Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

代表幹部協議会  

2008.11.26 スピーチ(聖教新聞2008年上)

前後
2  勇者の陣列を
 今、私の創立した創価大学の出身者が、あらゆる分野で、あらゆる次元で、目覚ましい活躍を遂げている。
 広宣流布の指導者群も、本格的に創大出身者が中心になって担っていく時代に入った。私は、うれしい。
 皆の力で、堂々たる正義の勇者の陣列を築いていただきたい。
 おめでとう!
3  さらに、句を贈りたい。
  断固立て
    広宣流布を
      勝ちまくれ
 広宣流布の指導者は、絶対に気取っていてはだめだ。
 やっているのか、やっていないのか分からない。そういう中途半端もいけない。
 広布のため、同志のため、いかなる労苦も惜しまず、率先して行動していくのだ。
 とくに男性は、見かけなど気にする必要はない。結果が第一だ。
 “イケメン”じゃなくていいんだよ。そのままの戦う顔であればいい。
 日蓮大聖人は「無作三身」と説いている。
 「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」とあるように、「無作三身」とは、本来ありのままの「仏の境涯」を意味する。
 その「無作三身」の力を、ただ「信」の一字によって得ることができると、大聖人は教えられたのである。〈御書753㌻〉
 ゆえに、御本尊にしっかりと祈り切って、あとは誠心誠意、自分らしく、ありのままの「真剣」と「誠実」で進んでいけばいいのだ。
 私は、それでやってきた。皆さんも、頼むよ!
4  何も恐れるな
 さらに一句を捧げたい。
  我も師子
    君も師子たれ
      師弟不二
 大聖人は、「師子の声には一切の獣・声を失ふ」と仰せである。
 人の胸にビンビンと響きわたる声だ。それが師子である。
 猫や鼠のような弱々しい声では、広宣流布の熾烈な闘争に勝てるはずがない。
 破邪顕正の堂々たる師子吼で、嫉妬の悪人たちのデマや中傷を、毅然と打ち破っていくのだ。
 私は師子である。何も恐れない。皆さんは、一人立つ「正義の師子」になってもらいたい。
5  希望こそ力!
 アメリカの公民権運動の母ローザ・パークスさんの言葉を贈りたい。
 「希望を捨ててはいけません。そうすれば、必ず勝つことができます」(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)
 その通りだ。希望こそ、前進の原動力である。
 パークスさんと初めてお会いしたのは、アメリカ創価大学のロサンゼルス・キャンパスであった(1993年1月)。
 その翌年、今度は、パークスさんが日本まで来てくださり、信濃町の聖教新聞本社で女子部の代表とともに歓迎させていただいた。
 パークスさんは、この時、81歳。人生で初めて太平洋を渡り、来日されたことは、大きな話題となった。
 創価大学、創価女子短期大学も訪問され、学生たちと温かな交流を結ばれるなど、私どもとの関係を本当に大切にしてくださった。
 幾多の風雪に耐え、苦難の人生を戦い抜いてこられた、素晴らしい人格の指導者であられた。
 〈アメリカで初の出会いが実現した際、パークスさんは、「池田会長ほど、私が会ってすぐに、これほどまでに親しみを覚え、『友人だ』と実感できる人には会ったことがありません」と率直な感想を語った。
 アメリカの著名人が「自分の人生に最も影響を与えた写真」を収録した写真集の中で、パークスさんが、名誉会長との記念写真を選び掲載したことは有名なエピソードである〉
6  「志」を高く!
 韓国の人権の闘士・咸錫憲ハム・ソクホン先生は語った。
 「理想とは志である。自ら打ち立てた志である。志を打ち立てたということは、時と場所と出来事にかかわらず、揺るぐことなく、そびえ立つごとく(それは)あるのだ」
 大いなる理想のため、自ら立てた志のため、だれが見ていようといまいと、真剣に、まっすぐに頑張っている人は立派だ。
 そういう人を私は大事にしたい。最大に讃えてあげたい。
 次に、スイスの思想家ヒルティの言葉を紹介したい。
 彼は教育について、「正しいことを知り、正しいことをなすだけの意志と力とをもった人間にしてやらねばなりません。これこそ、あらゆる本当の教育の究極目的」(秋山英夫訳『ヒルティ著作集第6巻』白水社)と述べている。
 きょうは、アメリカ創価大学の教職員の代表も集ってくださった。皆さんに、この言葉を贈りたい。いつも本当にありがとう!
