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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第21回本部幹部会  

2008.9.3 スピーチ(聖教新聞2008年上)

前後
1  わが同志が、わが偉大な弟子が、本当に、元気いっぱいに集い合った。
 全世界の代表が相まみえ、激励し合う、創価学会の広宣流布の世界、「万歳!」と、まず私は叫びたい。
 創価学会は勝った!
 世界一である。
 妙法を広めた功徳は大きい。広宣流布をした努力が、すべて自身の功徳にならないわけがない。皆さんが仏にならないわけがない。
 永遠の功徳が、子孫末代まで流れ通っていく。それが日蓮大聖人の仏法である。
 仏法を広めた功徳は計り知れない。必ず、因果の法則で、わが身に返ってくる。
 「功徳・無量無辺なり」。これが大聖人の御約束である。
 皆さん方は勝った!
 これからも断じて勝とう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 皆が「うれしい」世界をつくれ!
2  きょうの歌も上手であった。音楽隊も満点だ。ありがとう!
 〈池田名誉会長のスピーチに先立ち、このほど誕生したドクター部歌「生命の世紀」、新団地部歌「輝け『幸福の城』」、スポーツ部歌「勇勝の歌」を、各部の代表が、はつらつと歌い上げた〉
 皆、本当によく歌ってくださった。
 とくに、ふだん歌など歌わないだろうと思われていたドクター部が、よく立ち上がった。うれしい、うれしい!
 ともあれ、皆が「うれしい」と感じられる世界、理想の「民衆の都」をつくるのが、信心であり、仏法である。
 「悲しい」世界をつくるのは、愚か者である。最低の指導者だ。
 愉快に進もう! いいね!〈「ハイ!」と元気な返事が〉
3  きょうは、北海道の同志が、真心込めて、1,000本のカーネーションの花を届けてくださった。
 ありがとう! 本当にありがとう!
 御宝前にお供えさせていただいた。
 9月9日は「北海道の日」、おめでとう!
 きょうは代表の皆さんが、北海道から、よく来てくださった。
 皆、仏子である。最高幹部が、心を込めて、見送って差し上げていただきたい。
4  大満足の人生を
 今、私は、エマソン協会の会長である、アメリカの女性詩人サーラ・ワイダー博士と、未来のために、さまざま語り合っている。友情を深めている。
 博士は、「SGI(創価学会インタナショナル)の運動は、人間の可能性を開花させる運動だと思います」と大きな期待を寄せてくださった。
 花を開かせていく。幸福を開かせていく。
 ちぢこまったり、臆病になったり、苦しんだり、焼きもちを焼いたり──そんな小さな心の世界ではない。
 本当に、人間が人間らしく、最高の人生を生きるための運動である。数えきれないほどの喜びをつくっている教団なのである。
 ワイダー博士も、驚きとともに、温かい眼差しをそそいでくださっている。
 このように世界は、私たちの前進を熱く見つめているのだ。
 これからも、いよいよ朗らかに、生き生きと、「対話の花」を咲かせていきたい。
 大聖人は折伏精神を教えられた。折伏というと、難しく聞こえるかもしれないが、要するに、人を救い、社会を変えゆく「対話」である。強い心で、真実を語るのだ。正義を叫ぶのだ。
 そして「友情の花」「勝利の花」を咲かせて、自分自身が満足できる人生を飾ろう!
