い残された。
 「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
 私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
 また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
 同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。
 反対に、この正道を踏み外してしまえば、諸天善神から見放されてしまう。
 戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「仏意仏勅の学会を私利私欲のために利用したり、大恩ある学会を裏切ったりした者は、必ずや諸天から裁かれる」と。
 自ら決めた、尊い誓願を、絶対に裏切ってはならない。
 仏法の世界は不思議である。因果の理法は厳しい。仏法の眼で見れば、すべてが明快である。
22  感謝と賞讃を
 リーダーの心構えについて、少々申し上げておきたい。
 広宣流布の前進において、無責任で自分勝手な、人まかせの心があってはならない。
 リーダー自身が苦しんでやり遂げたものだけが、立派に輝くのだ。
 中心者が要領を使い、楽をすれば、まわりも真似し始める。そうすると、広宣流布という民衆運動の“本体”がなくなってしまう。“格好”だけは動いていても、“中身”が失われる。
 責任者が苦労し、悩む。ともに戦う同志に対して、「ありがとう」「ご苦労さま」「本当によくやってくれました」と、深く感謝し、ほめ讃える。
 そうした誠実な振る舞い、真剣な言葉がなければ、温かな、血の通い合う世界ではなくなってしまう。
 どれだけ戦っても、ほめられない。激励の一言もない。そんなリーダーのもとでは、まるで“機械”のように扱われていると感じるかもしれない。
 「人間」は、どこまでも「人間」である。皆、等しく尊貴であり、かけがえのない使命がある。これを決して忘れてはならない。
 細かいことのように聞こえるかも知れないが、指導者の一分の隙、わずかな傲慢が、知らず知らずのうちに、尊い和合を壊していってしまう。未来のために、あえて申し上げておきたい。
 ともあれ、責任ある立場にありながら、自分自身が苦労を避ける指導者は、最低であり、危険である。
 人をうまく利用して、自分はいい子になって、疲れないようにする。それで人材が育つはずがない。
 トップが自覚し、責任を持たなかったら、組織は崩れる。それが方程式である。
23  人間を磨け
 戸田先生は、幹部に対して厳しく言われた。
 「広宣流布を進める創価の師弟を、何よりも大事にし、護り切っていく。これが地涌の菩薩である」
 戸田先生は、牧口先生の弟子としての筋道を、いつもきちんとされていた。だから学会は伸びた。
 私と妻は、戸田先生に仕え抜いた。時代状況も悪いなか、先生のために本当に働いた。微塵も悔いはない。
24  私は、両親のことも、真剣に護った。
 戦争中は、4人の兄が兵隊にとられ、肺病の私が残った。家は空襲で焼かれた。
 “日本一、世界一の親孝行をしよう!”と決めて、生き抜いてきた。また“歴史上、これほど師に仕えた人間はいなかった、と言われるくらい、戸田先生に仕えよう”と思い定めた青春であった。
 19歳で戸田先生に出会って以来、どれほどの苦しみのなかで、創価学会をここまで発展させてきたか──この胸中をわかる人間がどれだけいるか。
 本来、こういう場で言うべきではないのかもしれない。しかし、学会の未来を思えば、言わざるを得ない。
 今、油断してしまえば、隆々たる学会も、魔に食い破られてしまう。
 私が戸田先生のもとで戦っていた時代と比べて、今は、よほど恵まれている。
 できあがった組織のなかで役職に就いても、“本当の苦労”を知らなければ、人間は磨かれない。
 どうすれば「師弟の精神」を護り、正しく伝えることができるのか。この一点を考え抜く人が、真の創価のリーダーである。
25  金剛不壊の「軸」
 いかなる時代になろうとも、学会の一番大事な精神性が「師弟」であることに変わりはない。
 増上慢が、仏法の一番の敵である。ましてや、わが師匠が大難を受けているにもかかわらず、腹の中で喜んでいるような者を、私は、絶対に許さなかった。
 師弟の精神を護らずに、広宣流布ができるわけがない。
 師弟こそ、あらゆる難を勝ち越える、金剛不壊の“軸”であるからだ。
 きょうは、この一点を皆さんに伝えておきたい。
 師弟なき学会は、前進の“軸”がないに等しい。
 皆様が「師弟」の精神を護っていけば、必ず素晴らしい指導者が湧き出てくる。その未来を、私は確信している。
 私も、もう一度、新たな革命を起こすぐらいの決心で、戦っていく。若々しい心で、一緒に進もう!
