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全国代表協議会  

2008.12.22 スピーチ(聖教新聞2008年上)

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2  生命尊重の花の博士よ
 友のため、法のために、労苦を惜しまず尽くしてきた、模範の方々の代表として、関西白樺会に和歌を贈りたい。
  偉大なる
    大関西の
      白樺会
    生命尊重
      花の博士よ
  いついつも
    広布の庭で
      戦いし
    同志を護らむ
      白樺会かな
  白樺会
    平和と健康
      祈りきる
    貴女たちありて
      同志は万歳
 生命尊厳の看護師の皆様に感謝しつつ、妻とともに贈らせていただきたい。
3  目立たずとも
 きょうは、全国から代表が集ってくださった。あの地にも、この地にも、福徳輝く人材城が、堂々と、そびえ立っている。本当にうれしい。
 地味な、目立たないところで、誰よりも頑張っている人がいる。
 大変な状況をはねのけ、見事な歴史を築いている人がいる。
 何と立派か。その人を私は讃えたい。
 反対に、たとえ恵まれた環境にあっても、それに安住し、油断すれば、持てる力を発揮することはできない。
 まして、リーダーが慢心になり、「こんなものだろう」と手を抜けば、いかなる戦いも勝てるわけがない。
 将の一念にひそむ慢心こそ、勝利を阻む“一凶”である。
 学会創立80周年の峰を目指して、同志は皆、一生懸命、戦っている。最高幹部は、それを一瞬たりとも忘れてはならない。
 将であるならば、皆以上に、一生懸命に戦う。むしろ、自分が大きな苦労を引き受ける。この覚悟がなければ、将たる資格はない。偽者である。
 若き諸君は、真実の広宣流布の将として、今こそ決然と立ち上がっていただきたい。
4  女子部の秀麗な姿に賛嘆の声
 先日、学会の会館を訪れた識者の方々が語っておられた。
 「皆さんのさわやかな応対は、さすがです」「本当に、すがすがしい」──
 こう、ほめ讃えておられたそうである。
 とくに、会館で受付や運営に携わってくださっている女子部の聡明な笑顔に触れ、心が洗われたと感嘆する声は、これまでも数知れない。
 いつも本当にありがとう! 皆さんの秀麗な姿、真心の振る舞いは、学会の宝である。心から讃嘆の拍手を贈りたい。
5  50年前の決心
 今から50年前、戸田先生が逝去された年の秋、私は日記に記した。後継の友のために紹介しておきたい。
 昭和33年(1958年)10月20日。この日は月曜日で、晴れであった。
 「一日、一日が大事。一日、一日が決戦」「学会員を厳然と守ることだ。私の使命は」
 「難よ来れ。われは恐れない。たじろがない。真の指導者になりたし。智勇兼備の」
 皆様も、この決心で進んでいただきたい。
 思えば、戸田先生は人間学の天才であられた。どんな小さなことからも、その人の本質を見抜いた。ずるい悪人は震え上がった。まさに師子であられた。
 その先生に、私は19歳で出会った。師としてお仕えした。厳しき薫陶は、朝から夜中にまで及んだ。
 当時、学会は財政的にも大変であった。そのうえ、無理解と偏見が渦巻き、周りは敵、敵、敵。「貧乏人と病人の集まり」と椰楡された。しかし、我らは誇り高かった。
 戸田先生が事業に敗れると、皆、手のひらを返して罵倒し、去っていった。先生は理事長辞任を余儀なくされた。まさにその時、「わが師匠は戸田先生なり」と、私は阿修羅のごとく戦った。
 いつ春が来て、いつ冬が終わったかもわからない。断崖絶壁を歩むような日々であった。その中で私は、ただ一人、真実の弟子として、偉大なる師匠をお護りし抜いた。
 誰よりも師に仕えた。誰よりも広布の道を開き、師の構想を成し遂げ、誰よりも同志を護り抜いた。
 だからこそ私は、恩師の後を継ぎ、第三代の会長となった。そして、世界的な創価学会を、同志とともに築いてきたのである。
 一切の根幹は、師弟不二で生き抜くことだ。それさえ忘れなければ、恐れるものは何もない。
 師弟を軽んじ、断ち切る者とは、断じて永遠に戦わなければならない。
