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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第17回本部幹部会 広布第2幕第2回全国婦人部幹部会

2008.4.23 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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1  海外の皆様!
 遠いところ、お疲れのところ、本当にご苦労さま! ありがとう! 感謝します。
 まず、うれしいことに、この5月3日を前に、新しく2つの国に、わが創価の同志が誕生した。
 一つは、南太平洋の美しき「ソロモン諸島」、そして、もう一つは、ヨーロッパの文化の宝庫「モンテネグロ」(旧ユーゴ)である。
 おめでとう!
 どちらも、戦乱の悲劇を乗り越えて、新しい時代を開いてきた国である。創価の同志は、懸命に生き抜き、未来のために働いている。
 これらの天地にも「平和の妙法の大音声」が響き始めたのである。
 これで、SGI(創価学会インタナショナル)の連帯は、世界192カ国・地域の広がりとなった。まさに、全世界である。
 「創価学会母の日」おめでとう!
2  きょうは五大州から、17カ国・地域の同志が出席くださった。
 あらためて、遠くから本当に、ようこそ! 皆で立って、もう一度、拍手を送りたい。
 尊き研修で来日されたアメリカの皆様! ブラジルの皆様! イタリアの皆様! 台湾の皆様! マレーシアとシンガポールの皆様! そして、韓国の皆様!
 ご苦労さまです!
 全同志の皆様のおかげで、皆様の力で、真剣さで、戦いで、5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」を、晴れ晴れと迎えることができます。おめでとう!
 配達員の皆様に最大に感謝 行動した人が勝利者!
3  そして、配達員の皆様方!
 皆さんは、一番、地味で、一番、大変だ。配達を経験した私には、よくわかる。
 暑い日も、寒い日も、雨の日もある。お腹がすいている時もある。朝早く、多くの人は、まだ寝ている。そこを飛び起きて、聖教新聞を配ってくださる。尊い決意なくしては、本当に、できないことだ。
 配達員の方々のご苦労がわからなければ、また、配達員の方々に深く感謝する心がなければ、真実の広宣流布の指導者とはいえない。
 陰の労苦も知らず、自分は偉いと思い上がった人間も、配達をすれば、目が覚める。
 ほかのだれでもない、広布のために動いた人に大功徳がわく。その人が勝利者なのである。
 反対に、自分は苦労を避けていながら、同志を見下す増上慢は、厳しい仏罰を免れない。
 「一歩も退かず!」が創価の魂
 立場が変わろうとも年齢を重ねようとも永遠に第一線をゆけ
4  いよいよ! これから!
 新しい人事、新しい出発、おめでとう!
 役職を後輩に譲った先輩方は、本当によくやってこられた。
 だからこそ、たとえ役職は変わっても、今までと同じように進んでいくことだ。
 信心は、役職で上下があるのではない。年齢でも上下はない。信心は信心である。外面的な位ではない。
 信心は、心で決まる。この一点を忘れてはならない。忘れたら、大変な損をする。
 後輩の道を開いた尊い先輩方に、皆で感謝し、讃嘆してさしあげたい。
 ともあれ、心は一歩も下がってはならない!
 これが仏法である。日蓮大聖人の御精神である。「日蓮一度もしりぞく心なし」と仰せの通りだ。
 大聖人は、晩年、身延に移られてからも、最後まで広宣流布のために戦い抜かれた。多くの御手紙を残し、若き弟子を育てられ、法難と戦う指揮を執られた。
 自分が今いる、ここで戦う。折伏をする。一歩も退かない。広宣流布の誓いは、一生涯、変わらない――これが大聖人門下の心意気である。
 話をする時も、力強い声で、生き生きと語るのだ。大情熱がなければだめだ。皆と心がバラバラになってはいけない。同志から離れずに、集い合っていくのだ。
 どんな立場であろうとも、広宣流布を、どんどん引っ張っていく。全学会をリードしていく。その気概と責任感を断じて失ってはならない。
 人生も、信心も、常に「いよいよ、これから」と決意して進むのだ。その人が最後の勝利を飾っていけるのである。
5  創価の宝・芸術部
 「創価の宝」の芸術部の皆様!〈会場から元気な返事が〉
 凛とした声も心も素晴らしい。いつもご苦労さま! ありがとう!
