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日蓮大聖人・池田大作

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広布第2幕第9回全国青年部幹部会 全国学生部幹部会

2008.6.7 スピーチ(聖教新聞2008年下)

前後
2  ともあれ、明るい明るい、牧口先生の生誕記念日の翌日に、牧口先生の名を冠した殿堂に、真実の創価学会の後継者が集まったことは、まことに深い意味がある。
 大切なのは青年だ。後継者だ。偉くなり、年を取ると、威張ったり、堕落したりする人間がいる。どんな団体でも同じである。
 未来は青年で決まる。きょうは学会の宝である青年が集った。
 皆さん方をはじめ青年部の中から、牧口先生の精神を受け継ぐ世界的に偉大な大指導者・大教育者が、必ず出るだろう。日本の政財界において、重要な役職を持って大活躍する人も、何人も出るだろう。
 社会でも力を持ちながら、本当に学会を愛し、大事にする。わが身をいとわず、広宣流布のため、学会のために戦う――そういう人が集まってくださった。
 広布の歴史に、誉れの名を残しゆく皆さんである。
 こう思って私は、青年部幹部会に力を入れているのである。
3  後継の人材群よわが舞台で光れ
 第9回の全国青年部幹部会、おめでとう!
 偉大な後継の青年部幹部会、そして英知の学生部の幹部会、意義深き17の「大学会」の結成、すべてを含めて、万歳!
 皆さん方、青年が成長すれば、学会の勝利は間違いない。こう私は確信している。
 きょうは、アメリカ創価大学の英才も参加している。手を挙げてください!〈「ハイ!」と元気な返事が〉
 はるばると、よく来たね! 偉いです。ありがとう!
 戸田先生が、最後に結成されたのは学生部であった。
 そして私が第三代会長となり、最初に結成したのは高等部である。44年前のきょう、昭和39年(1964年)6月7日が結成の日である。
 きょうは、高等部の代表も、本当にありがとう!
 お母さんを大事にね!
 お母さん、お父さんに親孝行をしている人?〈「ハイ!」と元気な返事が〉
 すごいね! みんな、嘘はついてないね!
 お父さん、お母さんに、よろしくお伝えください!
 また、日本を代表する芸術部、スポーツ界の皆さん! 皆さんの堂々たる勝利を、私たち1千万の同志は、一生懸命、祈っています。
 頑張ってください。お題目を送ります! 皆で拍手をしよう!
 さらにきょうは、全国の離島からも、遠いところ、本当にご苦労さま!
 ありがとう! 帰られたら、地域の皆様によろしくお伝えください!
 〈席上、名誉会長は高等部やアメリカ創価大学の代表を壇上に招いて、心からの励ましを贈った〉
4  「『エミール』を読んでいます」
 それは、昭和25年(1950年)の秋10月――。
 戸田先生の事業が、最大の苦境にあった時である。その日の夜も、私はともと戸田先生にお供して、都内を奔走し、目黒駅まで先生をお送りした。
 目黒へ向かう電車の中で、先生は「大作、今は何を読んでいるか」と尋ねられた。
 あまりに忙しくて本をよく読めていない時でも、先生に対して、いい加減なことは言えない。「では内容は?」と聞かれて、すぐ答えに窮してしまうからだ。
 しかも先生は、私がまだしっかりと読んでいない本に限って、「内容を言え」と聞いてこられる。
 先生に「読んでいません」とは言えないし、いい加減に「読みました」と返事もできない。
 だから、何を聞かれてもいいように、本当に必死に本を読んだ。
 また先生は、自身が交友を結んできた作家や文学者に、私を紹介してくださった。私は詩人の西條八十氏、作家の山岡荘八氏らとお会いした。すべて、先生の薫陶であった。
 本当に偉大な先生であった。その頭の鋭さは世界一であった。天才的な指導者であられた。
 牧口先生もまた、世界的な大学者であられた。
 今、世界の良識が、お二人の偉業を讃える時代に入った。
 ともあれ、私は、その場で「ルソーの『エミール』を読んでいます」とお答えした。
 先生は私の口調で、本当かどうか、わかってしまう。
 「そうか、『エミール』か!」と先生。
 「じゃあ、内容を言いなさい」
 まるで非情な捜査官のようである。
 『エミール』は、私が10代の終わりから繰り返し読んできた本である。私は、自分が知ったところを全部、話した。
 先生は「そうだな」とうなずかれ、「ルソーはいいな」とおっしゃられた。そして『エミール』の内容について、ずっと電車の中で語り合ったのである。
5  「師匠は正しい」との大確信で!
