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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第26回本部幹部会  

2009.2.11 スピーチ(聖教新聞2009年下)

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2  「厳寒の2月」。そしてまた、「伝統の2月」。
 これからも寒い日が続くと思うが、「絶対に風邪をひかない」と心に決め、強く祈って、楽しく、価値ある一日一日を過ごしていただきたい。
 ご一家も、お父さまも、お母さまも、みんな、お元気で!──そうなるように、皆で祈っていただきたい。私も祈ります。
 そしてまた、毎日を有意義に、同志たちと朗らかに、和気あいあいと勝ち越えていく歴史をつくり上げていただきたい。お願いします!〈「ハイ」と会場から元気な返事が〉
3  恩師・戸田先生の誕生日を祝う
 この2月は、日蓮大聖人の御聖誕の月である。
 また、きょう2月11日は、私たちの恩師・戸田城聖先生の誕生日である。
 時間が許せば、誕生日を祝して、3時間でも4時間でも、先生のことを話してあげたい。本当に、うれしい。
 その先生の誕生日を、真心の祈りで荘厳してくださった東京婦人部の皆様に、重ねて御礼申し上げたい。
 先ほども、妻とともに「すこいですね」「ありがたいね」と喜び合ったところである。
 ともあれ、きょうは、懐かしい戸田先生との思い出を振り返りながら、先生の折々の指導を皆さんに贈りたい。
4  天才的な頭脳!
 戸田先生は、数学の大教育者であられた。
 初代・牧口会長に仕え、そして、仏法の指揮を、広布の指揮を執り始めていかれた。
 私は、毎日、この戸田先生のお側で、お仕えすることができた。
 先生の偉大さ!
 先生の天才的な頭脳明晰!
 ありとあらゆる大難を乗り越えて戦われる勇気!
 貧しい人々、苦しみ悩む人々を、心から励まし、断じて幸福にしていかねばならないという、大慈悲を持たれた指導者であられた。
 戸田先生は、権力に対しては、強かった。対抗した。
 傲慢な人間に対しては、強かった。絶対に屈しなかった。
 有名人に対しては、あまりにも冷静であられた。
5  学生部に頼む!
 戸田先生は、厳しく言われた。
 「学会からも、将来、大勢の指導者が出るだろう。しかし、決して、威張らせてはいけない」と。
 歴史上、増上慢の指導者たちによって、どれだけ、罪なき人、正義の人が、苦しめられてきたか。指導者が、愚かで、貪欲で、傲慢であれば、どれほど民衆が、かわいそうか。
 第2次世界大戦中、軍部に反対して、牢獄に入った戸田先生は、その一点の重要性を鋭く見つめていかれた。
 そして、指導者とは、「民衆を護り」「民衆に尽くす」ために存在することを強く叫ばれた。
 それが、戸田先生の指導者観であり、仏法の指導者観である。
 その理想を実現しゆくことが、わが青年部の戦いである。なかんずく、恩師が生涯の最後に結成された学生部の使命である。
6  先生は、青年部に厳命された。
 「増上慢の輩、人をバカにする輩、虚栄の自分が偉いと錯覚し思い上がっている輩などには、絶対に君たちは屈してはならない」と。
 戸田先生の時代も、宗教的権威を笠に着て、庶民をいじめる悪侶が出た。また学会の中からも、社会的な立場を鼻にかけて、師匠を軽んじ、崇高な師弟を壊そうとする者が現れた。
 私は青年であった。正義のため、学会のため、こうした人間とは、猛然と「言論の力」で戦った。
 この師弟の「正義の魂」を、青年部の諸君は、断じて受け継いでいただきたい。
 いざというとき、立ち上がるのが青年部である。
7  優秀な精神と強靱な肉体を
 戸田先生は、青年部に指導した。
 「優秀な精神を持ち、強靱な肉体を持った立派な人物となって、思う存分に活躍していけ。私は、青年部の諸君に、限りない期待を寄せているのである」と。
 「優秀な精神」。その根本は、信心である。
 先生は、「優秀な成績」とは言われなかった。本来、人間の成績など、簡単に測れるものではないのだ。