7  昭和26年(1951年)の5月3日、戸田先生が第二代会長に就任された。
 その折、戸田先生は、勇壮に学会歌の指揮を執られた。
 「花が一夜に」の歌であった。
 その際、このようにおっしゃった。
 「学会歌の指揮は気迫である!」
 この恩師の叫びを、青年のリーダーは胸に刻んでもらいたい。
 君たち青年が先頭に立って、学会歌を高らかに響かせながら、「青年・勝利の年」へ威風も堂々と前進を開始していただきたいのである。
 皆さんが、年をとり、子どもが大きくなり、人生を振り返ったときに、秋の紅葉に彩られた庭のごとく荘厳な福徳が広がっていくのだ。春の爛漫の桜のごとく満開の幸福境涯になっていくのだ。
 これが妙法の不思議な法則である。
8  「教学に信心に仕事に熱を込めよ」
 若きリーダーの皆さんは、わが地域で、新時代を開きゆく使命がある。
 勝利のために、勇気の言葉を贈りたい。
 インドネシアの国民作家として名高いプラムディヤ氏の作品に、こうあった。
 「前進を続けよ」「さらに前進せよ。些細な、私的な感傷にわずらわされてはならぬ。おまえは河を渡りはじめたのだ。渡りはじめたからには、対岸にたどりつかなくてはならない」(押川典昭訳『プラムディヤ選集6』めこん)
 私の好きな言葉の一つである。
 渡りはじめたからには、「渡りきる」のだ。輝く栄光の岸を目指して、前へ前へ、進み続けることだ。
 創価学会インドネシアの同志も、勝利の前進を続けておられる。本当にうれしい。
 さて、イギリスの名宰相といえば、チャーチルである。極悪のナチスを打ち破ったことは、有名だ。
 彼は訴えた。
 「諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない」(チャーチル研究会訳『チャーチル名演説集』原書房)
 「油断」を排したからこそ、完全勝利したのである。
 そして、インド独立の父ガンジーは、巨大な権力悪に対して、敢然とこう言い放った。
 「無知の闇のなかに浸りきっている権力に対しては断固戦うのみ」(ハリーバーウ・ウパッデャイ著・池田運訳『バープー物語』講談社出版サービスセンター)
 民衆を見下し、民衆を愚弄する権力とは、断じて戦い抜く。これが創価の魂である。
 ともあれ、青年の時代だ。戦う中で、強くなるのだ。強くなければ正義は貫けない。
 そして、皆、偉くなって、父母に親孝行をしてあげていただきたいのである。
 戸田先生も、力ある青年が躍り出るのを待ちに待っておられた。
 先生は言われた。
 「若き君たちよ、真剣に御書を拝しゆけ! 民衆を救い、民衆に平和を与えるものは、諸君たち青年以外にはない。願わくは、教学に、信心に、自分の仕事に、熱と力を込めて、立派な青年に成長せよ!」
 青年部、頼むよ! 頑張れ! 青春桜よ咲き薫れ!
