Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創立78周年記念最高協議会  

2008.11.11 スピーチ(聖教新聞2008年上)

前後
2  生まれ変わった決意で名指揮を
 戸田先生は、「先の先まで、勝利の手を打っておくからな」と、よく言われていた。
 次の戦いの勝利、そして未来の勝利を見据え、どう手を打っていくか。そこに指導者の真価が現れる。
 「先んずれば人を制す」である。今、日本も、そして世界も大きな変革の時を迎えている。
 学会にとっても、万年の発展を考える上で、今ほど重要な時はない。
 特に最高幹部が、本当の宗教革命の気迫、広宣流布への気迫を失い、惰性に流されるようになったら大変だ。
 そうならないように、今こそもう一歩、ここで自分自身の「大革命」「人間革命」をして、進んでいかなければならない。
 広宣流布を何としても実現し、学会を大発展させていくのだとの気概が、本当にあるのか。学会が大きな民衆勢力となったからこそ、この一点をもう一度、幹部自身が厳しく問うていくことだ。
 今までどんなに頑張ってきても、途中で手を抜けば、すべては水泡に帰してしまう。
 口先だけの要領や遊び、ずるさがあってはいけない。責任を持って、最後の最後まで、真剣に戦い抜いていくことだ。
 自分を「覚醒」させ、生まれ変わったような思いで進むことだ。
 今こそ本気になって、立ち上がるのだ。
 例えば、朝、いつもより早く起きて題目をあげるとか、リーダーには、「あの人はすごいな!」と思わせる勢いがないといけない。
 生き生きとした姿で指揮を執らなければ、皆も元気が出ない。
 中心者の姿が、本末究竟して全体に現れてくるのだ。
 オランダの人文主義者エラスムスは述べている。
 「良き種子が蒔かれるならば、精神は良き収穫物を産み出します。あるいは、なおざりにされてしまいますと、精神は無用なもの──それはすぐに引き抜かれるべきものですが──をはびこらせるようになるのです」(中城進訳『エラスムス教育論』二瓶社)
 精神に鍛えがなくなり、安逸に流されるようになれば、そこから堕落が始まる。停滞は敗北に通じる。
 私たちは、仏法の慈悲の精神で社会を潤し、新しい友情を結んでまいりたい。
3  わが身をなげうって皆のために
 指導者は力を持ち、力を発揮していかねばならない。
 大事なのは「信力」であり「行力」だ。
 信力、行力があってこそ、偉大なる「仏力」「法力」を出していくことができる。これこそが勝利への最高の力だ。口がうまいとか、格好がいいとか、そういったことは本物の力とはいえない。
 大事なのは広宣流布へ戦う「魂」だ。不惜身命の精神だ。自分が犠牲になってでも、皆のために尽くす──これが真実の仏法の指導者だ。
 だれかが何とかしてくれる。だれかがやってくれるだろう。そうした甘えは捨てることだ。
 幹部が、もっと真剣になれば、今の十倍、百倍の力を出せる。
 「不惜身命」と「師弟不二」。この大精神を失ってはならない。
4  私は、これまで、ただ一人、あらゆる悪口罵詈、誹謗中傷に耐えて戦ってきた。無実の罪で牢獄にも入った。
 これほどの迫害を受けたら、普通なら倒れてしまうだろう。
 しかし私は、学会のため、広宣流布のため、そして師匠への誓いを果たすために、すべてに打ち勝ってきた。
 創価学会の未来の姿は、戸田先生の胸中に描かれていた。
 「師匠の心」を「わが心」とする。それでこそ師弟不二である。
 私は先生の後を継ぎ、「信念」と「広宣流布」と「師弟不二」の創価学会を築いてきた。
 ともあれ、前に進まないのは後退と同じだ。それではいけない。
 また、新しいリーダー、若い人材をどんどん見つけ、育てていきたい。そうでなければ未来の発展はない。
 私も、いよいよ本格的に青年の育成に取り組んでいく決心である。
5  創立の精神を守り抜け
 創価学会の「創立の日」は、1930年(昭和5年)の11月18日、火曜日。東京は快晴であった。
 この日、牧口先生の大著『創価教育学体系』の第1巻が、戸田先生の協力によって発刊された。