 意気地のない人間、焼きもちの人間には、心と心を通わせる対話はできない。
 それでは愚かであり、不幸であり、哀れである。
5  師弟の勝利劇
 きょうは、日顕宗と戦う僧侶の方々が参加されている。
 邪宗門と決別した意義は、後になればなるほど、明確になるであろう。
 仏法は、永遠性の次元から見なければ分からない。ここにお集まりの皆様、一人一人が大勝利者なのである。
 思えば、学会が、宗門に、どれだけ供養してきたか。
 終戦後、農地解放により、大石寺の土地は約5万坪であった。それが、戸田先生の懸命の働きによって、約17万坪にまでなった。
 そして、私の時代に約117万坪へと大拡大したのである。すべては、広宣流布即世界平和のためであった。
 威張りくさった宗門は、少しの恩も感じていない。
 しかし、この功徳が、生々世々、皆さん方を包みゆくことは間違いない。
 御書には「日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず」と仰せである。大功徳の因を積んだのである。
 戸田先生と私が建立寄進した末寺は、356カ寺にのぽる。
 学会の宗門への赤誠の供養は膨大である。学会が本山を護るために行った登山会には、のベ7,000万人が参加した。
 しかし、宗門は、もうけるだけ、もうけると、何のまっとうな理由もなく、スパツと学会を切った。
 これが坊主の、邪教の実態である。
 これほどの計り知れない大恩ある学会に嫉妬し、恩を仇で返したのが、日顕宗であったのだ。
 邪悪な陰謀は、ことごとく失敗した。今や落ちぶれる一方である。
 それに対し、学会は、大聖人に直結する世界宗教として、未曾有の大発展を成し遂げた。皆さんがよく、ご存じの通りである。
 きょうも、これほど立派な青年リーダーが世界中から集まった。私はうれしい!
 創価の正義の師弟は勝ちに勝った!
 おめでとう! ありがとう!
 大仏法の「太陽」は赫々と昇った。暗き邪教は消え失せた。
 学会が立ち上がり、日本の広宣流布の基礎は完璧に作り上げられた。我らの舞台は今、世界へと大きく広がっている。
 その前進を、各国の識者も、駒待を込めて、注目している。
6  新鮮な感動を
 「北欧デンマークの有名な哲学者に、キルケゴールがいる。
 彼の言論闘争に大きな転機をもたらしたのは、「コルサール事件」と呼ばれる出来事であった。
 キルケゴールといっても、皆、あまり知らないかもしれない。
 しかし、たまには、こういう話をすることも大事だ。
 ただ皆がわかりきっている話をするのではなく、少し違った角度から話をしていく。
 信心や御書について語るだけでなく、歴史に光を放つ哲学者、文学者について語る。そうすれば新鮮な驚きや感動がある。
 また、若い皆さんが、父母にキルケゴールについて語れば、「わが子ながら、よく成長したな」と、ひそかに喜んでくれるかもしれない。
 19世紀の半ばにさしかかるころ、デンマークでは、改革を求める社会の機運に乗じて、俗悪な週刊紙「コルサール(海賊)」が、著名人を中傷する記事を書き立てていた。
 その悪辣な週刊紙の執筆者の中に、キルケゴールのかつての仲間がいた。この男の誤った言論に、キルケゴールは真っ向から戦いを挑んだのである。
 ここから、「コルサール」によるキルケゴールヘの激しい攻撃が始まった。
 そのやり口は汚い。キルケゴールの身なりなどを戯画化して、嘲笑の種にした。繰り返し罵倒した。
 街の人々までもが、こぞってキルケゴールを馬鹿にしたというのである。
 〈コルサール事件については、編集部でまとめる際、小川圭治著『人類の知的遺産48 キルケゴール』講談社、工藤綏夫苦『キルケゴール 人と思想』清水書院などを参照した〉
