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日蓮大聖人・池田大作

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秋季彼岸勤行法要  

2008.9.23 スピーチ(聖教新聞2008年上)

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1  きょうは、ありがとう!
 自分のため、地域のため、そして広宣流布の勝利のための尊い行動、毎日、本当にご苦労さまです!
 「彼岸」にあたり、ここ師弟会館に御安置されている創価学会の常住御本尊に、彼岸法要の勤行・唱題を行わせていただいた。
 全人類の宿命転換のために、勇み戦っておられる、全国、そして世界192カ国・地域の尊き同志に届けと、私は一心不乱に題目を送り続けている。
 また亡くなられた功労者の方々、さらに皆様方のご家族、そして広宣流布に連なる、すべてのご友人の先祖代々の追善回向を、本日も懇ろにさせていただいた。
 日蓮大聖人は、御義口伝で明快に仰せになられている。
 「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる」(御書712㌻、通解)
 この末法濁悪の現代世界にあって、大聖人の仰せ通りに、難を乗り越え、不惜身命で広宣流布に励んでいるのは、ただ創価学会の私たちだけである。
 この私たちの唱える題目には、計り知れない大功力がある。それは、生きてる人々はもちろん、亡くなった方々の生命にも厳然と通ずる。
 その題目の光は、たとえ言語に絶する地獄の苦しみの生命であっても、赫々と照らして、必ず必ず即身成仏させることができると御断言なのである。
 私たちの題目の響きには、それほどの力が込められているのだ。
 御本仏の仰せは、絶対であられる。
 この一点を大確信していくならば、いかに悲しい生死の別れがあろうとも、嘆きに沈むことはない。
 生命は永遠である。三世にわたって、心を通わせていける。苦しみから救っていける。悲観や感傷をも超克しながら、「常楽我浄」の生命の旅を、ともに励まし、ともどもに歩んでまいりたい。
2  真の追善は創価の和合僧の中に
 戸田先生は、よく語られた。
 「広宣流布のために、日夜活躍している子どもの信心の功徳によって、必ず親も成仏していけるのである」
 “坊主に拝んでもらわなければ成仏できない”などとは、御書のどこにも記されていない。
 大聖人は、親孝行の真心を尽くした女性の弟子に対して、“亡くなった、優しかったお父さまは、娘のあなたの題目の声を聞かれて仏になられるのです”と励ましておられる(同1424㌻)。
 さらに、信心に励む女性門下に、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(同1231㌻、通解)と教えられている。
 大聖人の仏法においては、自分自身が仏道修行に励んで成仏することが根本であり、その功徳を故人に回らし向けることが、真の追善回向になる。
 それは、大聖人の御心に寸分も違わぬ、創価学会の広宣流布の和合僧の中でこそ、実現できるのだ。
3  墓地革命の模範
 全国の13カ所の墓地公園、また各地の納骨堂でも、彼岸の法要が行われている。
 無事故の運営に当たってくださっているご関係の皆様方に、この席をお借りして、心から感謝申し上げたい。
 なかでも、秀麗な富士を仰ぐ富士桜自然墓地公園(静岡・富士宮市)は23日、記念すべき『950万人目』の来園者を迎えた。
 1980年(昭和55年)の秋11月に開園して以来、刻まれてきた尊い歴史である。
 また、大分の九州池田記念墓地公園は、開園3年余で、ちょうど70万人が訪れた。
 各地で墓参に見えた、信心していない親族の方々からも、清々しい墓園を愛でる声が寄せられている。