 若き皆さんが、すべてにわたって、学会、広布の推進力とならねばならぬ時が来たのだ。頼むよ!〈会場から「ハイ」と力強い返事が〉
6  創価学会第2別館には、正本堂建立の際の賞与御本尊が御安置されている。きょうは、その意義について申し上げておきたい。
 この御本尊には、「昭和四十九年一月二日」の日付とともに、「賞本門事戒壇正本堂建立」「法華講総講頭 創価学会会長 池田大作」と、日達上人の筆で認められている。
 「本門事の戒壇」たる正本堂が、わが創価学会の尽力によって建立された功労が、厳粛に留められた御本尊である。
 来る1月2日で、この御本尊の授与から、35周年となる。
 この昭和49年(1974年)、私は北米、中南米を歴訪し、一閻浮提広宣流布への大きな波動を広げていった。
 さらに、中国、ロシアを相次いで訪問し、世界平和への対話と友好の渦を起こしていったのである。
 そして35年後の今、学会に世界から信頼が寄せられる時代となった。
 嫉妬に狂乱した日顕は、800万人の信心の結晶である正本堂を破壊した。大聖人に師敵対し、これほどの悪行をなした日顕宗に、功徳があるはずがなく、厳然たる大罰を受けるのみである。
 創価学会が大聖人と日興上人の仰せのままに、正本堂を建立した歴史は、絶対に消し去ることはできない。
 その永遠不滅の功労も、無量無辺の功徳も、奪い取ることは、絶対にできない。
 この賞与御本尊が、創価の正義と勝利を、峻厳なまでに証明してくださっている。
 〈正本堂建立の意義と、それを破壊した日顕の暴挙については、小説『新・人間革命』第16巻の「羽ばたき」の章に詳しい〉
7  皆が朗らかに 皆が勝利する場
 広宣流布を進めていくためには、事実のうえで、大勢の人が集って、喜んで題目をあげ、幸福の生命となって、それぞれの生活の現場へ帰っていくことが大事である。
 皆が楽しく、皆が幸せに、皆が朗らかに、皆が勝っていく──そういう「広宣流布の場」「日々、誓いを新たにする場」は、現代において創価学会しかない。
 わが学会こそが、日々、勇猛精進している。仏法の根幹を体現しているのである。
 皆さんは、この誇りを持って、生きていただきたい。
8  苦しんだ人こそ幸福になる仏法
 婦人部、女子部の皆さんの大先輩の一人に、全国の女子部長、婦人部長などを歴任した多田(旧姓・湊)時子さんがいる。
 多田さんの生まれは、大正14年(1925年)の10月。
 幼くして父を亡くし、母も病気で失った多田さんが、創価学会に入会したのは、戸田先生が第二代会長になられた昭和26年(1951年)の夏のことであった。
 東京・大田区の蒲田で、座談会に出席した彼女は、「必ず幸福になれる」との確信の言葉に心を打たれた。
 当時、女子部の班長だった私の妻は、入会時から多田さんを励まし、仲良き同志として進んできた。
 御本尊を御安置するときにも、妻が駆けつけて、彼女の部屋で、ともに真剣にお題目を唱えた。
 女子部の善き友に囲まれて、多田さんは、生活苦と闘いながらも、明るく活動に励んでいった。
 人生の「労苦」の歳月は、信仰によって、生命の「輝き」に変わっていったのである。
 戸田先生は、両親を亡くした多田さんを大切に見守っていかれた。そして私に、多田さんを、次代の女性リーダーに育てるよう命じられた。
 私と妻は、彼女の成長を祈りながら、どんなときも、陰に陽に支えていった。
 本当に苦しんでいる人、病気の人、経済苦の人──そういう人が幸福になり、勝利していくのが、大聖人の仏法である。その偉大な功力を、わが身で証明していかれた多田さんであった。
 彼女は、学会の大恩を、決して忘れなかった。
 師弟の道を、最後の最後まで、まっすぐに突き進んでいかれた。
 そして、ちょうど8年前の2000年12月、安祥として霊山に旅立たれたのである。
 このとき、多田さんは、私と妻にあてて、遺言の手紙を用意されていた。
 そこに綴られていた、あまりにも清らかな報恩・感謝の心に、私と妻は、合掌し、追善の祈りを捧げたのである。
9  池田華陽会の大健闘を賞讃
 多田さんは、戸田先生が手作りで育てられた「華陽会」のメンバーでもあった。
 偉大な先輩の尊き精神を受け継ぐ、「広布第2幕 池田華陽会1期生大会」が先日、晴れやかに開催された。本当におめでとう!