 そして、「強靱な肉体」。これも大事である。
 威張るのではなく、利口そうで、感じが良くて、学会には、あんなに素晴らしい人がいるんだ、学会に入ってみたいな──そう思われるような魅力ある青年部であってほしい。
 はつらつと躍動する青年の姿こそ、学会の象徴である。
 戸田先生は、青年に後継の一切を託された。その青年の一番の中心に、私がいた。
 青年部しか信じない。最後は、青年しかいない──それが先生のお心であった。
 若き私は、「先生、ご安心ください。必ずや広宣流布を成し遂げてまいります。理想の学会をつくっていきます」とお誓いして、無我夢中で、広布の大闘争に飛び込んでいったのである。
 今の私には、先生のお心がよく分かる。頼むのは青年である。
 青年部よ、勝ちまくれ!──と強く申し上げたい。
8  生き抜く哲学を
 戸田先生は、「今の乱れた世の中を、創価学会が変えていくのだ。勇気を奮い起こし、一致団結して、広宣流布の大道を進もうではないか!」と叫ばれた。
 時代の闇が深いからこそ、多くの人が「生き抜く哲学」を求めている。「生命に響く励まし」を求めている。
 その民衆の心に応えてきたから、学会は伸びてきた。
 徹して一人を励まし、大切にして、善の方向へ、平和の方向へと、社会を変えてきたのである。
 一方で、学会を弾圧した勢力は衰亡の一途をたどっている。
 第1段階は勝った。
 私たちは、今再び、一致団結して、広布の大道を進みたい。
 大事なのは勇気である。信心とは、勇気である。歩み抜くことである。横着では、信心は貫けない。
9  父子のごとく
 戸田先生の誕生日には、いろいろな思い出がある。
 朝早く、先生のお宅へ、一人で、おうかがいしたこともあった。
 「先生、おめでとうございます!」
 「なんだ、もう少し遅く来るかと思ったら、もう来たのか」
 先生は、少し驚かれていたが、うれしそうであった。
 赤飯とお汁粉を、ご一緒に頂戴したこともある。
 学会を取り巻く状況がどんなに厳しくとも、また、腹黒い、欺瞞の人間たちが蠢いていても、先生と私は、父子のごとく、家族のごとく、深き心の世界を生きてきた。
 一つ一つが、美しい師弟の劇であった。素晴らしい、師弟の絆が輝いていた。
 最近、戸田先生について書き物をしていた時に、私の妻が、「あなたは本当に“ロマンの人生”を生きていますね。“ロマンの師弟”を生きていますね」と、しみじみと語っていた。
10  「俺は幸せだ」
 戸田先生は、よく言われていた。
 「大聖人の御聖訓のままにいくのだ! これこそ、学会精神である」と。
 偉大な先生であった。その先生に、初めから最後まで師事し抜いたのが私である。先生は、私のことを誰よりも信頼してくださった。
 先生の事業が破綻し、明日をも知れぬ状況だった時、私は常にお側で、先生を支えた。先生がご存じでないところでも、先生をお護りした。
 大変な戦いの中で、夜中に突然、先生に呼ばれたこともあった。
 峻厳だった。死にものぐるいの広布の闘争だった。いい加減な気持ちなど、微塵もなかった。
 会長職の激務が重なり、先生が本部で倒れられた時も、「大作、大作はいないか」と私のことを呼ばれた。
 「折伏が進まない」と先生が言われれば、「私がやります」と立ち上がった。
 先生が欲すること、願うことは、弟子として、すべて実現してきた。全部、満足していただいた。
 先生は晩年、「いい弟子を持って俺は幸せだ」と晴れやかであられた。
 「大作、体を大事にしてくれよ」──これが先生の万感こもる言葉であった。
11  「永遠に一緒に行こうな!」
 戸田先生が起こされた大闘争は、あまりにも激しかった。しかし私は肺病で、体が弱かった。
 先生は、そんな私を本当に大切にしてくださった。
 私が結婚する時には、先生は一人で私と妻の実家に来られた。
 父が、「戸田先生が一人で来てくださったよ」と驚いていたことを思い出す。
 私は、もう30歳で死んでもいいとの決心で、一年一年、戦っていた。50年分、100年分の戦いをした。
