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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議  

2008.12.26 スピーチ(聖教新聞2008年上)

前後
1  全同志の皆様の1年間の尊い健闘を、心から讃えたい。
 私は妻とともに、愛する友の幸福と健康を、毎日、真剣に祈っている。
 皆様方のおかげで、創価学会は大前進できた。すべてに大勝利であった。広宣流布のため、本当によく戦ってくださった。
 来年も、断固、勝利しよう!
2  青年と共に未来を開いた!
 この1年を、わが学会は「人材・拡大の年」と定めた。
 私自身、年頭に「80にして、青年と共に未来を開く」と申し上げた。
 その通りに、妻と二人して「新たな人材よ、出でよ! 未来への新しき拡大の道よ、開け!」と祈り抜き、手を打ち続けてきた。
 昨年以来、12回に及ぶ全国青年部幹部会にも、すべて出席した。
 うれしいことに、わが青年部も立派に応えて成長してくれている。青年部幹部会の結集では、16万5千人の増加も達成した。各地の主張大会なども、結集の新記録である。地域社会に、創価の青年への信頼が大きく広がっている。
 いよいよ青年部の時代である。女子部の時代である。
 そして、その陰に、偉大な婦人部の方々の祈りと励ましがあったことは、申し上げるまでもない。あらゆる点で、婦人部の功績は計り知れない。「婦人部ありがとう!」「婦人部万歳!」と申し上げたい。
3  学会本部が信濃町に移転して55周年。
 今年、学会本部には、じつに160万人を超す方々が、喜々としてお越しくださった。まさしく“千客万来”の賑わいである。
 「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」とは、わが師・戸田城聖先生の叫びであられた。
 今、一切が激しく揺れ動く社会にあって、盤石なる創価の「人材の大城」ができ上がってきた。私どもに寄せられる期待は、いよいよ大きく、いよいよ深い。
 この創価の大城は、戸田先生と私が、命をかけて築き上げた城である。
 私は、19歳で先生の弟子となり、青春をなげうって、全身全霊で、最大の苦境にあった先生をお護りした。
 病弱だった。先生の事業を支えるため、夜学も断念せざるを得なかった。給料さえ、ないこともあった。
 多くの同志が先生を侮り、罵り、去っていった。
 しかし、私の心は晴れ晴れとしていた。
 先生と出会い、先生の弟子として、死力を尽くして闘った青春の日々。それは、私の永遠の誇りである。
 戸田先生は、牧口先生をお護りした。
 私は戸田先生をお護し、大恩ある師匠を全世界に宣揚した。
 「世界一の師弟の道を歩み抜いた!」と、御本尊の前で、胸を張って言うことができる。
 偉大な先生であった。厳しい先生であった。師子王の威厳と風格の先生であられた。
 先生は、私という弟子を見つけ、離さなかった。「大作一人いればいい」と言ってくださった。
 その師匠のために、肺病の無名の青年が一人立ち上がり、今日の学会を築き上げたのである。
 私の心の中には、いつも戸田先生がおられる。だから、どんな迫害にも負けなかった。
 師弟とは、人間の究極の道である。命がけの決心でなければ、継ぐことはできない。
 勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない――そんな中途半端な姿ではいけない。
 観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
 小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩に報いていく――これが弟子の道である。
 今、新しい創価学会を築く時である。
 後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。
4  大興隆の1年
 ともあれ、今年は「一閻浮提広宣流布」の、目覚ましい「拡大」の1年となった。
 4月には、南太平洋の「ソロモン諸島」とヨーロッパの「モンテネグロ」に、新たに同志が誕生した。SGIは192カ国・地域の大連帯へと発展を遂げた。各大陸、各国においても、若き後継の指導者群が陸続と伸びてきた。
 会館の整備も着実に進んでいる。アメリカでは6月、首都ワシントンDCに荘厳な「ワシントンDC文化会館」がオープンした。
 日本でも、先日、晴れ晴れと完成した千葉の「船橋池田講堂」をはじめ、全国で新しい会館が誕生している。
 現在、建設が進んでいる「本部第2別館」も、明年の夏には完成の予定である。