 今月の衛星中継への女子部の参加者は、先月に比べて、4万7千人も増加したと、うかがった。大変なことである。
 全国の女子部の皆さんの大健闘を心から讃えたい。本当にご苦労さま!
 戸田先生は言われた。
 「幹部は、全会員を懇切に指導して差し上げることだ。そして、『信心してよかった』という喜びを味わえるようにしてあげていただきたい」と。
 どうか、女子部の皆さんの祈りと行動で、「信心してよかった!」という「喜びのスクラム」を、若き世代に一段と大きく広げていっていただきたい。
10  今、私は、アメリカの教育界に光を放つデューイ協会の会長であるガリソン博士と対談を進めている。
 博士は、SGIの推進する「人間革命」の運動の意義について、こう語っておられた。
 「『人間革命』とは一人一人が、かけがえのない可能性を現実の中に開発する作業であると、私は理解しております。そして、『人間革命』を通して、一人一人が社会全体に貢献していくのです」
 「この『人間革命』の理念を掲げるSGIは、“どこまでも成長する宗教”であると私は思っています」
 一流の人物は、私たちの運動の重要性を、正しく理解してくださっている。
 〈ガリソン博士は、こうも語っていた。
 「私は、成長する宗教の証しを、今年の8月、池田博士とお会いしたとき、目の当たりにすることができました。それは、師匠である戸田会長について語られる80歳の池田博士の眼に、19歳の青年の輝きを見たときでした。この眼の輝きがあれば、この宗教は、絶対に衰退することはないと実感したのです」〉
 博士は言われた。
 「師匠という原点、伝統を正しく踏まえ、若々しさを堅持していくかぎり、そしてまた、成長し、価値創造を続けるかぎり、この宗教は、1000年の繁栄を築くであろうと実感したのです」
 世界中で頑張ってくださっているSGIの皆様へのエール(声援)として紹介させていただいた。
 私たちは、1000年先までの人類の「幸福の大道」を切り開いている。
 堂々と胸を張って、この大道を進んでまいりたい。
11  真心の伝言
 このほど、中米ドミニカ共和国のコマツ婦人部長から、うれしい報告をいただいた。
 本年、同国の著名な教育者が来日され、八王子市の東京牧口記念本館を訪問された。私と妻も、多くの同志とともに真心から歓迎させていただいた。
 じつは、この教育者のお嬢さんが、帰国したお父さんから、さまざまな話を聞き、SGIの理念と運動に心から共感して、SGIと一緒に進んでいきたいと語っておられたというのである。
 この報告を聞いて、私は、即座にお嬢さんに伝言を託した。「お父さんに親孝行を」と。また、妻からは写真集を贈らせていただいた。
 こうした伝言や、やりとりは、スピードが入事である。すぐに反応して、行動するから、信用が増すのだ。
 誠実には大誠実で、真心には、それ以上の真心で応えていく。そこに本当の友情が広がる。学会は、それで勝ってきたのである。
 〈名誉会長から「親孝行を」との伝言を受け取った令嬢は、こう語っていたという。
 「こんな私にまで配慮してくださる池田先生ご夫妻に、心から感謝申し上げます。先生のご伝言通り、今まで以上に親孝行をしてまいります」「先生と奥様を知ることができ、私は本当に幸せです。先生、本当にありがとうございました」
 また、父親も大変に喜び、自分も名誉会長の人間主義と慈悲に感銘を受けた一人なので、皆と一緒に進んでいきたいと共感を寄せておられるという〉
 広布の全責任を青年が担い立て
12  かつて戸田先生は指導された。
 「戦時中、学会は、外部に対して、渉外の力がなかった。魔を乗り切っていく力をつけよ! 外部に学会の正しさを認識させていく力を持て!」と。
 戸田先生は、昭和29年(1954年)の12月、当時、26歳の私を、初代の渉外部長に任命された。
 ベテランの幹部は大勢いた。しかし、先生は、若い私を指名された。
 未曾有の広宣流布の歴史を開くには、積み重ねられた「経験」も必要だが、やはり、「若さ」が大事だと、戸田先生は確信しておられたのである。
 私は、広布の全責任を担って奔走した。
 師匠や学会を批判・中傷する者とは、言論の力で断固として戦った。
 「私の師匠は、ここに書かれているような人ではありません。一体、どこに証拠があるのですか」
