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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会  

2008.7.29 スピーチ(聖教新聞2008年上)

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1  創立80周年(2010年)の希望の峰へ、晴れ晴れと進みゆく伝統の全国最高協議会の開催、本当にご苦労さま!
 ある時、恩師の戸田先生は書われた。
 「『誠実』の道をゆけ! 人間としての大道を堂々と歩め!」
 簡潔で、いい言葉である。
 この恩師の指針の通り、私は、誠実の道を歩み抜いてきた。
 「誠実」こそ、わが人生の真髄のモットーである。
 あまりにお人好しで、だまされたり、インチキをされたこともあったが、しかし、私は、誠実で勝ってきた。
 誠実の対話で、多くの人を味方に変えながら、心通う麗しい友情の連帯を、日本に、世界に広げてきた。
 誠実こそ、人間として最も尊い、永遠の勝利の大道なのである。
2  同志に感謝を!
 この協議会は、一騎当千の王者の集まりである。
 「真剣」でなければ、未来は開けない。
 「真剣」でなければ、仏と魔との大闘争を勝ち抜けるはずがない。
 根本は、最高幹部の皆さんが、率先して行動することだ。
 自分は楽をして皆にうまくやらせよう──そんな気持ちが毛筋ほどでもあるならば、戦いは敗北だ。仏子を軽んずる、謗法にも等しい行為である。
 健気な同志の皆さんが、汗をかき、足を棒にして歩き、時には、悪口されながら、創価の真実と正義を語りに語ってくださってきたおかげで、広布の地盤は、ここまで築き上げられたのである。
 この尊き同志の心を、幹部一人一人は、絶対に忘れてはならない。
 真剣に戦ってくださる同志に心から感謝しよう、皆さんの奮闘に何とか応えていこう──そう思って戦う人は、最後は必ず勝っていける。
 多くの友を結集しながら、はつらつと歓喜の前進の指揮を執っていけるのだ。
 創価の父である牧口先生は語られた。
 「試練に行き当たった時こそ、前進の炎をさらに燃え上がらせて、生きて生きて、生き抜くのだ」
 ともあれ、有意義にまた朗らかに、広宣流布の研修を行い、下半期の大勝利へ、生き生きと出発してまいりたい。
3  法華経に「令法久住」とある。
 しかし、個人の信仰だけでは、妙法を未来永遠に伝えていくことは困難である。
 だから、組織が大事だ。学会が大事だ。
 学会の「組織」が強くなり、学会の「人材」が強くなるためであれば、私は、労苦を惜しまない。
 それを確固たる信念として進んできたのである。
4  戦う心があるか
 戸田先生は、強く語られた。
 「どのような状況にあっても、自分自身が深く偉大な信心に立てば、すべてを開いていける。
 自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。要は自分だ。自分自身に生き抜くことだ」
 すべては、自分自身で決まる。
 「戦おう!」「勝とう!」──この信心の強き一念が胸中に燃えているかどうか。
 戦う命があるか。
 負けない心が光っているか。
 それが一切の勝利を決めるのである。
5  使命の天地・関西
 昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」。
 「東京」と比べて、「大阪」は、勝てる要素などなかったといってよい。
 恩師の戸田先生は、その大阪の指揮を私に託された。
 「大作、頼むな!」
 「まかせてください!」。私は立ち上がった。