 私は、戸田先生をお護りするために、一切をなげうった。
 戸田先生は、戦時中、軍部政府の弾圧で一緒に牢獄に入った牧口先生について、“牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった”とまで語っておられた。
 こんな方は、ほかにいない。私は、こうした戸田先生の言葉を聞いて「本当にすごい師弟だ」「これが仏法だ」と直感した。
 私もまた、師匠のためにすべてをなげうって戦おうと決めた。
 事業が破綻した時、先生は絶体絶命の状況だった。先生を支えるために、私は夜学も断念した。
 先生が窮地に陥るや、手のひらを返したように先生を罵る人間も出た。「戸田君」と呼んで下に見て、威張る人間もいた。多くの弟子が去っていった。私は、どこに行っても悪口を言われた。
 何もかもが大変だった。本当に地獄の苦しみのような、悪戦苦闘の日々であった。
 しかし、私は確信していた。「私の師匠は正しい!」「仏法は正しい!」と。
 そして、苦闘の中から立ち上がった。師弟で、一切を勝ち越えてきた。だからこそ、今日の学会がある。
 このことを、若き皆さんは深く心に刻んでいただきたい。
 今は、学会には立派な会館もある。人も多い。組織もできあがっている。
 昔に比べれば、恵まれた環境であろう。しかし、あまりに恵まれていると本当の人材が育たない場合がある。
 ゆえに青年は、自ら苦労を求めていくことだ。苦闘を乗り越え、勝ち越えていくことだ。
6  苦闘の中で万般の学問を
 戸田先生は、私が夜学を断念したことを気にかけておられた。「大作、悪いな。私の事業が失敗して」と言われることもあった。
 そして先生は、毎朝の個人教授を通して、万般の学問を授けてくださったのである。
 日曜には先生のご自宅で学んだ。先生自らご飯を炊いて、食事を用意してくださることもあった。
 苦境を脱した後、戸田先生は立ち上がり、第二代会長に就任される。私は先生とご一緒に、また陰で支えながら、学会を全面的に立て直した。
 それはそれは苦しい戦いであった。
 私は、いつも先生と一緒だった。
 夜中に呼ばれて、先生のもとへ駆けつけたことも、何度かあった。
 本当に365日、一刻たりとも先生のもとを離れない――そういう思いでお仕えした。
 一生懸命、仕えて仕えて、仕え抜いた。妻が一番よく知っている。
 戸田先生は体の弱かった私を心配して、“大作には、苦労ばかりかけてしまった。大作は、30歳まで生きられないかもしれない。大作が倒れたら学会の未来はどうなるか”と言って、慟哭された。
 “俺が身代わりになるから、大作には長生きしてもらいたい”――そう涙する思いで、私のために祈ってくださった。
 これが、師匠の姿であった。
7  今まで私は、皆様方を代表して、世界各地から「237」の名誉学術称号をいただいた。
 すべて、大変に重みある栄誉である。イタリアのボローニャ大学、イギリスのグラスゴー大学などでの式典も、大変に荘厳であった。アメリカのハーバード大学での2度の講演も、よき思い出である。
 イギリスの大歴史学者トインビー博士は、私との対談を終えて語られた。「私は世界のいくつかの大学から名誉博士を贈られています。あなたは必ず私以上に、世界中から名誉博士号を贈られるようになるでしょう」と。
 牧口先生、戸田先生、そしてトインビー博士も、創価の思想に対する信頼の証しである、これら名誉学術称号の授与を、必ずや喜んでおられるであろうと確信している。
 文化・教育における、創価の師弟の闘争。その徹底した、また透徹した勝利の証拠は、厳然であると申し上げておきたい。
8  新時代の起爆剤
 思えば、牧口先生もルソーの『エミール』を評価しておられたと、戸田先生からうかがった。ルソーは“新しい教育の光を放った”――そう牧口先生は記されている。
 教育小説『エミール』は1762年に発刊された。一人の教師が、一人の若者エミールを、どのように導き、育成していくかを描いている。
 教育論はいうまでもなく、人間論、宗教論、社会論など、ルソーの思想の集大成でもある。
 ルソーの思想は、新時代を創る起爆剤となった。
 戸田先生も、「フランス革命には、火つけ役がいた。それが、ルソーである」「大作、そう思わないか」と語っておられたことが懐かしい。
