Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表者会議  

2008.5.27 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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2  一青年の決心
 青年部の皆さんは、若き日に、見事なる広宣流布の大闘争をしていただきたい。
 私は、青年時代、あらゆる場所で、勝利の歴史を打ち立ててきた。
 あの「大阪の戦い」でも、不可能を可能にして勝った。
 大阪は敗色濃厚であった。あまりにも厳しい戦いだった。その激戦地に、戸田先生は、私を派遣されたのである。
 幹部のなかには、私が負けることを望む、嫉妬の人間もいた。異体同心の団結を阻む、師子身中の虫であった。
 しかし、私は、師の命を受け、勇気百倍であった。戸田先生に「分かりました。大丈夫です。勝ってみせます」と申し上げ、一青年として、決然と戦いに挑んだ。
 そして、その誓いの通りに、師匠に勝利をご報告したのである。
 かつて、戸田先生は言われた。
 「各組織の報告を見ても、リーダーの熱と確信が、いかに活動の発展に響くかは明瞭である」
 最後の勝負は、環境で決まるものではない。戦う一念があるかどうか。師匠に応える、との一念があるかどうかで決まるのだ。
3  何度も確認していることであるが、学会は、永遠に、どこよりも女性が輝く団体として進んでまいりたい。
 女性を軽んじたり、下に見たりするような人間に、リーダーの資格はない。
 健気に広宣流布を進めてくださっている女性に、心から感謝し、敬意を表しながら進む。そして、女性を守り、先頭に立って戦う。
 男性は、そうした紳士でありたい。
 「女性を大事に」──これが学会の伝統である。
 困難との戦いが可能性を開花
 「、アメリカを代表する哲学者のジョン・デューイ。その生涯や思想を研究する、著名な教育研究団体である「ジョン・デューイ協会」のガリソン会長の言葉を紹介したい。
 「デューイ博士は、困難に立ち向かうことが、成長のための不可欠の条件であると考えていました。
 なぜなら、困難と戦うことによって、自身の可能性を引き出すことができるからです。
 創価学会の歴史は、それを証明しております」
 〈ガリソン会長は、こうも語っている。
 「池田博士は、邪悪な権威との戦いを通し、仏法のヒューマニズムを世界に開かれました。
 それは、人間の可能性の思想を、全世界に開かれたということです」
 名誉会長は、デューイ協会第1号の「終身名誉会員」に就任することが決定している〉
 人間の可能性を開花させるのが、創価の運動である。
 世界が我らの前進を待っている。
 私は、万年の未来へ、壮大なる「平和の法城」を、「人材の大城」を、すべて完壁に築き上げていく決心である。
 皆さんのため、働いて、働いて、働き抜いて、広宣流布の大道を開いていく。
 いよいよこれからである。生まれ変わったような決意で進みたい。
 私と同じ心で、学会創立80周年の2010年に向かって、勇んで進んでいただきたい。〈「ハイ!」と力強い返事が〉
4  ガリソン会長は、創価教育にも、大きな期待を寄せてくださっている。
 アメリカ創価大学(SUA)を訪問された際も、「SUAは想像を超えた発展が期待できる」と語っておられた。
 学生のため、献身的に尽力してくださっている大学関係者の皆様に、創立者として、心から感謝申し上げたい。
 デューイといえば、創価教育の父・牧口先生、そして戸田先生も深く敬愛しておられた。
 はるかな時を越え、今、デューイの魂を継ぐ識者が、お二人の理想を体現した学府に、最大の敬意を表しておられるのである。
 不思議な縁である。牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでおられることだろうか。
5  「本部第2別館」も、建設の槌音高く、明年の夏に、堂々と完成の予定である。〈旧・常光会館の跡地に建設される。地上7階・地下1階建て〉
 この場所には、もともと、日中友好の先駆者として尽力された高碕達之助氏のご自宅があった。
 実業家であり、政治家の高碕氏は、周恩来総理に、いち早く“創価学会を重視すべきです”と進言された方である。
 氏は、逝去の5カ月前に学会本部へ来られ、私に日中友好の未来を託された。〈昭和38年9月〉
 なお、この高碕邸の隣の敷地には、牧口先生が親交を結んだ犬養毅首相が晩年、住んでおられた。
 学会本部の周辺には、歴史に名を残した方々が多くおられたのである。
6  「信濃町」の歴史
 「信濃町」の名前は、現在の学会本部の敷地をはじめ、この地域に、徳川幕府の重臣・永井信濃守の下屋敷(本邸以外に江戸近郊に設けた控えの屋敷)があったことに由来する。