7  私も、これまであらゆる攻撃を一身に受けてきた。しかし、すべてに打ち勝って、今日の創価学会をつくりあげてきた。
 牧口先生、戸田先生は偉大だった。軍部と戦って、牢獄にまで行かれた。大難と戦い抜かれた。
 だから弟子も偉大でなければならない。
 反対に、大恩ある師匠の存在を忘れて、自分が立派そうな格好をし、偉そうな顔をする。
 さらには、師匠を自分のために利用する。結局は、自分一人のことしか考えない。
 これは人間にとって最低の生き方である。悪へと通じてしまう。
 迫害の方程式
 「キルケゴールは述べている。
 「嘘と中傷と厚顔と邪悪で固めた言葉を吐き散らす──すべてこれ人を傷つける喜び、卑しむべき金銭欲のため」(田淵義三郎訳「わが著作所動の視点」、『キルケゴール著作集18』所収、白水社)
 鋭い青葉である。
 私も、こう見抜いてきたから、平然としている。
 また、彼は綴った。
 「ひとりの人間に向かってほとんど必然的に社会の二大勢力たる嫉妬と愚劣とが同盟して対抗し、彼にあびせかける虚言と誹謗」(松浪信三郎・泉治典訳「瞬間」、『キルケゴール著作集19』所収、白水社)
 これは、迫害の一つの方程式を示したものといえようか。
 釈尊も、日蓮大聖人も、正義ゆえに誹謗された。
 牧口先生、戸田先生もそうだった。私も、そうである。
8  ともあれ、戸田先生は牧口先生に仕えた。私は戸田先生に仕え切った。先生を護り抜き、「弟子の道」をまっとうした。
 これは、私の永遠の誇りである。これが「創価の師弟」である。
9  関西には気取りや要領がない
 きょうは、関西婦人部長の山下以知子さんも参加されている。
 山下さんのお父さんは、白木義一郎さん。背が高くて、プロ野球の東急フライヤーズなどで名ピッチャーとして活躍した。有名な選手だった。
 〈白木さんは大阪支部の初代支部長、妻の文さんは同初代婦人部長。白木さんは、池田名誉会長が指挿を執った、昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」で参議院選挙の候補者となり、当選を果たした)
 その娘の山下さんが、関西の婦人部の中心として頑張っている。先ほどの見事なあいさつも、妻と一緒にうかがった。
 お父さん、お母さんも、心から喜んでおられると確信する。
 〈ここで山下関西婦人部長が、関西同志とともに頑張ってまいりますと力強く決意を述べた〉
 ありがとう! 私はうれしい。
 どこの組織も、関西を見習っていくことだ。関西には気取りがない。要領もない。
 断じて勝利を!──この一点で戦っている。私はだれよりもよく知っている。
 あの「大阪の戦い」の時、東京は勝つが、大阪は負けるだろうと言われた。
 むしろ大阪が負ければいい。そう思っている、意地の悪い人間もいた。
 しかし、私は関西で徹して一人一人の友を励ました。各地を回りに回った。そして、「“まさか”が実現」と言われるほどの勝利を収めたのである。
 ともあれ、立派な人を立派な人として尊敬していく。守っていく。これが本当の人間の世界だ。仏法の世界である。
 反対に、ずるい人間、悪い人間は、だんだん駄目になっていく。仏法の因果の理法は厳しい。
10  キルケゴールは当初、良識ある人々から、自分を擁護する声が上がると思っていた。しかし、現実は、まったく逆であった。
 キルケゴールの友人たちは、臆病にも沈黙していた。さらに、彼を妬んでいた学者や知識人たちは、誹謗中傷に喝采さえ送った。
 真実を守るべき知性の使命と責任を、自ら裏切った姿であった。
 ここで屈服すれば、人間の真実と尊厳は失われてしまう──。
 事件が起きる前には、もうこれで著作活動から身を引こうとしていたキルケゴールであったが、毅然と一人立ち、言論の暴力に猛然と反撃していったのである。