5  青き地球を舞台とした、壮大な「平和」と「文化」と「教育」の民衆運動も一段と水かさを増した。
 3月には、韓国に幸福幼稚園が開園した。
 創価大学の「新総合体育館」と「創大門」「創大シルクロード」は明春完成となる。
 牧口先生、戸田先生のお喜びは、いかばかりであろうか。
 創立45周年を迎えた民音は、「100カ国・地域」の海外交流という空前の広がりとなった。私が民音を創立した時、周囲は皆、反対であった。これほどの大興隆を想像し得た人は、皆無であったに違いない。
 開館25周年の東京富士美術館には「新館」が完成した。500年に及ぶ西洋絵画の名品が並ぶ。第一級の識者の方々から“人類の宝が輝く美術館”等々、最大の賞讃の声が寄せられている。おかげさまで、日本と中国の心を結ぶ「大三国志展」も、82万人もの方々が観賞されている。
6  婦人部に深謝
 「活字文化」の発展を、心ある人々は強く願っている。創価の言論は、その一翼を担い、社会に貢献しゆく、たゆみなき挑戦でもある。
 小説『新・人間革命』も、本年は第18巻と第19巻が発刊された。
 明年の年頭には、インドの哲人ラダクリシュナン博士との対談集『人道の世紀へ――ガンジーとインドの哲学を語る』も発刊される。対談集は、準備中のものも含めると、約70点となる。
 本年、海外出版の大事業も、22カ国・地域で79点が発刊。そのうち、私の著作は15言語・69点が発刊され、累計で40言語となり、「1,000点」を大きく超えた。関係者の方々のご尽力に感謝申し上げたい。
 有名雑誌の休廃刊などが相次ぎ、出版界の退潮も報じられるなか、わが聖教新聞は、皆様方のお力で、堅実な発展を遂げることができた。なかんずく、聖教新聞の拡大で最もお世話になっているのは、婦人部の皆様方である。
 婦人部が学会を支えている。リーダーは、戦っている友を最大にほめ讃えなければならない。
 女子部の皆さんも、健気に戦っている。
 人生は、福運をつけた人が勝つ。
 弘安2年(1279年)、年の瀬の12月27日に、大聖人が婦人の門下へ送られた御聖訓を、創価の女性の皆様に謹んで捧げたい。
 「ひとつの宇宙に7日間、降り注ぐ雨の数は、数え尽くせるかもしれない。十方の世界にある大地の塵の数は、知っている人もあるかもしれない。(しかし)法華経の一文字を供養する功徳は計り知れない、と釈尊は説いておられます」(御書1483㌻、通解)
 これが、わが創価の女性を包みゆく、妙法の功徳の力用である。
7  今年も、来日された中国・胡錦濤国家主席との会見をはじめ、世界の要人、識者との対話が相次いだ。
 光栄にも、皆様方を代表して、世界から多くの栄誉も拝受した。
 すべて、不二の同志である皆様方のご一家に、子孫末代まで流れ伝わる栄冠である。
 〈本年1月には、アメリカの首都ワシントンDCの連邦議会議事堂で、名誉会長の傘寿を祝賀して掲揚された「星条旗」が名誉会長に贈られた。
 ロシアからは「友好勲章」が贈られ、名誉会長に授与された国家勲章はこれで「27」となる。
 名誉学術称号は「246」。名誉市民称号も、アメリカ・ハノーバーパーク市から贈られた「名誉市民証」(今月18日)、台湾・外埔郷(がいほきょう)から贈られた「名誉郷民証」(同19日)、台湾・沙鹿鎮(さろくちん)から贈られた「名誉鎮民証」(同21日)を含め、本年1年間で「50」を数え、累計で「608」となる〉
8  全員が「青年」に
 さあ、「青年・勝利の年」の開幕である。
 妙法は「不老」、すなわち生命力が老いることのない法である。
 また妙法は「蘇生」、すなわち「よみがえる」力の源泉である。〈御書947㌻〉
 妙法を朗々と唱えながら、全員が生き生きと「青年」に若返る年だ。
 そして青年を育て、青年と共に、いまだかつてない「勝利」また「勝利」の黄金の歴史を飾ってまいりたい。
 青年部の諸君は今、私が綴ってきた「創価の師弟の劇」を、魂に刻みつけていただきたい。
 私が命をかけてつくりあげてきた、戸田先生の魂の脈打つ創価学会である。心ある方から“現代の奇跡”とまで言われた、SGIの発展である。絶対に邪悪な者に破られてはならない。
9  私が講演を行った、世界最古の総合大学・ボローニャ大学は、歴史に輝きわたる数々の知性の人を送り出している。その一人に、イタリア・ルネサンンスの万能の天才と謳われた、アルベルティ(1404〜1472年)がいる。
 彼の作品に、「弓と矢」という味わい深い寓話がある。
 ――ある王さまが、長く続いた戦いに勝利をおさめて凱旋した。
 そして、敵の将軍を討ち倒した「矢」を重宝して、神殿に捧げることにした。
 しかしその決定を知った「弓」は言った。