 墓石の平等性や、豊かな自然環境の保護も評価されている。さらうに、地域に開かれ、郷土の繁栄に貢献していこうとする在り方に賞讃が寄せられ、識者や専門家からも“墓地革命”の模範として注目されている。
 創価の「生死不二の都」は、常に明るい希望のにぎわいである。永遠の安穏と大福徳に包まれている。
 一方、限りない大聖人の大慈悲を無残にも、踏みにじったのが、日顕宗である。
 戸田先生は、厳しく喝破されていた。
 「坊主は、人々を救うためにある存在だ。
 それを、御供養といって、信者を金儲けの道具にし、何の贅沢に使ったのか。何の遊戯雑談に使ったのか。
 仏法の本義から根本的に誤った、腐った精神である。あまりにも情けない」
 これこそ、腐敗し、堕落しきった、邪宗門である。正義の学会に敵対した日顕宗の凋落は著しい。
 彼岸の墓園の姿一つ見ても、仏法の正邪は厳然と明らかである。
 「学会は勝った! 晴れ晴れと勝った!」と宣言しておきたい。
4  毎日が「彼岸」
 もともと世間で言う「お彼岸」、すなわち「春分の日」「秋分の日」を中心に行われる「彼岸会」の先祖供養や墓参は、仏法本来の儀式ではない。
 法華経にも、そして御書にも、「彼岸の法要」については、まったく説かれていない。
 インド、中国にも、見られない。一説には、古来の日本の農耕儀礼が、仏教と結びついたものといわれる。江戸時代に定着して、いわゆる葬式仏教によって巧妙に利用されてきた側面が否めない。
 その点、戸田先生の見方は厳しかった。
 「われわれはみな幸福をもとめて生活している。ゆえにわれわれが真に幸福になり、平和で幸福な社会を建設するために根本的な原理となり規準となるものが宗教でなくてはならない。
 すなわち葬式とか法事などの形式が宗教なのではない」
 そもそも、日蓮仏法では、毎日の勤行・唱題が、先祖への追善回向となっている。
 毎日が彼岸である。いわば「常彼岸」なのである。
 そのうえで、学会は「随方毘尼」の法理の上から、春と秋の「彼岸」を一つの節目に、より信心を深め、仏縁を広げる機会として、追善の法要を行っているのである。〈「随方毘尼」とは、仏法の本義に違わない限り、各地域の習慣や時代の風習を尊重すべきであるとする考え〉
 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、「彼岸」は、太陽を巡る地球の運行リズムの区切りでもある。
 さわやかな気候の中で、浩然の気を養いながら、縁ある方々への報恩感謝の祈りを忘れず、心新たに未来へ進みゆく出発点としていきたい。
 私は、彼岸に際しても、亡くなられた方々の追善とともに、今この時、真剣に戦っておられる同志の健康と幸福、そして、その地域・国土の繁栄を祈りに祈っている。
5  「全同志を幸福の彼岸へ運ぶのだ」
 「彼岸」とは、「向こう側の岸」のことを指す。「此岸(=こちら側の岸)」と対照をなす言葉である。
 哲学や文学においても、「此岸」を人間的な世界ととらえ、「彼岸」に「真理を悟った境地」「日常からの超越」といった意義を込めることがある。
 仏法では、生死や煩悩の渦巻く迷いの世界を「此岸」とし、成仏を勝ち取った悟りの境涯を「彼岸」ととらえる。
 また「彼岸」は、「到彼岸(=彼岸に到る)」ともいい、大乗の菩薩が悟りを得るための修行を指す。
 真剣に、勇敢に、ダイナミックに、仏道修行に励みゆく、実践的な意義が込められているのが、本来の「彼岸」なのである。
6  生死の苦悩や迷いの激流を、渡り切らなければ、「常楽我浄」の岸へと到達することはできない。
 大事なのは、「渡り切る」ことである。
 どんな修行でも、中途半端では、やり切ることはできない。
 いわんや、仏道修行という金剛不壊の仏の大生命を目指しゆく戦いにあっては、いかなる荒波があろうとも、断固として「渡り切る」ことだ。
 戸田先生は常々、「全会員、全同志を幸福の彼岸へと運ぶのだ」と叫ばれた。