 本の奥付には、その発行所として「創価教育学会」の名が記されていた。当時の実質的な本部は、戸田先生が経営されていた私塾・時習学館であった。
 会合ではなく、この『創価教育学体系』の出版をもって、学会の創立の日としたのである。本年で、創立78周年を迎えた。
 学会の創立から14年後の1944年(昭和19年)、軍部政府と生命を賭して戦われた牧口先生は、東京拘置所で殉教された。
 それは、奇しくも「創立の日」である11月18日の午前6時過ぎであった。この日は土曜日で、東京は雨だった。
 戦時中の弾圧で、学会は壊滅状態に陥った。しかし、出獄した戸田先生、そして私の三代の師弟の大闘争によって、今、大聖人の「太陽の仏法」の大連帯は、世界192カ国・地域に広がった。
 この創立記念日を、全世界が祝賀する時代となったのである。
 ──創立者を大切にしたところは栄える。師匠をないがしろにし、創立の原点を忘れ
 たところは、必ず派閥ができ、勢力争いが盛んになって、乱れる。分裂と混乱と破壊の道へ落ちていく──。
 これは戸田先生の厳粛なる指導であった。
 アメリカの思想家エマソンは述べている。
 「如何なる設立物も設立者その人に優るものはないであろう」(平田禿木訳『エマアソン全集第2巻』国民文庫刊行会、現代表記に改めた)
 いかなる団体や組織も、創立者という原点を大切にすることが、生命線となるのである。
 創価学会の原点は、牧口先生、戸田先生の死身弘法の闘争にある。そして、戸田先生と私の一体不二の戦いによって、学会は世界的な大発展を遂げた。
 この三代の師弟の精神こそ、学会の根幹である。この一点を絶対に忘れてはならない。
6  「私が道を開きます!」
 私は、一切をなげうって師匠を守り、広宣流布に生き抜いてきた。その模範の人間であると自負している。
 戦後、戸田先生の事業が挫折し、苦境にあった時のことだ。先生は、学会の理事長を辞任せざるをえなくなった。
 当時の幹部の中には、戸田先生が苦しむのを喜ぶ人間がいた。あわよくば、学会を自分の思うままにしようとする悪人さえいた。
 理事長の辞任が発表された日。戸田先生は、私に厳然と言ってくださった。
 「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」と。
 私は、本当にうれしかった。そして、命の底からお誓い申し上げた。
 断じて戸田先生に、第二代の会長になっていただきます。そのための道を、私が戦って開きます!──と。
 先生は、ニコッと笑ってくださった。
 どんな時も、私は先生のために本気で戦い抜いてきた。
 夜中でも、呼ばれれば、すぐにタクシーで駆けつけた。戸田先生の自宅で、夜通しお護りしたこともあった。文句など、一言も言わなかった。
 戸田先生のことを不当に中傷する人間がいれば、私は弟子として断固、抗議に行った。言論の力で戦った。相手は誤りを認めて、謝罪した。
 学会というのは、すごいですね! あなたがそこまで言うのですから、戸田城聖という人は本当に立派な方なんですね! 失礼しました──私の話を聞いて、そう言ってくれる人もいた。
7  悪を責め抜け
 日蓮仏法の根幹をなすのは「破折」の精神だ。折伏である。
 大聖人は、悪僧・極楽寺良観に帰依していた主君に対し、妙法の偉大さを語った四条金吾に仰せである。
 「主君の耳にこの法門(大聖人の仏法)を説いて聞かせたことは、実に素晴らしいことである。たとえ主君が今は用いなくとも、あなたは与同罪を免れたのである」(御書1133㌻、通解)
 正義に背く悪を見て、見ぬふりをすれば、結局、悪に加担することになる。与同罪になってしまう。
 悪とは断じて戦い抜く。言論で勝利していく。これが真実の仏法の精神である。
 ロシアの文豪トルストイは綴った。
 「何が善であり、何が悪であるかを知らなければ、生きて行く事も不可能なのである」(米川正夫訳「われわれは誰のものか」、『トルストイ全集第16巻』所収、岩波書店)
 善悪の判断ができなければ、真に価値ある人生は生きられない。それを教えるのが宗教なのである。
