Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各部代表協議会  

2008.12.2 スピーチ(聖教新聞2008年上)

前後
1  きょうは寒い中、また遠いところ、本当にご苦労さま!
 いよいよ、本年の総仕上げである。
 今、全国の同志の皆様が、広宣流布の未来を開く活動に、日々、真剣に取り組んでくださっている。
 この場をお借りして、心から感謝申し上げたい。
 私は、一切、事故がないよう、またすべての皆様に大福運がつくようにと、真剣に祈っている。
 どうか、リーダーの皆様もまた、私と同じ心に立ち、同志の真心に深く感謝しながら、絶対無事故で活動を推進できるよう、真剣に祈っていただきたい。
2  未来のために
 今、本部第2別館やSGI(創価学会インタナショナル)世界文化センターなど、学会本部周辺の建物の整備が進んでいる。また、全国各地の会館の建設も着々と進展している。
 すべて全同志のため、そして未来の世代のための事業である。
 施設の面でも、いよいよ世界的な、生まれ変わったような学会を築きたい。
 新たな決意で、ともどもに進んでまいりたい。
3  日蓮大聖人は仰せである。
 「昔、徳勝童子という幼い者は、土の餅を釈迦仏に供養して、阿育大王と生まれて閻浮提の王となり、最後には仏になったのである」(御書1380㌻、通解)
 妙法のため、広宣流布のために真心を尽くすことが、どれほど尊いことか。どれほど偉大な功徳があるか。
 大変な時に護られる。一家も栄える。人間革命していける。
 生々世々、そして子孫末代まで豊かな福徳に包まれゆくことは間違いない。それこそ、世界一の王者のごとき境涯になれるのである。
 広布のための行動は、結局はすべて、自分自身のためになる。
 その根本は「信心」である。「心」である。
 御聖訓には、「凡夫は志ざしと申す文字を心て仏になり候なり」と仰せだ。
 法のため、広布のため──この一点に、真摯に、わが心を結び合わせていくことが大切である。そうでなければ、何をやっても空転してしまう。
 ここに、功徳を積む「方程式」があるのである。
 釈尊の時代の“貧女の一灯”のごとく、尊き信心の志は、永遠に輝きわたる大功徳となる。このことを、深く強く確信していただきたい。
 また、大聖人は、こうも述べておられる。
 「たとえ功を積んでも、真実でない人を供養すれば、大悪とはなっても善とはならない」(同1595㌻、通解)
 悪人に供養をしても、功徳がないどころか、大悪となってしまうとの厳しき仰せである。
 この御聖訓に照らせば、大聖人に違背した日顕宗にいくら供養をしても、功徳を積むことはできない。それどころか、大悪となってしまう。仏法の因果は峻厳である。
4  憤激の手紙
 先日、昭和54年(1979年)に私が第三代会長を辞任した際、全国の同志から、数多くの怒りと悲しみの声が寄せられたことを紹介した。
 “大功労者の池田先生が、なぜ辞めなければならないのか。学会の首脳は何をやっていたのか”──こうした悲憤の声が、手紙や電話で寄せられた。その数は、直後だけでも、およそ8,200から8,300になる。
 この時に、同志の皆様が寄せてくださったお手紙は、すべて大切に保管してある。
 今、読み返してみても、涙なしでは読めないほどの憤激の手紙である。ありがたい、誠実と真心の光る手紙である。
 〈ある婦人部の友は、名誉会長への手紙に次のように綴っていた。
 ──池田先生、なぜお辞めにならなければいけないのですか。そんなことがあっていいのでしょうか。私は嫌です。私の師匠は、池田先生しかおりません。
 私の家は、元は悲惨を絵に描いたような生活でした。それが今では、願いのすべてが叶い、生まれてきた喜びを味わえる境涯になりました。
 これは、全部、全部、先生がいらっしゃればこそです。
 私たちのような庶民の幸せを、だれが祈ってくれたでしょう。先生以外には、いらっしゃいませんでした。
 先生、どうか再び指揮を執ってください。その日が来ることを、私は祈り続けてまいります──。
 また、ある男子部の友は、手紙に次のように記した。
 ──先生の会長辞任の報に接し、万感胸に迫るものがあります。僕は負けません。しかし、自分の胸中の寂しさは、どうしようもありません。
 もう先生に、お会いできないんでしょうか。これからは、先生の御書講義や、ご指導は受けられないんでしょうか。
 会長である池田先生も、会長でない池田先生も、私たちにとっては池田先生です。
 先生、僕は、先生の弟子です。師子の子です。成長します。力をつけます。この苦衷は、僕の未来へたたきつけます──。
 また、関西の同志からは次のような様子が伝えられた。
 ──池田先生の会長ご勇退を聞いた時、関西は皆、悲しみと悔しさ、落胆と怒りで、目の前が真っ暗になりました。
 ご勇退の直後の大ブロック(現在の地区)の会合では、いつもは明るい大ブロック担当員(現・地区婦人部長)が、「なんで先生が、辞めなあかんのや! 皆のために戦ってこられた先生が、なんで会長を辞めなあかんのや」と号泣しました。
 皆、堰を切ったように泣き始めました。
 普段は和気あいあいだった会合が、一変してしまいました。この悔しさは、絶対に忘れません──〉
 また、識者の方からも、多くの丁重なお手紙を頂戴した。私の世界を舞台にした平和行動、人類を結ぶ対話に対する期待が、社会に大きく高まっている時だった。
 多くの方が、私の辞任を惜しんでくださった。
 あの時、私の会長辞任の報を聞き、すぐに東京に駆けつけてくれた関西の同志もいた。
 また、ある九州の友は、「終生かけて師匠の仇を討ちます」と憤激の決意を手紙に認めて送ってくれた。
 “先生、私たちのために、どうか辞めないでください!”“私が先生をお護りします!”
