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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第18回本部幹部会  

2008.5.21 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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1  海外の皆さん、ようこそ! ありがとう! ありがとう!
 きょうは、懇談的に話をさせていただきたい。
 本日の会合には、海外の25カ国・地域から、わがSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーが参加してくださった。遠路はるばる、ありがとう!
 特に研修にいらした南米ペルーの皆さん! 太平洋に広がるオセアニアの皆さん! ヨーロッパの皆さん! フィリピンの皆さん! そして、ネパールとスリランカの皆さん!
 ようこそ! ようこそ! 本当にご苦労さまです!
2  会場提供の皆様に感謝
 本部幹部会は、衛星中継される全国の会館だけでなく、インターネットでも、日本列島の津々浦々に伝えられるようになった。
 これまで音声だけ伝えられていた会場にも、映像が届くようになった。
 北海道から沖縄まで、全国157の会場でインターネット放映をご覧になる皆さんに、世界の同志とともに、手を振って、ごあいさつを申し上げたい! 映ってますね!
3  インターネットで放映されるのは、離島や山間部など、交通が不便な地域が多い。
 最も苦労をしながら広宣流布を進めてこられた尊き同志の方々である。だれよりも大切にしなければならない。
 放映には、地域の名士、友人の方々も、多く参加されるとうかがっている。皆、大変に喜んでくださっているようである。
 それぞれの会場を提供してくださるご家庭の方々にも、私は心から深く御礼を申し上げたい。
4  特に沖縄では、多くの島々で放映が行われる。沖縄の皆さん、おめでとう!
 沖縄の同志が勝ち栄えていく。そのことこそ、私たちの祈りであり、世界の同志の希望である。
 沖縄の友に、皆で大声援を贈りたい!〈場内から大きな歓声があがった〉
 いつも、すべては沖縄から始まる。桜も沖縄から咲く。
 沖縄が勝てば、日本中が勝つ! 沖縄が負ければ、皆も元気がなくなってしまう。沖縄は、使命深き天地である。
 沖縄から、勝利と栄光の旋風を巻き起こしていただきたい。
5  戸田墓園を彩る8千本の桜絵巻
 先日、北海道・厚田の戸田記念墓地公園で、恒例の「観桜の集い」が盛大に挙行された(5月13日)。いろいろと陰で尽力していただいた役員の皆様にも感謝申し上げたい。
 この「観桜の集い」には、北海道の各界を代表する著名人、地域の名士をはじめ、1,400人の方々が出席された。〈学会本部からは池田副理事長が参加した〉
 五月晴れのもと、墓園を彩る8,000本もの見事な桜の絵巻に、皆が感嘆した。「こんな世界があったのか!」と驚いていた。素晴らしい光景である。
 皆さんもぜひ、見に行ってもらいたい。私も、うかがいたいと願っている。
6  北海道、おめでとう!
 戸田記念墓地公園の開園は、31年前の1977年(昭和52年)10月2日である。
 当時、この厚田の一帯では、桜のなかで最も親しまれている「ソメイヨシノ」の品種を目にすることはなかった。
 札幌から北では、ヤマザクラは咲いても、ソメイヨシノは育たないといわれていた。だから、ソメイヨシノを厚田に植えようとする人は、それまでほとんどいなかったのである。
 しかし、私には願望があった。
 「一戸田先生の墓園を、先生がお好きであったソメイヨシノの桜で荘厳したい!」
 それは弟子としての一つの願いであった。
 「札幌までは、ソメイヨシノも見事な花を咲かせている。そうであれば、厚田で咲かないはずがない!」──こう私は結論し、信念を持った。
 木を植えることは、生命を植えることである。
 桜が咲けば、地域の方々も喜んでくださる。緑が増えれば、環境問題にも貢献できる。
 私は皆が気づかないところにも、一つ一つ手を打っていった。
7  ところが当時、この構想には、学者も、業者も、学会の幹部も、皆がこぞって反対した。
 「不可能です」「やめたほうがいい」──
 そのなかで、私の心を心として、全身全霊で桜の育成に取り組んでくださった方がいた。
 いわゆる“桜守”として有名な、わが同志の佐々木忠さんという方である。
 80歳の今も、広布の最前線で光っておられる。この場を借りて、佐々木さんに「ご苦労さま! ありがとう!」と申し上げたい。