8  「試練の時が一番大事だ」
 戸田先生の事業が破綻した時、先生のもとには多くの債権者が押しかけた。
 最悪の日々の中で、私は弟子として一人、立ち上がった。先生は、生きるか死ぬかという極限の状況にあった。今の皆さんには、想像もつかないかもしれない。
 その中で「全部、私がやります! 勝ち取ってみせます!」と言って、立ち上がったのである。
 私は働いて働いて、先生の負債を返していった。給料がもらえない時もあった。しかし、そんなことは関係なかった。
 そして先生の事業は窮地を脱した。先生は、晴れて学会の第二代会長に就任されたのである。
 牧口先生は、よく語っておられたという。
 「人生には、何回か、必ず試練の時がある。その時が一番、大事である。そういう時にも、生きて、生きて、生き抜くのだ。
 弱気を出してはいけない。そうすれば、必ず、人生の春が来る」
 私は、折伏の戦いでも壁を破った。戸田先生の願業である75万世帯達成への突破口を開いた。
 先生は、「大作がいてくれれば安心だ」と何度も言ってくださった。私は、先生には何一つ心配をかけなかった。「立派な弟子をもって、私は本当に幸せだ」と、しみじみ語る先生であった。
 先生は、私が結婚する時には、私と妻の実家を、それぞれ一人で訪れて、両親に丁寧に話をしてくださった。
 またある時、先生は私の妻の両親や最高幹部に、「大作には苦労をかけた。大作は30歳まで生きられないかもしれない」といって、慟哭された。
 またある時は、一緒に乗ったタクシーの中で、「大作、二人で厚田村に行こうな」と言われた。先生の信頼を裏切った幹部を、厳しく叱責された後のことであった。
 私は「わかりました!」とお答えした。そして先生は、故郷の厚田に、愛弟子の私を連れていってくださったのである。
 本当にありがたい師匠だった。これが創価学会の真実の師弟の姿である。
9  緻密な計画を 勇敢な行動を
 古代ギリシャの大歴史家ヘロドトスは記した。
 「計略はかりごとを立てるには小心翼々、あらゆる不測の事態を考慮し、実行に当っては大胆不敵であるような者こそ、理想的な人物であると申せましょう」(松平千秋訳『歴史』岩波文庫)
 緻密な計画と勇敢な行動──これが勝利の方程式である。
 山岡荘八氏は小説『徳川家康』の中で綴っている。
 「人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない」(講談社文庫)
 もちろん、疲れた時に休養を取ることは大切だ。しかし、心まで退いてしまってはいけない。
 私は青年時代、少年雑誌の編集長を務めていた。その関係で、この山岡荘八氏をはじめ、西條八十氏や野村胡堂氏など文人と交流を結んだ。懐かしい思い出である。
10  戸田先生は、私を青年部の室長に任命した際に言われた。
 「まず君が、次の時代を創りゆく全青年部をがっちりとまとめ、指導していくように」
 私は、その通りに戦った。
 新しい人材の育成に全力を注いだ。
 また、青年部の闘争や学会の運動について、さまざまなアイデアや構想を練って、先生にお話しした。
 先生は「お前がやりたいのなら、やりなさい」と言われた。
 私に全幅の信頼を置いてくださった。
11  最後には必ず幸福になる
 私は戸田先生の指導を大事に記録し、残してきた。
 まだ、カセットテープさえない時代である。学会本部にも、十分な機材はなかった。
 私は自分で録音用の機材を手配して、後世のために、先生の教えを記録した。そういう弟子だった。妻も戸田先生の指導を筆記して残した。
 一つ一つの戦いが、どれほど大変なことだったか。何もないところから、すべてをつくりあげていったのである。
 こうした苦労も知らないで、できあがった組織の上に乗っかって、威張る。自分は特別だとカン違いして、ふんぞり返る。そんなことは絶対にあってはならない。
 ともあれ、戸田先生は言われていた。
 「日蓮大聖人を信ずるというならば、大聖人の仰せ通りに戦わなくてはならない。それでこそ、大聖人もお喜びになるのである」