11  キルケゴールに対する誹誘は続いた。悪意の毒は、社会に広がった。
 来る日も来る日も中傷。どこへ行っても、侮蔑の目──。
 その残酷さは、経験した者でなければ分からないであろう。
 私も数知れぬ中傷を受けてきた。“あなたほど迫害された人はいない。よく耐えられましたね”と、心ある人は驚いていた。
 嵐の中でも妻は、いつも、にっこりと笑って、「大聖人の仰せの通りですね。牧口先生、戸田先生への中傷に比べたら、どうってことありません」と明るく語っていたものだ。
 優れた人がいじめられるのを見て喜ぶ。それが、狂った社会の現実である。
 若い皆さんは、人を頼ってはならない。頼る必要もない。皆さんが、聡明に、理想的な世界をつくっていくのである。
12  迫害の日々にも、キルケゴールは一歩も引かずに言論闘争を繰り広げた。徹底して反撃した。
 俗悪週刊紙「コルサール」は、ついに、キルケゴールヘの中傷から手を引くことを余儀なくされる。
 発行者が、週刊紙を人手に渡して国外へ去った。主な執筆者も去った。やがて「コルサール」そのものが存続できなくなったのである。
13  キルケゴールは綴っている。
 「生産が私の生命だった」(大谷長訳『キェルケゴオル選集第13巻』人文書院、現代表記に改めた)
 生産し、創造する。そこにこそ、生き生きとした生命の脈動がある。我らの運動は、創造的生命を開花させていくのだ。
 キルケゴールは、深い憂いも、激しい苦悩も、何もかも、乗り越えることができた。新しい創造に打ち込んだゆえに。
 さらに、キルケゴールは「世間が私に襲いかかった、虐待、恐らくそれは外の人ならば不生産にされてしまっただろう──所が私はそのため一層生産的になった」(同)と。
 まるで学会員の心意気のようだ。
 迫害をも創造のバネにして、キルケゴールは、人生の最後の最後まで、熾烈な言論戦に身を投じていったのである。
14  私もまた、逆境の時こそ、智慧をわかして、「こういう指針を示そう」「こうやって味方を広げよう」と、人知れず手を打ってきた。ただ一人、悩み抜き、祈り抜きながら。
 皆が苦しんでいる時に、自分は、すずしい顔をして、高みの見物を決め込む。そんな卑劣な傍観者になってはならない。
 無責任な人間は、敵よりも始末が悪い。
 これからは、若き君たちの時代だ。後継のあなたたちの時代だ。
 先輩の皆さんは、最敬礼する思いで、後輩に未来を託し、心から応援していかねばならない。
 上に立つ人間は、威張るためにいるのではない。逆である。
 上に立ったら、後輩のため、皆のために、命を捨てる覚悟で尽くしていく。そうやって私は戦ってきた。
15  真実の師弟の道は、立場では決まらない。心で決まる。行動で決まる。
 私は、第三代の会長になったころ、大田区小林町の小さな家に住んでいた。ある時、大嵐の日があった。
 吹けば飛ぶようなわが家である。一人の同志が、安否を気遣い、嵐の中を駆けつけてきてくれた。
 「先生、大丈夫ですか! 私が守ります」と。その真剣な心を、今もって忘れることができない。
 正義の魂を守る、必死の一人がいれば、学会は大丈夫だ。
 本物の弟子がいるかどうかで、一切は決まるのである。
16  使命の天地に勝利の旗を!
 青年の時代だ。未来はすべて、青年部にかかっている。
 何をしているか、わからない。どんな決心か、わからない。そういうリーダーでは、多くの友を立ち上がらせることはできない。
 真実の弟子ならば、結果で示すのだ。
 師弟直結で勝ち進むのだ。
 私は青年部の時、戦って戦い抜いた。戸田先生は、何があっても「大作!」と私を呼ばれた。打ち合わせは、時に深夜まで及んだ。1から100まで、急所に手を打ったのは、私であった。
 これが弟子である。
 今この時に集われた男子部の諸君! 女子部の皆さん! 男女学生部の皆さん!