 永井家は、徳川家康から厚く信頼された側近・永井直勝に始まるとされる。この直勝の嫡男である尚政(=信濃守)は、徳川幕府の老中を務めた。貧しい人々を救う善政を行ったことでも知られる。
 直勝、そして、その後継者の尚政と弟たちは、家康・秀忠・家光・家綱の4代の将軍を忠実に支え、仕えていった。
 まさに、信念の濃き歴史を残していりた。
 なお、関西創価中学・高校のある大阪府の交野市、関西創価小学校のある枚方市にも、永井家の領地があったとされる。
7  ここ信濃町は、学問の場所でもあった。
 学会本部の東側には、明治・大正のごろ、徳川家の「学問所」があった。
 信濃町は、教育、文化にゆかりが深い天地なのである。
 戸田先生と私は、この地に、盤石な本部を築くため、毎晩のように、二人で作戦を練り、手を打ってきた。ここまでの発展を、一体、だれが想像したか。
 また信濃町や、隣接する南元町には、坂が多い。その一つ一つの名前にも、由来がある。
 たとえば、南元町には、「出羽坂」という名の坂がある。
 これは、明治維新以後、“出羽さま”と呼ばれた松平直亮なおあき伯爵(松平出羽守の家系)の屋敷が移転してきたことに由来するようである。
 ちなみに、この広大な敷地内には、「修徳園」と呼ばれる庭園があった。そこは、聖徳太子や豊臣秀吉にゆかりがあるとされる、2つの石灯などが置かれ、“東京新名所”の一つでもあった。
 松平伯爵は、徳川家血縁の名家の当主として、貴族院議員も務めた。
 青春時代から逝去するまで、じつに半世紀以上にわたり、思想家の西村茂樹氏に師事し、師匠の宣揚に生き抜いた人物としても知られている。
 このほかにも、信濃町とその周辺に縁のある人物は数多い。
 私が親交を結んだ池田勇人首相。また河田いさお大蔵大臣。
 文化人では、『南総里見八犬伝』を著した小説家の滝沢馬琴、歌人の斎藤茂吉、国学者の塙保己一、社会主義者の堺利彦、作家の長田幹彦、保育事業家の徳永ゆき、内科医学の権威である西野忠次郎・慶応大学名誉教授らがいる。
 学会本部の地元の皆様への、尽きせぬ感謝と敬意を込めて、ご紹介させていただく。
 〈信濃町の歴史などについては、五十嵐喜市編集・発刊『信濃町の今昔』、『新・信濃原の郷土史』本社刊、『永井直勝』一行院刊、『日本弘道会百十年史』社団法人日本弘道会刊等を参照した〉
8  沖縄の友「島の全員を幸せに!」
 本部幹部会のインターネット放映に、全国各地で大きな反響が広がっている。
 〈これまで映像が見られなかった離島・山間部などでも、インターネットによって本部幹部会の映像を見ることができるようになった。
 徐々に会場が増え、今月は、全国157会場でインターネットによる放映が行われた。
 会議の席上、各地から寄せられた喜びの声が紹介された。
 今月、初めて放映が行われた徳島県の美馬郡つるぎ町では、放映会場の参加者の半数以上が友人だった。
 友人は「創価学会には、青年が大勢いますね」「元気が出ました。長生きできます!」等と、笑顔を輝かせていたという。
 小笠原諸島の父島・母島のメンバーは「毎月、池田先生とお会いできるようになりました。師匠を求める心に、距離は関係ありません!」と。
 青森県の五戸からも「過去最高の結集になりました。地域の名士からも、お祝いのメッセージをいただきました」との報告が寄せられた。
 熊本・天草諸島の湯島では、盛大に放映開始の記念セレモニーが行われ、20人以上の来賓・友人が出席した。
 ある来賓は語っていた。
 「池田名誉会長のスピーチは、本当に素晴らしかった。その内容、声の張りなどすべてにおいて圧倒されました。これまで長年、聖教新聞を講読してきましたが、実際にスピーチされる名誉会長を見て、さらにその人物に引き込まれました」
 「名誉会長は、本当にすごい方です。名誉会長をリーダーとして活動されている皆様と、これからも互いに手を取り合って、島の発展に尽くしていきたいと念願しております」
 また4月から放映が始まった、岡山県の瀬戸内海に浮かぶ北木島の友は、「池田先生を北木島にお迎えしたようで、夢のようです!」と。
 会場提供者の夫妻は、学会への嵐が吹き荒れた昭和53年(1978年)、地域の中心者が退転した際も、多くの同志を励まし続けた。これまで30年以上にわたり、拠点を提供している。
 沖縄・伊良部島の婦人部の友は、次のように感動を。
 「サバニ(小舟)を漕いで、島から島を渡り、どんな困難も乗り越えて勇敢に折伏に歩いてきた多宝会の方々が、涙、涙で放映を見ていました。池田先生の心を心として、一人も残らず、島の人々を幸せにしてまいります!」〉
 このインターネット放映が実現した陰には、関係者の皆様の真剣な祈りと、創意工夫の努力があった。
 また、会場を提供してくださっている皆様にも、心から感謝申し上げたい。
 ありがとうございます!