 「弓があったから、矢がとべためさ」と(ブルーノ・ナルディーニ編、渡辺和雄訳『新イソップ寓話集――アルベルティの寓話』小学館)
 この寓話は、「忘れる」ことを戒める話である。
 勢いよく飛ぶ「矢」を見て、讃える人は多い。しかし、その「矢」を飛ばしてくれた「弓」に目を向ける人は少ない。
 いかなる戦いの勝利にも、人知れず原動力となった、「弓」のような功労者がいる。
 その存在を絶対に忘れずに、光を当てて、感謝し、讃えていくことだ。
 それでこそ真の指導者である。この極意を教えられたのが、日蓮仏法である。
 「富木尼御前御返事」には有名な「のはしる事は弓のちから」との一節がある。簡潔な仰せに、深遠な道理が示されている。
 夫である富木常忍が「矢」ならば、妻である富木尼御前が「弓」である。大聖人は、「をとこのしわざはのちからなり」と綴られている。
 広宣流布が勢いよく進むのも、女性の力にほかならない。偉大なる「弓の力」に、男性は最敬礼していくことだ。
 また最近は、ことに不安定な世相である。婦人部、女子部は、くれぐれも事故のないよう、細心の注意を払っていただきたい。
10  「誠実」の行動がわが生命を荘厳
 この1年も、陰で支えてくださった「無冠の友」の皆様、「個人会場」のご家庭の方々に、本当にお世話になりました。
 創価班・牙城会・白蓮グループ、壮年部の王城会、婦人部の香城会の皆様、白樺の皆様、会館守る会、一日会館長の創価宝城会の方々、まことにありがとうございます。
 毎回の衛星中継を担当されるサテライトグループの皆様、いつも労苦を惜しまない設営グループなどの役員の方々。正義の拡大の先頭に立たれる新聞長、教宣部、書籍長、文化長、統監部、民音推進委員等の皆様方。
 崇高な仏事を執り行ってくださる儀典長、儀典委員の皆様、人材の流れを作っておられる未来部育成部長、21世紀使命会の皆様等々、一切の方々に心から感謝を申し上げたい。
 「陰徳あれば陽報あり」である。皆さんの、人知れぬ「信心」と「誠実」と「責任」の行動は、厳然たる福徳となって、わが生命を、そしてわが眷属を荘厳する。これが仏法の因果律であり、「冥の照覧」である。
11  笑顔の役者に
 ルネサンスの知性アルベルティには、「思い上がり」を戒めた寓話もある。
 ――ある傲慢な星が「じぷんの光が、まわりの星よりも、もっともっとすばらしい」((前掲渡辺訳)と考えて、他の星たちを見下して、馬鹿にした。
 「こんな星たちと、いっしょになんか、いられないわ。遠くへとんでいって、あたしの光が、どんなにかがやくか、見せてやるわ」(同)
 そして、その傲慢な星は、一人、流れ星になって、仲間から離れていった。
 ところが、一層輝くどころか、いつの間にか、真っ暗な夜空に吸い込まれるように、誰からも見えなくなってしまった、というのである。傲慢な人生の、哀れな末路そのものといってよい。
 仏に等しい尊極の学会の同志を軽んじた反逆者の転落の行く末が、どれほど佗しいか。皆様がご存じの通りだ。
12  学会は、平等大慧の妙法に則った、異体同心の和合僧である。誰が上とか下とかではない。皆が同じく広宣流布に戦う同志である。皆が等しく尊い存在なのである。
 そのうえで、広布のリーダーは、宝の同志に深く頭を下げて、「毎日、ご苦労さまです!」「ありがとうございます!」と感謝し、讃えていくのだ。
 もちろん、誰人にも、辛いことや悲しいことはある。だからこそ、信心で立つのだ。
 自己の悲哀を敢然と乗り越え、「笑顔の役者」となって、朗らかに友を包み、友を照らし、希望の方向へ、幸福の方向へと、全軍を引っ張っていくのである。そこに自分自身の幸福もある。
 我ら創価の励ましのスクラムは、いかなる暗き混迷の世においても、一人一人が自分らしく輝き、皆が麗しく光を放ちゆく、勝利の人材の大銀河なのである。
13  「宗教には正しい師匠が不可欠」
 さて、日顕宗の卑劣極まりない陰謀から、この師走で18年。〈1990年(平成2年)12月末、嫉妬に狂った日顕は、名誉会長の法華講総講頭を一方的に罷免し、広布破壊の暴挙に出た〉
 今、仏法勝負の証しは、あまりにも厳然としている。
 創価の正義の完全勝利を、世界が賞讃してくださっている。
 このたび、アメリカの著名な宗教学者であるニコラス・ガイヤ博士(アイダホ大学名誉教授)も、共感の声を寄せてくださった。
 〈ガイヤ博士は、名誉会長の著作である『私の仏教観』を、大学の授業の教材として、30年にわたり使用してこられた〉
 ガイヤ博士は、SGIの民衆運動の意義を高く評価して、こう述べておられた。
 「私は、池田博士による、創価学会の“仏教ヒューマニズム”の運動に、心からの賞讃を寄せております。その運動は、『仏性がすべての人間の中にある』との自己実現のめの力強い法理に基づいております。