 キューバのカストロ前国家評議会議長とは、とても話が合い、長時間、語り合った。
 彼も青年時代、「わたしの師、ルソー」と尊び、ルソーの『社会契約論』をポケットに入れていた(桑原武夫編『ルソー』岩波新書)。
 ドイツの大詩人ゲーテは、「ルソーとともに新しい時代がはじまる」との言葉を残した(同)。
 私は今、宣言したい。「創価の青年とともに、新しい時代が厳然と始まった!」と。
9  ルソーは『エミール』で、恩人に対して感謝の念を持つことは、人間の自然な感情であると綴っている。
 「恩人から忘れられても恩人を忘れることがあるだろうか。反対に、彼は恩人のことをいつも喜んで話し、恩人のことを考えては感激しているのだ」(樋口謹一訳『ルソー全集第6巻』白水社)
 この『エミール』は、“報恩の書”でもある。
 ルソーは、生まれてすぐ、母を亡くした。貧しいゆえに働きに出た先でいじめられ、荒れた苦悩の青春時代を送っていた。
 その時に出会った、誠実な無名の人間教育者が、10代後半の若きルソーを温かく励まし、人生について語り、導いてくれたのである。
 それから約30年後、大哲学者となったルソーは、『エミール』の中で、その大恩を高く宣揚して、深く感謝を捧げたのである。
10  民衆の力こそ一番偉大
 世界的に有名な核物理学者で、ノーベル平和賞を受賞したロートブラット博士の言葉を紹介したい。
 私も博士と2度にわたって語り合い、対談集を発刊した。立派な方であった。
 博士は、アメリカ創価大学、沖縄研修道場にも来訪してくださった。
 博士は語った。
 「池に小石を投げれば波紋が広がります。その波紋は小さくなっていきますが、完全に消えることはありません。そして、どんな人にも、社会を変えていく、この波紋を生み出す力がある」
 いわゆる“偉い人”が時代を変えるのではない。有名人が偉いのでもない。どんな人にも変革の力がある――これがロートブラット博士の慧眼である。
 我々も、時代を変え、世界を善の方向へと変えていく力を持っている。民衆の力こそ一番偉大なのである。
 頑張ろう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
 また博士は語る。
 「大事なのは連帯です。連帯すれば、世界を変えていけるのです。それは時間がかかるかもしれませんが、長い目で見れば、最後には、民衆が勝利するのです」
 博士は学会の価値を見抜いておられた。
 先日、私も「SGIの日」記念提言などで訴えてきた、“悪魔の兵器”とも呼ばれるクラスター爆弾を禁止する条約案が採択された。
 これは、NGO(非政府組織)など、民衆の連帯が大きな力となって勝ち取られたものである。
 今は亡きロートブラット博士も、さぞかし喜んでおられるだろうと、先日も妻と話していた。
 民衆の声、青年の連帯に勝る力は決してないのである。
11  師匠の夢の実現こそ弟子の使命
 私が入信したのは昭和22年(1947年)。その当時、創価学会の会員数は実質、わずか500人から600人ほどであった。
 昭和26年(1951年)、戸田先生の会長推戴の名簿に署名した会員は、約3,000人。
 それを、若き日の私が陣頭に立って、大拡大へと転じたのである。
 蒲田支部の2月闘争もそうだ。当時、「A級支部」でも、折伏は「1カ月で100世帯前後」が限界とされていた中で、200世帯を突破した。
 毎月の折伏成果が発表される。
 遅々として進まない状況をご覧になった戸田先生は「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう」と嘆かれた。
 その壁を、私が破ってきたのである。
 男子部の第1部隊では、1年で3倍以上へと、青年の連帯を拡大した。
 文京支部も、最下位クラスから第一級の支部へと変えた。
 北海道・札幌の夏季折伏においては、毎日、同志と御書を拝し、折伏精神を燃え上がらせ、日本一の弘教を達成したのである。
 山口での開拓闘争も誇り高い。山口の重要性を深く知る戸田先生が「大作、手を打ってくれないか」と私を派遣された。わずかな期間で10倍の拡大を成し遂げた。
 大阪支部では、1カ月の折伏で11,111世帯である。東京も、他の地域も、太刀打ちできない。不可思議なる、永遠の金字塔を打ち立て、恩師にお応えしたのである。