 「大聖人の仰せ通りに」──この一点が重要だ。広宣流布に戦えば、三障四魔が競い起こる。迫害は必然なのである。
 先生は言われた。
 「日蓮大聖人は、鎌倉幕府の圧迫を恐れずに、堂々と法華経を広められたのである。
 我らも勇気を奮い起こし、一丸となって、広宣流布の大道へ進もうではないか!」
 大事なのは勇気だ。団結だ。
 先生は、こうも指導しておられた。
 「私たちは御本尊を戴いている。経文にも、信心強盛の人のいるところ、『我此土安穏』と説かれている。
 何で恐ろしいことがあろうか。
 さまざまな世情に一喜一憂して、紛動されては断じてならない。
 そんな惰弱なことでは、広宣流布の大業を遂行することは、決してできないからだ」
 何があっても、御本尊根本、信心根本に進むことだ。
 最後には必ず勝つ。絶対に幸福になる。それがこの信心なのである。
12  社会の闇が深いほど、「変毒為薬」の大仏法は、光り輝く。「毒を変じて薬と為す」のである。
 戸田先生は常々、「心して、強盛な信心に立たねば、いたずらに時代の波に足をすくわれてしまうぞ」と言われていた。
 「大いにやろうではないか! 何が起きようと、びくともしてはならん」ともおっしゃった。
 「師子王の心」で、決然と突き進むのだ。
 経済苦の同志には、「焦ってはならない。腰を据えて闘うのだ。私はじっと君を見守っているよ」と温かく励まされた。
 日蓮大聖人は、「竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす」と仰せである。
 一人の勝利が皆の道を開く。ゆえに、どこまでも一人を大切にすることだ。
13  厳しき因果の法
 法華経の行者には、必ず「三類の強敵」が競い起こる。邪悪な勢力が襲いかかる。
 「開目抄」では、「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」
 「能く呵責する者は是れ我が弟子」との釈を引いて、折伏精神を教えておられる。
 増上慢と戦ってこそ、真の仏弟子なのだ。
 正しく公平な仏法の世界である。因果の理法は厳しい。
 ゆえに悪に対しては厳格であることだ。自分の勢力をいかに増やすか、自分の人気をいかに保つか、そんなことしか考えない人間がリーダーになった組織はつぶれてしまう。
14  人材の勝利城を
 戸田先生は『三国志』を通して、英雄の条件は「人材を愛する」ことであり、小粒の、ろくでもない人物には、人材を見出すことはできないと語られた。
 そして「創価学会も、要は、人材の城でなくてはならない」と訴えられた。
 師弟不二であってこそ、堅固なる勝利城、人材の大城ができる。
 一致団結して、大いなる師弟の城を築き、護ってまいりたい。
15  “前進するか 後退するか”
 戸田先生が亡くなられた1カ月後、私は「七つの鐘」の構想を発表した(昭和33年)。学会創立以来の広宣流布の展望を、7年ごとの節目で表し、学会員の皆さんに勇気と希望を贈りたかったのである。
 そして、はからずも「第7の鐘」の期間を終える昭和54年(1979年)、私は第三代会長を辞任せざるをえなくなった。
 皆さんもご存じの通り、忘恩の輩が蠢いた結果であった。
 学会を敵視していた者たちは喜んだ。
 私は、牧口先生、戸田先生という師匠が言われた通りに、そして師匠の勝利のために、闘ってきた。
 この師弟の魂をおとしめたり、バカにしたりする存在に、断じて負けてはならない。
16  イギリスの作家ジョージ・オーウェルは綴っている。
 「何事も静止することはないのだ。代々受け継いできたものをふやすか失うか、より大きくなるか小さくなるか、前進するか後退するか、しかない」(小野協一訳「ライオンと一角獣」、『オーウェル著作集Ⅱ』所収、平凡社)
 これまで私は、学会を、だれよりも力強く前進させてきた。恩師の正義を宣揚してきた。
 また、現在、世界各地から「245」の名誉学術称号を頂戴している。すべて学会員の皆様に対する信頼の証しである。
 さらに、一面からいえば、諸天善神の不思議なる力用だともいえよう。
 すべての同志の皆様に、心から感謝申し上げたい。