 ある時、先生は妻の両親や何人かの弟子の前で、「大作は、私のために全生命を燃やしてしまった。30歳まで生きられないかもしれない」と言って号泣された。
 「大作が倒れたら大変だ。みんな、しっかり護ってやってくれよ」とも言われていた。
 弟子を思う師匠の心。本当に偉大な、ありがたい先生だった。
 先生は、天才中の天才の指導者だった。あまりにも鋭い、そして、だれよりも剛毅な方であった。これほどの指導者は、世界中を探しても、ほかにいないであろう。
 私は、先生に言われたことは、どんな小さなことでも全身で受けとめた。文句など、一つも言わなかった。
 「大作、よくやってくれたな。これで学会は大丈夫だ。また永遠に一緒に行こうな」
 亡くなる前、先生がこう語っておられたことを忘れることはできない。
 戦時中、牧口先生は権力の弾圧を受けて牢獄へ行き、戸田先生も牢獄に入られた。
 戸田先生は、“牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった”とまで語られた。これが本当の師弟だ。仏法だ。
 牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。
 この根本の「師弟の精神」が流れているから、学会は発展を続けているのである。
12  仏法は証拠主義
 亡くなられる、しばらく前のことだったであろうか。戸田先生は言われた。
 「大作を見ろ! ここに、真実の学会がある。私の精神があるのだ」
 未来のために、語り残しておきたい。
 また戸田先生は、「師匠に応えようとする弟子の心がうれしいんだ」と言われたことがある。このことを私はかつて、関西の女子部の友に語った。
 関西の女子部の方はいますか?〈会場から「ハイ! ありがとうございます!」と元気な返事が〉
 本当に関西は、いつも生き生きしている。元気がいい。うれしいです。
 また、先生はこうも指導された。
 「人生、真っすぐに行け!」「永遠の生命を見つめるとき、今世の小難がなんだ!」
 この気概で進もう。小さい難など、悠々と乗り越えていくのだ。
 そして、どこまでも、まっすぐに師弟の道を歩み抜く。この人生に勝るものはない。
 師への報恩を貫いたゆえに、創価の人間主義は、全世界から賞讃されているのだ。
 「仏教というのは全部、証拠主義である。証拠がなければ、観念論でしかない。それでは何の役にも立たない」
 これも、戸田先生の教えである。
 非常に深い言葉だ。明快なる証拠があるのか、ないのか。厳然たる結果が現れるのか、現れないのか。
 折伏をし、学会活動に励む。しっかり信心すれば、必ず証拠が出る。
 最後は絶対に勝利していけるのが、大聖人の仏法なのである。
13  日々向上!
 次に、若き日の戸田先生の日記から紹介したい。
 1920年(大正9年)4月11日。先生は20代の青年である。
 「日に日に向上して、心に笑む可きのみ」
 「運命も自己自ら開拓せざれば、鍵開きて来る可き筈はあらざるなり」
 少し難しい表現であるが──自分が心から納得し、満足できるよう、日々成長していこう。わが運命の扉は、自分自身が切り開かなければ、決して鍵が開くことはない──という意味である。
 次は、戸田先生の、友への手紙の一節である。大要、こう述べられている。
 ──私の信仰は天下の正義である。この信仰の「信」「行」「学」を、私は、師匠である牧口先生のおかげで得ることができた。ゆえに私は、若人の情熱を失わないのだ──
 手紙の日付は1942年(昭和17年)の8月24日。
 当時、数え年で43歳であられた。
 この言葉の意味も、非常に深い。師弟に生きる人生は、永遠に若い。全員が青年の心で進んでいただきたい。
 広宣流布の途上において、何が起きても驚かない、悠然たる先生であられた。その闘争の際にはいつも、師弟一体の私がいた。
 ある著名な指導者に対して、「何かあったら、大作に聞けばいい」とおっしゃられたこともあった。青年部の皆さんは、周りから頼りにされる人になっていただきたい。
 先生のおかげで私は、20代で、じつに多くの識者、文化人と会わせていただいた。感謝は尽きない。
14  師を護り抜いたことがわが誇り