 関西の、この結果に、日本中が驚いた。焼きもちを焼く人間もいた。
 しかし戸田先生は、私のことを、いつも気にかけ、「大作は、どこに行った」「今、どこにいるのだ」と言われていた。弟子がかわいくて、かわいくて、仕方がない。それが本当の師弟である。
 先生に、私は弟子として徹底してお仕えした。人はどうあれ、どこまでもまっすぐに師弟の道に生き抜いてきた。
 戸田先生が立ち上がって掲げられた、75万世帯の願業達成への突破口を開いた。
 さらに、先生の後を継ぎ、第三代会長に就任して10年で、悠々と750万世帯を完遂した。
 御本尊に、そして戸田先生に、「完遂いたしました!」と胸を張ってご報告できる。私は先生の本弟子である。
 創価学会も今や、世界192カ国・地域に広がる大陣列となった。
 後は青年部である。青年部に全力を挙げたい。
 青年部が成長し、後を継ぐ以外にない。青年部に、新たな拡大の歴史をつくってもらいたい!それこそが、ただ一つの私の願いである。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 〈宗門に対しても、名誉会長は、外護の赤誠を尽くしてきた。学会が寄進した寺は356カ寺を数える。広大な土地も寄進してきた。また学会が本山を護るために行った登山会には、のべ7,000万人が参加した。
 こうした大恩にもかかわらず、金がたまったのをいいことに、問答無用で学会を切り捨て、裏切ったのが極悪の日顕宗である。
 狂いに狂った日顕宗は、800万人の真心で建立した正本堂までも破壊した。これほどの不知恩の暴挙が許されるはずがない。御書に照らし仏罰は間違いない〉
12  あれがイフ島か
 さて、19世紀フランスの文豪デュマの名作と言えば?
 〈会場の青年部から、「『巌窟王』です」「『モ・ンテ・クリスト伯』です」との返事が〉
 その通りである。日本では『巌窟王』の名前でも知られる、『モンテ・クリスト伯』。
 この名作も、戸田先生のもとで読んだ忘れ得ぬ、一書である。
 主人公は、着き船乗りエドモン・ダンテス。
 彼は、周囲の悪党に陥れられて、まったくの冤罪で、絶海の孤島であるイフ島に幽閉される。
 この地中海に浮かぶイフ島の監獄(シャトー・ディフ)を、1981年6月、私は、マルセイユの丘に立って一望した。
 “ああ、あれがイフ島か”──感慨深かった。『巌窟王』をめぐり、先生と縦横に語り合った思い出が蘇った。
 先生から教えていただいたことを、私は、一つ一つ、この目で確かめ、この身に刻みつけていったのである。
 亡くなる直前、先生が「メキシコに行った夢を見たよ。皆、待っていてくれた」とおっしゃったことがあった。
 師の夢を実現するのが弟子の使命である。
 私は、メキシコにも行った。恩師が願われた通り、メキシコにも広布の組織をつくった。教育・文化の交流にも尽くしてきた。メキシコの著名な大学から名誉博士号もお受けしている。
 〈メキシコからは、グアナファト大学「最高名誉博士号」、グアダラハラ大学「名誉博士号」、人文統合大学「名誉人文学博士号」が名誉会長に授与されている〉
 思えば、戸田先生は、一度も海外に行かれたことはなかった。
 私は、先生のお写真を胸のポケットにしのばせて、先生と対話しながら世界広布の旅路を進んだのである。
13  恩人には真心で 悪人には峻厳に
 主人公ダンテスは、14年間の投獄に耐え抜いて、やがて、「モンテ・クリスト伯」となって社交界に現れる。
 そして、お世話になった善良な恩人たちには、真心からの恩返しを果たしていった。
 その一方、残忍な悪人たちには、峻厳に仇討ちをし、懲らしめていくのである。
 戸田先生ご自身が、執念の「巌窟王」であられた。しばしば、先生は、「広宣流布の巌窟王でいかねばならない。私もその決心だ」と弟子に語られた。
 また先生は、次のように厳しく叫ばれた。
 「無実の罪の牧口先生を苦しめ、正義の牧口先生を牢獄で殺したものに、私は、血がたぎるような憤りを覚える。
 私は、巌窟王となって、必ず、牧口先生の仇を討つ!しかし、それは血を流す復讐などではない。必ず広宣流布をすることである」と。
 戸田先生は、全身に怒りをたぎらせて、師匠の牧口先生の仇討ちを固く固く誓われた。
