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第38回創大祭・第24回白鳥祭 フィリピン共和国市立マニラ大学「名誉人文学博士号」授与式

2008.10.11 スピーチ(聖教新聞2008年上)

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1  最初に学生の皆さんに聞きたい。
 親孝行している人?〈「ハイ」と勢いよく学生が返事を〉
 うれしいね! 本当だね。
 学生の皆さんが親孝行であることが、私は一番、うれしい。
 第一に親孝行であっていただきたい。そして将来は、皆、偉くなってもらいたい。ご両親を喜ばせてあげてほしいのです。
 また、体の弱い人は、丈夫になってください。私も応援しています。
 “家族の集い”だから、きょうは、いろんな話をしたい。
 たとえ、成績が悪くても、「ちょっと油断してしまいました。すみません。この次は頑張ります」。そういうふうに言えば、ご両親は納得してくれるものです。
 そして、頑張って勉強して「少しだけど、成績が上がりました」「授業中に先生からほめられました」と言ってあげられれば、どれほど、ご両親がうれしいか。
2  生きた学問を
 親孝行といっても、こういう小さなことが大事です。心こそ大切なのです。
 反対に、自分本位で、わがままになり、お世話になっている人に、感謝の一つも伝えられないのでは、大人とは言えない。それどころか、「人間の道」を外れている。
 また、たまには「お父さん、お仕事、お疲れさまです」「お母さん、私が家事を手伝います」と、ニコッとして、ねぎらいの言葉をかけてあげてほしい。
 お父さん、お母さんがホッとして、「創価大学、女子短大に行かせてよかったな」と心から思っていただける、皆さん一人一人であってください。
 それが学問です。生きた学問です。
 死んだ学問もたくさんある。学問を修めて、偉くなっても、威張って、人のために何もしない。知識が増えた分だけ、人間の心を忘れ、畜生になる。それではいけない。
 人のため、平和のため、皆の幸せのため──その心と力を磨くための学問です。
 そのような人生であり、青春でなければ、自分自身が損です。
 まずはお父さん、お母さんのため。そこから始めていくのです。今晩から、親孝行を頼むよ!〈「ハイ」と力強い返事が〉
 創価大学のパイオニア吹奏楽団の皆さん、いつも頑張ってくれて、ありがとう!
 先日も東京都の吹奏楽コンクールで、見事、「金賞」おめでとう! きょうの祭典も、素晴らしい演奏をありがとう。
3  人一倍の努力を 勝ち戦の青春を
 若きフィリピンの大英雄リサール博士は、晴れ晴れと、こう叫んだ。
 「一点の曇りもない正義の心ほど、人を動かすものはない」
 諸君も正義に生き抜くのです。
 親孝行するのも正義。学問に打ち込むのも正義。社会に出て立派に働くことも正義である。
 「正義によって立て! 汝の力二倍せん」──この有名な格言が、私は若き日から大好きであった。
 ある時、戸田先生から、「君は何か好きな格言はあるか?」と問われ、先生にお伝えしたのが、この言葉であったことも懐かしい。
 諸君も、何か「座右の言葉」を持ち、社会の一流の人材と光ってもらいたい。
 戸田先生にお仕えする前、私は、いくつかの会社に勤めたが、どこへ行っても、気取らずに、誠実に働いた。そして、大きく発展させていった。
 戸田先生のもとで働くために、退社を余儀なくされたときも、やめるのに困るほど、上司や同僚たちから深く信頼してもらった。
 「わが人生に悔いなし!」──そう言い切れるほど、人一倍、努力した。勝ち戦の青春であったと自負している。
4  戦争中、わが家は4人の兄を皆、兵隊にとられた。父はリウマチ、私は肺病で苦しんだ。
 17歳の時、終戦を仰えた。
 「だれが、こんな戦争を始めたんだ!」と私は怒り心頭だった。
 そして19歳の時、牧口初代会長、戸田第二代会長が戦争に反対して、牢獄に入られたことを知った。この方であれば信頼できる、この方に生涯、ついていこうと、戸田先生に師事したのである。
5  戦時中は、真実を知ることなどできなかった。自由に話すことすらできなかった。その日本の愚劣さ、非道さに、私は、とことん嫌気がさした。
 しかし、私は世界を見ていた。いつかは世界に打って出ていこう。そのときまで我慢しよう。そう心に誓って、人生を生きてきたのである。
 ともあれ、きょうは、リサール博士の正義の魂を、厳然と継承される崇高な指導者の先生方をお迎えして、「正義の心」光る創大祭、白鳥祭となりました。おめでとう!