 私は、一つ一つ検証して、誤りや嘘は訂正させた。その真剣さに、相手も驚き、感心して、学会への認識を新たにしていった。
 私は不惜身命で戦った。自分のことは、どうなってもいいと覚悟していた。それが青年である。
 青年部、頼むよ!〈「ハイ」と参加者から勢いよく返事が〉
 また全員が青年の心で進んでまいりたい。
13  戸田先生は、30歳近く年の差がある私を深く信頼してくださった。大事なことは必ず、「大作に聞け」と言われた。
 外部の重要な人との交渉にも、「大作を行かせますから」と私を派遣された。
 私は、外交戦で鍛え上げられた。多くの人と会い、語り、目には見えない底流の部分で信頼関係を結び、学会を護り、同志を護ってきた。
 現実は厳しく、多くの宗教が衰退を余儀なくされている。その中で、戸田先生が後継の一切を託した弟子の奮闘によって、学会だけは、大発展を遂げてきたのである。
14  戸田先生は峻厳に言われた。
 「学会に反逆すれば、必ず、ひどい仏罰がある。覚悟しなければならない。仏法は、生きた証拠が必ずある。それを見ていくのだ」
 戸田先生の時代にも、学会にお世話になりながら、幹部になると慢心を起こし、師匠に嫉妬して、裏切っていった人間がいた。
 御聖訓には仰せである。
 「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(=佐渡流罪)にあうと“疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このような歪んだ心の者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない」(御書960㌻、通解)
 増上慢の人間が仏法を破壊するのである。
 愚かな歴史を断じて繰り返してはならない。将来のために強く申し上げておきたい。
15  先日、私は、ロシアの文豪トルストイの玄孫(孫の孫)である、ウラジーミル・トルストイ氏と再会した。
 氏は、私への「トルストイの時代」賞の授与のために、ロシアから、はるばる来日してくださったのである。
 〈「トルストイの時代」賞は、ロシアの「国立記念自然保護区・L・N・トルストイの屋敷博物館“ヤースナヤ・ポリャーナ”」と国際慈善財団「L・N・トルストイの遺産」から贈られたもの。ウラジーミル氏は、同博物館の館長を務める〉
 授与式のスピーチでも触れたが、トルストイは、私が青春時代から愛読してきた世界的な文豪である。
 このレフ・トルストイが生まれたのは、1828年8月28日。本年で生誕180周年の佳節を迎えた。
 トルストイの代表作として『戦争と平和』『アンナ・カレーニニナ』『復活』は、とくに有名だ。また『人生論』『人はなにで生きるか』『光あるうちに光の中を歩め』なども、多くの人に愛読されてきた。
 ロシアで発刊されているトルストイの全集は90巻。数多くの小説をはじめ平和論、教育論、宗教論など膨大な量の作品を残した。
 その根底には、巨大な国家悪にも屈しない、強き人間愛がみなぎっており、今なお全世界の精神の宝として輝いている。
16  「万歳」の大歓声
 それは、約100年前の1909年9月のことである。
 モスクワを訪れていたトルストイは、再び故郷のヤースナヤ・ポリャーナへ戻ることになった。
 そして、トルストイが駅から故郷へと出発する日──。
 この知らせを聞きつけた幾万もの民衆が、トルストイが出発する駅に、続々と集まってきたのである。
 当時、トルストイは81歳。暴力が吹き荒れた時代に、「殺すなかれ」と繰り返し叫んだ。人類の良心の柱であった。
 彼が駅前に姿を見せると、人々の間から「トルストイに栄光あれ! 偉大なる闘士万歳!」との大歓声が、わき起こった。
 民衆の歓呼が響き渡る中、トルストイは列車へと向かった。
 「ありがとう! みなさんのご厚意に感謝いたします!」
 「本当にありがとう!」
 列車の中から、トルストイはこう叫んだ。
 この言葉に応えて、人々から再び歓声が上がった。
 「ありがとうございます!」「万歳! 栄光あれ!」
 やがて、列車が動き出した。人々もまた、列車の後を追いすがった。
 列車は速度を増していく。しかし、それでもなお「万歳!」を叫びながら、列車を追いかけて、走り続ける人々がいたという。