9  民衆に信念を
 「憲政の神様」と讃えられた犬養毅首相は述べている。
 「正義ハ終局の勝者也」(『新編 犬養木堂書簡集』岡山県郷土文化財団)
 犬養首相は「創価教育学支援会」のメンバーであった。牧口先生の大著『創価教育学体系』には、揮毫を寄せてくださっている。
 犬養首相は、こうも述べている。
 「宗教を観て、第一に遺憾に思うのは、現代の宗教が民衆に向かって活動して居ない一事である」「願わくはなお一歩を進めて民衆の上に働きかけて貰いたい」(犬養毅・鵜崎熊吉著『犬養毅の世界』書肆心水)
 特に犬養首相が強調したのは、宗教は、家庭の母たちに信念を与えるべきだとの点であった。
 多くの母たちに信念を贈る──まさに今日の創価学会である。尊き婦人部の皆様の姿である。
 ロシアの大文豪トルストイは綴った。
 「母なる女性よ、この世の救いは何人にもましておん身らの掌中に握られているのである」(米川正夫訳「さらば我ら何をなすべきか」、『トルストイ全集16』所収、岩波書店。現代表記に改めた)
 なかんずく、人類の希望は、深き哲学をもつ創価の母なる女性にかかっている。世界一の婦人部、万歳!
10  徳川家康は、鎌倉幕府の歴史を通して、次のように語ったという。
 「鎌倉を亡ぼす者は鎌倉である。おごりの弊害はこのようであるから、戒めないではおれない」(岡谷繁実著、江崎俊平訳編『名将言行録』社会思想社)
 滅亡の原因は、外側ではなく、内側の慢心にあるというのだ。歴史の教訓として、学会も心しなければならない言葉だ。
 これからの学会を支える、本当に立派な弟子が出てくることを、私は祈ってっている。
 私は戸田先生の弟子として、働きに働いた。マスコミなどからの無理解な非難中傷とも、すべて戦った。
 会長時代には、小林町(東京・大田区)の自宅の安全を、心配してくださる方もおられた。
 しかし私は、同志を守るためには、わが身をなげうつ覚悟であった。
 そして峻厳に公私の別を貫いた。
11  折伏精神を忘れるな!