8  冬の厳しい寒さや害虫との戦いなど、佐々木さんの闘争は想像を絶する苦労の連続だった。
 佐々木さんの研究によれば、ソメイヨシノの桜は、氷点下18度以下では根が腐り、幹が裂けてしまうという。
 そこで、一本、また一本と桜の幹に藁やビニールを巻き、保温に努めたと述懐しておられた。
 余計な枝を切り取っていく剪定や、土壌の改良にも、真剣な努力を重ねた。どんな分野でも、努力の人が偉い。忍耐の人が勝つ。
 こうして10年間にわたって、佐々木さんは改良を続けた。ついに、「不可能」が「可能」となった。夢にまで見た満開の桜が、墓園を彩ったのである。
 私が戸田墓園に建立した恩師・戸田先生の像は、ソメイヨシノをはじめとする8,000本の桜に包まれながら、晴れ晴れと、故郷の北海道を、慈父のごとく見守っておられる。
 爛漫の生死不二の「桜の園」は、まさに、創価の師弟の勝ち戦の象徴である! そう宣言したいのだ。
9  まず「必ず勝つ」と決めよ
 話は変わって、戸田先生のご指導を紹介したい。先生は女子部に対して語られた。
 「われわれは、地涌の菩薩として、どれほど尊貴であり、どれほど使命があるか。この使命に生ききることこそ、最高の青春であり、最高の人生である」
 このことを忘れてはならない。この仏法は、だれが何と言おうと、永遠不滅の大法則なのである。
 白蓮グループの皆さん、新出発おめでとう! 皆で大拍手を送ろう! ありがとう! よろしく頼みます!
 大変な大変な任務である。陰で学会を支えてくださっている、尊き皆様の存在を、リーダーは絶対に見逃してはならない。
 戸田先生は「まず“こうするのだ”と決める。“必ず勝つのだ”と決める。決めるかどうかで、勝敗は決まる。これが勝負の哲学である」と指導された。
 我らは決めよう! 「勝つ」ことを。「勝ち抜く」ことを。「幸福になる」ことを!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 また先生は、「言うに言われぬ苦しみを味わいながら、それを乗り越えていく。その人が勝利者である」ともおっしゃつた。
 たとえば、「なかなか折伏ができない」と悩んでいる人もいるだろう。
 また、「信心していなければ、もっと楽で、のんびり寝ていられたのに」「悪口罵詈されないですんだのに」とか、「活動で立派な結果を出しても、あの先輩は笑顔も見せない。心のこもった『ご苦労さま』の一言も言ってくれない。まったく冷酷な先輩だ」などという悩みもあるかも知れない。意見が合わないことも、当然あるだろう。
 また、世の中には、卑怯な人間がたくさんいる。しかし、何を言われても、それらを信心で乗り越えていく人こそ真の勝利者なのである。この方程式は、永遠に変わらない。
10  「巌窟王」の如く
 学会精神の真髄とは何か──戸田先生は、私たち青年に厳しく教えてくださった。
 「ただただ『誠実』の二字で『師匠にお仕えする』『会員を護る』。そして、『師子王の心』で『敵と戦う』」のだ、と。
 きょうは、戸田先生のご指導を中心に紹介したい。先生がおっしゃったことは、きちんと克明に残してある。
 先生は婦人部に対して述べられた。
 「皆さんは幸せになるに決まっている。心田に、仏の種を植えたからである。宝の玉のなる木を植えたのである。あとは、木が育つにも時間がかかる。忍耐が大事である」と。
 この信心を貫く人は、絶対に幸せになる。そう決まっているのだ──深い意味のある指導であり、仏法の真髄が含まれている。どうか頑張っていただきたい。
 また青年部には、「創価学会には世界をリードする大哲理がある。それを、私は全部知っている。師匠についてきなさい。そうすれば、すべてわかっていく」とおっしやった。
 この言葉通りの、すごい先生だった。天才であられた。朝から晩まで戸田先生に鍛えられる、あまりにも厳しい日々であり、「大変なところに来てしまった」と思ったこともあった。
 戸田先生は、破邪顕正の戦いについて、「生命力の勝負である。腹を決めて戦うほうが勝つ」と訴えられた。
 「広宣流布は大闘争である。巌窟王のごとく、何ごとも貫き通す、強い巌の精神でいけ」とも言われた。
 私はこの信念で進んできた。そして勝った。よくぞ、ここまで立派な学会になった。だれも予想すらしなかった。
 これまで、さまざまな問題が起こった。戸田先生が逝去された際は、多くの学者や宗教家が「学会は空中分解する」などと予想していた。
 宗門にも、“学会は利用するだけ利用して、捨てればいい”と考える者がいた。そうしたなか、学会は世界一の大哲学の教団となったのである。おめでとう!