 間近に芸術部の皆様とお会いし、信心の輝きあふれる姿に触れて、本当にうれしい。
 教学もさらに磨いていただきたい。皆さんの活躍は、世界の同志の喜びである。これからも皆で応援してまいりたい
6  アフリカ最南端やシベリアにも
 今や、わが創価の「平和」を「文化」と「教育」のスクラムは、全世界に、悠然と大きく広がっている。
 北極圏につながるシベリアの大地、ロシアのサハ共和国でも、創価の友の前進が始まった。
 南アフリカの最南端・喜望峰の町でも、創価の連帯が広がり始めた。
 南米アンデス山脈の標高3,000㍍を超えるペルーの高地でも、創価の哲学が輝き始めた。
 私のもとには、海外の友から間断なく連絡が入ってくる。
 わが創価の同志は、よき市民、よき国民、よき世界市民として、社会に貢献している。
 舞台は全世界である。すごい歴史である。
 大聖人は仰せになられた。
 「上行菩薩は末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国ごと、人ごとに弘めるのである」(御書1239㌻、通解)
 大事な御聖訓である。大聖人の仰せ通りに広宣流布をしているのは、創価学会以外にない。
 「(法華経の大白法、すなわち日蓮大聖人の仏法が)日本国ならびに全世界に広宣流布することも、疑いないのである」(同265㌻、通解)
 これが、大聖人の御確信であられる。そして今、その通りになっているのである。
 大聖人が、どれほどお喜びであられるか。
 諸天善神が、あらゆる仏天が、広布へ戦う皆様方を護っていくことは、当然の道理である。
 頑張っていこう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
7  福徳輝く道を
 誇りと希望に燃える人生は尊い。美しい。それが学会の同志である。
 我らの前進は、末法万年尽未来際という長い長い道のりである。くたびれて、途方に暮れることもあるかもしれない。
 けれども、私たちが歩む道は、全部が花が咲き、全部が宝石が輝くような道である。
 何があろうと、全部が、自分のための滋養となっていく。そういう道を歩んでいるのである。
 だから前進するのだ。
 間違いない道なのだ。
 それを大聖人は教えてくださった。御本仏に絶対に嘘はない。
 生々世々、最高の幸福と勝利の道を生き抜いていけるのである。
 〈大聖人の仏法は生死不二と説いている。妙法に生き抜いた人の大境涯について、御書には次のように仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。
 天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。
 我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である」(御書1386㌻、通解)〉
 恐れなき師子王であられた大聖人の御境涯。
 絶体絶命の窮地にあっても揺るがない、最高の歓喜と幸福の実感。
 いかなる嵐があろうとも、勝利の人生を生き抜かれた事実。
 これらを仰ぎ見る時、「仏法は、人間は、かくも偉大なのか」と感嘆せざるを得ないのである。今、少しくらいお金がなくても、心配することはない。金持ちかどうかで幸不幸は決まらない。
 私たちは、大聖人を信じて、広宣流布のこの道を心広々と進んでいきましょう!
8  真実の広布の闘士と光れ!
 アメリカ婦人部のスナイダー書記長、先ほどは素晴らしいスピーチ、ありがとう!
