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新時代第20回本部幹部会 広布第2幕第10回全国青年部幹部会

2008.7.16 スピーチ(聖教新聞2008年上)

前後
1  ブラジルの著名な音楽家ヴィラ=ロボスは言った。
 「“歌”を歌える民衆は、あと一歩で幸福を勝ち得るのだ」
 わが恩師の戸田先生もまた、「学会は、歌とともに戦い、歌とともに進もう」と呼びかけられた。
 こうした先哲の言葉の通り、わが学会には歌声が響きわたっている。真実の団結と勝利の姿が、ここにある。
 きょう歌ってくれた皆さん、ご苦労さま!
 万歳だ! 本当に、上手であった。皆で、もう一度、賞讃の大拍手を贈りたい。ありがとう。
 〈幹部会で、壮年部の代表、アメリカ創価大学の有志、創価大学に学ぶ学生部・女子学生部の代表が合唱を披露した〉
 18世紀の大音楽家モーツァルトが作曲した歌の一節にこうある。
 「太陽の輝きは夜を追い払い、偽善者のよこしまな力を打ち砕く」(荒井秀直訳『モーツァルト 魔笛』音楽之友社)
 青年の正義の歌声こそ、「太陽の輝き」である。青年の団結の歌声こそが、皆の前進の行進曲となり、邪悪な陰謀を打ち破っていく力となるのである。
2  20世紀ブラジルの文豪ギマランエス・ローザは綴っている。
 「人生が私たちに要求するのは勇気である」「勇気とは、心をはずませるものなのである」(中川敏訳「大いなる奥地」、『筑摩世界文学大系83』所収、筑摩書房)
 人生の勝利の第一条件は「勇気」である。
 勇気の人は、どんな試練があろうとも、前へ前へ進む。ゆえに、必ず道が開かれる。
 戸田先生は、指導された。
 「信心とは、金剛の勇気である」「力ある人生を生きるのだ」「一緒に連戦連勝の人生を生き抜こう!」と。この通りに、金剛の勇気で連戦連勝の人生を楽しく前進しよう!
3  全国の同志の皆様方、そしてまた海外の同志の皆様方、毎日の広宣流布の大闘争、本当にご苦労さま! いよいよ、わが学会も、本格的な総仕上げの段階に入った。
 これまで懸命に広布に励み、学会に尽くしてくださった同志を大きく宣揚させていただきながら、私は、世界の人たちが仰ぎ見る堂々たる「平和と文化の大牙城」を盤石に築いてまいる決心である。
 皆様の子孫末代までもが誇りに思える素晴らしい創価学会を、後世に残して差し上げたいのである。
4  貴国の宝とは?
 ここで、中国の歴史家・司馬遷の『史記』から、一つのエピソードを紹介したい。
 中国のいにしえの「魏」という国の王(恵王)が、「斉」という国の王(威王)に言った。
 「わたくしの国は小さいのですが、それでもなお、直径一寸の珠で、車の前後それぞれ12台を照らすものが10個もあります。
 どうして、貴殿のような万乗の大国(=兵車1万乗を出す国。ここでは大諸侯)で、宝物が無いことがりましょうや」(吉田賢抗著『新釈漢文系89』明治書院)
 それに対して、斉の王は、淡々答えた。「わたが宝とするとこのものは、王と異なっております」(同)と。
 それでは、斉の国の宝とは何か。
 斉王は答える。
 それは──素晴らしい4人の人材であり、それぞれが責任を担う地域を厳然と守り、よく治めてくれている。
 この4人の宝の人材の輝きは、遠く千里の先まで照らすであろう──と。
 どんな財宝をもってしても、真の「国の宝」とはいえない。物ではないのだ。