 そして、使命の関西の天地で、師匠のために犠牲になる覚悟で戦い抜いたのである。
 迎えた決戦の日。
 早朝5時ごろ。
 大阪にいた私は、戸田先生を思いながら、電話の前にいた。
 すると、電話が鳴った。すぐに受話器を取った。
 東京にいらした戸田先生からであった。
 「なんだ大作、もう起きていたのか」
 「はい」
 「関西はどうだい」
 「こちらは勝ちます!」
 まさに、あうんの呼吸であった。
 そして、先生に申し上げた通り、関西は勝った。「まさか」が実現した。
 創価の真実の師弟が勝ったのである。
6  「恩を仇で返すのは最も卑劣」
 スペインの劇作家ロペ・デ・べーガを、ご存じだろうか。16世紀から17世紀に活躍した、スペインを代表する文学者である。
 彼は作品の中で登場人物に語らせている。
 「恩を仇で返すなどというのは、人間のなし得る卑劣な行為の精髄だからな」(牛島信明訳「オルメードの騎士」、『スペイン黄金世紀演劇集』所収、名古屋大学出版会)と。
 戦後間もない昭和20年代、戸田先生が事業に失敗され、莫大な借金を抱え、絶体絶命の状況に追い込まれた時である。
 今まで、先生にお世話になってきた人間が、まさに「恩を仇で返す」ごとく、先生を罵り、去っていったことを、私は忘れることはない。
 なかには、先生を下に見て、「戸田君」と呼ぶ幹部も現れた。
 “調子の良い時だけ先生の側にいて、口では師匠と言いながら、実際は、自分のために利用していただけではないか”──私は、怒りで心が煮えたぎる思いであった。
7  私は戸田先生の弟子として、早朝から夜中まで、壮絶に戦った。
 学会を財政面から支えていた先生の会社を再建するため、必死で働いたのである。ご家族のことも、喜んで、何でもやらせていただいた。
 戸田先生から、「どんなことがあっても君の師匠は私だよ」と明言していただいた私には、文句も愚痴もなかった。
 そしてまた、わが家も、私の実家も、妻の実家も、すべてを捧げて、恩師に尽くしたのである。
 晩年、戸田先生は、私の手をがっちりと握りながら、「君がいてくれたから、私は本当にいい人生を送れた」と落涙された。
 あまりにも美しい師弟の姿であった。
 その後も、先生から受け継いだ学会を、世界192カ国・地域に広げ、先生の偉業を全世界に大きく宣揚してきたことは、皆さんがご承知の通りだ。
8  戦時中の大弾圧のなか、戸田先生は牧口先生をお護りした。
 戦後の最大の苦境のなか、私は戸田先生をお護りした。
 命を賭して師匠を護る──これが本当の師弟である。
 古今東西の歴史を見ても、私ほど師匠に仕え切った弟子はいないと自負している。
 それが、私の永遠の誇りであり、永遠の勝利であり、永遠の栄光である。
 この言語に絶する師弟の道をつくってきたからこそ、学会は世界的な発展を遂げたのである。
9  名聞名利が信心を破壊
 御聖訓に仰せである。
 「(提婆達多は)名聞名利が深い者であったので、仏が人々から尊敬され、もてなされているのを妬んだ」(御書1348㌻、通解)と。さらに「提婆は妬む心が深く」(同1349ページ、通解)とも説かれている。
 「信心」を破壊し、「師弟」を破壊するのは、「名聞名利」の心であり、「妬み」の命である。
 戸田先生は、厳然と叫ばれた。
 「口ばかりで実行の伴わない、ずるい幹部は信用できない。金、権力、名声、遊びで堕落し、すぐに争い合う。だから絶対に気をつけろ。そんなやつは、たたき出せ」と。
 厳しいご指導ではあるが、学会の将来のため、清浄な広布の組織を護るため、あえて紹介させていただいた。
10  正義を叫んだ女性リーダー
 きょうは、婦人部、女子部の皆さんの代表も集ってくださった。本当にありがとう!