9  常楽我浄の道を
 ここで御聖訓を拝したい。
 「(日蓮は)法華経を信じることにおいては、世界第一の聖人です。その名は、十方の浄土(=全宇宙の仏国土)にも聞こえています。必ず天も地も知っているでしょう。
 (ゆえに)あなたが『日蓮の弟子である』と名乗られるならば、どのような悪鬼であろうとも、よもや、日蓮の名を知らないと言うはずがないと思ってください」(御書1480㌻、通解)
 この世界第一の大聖人に直結する、我ら創価の師弟は、何があろうとも、恐れるものはない。
 いずこにあっても胸を張って、「常楽我浄の道」を永遠に勝ち進むことができるのだ。
 また、有名な「佐渡御書」には、こう仰せである。
 「外道や悪人が、如来が説いた正法を破ることは難しい。仏弟子らが、必ず仏法を破るのである。『師子身中の虫が、師子を内から食う』といわれる通りである」(同957㌻、通解)
 この厳しき戒めを、忘れてはならない。
 さらに大聖人は「仏と提婆とは身と影とのごとし」とも仰せだ。
 仏法は、仏と魔の闘争である。三類の強敵を打ち破る、信心の戦いなのである。
10  全て勝利の因に
 大聖人門下の四条金吾は、いわれなき讒言によって主君から迫害され、最大の窮地に立たされた。
 大聖人は、厳たる対応を教えられた上で、こう仰せである。
 「もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの時の戦い(文永9年2月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻き込まれて、きっと打ち殺されていたにちがいない」(同1164㌻、通解)
 大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。しかし、そのおかげで戦乱をまぬかれ、命が助かったのだと言われている。
 さらに「大事になったならば、必ず大きな騒ぎが、大きな幸いとなっていくのである」(同)とも仰せである。
 妙法の世界には、すべて意味がある。すべて御仏意なのである。
 人生も社会も、激しい変化の連続だ。やりにくいこともあるかもしれない。思うにまかせぬこともあるだろう。
 しかし、すべては未来の勝利の因と確信し、一日また一日、「人間革命の黄金の日記」を、心晴れ晴れと綴ってまいりたい。
11  師弟不二の大願に立て
 法華経の「五百弟子受記品第8」。
 ここでは、声聞の弟子たちが「深心の本願」──本来の自分自身の誓願に立ち上がる。
 弟子たちは、師匠・釈尊との生命の対話を通して、自身の小さな殻を打ち破った。そして、民衆の救済という師弟不二の大願に立ったのである。
 釈尊から成仏の記別を授けられる、五百人の弟子。
 この五百人は、釈尊の草創の弟子の数ともいわれている。しかし、もちろん、五百人が特別な存在なのではない。
 御義口伝に、「妙法の五百であるので、十界三千の一切衆生は皆、この五百の弟子なのである」(御書796㌻、通解)と仰せである。この五百人の成仏は、すなわち一切衆生の成仏を表すものなのである。
 大事なのは、本物の決意に立った弟子である。「師弟不二」の精神に生き抜く真実の弟子である。
 本気の人間がいれば、すべての人を引っ張っていける。中核が大事だ。リーダーで決まるのである。
 この「五百弟子受記品」で、弟子の先頭に立ったのは、富楼那であった。「説法第一」「弁舌第一」と謳われた闘士である。
 広宣流布のリーダーである皆様もまた、「雄弁であれ!」「真実を語りまくれ!」、そして「師子となって正義を叫びまくれ!」と申し上げたい。
12  細かな配慮を
 先日も申し上げたが、リーダーの皆様は、広布の会場を提供してくださっている方、会館等の管理者の方々を最大に大事にしていただきたい。
 「いつも、ありがとうございます」「本当に、お世話になります」と、丁寧にあいさつし、心から感謝していくことだ。
 そう言葉をかけられるだけで、どれほどうれしいか。心強いか。
 私は、各地を訪れた際には、会館の管理者の方に、ごあいさつするようにしてきた。
 元気にしておられるだろうか。困ったことはないだろうか──いつも、そう心にかけ、励ましを贈ってきた。
 こうした点を大事にできるかどうか。それが名将と愚将の違いである。
 個人会場や、拠点のお宅の方に対しても同じである。
 ぎょうぎょうしく、何か特別なことをする必要はない。
 自然な形で、感謝を表していく。ご家族にも礼を尽くしていく。会場を、きれいに片付けていく。
 こうした心がけが大切である。
 また、なかには、小さなお子さんがいるお宅もあるだろう。家族で風邪をひいた人がいるかもしれない。遅くまで大勢の人がいては、ゆっくりすることもできない。
 「きょうも使わせてもらって大丈夫でしょうか」などと、声をかけていくことも大事だろう。
 また、会合の後の打ち合わせが長くならないよう、注意していく。幹部には、こうした配慮も必要である。
13  日々前進を!