 真の国宝とは、人材なのである。人間なのである。これが斉の国王の考え方であり、歴史家・司馬遷の鋭い着眼であった。
5  「核」を固めよ
 斉の国には4人の宝の人材がいた。
 法華経で説かれる地涌の菩薩の中にも、四菩薩といって、上行、無辺行、浄行、安立行という4人のリーダーがいる。
 何事をなすにも、「核」となる人間が大事である。
 学会の前進においても、戸田先生は、4人とか、6人とか、中核となる人材をつくって、その地域、地域で土台を固めていくことが大事だと考えておられた。そうした観点からの人材育成にも、私は力を入れてきた。
6  菩薩とは誰か
 約1200年前、像法時代に「法華経」を弘めた日本の伝教大師(最澄)は記している。
 「国の宝といわれ、国を利するものといわれるものは菩薩でなくして誰であろうか」(勝又俊教訳「山家学生式」、『古典日本文学全集15』所収、筑摩書房)
 国の宝といわれ、国に真に利益をもたらすものは、だれなのか。
 それは、(法華経に説かれている通り)菩薩であるとの大宣言である。
 それでは、末法の今、大聖人の仰せ通りに、妙法を唱え弘め、人々のため、社会のため、国家のため、そして世界平和のために、地涌の菩薩の行動をしているのは、一体、だれなのか。
 それは、わが創価学会の同志以外にはいないと断言したい。
 私たちは、その誇りを持つべきなのである。
7  権力者だから、偉いのか。大富豪だから、偉いのか。
 人間の価値が、そんなことで決まると思うならば、とんでもない間違いだ。
 いわんや、三世を貫く、大宇宙の法則である仏法から見るならば、人間の権力の世界など、まったく、とるにたりない存在にすぎない。恐れることなど何もない。
 この偉大なる仏法を実践する私たちこそ、法華経に説かれた「菩薩」であり、最高に尊い「国の宝」「世界の宝」なのである。
 諸天も諸仏も、私どもを護らないはずがない。それを確信していただきたいのである。
 遥かな境涯の高みから、一切を悠然と見おろしながら、真実の幸福の大道を、勇敢に、また朗らかに進んでまいりたい。
8  「狼狽えない当惑もしない」
 「下から上を動かせ」──これが牧口先生の指導であった。
 先生は、強大な国家権力に対して、堂々と正義を主張された。
 「下から上へ」変革の波を起こす。これが民主主義である。妙法の世界である。
 皆、同じ人間だ。生命は平等に尊い。正義に生きる庶民こそ、真の王者なのである。
 戦時中、牧口先生は「今こそ国家諫暁のときではないか」と叫ばれた。臆病な幹部たちは動揺した。
 しかし、戸田先生だけは違った。こう言われていた。
 「私は狼狽えもしなければ、当惑もしなかった。それは、牧口先生が、私にとって大恩人であり、慈悲深い師匠であり、同じ血の流れを感ずる親でもあったからである」
 学会が弾圧されるなか、戸田先生は師弟の道をまっすぐに歩まれた。牧口先生とともに牢獄に入り、最後まで戦い抜いていかれたのである。
 戸田先生の牧口先生に対する姿勢。それは、あまりにも厳粛であられた。
9  戸田先生は門下に、こう語られた。
 「折伏は、戸田が師匠である。
 師弟の縁が決まった以上、皆さんは、幸福になりなさい。信心と折伏によって、戸田の一門として貫き通していきなさい」
 こう戸田先生が言われた通り、私は、先生の弟子として生き抜いた。
 先生の偉大な思想を、厳然と継承し、世界中に広めてきた。
 そのことを、心ある識者は正視眼で評価してくださっている。
10  関西の山下婦人部長の新出発、おめでとう!