 悠々と進もう! 私たちの活動は、すべて広宣流布のため、大聖人のため、不幸な人々のために行っているのである。
11  「凡夫こそ尊極」
 さらに戸田先生の言葉を紹介したい。
 「生活といい、信仰といい、最も必要なものは何か。それは確信である。我々は、大聖人の絶対の御確信こそを、最高にして最大のものとしていくのだ」
 フラフラしていてはいけない。広宣流布に生き抜くのだ。職場においても、夫婦の間も、家庭においても、確信が重要である。
 また、こうも仰せであった。
 「(学会員は)『仏の使い』であります。如来につかわされた身であります。大聖人の分身であります。凡夫のすがたこそしておれ、われら学会員の身分こそ、最尊、最高ではありませんか」
 皆様は、その存在自体が尊いのである。
 さらに先生の指導を拝したい。
 「あなたの信心が強いと、信心していない者でも、あなたを助けます。『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』。これは仏法の方程式です」
 法華経にある通りだ。信心強盛の人は、周囲の動きをすべて味方にしていけるのである。
12  「信心でぶつかつてきなさい!」
 さらに、戸田先生の指導に学びたい。
 先生は言われていた。
 「指導者に、新鮮な息吹がなくなってくると、学会の組織は弱体化する」
 リーダーは生まれ変わったように、毎日、生き生きと、快活に戦っていくことだ。壮年も、青年も、海外の友も!
 皆に疲れた顔を見せたり、年を取ったからといって、心が退いてしまってはいけない。
 一人一人を全魂込めて励ましていくのだ。その人を支える家族にも、心からの感謝を捧げていくのである。
 「大聖人の説得力は、単なる説得力ではない。よく御書を拝してみなさい。根本が慈悲から発している説得力である。だから偉大なのである」
 これも戸田先生の指導である。
 大事なのは「根本」が何かだ。
 ただ自分が偉くなりたい。皆を思うように動かしたい。そんなことを考える人間が指導者になったら大変だ。
 どこまでも尊き学会員のため、そして広宣流布のため──これがリーダーの根本でなければならない。
 また、戸田先生は語られた。先生の言葉を、そのまま伝えたい。
 「君たちは、私との間に、何か一枚置いている。形式張った感じがする。それは、いけない。大作のように、信心でぶつかってきなさい」
 先生はよく「大作のように」と言われた。
 自分は偉いんだという傲慢や、叱られないようにうまくやろうという要領があってはならない。また、臆病であってもならない。
 信心で、まっすぐにぶつかっていく。これが弟子の姿勢である。
13  師弟ありて発展
 ここで御聖訓を拝したい。日蓮大聖人は仰せである。
 「法華経の大海のような智慧の水を受けた根源の師を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず地獄等の六道の迷苦の生死を巡るという災いにあうこととなろう」(御書1055㌻、通解)
 師弟こそ仏法の魂である。
 当然、根源の師は日蓮大聖人であられる。
 しかし、現代の社会において、大聖人の教えをどう実践し、世界へと弘めていくか。一つ一つを具体的に、大聖人にうかがうことはできない。
 だからこそ、大聖人に直結して、不惜身命で広宣流布を進めゆく師匠の存在が大事なのだ。創価の師弟が重要なのである。
 かつて日淳上人も、大聖人の遺命を現実のものとした創価学会の偉業を、最大に讃え、学会の師弟の精神を賞讃しておられた。
 〈日淳上人は、創価学会第2回九州総会の講演(昭和33年6月)で述べている。
 「創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。
 今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。
 戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思っております。
 師を信じ、弟子を導く、この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります」〉
 こうした先師の教えに違背し、仏意仏勅の学会の破壊を企てたのが日顕宗である。
14  「邪師を捨てよ」
 きょうは、この日顕宗と戦う真実の同志が参加しておられる。ようこそ! よくいらっしゃいました!〈青年僧侶改革同盟のメンバーが紹介された〉
 同じ人間として、気取らないで、一緒に御本尊の功徳を受けながら、人生の深さを味わっていきましょう!