 師匠とともに、同志とともに、一人ももれなく、幸福の岸へ「渡り切る」――そのための創価学会である。
 「師弟不二」「異体同心」の陣列を、未来へと広げゆくのだ。
7  ドイツの大文豪ゲーテは綴った。
 「合い言葉は戦い/次の言葉は勝利!」(池内紀訳『ファウスト第2部』集英社文庫)
 我らは、永遠に崩れざる、民衆の幸福城の建設へ進んでいる。
 仏法は勝負である。
 今こそ「勝利」を合言葉に、一日一日、一瞬一瞬を、悔いなく、敢然と戦い切ってまいりたい。
8  さあ“勇気”を出せ
 きょうの法要の会場は「師弟会館」と名づけられている。
 師弟の精神が輝く、厳粛な信心の道場である。
 ご存じの通り、西洋哲学の偉大な源流となったのは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスとプラトンの師弟である。
 それに続く時代、アテネには、多くの市民から尊敬され、哲学の興隆をもたらしたゼノン(=キプロスのゼノン、紀元前335頃〜263頃)とその弟子たちがいた。
 その教えが、後に、あのローマ帝国の指導者や知識人に大きな影響を与えたことは有名である。気骨ある生き方を伝える、多くの逸話がある。
 ある時、哲人ゼノンは、友人から偽りの証言をするよう頼まれて逃げているという青年を、厳しく戒めた。
 「その男は不当で不正なことを君にしながら、恐れもせず恥ずかしがってもいないのだ。それなのに君は、正義のためにその男に逆らう勇気もないのか」(プルタルコス著、田中龍山訳『モラリア7』京都大学学術出版会)
 黙っていてはならない。気弱になってはいけない。
 悪に対しては、正義の声を上げる。断固として抗い、戦い、打ち破っていく。これが本当の青年である。
 また、「どのようにしたら青年が一番誤りを避けることができるか」──この点を尋ねられたゼノンは、「一番尊敬し、畏れている人が目の前にいるなら」誤ることはないと語った(中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会)。
 師匠という“人生の座標軸”を持った人は強い。最高に価値ある青春を生き、正しい人生を歩みゆくことができるのである。
 さらに、ゼノンは語っていた。
 「自惚れほど具合いの悪いものはないね、とくに若者たちの場合にはなおさらに」(ディオゲネス・ラエルティオス著、加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫)
 うぬぼれや慢心から堕落が始まる。
 「自分はまだまだ、これからだ!」「もっともっと高みを目指すんだ!」──青年は、そういう向上と挑戦の心を持って、前進を続けてほしい。
 若き日に、どれだけ自分を鍛え抜けるか。強い自分をつくれるか。それが一生の土台となるからだ。
9  求めて訓練を
 ゼノンは、時に応じ、人に応じて、相手の心に入る言葉をかけていった。あえて厳しい表現で、自省を促すこともあった。
 師が弟子を叱咤するのは、弟子を信頼し期待しているからにほかならない。
 良き弟子は、その師の深き慈愛を噛みしめながら、薫陶を受けていくのだ。
10  戸田先生の訓練が、どれほど激しいものであったか。私は、それを一身に受け切った。
 要領のいい先輩の中には、私を「防波堤」として、すべて押しつけ、先生から叱られることを上手に避けている人もいた。
 残念ながら、戸田先生から甘やかされた人間や、先生に気をつかわせた人間は、皆、正しき弟子の道をまっとうできなかった。
 要領ではない。策でもない。
 体当たりで、師匠の薫陶を受けていくことだ。どんな厳しい訓練も、求めて受けきっていくことだ。
 それでこそ、鋼のような人格が鍛え上げられるのだ。
11  「すべて師匠から学んだことです」
 私が2度、語り合ったインドのグジュラール元首相は、「独立の父」マハトマ・ガンジーを師匠と仰いでおられる。