 ともあれ、こちらが真心と感謝の思いで接すれば、提供者の方も「こちらこそ、皆さんに喜んでいただいて、うれしいです」と、晴れやかな気持ちになる。張り合いがある。
 「使って当然」と当たり前のように思うのは、大間違いだ。
 また、信心のためだからといって、無理にお願いするようなことがあってはならない。
 会場を提供するのは大変なのである。
 大勢の人が来れば、トイレも汚れる。畳も擦れる。子どもが障子を破いてしまうこともあるだろう。
 かつて、大田区の小林町にあったわが家も、会場に使っていただいたことがあった。
 また、私の妻の実家も、長く学会の拠点として使っていただいた。
 広布のためにとの思いで、喜んで会場を提供してきた。
 学会には、会場の提供者として、皆のために尽くしてくださっている方が大勢いる。
 こうした方々を大切にしないといけない。それが仏法である。
 皆さんの中で、会場を提供してくださっている方はいますか?〈会場の提供者が立ち上がった〉
 皆で、感謝の思いを込めて拍手を贈りたい。
 ともあれ、学会は、「日進月歩」「日々前進」で行くことだ。油断は大敵である。
 まずは最高幹部が、今まで以上に、一つ一つ真剣に、誠実に行動していくことだ。
 そうすれば、学会はまだまだ伸びていける。もっと大きく発展していけるのである。
14  美しき「広布の花」「創価の花」の女子部の皆さん!
 いつもいつも、友のため、社会のための、尊い奮闘、本当にありがとう!
 心からの賞讃を込めて、記念の句を贈りたい(大拍手)。
  世界一
    平和と文化の
      創価かな
 今、あの国にも、この地にも、広布第2幕の「池田華陽会」の友が、生き生きと活躍している。
 さっそうと使命に舞いゆく乙女の姿は、皆を鼓舞し、毅然と立ち上がらせ、歓喜と勝利の花を咲かせる。女子部の前進が創価の前進である。
15  常勝の花!
 さらに、女子部の代表に贈りたい。
 〈関西女子部に〉
  大関西
    常勝関西
      女子部かな
 〈中部女子部に〉
  大中部
    幸福の旗
      仰ぎ見よ
 女子部の皆さんは、一人ももれなく、幸福博士と輝いていただたい。それが、私と妻の変わらざる祈りである。
 女子学生部の皆さんの見事な活躍も全部、うかがっている。
  女子学生
    平和と幸福
      この旗に
 「この旗」とは「勇気の旗」であり、「希望の旗」であり、「師弟の旗」である。「この旗」を心に高く掲げゆくことだ。
16  正義の言論こそ広布を開く力
 末法は「五濁悪世」である。「闘諍言訟」の時代である。
 生命も濁り、思想も濁り、正邪も善悪も、わからなくなる。
 その中で、広布を開く力は、「正義の言論戦」である。
 これこそ、恩師・戸田先生が強く叫ばれた一点であった。
 御聖訓には、こう仰せである。
 「(仏法においては)事実、勝れていることを勝れているということは、慢に似ているようだが、じつは大功徳となるのである」(御書289㌻、通解)
 「いいものはいい」「正しいものは正しい」と叫ばなければ、人には伝わらない。
 社会においても、広報・宣伝が重要視されるゆえんである。
 臆病者が、いくらいても、正義と真実を打ち立てることはできない。
 勇んで打って出るのだ。声も惜しまず語るのだ。
 忍耐の攻防戦が重なって、勝利、勝利の道は光る。
 今や、広布の新時代が到来した。創価の人間主義への世界の期待は、いや増して高まっている。
  君達が
    勇気を抱きて
      戦いて
    勝ちまくりたる
      勝利嬉しや
 新しい人材群が勝って勝って勝ちまくる姿を、私は祈り、待っている。頑張れ!
17  アメリカ創価大学に期待
 アメリカ創価大学(SUA)の皆さん、本当にご苦労さま!