26  正義の熱弁を
 戸田先生には、「何かあったら、大作に聞け」「大作は、わかっているから」と言っていただいた。
 「大作とは、何時間でも語りたいな」と言われ、何でも話し合う師弟であった。
 あまりにも激しい闘争のなか、先生は私に対して、“夜学も断念させて、すまなかった”──こうした思いでおられた。そして、一対一で万般の学問を教えてくださったのである。
 歴史学者のトインビー博士から手紙をいただいた時も、先生の訓練のおかげで、有意義な対談を成し遂げることができた。
 それが私の誇りである。
 死にものぐるいで、気取りを捨てて、「先生のためならば!」「魔には、学会に指一本たりとも触れさせないぞ!」との気迫で進んだ。いずこの地へ行っても、堂々と、先生の正義を訴え、熱弁を振るった。
 なかでも、「大阪の戦い」が一番大変であった。
 後に退転した、古参の幹部たちには、関西を下に見る心があった。嫌な、インチキな人間であった。
 しかし、予想を完全に覆し、私が指揮を執った大阪は勝った。
 私は戸田先生に全生命を捧げた。
 真剣勝負の「一人」がいる組織は必ず発展する。
 師弟に生き抜く「青年」が未来を開くのだ。
27  青年に託す
 日中友好の先駆者であった実業家の高碕達之助氏は、「青年とは、常にその時代の行動者」であると述べ、激動の世界を生き抜いた、自らの青春を振り返っておられる(高碕達之助集刊行委員会編『高碕達之助集』東洋製罐)。
 氏とは、1963年(昭和38年)9月にお会いした。氏の逝去の半年前のことだった。
 その時、氏78歳。私は35歳──。
 日中友好の功労者は、息子ほど年の離れた青年の私に、未来の希望を託された。
 私もまた、広宣流布の未来は、若き皆さんに託すしかない。そう心に決めている。
 青年部、頼むよ!
28  女姓こそ尊貴な「人類の大英雄」
 母の慈悲ほど、深く強いものはない。
 私が対話を重ねてきたインドの哲人ラダクリシュナン博士も、母親が命を懸けて子どもを守る勇敢さを、「至高の英雄的資質」であると心から讃えておられた(「ガンジーにおける『サティヤーグラハ』と池田大作における『人間革命』」、「東洋学術研究」第47巻第1号所収)。
 〈名誉会長は、N・ラダクリシュナン博士と対談集『人道の世紀へ』を本年1月26日に発刊している〉
 生命を守り、支え、育み、慈しむ女性こそ、最高に尊貴な「人類の大英雄」なのである。
 日蓮大聖人は、「不惜身命」の信心を、母の慈悲に譬えて教えられた。
 「開目抄」には「正法を護ろうとするならば、貧女がガンジス河にあって、わが子を愛念するがゆえに身命を捨てたごとくにしなさい」(御書233㌻、通解)との涅槃経の一節が引かれている。重要な意義が込められた御文である。
 母が子を護らんとしたように、正法を護り抜きなさい──こう大聖人は教えられた。そこにこそ、わが境涯を開く要諦がある。
29  そしてまた、大聖人は記されている。
 「今、日蓮は去る建長5年(1253年)4月28日から今年弘安3年。(1280年)12月に至るまで、足かけ28年の間、他のことは一切なく、ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。
 これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする慈悲と同じである」(同585㌻、通解)
 大聖人は、立宗を宣言されて以来、いかなる大難も乗り越え、勝ち越えられながら、末法の民衆のために、妙法を弘め抜かれた。
 その御心は、母親が赤ちゃんを育てる慈悲の心と同じだと仰せなのである。
 わが婦人部の皆様方は、まさしく、この御本仏の御心に連なって、妙法を、粘り強く、誠実に、語り弘めてこられた。
 わが創価学会には、婦人部の皆様方の慈愛の光が満ちている。
 だから、強い。だから、明るい。
 だから、悩める友を温かく包む深さがある。
30  仏縁を広げよ!