 功労者であった父母も喜んでおられることだろう。
 未来の広布の歴史に、誉れの名を残していただきたい。
11  創大生の活躍
 創価大学、そしてアメリカ創価大学の皆さん、素晴らしい合唱、重ねて、「ありがとう!」と申し上げたい。
 うれしい。本当にうれしい。未来を開く希望の歌声だ。上手だった。
 アメリカ創価大学3期生の藤井君はいるだろうか?〈元気に返事が〉
 藤井君からの報告を、ここで紹介させていただきたい。これを読んだ妻も、心から喜んでいた。
 藤井君は現在、ハーバード大学の大学院で、統計学、計量経済学を研究している。
 ブラジルの詩人であるセシリア・メイレレスは言った。
 「学ぶということは、間断なき人生の中で、更なる勝利を常に勝ち取っていく力である」
 創大生、アメリカ創大生の学問の勝利を、私は日々、心から祈っている。
 藤井君が、最先端の研究を進めている中で、2003年にノーベル経済学賞を受賞したエングル博士の論文を読んでいた時のことであった。
 その論文には、ある日本人の名前が何度も掲載されていた。その日本人とは、エングル博士の研究に貢献した学者である。
 その経済学者こそ、創価高校・創価大学1期生の馬場善久君である。
 〈エングル博士の論文には、馬場教授とエングル博士ら4人の学者のイニシャルをとった「BEKKモデル」が紹介されている〉
 馬場君は現在、わが創価大学の副学長を務めている。大きな活躍をしていて、本当にうれしい。
 私は馬場君を、学園生の時代から、じっと見守ってきた。
 彼が学園を卒業する時、彼を含む代表の何人かとともに、帝国ホテルで食事をした。将来、世界的な学者、日本の最高峰の学者になってほしいと期待していた。
 私は、長い人生経験の中で、人間の底の底まで見てきた。人の真価は分かるつもりだ。
 戸田先生の人物観は鋭かった。
 先生は、二人きりの時、私に、こう言ってくださった。
 「信頼できる人間は少ないものだ。本当に信頼できて、何でも話ができるのは、大作、お前だけだよ」
 うれしかった。私は先生に尽くした。それはそれは、一心不乱に尽くし抜いた。
12  後輩の道を開く
 さて、馬場君の故郷は北海道である。私は北海道へ行き、函館でご両親とお会いした。ご両親は会場の提供者でもあられた。
 馬場君は、私の期待に応えたい、絶対に応えたいと決心した。そのことは、よく分かっている。
 創大を卒業した後、アメリカで研究し、博士号を取得。
 1期生として、後輩の道を断じて開く。創価大学を世界の大学に仕上げる、その道をつくる──こうした強い決意をもっていた。
 真面目な知性の人である。1期生として、堂々と、業績を残している。
 そして今、母校の創大から、ノーベル賞級の知性を続々と育てたいという決心で、山本学長とともに奮闘している。きょうは、大学の授業のために来ていないが、くれぐれもよろしく伝えていただきたい。
 次の人材を育てたい──これが、私の強い願いであり、決意である。
 隠れた、偉大な、素晴らしい玉のような人材が、今、創価学会には燦然と輝き始めた。
 人材の流れは、これからも、世界中に広がり、新たな時代へと水かさを増していくだろう。
 楽しみだ。頑張ろう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
13  青年が成長せよ
 晴れ晴れと大勝利の「広布第2幕第10回全国青年部幹部会」、本当におめでとう!
 青年だ。青年の時代である。
 戸田先生も、青年に最大に期待し、こう語っておられた。
 「学会は、実践の団体だ。青年たちが早く立派に成長せよ! なんといっても、これからの学会を背負っていくのは青年である」
 私は19歳で戸田先生の弟子となった。ずっと先生のお側でお仕えした。
 先生は「大作! 大作!」と、いつでも、どこに行かれても私を離そうとしなかった。
 夜中に電話で呼ばれて、タクシーで急いで、先生のもとへ向かったこともあった。ありとあらゆる訓練をしていただいた。
 当時、私よりも年上の、年配の幹部は大勢いた。しかし、先生が本当に信頼し、未来を託そうとされていたのは私だった。青年だった。
 人間は、年を取ると、どうしてもずるくなる場合ある。要領に走り、自分が威張る。
 そうした傾向があることを、先生は鋭く見破っておられた。
 私も、戸田先生と同じく、ずっと青年の育成に力を注いできた。
 次の時代を担いゆく指導者を訓練し、育ててきたのである。
14  若き連帯を!