 ──そう叫んでくださった尊き庶民が大勢いた。
 私は、こうした真実の同志の姿を決して忘れない。皆様の幸福と勝利を祈り、ずっとお題目を送ってきた。
 これからも、永遠に祈り続けていくつもりである。
5  報恩の道を
 反対に、大幹部の中には、大恩ある学会を裏切り、かえって仇をなす人間が出た。私が苦しむのを見て、陰で喜ぶ人間もいた。
 あまりにも卑劣な、恩知らずの姿であった。
 御書には、「畜生すら、このように恩を知り、恩に報いる。まして人間が恩を知り、恩に報いないでよいはずがあろうか」(293㌻、通解)と仰せである。
 仏法は、恩の大切さを教えている。報恩に生き抜いてこそ、真の仏法者である。
 不知恩の輩を戒めなければ、信心の世界は破壊されてしまうだろう。
6  大難を越えて
 いざという時に、人間の本質は明らかになる。
 戸田先生は語っておられた。
 「難が起これば、人間の真価がわかる。一人一人の信心の真偽が明らかになる。そして、学会を利用しょうとしていた者や、臆病者は去っていく」
 戦時中、学会が権力の弾圧を受けた時、最高幹部たちは次々と退転してしまった。
 戸田先生は、獄中から同志に宛てた手紙の中で、草創からの大幹部でありながら退転した人間を指し、次のように戒められた。
 “幹部諸氏に、あの男の二の舞になるなと注意せよ”
 戦後、戸田先生の事業が破綻した時もそうだった。
 それまで「戸田先生、戸田先生」と言っていた人間たちが、手のひらを返したように先生を罵倒し、去っていった。その中で私は、ただ一人の真実の弟子として、師匠のために、すべてに勝ち抜いてきた。
 先生の多額の負債。その一切を返済していったのは私である。
 先生が第二代会長になられた後も、遅々として進まない折伏。
 「大作、なんとかせよ!」。その先生の一言を受けて、私は、大折伏戦の突破口を開いた。「不可能」と言われた選挙の戦いも勝った。師のために、卑劣な迫害にも耐えた。
 第三代に就任してからも、襲いかかる弾圧を乗り越えてきた。
7  勇気と智慧で
 先生は、こうも述べておられた。
 「この悪辣な時代に、本格的に広宣流布をやろうというのだ。それは、容易なことではない。広宣流布は、よほどの信心と勇気と智慧がなければ、とうてい遂行できない大偉業なのだ」
 その通りだ。
 「それをできるのは、大作しかいない」。先生は、そう言ってくださった。
 私は第三代会長を辞任した。辞任せざるをえなかった。
 しかし、このままでは学会は滅茶苦茶にされてしまう。苦しむ同志の姿は、あまりにも、かわいそうだった。
 私は陰の立場で学会を護った。そして、同志のため、戸田先生のため、師匠への誓いを果たすために、もう一度、学会の指揮を執って、ここまで戦ってきたのだ。
 その間、どれほどの陰湿な嫉妬や攻撃があったか。どれほどの苦闘だったか。苦悩があったか。
 私はあらゆる犠牲を払って、広宣流布のため、学会の同志のために力を尽くしてきた。
 皆が勝って、愉快にこの人生を飾れるように──そう祈りに祈って、戦い抜いてきた。
 先生の偉大さを声に出して語り、叫びに叫び、世界に宣揚してきた。
 これが創価の歴史である。美しい戦いだった。壮絶な闘争だった。
 「先生!」「先生!」と叫んで、不二の魂で広布に戦った分だけ、諸天善神が一切を護ってくれたと、強く確信している。
 これは私自身のことでもあるが、本当のことを言わなければ、何が真実か、わからなくなってしまう。
 未来のために、ありのままの事実を語っておきたいのだ。
 今、一騎当千の弟子がいるかどうか。本物の新たな「池田大作」が出ることを、私は祈り、待っている。
8  「天も地も知っている」
 大難と戦う大聖人をお護りした弟子の一人に、四条金吾がいる。大聖人は金吾を、こう讃えておられる。
 「日蓮を助けようと志す人々が少々いるとはいっても、あるいは志が薄い。あるいは志が厚くても、行動がそれに伴わない。
 さまざまな人がおられるなかに、あなた(四条金吾)は、日蓮を本当に助けようとする一人である。
 志が人よりすぐれておられるうえ、日蓮がわずかの身命を支えることができているのも、また、あなたのおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じであろう」(御書1149㌻、通解)