 ただし、仇討ちといっても、個人的な仕返しのようなものではない。血を流す復讐でもない。
 それは、戦時中、正義の師匠を迫害し、獄死させ、多くの人々を不幸のどん底に落としていった権力の魔性と戦うことであった。
 そしてまた、虐げられてきた民衆を目覚めさせ、民衆に力を与え、手と手を結び合って、真実の平和と幸福の社会を築いていくことであった。
 すべては、我らの広宣流布の運動に含まれているのである。
 私も、青春のすべてを広宣流布に捧げ、初代、二代の仇を討ってきた。
 諸君も、青年ならば、正義の仇を討っていくのだ。広宣流布の巌窟王となって、創価の真実を語りに語り、信頼と友情の連帯を大きく広げながら、「平和と人道の世紀」を、「民衆の勝利の世紀」を、ともどもに築いていただきたいのである。
14  覚悟の人は強い
 この『巌窟王』の物語を、戸田先生は、「水滸会」の人材教育、実践教育の教材として読ませてくださった。
 先生は、獄中のダンテスの心の変化を通して、こう語られた。
 「最初は、いつ牢獄から出られるかを問題にして、あくせくしていたが、やがて、一生出られないと分かってきた。
 難を受け、牢獄に入った場合、一生涯、出られなくてもかまわない。一生涯、戦い通してみせると、死ぬまで覚悟することだ。そうすれば強い。そうすれば勝っていくのだ」と。
 ご自身の獄中闘争と重ねての結論であった。
 革命児は、この巌のごとき信念を持つことだ。
 私も、その信念で厳然と生きてきた。
 私が交友を結んだ南アフリカのマンデラ前大統領も、この信念で、27年半の投獄を勝ち抜かれた。そして出獄後、来日された折、わざわざ、私のもとまで会いに来てくださったのである。
 世界の“人権の巌窟王”を、大勢の青年たちとともに、聖教新聞社で大歓迎させていただいた。その柔和な笑顔の奥に、鋼鉄の意志が光っておられたことが忘れられない。〈最初の出会いは1990年10月。2度目は95年7月〉
15  私は戸田先生の弟子である。ゆえに何があっても迷わない。圧迫にも微動だにしない。
 嘘八百の暴言で、恩師の戸田先生を貶める悪人とは妥協なく戦い、正していった。恩師を見くだし、軽んじ、敵対していった傲慢な人間は、断じて許さなかった。
 厳然と創価の師弟の城を護り、師弟の正義を全世界に宣揚してきた。
 巌のごとき信念を持つ。無限の勇気を奮い起こして行動する──それが本当の信仰である。
16  青年ダンテスは、獄中で、同じく囚われの老神父ファリアと出会い、師と仰いで、万般の学問を学んだ。
 師匠の老神父は、弟子のダンテスに、自身の持てる学問をすべて授け、智慧を磨いてくれた。
 戸田先生と私の関係も同じである。
 事業の破綻という最大の苦境と戦う中で、先生は、私に学問を授けてくださった。美しい師弟であった。
 試練の中で学んでこそ、学問は実を結ぶ。知識は光となる。そのことを、苦学し抜かれた先生は深く知っておられた。
 “恵まれた環境だから、勉強ができるのではない。君も今は大変だろうが、すべてに意味があるんだぞ”──『巌窟王』を通して、先生は、このように教えてくださったのである。
 師匠の老神父は、弟子のダンテスに、こう語っている。
 「人智のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ」(山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』岩波文庫)
 皆も、苦しみに負けてはいけない。言うに言われぬような苦難と戦ってこそ、「智慧の鉱脈」を見つけることができる。ここに『巌窟王』の大きなテーマがある。
 トインビー博士も「悩みを通して智はきたる」との古代ギリシャの詩人の言を一つの信条とされていた(吉沢五郎著『トインビー 人と思想』清水書院)。博士は戸田先生と考え方が、よく似ておられた。
 「雄々しく不幸に立向かわれたことによって、りっぱな、強いお方におなりなのです、こうして、不幸は転じて幸運となります」(同)
 『巌窟王』の忘れ得ぬ一節である。仏法の「難即悟達」「難即仏」の法理にも通じる。
 妙法を持った諸君は、不屈の創価の巌窟王と立ち上がっていただきたいのだ。
17  陰謀を見抜け!