 元首相自身、10代のころからインドの独立運動に参加し、大学生の時には当局の弾圧を受けて獄中生活を経験されている。
 1997年10月、インドの首相官邸でお会いした際、こう語っておられたことが忘れられない。
 「私たちがやっていることは、すべてマハトマ・ガンジーから学んだことです」
 師匠の教えを決して忘れない。わが生涯を、師の理想の実現に捧げる──その崇高なお心と行動に、私は深く感動した。
 私もまた、戸田先生の後を継ぎ、師の心をわが心として、生き抜いてきた。すべてをなげうって、戦い抜いてきた。
 御聖訓には「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」と仰せである。
 私はこの御文を命に刻み、強き祈りと行動で「不可能を可能」にしてきた。
 行くところ、行くところで勝利の旗を打ち立ててきた。
 現実に勝利の歴史を残せなければ、真実の仏法者とはいえない。本物の弟子ではない。
 古代ギリシャの大詩人ホメロスが綴った叙事詩『イリアス』。
 そのなかで、敵に囲まれた仲間の兵士たちに向かって、一人の勇者がこう叫ぶ場面がある。
 「さあ、勇気を出せ」「戦うしか道はない。死にものぐるいで戦うのだ」(小野塚友吉訳『〔完訳〕イリアス』風濤社)
 大事なのは「勇気」だ。
 どんな劣勢をも、はね返してみせるとの「死にものぐるい」の強き一念だ。
 皆さんもまた、わが舞台で、断じて「師弟の勝利」の証しを打ち立てていただきたい。
12  真の後継者とは
 大哲学者ゼノンには、多くの優秀な弟子たちがいた。
 そのなかで、真実の後継者となったのは、一体、だれであったか。
 いわゆる「頭のいい」弟子であったのか。そうではなかった。
 それは、「労苦をいとわない人」(前掲『初期ストア派断片集1』)と謳われ、愚直なまでに、師匠に仕えきった弟子クレアンテスであった。
 クレアンテスについては、次のように記録されている。
 「彼はゼノンの門に入ってからは、まことに健気な心がけで哲学に励み、最後まで同じ教義を守りつづけた。彼は労を惜しまぬことで人びとの評判になっていた」(前掲『ギリシア哲学者列伝』)
 彼は貧しかった。悠々と哲学を探究できる境遇ではなかった。
 地味な仕事をして生活の糧を得ながら、向学の心を燃え上がらせて、師を求め、師から学んだ。
 ある時、マケドニアの王が、クレアンテスに対して、なぜ水汲みの仕事をしているのかと聞いた。
 彼は答えた。
 「ただ水を汲んでいるだけでしょうか」
 「庭に水をまくのも、その他すべてのことも、これひとえに哲学のためにしていることではないでしょうか」(同)
 またある時、マケドニアの王が、クレアンテスに聞いた。
 「まだ麦を挽いているのか」
 彼は胸を張って答えた。
 「挽いていますとも、王様。ゼノンからも哲学からも離れないために」(前掲『初期ストア派断片集1』)
 彼にとっては、すべてが哲学を学ぶための道であった。
 師ゼノンもまた、こうした仕事を通して弟子を訓練していたのである。
 派手な活躍にだけ目を奪われ、地道な努力を忘れては、本当の「人間」はできない。
 だれも見ていないところで、コツコツと頑張れるか。そこに、その人の真価が現れるのである。
13  じつは、当初、この弟子クレアンテスは進歩が遅く、他の弟子たちからも馬鹿にされたという。
 しかし、彼は、自分を「口の小さな器」や「青銅の記録板」になぞらえた。
 口の狭い器は、水を入れにくいが、ひとたび入れると、水をよく保存する。
 青銅の記録板は、文字を書くのに手間がかかるが、ひとたび記録すれば消えにくい。
 教えを受け取るのに時間がかかるが、受け取った教えは、しっかり保っている──そのように語っていたのである(同)。
 大切なのは、前進を続けることだ。立ち止まらないことだ。
 「良くなっていくのは少しずつであるが、しかし、その『少しずつ』は決して小さなことではないのだ」(前掲『ギリシア哲学者列伝』)