 〈シクロフスキイ著、川崎浹訳『トルストイ伝』河出書房新社から〉
 トルストイは権力からは疎まれ、迫害された。しかし、世界の民衆からは絶大な支持を得た。
 民衆からの敬愛と信頼。これに勝る人生の勝利と栄光はない。
 どこまでも民衆とともに──私もまた、この信念で進んできた。
 学会は、強き精神の絆で結ばれた庶民の団体である。だから強い。いかなる迫害の嵐が吹いても、絶対に倒れないのである。
 〈ウラジーミル・トルストイ氏は、池田名誉会長について、月刊誌「潮」のインタビューで次のように語っている。
 「(池田)先生はご自身の人生を通して、一貫して『善』を体現してこられた。『正義』を貫いてこられた。
 素晴らしいことを語る人はいても、それを自身の人生を通して証明する人は稀である。
 だからこそ、池田先生のことを世界中の多くの政治家も尊敬しているし、市井の人々や学生も敬愛してやまない」
 「池田先生は、思想と行動が一致した、まさに師と仰がれるべき人物なのである」〉
17  わが生命を磨け
 とくに青年の皆様は、トルストイの作品をはじめ、大いに良書に挑戦していただきたい。世界的な文学作品を読んでほしい。
 世間には、ただ刺激を売り物にするだけの悪書が多い。
 トルストイは「良書が不良な、有害な、若しくは無用なる多数書籍の洪水中に隠れてしまうこと」を憂えていた(八杉貞利訳「書籍の意義に就いて」、『トルストイ全集第20巻』所収、岩波書店。現代表記に改めた)。
 悪書を退け、良書に親しめ!──トルストイは、自分の子どもに対しても、このことを厳しく教えていた。
 「魂の後継者」と呼ばれた娘のアレクサンドラは、ある時、父トルストイから、「いけない!」「どうしてあんたは、こんな本を取り出したのだね? ただもう魂を穢すばかりだよ!」と叱られたことを書き残している(八杉貞利・深見尚行訳『トルストイの思い出』岩波書店、現代表記に改めた)。
 恩師・戸田先生も、くだらぬ雑誌など読んでいる青年がいたら、厳しく叱り飛ばしておられた。
 トルストイは、アレクサンドラへの手紙で綴っている。
 「精神的な成長こそ、私たちが皆、成し遂げることである。そこにこそ、人生があり、真の幸福がある」
 大事なのは、人間としてどれだけ成長しているかだ。
 自身を鍛え、わが生命を磨いていく。そこにこそ、真の充実の人生が輝くのである。
18  傲慢から堕落が
 さらに、トルストイの言葉を紹介したい。
 きょうのような会合もまた、勉強の場だ。人生の向上の場である。そういう思いから、私は皆さんに、さまざまな箴言を贈っているのである。
 トルストイは綴っている。
 「私を信仰に導いたのは生の意義の探求だった。
 すなわち、人生の正路の探求、いかに生くべきかの探求だった」(ビリューコフ著・原久一郎訳『大トルストイ』勁草書房)
 トルストイは生涯をかけて、人生の正しき道を探求し続けた。
 正しき人生を、どう生きるか──その問いに回答を与えるのが真実の信仰である。
 また、彼は、こうも述べている。
 「信仰は、いやしくもそれが信仰である限り、その本質からいって、権力の下に服従することはあり得ない」(同)
 文豪の偉大な信念であり、普遍の哲学といえよう。
 真の信仰者は、どんな権力からの弾圧にも絶対に屈しない。
 偉大な精神の力は、いかなる権力にも勝るのである。
 また、トルストイは綴っている。
 「虚栄心の満足ほどむなしいものはまたとはない」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 「労苦のないということは、悪である」(原久一郎訳『トルストイ全集第22巻』岩波書店、現代表記に改めた)
 苦労をしなければ、人間は鍛えられない。また、本当に苦労をして戦ってこそ、真実の喜びや満足が得られるのである。
 このことは、戸田先生も語っておられた。
 またトルストイは、傲慢な人間は欺かれやすいと述べ、「傲慢な者は馬鹿だ」(小西増太郎訳『生きる道』桃山書林)と記している。
 その通りと思う。
 「私は偉いのだ」などと傲り高ぶるところから、堕落が始まる。
 どこまでも謙虚に、どこまでも誠実に、友のため、広布のために尽くしていく。それが真実の学会のリーダーである。
 「たとえどんなことが起ころうとも、勇気を失ってはならない」(前掲『ことばの日めくり』)