 皆さんの大先輩であり、女子部長、婦人部長も歴任した模範の女性リーダーの一人に、多田時子さんがいる。
 学会が一番大変な時、創価のジャンヌ・ダルクのごとく、颯爽と立ち上がり、師弟の正義を強く叫び抜いた方であった。
 多田さんは、戸田先生がつくられた女子部の人材グループ「華陽会」のメンバーでもあった。
 その「華陽会」で戸田先生は指導された。
 「師匠を信じて、いかなることがあろうと、共に戦い進みゆく人間の集まりこそが、創価学会の最大のあり方である」と。
 どんなことがあっても、師と共に!──この一念でリーダーが進んでいくとき、必ずや広布の組織は発展する。それを多田さんは、自身の行動をもって、見事に示していかれたのである。
 その精神は、今の女子部の「池田華陽会」に、脈々と受け継がれている。
11  牧口先生がご自身の「御書」に傍線を引かれ、胸に刻まれた一節の中にこうある。
 「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうど方人よりも強敵が人をば・よくなしけるなり
 今の世間を見るならば、人を立派にしていくものは、味方よりも、むしろ強い敵であるとの仰せだ。
 確かに、困難があり敵がいるから、真剣に題目があがるのだ。
 油断ならない状況であればこそ、惰性に流されやすい自分を奮い立たせ、日々、前進することができるのだ。
 その意味で、広宣流布に戦う人生は、無限の向上の歩みである。
 その感謝と誇りをもって、愛する同志に勇気と希望を贈りながら、さらに生き生きと前進してまいりたい。
 わが同志に、祝福の和歌を贈りたい。
  君もまた
    私も共に
      敢然と
    世界広布の
      肩組む嬉しさ
12  いよいよ、これからが、広宣流布の総仕上げである。
 各地の会館をはじめ広布の法城の建設にも、全同志のため、後世のために全力で取り組んでまいりたい。
 思えば、私が第三代の会長に就任したころは、学会の建物はまだ少なかった。それが今では、全国、全世界に堂々たる「平和の城」「文化の城」がある。
 この一点を見ても、学会が、どれほどの勢いで発展を続けているかがわかる。本当にすごいことだ。
 私は戸田先生の構想は、すべて実現した。今でも、世界広布のため、未来のため、どんどん手を打っている。先生は心から喜んでくださっていると思う。
 これまで私は、自分自身のことなど何一つ考えないで戦ってきた。すべてを学会のため、同志のために捧げてきた。
 目覚ましい発展の陰に、どれほどの苦労があったか。どれほどの激闘があったか。
 後継のリーダーは、このことを決して忘れてはならない。
13  広宜流布の原動力たれ
 戸田先生は言われた。
 「本陣の幹部の使命は、日本国、そして全世界の広宣流布の原動力となることである。広宣流布に走りゆく同志のために、労を借しまないことである」
 リーダーの皆さんは、常に生き生きと進んでもらいたい。
 また、周りから好かれる存在であっていただきたい。理屈ではない。「感じ」のいい、人格が光る人であってこそ、皆も、ついてきてくれるのだ。
 戸田先生は、リーダーに対しては、それはそれは厳しかった。研修会など、先生のもとで行われた訓練が、どれほど大変なものであったか。
 参加者に生命力がなかったり、いい加減な態度だったりしたら、烈火の如く叱られた。さまざまな機会を通して、私たちを訓練してくださった。
 本当に天才的な指導者であられた。
 この剛毅な戸田先生が、師匠の牧口先生の前では、これ以上ないというぐらい、かしこまっておられた。そう、うかがった。
 私もまた、戸田先生に対しては、同じような思いでお仕えした。これ以上、尽くしょうがないというほど、先生のために尽くし抜いた。
 先生の訓練の厳しさは、今の人たちには想像もできないと思う。ふつうだったら嫌になって、逃げ出してしまう。それほどの訓練だった。
 私だったから、ここまで戸田先生にお仕えすることができた。そう自負している。
 先生の訓練のおかげで、つくりあげることができた創価学会なのである。
 ともあれ、広布の労苦に一切、無駄はない。同志のため、学会のために真剣に働けば、永遠に仏天の加護があることは、絶対に間違いない。
  霊山と
    十方諸仏が
      護り来る
    我らの勝鬨
      三世に響かむ
14  恩を忘れるな
 仏典には、こう記されている。
 「善くない人は恩を知らず、恩を感じない」