 ある時、戸田先生は、広宣流布のために、「戸田に、どこまでもついてきなさい」と語られた。
 「戸田についてきなさい」──この一言に、深い意味が込められている。
 当時、多くの人が、仏道修行の途上で三障四魔に惑わされ、騙されてしまった。
 私は先生をお護り申し上げた。言語に絶する苦しみもあったが、師を護りきった。
 これこそ、1万年の先までも消えることのない、わが誇りである。何の悔いもない。
 牧口先生に対する、戸田先生の師弟の道も、そうであられた。
 また、こうも言われた。
 「困難を避けるような弱虫に、何ができるか。そんな人間は、この戸田のもとには、いないはずです」
 実に厳しい師匠であった。
 先生が、妙法の功徳力について次のように語られたこともある。
 無量義経の「一切の法に於いて、勇健ゆごんおもいを得ん」との一節を引き、“あらゆる現象界において、なんら恐れるところなく、戦えるようになってくるというのです”と講義された。
 信心をすれば、現実の課題や悩みがなくなるのではない。悩みに負けない生命力が出るのだ。煩悩に振り回されたり、右往左往することがなくなる。賢明に越えていくことができる。それが、生命力が強くなるという意味であり、人間革命である。
 これらの仏法の法門は、少々、難しいけれども、青年のために、申し上げておきたい。
15  試練と戦う関西婦人部の同志に、戸田先生は語られた。
 「少しも心配いりません。私が知った以上、大丈夫です。あなたは信心をしっかりやり遂げればいいのです」
 今も、関西は本当によく頑張っている。
 この先生の言葉の通り、いかなる戦いも、師と心を合わせ、信心をしっかりやり遂げればいいのである。
 大阪の戦いを翌年に控えた昭和30年(1955年)の11月8日。
 私は日記に記した。
 「青年を、窒息させてゆく社会、機構、制度。誠実な青年が、実力に応じて、栄進出来ぬ、本末顛倒の社会。
 指導者も悪い。社会も悪い。而し、それらをおしのけて起ち上がらぬ、青年も悪い。
 この解決が、今、吾等が、実践している一日一日なのである。
 頑張れ、青年よ」
 私が27歳の時の率直な思いである。
 そのまま、今を生きる若き皆さんに贈らせていただきたい。
16  婦人部は太陽
 戸田先生は、ざっくばらんな“座談の名手”であられた。
 師走(12月)について、ユーモアを込め、こう語られた。
 「師走といって、文字通り、“師も走って”いるのだよ。皆さんも多忙だと思うが、私も走っている。広宣流布のために、ひとつ頑張ってくれ」
 1年365日、一時も無駄にせぬ気迫で、広布のために戦い抜かれた恩師であった。
 私もまた、同じ思いで戦っている。
 先生は、婦人部の友を励まして、こう指導された。
 「題目をあげ抜いて、勝つのだ。信心で勝とう! 時が来れば、すべてが自分自身の勝利の歴史となり、財産となるのだ」
 信心根本に戦い抜く人は、諸天をも動かし、必ず勝利の大空を仰ぐことができる。
 なかんずく、婦人部の強き祈りで、学会は勝ってきた。
 婦人部こそ希望だ。婦人部こそ太陽だ。これまで以上に、婦人部を心から尊重すれば、学会が、さらに勝ち栄えていくことは間違いない。
17  最晩年のころ、戸田先生は、周囲に、こう語られていた。
 「私は、教えるものは、もう全部、大作に教えた。多くの弟子が忘れ去っていこうとも、大作は絶対に忘れない」「すべて大作に聞いて、やっていきなさい」
 事実を、ありのままに残しておきたい。
 恩師の一言一句は、皆が冗談と思うことでも、わが魂に刻みつけた。すべて恩師の教え通りに実行した。
 これが弟子である。
 真実の弟子か。偽物の弟子か。それは“何を成したか”を見れば、明確なのである。
18  戸田先生の目は、世界を見ていた。心は全人類に向けられていた。
 先生は、力を込めて語られた。
 「大聖人の仏法は、太陽の光のようなものである。妙法を持って絶望の淵から立ち上がり、生き生きと蘇生した無数の同志がいるではないか!」
 妙法こそが、人類の宿命転換を可能にするのだ。ここに、平和を築く創価学会の使命がある。