 〈本部幹部会に先立ち、スナイダー書記長がアメリカSGIの発展の様子を報告した〉
 スナイダー書記長は、全米の女子部長を務められ、アメリカSGIの中核として歩んでこられた。私も、何かあれば応援しようとの思いで、ずっと見守ってきた。
 本当に、よく頑張ってこられた。
 今、アメリカでは英語版『香峯子抄』が反響を広げている。
 『香峯子抄』は日本では137万部を超えるミリオンセラーとなった。〈主婦の友社編著・刊〉
 学会の真実と正義を伝えゆく一助として、喜びたい。ありがたいことだ。
 ともあれ、本当の偉大なアメリカSGIが立ち上がった。リンダ・ジョソン婦人部長、ダニエル・ナガシマ理事長はじめ、アメリカの同志に、よろしくお伝えください。
9  嘘やインチキは、必ず明らかになるものだ。これまでも、己の欲望のために悪事を働いた人間は、最後は醜い本性を暴かれた。
 学会に反逆した人間たちは皆、結局は転落していった。
 同志の真心、学会の大恩を仇で返した輩の末路は悲惨である。厳しい仏罰を受けている。
 二度と、こうした悪人を出してはならない。これからの新しい広宣流布の前進にあっては、皆さんは、どこまでも、まじめに生き抜き、真実の広宣流布の闘士として戦い抜いてもらいたい。
10  きょうは、南米ブラジルの同志も、はるばるとようこそ! 大変にご苦労さま! オブリガード!(ポルトガル語で「ありがとう!」)
 ブラジルは本当に遠い。飛行機で20時間以上かかる。私も何回か行ったから、よくわかる。
 お金の工面も大変であろう。そうした中を、仏法を求めて集ってくださった。尊いことだ。
 日本のメンバーは、こうした強き求道心に学んでいかねばならないと思う。
 ブラジルSGIのタグチ君(理事長)、カマタ君(主席副理事長)も元気そうで、うれしい。
 今、ブラジルは大きく発展を遂げた。幹部がまじめに戦っているところは、栄えている。反対に、幹部がだらけているところは駄目になってしまう。
 結局、中心者の一念で決まるのである。
 今年は、笠戸丸に乗った日本人移住者が、初めてブラジルに渡航してから100周年にあたる。ブラジルでの記念行事には、私も招聘をいただいている。6月には、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝展」が開幕する予定である。
 私がブラジルに第一歩をしるして48年――。わが友は、ブラジルで絶対の信頼を勝ち得た。すごいことである。
 これから、「5・3」記念の慶祝議会も、首都ブラジリアをはじめ各地で盛大に行われる。
 ともかくブラジルは、師弟不二ですべてに勝った。私は「万歳!」と叫びたい。
11  妙法を持つことは最高の親孝行
 きょうは富士宮の代表の皆様も出席しておられる。いつも本当に、ありがとう!
 ここで、御書を拝したい。
 私たちは日蓮大聖人の弟子である。御書を学ばねばならない。
 大聖人は仰せである。
 「畜生の心は弱い者を脅し、強い者を恐れる。今の世の諸宗の学者等は畜生のようである。智者などが弱い立場であるのを侮り、邪な王法を恐れる。諛臣(=こびへつらう臣下)というのは、こういう者をいうのである」(御書957㌻、通解)
 畜生の心こそ、卑劣な坊主の本質である。
 こうした坊主が権力者と結託して、大聖人を迫害した。大聖人は、それを見破り、厳しく糾弾されたのである。
 現代でいえば、日顕宗の坊主である。
 日顕宗の坊主たちは、信徒をバカにし、供養を取るだけ取った。自分は折伏もしないで遊興にふけり、堕落した。そして、大聖人直結の広布の団体である学会の破壊を企てたのである。
 その結果、今ではまったく哀れな宗団となったのは、皆様がご存じの通りだ。
 きょうは、我々の同志である、広宣流布をしていく、真実の僧侶の皆さんが参加しておられる。
 〈ここで、改革同盟、憂宗護法同盟、青年僧侶改革同盟のメンバーが紹介された〉
 大変と思いますが、学会と一緒に頑張ってください。
 また御書には、こうも仰せである。