 一人一人が、使命の天地に勝利の旗を、晴れ晴れと打ち立てていただきたいのだ。
 広宣流布の将の将たる、わが青年部に、後継の印綬を、今こそ託したい。
17  前進の妙法である。前進するしか勝利はない。
 進まないということは後退だ。
 19世紀デンマークの哲学者キルケゴールは言う。
 「戦わずして勝利をおさめようとする者、望みを抱きながらそのための手段を取ろうとしない者は、人間の眼から見ても馬鹿者である」(若山玄芳訳「二つの建徳的講話」、『キルケゴールの講話・遺稿集2』所収、新地書房)
 戸田先生は、自分では動かず、口先だけの幹部がいれば、「この馬鹿者め!」と百雷を落とされたものだ。
 「行動」こそ仏法者の魂なのである。
18  何ものをも恐れるな!
 キルケゴールは、こうも言った。
 「私は戦っている間中は確乎不動なのだ」(大谷長訳『キェルケゴオル選集第13巻』人文書院、現代表記に改めた)
 その心が私はよく分かる。行動の人、率先垂範の人であってこそ、絶対的な信念、勇気を持てるのだ。
 何ものにも動じない!
 何ものをも恐れない!
 これが創価の心である。広布のリーダーの皆さん方は、私と「同じ命」で進んでいってもらいたい。
19  「真に偉大で崇高なことをなしとげようとすると、臆病はそれを妨害する」(浜田恂子訳「4つの建徳的講話」、『キルケゴールの講話・遺稿集2』所収、新地書房)
 これもキルケゴールの言葉である。
 心に巣食う“臆病の虫”は、退けなくてはいけない。
 「臆病」は敗北だ。「勇気」こそ、偉大な勝利の力である。
20  同じくキルケゴールは綴った。
 「肝要なことは、われわれ全部が、ひとりひとり各人が、より賢明になることである」(原佑・飯島宗享訳「アドラーの書」、『キルケゴールの講話・遺稿集9』所収、同)
 その通りだ。一人一人が賢明になり、人生を勝利するための仏法である。
 全員が賢明になるのだ。全員を賢明にしていくのだ。
 民衆一人一人が強く賢くなり、団結すれば、上に立つ人間も、威張ったり、不正をしたりできなくなる。平等の関係ができる。
 そうした「正しい世界」をつくるのが本当の創価学会である。
21  創価三代の闘争に続け
 熾烈な言論闘争を生き抜いたキルケゴールは言う。
 「不満家や悪意の者たちは好んでまちがった噂を撒きちらしたがるものである」(同)
 デマによって正義を貶める──悪意に満ちた人間のすることは、どこでも共通している。
 さらに、キルケゴールは論じている。
 「いったい永遠のものとは何であろう? それはそもそも正しいものと、正しくないものとの区別であるのだ。他の一切ははかないものである」(三瓶憲彦訳「キリスト教的講話」第3部のⅣ、『キルケゴールの講話・遺稿集6』所収、同)
 私は、まっすぐに正義の道を生きてきた。
 まさに経文通りの三障四魔、三類の強敵と戦いながら、牧口先生、戸田先生の歩まれた広宣流布の道を歩み抜いてきた。
 この創価の師弟の道こそ、正義の中の正義であると確信したからだ。
 我らの目的は世界平和である。全人類を幸福にすることである。
 この立正安国の大闘争に皆さんも続いてもらいたい。
 まっすぐに、勇敢に、正義の道を歩み抜いていただきたいのである。
 キルケゴールはこうも語っている。
 「人間は生きている限り自分自身を投げ棄ててはならない、人生のある限り希望がある」(前掲若山訳)
 いい言葉である。
 我らの信仰は無限の希望の泉である。
22  思えぱ私が、欧州に第一歩をしるした国は、キルケゴールゆかりのデンマークであった。〈1961年(昭和36年)10月5日〉
 牧口先生も、戸田先生も、デンマークの教育哲学に深く注目しておられた。
 〈牧口会長は『創価教育学体系』の緒言(序文)で、デンマークの国民高等学校の創始者グルントヴィと、その後継者コルの師弟について紹介している〉
 きょうは、デンマークをはじめ、欧州からも最優秀の青年が参加している。ありがとう!