 作家の山岡荘八氏は、『徳川家康』などの小説でよく知られている。戸田先生のもとで少年雑誌の編集長をしていた時、私も原稿依頼のためにお会いし、語り合ったことがある。ほかにも、多くの方々と出会いを刻んできた。
 戸田先生が自ら、作家に対して、「これから大作を行かせますから、一番いいものを書いてやってください」と連絡を入れてくださったことも、懐かしく思い出す。
 ともあれ、皆も、会っていくことだ。折伏精神で会っていくのだ。
 戸田先生は、「世の中に、恩人はいろいろあるが、御本尊を持たせてくれた恩は三世の幸せにつながる。恩返しの最高の法は、折伏することだ」と言われた。
 「折伏しよう」と思わない人は、広宣流布を進めよう、人間革命しようとしていない人であり、ゆえに伸びない。成長しない。
 山岡氏の小説『徳川家康』には、「この乱世に一国をひきいて立とうとする者は、それに価するだけの強さを鍛え出さねばならぬ。その強さこそが指導力になってゆくのだ」(講談社)という言葉があった。
 人は鍛えるから強くなる。戸田先生は私を、徹して鍛えられた。「広宣流布のために戦って、実績をあげるからこそ、幹部である」とおっしゃっていた。
12  先生の事業が失敗した時、私はあらゆる局面で、先生と、先生を攻撃する人々との狭間に立って戦った。
 先生の口調は、ときに痛烈で、豪放磊落な振る舞いもあった。常識をはるかに超えた、スケールの大きな先生だった。
 私は「偉大な戸田先生に、必ず会長になっていただくのだ」との思いで奔走した。
 その戸田先生に反対する人間が、学会内にもいたのである。彼らは結局、退転した。
 悪は結託する。迫害の構図は、いつの時代も似ているものだ。
 私は、先生を追い落とそうとする人間を打倒するために戦った。
 また私は、先生にあらぬ中傷を加える人間に対し、勇気をもって抗議した。たとえ私一人であっても、出向いて行って、「戸田先生は、正しい人です」と、正々堂々と訴えてきた。最後には認識を改めさせた。
 私は20代だった。肺病もかかえていた。その中で、師匠を守った戦いこそが、自分自身の大きな思い出になっている。
13  山岡氏の『徳川家康』から続けたい。
 「不平はあらゆる場合に、停滞のもとであり分裂のもとであった」(同)私には、不平を言う余裕などなかった。不平を言い立てる人が増えれば、学会も敗北の道をたどるであろう。皆の心がバラバラではダメだ。
 柱となる指導者は、正邪を峻別する力を持たねばならない。
14  南米へ! 倒れても私は行く!
 ブラジルの英知のことわざにいわく。
 「勝たんと欲すれば、苦しむことを学べ」
 本年は、笠戸丸による日本からブラジルへの移住が始まって100周年の佳節である。
 さまざまな祝賀行事が予定されていることも、よくうかがっている。
 この100年間、日本人移住者の皆様は、筆舌に尽くせぬ労苦を経て、現在の「偉大なる勝利」を築き上げられた。
 まさに、ことわざの通りである。
 さらに、ブラジルの格言にはこうある。
 「逆境が英雄をつくる」と。
 思えば、ブラジル広布の歴史も、逆境に次ぐ逆境の連続であった。
 私がブラジルに第一歩をしるしたのは、48年前の1960年(昭和35年)10月のことである。
 その年の5月3日、恩師の後を継ぎ、第三代会長に就任した私は、電光石火のスピードで日本全国に新たな拡大の旋風を巻き起こしていった。
 そして、就任から5カ月後の10月には、早くも北米に飛んだ。
 さらにその足で南米のブラジルへ向かったのである。
 当時、だれ一人、世界広布を現実のものとして考えている人間はいなかった。
 そのなかで、私は「将来、必ずアメリカの時代が来る。そしてブラジルも大発展する」と未来を見据え、打つべき手を一つ一つ確実に打った。
 最初の北米訪問で、無理に無理を重ね、体調を崩してしまった。
 しかし、「たとえ途中で倒れてもかまわない」との強い決心で、ブラジルに渡り、人類の希望の天地に妙法の種を蒔いていったのである。
15  牧口先生は言われた。
 「人生、あきらめなくてすむことが、たった一つある。それが信心である」と。
 いかなる逆境も、信心で乗り越えられないものはない。
 信心とは、無限の「希望の泉」である。「前進の力」である。
 皆さんもご存じの通り、今、ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)は、旭日の勢いで大発展を続けている。
 歴代の大統領をはじめ、国家の第一級の識者の方々も、ブラジルの友の平和・文化・教育への貢献に大きな共鳴を寄せてくださっている。
 まさに不可能を可能とした「世界広布の英雄」こそ、ブラジルSGIであると讃えたい。
 ブラジルは勝ちました! ブラジルの大勝利、おめでとう!