 あの昭和27年(1952年)の「2月闘争」の折にも、婦人部の皆様方が、私とともに強盛なる信力、行力を奮い起こして立ち上がってくださった。そこに、厳然たる仏力、法力が湧き出たのである。
 戸田先生は、「勇気」が「慈悲」に代わると教えてくださった。
 時代の闇は深い。悩める友は、あまりにも多い。今こそ、太陽の大仏法を、勇敢に、快活に、大確信をもって語っていきたい。
 対話を広げた分だけ、仏縁は広がる。
 大聖人は仰せである。
 「信心というのは、特別なことではないのです。妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のために命を捨てるように、親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(同1255㌻、趣意)
 実にわかりやすく、信心のあり方を教えてくださっている。
 「母の心」のごとく、正法を護り、正義の師弟を護り、友を励ましていくことだ。
 そこにこそ、真実の信心の歓喜が漲る。広宣流布の希望の前進が生まれる。
31  時代は動いている。今、世界各国から、創価の人間主義を支持する顕彰が相次いでいる。毎日のように、うれしい連絡が飛び込んでくる。
 これも、すべて、来る日も来る日も、友のため、法のため、平和のために、広宣流布の道なき道を開いてこられた、尊き同志の奮闘のおかげである。
 だれも見ていなくとも、黙々と使命を果たす。誇り高く、誓いを貫く。皆が健康で、無事故で進んでいけるよう、心を尽くし、勝利を祈る──。
 創価班、牙城会、白蓮グループも、その心で戦ってくれている。
 広布の宝城を護り、同志を護り、広布を支える、すべての皆様方に、私は毎日、合掌する思いである。
 その人にこそ、最高の“勲章”を捧げたい気持ちだ。そういう人がいるからこそ、妙法は192カ国・地域にまで広がった。
 リーダーは、言葉でもいい、笑顔でもいい、何でもいい、真心にはそれ以上の真心で、必ず応えていかねばならない。
 皆に好かれ、皆の心を鼓舞する名指導者であっていただきたい。
32  青年のために!