 「法華経を持ち奉るを以て一切の孝養の最頂とせり
 御本尊を持った私たちは、亡くなったお父さん、お母さんの追善をしていくことができる。 また、お父さん、お母さんが元気な人は、その幸福を祈ることができる。
 そして、ご両親の生命をも福徳で包んでいくことができる。
 たとえ親が信心をしていなくても、心配することはない。
 御本尊を持ち、妙法を唱えることは、最高の親孝行になるのである。このことを深く確信していただきたい。
12  弟子の結果が師匠の宝
 これまで私は、世界の指導者と1,600回を超える対話を重ねてきた。
 20世紀最大の歴史家であるトインビー博士との対話は「博士からの要請で始まり、2年越し40時間に及んだ。その後、対談集となり、世界各国で読まれている。
 博士との対談は、高度な内容で、話題が多岐に渡ったため、通訳で実に苦労した。
 また、トインビー博士が私をロンドンの伝統的なクラブに招待してくださったことがある。〈バッキンガム宮殿近くの「アセニアム・クラブ」〉
 何度も話してきたことだが、このときには通訳もおらず、本当に困った。
 勉強すべき若い時に勉強できないということは、本当に不幸だと痛感した。青年部の諸君は、“語学ができて当たり前”というくらいの気概で学んでほしい。
 トインビー博士との対談のほかにも、現代化学の父ポーリング博士、世界的経済学者のガルブレイス博士など、識者との対談集は50点を超えている。
 中国の周恩来総理や、南アフリカのマンデラ大統領、統一ドイツのヴァイツゼッカー大統領との対談も思い出深い。
 ソ連のコスイギン首相とは2回、語り合った。立派な指導者であられた。ご息女ともお会いしたが、彼女も立派な方であった。
 また、ゴルバチョフ大統領、アメリカのキッシンジャー博士、キューバのカストロ国家評議会議長。タイのプーミポン国王、スペインのファン・カルロス1世国王、イギリスのチャールズ皇太子などとの出会いも懐かしい。
 アメリカのマンスフィールド駐日大使など、各国の大使とも数多く対話を重ねた。これまで受けた国家勲章は27になる。
 アメリカ・ロサンゼルス市のブラッドレー市長は、アフリカ系アメリカ人で市長となった有名な方である。彼をはじめ、これまで私は海外54カ国・地域を歴訪し、各地のリーダーと語り合ってきた。光栄にも、名誉市民称号は565となる。
 学会の同志の皆さんは私の眷属である。いわばきょうだいであり家族である。ゆえに私が皆さんを代表していただく栄誉は、すべて皆さんの福運になると確信している。
 私は、私が何かを受けることなどではなく、「創価学園生がノーベル賞に輝いてほしい」「創大生が、また創価学会の同志が実証を示してほしい」と、毎日毎日、祈っている。自分のことは考えていない。弟子が、どう結果を示すか。これこそが、師匠にとって何よりも尊い宝となるのである。
13  「策」に走るのは魔物の動き
 私は、あらゆる分野の第一人者と対話してきた。その対話は、世代を超えた広がりを持っている。
 民衆の平和への願いを世界の指導者に訴えてきた。こうした対話を、心ある識者は高く評価してくださっている。
 ともあれ私は、戸田先生、牧口先生の遺志を受け継ぎ、日蓮大聖人の根本の精神に直結する行動を重ねてきた。皆さんもこの後を受け継いでいただきたい。
 師弟をないがしろにして何をなそうとも“作り物”“偽物”である。それらに惑わされると危うい。「策」に走り、人を操ろうとするのは魔物のやり方だ。そういう動きがあれば、戦わねばならない。
 私は全生命をもって戸田先生に仕えに仕えた。牧口先生と戸田先生の師弟、戸田先生と私の師弟で、学会の勝利は決まった。仏法は厳しい。「師弟不二」の心があるか否かで決まる。偉くなって威張ろうなどという邪心は、これからの幹部には微塵もあってはならない。
 諸君全員が、本物の弟子として立ってほしい。「心こそ大切」である。決意も行動も、「心」から起こる。決して格好ではない。
14  会館を護る祈り