 また留学生の皆さん、ご苦労さま!
6  無血の民衆革命
 それは今から22年前、1986年のことです。
 皆さんの中にも、この年に生まれた人がいるかと思います。
 この年の2月、フィリピンの首都マニラにおいて、世界史に輝きわたる「民衆革命」の火が燃え上がりました。
 勇敢に立ち上がった民衆が、非暴力の連帯によって、傲れる独裁権力を、無血のままで打ち倒した尊い歴史です。
 なぜ、この民衆革命が勝利を収めたのか。
 そこには、一つの決定的な局面があったことを忘れてはなりません。
 それは、革命を支持する市民が、マニラ市の大通りに続々と集結した時のことです。
 時の独裁者から、その民衆を、力づくでも排除せよと、命令が出されました。
 もしも、命令通りに武力が行使されていたら、流れは大きく変わってしまったでしょう。
 しかし、この時、ある地域の信念の警察長官が、罪なき市民に銃口を向けることなど絶対にできないと、断固として民衆の側に立った。
 この命を賭した、勇気ある英邁な決断によって、民衆革命の勝利の道が劇的に開かれた。
 そして、フィリピンの民衆革命が、その後の東欧革命など、世界の民主化の潮流へと力強く連動していったことは、世界に知られています。
 この不滅の歴史の大功労者こそ、ここにおられるリム市長その人なのであります。
 その意味で、貴・市立マニラ大学から拝受した、本日の学位記ほど、誇り高く、使命と責任深き栄誉はありません。
7  トインビー搏士のマニラ訪問
 じつは、本日の式典を、わが師匠である戸田先生とともに、もう一人、ご報告したい方がいます。
 それは──貴国を、そしてマニラ市を敬愛してやまなかった、大歴史学者のトインビー博士であります。
 トインビー博士は、1956年、マニラ市を訪問し、日本軍の蛮行の傷跡を目の当たりにしました。
 博士は驚き、「第2次世界大戦によって、マニラより重大な損害を受けた都市はないだろう」(黒沢英二訳『東から西へ』毎日新聞社)と激怒された。
 とともに、博士は、復興に立ち上がる貴国の民衆の不屈の笑顔に感動し、その教育への情熱に、希望の未来を確信されました。
 だからこそ、トインビー博士は、私たち創価の師弟が日本の国家主義と真っ向から戦い、アジアに、世界に、誠実に平和と友情を広げていることを、最大に信頼してくださっていました。
 私と博士との対談も、博士から対談を希望する旨の書簡をいただき、始まったものです。博士のロンドンの自宅におじゃまし、2年ごしで約40時間、毎日のようにお会いしました。〈1972年5月、73年5月〉
 本当に大きな思い出です。それは厳粛な対話でした。
 対談の最後に、トインビー博士は“あなたは必ず、私以上に世界中から名誉博士号を贈られるようになるでしょう”と、おっしゃってくださった。
 この博士の慈父の如き励ましは、今も私の胸に、温かく響いています。
 私は、心からの感謝と報恩を込めて、貴大学から拝受した栄誉を、トインビー博士に謹んで捧げさせていただきたいのです。
 博士との対談集は、27言語で発刊され、ありがたくも「人類の教科書」等と評価していただき、感謝にたえません。
8  試練を迎え撃て
 貴国の桂冠詩人ニック・ホアキン先生は、マニラの歴史は「チャレンジ・アンド・レスポンス(挑戦と応戦)」の3語で言い表せる、と述べられています(宮本靖介監訳『物語 マニラの歴史』明石書店を参照)。
 すなわちマニラは、戦乱や災害などにも敢然と応戦し、そして堂々と勝ってきた、というのであります。
 人生も、社会も、文明も、常に襲いかかる試練を果敢に迎え撃って、戦い続けでいくところに偉大な前進があり、発展があり、創造があります。
 静かに、うまく逃げて暮らそう──それではいけない。大激戦の中で生きてこそ、本当の青春です。人生です。