 振り返れば、昭和25年(1950年)8月29日。戸田先生の会社の営業停止が決定した直後、22歳の私は、日記に綴った。
 「戸田先生より『君を頼る』との力強き激励を受ける。
 誰よりも、信頼し、期待をかけられし自分を、心から歓ぶ。
 先生の激励に応え、再び、世紀の鐘を、私が鳴らそう。
 先生より、離れる者は、離れろ。
 若き戦士となり、若き闘士となって、先生の意志を、私が実現するのだ」
 師のもとで固く心に誓った、あの苦闘の青春の日々から60年。
 わが師の構想は、すべて実現した。
 “戸田大学”の卒業生として、「250」に及ばんとする名誉学術称号も拝受した。
 これが師弟である。
 「世紀の鐘」を私は鳴らした。
 新しき「勝利の鐘」「栄光の鐘」は、わが青年部が鳴らすのだ。
 青年、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 仏法を基調に、平和・文化・教育の光を広げる、これだけの大団体、正義の教団は、世界にない。
 今や創価の前進を、多くの識者が、期待を込めて注目している。
 皆さんは、自分が考えるよりも、はるかに偉大な使命がある。すごい時代に入っているのである。
 こうした学会の発展も、嵐を越え、寸刻を借しんで、わが身を犠牲にする覚悟で戦ったからこそ築かれた。
 青年は恵まれた環境に甘えてはならない。
 虚名を振りかざし、威張るだけの人間。他人まかせの横着千万な人間。そうした愚者になってはならない。
19  時代の最先端!
 アメリカの著名な仏教研究者、クラーク・ストランド氏は、創価学会の「座談会」運動を高く評価されている。
 一流の目は鋭い。
 座談会に出席している人?〈「ハイ!」と会場から返事が〉
 全幹部が率先して、座談会を、一段と、もり立てていきたい。
 皆が生き生きと集う座談会こそ、学会の誉れの伝統である。
 一番地道で、一番自在に、最大の喜びを輝かせていける。
 ストランド氏は次のように述べている。
 「体験の共有は信仰を深め、信仰は人生を深める。そうして深められた人生が、やがて社会を変革していく」
 座談会には、一方通行の説教ではなく、平等な対話がある。あくまでも「一人」の幸福に焦点を当て、生命の尊厳を謳い、幸福な社会の基盤を築いている──こうもストランド氏は指摘する。
 座談会に新しい宗教の姿がある。時代の最先端である。そのように世界の知性が驚きをもって見つめている。
 伝統の2月を飾り、希望の春を開く「青年・勝利座談会」の大成功を祈りたい。
20  働く人は美しい
 人類初の宇宙飛行士といえば、ロシア(旧ソ連)のガガーリンである。
 「地球は青かった」との有名な言葉を発した彼は、こうも述べている。
 「この地球で最も美しいものは、働く人の姿である」
 懸命に働く人は美しい。我々は、日々の生活を送りながら、広宣流布に働いている。それこそ、一番美しい姿なのである。
 ともあれ、苦しく、激しく、厳しい不況が始まった。どうか皆さんは、誇り高く、悠然と戦ってください! 皆、苦しいのは同じだから!
 社会部の皆様の健闘を祈ります。
 わが使命の舞を同志とともに、雄々しく舞っていただきたい。
21  正邪を峻別せよ
 私が青春時代から大好きだった、イタリアの大詩人ダンテ。
 彼は書き残した。
 「善き事に対して悪しき証言を為すものは、誉れでなくて汚辱を受くべきであろう」(中山昌樹訳『ダンテ全集第6巻』日本図書センター。現代表記に改めた)
 ダンテは、先人の善行を、後世の人間が汚すことを戒めた。
 善いことをしたのに、かえって悪く言われる。これほど、おかしなことはない。そんなことがまかり通れば、社会は混迷するばかりである。
 善いことは、讃えるべきだ。善い人は、賞讃するべきだ。これが、よりよい社会を築く正しい道である。
 しかし現実は、悪人によって、善人が陥れられ、いじめられ、追放されている。
 ダンテは激怒した。
 誰が何と言おうと、私は悪人を許さない!
 断じて見逃さない!
 傍観。偽善。中傷分裂。忘恩の裏切り──世をむしばむ陰険邪悪を断罪せよ!
 悪事を為した者は、厳しき報いを受けよ!