 我らの友情は、全世界を結んでいる。
 2月4日は、アメリカの人権の母ローザ・パークスさんの誕生日である。
 もう16年前になるが、パークスさんの80歳の誕生日を、アメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパスでお祝いした。〈1993年1月30日〉
 私と妻からのバースデーケーキのプレゼントを、大変に喜んでおられた。あの美しい姿が、今も鮮やかに心に浮かぶ。
 パークスさんは、この前年に、語学研修中だった創価女子短大の乙女たちと語らいの一時をもった。
 「彼女たちとの出会いは私の一生における新しい時代の始まりを象徴するように思えてならない」と、この偉大なお母さまは言われていた。〈パークスさんは94年5月に創価大学を訪問。「あの女学生たちにお会いしたい」との希望を受け、創価女子短大の卒業生と再会が実現した〉
 「これからも青年のためにできる限りのことをしたい。青年こそ私たちの未来だからです」──これこそ、「人権の母」が、人生の総仕上げとして立てた願いであった。私も同じ思いである。
33  パークスさんは、白人の乗客にバスの席を譲ることを拒否して逮捕された(1955年12月1日)。
 彼女の勇気から、あの有名な「バス・ボイコット運動」が始まったのである。
 パークスさんの信念は固い。「私たちは、強くありつづけなければなりません。希望を捨ててはいけません。そうすれば、きっと打ち勝つことができます」(高橋朋子訳『勇気と希望』サイマル出版会)
 「私は、自分を、不正と闘った人間として、また、若い世代によりよい世界が来ることを望んだ人間として人びとから覚えていてもらいたいと思っています」「そして、私の闘いは続きます。抑圧されている人がいるかぎり……」(同)
 青年と共に、正義のために戦い抜く。その人生の栄光は、永遠に不滅である。
34  パークスさんの闘争から半世紀を経て、アメリカに初のアフリカ系(黒人)大統領が誕生した。47歳のオバマ大統領である。
 43歳で就任した、第35代のケネディ大統領に比せられる若さである。
 ケネディ大統領とは、私が首都ワシントンを訪れ、会談する予定で話が進んでいたが、横やりが入り、実現しなかった。のちに弟のエドワード・ケネディ上院議員が、東京の私のもとへ、わざわざ訪ねてきてくださったことも懐かしい。そのケネディ大統領の、平和への熱情あふれる演説を紹介したい。
 「試みるのに早すぎるということはありませんし、また話し合うのに遅すぎるということもありません」(長谷川潔訳注『英和対訳ケネディ大統領演説集CD付』南雲堂)
 「たとえ、それが千里の道程であれ、それ以上であれ、歴史上にわれわれがこの場所で、この瞬間に第一歩を踏み出したということを残そうではありませんか」(同)
 行動する「時」──それは「今」である。そして、一歩また一歩と、着実に歩みを進めてこそ、わが人生の勝利の金字塔を打ち立てることができるのだ。
 私は青春時代、“師匠がお元気な間に、偉大な歴史を残そう。師匠に喜んでもらうのだ。そして、永遠の勝利の因をつくろう”──こう決意して戦った。
 師弟の精神を見失った世界は、邪悪な人間に威張られるだけである。
 ともあれ、広布の戦は、時を逃してはいけない。絶対に、悔いを残してはならない。
35  沈黙するな!
 今、スポーツ部の友の健闘が光っている。部歌「勇勝の歌」を高らかに歌いながら、自身の限界を越える挑戦を重ねている。
 スポーツの世界でも、よく「声を出せ!」「声で負けるな!」「声で勝て!」と言われる。
 スポーツ心理学などで用いられる「シャウト効果」という言葉がある。掛け声などを出すことで、不安を取り除き、プレッシャー(重圧)に打ち勝って、持てる力を存分に発揮することができるというのである。
 また、声を出すことで、脳も刺激を受け、呼吸も活発となり、血行もよくなる。健康にも良い。
 勇気の声が、壁を破る。希望の声が、勢いを増していく。
36  ナチスの非道に警鐘を鳴らした、チェコの作家カレル・チャペックは述べている。
 「精神は自分からあきらめないかぎり、決して黙ったりはしません。沈黙する精神は、流れることをためらう川のようなものです。私たちはそんな川を干上がった川と言います」(田才益夫訳『カレル・チャペックの警告』青土社)
 正義を語るのに、遠慮など必要ない。
 スッキリと語る。
 ハッキリと訴える。
 相手がよくわかるように、心に入るように言葉を尽くすのだ。