 このとき、金吾は、信心ゆえに讒言され、領地替えを命じられるなど、苦しい立場にあった。
 今で言えば、不景気で仕事がなかったり、社会的信用を失ったり、リストラにあう苦しみにも通じよう。
 その中にあって、金吾は、大聖人にお仕えし抜いた。
 佐渡流罪中の大聖人のもとにも、荒波を越えて訪ねていった。
 その弟子の尊き志を大聖人は心から讃えていかれたのである。
 仏法の師弟は、厳粛である。気取りや見栄は通用しない。
 大事なのは真心である。信念である。誠実である。行動である。
9  厳しき鍛錬
 あるとき、遺言のごとく戸田先生は言われた。
 「本物は大作だけだ。大作がいて、私は本当に幸せだ」
 「大勢の人間がいるが、信用できるのは、大作、一人だ」
 先生は、私をいつも側に置いて、万般の学問を、個人教授してくださった。
 師は言った。
 「お前を夜学に行かせられなかったのは、おれの責任だ。おれが一生をかけて、全魂を込めて、学問を打ち込んであげるからな」
 この「戸田大学」での鍛錬があったからこそ、今の私がある。
 これまで私がお受けした世界の大学・学術機関からの数多くの名誉学術称号も、すべては「戸田大学」での薫陶の賜にほかならない。〈現在、名誉学術称号は「246」を数える〉
 また、「11・18」を中心に今、ブラジルをはじめ各国から顕彰や祝賀の声が寄せられている。どれほど、牧口先生、戸田先生が喜んでおられるか。感謝を込めて皆様にご報告申し上げたい。
10  牧口先生と戸田先生は、すごい師弟であった。
 軍国主義と戦って牧口先生とともに牢獄に入った戸田先生は、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と牧口先生に感謝されたのである。
 この一言に私は感動した。それと同じ心で私もまた戸田先生にお仕えしようと決めた。師に捧げた、わが人生に一つの後悔もない。
11  断じて屈するな
 師とともに命に及ぶ大難を戦った弟子・四条金吾。
 大聖人は、金吾に次のように仰せになられた。
 「なにはともあれ、あなたの未来世の幸福境涯は間違いない。
 なによりも、文永8年のあの御勘気の時、相模の国の竜の口で私の頸が切られようとした時にも、あなたは馬の口にとりついて、はだしで供をし、泣き悲しまれた。
 そして、私が頸を切られることが現実となってしまったならば、自分も腹を切ろうとの様子であったことを、いつの世にも思い忘れることができようか」(同1193㌻、通解)
 いかなる弾圧にも、断じて屈しない。
 いかなる迫害にも、断じて揺るがない。
 この大聖人直結の強き信心の実践こそ、学会の根本だ。三代の師弟の魂だ。これがなくなったら学会は衰亡である。
 本当の正義とは、師弟不二である。
 それを明快に言い切っておきたい。
12  “人まかせ”は仏法ではない
 皆、元気に勝とう!
 今年も元気で!
 来年も、もっと元気に勝とう!
 私たちは永遠に同志である。
 健康で、祈って祈って祈り抜いて、苦労も多いけれども、一番楽しい人生を、勝ち飾っていこう!
 仏法は勝負だ。勝つことだ。幸福になるのだ。
 ただ人まかせで、状況に流され、運命に甘んじて、自ら人生を切り開いていく気迫も、行動もない。それは仏法とはいえない。
 勝つことを祈るのである。これが勝負の鉄則である。
 皆、お元気で!
 いいお正月を!
 また来年、一緒にやろう。
 皆に喜びを贈る民衆愛の指導者であってほしい。
 皆の心がホッとして、楽になる。気持ちが豊かになる。こういう方向にもっていかないといけない。また会合では、最後まで見送ってあげるのだ。
13  戸田先生は叫ばれた。
 「学会員は私の大切な命だ!」「広宣流布に走りゆく同志のために、指導者は絶対に労を惜しむな!」
 これが学会の創立の心である。これを大事にすれば発展する。
 同志のために労苦をいとわない。その真面目なリーダーが最後は勝つ。その人の名は永遠に歴史に刻まれる。
 私と一緒に戦おう!
 私は、皆を公平に見ている。一生懸命やった人を讃えてあげたいのだ。
 毎朝毎晩、私は妻とともに、会員の皆さんの幸福、無事故、福運、勝利を真剣に祈っている。祈って、祈って、半世紀である。
 これが本当の創価学会の指導者である。
 ともどもに最高の人生の総仕上げをしよう。お元気で。長時間ありがとう!

1
1