 それは、他の誰かが自分を高めてくれるのではない。自らの力で、自らを高めていく運動であります。そして、この運動の哲学は、自らの幸福を完成させるために、『自らを強くせよ』と訴えております。
 それに対して、宗門は、自身を護ることばかり考えて、内にこもり続けました。そして、池田博士の社会に開かれた運動を恐れました。
 こうしたSGIと宗門の歴史を通して、私は、宗教において、師匠の存在が、いかに大切かを深く学んだのです」
 透徹した英知の眼(まなこ)には、創価の実像が明鏡のごとく映し出されている。
 ガイヤ博士は、さらに、こう言われた。
 「良き指導者によって教えが受け継がれている宗教こそが、正しい宗教なのです。
 なぜなら、師弟の絆を通してこそ、宗教の徳性が受け継がれていくからです。初代、二代、三代の会長によって、その精神が受け継がれてきた創価学会は、“教えを受け継ぐ指導者は、真の人格者でなければならない”という真実を、最も成功した模範として示しておられます。
 とくに、第三代の会長は、宗門をはじめとする破壊的な勢力と、勇気をもって闘われました。そして、創価学会の勝利と宗門の敗北を明確にされたのです」
 〈ガイヤ博士は、こうも語っている。
 「多くの宗教において、現在の指導者は、始祖の精神に従っていません。
 それゆえに、宗教においては、その精神を生きたものとする指導者が不可欠なのです。
 人間には、過去の成果のみを振り返り、栄光の座にあぐらをかくことに慣れてしまう傾向があります。
 そうではなく、前へ前へと進まねばならないのです。池田博士のように、常に思想の種を蒔き続けておられる方こそ、真の指導者なのです」〉
 深い、そしてまた温かなご理解に、心から感謝申し上げたい。ともあれ、大聖人の正統中の正統として、学会は、歓喜の歌声も高らかに、世界宗教の大道を、さらに前進してまいりたい。
14  正しい人生を!
 世界的な経済学者のレスター・サロー博士との会見で話題になった大実業家に、歴史に名高いアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(1835〜1919年)がいる。
 比類なき成功を勝ち取り、社会への絶大なる貢献を果たした足跡は、不朽である。
 カーネギーゆかりのニューヨークにある一「カーネギー・ホール」で、アメリカの若人とともに、「世界青年平和文化祭」(1996年6月)を開催したことも懐かしい。
 このカーネギーも、青春時代、逆境の連続であった。
 時代の急激な変化に、父の仕事が行き詰まり、一家は大変な貧窮に見舞われた。
 若きカーネギーは、愛する家族のため、朝から晩まで働きに働いて、十分に学校にも行けなかった。それは辛い、苦しい時期であった。
 しかし、カーネギーは、この悪戦苦闘の時にこそ、百万長者のいかなる宝もかなわぬ、尊い尊い宝を得たというのである。
 その宝とは、何か。
 それは、何があっても負けなかった父と母の朗らかな姿であり、不屈の精神であった。
 父はもとより、母もまた夜中まで働き通しであった。
 それでも、いつも明るく、わが子を慈しみ、近隣の人々をも励まし力づける、家族と地域の太陽の存在であった。
 まさに、わが創価の母たちと二重写しになるお母さんである。
 カーネギーは、胸を張って記している。
 「なにものにも屈しないのが私の母なのである」(坂西志保訳『鉄鋼王カーネギー自伝』角川文庫)
 「母はいつも家庭の影響こそ二人の息子を正しい人生のみちに進ませる最上の場であると考えていた。この方向に進む第一歩は、家庭を楽しい場所にすることだ、とよくいっていた」(同)
 「あの初期の苦しい生活を振り返って見て、私はこういうことができる。この国にあんなに高い誇りをもって生きていた家族はなかった、と。
 名誉を重んじ、独立心と自尊心は、家庭全体にみなぎっていた。
 低俗な卑しいこと、ごまかし、だらしなさ、奸策を弄したり、人の噂をしたりするのは、私たちの間にはぜんぜん見られなかった」(同)
 どんなに時代が暗くとも、わが心から明るい希望を生み出すことができる。
 どんなに世間が殺伐としても、わが家から慈愛の温もりを広げることができる。
 どんなに社会が混乱しても、我らは、人間の魂を誇り高く輝かせていくことができる。
 カーネギーのお母さんが語った言葉がある。わが婦人部の真情そのものである。
 「世の中には私たちにできるたくさんのことがある。私たちは有用な、また世人から尊敬される人にならなければいけない。そのためにはいつも正しいことをすることである」(同)
 正しいことは、強い! 正しいことは、明るい!