 これはゼノンの言葉ともされる。
 一歩一歩を踏みしめながら、自分らしく進んでいくことだ。
14  師の行動を継承
 クレアンテスは、同門の人から、鈍い点を「ロバ」と呼ばれて嘲笑されても、だからこそ、ロバのように「自分だけがひとりゼノンの荷物を運ぶことができるのだ」と語っていた(同)。
 弟子クレアンテスは、だれが何と言おうと、どのような境遇になろうと、師匠に学び、師匠に仕えることを喜びとし、誉れとしていたのである。
 紙が買えなかった彼は、陶器の破片などに師匠の教えを書き残したという。そして「彼はそのような人間だったので、ゼノンには他にも数多くの著明な弟子たちがいたけれども、彼がその学派を継承することになったのである」(同)。
 だれよりも、師匠の教えを守り、広めゆかんとする心が、彼を後継者にした。
 彼は師匠の教えを聞いただけではない。その通りに実践した。生き方を、まっすぐに継承していった。ゆえに「第二のゼノン」(前掲『初期ストア派断片集1』)となったのである。
 この不二の弟子クレアンテスは、優れた著作の数々を残したと伝えられる。
 彼の生き方は、師弟において何が大切かを教えてくれている。
 いわんや、仏法の「師弟」の世界は峻厳である。世間的な肩書や学歴などは関係ない。大事なのは「心」だ。「行動」だ。
 いざという時に、師匠にまっすぐに仕えた人、身をもって仏法を学び、一生涯、正義を貫き通す人が、偉大なのだ。その人こそが、真実の弟子なのである。
15  「大願とは法華弘通なり
 これが日蓮大聖人の大宣言であられた。
 世界から一切衆生の苦しみをなくしたい。そう強く願われた。
 そして、御本尊を「法華弘通のはたじるし」として掲げられたのである。
16  戸田先生の発願
 この大聖人の甚深の御心が留められた、広布大願の御本尊こそ、師弟会館に御安置された御本尊であられる。
 向かって右に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」、左には「創価学会常住」と認められている。
 創価学会常住御本尊を発願されたのは、戸田先生であった。
 第二代会長に就任された直後、昭和26年(1951年)の5月12日に、先生は、「金剛不壊の大車軸」として、創価学会常住御本尊を請願された。
 この熱誠に応えて、同月19日、学会常住御本尊が、日昇上人によって認められ、翌20日、戸田先生に直接、授与されたのである。
 そして、表装などを整えて、7月22日、戸田先生のもと、奉戴式が行われた。
 先生は、深い真情を、次のように語られた。
 「わたくしは5月3日、会長に就任し、学会は、『生命は永遠であり、われわれこそ、末法に七文字の法華経を流布すべき御本仏の眷属なり』との自覚を生じて、牧口会長が口ぐせにいわれていた発迹顕本をしたのである。
 この確信において、広宣流布大願の曼荼羅をお願い申しあげ、精兵集い寄って、壮大な開眼奉戴の式が営まれたのである」と。
17  常に師とともに
 創価学会は、大聖人に直結した、仏の眷属の集いである。
 広宣流布という大使命を帯びた、仏の教団である。
 御本仏・日蓮大聖人の大願である「大法弘通慈折広宣流布」は、そのまま、仏意仏勅の創価学会が断じて成就していくのだ――これが、戸田先生の誓願である。弟子である私の誓願である。
 戸田先生は、こうも師子吼された。
 「わたくしは、創価学会理事長を学会創立以来つとめ、故牧口会長とは影の形にそうごとく、生死をともにするために生まれてきたのである。
 牧口会長のあの確信を想起せよ。
 腰抜け坊主が国家に迎合せんとしたとき、『日蓮正宗をつぶしても国家諌暁をなさん』との厳然たる命令は、絶対の確信のほどがしおのばれるのである」
 この師匠の言葉に触れる時、生死を超えて、崇高な師弟の精神が迸ってくる。烈々たる破邪顕正の、師子王の魂が漲ってくるのである。