 決して、黙っていてはならない。悪意や偏見に対しては、速射砲のように、パンパンと打ち返すことが必要な場合もあるだろう。
 声が力だ。
 声が弾丸である。
 今、婦人部の皆様のにぎやかな声、生き生きとした声が、広布の新時代に響いている。
 本当に、頼もしく、ありがたい限りだ。
 力強い声は、皆の心を大きく広げる。温かい声は、友の心を開かせる。
 久しぶりに会う友には、「しばらくでしたね」と、こちらから声をかける。失意の友には「祈っています」「応援しているよ」と励ましの声を贈る。
 にこやかに、明るい笑顔で語るのだ。自信に満ちて、正々堂々と対話するのだ。
 最高の対話の実践が広宣流布である。学会活動を一生懸命すれば、題目の響きも違ってくる。祈りも深まり、功徳もいや増す。
37  仏の説法を「師子吼」という。
 仏典には、「最勝の咆哮(叫び)」「恐れなき咆哮」「無比の咆哮」が師子吼であると記されている。
 大聖人は、女性の門下である千日尼に、こう仰せになられた。
 「一匹の師子王が吼えれば、百匹の師子の子は力を得て、諸の鳥や獣は皆、頭が七つに割れる。
 法華経は師子王のようなものである。一切の獣の頂に立つ」(御書1316㌻、通解)
 リーダーの確信ある声の響きは、友を勇気づけ、魔を打ち砕く。正義の勝利へ、威光勢力を倍増させる。
38  乙女との再会
 先日(11日)の本部幹部会では、うれしい再会があった。
 1989年(平成元年)の6月、私が北欧のスウェーデンを初訪問した際に、スウェーデン文化会館で出迎えてくれた可憐な乙女がいた。当時のスウェーデンSGI青年部長、ヨハン・ノードクイストさんのお嬢さんのナタリー・ノードクイストさんである。
 その乙女が立派に、世界的なバレリーナとなって来日し、駆けつけてくれたのだ。
 私も妻も再会を喜び、心から激励させていただいた。
 〈ナタリーさんは98年、「スウェーデン・ロイヤルバレエ団」に入団。数々の作品に、プリンシパル(主役)として出演してきた。
 2007年からは同団を休職し、「モナコ公国モンテカルロ・バレエ」の一員に。著名なジャン=クリストフ・マイヨー芸術監督のもと、世界を舞台に活躍。このほど日本公演のため来日した〉
39  成功とは「理想を実現すること」!
 日本におけるバレエの普及に貢献した恩人の一人に、ロシア出身の20世紀最大のバレリーナである、アンナ・パブロワ(1881〜1931年)がいる。
 「瀕死の白鳥」等の代表作で知られる彼女は語った。
 「私は、劇場に響きわたる拍手喝采が成功とは思いません。成功とは、自分の理想を実現することです」
 〈パブロワの言葉はマーゴ・フォンテーン著、湯河京子訳『アンナ・パヴロヴァ 白鳥よ、永遠に』文化出版局。以下同じ〉
 自分が、人から喝采されるかどうかではない。
 自分自身が人々の苦悩や悲哀と戦い、感動と希望を贈る「使命の舞」を舞うために生き抜いたのである。
 彼女は、自身が成功した要因について、「すごいトレーニングに耐える強さと、完壁を期するまで、数千時間を費やす情熱を持っていました」と振り返っている。
 その最高峰の舞は、陰の壮絶な努力、果てしない練習の結晶であった。
 自分が決めた道を、まっすぐに歩みゆく信念の結実であった。
 パブロワは言う。
 「稽古に稽古を重ね、また、その後に続くのも稽古です」
 「私は踊らなくてはならないという思いに、いつもとりつかれております。自分の家の稽古場で練習しているときも、誰もいない真っ暗な舞台の上にたたずんでいるときも、ライムライトを浴びて観客の前に立つときも、どの時をとっても、この思いは同じです」
 舞を舞う――それが私の天命だ。幸福だ。人生だ。いな、それが私自身なのだ。
 こう彼女は決めていた。だから、くじけなかった。
 どんな時でも、あきらめないで頑張った分だけ、大きな自分になれる。世界が広がる。
 自分らしく、伸び伸びと、使命の道を、どこまでも進むのだ。
 「もし、私が自分に対して満足し切ってしまうことがあったとしたら、私の可能性とかエネルギーは消え失せてしまうでしょう」
 これも、パブロワの言葉だ。
 向上心を失って、「もう、これでいい」と現状に甘んじてしまえば、限りない自分の可能性を自ら閉ざすことになる。
 どこまでも、上へ、上へ! 前へ、前へ!──それが人生だ。戦いである。
 これこそ、わが創価の芸術部の皆さんの心意気である。
40  人を結べ! 心を結べ!