 本日は、日本の各界を代表するトップリーダーの方々が、皆さんを見守ってくださっております。激動の時代にあって、雄々しくリーダーシップを発揮しておられる。私たちは心からの敬意を表したい。
 本物のリーダーは、何も知らないような顔をしながら、細かな所作や、お辞儀の仕方一つから、その人を見抜いてしまう。
 私も苦労してきた人間です。ゆえに、四方八方でのさまざまな動きが見える。些細な動きからでも、人生の一面の深さがわかるものだ。
9  「戦いの場は、魂を強くする」
 貴国の勇者リサール博士は、「苦しみの学校は魂を鍛え、戦いの場はそれを強くする」と断言しました。
 弱ければ、負けてしまう。それは不幸だ。皆さんは、強くなければいけない。
 ご存じの通り、私も戸田先生の弟子として、ありとあらゆる圧迫を受けてきました。
 わが創価の連帯は、これまで、いわれなき非難を浴びてきた。
 戸田先生の時代、どれだけ多くの幹部たちが先生のもとから逃げ出そうと、私は先生から離れなかった。「戸田先生こそ、わが師匠だ」と決めたからである。迫害と嫉妬のなかで、私は一人、師匠を護った。
 そして、中国との友好も、ロシアとの友好も、世界の文化交流も、私は誹謗中傷の嵐の中で、道なき道を開いてきました。
 日中友好では、周恩来首相との語らい、寥承志りょう・しょうしさん(中日友好協会初代会長)との交流等々、いずれも忘れ得ぬ思い出です。
 わが創大・短大の卒業生たちは、「逆境にまことに強い青年だ」「あの人なら、会社がどうなっても、堂々と守ってくれるだろう」と言われるような社会人になってほしい。〈参加者が「ハイ!」と力強い返事を〉
10  先駆者たれ!
 時代は、ますます“乱戦”の様相を呈しています。
 トインビー博士は、“忍耐強くあれ””苦悩から学べ”と訴えました。
 また「私たちが危機の時代に生きているものと仮定して、私たちがその危機が悪い方向ではなく、よい方向に転ずるようにできるだけのことをすれば、私たちは黄金の時代の先駆者となる可能性が多い」とも綴っておられる(松本重治編訳『歴史の教訓』岩波書店)。
 いかなる国家も、団体も、そういう人物を求めている。
 私は君たちに「何ものにも揺るがぬ実力を錬磨せよ!」と申し上げたいのであります。
11  最良の親友であるキアンバオ先生と私は、リサール博士の偉大さをさまざまに論じ合ってきました。その一つに、博士が親孝行であったことが挙げられました。
 リサール博士は語っておられた。
 「子どもが両親に表せる最高の敬意とは、誠実な人となり、社会から尊敬される人になることである」と。
 親をバカにして、下に見る。そんな人は社会に出ても、どこへ行っても成功しない。親孝行の心を持たずに偉くなってしまった人間は、高い立場を得ることによって、かえって自分を苦しめ、周りの多くの人間をも苦しめてしまうものだ。
 私は、悔いのない親孝行をしました。自分のことを言うのは、本当はおこがましいのだが、皆さんには、時間のあるとき、詳細に語っておきたい気持ちもあります。
 先ほども申し上げたが、太平洋戦争では4人の兄が徴兵された。家族は家を捨てて疎開せねばならなくなり、母は泣いていました。
 国家の権力悪を、私は今も許すことができない。
12  きょうは、中国の交換教員の先生方も出席してくださっています。
 中国の古典にも、親孝行こそ美しき人間の道であり、あらゆる行動の根本であると説かれています(「孝は道の美、百行の本なり」、班固「白虎通義」。尚学図書編『中国名言名句の辞典』所収、小学館)。
 貴大学の紋章には、マニラ市を象徴する植物と、再生を意味する「緑」、学生たちの未来を照らす「松明(たいまつ)」、学識を表す「書物」、そして、卓越した教育を意味する「月桂樹」の葉が刻印されております。
 栄光の貴大学が一段と人材の大樹を伸ばし、そして21世紀を赫々と照らしゆかれることを、私たちは心からお祈り申し上げようではありませんか!