 これもトルストイの言葉だ。
 我らもまた不屈の「勇気」を胸に、あらゆる困難を打ち破っていきたい。
19  文豪ショーロホフ氏との思い出
 ロシアの文豪といえば、ミハイル・ショーロホフ氏(1905〜1984年)との会見が思い出深い。
 皆さんも、ご存じの通り、1965年にノーベル文学賞を受賞した。代表作に『静かなドン』『人間の運命』等がある。
 私がロシアを初訪問した1974年(昭和49年)。9月16日の午後4時、モスクワの氏のお宅を訪ねた。質素なアパートの4階だったと記憶している。
 対談は約1時間に及んだ。ロシア側の同席者は、モスクワ大学のトローピン副総長、ノーボスチ通信記者のドナエフ氏。通訳は、モスクワ大学のストリジャック先生であった。
 氏は69歳。私は46歳。
 先日、来日した氏の令孫アレクサンドル・ショーロホフ氏(「国立M・A・ショーロホフ博物館・自然保護区」館長)も、46歳であった。
 〈令孫は、ショーロホフ氏の生誕100周年を慶祝する「記念メダル」を、名誉会長に授与。
 「深く尊敬する池田先生! どうか46歳の心のままで、いつまでもいつまでも、お元気で!」と念願した〉
 会見当時、氏は病気がちで、故郷の村で療養中であったという。
 しかし、わざわざモスクワまで出向き、スーツに着替えて、「よく来られました」と、丁重に迎えてくださったことは、忘れることができない。
 人間と文学をめぐる語らいの途中である。氏からコニャックを勧められた。笑顔で「お空けください!」と。
 ロシアでは、お客さんが来ると、乾杯をして心からの歓迎の意を表する慣習がある。とはいえ、喉が焼けるような強い酒である。
 私は飲めない体質なので困り果てたが、礼を失するわけにはいかない。意を決して、ほんのわずかだけ流し込んだ。
 会見を終え、私の顔を見た妻が「真っ赤じゃありませんか」と驚いていたことも、懐かしい思い出である。
 あの日、ショーロホフ氏は、“人間の運命”について、こう語っていた。
 「運命に負けないかどうかは、その人の信念の問題であると思います。一定の目的に向かう信念のない人は何もできません」
 その通りである。
 信心ほど強いものはない。広宣流布ほど偉大な目的はない。何があっても負けない、強い自分へと変わっていけるのが、「人間革命」である。
20  人類への責任感
 ショーロホフ氏は、未来を見つめて、こう語っている。
 「私は、青年が苦労をして、われわれと肩を並べるようになり、われわれの世代交代をしてくれることを願っています」
 青年部の時代だ。私は、むしろ、“青年よ、幾多の先輩を乗り越え、さらに偉大な歴史を築きゆけ”と申し上げたい。
 革命と戦争の世紀を生き抜いたショーロホフ氏は言った。
 「この不安な時代にあって、平和の闘士の固い団結こそ、現在、もっとも焦眉の課題である」
 「私を突き動かしているのは、人類に対する責任感である」
 わが使命と責任を忘れない人は強い。
 平和のため、全人類の幸福のために、我らは追撃の手をゆるめるわけにはいかない。
21  民衆の声を聞け
 きょうは、全国の各地で広布の言論戦を担う友の代表も参加されている。ショーロホフ氏の言葉を記念に贈りたい。
 「民衆の意見は、作家たるものなら誰もがもっとも大切にしなければならないものである」(F・ビリュコーフ編、秋山勝弘訳、横田瑞穂監修『ショーロホフと現代』モスクワ・プログレス出版所)
 「嘘は、どこまでいっても嘘である。誰もが、それに気づいている。ゆえに、嘘によって何人をも高めることはできない。本当の真実は、常に人を高める」
 「民衆とともに生き、人々の苦しみを我が苦しみとし、人々の喜びを我が喜びとし、皆の心の痛みを分かち合ってこそ、作家は、読者の胸を打つ本物の作品を書くことができる」
 友と同苦し、皆の喜びをわが喜びとしながら、民衆の心を鼓舞してやまない正義と真実の言葉を、広く社会へ発信していきたい。
22  未来部こそ希望
 ショーロホフ氏の名作『静かなドン』は、すべてを失った主人公が故郷に戻り、わが子を抱き上げる場面で結ばれる。
 氏は、“未来を生きる子どもたち”に希望を見出していたのではないだろうか。
 学会の大いなる希望は、未来部である。21世紀使命会、未来部育成部長をはじめ、未来の宝を育む担当者の皆さん、いつも本当にありがとう!