23  勝利の報を待つ
 海外60カ国・地域から偉大な青年リーダーの皆さん、本当にようこそ、いらっしゃいました!
 皆さんのことは、すべて、うかがっています。重ねて、世界広布の若き英雄の皆様方を謹んで歓迎申し上げたい。
 遠く中東のドバイからも、タルール理事長はじめ湾岸SGI(創価学会インタナショナル)の皆さんがお越しくださった。本当にありがとう!
 さらにスポーツ部の誕生、おめでとう!
 人生は負けてはいけない。戦う以上、勝たなければいけない。
 スポーツ部の皆さん、頼むよ!〈「ハイ」と会場から力強い返事が〉
 ドクター部の皆さん、団地部の皆さんも、改めて、素晴らしい合唱、ありがとう! 音楽隊の皆さんも、いつも、ご苦労さま!
 さらに聖教新聞を配達される「無冠の友」の皆さんも、毎日、毎朝、本当にお世話になります。
24  100年先を進む!
 学会は、全世界に広宣流布をしている団体である。
 ちっぽけな島国の日本とは、全然、スケールが違う。
 私ども創価の非暴力の人間革命の運動が、どれほど深き意義を持っているか。それを、世界の一流の知性は、鋭く見抜いている。本当に大きな期待を寄せてくださっている。
 世界の数々の大学・学術機関からの栄誉も、その一つの明快な証しにほかならない。
 〈現在、世界の大学・学術機関から池田名誉会長に授与された名誉学術称号は、世界五大州から「242」を数えている。さらに決定通知を含めると「263」となる〉
 すべては、尊敬する全同志の皆様方とともにお受けした栄誉である。そしてまた、未来を担う青年たちに譲り託す宝冠である。
 私たちは、50年先、否、100年先の人類が進むべき正道を歩んでいるのである。
 その先駆の使命の誇りを持っていただきたいのだ。
25  共に考え、手本を見せてくれた師
 ブラジルの天文学者モウラン博士は現在、私との対談集発刊へ準備を進めてくださっている。
 対談の中でモウラン博士は、ベルギー留学時代の恩師・アヘンデル博士との思い出を語っておられた。
 「人間味豊かで、決して傲慢な態度を見せない方でした。私の学問上の質問も、本当は答えが分かっていたと思いますが、あえて一緒に考えてくださったのです。そうして私に学問の手本を見せてくださった」
 師匠というのは、ありがたいものである。
 私も数学の天才、教育の天才であられた恩師から、万般の学問を教わった。世界からの知性の宝冠は、すべてこの師の薫陶のたまものである。
 〈名誉会長には、名誉学術称号に加え、各国からの国家勲章や諸都市からの名誉市民証など、これまでに世界から3,200の顕彰が授与された。
 東洋哲学研究所が編さんした『世界市民池田大作──識者が語る平和行動と哲学』(第三文明社)では、これらの顕彰の受章理由を、数多くの識者の声を通して分析している。なかでも、ガンジーの令孫ウシャ・ゴカニ女史は、「ジャムナラル・バジャージ国際賞」の授与(2005年11月)に際して、「池田博士こそ『現代のガンジー』です。暴力が日常のルールになってしまった世界において、平和と慈愛と非暴力を広める尊き活動をされる博士こそ、人類にとっての希望です」と賞讃している〉
26  「民衆への脱帽」
 アメリカの詩人ホイットマンは、詩集『草の葉』(初版)の序文に綴っている。
 「大統領に対する民衆の脱帽ではなくて、民衆に対する大統領からの脱帽」(岡地嶺訳『19世紀英米詩論集』文修堂)と。