 今回、創価学会インドネシアとともに「平和芸術祭」を大成功で飾ったインドネシア青年会議は、約9,000万人の青年の集いである。この団体は、創価の師弟に心からの信頼を寄せてくださっている。
 さらに、わが青年部が深く交流を結んでいる中国の全青連(中華全国青年連合会)は、3億5,000万人の青年団体である。
 ともあれ、時代を動かすのは青年だ。そういう「波」ができはじめた。学会の青年部に、世界が大きな期待を寄せてくださっている。
15  平和を願い、民衆を結びゆく創価の運動に対して、数多くの国や都市、団体等から顕彰が相次いでいる。世界一の栄誉である。
 思えば、戦時中、私は4人の兄を兵隊に取られ、長兄は戦死した。17歳の時、疎開先に建てた家は空襲で焼けてしまった。
 戦後も肺病を患いながら働いた。そういう大変な状況のなかで、戸田先生と出会った。
 私は偉大な師匠と出会い、本当の人生を出発しようと決心した。決然と一人、立ち上がった。そして、きょうまで戦い抜いてきた。
 戸田先生の弟子として、すべてをなげうって師匠に仕えてきた。
 世界中で、これほどまで師匠を大事にした人はいない。
 そう言えるくらい、師匠を大事にし、師匠に尽くし抜いた。だからこそ、今日の私がある。
 ともあれ、平和芸術祭に出演した創価学会インドネシアの友は、立派でした。どうか、よろしくお伝えください!
 創価の青年は「世界の柱」である。「人類の眼目」である。「世紀の大船」である。「誇りも高く、若き連帯を広げて勝ちまくれ!」と申し上げたい。
16  功徳は絶対
 海外15カ国・地域からおいでくださった皆さん、重ねて本当にありがとう! ご苦労さま!
 アフリカのカメルーンの皆さん、地区結成30周年、おめでとう!
 先ほどは、ディコンゲ理事長の感動的な報告、本当にありがとう! 5年間で3倍の拡大、見事です!
 知性派の理事長である。健康そうで、うれしい。
 アメリカの皆さん!
 きょうはアメリカSGI(創価学会インタナショナル)の機関紙・誌の2人の女性の編集長も参加しておられる。〈「ワールド・トリビューン」と「リビング・ブディズム」の編集長〉
 尊い言論戦、本当にご苦労さま! 偉大な歴史を残されました!
 また、ブラジルの懐かしい皆さん、お待ちしていました!
 ブラジル霧島会は25年前、九州で結成。ブラジル「5・3」グループは20年前、日本の研修会で結成。
 ブラジル青藍会は20年前に、日本で青年研修を行った際に結成。ブラジル21世紀池田会は、15年前、私のブラジル訪問の際に結成された。
 おめでとう! ブラジルは頑張りました。うれしいです!
 ブラジルは本当に遠い。日本まで何時間かかりますか?〈会場から「30時間です」との声が〉
 私も何度かブラジルへ行ったから、その大変さがよくわかる。すごいことです。遠い道のりを越え、仏法を求め来た功徳は大きい。絶対である。
 ニュージーランドの婦人部の皆さん、模範の人材育成、本当にありがとう!