 これがダンテの血涙したたる叫びだったのである。
 私もまた、わが恩師を悪口し、中傷する者とは、徹して戦った。
 ひとたび師匠と決めたならば、尽くすべきである。護るべきである。そう私は心中深く決めていた。
 悪を見逃して、戦わない。それでは、弟子ではない。同志とはいえない。
 あのダンテのごとく、正邪を峻別する大闘争心を、新時代のリーダーは、わが胸に燃やしていただきたい。
22  師子王の心で悪を破折せよ
 女性の門下である千日尼に贈られた、日蓮大聖人の御言葉を拝したい。
 「法華経の師子王を持つ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生などの百獣に恐れることはない」(御書1316㌻、通解)
 妙法を持った皆様は、何も恐れる必要などない。また、絶対に恐れてはならない。
 なかには頭の固い男性や、信心に無理解の人間にぶつかる場合もあろう。そういう時は、聡明に、智慧をめぐらせ、一歩一歩、正義を知らしめていけばいいのである。
 皆様こそ「法華経という師子王」を持つ女性なのだ。
 男性よりも、むしろ女性のほうが、勇気をもって、正義を語り抜いている──そう讃える人は多い。
 ずるくて臆病な男性は、いざという時、頼りにならない──そうした厳しい声もある。
 ともあれ、人権を踏みにじる言葉は、言論の自由ではなく「言論の暴力」だ。断じて放置してはならない。
 間違ったことに対して正義を訴えるのは、当然の権利だ。これがなくなれば、民主主義は崩れる。
 悪は断じて破折する。その気概で進んでいただきたい。
23  苦難があるから偉大になれる!
 戸田先生が、私たち弟子に読ませた小説『永遠の都』。その一節を、若い皆さんのために、ご紹介したい。
 「受難は人間の魂を浄化する聖なる炎であります」(ホール・ケィン著、新庄哲夫訳、潮文庫)
 難が人間の魂を清めてくれる。高めてくれる。
 これが、若き革命児の確信であった。
 大聖人は“身命を捨てるほどのことがあってこそ仏になる”と教えられている(御書981㌻)。
 広宣流布に立ち上がった我らにも、大難は必定である。しかし、難があるからこそ、仏になれるのだ。
 だから、どんなに大変でも、これも仏になるための修行と思って頑張りなさい──。
 そう戸田先生は言われたかったにちがいない。
24  「高慢はつねにきわめて悪い」
 イタリアの大詩人ダンテいわく。
 「善人は常に善人と室をおなじうする」
 「咎あるものと共なるなかれ
 彼らの味方となることは嘗て智慧でなかったがゆえに」(中山昌樹訳『ダンテ全集第4巻』日本図書センター。現代表記に改めた)
 善人は善人とともにいるものだ。悪人と一緒になるな。悪に味方するな──詩人の戒めは時を超えて響く。
 我らは善人とともに進もう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 フランスの哲学者デカルトは述べている。
 「高慢はつねにきわめて悪い」
 「この悪徳は、きわめて不合理なばかげたものである」(野田又夫訳『方法序説・情念論』中公文庫)
 高慢な人間は、力がないのに威張る。偉大な人に対して、尊敬できない。感謝もない。それどころか、焼きもちを焼いて憎む。
 これこそ、よき世界を壊す元凶である。
 そういう人間に使われてはいけない。信用してはいけない。本質を見抜く目を持ち、利口になるのだ。
25  勇者の心意気
 イギリスの大詩人シェークスピアは、皆さんも、よくご存じだと思う。
 彼は戯曲に綴った。
 「私は誇りをもって言おう」
 「われわれは泥まみれに働く勇士たちだ」
 「だが、われわれの心意気は華やかに飾られているぞ」(小田島雄志訳『シェイクスピア全集Ⅴ』白水社)
 この心意気でいこう!