 未来性あふれる建設計画も、着々と進んでいる。地域の方々も、この大発展を心から喜ばれ、見守ってくださっている。
 卒業生の奮闘も目覚ましい。ハーバード大学などの大学院に進学し、博士課程に進んだ英才も多い。医学部や法科大学院にも進学している。
 さらに、国際機関でも活躍を開始した。一人一人が使命の天地で力強く前進している。
 アメリカ創価大学こそ、21世紀の希望である。多くの識者が期待し、注目している。
 〈先日、SUAで講義を行った教育学者ネル・ノディング博士(スタンフォード大学名誉教授)は、SUAの教育理念と学生を高く評価。SUAの学生と他大学の学生との違いについて、“社会的、経済的に成功し、名声を得ることよりも、世界のため、人々の幸福のためにどれだけ貢献したかが重要である”との創立者・池田名誉会長の人生観が、学生と大学に浸透している点を挙げている〉
18  創価の前進が世界の希望に
 いまだ争いの絶えない世界にあって、平和・文化・教育に光を送る創価の民衆運動が、どれほど求められ、模範とされ、賞讃されているか。各国各地からの顕彰は、枚挙にいとまがない。
 〈名誉会長が世界5大陸の大学等から受けた名誉博士・名誉教授などの名誉学術称号は「245」を数える。世界一の栄誉である〉
 これらの栄冠は、すべて、皆様方の福徳の象徴である。子孫末代までも大いなる栄誉に包まれゆくことは、絶対に間違いない。これが仏法である。
 また、そのように新しい人材が後に続かなければ、広宣流布はできない。皆さんのお子さん方が、未来部の友が、信心の魂を継ぎ、偉くなって勝利する。それが、創価の勝利なのである。
 その意味でも、私は皆様に、数々の顕彰について報告する義務と責任がある。また、それが皆様への励ましになれば、これほどうれしいことはない。
 世界が創価の前進を讃える時代になった。これは、本当に、すごいことなのである。〈名誉会長に対する「600」に及ぶ名誉市民称号も、世界一の栄冠である〉
 日蓮大聖人がお喜びであろう。日興上人も喜んでくださるにちがいない。
 戸田先生も、そして牧口先生も、心から喜び、讃えてくださると信ずる。
 最高に誉れ高き道を我らは開いているのである。
19  師に捧げた人生
 思えば、戦後間もないころ、戸田先生の事業は挫折し、先生は学会の理事長を辞任された。学会は四分五裂の危機にあった。
 その時に私は、ただ一人、すべてをなげうって先生を支えた。絶体絶命の窮地にあった先生を、徹してお護りし抜いた。
 私がいなければ、今の学会はない。戸田先生、そして牧口先生の死身弘法の闘争も、水泡に帰すところであった。それほど、第三代が大事だったのである。このことは、御本尊の前で胸を張って申し上げることができる。
 私が戸田先生の後を継ぎ、第三代会長に就任してからも、激しい迫害の連続であった。
 誹謗もあった。中傷もあった。
 そのなかで、私は世界への道を開いた。皆が悠々と、安心して、広宣流布に邁進できるように、人知れず心を砕き、わが人生を捧げてきた。語りに語り、書きに書いて、あらゆる面で広布を支えた。
 そして迎えた昭和54年(1979年)。会長就任から20年を目前にし、学会は、いわば絶頂期にあった。
 その時に私は、第三代会長の辞任を余儀なくされたのである。
 心卑しき人間は、偉大なものに嫉妬する。
 謀略の輩は、虚栄に溺れ、私利私欲から野合して、師弟の道を壊そうとした。臆病者は保身に走った。
 御聖訓には仰せである。
 「この法門についた人は数多くいるけれども、公私ともに大難がたびたび重なってきたので、1年、2年はついてきたものの、後々には、皆、あるいは退転し、あるいは反逆の矢を射た。また、あおいは身は堕ちなくても心は堕ち、あるいは心は堕ちなくても身は堕ちてしまった」(御書1180㌻、通解)
 その通りの、浅ましく、情けない、愚劣極まる姿があった。
 あの時、全国、全世界の同志から、多くの連絡をいただいた。
 ――最も功績があり、最も師匠に仕えた池田先生が、どうしてや辞めなければいけないのか。先生は、何一つ悪いことはしていないじゃないか。幹部はなぜ、先生を護らないのか――