13  知性と勇気を
 ここで、私が深く心に刻んできたリサール博士の師子吼を、わが愛する青年たちに贈りたい。
 「知性と勇気ある者のみが、価値ある人生を生き抜けるのである」
 「人間の中で生きるということは、戦うということである」
 「精神を研ぎ澄まし、充実させ、磨き、そして心を鍛え、強くするのだ」
 精神を研ぎ澄まし、鍛えていく──そうしたことが、今は、なかなかありません。だからこそ皆さんは、一番大事な精神を鍛えていってもらいたい。
 そうでなければ、最後は不幸になってしまいます。
 「立ち上がれ、短大生!」「走りゆけ、創大生!」──私は、そう申し上げたい。
 戸田先生は、何かあるとすぐに「大作に聞け」と言われました。大事な来客があった時は、「大作が話しておいてくれ」と。それほど私を信頼しておられた。
 親に心配をかけない。大学の先生にも心配をかけない。
 自分が立ち上がり、自分が走って、すべてをやり遂げる──そうした心意気の一人一人であっていただきたいのです。
 また、私は、「正義の太陽と光れ!」「民衆のために勝ちまくれ!」と皆さんに申し上げておきたい。
14  戸田先生は「親孝行をできぬ者が、なんで幸福に、なんで偉い人になれるのか」と言われました。忘れられない言葉です。
 また、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは言いました。わが子に対して、母の恩を語った言葉です。
 「お前を何物よりも愛している母親を大切にする必要がないと思うのか」「恩知らずは不正な人間の中に入ると思わないかね」(クセノフォーン著、佐々木理訳『ソークラテースの思い出』岩波文庫)
 お母さん、お父さんが皆さんをどれほど大切に思っているか。そのことを決して忘れてはなりません。
 ロシアの文豪チェーホフは小説の中で綴っています。
 「学問は光、無学は闇さ!」「よく勉強するんだよ」「母さんを忘れないでな」(原卓也訳「曠野」、『チェーホフ全集7』所収、中央公論社)
 勉強しない人間は、結局、バカにされてしまいます。皆さんは、そうであってはならない。徹して学び抜いていただきたい。
 吉川英治氏の小説『私本太平記』。
 その中で、死を覚悟して戦場へ向かおうとする武将・楠木正成に対し、後事を託された息子の楠木正行が次のように誓う場面があります。
 「勉強いたします。自分を作ることに励みます。母ぎみにも御心配をかけないように」(吉川英治歴史時代文庫、講談社)
 簡単なことのようですが、深い言葉です。堂々たる自分を築いていくことです。
 また、中国の古典『孝経』には次のようにある。
 「親を大切にする人間は、上司となっても部下を見下さないし、部下としてはよく上司に仕え、同僚に対して争いをしかけることもない」(守屋洋・守屋淳著『中国古典の名言録』東洋経済新報社)
 鋭い英知の言葉です。
15  自らを高めよ!
 最後に、フランスの大科学者パスツールの言葉を紹介したい。
 パスツールは伝染病の原因などを追究し、多くの人々の命を救いました。「人類の恩人」と讃えられる人物です。
 彼は述べている。
 「我が父よ、母よ!」「私の今日あるは御両親の御陰であります。勇気あるお母さん。あなたの情熱を、あなたは私に移し伝えられました」
 「私の敬愛するお父さん」「あなたは長い努力に於て忍耐が何をもたらすかを私に教えて下さいました」
 「常に上を見、更により一層学び、常に自らを高めようとする、あなたの教えて下さった事はこれでありました」(ヴァレリー・ラド著、桶谷繁雄訳『ルイ・パストゥール』冨山房、現代表記に改めた)
 皆さんを創大・短大に送り出してくださったご両親への感謝の思いを忘れず、徹して学び、悔いなき青春を飾っていただきたい。
 以上でスピーチを終わります。長時間、本当にありがとう! どうか、お元気で!

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