 創価の世界の明るさも、ここにある。
 この母を誇りとするカーネギーは言った。
 「賢い人は徹底的な楽天家なのである」(同)
 「賢さ」は「朗らかさ」と一体である。
 賢く朗らかに、また正しく強く、そして明るく、「母と子の笑顔が光る21世紀」を建設してまいりたい。
15  恩を知る人生は美しい。
 私にとって、大恩ある師匠は、戸田先生である。
 寒風の日も、吹雪の時も、先生と二人で築いてきた学会だ。
 殉難の魂を、深き同志愛を、勝利の力を、平和への英知を、先生は私に打ち込んでくださった。
 真実の創価学会の姿は、先生と私の心の中にある。
 有名な「報恩抄」には仰せである。
 「仏法を学ぶ人は、父母の恩、師匠の恩、国土・社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるためには、必ず、仏法の奥底を学び、修行して、智者とならなければならない」(御書293㌻、通解)
 報恩こそ人間の道である。仏法の道である。
 邪心の人間、狡猾な人間、増上慢の人間は、ひとたび難が起こるや、逃げる。裏切る。それどころか、恩ある人に仇をなそうとさえする。
 そうした畜生のごとき所業を、戸田先生の時代から、私は見てきた。危難の矢面に立って、私は一人、正義の道を切り開いてきたのである。
 命がけの信心を貫く人間がいなければ、正義の旗は、悪人に踏みにじられてしまう。
 だからこそ、後継の諸君が一人立つのだ。
 「報恩」の要諦とは何か。それは「不惜身命」であると、日寛上人は教えられている。
 「身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば」一切の恩に報いていけるのである(報恩抄文段)。
16  後輩を大事に! 人材を伸ばせ!
 迫害の嵐の中にあった昭和54年(1979年)。嫉妬うず巻く日本を去って、外国に行ったほうがいいのではないか──そういう声もあった。
 しかし、妻は、微笑んで言った。「あなたには、学園生がいます。学園生は、どうするのですか。きっと寂しがりますよ」
 そうだ。学園生がいる。未来の生命たる青年たちがいる。その若き友のために、私は戦おう──こう心に決めたことを思い出す。
 きょうは、青年部の代表も参加している。
 戸田先生は、私をはじめ青年部の中核が集う「水滸会」で、厳しく言われた。
 「忘恩の人間には、何も任せられない。任せても何もできない」
 青年よ、「報恩」の二字を忘れるな!──これが恩師の遺言である。わが生命に深く刻んでいただきたい。
 悪を放置してはならない。絶対に許してはならない。
 ドイツの哲学者カントは述べている。
 「次の3つの悪徳を、われわれはここでひとまとめにすることができる。そして、それらは最も下劣で最も悪性の悪徳である。その3つの悪徳とは、恩知らず、嫉妬、他人の不幸を喜ぶ気持である」(御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店)
 哲人の洞察は鋭い。
 「忘恩は、罪の中で最も悪い罪である」とは、エジプトの英知の言葉である。
 ともあれ、時代は、力ある青年の登場を待ち望んでいる。
 先輩幹部は、今まで以上に、後輩を大事にし、後輩の意見に耳を傾けてもらいたい。
 人材を育てたところが勝つ。人材を伸ばす指導者こそ、最も偉大なのである。
17  勇敢な信心たれ
 日蓮大聖人は、「末法の御本仏」であられる。
 ありとあらゆる三障四魔や三類の強敵が襲いかかってきても、御本仏の赫々たる御生命を破ることなどできなかった。
 ありがたいことに、妙法を信受し、大聖人の仰せの通りに、広宣流布に生き抜く私たちは、末法の御本仏の師子王の大生命を、そのまま、わが身に涌現することができる。
 「此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」とは、あまりにも有名な一節である。
 師子吼の題目を唱える人は、絶対に行き詰まることはない。
 師子王が吼えれば、百獣は恐れおののく。そのように、あらゆる魔性を破ることができる。病魔も破ることができる。
 全宇宙の諸天善神が私たちの味方となるのだ。何も心配はいらない。何も恐れる必要はない。