 戸田先生は、このときの指導を、「全東洋への広宣流布は、かならず成し遂げられることを確信するものである」と結ばれた。
 その通りに私は、戸田先生の不二の弟子として、創価学会常住御本尊を厳然と護り抜き、妙法を唱え続けながら、同志とともに、世界192カ国・地域へと広宣流布の波を広げてきた。
18  大阪の戦いのわが祈り
 なお、関西池田記念会館の「池田記念講堂」に御安置されている関西常住の御本尊には、「大法興隆所願成就」と脇書されている。
 この関西常住の御本尊は、昭和30年(1955年)の12月に、旧関西本部に御安置された。
 あの「大阪の戦い」で私は、この「大法興隆所願成就」の御本尊に祈り抜いて、「まさかが実現」の大勝利を成し遂げたのである。
 「大阪のいかなる人であれ、一人でも多く、このたびの戦列に加わって味方となるように!」と、早朝勤行も、丑寅勤行も行った。
 その私の祈りに呼応して、全同志が奮い立ってくださったからこそ、「大法興隆所願成就」の道を開くことができたのである。
 この御本尊を、広宣流布の勝利と拡大の「旗印」として、師弟不二の祈りと行動を貫いてきたことが、大関西の誉れである。
 この常勝の方程式は永遠に不滅である。
19  御本尊中心の団結こそ最も強い
 創価学会の創立が、どれほど妙法に則った偉業であったか。
 宗門の大学匠であり、御書全集の編纂をつとめられた日亨上人は、しみじみと言われた。
 「御本尊様も本当に日の目を見たのは、学会が出現してからだ。学会のお陰で御本尊様の本当の力が出るようになったことは誠にありがたい」
 創価の師弟が、どれほど大聖人の御心に直結した、正統の存在であるか。
 また、日淳上人は明言されている。
 「大本尊より師弟の道は生じ、その法水は流れて学会の上に伝わりつつあると信ずるのであります。それでありますから、そこに種々なる利益功徳を生ずるのであります」
 学会には、正しき御本尊がある。正しき師弟がある。正しき広宣流布の和合僧がある。ゆえに断じて負けないのである。
 戸田先生は教えられた。
 「御本尊を中心とした団結ほど、この世で強く、固く、美しい団結はありません」
 「自分には御本尊を信じているという偉大な力がある。どんな困難にぶつかっても、どんな境遇になっても、またどんな時代になっても、必ず乗り切っていけるという信心がある。
 この確信が大事だ。これが人生の宝である」
 この大確信で、朗らかに戦い、断固として勝ってまいりたい。
20  フランスの大思想家ルソーは『エミール』で論じている。
 「人間は生まれつき国王でも、貴族でも、宮廷人でも、金持でもありはしない」
 「みな、死ぬべき定めを負っている。これこそ、真に人間であるということ、また死すべきものとしてだれもまぬがれえないことなのだ。
 だからまず、人間の本性のうちで、死ともっとも切り離し難いもの、もっともよく人間性を成しているものを研究しなさい」(樋口謹一訳『ルソー全集第6巻』白水社)
 偉大な知性は皆、「生死」という根本課題を真摯に探究しているものだ。
 スイスの思想家ヒルティは述べている。
 「死の問題は、あらゆる人生問題のうち最も重要なものである。これに対する態度こそ、すべての人の人柄を最もよくあらわすものである」(斎藤栄治訳『ヒルティ著作集第2巻』白水社)
 私が対談した歴史学者トインビー博士も、現代の指導者層が生死の問題を避けていることが、さまざまな混迷の元凶であると強調されていた。
 だからこそトインビー博士は私たちに、仏法の生命観、生死の哲学を世界へ伝えていくことを、深く期待しておられたのである。
 先日(20日)は、アメリカのボストン21世紀センターで、「生死」をテーマに、2回目のセミナーが盛大に開催された。
 〈名誉会長が米ハーバード大学での第2回の講演「21世紀文明と大乗仏教」で言及した「生も歓喜、死も歓喜」の思想の意義を、文明再生への英知として幅広く考究するもの〉