16  「牢獄まで」と感謝された先生
 19世紀のブラジルの詩人であり、作家であるフランシスコ・オタビアノは綴った。
 「凍てつくような逆境を味わっていない者。人生を過ごして、苦労していない者。これは、本物の人間ではない。“人間の虚像”だ。人生を通過しただけで、生きていない者だ」
 その通りである。
 戦時中、牧口先生が命を賭して軍国主義と戦われたとき、牧口先生とともに獄中で最後まで戦った弟子は、戸田先生お一人であられた。
 しかも、生きて牢を出られた戸田先生は、獄死された牧口先生を偲びつつ、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝までされたのである。
 これが師弟である。
 これが信仰である。
 私も、同じ心で師匠にお仕えしてきた。
 戸田先生が一番大変なとき、多くの人が、文句や愚痴を言って、去っていった。本当に戦ったのは、私一人であった。
 私は体が弱かったから、その点だけは、先生にご心配をおかけしたが、そのほかのことは、仕事の上でも、広布の戦いの上でも、先生にご心配やご迷惑をおかけしたことは、ただの一度もない。そういう弟子であったと自負している。
 逆境が本物を鍛え上げるのである。
17  いつも大慈悲で庶民を包み込まれた先生であったが、怒ると怖かった。皆、恐れをなして、逃げ出した。
 しかし、そうしたときでも私は、いつも一歩も引かずに、「先生、申し訳ございません」「先生、なんとかお願いします」と師の心に迫っていった。
 今、思えば、すべてが訓練であった。
 戸田先生ほどの人間指導者は世界にいない。永遠にいないであろう。
 コトッという物音一つで、何が起こったか、鋭く察知された。相手の靴の、つま先一つを見て、その人の本質を見極められることもあった。
 本当にすごい先生であった。
18  戸田先生は、力強く青年に指導された。
 「どのような状況にあっても、自分自身が深く偉大な信心に立てば、すべてを開いていける。
 自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。
 要は自分だ。自分自身に生き抜くことだ」と。
 この言葉を未来の広宣流布を担う青年部の友に贈りたい。
19  関西よ 戦う魂を受け継げ!
 さて、もう少し、ブラジルの英知の言葉に触れたい。
 「権力を乱用するものは、早晩、それを失う」
 かつて関西の地で、民衆の台頭を抑圧する権力悪と真っ向から戦い抜いた私には、この言葉の意味がよく分かる。
 わが関西には、権力と戦う魂が脈打っている。
 関西の友は、ピンと胸を張って、創価三代の不屈の闘争精神を受け継いでいただきたい。
 さらにブラジルには、このような格言もある。
 「繁栄のときに、逆境に備えよ」
 学会も同じである。繁栄のときが危ないのだ。
 もしも男性幹部が、わがままや傲慢になったときは、聡明な女性の皆さんが厳しく戒めていっていただきたい。
 家庭でも、奥さんがビシっと言うべきことを言えるところは、だいたい安定している。
 女性は、沈黙してはいけない。おかしいなと思ったら、うんと声を出して、しゃべることだ。
 そうであってこそ、皆が安心し、皆が幸福を実感できる組織となるのである。
20  生命主義の光
 栄光の5・3「創価学会の日」を、本年も世界の識者が祝福してくださった。
 世界的な心理学者として著名な、アメリカのアンソニー・マーセラ博士(ハワイ大学名誉教授)は、次のような声を寄せてくださった。
 「池田SGI会長は、私たちが他人や自然に対する責任をどう考えていくべきかについて、大きく扉を開いてくださいました。
 会長は、人類の対立が激化するなかで、人間の責任についての新しい意識を創造されています。会長はこれを、新しきヒューマニズム(人間主義)と呼んでおられます」
 「私は、これをヒューマニズムを超えた、ライフィズム(生命主義)とも呼ぶべき思想であると考えています。
 人間に、人類を超えたより大きな責任のありかを教えておられるからです」
 私のことはともかく、世界の知性が創価の思想に新しい人類のビジョンを見いだしている。
 そういう時代に入ったのである。
 〈マーセラ博士は、さらに、こう述べている。
 「私は、多くの宗教指導者のなかでも、池田SGI会長に心から敬意を寄せております。
 それは、会長が宗教をこよなく大切にしながら、しかも、その宗教という枠を超越している存在であられるからです。
 すなわち、宗教を社会貢献の上でも、哲学的な意識の上でも、まったく新しいレベルに引き上げておられるからです」〉