 薪を加えるほど火が盛んになるように、難に遭うほど、旺盛な大生命力をわきたたせていける。仏の境涯を開いていける。それを大聖人は、身をもって教えてくださった。
 偉大なる仏の力がみなぎれば、障魔に負けるわけがない。
 その大宇宙のような広大な境涯を涌現していく、ただ一つの条件がある。
 それは「信」である。「但し御信心によるべし」「能く能く信ぜさせ給うべし」と仰せの通りである。
 どんなに鋭い剣があっても、それを使う人が臆病であれば、何の役にも立たない。
 大聖人は「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」と仰せになられた。
 苦難に襲われたその時に、「勇敢な信心」「潔い信心」「勇猛な信心」「強盛な信心」があるかどうかだ。
 「心こそ大切」である。大聖人は、幾度も「信ぜさせ給へ」等と強調されている。
 今、時代は、乱気流の中に突入している。どんなに社会が動揺しても、いな、社会が動揺している時だからこそ、自らの信心だけは微動だにさせてはならない。
 信心さえ揺るがなければ、いかなる状況も、必ず打開できる。最後は必ず勝利する。
 「わざはひも転じて幸となる」のが妙法の力であるからだ。
 御聖訓に「心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同㌻、通解)と仰せの通り、どこまでも、祈り切ることだ。祈り抜くことだ。
 大悪をも大善に変えていくのが、日蓮大聖人の仏法である。私たちの信心である。
 苦難こそ、信心の無量の力を引き出していく最大の転機だ。御本尊の絶対の功力を証明する絶好の時である。
 諸天善神が間違いなく動きに動き、私たちを護りに護る。今まで以上に、思ってもみなかった力が発揮できる。そうでなければ、御書も法華経も、全部、虚妄になってしまうではないか──。
 この大確信で、いよいよ勇み、立ち上がっていただきたい。
 私たち学会員の信心が一段と深まり、人々に妙法の功力を示しきっていく時が来た! 今こそ人間革命できるのだ!──そう深く心に決めて進んでまいりたい。
18  御書の翻訳は師弟の聖業
 本日の会議には、教学部の若き俊英も参加している。
 「師弟直結の教学」「広宣流布の教学」「破邪顕正の教学」「人材育成の教学」そして「仏法勝負の教学」を先頭に立って実践しゆく皆様の奮闘は、誠に頼もしい。
 いつもご苦労さま!
 昭和27年(1952年)4月、日蓮大聖人の御書全集が創価学会の手によって発刊された時、発願者である戸田先生は「発刊の辞」で明快に宣言された。
 「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と。
 この「仏法西還」そして「一閻浮提(世界)広宣流布」は、大聖人が誓願され、日興上人が受け継がれた聖業である。
 御書には、こう仰せである。
 「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり
 さらに、日興上人は「日蓮大聖人の御書も、広宣流布の時には、また仮名交じり文(日本語)を外国語に翻訳して、広く世界に伝えるべきである」(御書1613㌻、趣意)と展望されていた。
 見栄っ張りの五老僧らは、かな文字で庶民にわかりやすく書かれた御書を軽んじた。
 しかし日興上人は、その大聖人の御書が、必ず全世界に向けて翻訳される時代が来ると断言された。
 戸田先生は、この大願を果たされるために、正しい御書を残された。そして、世界への翻訳を、後継に託されたのである。
 戸田先生のご構想を実現するため、私自身、教学部の代表として御書再版の校正作業に携わった。輝かしい青春の思い出である。
 世界広布の伸展とともに、私は御書の翻訳事業にも着手した。
 今や御書の翻訳・出版は英語、中国語、スペイン語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、デンマーク語などに及んでいる。現代の鳩摩羅什ともいうべき、最優秀の翻訳陣・通訳陣の方々に、この席をお借りして、最大に御礼を申し上げたい。その福徳は、広大無辺である。本当にありがとう!