17  幸福を創る力
 南アフリカのマンデラ元大統領は、教育について次のように述べている。
 「教育は、個人の能力開発のための偉大なエンジンだ。
 教育を受けることによって、農民の娘が医者になり、鉱山労働者の息子が鉱山経営者になり、農場労働者の子どもが一国の大統領になることができる。
 何を与えられるかではなく、自分の持っているものから何を作り出せるかで、それぞれの人生の進路がちがってくるのだ」(東江一紀訳『自由への長い道 上』日本放送出版協会)
 民衆のために苦労し抜いたマンデラ氏の言葉だけに、ひときわ重く、心に迫る。
 もちろん、大聖人の御書には、“いい学校を出ないと幸福になれない”などとは一言も書かれていない。
 仏法の観点から見れば、人間の幸福にとって、学歴の有無は枝葉に過ぎない。
 私たちの立場からいえば、強盛な信心こそが幸福の根本であり、根幹である。
 また、優れた学校教育を受けた人は、その力をもって、全力で民衆に尽くせばいいのである。
18  「われらこそ地涌の菩薩」
 庶民のために顕された御本尊である。
 戸田先生は堂々と語られた。
 「われわれは、無作の三身の仏なりと確信し、また確信すればこそ、大衆にむかって、無畏の心(畏れのない心)をもって説いております」
 「われら学会員こそは、『地涌の菩薩』であります」
 先生の確信は、御書根本の精神に支えられていた。先生は厳しく言い残されている。
 「御書は、末法の御本仏の経典である。一語一行、一語一語をば絶対なりと南無しながらの拝読でなければならない。
 いささかたりとも、我見でわかったように錯覚してはならない」
 ご自身が、この言葉の通りに御書を拝された。そして、一人一人の会員に対して、尊い仏のごとく接していかれた。
 学会こそ、真に民衆を賢くし、強くする、民衆教育の団体なのである。
19  誠実に尽くすリーダーたれ
 私は「戸田大学」の卒業生である。師の苦境の時に「そばにいてくれ」と頼まれ、夜学を断念して、仕え抜いた。
 これこそ私の誇りである。戸田先生が私をつくってくださったといってよい。
 文豪ゲーテは記した。
 「いかにすればおのれ自身を識ることができるか。観察によるだけではけっしてできないが、行動を通じてならば可能となる。
 きみの義務を果たすことを試みるがよい。きみがいかなる人間であるかがすぐにわかるはずだ」(岩崎英二郎・関楠生訳「箴言と省察」、『ゲーテ全集』第13巻所収、潮出版社)
 行動によってこそ、人間の真価は明らかになる。自分の真実の姿を知ることができる。
 仏法においては、広宣流布を進めた人が、一番偉い。
 万が一、学会の幹部が、学歴や経済状況など、仏法以外の権威によって人物を判断し、決めつけるようになれば、学会員があまりにもかわいそうだ。
 最も功労のある人に対して、深く感謝し、讃えていくのが“人間の世界”である。この心を軽んじ、忘れたならば、嫉妬が渦巻く、薄情な“提婆の世界”となってしまう。
 そういう兆しに対して、私と妻は人知れず闘ってきた。
 そして皆さんもまた、真面目に、誠実に、この尊き学会を守りきってほしいのである。
20  今いる場所で輝く存在に!
 牧口先生に対する戸田先生の態度は、それは厳粛であった。
 私もまた、戸田先生に対して厳粛に接した。命をかけて護り、増上慢の人間と戦った。
 「師弟」があるから学会は伸びた。ここまできたのである。仏法を根本にした「師弟」を外せば、あとは何も残らないであろう。
 最後に、戸田先生の青年に対する言葉を贈りたい。
 「学会には、御本尊を受持して、絶望の淵から見事に立ち上がり、生き甲斐をもって蘇生した多くの同志がいる。創価学会は、考えれば考えるほど不思議な団体なのだ。使命をもった団体なのだ。
 ゆえに、学会と縁を結んだ青年部の諸君もまた、不思議なる青年だといわねばならないのです」
 「君たちこそ、将来の学会の中枢ではないか。金剛不壊の車軸となれ! 若き革命児として立ち上がれ!」
 今いる地域で、職場で、堂々たる柱となり、光り輝く存在となっていただきたい。またお会いしよう!

1
2