 「善い人」は「恩を知り、恩を感じる人である」(中村元著「『恩』の思想」、仏教思想研究会編『仏教思想4』所収、平楽寺書店)。
 仏法は報恩の大切さを教えている。
 私は、師匠への報恩に生き抜いてきた。
 恩を忘れれば、増上慢になる。自分勝手になる。そして結局、信心が狂い、自分自身を滅ぼしてしまう。
 「正しい仏法を教えてくださった師匠が、一番の恩人です」
 心から、。こう言える自分なのか。そうではないのか。
 この違いは、あまりに大きい。「心こそ大切」なのである。
15  各国の文化を最大に尊重
 きょうはアメリカとブラジルの代表も参加されている。
 遠いところ、本当にご苦労さま! 皆で、最大に歓迎申し上げたい。
 アメリカも、ブラジルも、私の初訪問から今年で48周年。威風も堂々と、「一閻浮提広宣流布」の双壁として勝ち栄えている。
 アメリカの首都ワシントンDCでは、6月25日、40カ国以上の大使館が並ぶ通称「大使館通り」(マサチューセッツ・アベニュー)に、見事なワシントンDC文化会館が開館した。
 この新文化会館には、アメリカ国旗が掲げられ、歴代大統領の肖像画など、アメリカの伝統と文化を尊重する品々が置かれている。
 こうしたことに対して、近隣など多くの来館者から、深い共感と信頼の声が寄せられたとうかがった。
 御書には「一切の事は国により時による事なり」と仰せである。
 その国や地域の文化を最大に尊重していく。これが仏法の考え方である。
 この教え通りの前進によって、SGI(創価学会インタナショナル)の連帯は、世界192カ国・地域にまで広がったのである。
  わが同志
    一千万に
      なりにけり
    全世界は
      我らが胸にと
16  見事な大発展
 アメリカでは、今年の上半期だけで、4,000世帯の弘教が実った。
 この拡大の中心は、青年部であった。婦人部、そして壮年部も健闘してくださった。
 特に、青年部時代から頑張ってきた、私もよく知る各方面のリーダーをはじめ、若い壮年部の活躍が光っている。
 アメリカ創価大学も、まもなく8期生を迎える。
 これまで、多くの卒業生が名門大学の大学院への進学を勝ち取った。また国際機関や政府機関、一流企業等でも活躍を始めている。
 人類貢献の世界市民を育成するアメリカ創価大学を、多くの識者が讃えてくださっている。
 〈なお、SGIの平和・文化・教育の運動に対して、アメリカ社会から大きな共感と賞讃が寄せられている。
 本年3月には、アメリカ連邦議会から名誉会長夫妻に「特別顕彰状」が贈られたほか、各州・市などからの顕彰も相次いでいる〉
17  ブラジルも、見事な大発展を遂げている。
 本年の日本人移住100周年記念の行事についてもSGIの尽力で大成功することができたと、各界から最大の感謝が寄せられた。
 またブラジルでは、この5年間で2万世帯の弘教が実っている。
 〈ブラジル社会でもSGIは絶大な信頼を勝ち得ている。
 これまでブラジルの各都市から名誉会長に贈られた「名誉市民」称号は、約100にのぼる。
 さらに「南十字国家勲章」、13の名誉学術称号など、多数の顕彰が名誉会長に贈られている〉
 思えば昭和35年(1960年)のブラジル初訪問の際、私の体調は最悪の状態だった。
 しかし私は「たとえ倒れてもかまわない」との覚悟で、友のもとへ向かった。断じてブラジル広布の歴史を切り開くのだとの決心で、一人一人を全魂で励ました。そして、海外初の支部を結成したのである。
 ブラジルの友は、「不惜身命で道を開いてくださった、その師恩に何としても報いるのだ」との思いで戦ってこられた。
 私は、本当にうれしい。ブラジルは、「師弟不二の心」で勝ったと申し上げたい。
18  信心に勝るものはない。
 たとえ大金持ちでなかったとしても、喜んで広布に生きる人の胸には、信心という最高の財宝が輝いている。永遠不変の“黄金”が光っている。
 「心」が「宝」になるのである。
19  拡大の金字塔を
 きょうは、男女青年部の代表も参加している。
 青年部の時代だ。「青年部、頑張れ!」と強く申し上げたい。
 私は青年時代、折伏をはじめ、拡大の指揮を執るたびに、全国で一番の結果を残した。権力の迫害にも、一歩も引かなかった。
 歴史をつくるのだ、青年ならば。戦って戦って、戦い抜いて、勝利の金字塔を打ち立てていくのだ。
 また、壮年部、婦人部の皆さんも、全員が青年の心意気で立ち上がってほしい。
 どこまでも、若々しく、満々たる闘志を燃やして進もう!