 スペインの皆さん! 元気そうで、うれしい。スペインは遂に勝ちました! 邪宗門を完全に打ち破って、この17年間で30倍に拡大した。本当におめでとう! すごいことです。
 それから、フィリピンの皆さん! 先日、私は240番目の名誉学術称号を貴国の国立ベンゲット大学からお受けしました。
 すべて、皆さんと一体の栄誉です。ありがとう! 海外からお見えになったすべての方に、もう一度、皆で拍手を贈りたい。
 ともあれ、一番、苦労した人こそが、一番、平和に、一番、幸福に生きる権利がある。そういう方々を大切にする社会を築くのが、我らの行進である。
17  第2次世界大戦中、ナチスと戦ったイギリスの首相・チャーチルは、「油断大敵」を訴えていた。
 たとえ状況が良くなっても、油断をすれば負けてしまう。そう考えていたのだろう。
 一方でチャーチルは、イギリス本土がナチスの激しい爆撃を受けても、悠然としていた。街に出て行って、人々を励ました。
 チャーチルが指揮を執ったから、イギリスは勝利したと見る人は少なくない。
 いよいよ大成長の夏である。最高幹部は決して油断することなく、同志が皆、健康で、無事故で、悠々と勝利していけるよう、賢明なる指揮をお願いしたい。
18  楽しく戦い 楽しく勝つ人生を
 青年にとって、夏は挑戦の季節だ。
 何事も、勝利するためには、努力だ。題目だ。「○○の鬼」と言われる執念があってこそ、後世に輝きわたる歴史は築かれる。
 スイスの思想家ヒルティは言った。
 「さあ、前進だ、断固として『より高きをめざせ』」(草間平作・大和邦太郎訳『幸福論 第3部』岩波文庫)
 遠慮などいらない。悔いを残してはならない。父母のため、多くの友のために、勇敢に前へ前へと進むのだ。
 若き諸君の晴れやかな勝利を、私は心から祈り、待っている。
19  リーダ一革命を
 格好主義では発展はない。どうしたら現実に広宣流布を進めていけるか。この一点を、一生懸命、祈りに祈り、苦労し抜いていくのがリーダーだ。
 同志と接する時も、心から讃え、励まし、感謝していくことだ。皆、広布を進めてくださっている大事な方々である。
 皆の奮闘を、決して当たり前と思ってはならない。まして、上から見おろして、苦労を押しつけるなど、もってのほかである。
 師のために! 同志のために!──まず自分が立ち上がる。
 この魂が燃えたぎっているのが関西だ。頼むよ!
 リーダー自らが、求めて信心を錬磨するのだ。自分を革命するのだ。そこからしか、新しい時代は開けない。
20  きょうは、台湾から2人の女性リーダーが来てくださった。陳秦秦ちん・しんしん婦人部長と、呉安ジご・あんじ副学術部長である。ありがとう!
 戸田先生は女性に対して、こう指導された。
 「形だけの幸福に憧れるのではなく、永遠に続く、決して崩れることのない絶対的幸福の確立のために信心をしていくのです。目的観を高く持ちなさい」
 創価の女性は、この恩師の言葉通りに、各地で生き生きと進んでおられる。
 尊き台湾の同志が、どれほど苦労を重ねながら、社会に貢献し、信頼を広げてこられたことか。台湾は見事に大勝利しました!