 誠実に、清らかな信心の風に接しながら、楽しく進みましょう!
 つくられた、形だけの坊主の集まりなど、大聖人の本義とは関係ない。
 皆さんは、今、こうして学会とともに進んでいる。幸せなことです。
 皆さんの戦いは、大聖人が見てくださっている。大聖人の仰せ通りに、新しい時代を切り開いているのです。
 頑張ってください!
15  五老僧の邪義を破折した「五人所破抄」には、日興上人の訴えが記されている。
 「(身延などの大聖人の門下は)宿習のゆえに正しい師匠に会えたというのに、法を正しく持ち伝えているのがだれなのかを、わきまえられないでいる」(御書1616㌻、通解)
 大聖人亡き後、日興上人だけが、大聖人の教えを厳格に貫いた。五老僧は自分が中心となり、慢心を起こして大聖人の仏法を破壊した。今でいえば日顕宗である。
 日興上人は述べておられる。
 「日蓮大聖人の正義に違背する師匠たちを捨てないことが、かえって罪になるというのが、この法門である」(編年体御書1734㌻、通解)
 大聖人に背く邪師は捨てねばならない。これが日興上人の仰せである。
 堕落した日顕宗の坊主と戦ってきた学会は、絶対に正しい。
 遊興と贅沢の限りを尽くした坊主が、大聖人の正統であるわけがない。
 民衆と一体となって戦う。それが本当の仏法者なのである。
16  毎日が勉強! 毎日が前進!
 ここで少し、ロシアの文豪トルストイに触れたい。
 座談会でも、たまには「トルストイは──」などと世界の知性の話が出れば、来た人も「ああ学会も幅広いんだな」と目を見張る。信行学は不変の軌道だが、「いつもいつも同じ話」と思われるようではいけない。
 毎日が勉強であり、毎日が前進である。私も若き日から、日々の多忙な執務の合間を縫って、良書を繙いてきた。
 ある時、戸田先生が「君は短い時間を見つけては、トルストイを読んできたな」と、私に言われた。
 先生は、何でも、よく知っておられる。読んだ本について、意地が悪いくらいに、一つ一つ、私に聞かれる。たとえ、ごまかそうとしても、嘘か本当か、先生にはすぐわかる。
 結婚して、小さなわが家だったが、本だけは、たくさんあった。本に住みついた南京虫には困ったけれども。
 本棚を見て、妻が「ああ、トルストイですね」と語っていたことも懐かしい。
 1887年に発表されたトルストイの『生命について』(「人生論」)は、彼の生命観を綴った書である。そこには次のような一節がある。
 「人間の生命はひたすら幸福へと向かうことであり、彼の希求するものは与えられているのである」
 トルストイは強調する。「動物としての生存の法則」だけに則って生きていては、死や苦しみを乗り越えることはできない。
 「自分の中に愛という唯一の真の生命を解放することだけが、人間に幸福をもたらすのである」と訴えている。〈八島雅彦訳、集英社文庫から〉
 「慈悲」を生き方の根底にすえる仏法の哲理とも響き合う。
 幸福になりたい。裕福になりたい。楽しく暮らしたい。偉くなりたい──そうした願いも、生命の法則に則ってこそ、真に勝ち取ることができるのである。
17  オーストリアの出身で、「ヨーロッパ統合の父」であるクーデンホーフ・カレルギー伯爵とは、何度もお会いした。
 伯爵は、仏法を基調に平和運動を進める私に関心をもたれ、会見を強く希望された。たびたび足を運んでくださり、書簡もやりとりした。
 〈名誉会長とクーデンホーフ・カレルギー伯爵は、1967年に東京で初会見。70年にも東京で4回、延べ十数時間にわたって会談。語らいは、対談集『文明・西と東』として発刊されている(『池田大作全集』102巻に収録)〉
 クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、こう述べておられる。
 「高貴な名前のかわりに高貴な精神がなければならない。富裕な懐中のかわりに豊かな心がなければならない。このことが、民主的と呼ばれる発展の精神である」(鹿島守之助訳『クーデンホーフ・カレルギー全集3』鹿島研究所出版会)
 ここに理想の指導者像が見てとれる。
 自分のことしか考えない人間がリーダーになれば、皆が迷惑する。
 わが胸に師弟の魂が燃えていなければ、皆に勇気を贈ることはできない。
 多くの同志から好かれるリーダーであっていただきたい。
 それには気取らないことだ。赤裸々に語ればいいのである。
18  迫害に打ち勝ってこそ真の英雄
 フランスの作家アンドレ・マルロー氏のことも、ご存じの方が多いだろう。
 実に頭のきれる人であった。フランスを代表する文化人である氏が、私に会いたいと望まれた。
 初めての会見は、1974年5月18日。場所は聖教新聞社であった。
 2度目は、パリ郊外にあるマルロー氏の自宅で、75年5月19日にお会いした。
 当時のことは、今もよく覚えている。
 76年にマルロー氏が逝去された後も、マドレーヌ夫人から、さまざまな貴重な品を頂戴した。
 マルロー氏の画集、氏の小説『王道』の1958年刊の限定本、氏の貴重な手稿(演説のための手書きのメモ)などである。
 夫人のご厚情については、つぶさにうかがっている。あらためて、心から感謝申し上げたい。
 〈マドレーヌ夫人は、こう語っている。
 「日本人で、マルローと対談した方は本当に限られた方だけでした。池田会長は、マルローの尊い友人なのです」〉
 マルロー氏は、極悪のナチスと戦った闘士である。フランスの文化大臣も務めた。氏と私の語らいは対談集『人間革命と人間の条件』(聖教ワイド文庫)に結実している。
 マルロー氏は述べておられた。
 「栄光というものは、目にあまる侮辱を通して、その最高の輝きを見出すのです」(ピエール・ガラント著、斎藤正直訳『アンドレ・マルロー──小説的生涯──』早川書房)
 正義の英雄は、必ず非難中傷される。されないのは、偽物である。本物の指導者ではない。
 非難中傷をもすべて見おろして、断固として戦い、勝利する。これが、真の英雄だ。
 マルロー氏の言葉のごとく、圧迫や中傷を受け、それでも断じて前進していくのが、学会の偉大なる栄光である。
 「大悪をこれば大善きたる」との仰せの通りに、学会は大発展してきたのである。
 反対に、難に直面しても逃げてしまう。同志が苦しむのを尻目に、自分はうまく敵を避ける。そんな人間が「将」になれば、未来の勝利は開けない。
 私は若き日から、あらゆる大難の矢面に立って戦ってきた。戸田先生には「どうかご安心ください」と申し上げ、阿修羅のごとく戦った。
 激動の日々であった。朝早くから真夜中まで師匠のために奮闘した。
 先生は、どこへ行くにも「大作!」、何があっても「大作!」と信頼してくださった。私は一人立ち、すべてを勝ち越えた。
 そうした闘争ありて、今日の学会は築かれたのである。
 戸田先生は叫ばれた。
 「人間であるならば、恩義に報いずして、それでよいのであろうか。絶対によくない!」
 先生の遺言である。
 責任ある立場の人間は、口先ではなく、命がけの信心で、本当の意味で学会を守り抜くのだ。
19  学び鍛えよ!