23  「最後の勝利は苦労した人に」
 私は、若き皆さんに広宣流布の一切を託したい。いな、託すしかない。
 だからこそ、真実の師弟の歴史を、わが魂に刻みつけてもらいたいのだ。
 青年は、人を頼るような意気地なしであってはならない。「信頼できる人がいない」と嘆くより、自分が周囲から「信頼される人」になればいいのだ。
 戸田先生は言われていた。
 「苦労しなさい。最後の勝利は、苦労した人間にある。苦労した人間には、誰人もかなわないのだ」
 末法の社会は冷酷だ。自分だけ、いい子になって、人の苦しみを、あざ笑う。正義の人をも、虚偽で陥れる。これが一面の現実であるかもしれない。
 人々を苦しめる、偉ぶった人間、虚栄の人間、私欲を貪る人間。そうした悪人を払いのけて、民衆のために、民衆とともに進むのだ。豊かな慈愛にあふれた、人間らしい世界を、君たちの手で築くのだ。
 悲惨の二字のない世界──それこそが戸田先生の宿願であった。
 師のもとで、私は一兵卒となって戦った。祈り抜いた。正義を師子吼した。いかなる時代が来ようとも、私は一人、厳然と、恩師の遺訓を守って、まっすぐに進んできた。
 この師弟の闘争に、創価学会のすべてがある。
 きょうは、一年を締めくくる大事な協議会だ。広布第2幕の真実の師弟の勝利を、新しい創価学会の歴史を、晴れ晴れと築きゆく、出発としていただきたいのだ。
 仏法は、仏と魔の熾烈な闘争である。命がけの闘争で、障魔を破り、勝ち越えてきたゆえに、今日の大発展があることを、若き諸君は知らねばならない。
24  自ら動き、語れ
 今年1年、学会は厳然と勝ちました。
 来年も勝とう! 勝てば、うれしい。皆も楽しい。功徳も大きい。魔も退散する。勝てば、大威張りで喜び合える。
 楽しい道をつくっていこう! 頼むよ! では、皆さん、お元気で!
 帰られたら、同志の皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えください。「この1年、皆さんのおかげで勝ちました。大きな前進をすることができました」と最大に讃え、御礼を伝えていただきたい。
 私と妻は、毎日、全同志の健康・無事故・幸福を、一生懸命、祈っている。朝晩、何十年も、祈り続けてきた。これからも、一生涯、祈っていく決心である。
 素晴らしい年を、毎年、つくっていこう!
 この会場には、昨年11月、わが愛する関西を訪れた折、新幹線の車中から撮影した富士山の写真が飾られている。
 関西よ、永遠に堂々たる「常勝関西」であれ! その誉れの心を忘れるな!──こう私は呼びかけたい。
25  リーダーは、いくつになっても、若々しく進むのだ。
 胸を張って! 張り切って!
 同じ広布の戦でも、喜んで動けば、功徳は大きい。自らの足で立ち、自らの声で語るのだ。友のために祈り、励ましていくのだ。
 自分が生き生きとすれば、皆も元気になる。
 皆を喜ばせるのが、名指導者である。仏の行為である。
 それは、単なるご機嫌取りや、うわべだけのお世辞を言うことではない。皆が勝利し、皆が幸福になる道を開いていくのだ。
 皆を苦しめ、悲しませるのは、悪であり、愚者の行為である。
26  御聖訓には仰せである。
 「この御本尊は、まったくよそに求めてはなりません。ただ、我ら衆生が法華経を受持し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのです」(御書1244㌻、通解)
 尊極なる仏の生命は、広布に生きる、わが胸中にある。自分自身が妙法の当体である。これほど尊いものはない。その自負と誇りをもって、進んでいただきたい。
 本年1年間、本当にありがとう!
 どうかお元気で! 元気に生きなければ損である。くれぐれも風邪をひかないように。
 よいお年をお迎えください。また来年、元気でお会いしよう!

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