21  私が対談したトインビー博士は最高峰の歴史学者であった。対談のきっかけは、博士からの手紙である。
 ──私は仏法を深く知りたい。仏法者である池田会長と語り合いたい──こういう思いでおられた。博士とは、歴史に残る語らいを残すことができた。
 戸田先生はおっしゃっている。
 「われわれの目的は、日本一国を目標とするような小さなものではない。
 日蓮大聖人は、東洋にとどまることなく、全世界の果てまで、この大白法を伝えよと仰せなのである。
 なぜならば、大聖人の仏法の五字七字は、実に宇宙に遍満し、宇宙をも動かす大生命哲学であるからだ」
 私がこれまで重ねてきた、世界の知性との対話は、この先生の思いを具現化するためのものでもある。
 これからは、青年部の皆が、立派に成長することだ。青年部は、同志が信頼できる指導者になってもらいたい。柱になってもらいたい。人がどうあれ、自分が真実の弟子になるのだ。役職の上下など関係ない。
22  命の続くかぎり闘いをやめない
 戸田先生が会長に就任される前後、外からは、先生に対する非難中傷があり、学会の中にも、先生に罵声を浴びせて去っていく者がおり、まさに嵐の真っただ中といってよい状況だった。
 私は20代。先生のお体を心配し、医師の手配もした。「全力で支えますから、心配しないでください」と申し上げることもあった。
 戸田先生は、体の強くなかった私の将来を思い悩まれた。
 ──大作には苦労をかけてしまった。学会を支え、折伏の勢いを上げ潮にし、私を支えてくれた。おれの代わりに生きてほしい──と慟哭されることもあった。これが、戸田先生と私の「師弟」の関係である。
 あの、強気で、世界一、大確信に燃える先生の、弟子を思う心を胸に、私は幾多の苦難を乗り越えてきた。
 正義に生き抜く真剣な闘争がなければ、この美しい師弟の道は、わからないであろう。
 戸田先生は、「広宣流布は、命がけの労作業である。私は、命の続く限りい闘いをやめない」と言われた。
 私も、訳ったく同じ思いである。
23  今、私が対談を進めているアメリカ実践哲学協会会長のルー・マリノフ博士は語ってくださっている。
 「現代の宗教運動の中で、創価学会ほど対話に焦点を当てて、活動を推進されている団体はありません」と。
 世界の知性と私の対談集は、現在、進行中のものを含めると、60点を超える。
 ゴルバチョフ元ソ連大統領からも、もう一度対談したいとの強い要請があり、第2の対談集の準備が進んでいる。
 さらに今回、光栄なことに、インドネシアのワヒド元大統領からも、新たな対談集のご提案をいただいた。イスラムと仏法を結ぶ歴史的な対話となる。
 「人間の尊厳」「生命の尊厳」を守りゆく知性との連帯は、今や地球を包む広がりとなった。我らの友好の舞台は限りなく大きい。
 世界の平和のため、人類を結ぶ対話の大潮流を、仏法者である私たちは、さらに強めてまいりたい。
24  対話の最先端を
 古今東西の思想にも、対話形式で表現されたものが数多い。
 ギリシャの大哲学者プラトンの著作の数々は、師匠ソクラテスを中心とする対話として生み出された。中国の大思想家・孔子の『論語』は、孔子と弟子たちの対話である。
 皆、対話を重視していたのだ。
 釈尊の「法華経」。これも、釈尊が弟子に語りかける、対話のドラマである。
 日蓮大聖人の「立正安国論」も対話形式だ。
 対話こそ、人々の心を通わせながら、平和的に、優れた思想へと至る方途なのである。
 その最先端の道を、私は歩んできたつもりである。
 いわゆる「論文」は一般には難解な場合がある。その点、対話形式であれば、深い内容も平易な語り口で論じていける。ゆえに私は、対談集に力を注いできたのである。
25  立正安国の精神を世界へ未来へ
 この7月は、日蓮大聖人が、「立正安国論」を、世界へ、未来へ宣言された月である。〈文応元年(1260年)7月16日〉
 先ほども申し上げた通り、「立正安国論」では、主人と客の「対話」が展開される。
 民衆の幸福のため、国土の安穏のために、「しばしば談話だんわを致さん」と。
 それは、「蘭室の友」の交わり──すなわち、高貴な蘭の花が咲き誇るように、最極の信念と人間性が香る対話の世界である。