20  よりよい社会を築くのも、その第一歩は、一人の悩める友を救うことである。
 必死の祈り。慈愛の励まし。勇気の行動。これがなければ、大いなる変革のうねりを起こすことなど、できるはずがない。
 「声」が力だ。「対話」が武器だ。
 折伏の意義について、戸田先生は、こうおっしゃった。
 「世の中に恩人は、いろいろある。しかし、御本尊を持たせてくれた恩は、三世の幸せにつながる大恩である。その恩返しをする最高の方法は、今度は自分が折伏することだ」
 心揺さぶる対話から、新しい喜びのドラマが生まれる。
21  「同じ心」で前進
 リーダーは、先頭をきって「希望の大道」「平和の王道」を切り開くのだ。格好がどうか、ではない。大事なのは、最後に「勝つ」ことだ。皆さんは、すでに「信心」という勝利への直道を知っている。
 将来にわたり、決して偉ぶることなく、皆と「同じ心」で、「同じ目線」で、戦うことだ。心を合わせ、団結して進むのだ。
 自分がどう見られるかばかりを気にして、外面を飾り、気取っていては勝てない。
 戸田先生はリーダーに強く言われた。
 「形式的な表面的な弱々しい姿で臨んでいるだけでは、どうして人がついてくるか」
 幹部のせいで戦いが進まないようでは、いる意味がない。すべては信心で決まるのだ。
 「人材をどんどん育てよ! 探せ!」と戸田先生は叫ばれた。
 ある時、先生は、衆望を集める世間の指導者について「彼は偉ぶらず、質素な服装で、仕事も、交渉ごとも、自分で真っ先にやっている。面白い男じゃないか」と評された。
 先生の人を見る目は鋭かった。内外を問わず、光る人材を愛する、スケールの大きさが懐かしい。
 こうして皆さんに指導を伝えていると、破顔一笑される先生の姿が心に浮かぶ。
 「大作は、俺が忘れてしまった言葉まで覚えているな」──と。
 師の一言一句たりとも疎かにしない。これが師弟である。
 先生は力強く呼びかけられた。
 「この戸田と共に戦ってほしい。そして、立派に成長していくのだ。たとえ、どこの地に行こうが、この戸田と共に邁進するものと、私は確信しています」
 広宣流布の大師匠・戸田先生とともに生きる!──これが私の人生である。
 そして、同志とともに、妙法の王子・王女である青年たちとともに、ますます元気に進んでいきたい。
  わが同志
    仏の王子は
      三世の誉れと
22  法を壊す悪と戦う人が菩薩
 天台大師の師匠である南岳大師の言葉に、こうある。
 「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができず、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて正法を破壊させるならば、その人は、じつは菩薩ではない」(御書1374㌻、通解)
 正法は全人類を幸福に導く。悪人は、その法を破壊する。
 悪と戦ってこそ、菩薩なのである。
 正義の師弟を貫くのは、「破折の精神」「折伏の精神」「広宣流布の精神」にほかならない。
 ドイツの哲学者カントは喝破した。
 「陰険な人間、それは思いやりがなく、冷酷で、人を傷つけて喜ぶ人間である」(高橋克也訳「人間学遺稿」、『カント全集15』所収、岩波書店)
 同じくドイツの詩人シラーは、「卑劣な人間がいるところ、嘘と陰謀がはびこる」と綴っている(戯曲「ヴァレンシュタイン」)。
 戦おう! 正義を守るために。邪悪を打ち破らなければ、いい人材は育たない。
 「清浄な創価学会の組織を撹乱する者を追放せよ」
 これが、戸田先生の厳命であった。
 また、牧口先生は、人事について「親分子分だけの関係で人事をやってはならない」と戒められたという。
 そういう人事は、結局、うまくいかないものだ。皆からも支持されない。
 広布のための組織である。決して公私混同してはいけない。
23  信心の苦労こそ最高の“学歴”
 日蓮大聖人は、「開目抄」に記されている。
 「道心(=信心)のない者は、生死(の迷苦)から離れることはできない。
 教主釈尊は、一切の外道から大悪人であると、ののしられた。
 天台大師は、南三北七の十派から怨嫉され、日本の法相宗の僧・得一からも、『(天台は)三寸に足らない舌をもって(仏説を誹謗し)五尺の仏身を断つものである』と中傷された。
 また伝教大師も奈良の諸宗の人々に『最澄(=伝教大師)は、まだ唐の都を見ていない』と言われた。
 これらはすべて、法華経のゆえであるから恥ではない。(それよりも)愚人にほめられることは第一の恥である」(御書237㌻、通解)