 こうした悲しみと怒りの声が、電話で、手紙で、無数に寄せられた。その数は、直後のものだけでも、およそ8,200から8,300になる。
 この真の同志の心を、私は生涯、忘れることはない。そして、どのような立場になろうとも、私は永遠に、尊き同志を護り、学会を護り抜いていこうと、深く心に誓ったのである。
 私はあえて、真実の歴史を語り残しておきたい。これからの学会のため、広宣流布のため、誤りなく正義の道を進みゆくために、本当のことを語っておきたいのである。
 牧口先生は、「忘恩者」「不知恩者」を諸天善神が「加護し給う訳がない」と厳しく断じられた。
 その通りに、悪逆の輩は厳たる仏罰を受けている。皆様がよくご存じの通りだ。
 将来にわたって、若き諸君は、悪い人間に騙されてはならない。表では、いい格好をしながら、裏で策を弄する卑劣な人間もいる。正義の人が滅び去るのを、密かに待っている者さえいる。
 人ではない。自分が「真の弟子」の自覚に立つのだ。深き信心を奮い起こし、「仏眼」「法眼」をもって正邪を見抜くのだ。
 戸田先生は叫ばれた。「恐れれば、自減するだけだ。敢然と突き進むのだ!」
 私はこの言葉通り、師に誓った道を、今日まで、敢然と突き進んできた。
 今、広宣流布の永遠の未来を考える時、何より大事なことは、若い世代の人たちを「真の後継者」へと育て上げることである。
 若き諸君は、人を頼らず、だらしない先輩など乗り越えて、断固、突き進むのだ。下から上へ、どんどん建設的な意見を述べるべきである。
 先輩も、これまで以上に、皆を大事にし、皆と一緒に、手を携え、肩を組みながら、進んでいくことだ。
 同志愛が光るリーダーであっていただきたい。話をする時も、さわやかな笑顔、皆がほっとするような声で、希望と勇気を贈っていただきたい。
 見栄っ張りではいけない。とくに男性は「王者の風格」をもたねばならない。
 ともあれ、正義の師弟を守ることが、広宣流布を守ることになる。学会の全同志を守ことになる。私は、心に刻んで生きてきた。
 一緒に進もう! 一緒に戦おう!
 私は皆さんとともに、いよいよ総仕上げの戦いをするつもりである。
 年配の幹部も、パーッと花火があがるように、勢いよく、生き生きと生きるのだ。
 頑張ろう! 偉大なる学会を、ともどもに築いていこう!〈力強く「ハイ!」と返事が〉
20  使命の戦野で勝ちまくれ!
 最後に、皆さんと一緒に「創価学会、万歳!」「創価の前進と勝利、万歳!」と声を大にして叫びたい。
 また、海を越えて参加されたアメリカの同志に「アメリカの創価学会、万歳!」とエールを贈りたい。帰国されましたら、同志にくれぐれもよろしく伝えていただきたい。
21  きょう集われたなかには、ご両親が病気の方もおられるかもしれない。
 妙法は、生老病死の苦を根本から解決する大良薬である。「いかなる病さはりをなすべきや」である。
 大事なことは、まず自分が、父母の健康を祈り抜くことだ。心からの励ましを伝えることだ。親孝行をしてあげることである。
 どんなことがあっても、信心さえ忘れなければ、必ず、三世永遠の幸福の道を開いていける。これを深く確信していただきたい。
 私も妻も、全同志の健康と幸福と勝利を、毎日、真剣に祈っております。
 また周りに、病気の方や、病気のご家族をもつ方がおられたら、どうか温かく支え、励まし、応援して差し上げていただたい。
 それでは、皆さん、お元気で!
 全員が、わが使命の戦野で勝ちまくってください! 勝たなければ、自分が損をする。皆も悲しむ。
 何より、仏法は勝負だ。魔に負けるか、勝って仏になるかである。
 年配の幹部も、意気地のない姿であってはならない。師弟に生き抜く覚悟があれば、心はピンとするものだ。
 長時間、本当にありがとう!
 〈さらに名誉会長は「友が喜ぶならば」とピアノに向かい、恩師が大好きだった、父子の決意の曲“大楠公”などを演奏。またアメリカの友のために「さくら」を奏でた〉
 我らは創価家族である。高らかに学会歌を歌いながら、元気に前進しよう! 何があっても、楽観主義で進もう!
 リーダーは、決して威張ることなく、庶民に尽くし、皆を大事にすることを、忘れてはならない。威張るのは「愚者」の証拠であるからだ。また、お会いしよう!

1
2