 これこそ、真の人間の世界、民主主義の世界である。
 民衆が一番、大事なのである。国民が権力者に頭を下げる必要などない。権力者が民衆に対して脱帽し、奉仕していく──それが本当の民主主義の社会ではないだろうか。
 これと正反対の姿が、戦前の軍国主義の日本であった。真っ先に犠牲になったのは民衆だった。
 私は、8人きょうだいの五男である。4人の兄は全員が軍隊にとられ、戦地に出征していった。
 長兄は、ビルマ(現ミャンマー)で戦死した。その知らせを受けた母が、どれほど悲しみに暮れたことか。
 矛盾だらけの世の中であった。
 だからこそ私は、「最も偉大なのは、庶民の王者である」と叫んできた。
 リーダーは、わが尊き学会員の方々に、最敬礼していくのだ。
27  作家・横光利一の言葉に、こうあった。
 「人はどうかして他人を軽蔑せずには生きていけない時が多分にある。軽蔑した瞬間に顔面に現れる表情と云ふものはその人間の品性を最もよく表はすものだ」(『定本 横光利一全集第13巻』河出書房新社)
 幹部は決して傲慢になってはならない。大切な、仏に等しい同志である。和やかな笑顔で、友に希望を贈っていくのである。
28  患者の生命力を引き出せ
 ドクター部の皆さん、いつも本当にありがとう! 素晴らしい歌声の御礼に、いくつか言葉を贈りたい。
 アメリカを代表するジャーナリストで、医学部の教授も務めたノーマン・カズンズ博士は指摘している。
 「医師の主な役目の一つは、患者自身が持つ、病気撃退のために心身のエネルギーを動員する能力を百パーセント発揮させることである」(松田銑訳『人間の選択』角川書店)
 博士は、安心や希望、生きる意欲が人体の「治す力」を最大に働かせていくと論じておられた。
 さらにカズンズ博士は、「いい医師は科学者であるばかりでなく、哲学者でもある」(同)と言われた。
 患者の生命を守るため、最先端の医学を探究するとともに、妙法という世界一の哲学を誇り高く研鑚していただきたい。
29  ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長のウンガー博士は、医師の心構えについて厳しく語っておられた。
 「本来は謙譲の精神で奉仕されるべき患者が対象へとなりさがり、尊重されるべき人間としての患者の権利を後になって意識するようになってしまったことは本当にとんでもないことだと思います」「真の医師であれば、自分の患者に奉仕し、患者のために行動します」
 患者の皆さんに対して、どこまでも謙虚に尽くし、一人の人間として尊敬し、心と心を通わせていく。
 慈悲の医療に徹しゆくドクター部の存在がどれほど大切か。
 また、ウンガー博士は医学界に警鐘を鳴らされていた。
 「現代医学は治療を優先するあまり、患者の身体的側面のみに目を向けてきました。しかし、人間は身体のみで形成されているのではありません」「その人自身への温かい言葉や働きかけが必要になります」
 仏法では「色心不二」と説く。身体と心は一体であり、切り離すことはできない。
 ドクター部、そして白樺会・白樺グループ(看護者の集い)の皆様は、生き生きと励ましの声を贈っておられる。その希望の響きこそ、健康の太陽を昇らせる大きな力となるにちがいない。
30  人間の中へ!