 価値ある取り組みを支えてくださる皆様に、心から感謝申し上げたい。
21  生死の河を渡れ
 大聖人は、涅槃経に説かれる「恒河(=ガンジス河)の七種の衆生」の話を引かれている。
 恒河、すなわち「生死の河」を渡る人々を7種類に分けたもので、信心と人生の実像を示された教えとして見ることができよう。
 まず第1の衆生は、生死の河に溺れて沈んでしまい、浮かび上がることができない。
 妙法を信ずる心がなく、正法正義に背くゆえに生死の迷いや苦しみに沈没せざるを得ない。
 第2の衆生は、生死の河に入って、いったんは川面に浮かび上がってくるが、まもなく沈んでしまう。
 ひとたびは信心をするが、悪縁に紛動されて信心を失って、生死の激流に飲み込まれてしまうのである。
 第3の衆生は、水面に出て、再び没することはない。
 第4の衆生は、水面に浮かんで、さらに四方を見渡す眼を持つ。
 また、第5の衆生は、水面から出て、岸に到るが、他の衆生を救うことはない。
22  衆生のためにとどまる菩薩
 さらに、第6の衆生は、河を渡り、浅瀬にまでたどり着く。しかし、「(そこに)住して去らず」(常盤大定訳『国訳一切経 涅槃部2』大東出版社)というのである。
 なぜ、その場から離れようとしないのか。
 仏は説く。「住して去らずとは、所謂菩薩が、諸の衆生を度脱せんと欲するが為の故に、住して煩悩を観ずるなり」(同)
 人々を救おう!――この思いを持った、勇気ある菩薩の姿なのである。
 そして第7の衆生は、彼岸に到達する。
 「水陸倶に行く」(同)も説かれ、「水=世間」と「陸=出世間」とを自在に往来する力を具えた、仏界の境涯である。
 真の彼岸の精神は、この第6の菩薩の行動、そして第7の仏の境涯によって説き明かされていると言えよう。
 仏法は、私たちにとって、いかなる荒波にも負けない力である。そして、目指すべき確かな目的を示してくれる哲理である。
23  「自他ともに!」 これが学会精神
 私たちの次元で申し上げれば、自分だけが安穏な状態になってよしとするのではない。
 そこから再び、人々のために、逆巻く激流へと舞い戻っていくのだ。
 荒れ狂う現実社会の真っただ中で、勇敢に、人間のため、民衆のために戦い、一人また一人と救う。自他ともに、生死の激流を「渡り切る」挑戦こそ、我らの学会精神にほかならない。
 濁流の世間を、いささかも恐れない。
 「立正安国」の対話に勇んで打って出る。
 この学会活動の中にこそ、「常楽我浄」という最高の幸福境涯へと前進しゆく道がある。
 今、生きている人はもちろん、亡くなられた方々も包みながら、一切を希望の方向へ、喜びの方向へ、建設の方向へ、勝利の方向へ、リードしていくのだ。ここにこそ真実の意味での「常彼岸」の姿がある。
 大聖人は仰せである。
 「この経を一文一句でも聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船なのである」「生死の大海を渡るのは、妙法蓮華経の船でなくては、かなわないのである」(御書1448㌻、通解)と。
 創価学会は、この日蓮仏法を掲げて、世界の民衆を、自行化他の実践を通して、成仏の大境涯へとリードしていく大船なのである。
24  結びに、全同志に箴言を贈りたい。
 ポーランド出身の革命家ローザ・ルクセンブルク。
 彼女が獄中から叫んだ、信念の言葉である。
 「わたしは、いかなる境遇に自分が置かれようと、真底からの幸福感を失うことはありません」(秋元寿恵夫訳『獄中からの手紙』岩波文庫)
 また彼女は綴った。
 「歴史はまさに私どもの手中にあると確信しています」(伊藤成彦訳『友への手紙』論創社)
 元気いっぱい、張り切って戦おう! 自分自身の幸福のために! 民衆の勝利のために!

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