 この「立正安国」の真髄の対話を、獄中にあっても、厳として貫き通されたのが、殉教の先師・牧口先生であられた。
 看守や取り調べの検事に対して、正々堂々と破邪顕正の仏法対話を展開されたのである。
 敵さえも、味方に変える。いな、だれ人たりとも救わずにはおかない──その深き祈りが脈打つ対話であった。
26  師弟の誉れ
 ここで、近代日本の夜明けを開いた、吉田松陰と高杉晋作の師弟に触れたい。
 吉田松陰は、1830年(天保元年)8月生まれ。高杉晋作は、1839年(天保10年)8月生まれ。年齢差は9歳であった。
 戸田先生は、吉田松陰と高杉晋作がお好きであった。ご自身を松陰に、私を晋作に重ねられた。事実、先生と私は、波瀾万丈の師弟の歩みとなった。
 吉田松陰と高杉晋作の出会いは、1857年(安政4年)の秋ごろ。松陰が開いた松下村塾に、晋作が入門した。
 松陰28歳、晋作19歳の時である。
 そして翌年7月、晋作が江戸に向かうまでの約1年、松陰の教えを受けたのである。
 1859年(安政6年)7月、松陰が江戸で入獄すると、普作は東奔西走し、だれよりも師を支えた。
 松陰は晋作に“10年間、実力を磨け”と指導している。
 そして、この年の10月、晋作は藩命により萩へ向かう。この旅の途上、松陰は江戸で刑死する。享年30歳であった。
 1863年(文久3年)の正月、晋作は同志とともに、師匠である松陰の墓を、罪人用の小塚原から、若林村(=現在の世田谷区内)のよき地に改葬した。
 その墓の前で、晋作は”師の仇を必ず討つ”と厳然と決意する。これが師弟である。
 師のために、墓を移しさえした。あのような所は、師にふさわしくない。もっと、よき場所にいていただきたい──こういう心境であったであろう。
 そんなことまで──と思われるほど、師匠に仕え抜く。これが師弟の誉れである。
27  焦点は青年
 1864年(元治元年)3月、高杉晋作は脱藩の罪で入獄する。そこは、10年前に師・松陰が入ったのと同じ牢獄であった。
 晋作は、3カ月の投獄を耐え、生きて牢を出た。そして、1866年(慶応2年)、晋作の陣頭指揮の中、長州は幕府軍に勝利。そして明治維新へと、大きく歴史を動かした。晋作は、師の仇を討っていったのである。
 戸田先生は、日本の軍部政府によって獄死させられた牧口先生の仇を必ず討つと誓い、日本の広宣流布の基盤を築かれた。
 私は、全世界に妙法という平和の大哲理を弘めることで、戸田先生の仇を討った。
 師の仇は弟子が討つ──これが、創価の正義の血脈である。
 焦点は青年である。青年の時代である。頑張ろう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 戸田先生のもと、私は数々の重要な戦いの指揮を託された。そして敢然と勝利した。
 私は、学会を、戸田先生を厳然と守った。諸君も、麗しき創価の師弟の世界を、守り抜いていただきたい。
 私は、本当の戸田先生の弟子である。本当の師弟を知っている。ゆえに学会は、ここまで大きくなったのだ。
 戸田先生も、牧口先生も、どれほど喜んでおられることか。諸天も我らを護り、世界的な学会になった。
 師弟を見失えば、広宣流布の前進はない。これだけは、はっきりと言い残しておきたい。
 これが根幹だ。ほかは枝葉にすぎない。婦人部の皆さん、よろしく頼みます! 青年部、頑張れ! 愚かであってはならない。
28  勝利の魂を君に
 1867年(慶応3年)4月。師との出会いから10年後に、高杉晋作は病死する。享年29歳。明治が始まる前年であった。
 戸田先生は、晋作と同じように体の弱い私を心配し、「大作が死んだら、学会はどうなるのか」と嘆かれていた。医師から「30歳まで生きられない」と言われていたからだ。
 しかし、私は、勝った。すべてに勝ちました! あらゆる障魔を打ち破り、社会を変え、平和と幸福の大連帯を世界に広げた。
 この師弟勝利の魂を今、私は、真の後継の青年部に託したい。
 皆さんが一番の頼りである。青年こそ、学会の宝であるからだ。頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
29  無敵の信念を!