 正法を弘めるゆえに受ける難は、仏法者の誉れなのである。
24  この御文で述べられている伝教大師への非難は、現代的には、世間一般の「権威」「学歴」を偏重する風潮や、最先端の学問を知らない等の誹謗にも通ずるといえよう。
 伝教大師は、法華経を正しく行ずるゆえに憎まれ、悪口された。その一つが、“最澄は唐の都ではなく、「辺ぴな地方」(天台山)で学んだだけだ。ゆえに、最澄の教説は正しくない”という難癖であった。
 しかし、伝教大師の側は毅然と反論している。──大切なのは、どこで学んだかではない。だれを師匠とし、いかなる法理を学び究めたかが重要ではないか──。
 伝教大師は、「法華経第一」と知るゆえに、天台大師の正統を知る師匠から学んだ。“権威づけのため”などという考えはいささかも眼中になかった。
 今も、人の実力を判断する際に、「有名大学の出身ではない」と見下す者がいる。その根本は「増上慢」であり、間違っている。
 ことに、信心の世界で重要なのは、学歴や肩書ではない。広宣流布への信念であり、信心だ。
 広布のための苦労によって刻まれた年輪は、いわば“学歴以上の学歴”なのである。これが大聖人の御精神でもある。
 戸田先生も、伝教大師の入唐の史実を通して、「戸田大学」の意義を語ってくださったことがある。
 当時、私は苦境に立つ先生を支えるため、通っていた夜学も断念せざるをえなかった。
 先生は、おっしゃった。──広宣流布の土台をつくってくれ。学問は、俺が教える──と。
 約10年間、真剣な講義が続いた。日曜には戸田先生のご自宅で、朝から晩まで勉強したこともあった。
25  庶民の城を守れ
 歴史学者のトインビー博士と対談した際、博士は、「私は世界のいくつかの大学から名誉博士を贈られています。あなたは必ず私以上に、世界中から名誉博士号を贈られるようになるでしょう」と励ましてくださった。
 博士の言葉通り、皆さんを代表して、世界の学術機関から拝受した名誉学術称号は「242」となった。
 これらはすべて、「戸田大学」の薫陶のおかげであると、私は思っている。
 また、学会は庶民の団体である。
 今から振り返ると、あの苦闘の日々に、いわゆる有名大学ではなく、戸田先生のもとで学んだこと自体が、“庶民の城である学会を護れ! 学会幹部は絶対に権威を振りかざすな!”という、先生の言外の指導であったように思えてならない。
 本当に偉大な先生であられた。
 広宣流布の正しき師匠のもとで、正しき法を求め、学び、実践していくことが、どれほど仏法の本義に則っているか。“創価の師弟の大学”に学びゆく青春ほど、崇高な道は絶対にない。
 かつて「唐の都」であった西安(長安)は、鳩摩羅什によって法華経が翻訳された地である。
 その西安市の市長は、法華経を実践する学会の理念に共感し、学会が進める日中友好、平和・文化・教育の運動に対する協力を借しまないと語ってくださった。〈西安市は1999年、名誉会長に「栄誉市民」称号を贈っている〉
 法華経の正統を受け継ぐ学会の大前進を、伝教大師も喜んでおられるに違いない。
26  権威を恐れれば民主主義は破壊
 「行動」こそ青年の証しである。戸田先生は語られた。
 「社会の不幸に目をつぶって、宗教の世界に閉じこもり、安閑とただ題目を唱えているだけなら、大聖人の立正安国の御精神に反している。
 この世の悲惨をなくす。不幸をなくす。人権を、人間の尊厳を守る。平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践があるのだ」と。
 この「戦う心」を忘れ去ったのが、日顕宗である。
 「民衆に慕われながら、民衆の生活の中に飛び込んで広宣流布していくんだ」と、率先して陣頭指揮をとられる戸田先生だった。
 先生は、こうも言われた。
 「権威なんか恐れることはない。だれ人たりとも恐れる必要はない。権威を恐れていては民主主義が破壊される。それでは民衆が、かわいそうではないか。あくまで主権在民である」と。
 どこまでも、民衆が強くなるため、民衆が賢くなるための学会活動である。最高幹部は心しなければならない。
27  暑さが厳しい。
 健康にくれぐれも気をつけて、楽しく、有意義な日々であっていただきたい。
 最後に──
  おお師弟
    同志の歌あり
      創価かな
 と贈り、記念のスピーチとしたい。また元気にお会いしよう!

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