 広布へ戦う同志こそ勇者だ。指導者は「いつも、ありがとうございます」と心から感謝し、讃えるべきだ。同志に尽くすために、指導者はいるのだ。
 私も、泥まみれになって働いてきた。人知れず、勝利へのあらゆる手を打ってきた。
 今こそ、若き指導者が、生まれ変わった決意で、民衆こそ王者と胸を張れる社会を築いていただきたい。
26  真の幸福とは真の美しさとは
 イギリスの作家・詩人であるバーディといえば、今の日本では、なじみが薄いかもしれないが、世界的に有名である。
 19世紀から20世紀、時代に先駆ける名作を残した。代表作の一つが『テス』である。
 主人公はテスという名の美しい女性。貧しい家の娘である彼女が、運命に翻弄される悲劇を描いている。
 戸田先生は、この作品を華陽会の教材に取り上げられた。
 真の幸福とは何か。それは、虚栄に惑わされては、つかめない。自分らしく、自分自身に生ききれと、先生は教えられた。
 『テス』の中に、こういう言葉がある。
 完全な女性というのは、「怠け者とか、りっぱに着飾った貴婦人とかでなく、他人の幸福のために、手と頭と心とを働かせる人」なのである、と(井上宗次・石田英二訳、岩波文庫)。
 他人の幸福のために、創価学会の婦人部と女子部は働いている。同苦し、励まし、祈っている。その姿こそ、一番美しい。
 どんなに外見を飾っても、清らかな心がなければ、真の美しさは輝かないのである。
27  戸田先生は、法難に殉じた師匠を偲んで語られた。
 「牧口先生は、毅然たるお方であった。大きな巌のような、押しても突いても動かないお方であった。その牧口先生を、私は、がっちりとお護りし抜いてきたのです」
 戸田先生もまた、毅然たる、巌のごとき信念を貫かれた。
 牧口先生の偉大さを、断じて世界に宣揚してみせる──これが戸田先生の烈々たる誓願だったのである。
 私も、わが師を最高の偉人として晴れの場で宣揚したい──そう決意して生きてきた。
 今、創価の師弟は、平和・文化・教育の希望として、世界中から賞讃されている。
 師弟の関係について、戸田先生は、こう綴られている。
 「師(先生)と弟子(生徒)の交わりは、水と魚のように切っても切れない深いものであります。
 師は弟子を愛し導き、弟子は師を敬い慕う──これほど世にうるわしい情愛がまたとありましょうか」(現代表記に改めた)
 師弟ほど尊いものはない。美しいものはない。
 これが戸田先生の青年への教えであった。
28  師弟の真髄を語り残したい
 アメリカの第16代大統領リンカーン。今年は生誕200周年である。〈1809年2月12日生まれ〉
 リンカーンは、こう述べている。
 「抗議すべき時に沈黙する者は、卑劣な人間となってしまう」
 不滅の叫びである。
 若き皆さんは、断じて、卑劣な人間になってはならない。
 青春時代、私は、わが師が誹謗されれば、どこへでも、抗議へ行った。堂々と師の正義を訴え、虚偽や偏見を正していった。
 これが弟子である。
 「真実は、中傷批判に対する最高の弁明である」とは、リンカーンの信念であった。
 勇気の心で真実を叫び切っていくのだ。
 さらにリンカーンの言葉を紹介したい。
 「常に、民衆と共にあれ! 民衆は、常に正しく、人を欺いたりはしないのだ」
 幸福を願う民衆。平和を求める民衆。その声こそ正義だ。
 苦しんできた民衆が立ち上がり、権力悪と戦い、人間主義の世界を広げてきたのが、創価学会である。
 仏法史に輝く、奇跡ともいうべき、善のスクラムを築いてきた。
 この麗しき和合を永遠に護れ!
 邪悪な人間に断じて崩されるな!
 後継の皆さんに強く叫んでおきたい。
 私は80歳を過ぎた今こそ、戸田先生の真髄、牧口先生の真髄、仏法の真髄を語り残したい。
 皆様も、この崇高な創価の師弟に続いていただきたい。〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
29  女子部、婦人部は、くれぐれも夜遅くならないように。
 皆で、朗らかに、健康で進んでいこう!
 では、以上をもって終了します。一緒にお題目を唱えたい。
 〈ここで名誉会長の導師で唱題を行う〉
 長時間、ご苦労さま! あとは、ゆっくりと、自由に、有意義に過ごしてください。
 海外の皆様も、本当にありがとう! お体を大切に。一生懸命、お題目を送ります。心から感謝します。
 音楽隊、合唱団も、ありがとう!

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