 『巌窟王』には、こうもある。
 「このわたしは、陰謀の全部をちゃんと見ぬいているのですから。だいじょうぶ。いったんそれを見ぬいた以上、こっちの勝にきまっています」(同)
 一切の悪人の陰謀を見抜くのだ。そして、粘り強く信心を貫いていくのだ。そこに勝利の要諦がある。
 『巌窟正』の物語の最後の言葉は何であったか?
 「待て、しかして希望せよ!」(同)である。
 どんなことがあっても、「希望」を忘れてはならない。
 どんな思うようにいかぬ苦境にあっても、忍耐強く、祈りまた祈り、未来への大道を切り開くのだ。これが『巌窟王』の精神である。
 若き皆さん、希望を持って、勝利を勝ち取ろう!
18  南条時光の如く
 日蓮大聖人は、広布に戦う青年・南条時光が22歳のころ、次のような御文を贈っている。
 「しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい」(御書1565㌻、通解)
 若きあなたは、信心を持った青年は、絶対に偉大になる。勝利者になる。そうならないはずがない──力強い励ましが胸に迫ってくる。
 法難の中で、卑劣な裏切りもあった。
 正しき信仰ゆえに、時光は、権力者から圧迫を受ける。経済も困窮する。
 そして弟の突然の死去。また後には、自身も大病に襲われた。
 “信心をして、どうしてこうなるのか”──そう周囲の人の目には映ったかもしれない。
 しかし、そうしたすべてを勝ち越えて、大聖人の若き弟子として、「勝利の王者の証し」を打ち立てたのが、南条時光の姿なのである。
 戸田先生もよく、「南条時光を見習っていけ」と言われていた。
 皆さん一人一人が、「新世紀の南条時光」になって、何があろうと、強き信心を貫いていただきたい。
19  環境を嘆くな!
 また、大聖人が佐渡で著された御聖訓には、こう仰せである。
 「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光(=仏が住む国土)の都となるであろう」(御書1343㌻、通解)
 たとえ、質素なアパートや借家でも、小さな自宅であったとしても、広布へ戦う場所は、すべてが寂光土である。
 幸福は環境では決まらない。誉れ高く、その場所で、わが人生を生き抜いていくことだ。
 広宣流布の師弟に生き抜くならば、いずこにあっても、また何があっても、今、自らが戦う使命の場所を必ず、本有常住の常寂光土として、光り輝かせていくことができる。これを忘れてはならない。
 自分の運命を嘆く必要などない。人をうらやむ必要も、まったくない。誇り高く、勇んでわが舞台で戦い抜くのだ。
 これを大聖人は教えてくださっている。
 これで勝とう!
20  「運命」200周年 新しい道を開け
 ドイツの大音楽家ベートーベン。
 今年は、交響曲第5番「運命」の完成から、200周年にあたる。いつも頑張ってくれている、音楽隊、鼓笛隊、合唱団等への感謝を込めて、べートーベンの青年時代の決意を紹介したい。
 「自分はこれまでの仕事に満足していない。今から新しい道を歩む」(小松雄一郎編訳『新編ベートーヴェンの手紙』岩波文庫)
 私たちは、人類の「新しい道」を開いていかねばならない。
 この心意気でいこう!
 次に、19世紀の大音楽家シューベルト。
 ベートーベンよりシューベルトのほうが好きな人のために。
 シューベルトが作曲した歌「希望」には、こう謳われている。
 「古き世を拒み/人は/新らしき/世を望み求めて止まず」「希望こそ 人の命」(『世界大音楽全集 声楽篇第4巻 シューベルト歌曲集Ⅳ』音楽之友社)
21  希望を胸に進もう!