 幕末の志士・高杉晋作は、獄中で、他の囚人に、このように語っている。
 ──師・吉田松陰は、私に言われた。
 「正論を叫び、実行すれば、必ず貶められ、立場を失う。その時は学び、心を鍛えよ。10年の後に、為すべき大業は必ず成就できる」と。
 この10年、自分の行うところは、師の言葉と、まさに符節を合わせるようであった。ゆえに今日の投獄を思えば、まさに師の言われる迫害の時であり、学ばないわけにはいかないのだ──
 〈「正論抗議 これい、これ、行なえ、しかればすなわち必ず、貶黜恬退へんちゅつてんたいの人とならん。しこうして後、讀書練心どくしょれんしん、十年の後、大いになすべきあるは必すべしと」「今をへだつるまさに十歳、しこうして余の行なうところ先師の言と眞に符節を合する如し。よって、予の今日の幽囚ゆうしゅうおもえば、先師のいわゆる貶黜恬退の時、それ、あに勉強讀書せざるべけんや」(堀哲三郎編『高杉晋作全集下巻』新人物往来社)〉
 晋作は、師の言葉通りに、出獄後、歴史回天の大業を成し遂げる活路を開いた。刑死させられた師・吉田松陰の仇を討ったのである。
 師匠の仇を討つ──それこそが、本当に偉大な人間の証しである。
 戸田先生は広宣流布に立ち上がり、軍国主義と戦って獄死した牧口先生の仇を討った。私は戸田先生の仇を討ち、全世界に平和と幸福の大連帯を築いた。
 この真実の師弟の闘争を、絶対に忘れてはならない。
 高杉晋作は、獄中で高らかに詠った。
 「身は籠の鳥のように繋がれていても心は流れゆく水のように悠々たり」(冨成博著『高杉晋作 詩と生涯』三一書房)
 いかなる権力も、心まで縛ることはできない。何があろうと、未来を見つめて、悠然たる心で進みたい。
20  責任は自分が!
 フランスの文豪ユゴーは綴った。
 「あらゆる苦悩をだきしめることから信念がほとばしりでる」(井上究一郎訳『世界文学全集44 レ・ミゼラブル2』河出書房新社)
 苦悩から、逃げよう、逃げよう、とするのではなく、苦悩を真正面から抱きしめていくのだ。
 何事も、“私が責任をもつ!”と決めることである。
 きょうは、ドイツからも、代表の友が駆けつけてくださった。
 ドイツの詩人シラーは戯曲の主人公に、こう語らせている。
 「わしの場合、いまなお衰えぬ勇気が人生の大波の上をまだまだ元気に勇ましく漂っておる」
 「自分の精神はまだまだ青年だと思っておる」(濱川祥枝訳『ヴァレンシュタイン』岩波文庫)
 学会は「青年学会」である。壮年も、青年の勇気で進むのだ。
 牧口先生は、最晩年まで「われわれ青年は」と弟子たちに呼びかけられた。
 我らは永遠に「青年の心」で前進しよう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
21  「人間」で勝負
 インドネシアでも、わがSGIの同志が生き生きと活躍している。ここで、著名な国民作家プラムディヤ氏の言葉を紹介したい。
 「(庶民の)彼らは私より遙かに強靱な人間であり、私からすれば苦しみ以外のなにものでもないものによって鋼鉄のように鍛えられている」(押川典昭訳『プラムディヤ選集4』めこん)
 庶民ほど、強靱な人間はいない。
 位をもつ人間は、いつ追い落とされるかと思うと、心が安まらない。非難などされたら、もう大変である。
 しかし庶民には、位もなければ富もない。人生を切り開くのは、自分の腕だ。度胸である。自分の体一つで、ぶつかるしかない。要するに、勝負は「人間」で決まる。
 偉ぶる人間に、お金がないとバカにされ、使われることがあっても、庶民は強い。負けない。
 いつもおだてられて偉くなり、お金もある。そういう人間は、いざという時に、もろいものだ。庶民こそ偉大だ。庶民こそ王者であり、勝者なのである。
 学会は、永遠に庶民の団体として勝ち進もう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
22  欧州チェコの代表的な作家にカレル・チャペック(1890〜1938年)がいる。
 生涯、新聞記者でもあり、哲学的な長編三部作(「ホルドゥバル」「流れ星」「平凡な入生」)をはじめ、小説、戯曲、随筆、旅行記、童話、政治論など多彩な著作を残した。