 きょうは、アインシュタイン博士の話をしておきたい。
 博士はドイツ出身。20世紀最大の物理学者。20代で特殊相対性理論を発表するなど、物理学史を画する数々の理論を構築した。
 1922年、博士は日本を訪問。慶応大学で行われた講演には、牧口先生と戸田先生も聴きに行かれている。
 戸田先生は博士を深く敬愛しておられた。私も大好きな人物である。
 私は、世界平和国際教育者協会から、博士の名を冠した「アルバート・アインシュタイン平和賞」を拝受した(1999年6月)。非常に深い意義を感じてならない。
 1933年、博士はナチスの迫害のなか、アメリカに亡命。一生涯、平和のための行動を貫いた。
 1955年、博士と哲学者のラッセルは、世界の大科学者とともに、核廃絶を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表する。この宣言に名を連ねたポーリング博士、ロートブラット博士とも、私は対談集を発刊し、アインシュタイン博士の精神を縦横に語り合った。
 〈池田名誉会長は、ポーリング博士と対談集『「生命の世紀」への探求』を、ロートブラット博士とは対談集『地球平和への探究』を発刊している〉
 アインシュタイン博士は述べている。
 「破滅への道にはつねに理想に対する口先だけの奉仕が伴っていました」(湯川秀樹監修、井上健・中村誠太郎編訳『アインシュタイン選集3』共立出版)
 大事なのは実践だ。行動することだ。
 また、博士は次のように語っている。
 「真に価値あるものは多数の人々の個人を超えた協同作業によってのみ達成しうるのです」(同)
 平和への価値を創造する我らも、異体同心の団結が要である。
 さらに博士は、ガンジーの非暴力の闘争について述べている。
 「強固な信念によって支配されている意志というものが、一見無敵と思われる物質的な力よりも強い」(同)
 信心こそ、最強無敵の信念なのである。
30  「背信の徒にほまれなし」
 中世の大詩人であるショタ・ルスタヴェリは叫んだ。
 「敵の中で一番恐ろしい敵は、友のふりをする敵である」(袋一平訳『虎皮の騎士』理論社)
 〈ルスタヴェリは12、13世紀に、黒海沿岸のグルジアで活躍した詩人。グルジアの首都トビリシは、シルクロードの都市として知られる〉
 弟子のふり、同志のふりをする敵に、惑わされてはならない。
 また、ルスタヴェリは鋭く悪を糾弾する。
 「背信の徒にほまれのあったためしはない」(同)
 「人間にとって友を裏切るよりも悪いことがあろうか?」(同)
 いわんや、師匠を裏切り、同志を裏切る人間は、一番悪い。口先や肩書ではなく、実際に何をしたかが大事なのである。
31  師匠直結で進め
 戸田先生は、ある会合の席上、学会歌の指揮を執る青年部をご覧になりながら、こう大宣言された。
 「皆さん、この青年部の諸君に、どうか期待をしてください。この若者たちが、大法戦をやり遂げる入たちです。この青年部がいる限り、創価学会は、絶対に盤石である」
 青年部、頼むよ!
 青年部が師の心をわが心として進めば、何も恐れるものはない。いかなる障魔も、打ち砕くことができる。
 青年部は、師匠直結で進むのだ。
 牧口先生には、戸田先生という、師の心を知る弟子がいた。そして戸田先生には私がいた。私には信頼する君たちがいる。頼むよ!〈会場から「ハイ」と力強い返事が〉
 また、ある時、戸田先生はこう語られた。
 「途中に何があろうが、最後に勝て! 断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ」
 これを忘れずに頑張ろう!
32  どうか、お元気で! 張り切って生きよう! 張り切って進もう!〈ここで名誉会長の導師で唱題した〉
 長時間、ご苦労さま! これから、さらに暑くなる。健康こそ、すべての土台である。どうか体に気をつけて、楽しい夏を迎えてください。
 また、元気にお会いしよう! 楽しく戦って、楽しく生きて、楽しく勝利していきましょう! 海外の皆さんも、ありがとう!

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