 アメリカの人権の指導者・キング博士は、高らかに宣言した。
 「さあ始めよう。新しい世界を築くための長く苦難に満ちた、しかし美しい闘いに我らの身を捧げよう」(鈴木有郷訳「ベトナムを越えて」、『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』所収、新教出版社)
 素晴らしい言葉だ。胸から離れない。キング博士の関係者の方々とは、今も、おつきあいさせていただいている。
 そして、ロシアの文豪ゴーリキー。
 「諸君のまえには『古き世界との訣別』および新しきものの創造という、完全に明瞭なそして偉大な仕事が立っている」(石山正三・和久利誓一訳「評論」、『ゴーリキー選集5』所収、青木書店)
 青年の力で、新しき人間主義の世界を創っていただきたい。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
22  正義と真理が人間の第一の義務
 再び、フランスの思想家ルソーの英知の言葉に学びたい。
 先ほど紹介した、名作『エミール』には、こうある。
 「人類を構成しているのは民衆だ。民衆でないものはごくわずかなものなのだ」
 「いちばん人数の多い身分こそいちばん尊敬にあたいするのだ」(ともに今野一雄訳『エミール』岩波文庫)
 民衆が大事にされる時代──一歩一歩、そうなりつつある。いな、そうしなければならない。
 さらにルソーは、次のような真理の言葉を記している。
 「正義の人は悪人をけっして許すことができない」(山路昭訳「ボルド氏への最後の回答」、『ルソー全集第4巻』所収、白水社)
 悪とは絶対に妥協しないことだ。そうでなければ、バカにされ、そのうえ、悪い方向に引っ張られる。情けないことだ。悪を鋭く見破るのだ。
 「悪人に対して恐るべき人間になりえないとしたら、どうして彼は善良な人間でありえようか」(同)
 これも、ルソーが書き残した箴言である。
 「わたしは、真理のために受難するということほど偉大で美しいことを知らない」(桑原武夫編『ルソー』岩波新書)
 妙法のため、大善のために難を受ける。これ以上に偉大なことはない。
 「正義と真理、これこそ人間の第一の義務である」(西川長夫訳「演劇に関するダランベール氏への手紙」、『ルソー全集第8巻』所収、白水社)
 その通りだ。仏法に通じる。これを胸に刻んで私は生きてきた。
23  『エミール』で、ルソーは、女性を尊ぶ重要性を指摘している。
 「女性がその影響力を失っている時代、女性の判定が男性になにももたらさなくなっている時代は不幸なことよ。それは堕落の最後の段階だ。よい習俗をたもっていた民族はすべて女性を尊敬していた」「大きな変革はすべて女性から起こった」(ともに前掲『エミール』)
 女性が輝く世界──そうなるように、今、私は全力を挙げている。
 どうしても日本は、島国根性で、男性が威張る傾向がある。命令ばかりで、自分は何もせず、女性に押しつける──そんな男性は最低だ。リーダー失格である。
 男性は、女性に最敬礼して、女性を尊重すべきであると思うが、どうだろうか。
 これを、麗しい伝統にしてまいりたい。
24  ルソーは、こうも述べている。
 「傲慢さの生む錯覚は現代の最大の悪の源泉である」(樋口謹一訳「エミール(下)」、『ルソー全集第7巻』所収、白水社)
 傲慢な人間は、すぐに“自分は偉くなった”と勘違いする。これまで反逆していった人間は皆、そうだった。
 「彼らはわたしの生命をうばうことはできるが、わたしの自由をうばうことはできない。彼らがどんなことをしようと、彼らの束縛、彼らの牢獄のなかでも、わたしは自由を保持するだろう」(前掲『ルソー』)
 どんな状況にあっても私の心は自由だ!──これが、ルソーの大確信であった。
 私がお会いし、親交を結んだロシアの文豪ショーロホフ氏は、「民衆は征服することはできない」(横田瑞穂訳『静かかなドン』岩波文庫)と結論した。
 民衆が一番強い。どんな権力者も、民衆にはかなわない。
 この民衆を育てたのが、仏法であり、日蓮大聖人である。仏意仏勅の創価学会なのだ。
 戦おう! 偉ぶり威張る人間を、見おろして生きよう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 きょうは長時間、ありがとう!

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