19  「人間主義」の大仏法を世界へ
 とくに今年は、世界3言語の一つに数えられるスペイン語版の『御書』が発刊された。
 スペイン語の使用人口は、スペインや中南米諸国など、世界で3億5,000万人にのぼるといわれる。
 今回、言語学と翻訳理論の権威である、スペインの国立マドリード・コンプルテンセ大学教授のカルロス・ルビオ博士が、監修者として尽力くださった。
 〈ルビオ博士は「仏法の光、幸福の光で人々を照らすことは、必ずや世界平和につながると確信します。こうした大事業の一翼を担うことができ、感謝の思いで一杯です」と語っている〉
 もとより日顕宗では、スペイン語はもちろん、英語の立派な御書すら発刊されていない。
 スペインのわが創価の同志は、『御書』を拝しながら、希望の前進を繰り広げている。
 邪悪な日顕宗の破和合僧の謀略を厳然と勝ち越えた。黒き鉄鎖を断ち切った1991年(平成3年)から17年で、実に30倍の陣列に大発展を遂げているのである。
20  「行学の二道」に励みゆく求道の息吹は、世界中に広がっている。この1年、約50カ国・地域で教学試験が行われ、約14万人が挑戦した。
 ヨーロッパでも、この11月に21カ国で教学試験が行われ、約1万人もの友が受験した。試験は、英語、ドイツ語、ポルトガル語など9言語で実施された。
 人間主義の大仏法を、世界の民衆が学び、実践している。
 大聖人の御遺命は、仏意仏勅の学会によって現実のものとなってきたのである。
21  戸田先生は、御書全集「発刊の辞」の冒頭で、「諸法実相抄」の「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」の御聖訓を拝され、こう述べられた。
 「創価学会は初代会長牧口常三郎先生 之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」
 学会は、どこまでも御書根本である。
 御書は、全人類に「冬は必ず春となる」と示し切った「希望の経典」である。
 御書は、「命こそ第一の財なり」と断ずる「生命尊厳の経典」である。〈「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」〉
 御書は、「立正安国」の道を開いた「平和の経典」である。
 そして御書は、「道理は権力に勝つ」「正義は邪悪に勝つ」ことを説き切った「勝利の経典」なのである。〈「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」、「悪は多けれども一善にかつ事なし」〉
 御書を開けば、希望の光線を浴びる。御書を学べば、勇気が出る。智慧がわく。
 大聖人の大精神が、わが生命に脈打つからだ。そこにこそ「難を乗り越える信心」の炎が燃えあがる。
22  23  日々、御書を拝せ
 私の妻は、幼き日、自宅の座談会で、特高警察の監視の中、御書を拝して師子吼される牧口先生のお姿を生命に刻みつけた。
 そして戸田先生のもと、「女子部は教学で立て!」と薫陶を受けた。ゆえに、どんな時でも、御書を真剣に拝読し続けてきた。
 婦人部となってからも、時には台所の片隅で、寸暇を借しんで御書を拝していた。
 いわゆる言論問題の嵐の渦中、ある新聞記者が、取材のため、私のもとに来た。そこで偶然、妻が黙々と御書を研鑚している姿を目の当たりにした。
 その記者は“こんな時にも、仏法の教えを学んでいるのか”と驚いたという。
 だから、妻は負けなかった。婦人部は揺るがなかった。大難の中にも泰然自若として、微笑みながら、同志を励ましていった。
 その勝利の源泉こそ、「唱題」であり、「御書」なのである。
24  戸田先生は、御書研鑚の姿勢について「一行一行、拝しながら、『その通りだ。まったく、その通りだ』と深く拝読していくべきだ」と教えられた。
 御書の一節だけでもよい。日々、拝読しながら、実践していくことが大切だ。
 全国各地で、男女青年部の教学部長も立ち上がっている。
 「青年・勝利の年」は「行学・勝利の年」でもある。どうか、大いに学び、大いに実践して、仏法勝負の金字塔を堂々と打ち立てていっていただきたい。
25  「学会の躍進が日本の発展の力に」
 現在、私は、フランスのナポレオン家の当主であり、実業家、歴史作家として活躍するプランス・シャルル・ナポレオン公と対談を行っている。
 その中でナポレオン公は、終戦後の日本に思いをはせた、幼き日の出来事を紹介してくださった。
 「私が幼い頃、地元の教会の神父が、チョコレートを包んである銀紙を持ってくるよう、子どもたちに呼びかけていたことを思い出します。その銀紙を売ったお金で、日本の貧しい人に食糧援助をするのだ、というのです」