 中国の歴史書『史記』には、伝説的な名医・扁鵲へんじゃくの記録が残されている。
 日蓮大聖人も「中国に黄帝こうてい、扁鵲という医師がいました。インドに持水じすい耆婆ぎばという医師がいました。この人たちは、その時代の宝であり、後世の医師にとって師の存在である」(御書1479㌻、通解)と記され、深く注目されていた医師である。
 扁鵲は「邯鄲かんたんへ行き、そこでは婦人が大切にされていると聞くと、婦人科医として腕をふるった。洛陽へ行き、周の人たちは老人を敬愛すると聞くと、耳が遠くなり、目がかすみ、手足がしびれる老人病の医者として活躍した。咸陽かんようのまちに入ると、秦国の人たちは小児をかわいがると聞くと、小児科医として腕をふるった。各地の習俗に適応した医療を臨機応変に行ったのである」(青木五郎著『新釈漢文大系91』明治書院)。
 扁鵲は、広い中国の国土を歩きに歩き、民衆の中に分け入るようにして治療に当たったと伝えられている。
 どうかドクター部の皆様は、扁鵲のごとく、民衆のために行動する名医であっていただきたい。
31  師子王の知く自身を鍛えよ
 いかなる組織であれ、柱となる人間が立派になれば、後輩も皆、立派に育つ。
 要は、自分だ。師子王のごとき自分自身であるかどうかだ。
 若き日より私は、汚れのない、きれいな心で御本尊に仕え、広布の師に仕えるのが学会の姿であると信じ、戸田先生のために戦ってきた。
 先生の行き詰まった事業を守り、財政難を助けるために奔走した。先生から「そばにいてくれ」と言われ、通っていた夜学も断念した。その代わりに「戸田大学」で勉強を教わった。今の私があるのは、すべて戸田先生のおかげである。
 私は生涯をかけ、そのご恩を返している。
 師への尊敬と報恩を忘れてしまえば、その一念に狂いが生じる。
 学会は信心の世界である。大聖人直結の世界である。
 “遊び”“威張り”“腐敗”がはびこる世界とは正反対の、峻厳なる師弟の世界でなければならない。
32  「師と同じ心」で「増上慢」を破れ
 師弟あるかぎり、学会は崩れない。
 それを分断し、壊そうとするのが、恐るべき魔の正体である。
 昭和54年(1979年)5月3日、私の実質的な会長辞任の総会となった本部総会が、東京の八王子で行われた。大難の嵐が吹き荒れるなかであった。
 ちょうど、その日の読売新聞に、日本とアメリカの、国民の「生活意識」を調査した結果が掲載された。日本人の「尊敬する人物」が紹介されており、その第6位に、私の名前が出ていた。ある人が笑顔で教えてくれた。〈存命中の民間人では第1位〉
 不思議なタイミングでの出来事であった。
33  御聖訓には、三障四魔は「紛(まぎ)らわしく入り乱れて競い起こる」(御書1087㌻、通解)と説かれている。
 私たちは、そういう動きを見破る鋭さを持たねばならない。愚かではいけない。
 皆で、素晴らしい学会をつくろう!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 皆が「師と同じ心」で進む。それが三代の師弟の心であり、願いである。大聖人、釈尊の心に連なる「正義」の心である。それが「慢心」を打ち破る力となる。
34  信心強き人が最も尊貴な人
 私はこれまで、広宣流布の前進の、矢面に立ってきた。一日も気の休まることはなかった。生命に及ぶ危険を感じることもあった。
 大聖人が「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せになられた通り、難に立ち向かう覚悟なくして、広布の指揮を執ることなどできない。
 このような厳しいことを申し上げるのも、学会が仏法の世界だからである。
 世間の立場や仕事の肩書などは、信心の位とは関係がない。信心強き人が、最も尊貴なのである。
 ゆえに創価のリーダーは、広布へ戦う友に尽くすのである。それができる人が、偉大な人である。できない人には、創価の指導者の資格はない。
 この根本の精神を知り、継承していかなければ、健気な会員に対して威張り、平然としているような、とんでもない人間が出てくる。そして結局、学会自身が損をしてしまうのである。
 ともあれ、どのような状況になろうとも、我々は戦おう! 広宣流布のために! そして勝とう!
 私は、尊き前進を続ける皆さんを讃えて、「創価学会、万歳!」「同志の皆様、万歳!」「海外の大事な同志、万歳!」と心から申し上げたい。〈参加者で勢いよく万歳三唱。続いて、名誉会長を導師に全員で唱題した〉
 長時間、本当にご苦労さまでした。お元気で! 海外から参加していただいた、研修会の皆様もありがとう! サンキュー!

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