 ナチスの邪悪と、言論の力で戦って戦って戦い抜き、その最中で死んでいった、反ファシズムの闘士である。
 哲人指導者マサリク大統領との対話集も大変に有名である。〈石川達夫訳『マサリクとの対話』成文社〉
 そこでチャペックは、「民主主義の真の基礎は宗教である」というテーマで語り合っている。
 深き精神性の基盤なくして民主主義はありえない──これは、世界の知性に共通した結論である。
 学会が、この正しき道を歩んでいることを忘れないでいただきたい。
23  イギリスの首相チャーチル。
 彼もナチスと戦い、そして厳然と打ち破った指導者であった。
 ナチスによる空襲の爆弾が降るなか、感然と空を見上げ、国民を励ました史実は有名である。
 チャーチルは述べている。
 「諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない」(チャーチル研究会訳『チャーチル名演説集』原書房)
 負けるとしたら油断からだ。相手ではない。勝敗は、自分の心いかんなのだ──これが彼の信条であったに違いない。
 創価の精神もまた、同じでなければならない。
 いざという時にビクビクするな
24  最後に、戸田先生のご指導を、もう一つ紹介したい。
 戦時中、多くの幹部は、軍部権力の弾圧に恐れおののいた。口では、うまいことを言っていた人間が、ビクビクしていた。
 そのことを先生は小説『人間革命』に、明確に書き残しておられる。
 「日頃の大言壮語が、いざという場合に、どんなものであるか」「それをいやというほど見せられてきている」
 「権力の前には、塩を振りかけられた蛞蝓なめくじよりもだらしがない」──
 そう言われないように戦おう! 頼むよ!
 「いざ」という時が大事だ。
 その時にはじめて人間の真価が分かる。
 意気地なしであってはならない。圧迫が強ければ強いほど、朗らかに、堂々と正義を語り抜く──これが学会精神である。創価の師弟に流れる魂である。
 戸田先生は、牧口先生を一人お守りし、ともに獄中闘争を貫かれた。
 私もまた、戸田先生のために、一人、戦った。
 どんな時も、そして、ありとあらゆる点で、先生をお守りしてきた。
 命をかけた闘争の真実を知れば、心ある人は膝を折って、慟哭するであろう。その戦いは、だれも想像できないだろう。
 「まさかが実現」と大新聞が報じた、昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」の勝利。
 私は、死に物狂いで戦った。味方をつくるために、頭を下げて回った。
 戦ってくださる学会員の方々を大事にした。仏のごとくにお迎えし、お送りした。
 そんな私を笑う人間もいたが、結果は、だれも想像できなかった大勝利であった。
 私は「誠実」で勝った。
 反対に、幹部が威張り、いい気になっていたところは負けてしまった。
 諸君は絶対に、そういう愚か者になってはならない。
 会合での話も、うまく話すことは大事だが、それ以上に、同志を思う真心が大事である。
 私には体験があるから、申し上げるのである。
 大阪の勝利に、先生は「大作、よく勝ったな」と感激しておられた。
 二人きりの時、「大作、ありがたいよ」とも言ってくださった。
 先生との思い出は、話せば尽きない。それはそれは、峻厳な師弟であった。
 今日まで、私は「師弟の道」を歩んできた。「師弟の道」ありて、学会はここまで発展してきたのである。
 戸田先生は書き残された(小説『人間革命』)。
 「牧口先生は信仰を指導して下さるだけでなく、人生の学問も教えて下さる」
 「先生の言動は、がん(=私)の言動でもある」
 まさに師弟一体であられた。
 この師弟不二の大精神を忘れずに進んでまいりたいと申し上げ、記念の幹部会を終わります。
 来月、またお会いしよう!
 戦おう! 楽しく戦おう!
 海外の同志、万歳!
 長時間、本当にご苦労さま。ありがとう! お元気で!

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