 「芸術には人種的偏見も、国境もありません」とは、パブロワの揺るがぬ信念であった。
 彼女が、戦乱に苛まれた世界を回って、芸術という“平和の武器”をもって、人々を結んでいったことは、有名な史実である。
 “平和の大使”となって、困難な地域へも、わが身を借しまず、勇敢に足を運んだ。
 本年、開港150周年を迎える横浜にも、1922年に到着し、日本で公演を行っている。
 彼女は訴えた。
 「軍事とか、条約とか、同盟とか、軍のお偉方とかいうものに対しては、何の信頼感も持っておりません。でも、世界のコミュニケーションをはかることがどれほど大切なことかということだけは、痛感しております」
 そして、「世界中に真の同胞愛が生まれる日」こそ、「私たち芸術家の輝かしい勝利の日になる」と確信を込めて語り、こう結論する。
 「『この美しいものを創り出した国の人々は、私の敵ではありえまい』
 これが、芸術というものが到達すべき必然的ゴールなのであります。なぜなら芸術、相互理解、博愛、これらはすべて根本的には同じものだからなのです」
 ここに芸術交流、文化交流の意義がある。
 人を結べ! 心を結べ!──それが、真実の文化の精神なのである。
 私が、多くの反対もあるなか、あえて民音(民主音楽協会)を創立したのも、ただ世界平和を願う一心からであった。
 現在、民音創立45周年を記念して、私の友人である、世界最高峰の振付家ジョン・ノイマイヤー芸術監督が率いるドイツ「ハンブルク・バレエ」の民音公演が、日本の各地で始まっている。
 民音の交流は、今や、海外100カ国・地域に広がった。
 いつもいつも、陰で支えてくださっている、尊き民音推進委員の皆様方に、この席をお借りして、心から御礼を申し上げたい。
41  ところで、パブロワは、「踊り」について、興味深いことを指摘している。
 「リズムは生命の根源ともいうべきものであり、まさしく、宇宙そのものをつかさどる鍵なのです」
 「偉大な生命を謳歌するあの宇宙のリズム、それと自分との合体です。踊りは私の生命、人生です」
 一流の目は鋭い。
 私たちが日々唱える妙法は、宇宙の根本の法であり、生命の真髄のリズムである。
 あの大音楽家のメニューイン氏をはじめ、私がお会いした多くの知性も、妙法の音律に深く注目されていた。
 このリズムに則り、妙法のために戦うことは、最高の「歓喜の舞」なのである。
 ともあれ、きょうという日は、二度と来ない。
 皆が「勇気の歌」を響かせながら、わが使命の舞台で、「希望の舞」「幸福の舞」「勝利の舞」を、晴れやかに舞いゆくことを願ってやまない。
42  梅の花のごとく
 ローマの哲学者キケロの言葉は味わい深い。
 「幸いのきわみを尽くす者とは、ひとえに自分だけを恃んでいる者のことです」(水野有庸訳「ストア派のパラドックス」、『世界の名著13』所収、中央公論新社)
 運命を切り開くのは自分だ。戸田先生は「自分自身に生きよ!」と言われた。幸福の泉は、わが胸中にある。
  厳寒に
    勝ち誇りたる
      梅の花
 勝つための人生だ。勝つための仏法だ。
 仲良く、朗らかに、声を出し合い、声をかけ合いながら、皆が健康第一で、自分自身の勝利へ向かって前進することを決意し合い、記念のスピーチとしたい。
 どうか風邪など、ひかれませんように! お元気で!

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