 当時の日本の窮状をご存じだからこそ、ナポレオン公は、大変な苦難を乗り越えて、見事な経済成長を成し遂げてきた日本の発展に刮目されていた。
 ナポレオン公は、こうも語っておられた。
 「そうした目覚ましい貴国(日本)の発展の土台に、創価学会の躍進があったことに、私は深い意義を感じずにはいられません」
 〈ナポレオン公は「幾多の苦難を越えて、平和のための傑出した民衆運動を築かれた、戸田会長、池田会長の偉大なる労苦に、心から敬意を表したいと思います」とも述べている〉
 学会の歴史は、戦争の惨禍に苦しみ抜いた民衆の、大いなる宿命転換の劇であったといってよい。
 民衆を高め、民衆を賢くし、民衆を強くする創価学会の前進が日本の発展を大きく牽引してきたことを、世界の識者は、正視眼で評価してくださっているのである。
 今また、時代の乱気流を突き抜けた時に、私たちの信心は、前にも増していっそう鍛えられ、ますます力強くなっていくことは間違いない。
 御聖訓には仰せである。
 「一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている『閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)』の文が実現することは、よもや疑いないでしょう」(御書1467㌻、通解)
 動乱の中で苦しむ人類を、希望の方向へ、幸福の方向へ、平和の方向へ、繁栄の方向へ、向かわせていくのが広宣流布である。
 どうか、この大使命に燃えて、祈りに祈り、勝ちに勝ち、見事なる一大実証を厳然と示していっていただきたい。
26  歓喜に燃えて
 御義口伝には仰せである。
 「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり
 私たちの生命には最高に強く、尊い仏の生命が厳然と具わっている。胸中にこの仏界が輝く時、いかなる魔性も、私たちを苦しめることはできない。
 嘆いてばかりの仏はいない。宿命に負けてしまう仏などいないのである。
 真実の幸福を築くための仏法だ。
 「衆生所遊楽」のための信心である。
 天人が満ちあふれ、常に妙なる音楽が奏でられており、天空からは、めでたい曼陀羅華が降り、仏やその他の衆生の頭上にそそいでいる──法華経寿量品には、衆生が遊楽する仏国土について、このように記されている。
 強き信心で生き抜く私たちの境涯は、常に喜びに満ちている。和楽が広がっている。これが、創価の世界なのである。
27  友情の根本は尊敬と信頼
 全世界の多くの友人から、真心と友情あふれるグリーティング・カード(あいさつ状)をいただく時期となった。
 哲人指導者であられる、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領からも、丁重なカードを頂戴した。
 大統領とは、1991年の6月、ライン川のほとりの大統領府で1時間にわたって親しく語り合った。
 大統領は、その後、ドイツSGI(創価学会インタナショナル)のヴィラ・ザクセン総合文化センターにも来訪してくださった。
 大統領は述べておられる。
 「いつまでも持続する人間関係は、どのようなものであっても、常にただ、互いに真実に尊敬しあっているかどうかにかかっている」(加藤常昭訳『ヴァイッゼッカーのことば』日本基督教団出版局)
 互いの尊敬と信頼があってこそ、友情は永続的なものとなる。
 私たちは、こうした連帯を社会に世界に、さらに広げてまいりたい。
 祈り、そして一歩を踏み出して、行動を起こしていくところから、すべてが始まる。智慧が生まれ、諸天が動く。状況も好転していくのである。
28  常楽我浄の軌道
29  とくに「死」という人生の総決算の時、問われるものは、いったい何か。
 ヴァイツゼッカー大統領は、それは「あなたがその人生から何を得たかではなく、人生において、何を与えたかなのである」(同)と論じておられる。
 真っ赤に燃え上がる夕日のような、そしてまた金色に輝きわたる大銀杏の黄葉のような、わが創価の友の荘厳なる人生の総仕上げの姿が、私には思い起こされてならない。
 妙法を唱え、友に希望と勇気の励ましを贈り、地域社会に貢献しゆくわが同志は、「生も歓喜、死もまた歓喜」の生命の軌道を、どこまでも進んでいくことができる。
 三世永遠に、常楽我浄の人生を歩むことができるのである。

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