21  我らは、広布を担う使命においては、全部、平等である。
 だれが本当に学会を背負っていくか。広宣流布を切り開いていくか。私は、期待し、見守っている。
 皆、歩調を合わせながら、新しい人材を、どんどん伸ばしていくのだ。
 全体観に立ち、大きな責任感をもってこそ、正しい判断力もついてくる。
 新時代のリーダーの皆様に、人類初の宇宙飛行士ガガーリンの言葉を贈りたい。
 「強い意志は、人間に生まれつき備わっているものではない。
 それは、育てていくものなのだ」
 だから訓練が大事だ。
 学会の訓練を受けきった人は強い。何があっても崩れない。
 訓練されていない人を、大事な立場につけると、失敗する。
 信心の薫陶以上に偉大なものはないのである。
 私が2度お会いした、イギリスのサッチャー首相は言う。
 「熱心に働くことなくして上の立場に立った者を私は知りません。これは方程式です」
 要領だけの人間、行動なき人間は、人の上に立つ資格はない。
 また、上になればなるほど、人の何倍も働くのは、当然だ。そうでなければ、だれも、ついてこない。
 「手抜きの仕事は、生焼けのパンのようなもので、捨てるしかない」
 これは、インドの非暴力の闘士ガンジーの戒めである。
 手抜きは敗北だ。どんなに優れたスポーツ選手でも、練習で手を抜けば、力は出ない。
 ガンジーは、また「奉仕の人生こそが、唯一の実り豊かな人生である」と力説する。
 広宣流布は、民衆に力を与える仏法を日本中、世界中に弘め、人類を救いゆく聖業である。
 最高に尊く、最高に正しい「奉仕の人生」であり、最も「実り豊かな人生」である。
 誇りをもって進んでいただきたい!
22  私の願いは、皆様の「健康」と「勝利」と「幸福」である。
 特に男性は全員、偉くなっていただきたい。力をつけていただきたい。
 そのためには、人の何倍も戦い、周囲が目を恥張る結果を出すことだ。口先よりも、実践が大事だ。何もしないと、結局は、自分が損をする。
 戸田先生は、こうアドバイスされた。
 ──仕事や事業の試練は辛いものだ。しかし、すべての苦労が無形の財産となる。信心一途にやっていきなさい、と。
 女性は全員、幸福になっていただきたい。福運をつけていただきたい。そのための信心である。
23  私と一緒に!
 また、リーダーは、気取りを捨て、決して偉ぶらないで、どこまでも「一兵卒の決意で生きよ!」──こう強く申し上げておきたい。
 戦いがなければ、つまらない。喜びもない。
 学会のため、広宣流布のため、会員のために、どれだけ働いたのか──この一点こそが、その人の偉さを決める。幹部だから偉いのではない。
 アメリカの民衆詩人ホイットマンは喝破した。
 「一般に、特権を備えた特別な地位を獲得するために大衆から抜きん出ようとする野心が存在する。しかし人生の真の巨匠は、大衆の単なる一部であることに偉大さと成功を見る」(トーマス・マン著、青木順三訳『講演集 ドイツとドイツ人 他五篇』岩波文庫)
 さあ、胸を張って、元気に進もう!
 私と一緒に! 希望の歌を歌いながら!
 戸田先生は「私と一緒に進めば、必ず幸せになる」と断言された。
 仏法の根幹は「師弟」である。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」である。
 人生の一番の思い出は何か。
 広宣流布に戦うことである。
 師匠とともに戦うことである。
 これが学会の伝統であり、戸田先生に全生命を捧げた私の偽らざる実感である。
 どこまでも師匠を求め抜くことだ。師から逃げてはいけない。師を避けてはいけない。
 農家の方は、精魂こめた作物の状況を、ひと目見ればわかる。何十年間も、大勢の人を全力で育ててきた私は、一人一人の力も、課題も、勝利へのカギも、よくわかるつもりだ。
 一人も残らず、勝利者になっていただきたい。
 使命のない人など絶対にいない。堂々たる広布の大将軍になってもらいたい。何かでトップと光るのだ。わが使命の舞台で、完全勝利の名指揮をお願いします!
 わが地域に、「団結の城」「人材の園」を大きく広げていただきたい。
 一にも二にも団結して「いい人材をつくる」ことだ。「いい人材をつくる」ことが「いい組織をつくる」ことである。
 一切は人で決まるからだ。いい人材を見つけ、育て、光る人材を伸ばし、広げていかなければ勝利はない。
 ともどもに「創価の一本の道」「広宣流布の一本の道」を歩んでいきましょう!〈会場から「ハイ」と力強い返事が〉
 長時間、ご苦労さま! 本当にありがとう!

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