 先日、悠久のライン川を望む、ドイツ・ビンゲン市の花と緑の市立庭園に、私の詩碑が建てられた。そこには、私が桜を謳った一節がドイツ語で刻まれている。
 「花に花を重ね 思い出に思い出を重ねて この一生を爛漫と飾りたい
 我が友も かくあれと私は祈る
 花の王 桜は『生き抜く王者』の象徴である」
 この地は、大詩人ゲーテが「ここから見るライン川が一番、美しい」と讃えた絶景である。
 ドイツSGIの「ヴィラ・ザクセン総合文化センターも、この近くにある。同市の重要文化財で、堂々たる建物だ。
 今は、イギリスSGIの「タプロー・コート総合文化センター」など、世界各地に立派な会館がある。
 私は、学会の新たな会館が誕生する際には、「その地域で、必ず後世の歴史に輝く建物になるように」と祈ってきた。
15  婦人部に最敬礼
 今回、桜の詩碑の建設を提唱してくださったのは、ビンゲン市のコーリン・ランゲン市長。聡明な女性指導者であられる。光栄なことに、市長は「詩碑の設置場所は、庭園内の一番よい場所です」と語ってくださっている。
 碑は精神を永遠に伝える。私は、恩師・戸田先生の故郷である北海道の厚田に、堂々たる先生の像を建てた。立派な墓地公園もつくった。恩師を宣揚し、同志に尽くし抜いてきた。
 新時代を担う諸君は、全員が、この師弟の心を受け継いでもらいたい。
 幹部だからといって、威張る資格などあるはずがない。折伏も個人指導も何もかも、一番進めてくださっているのは、婦人部の皆様である。
 尊き広布の女性に対して、心を込めて頭を下げるのは、当然である。一段と、幹部がしっかりしなければならない。リーダー自身が生まれ変わらなければ、真剣な同志は愛想を尽かす。
 何よりも、皆の幸福を心から祈っていく。これがリーダーの出発点でなければならない。
 ともあれ、男女同権は世界の常識である。女性を下に見たり、ふざけ半分で軽んじたりすることは、断じて許されない。
 これまで以上に、女性を大切に! 女性に親切に! これを男性の幹部は深く心に刻むべきである。
16  尊き創価の女性に最敬礼を捧げたい。
 ビンゲン市の市立庭園には、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの像も設置されている。
 ユゴーは、「ここには友好的で素晴らしい人々が住む」と讃嘆した。
 私たちも、地域の友から“素晴らしい”と言われるような存在になって、友情を広げてまいりたい。
 そのためにも、常に若々しい「心」で、生き生きとした「行動」で、はつらつとした「声」で進みゆくことだ。
 「ご苦労さま」「すみませんね」「お体、お大事に」――会えば、声をかける。その一言が心を通わせる。
 もちろん、「余計なお世話だ」となったら、黙ってお辞儀をするのもいい。真心は、いつか必ず通じるものだ。
17  喜べる人は幸福
 ユゴーは高らかに宣言した。
 「民主主義の大いなる鍵、それは連帯である」
 まさに、わが創価学会の前進の姿である。
 ユゴーは続ける。
 「人間は惑星と連帯し、惑星は太陽と連帯し、太陽は星と、星は星雲と連帯する。そして星。雲や星団は、無限と連帯しているのだ」
 「人間と人間の連帯は、宇宙と宇宙の連帯が生み出した、不屈にして必然の帰結なのだ」
 私たち創価の友情の連帯は、大宇宙をも包みながら、全地球に広がってきた。うれしいことだ。
 最高に誉れ高き、晴れがましい5月の3日を、全世界の友と喜び合いたい。
 喜べる人は、幸福である。文句を言うばかりでは、幸せになれない。
 喜んで生きる信心、そして、悪い人間とは戦う信心で進みゆこう!
 「悪」を「悪」と言いきらなければ、真の喜びは生まれないからだ。
18  人間の根幹は恩
 話は長くなるが、大事なことなので、今、語っておきたい。
 日蓮大聖人は、明確にこうおっしゃっている。
 「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた」(御書491㌻、通解)
 仏法の根幹、人間の根幹の道は「恩」である。
 恩を仇で返すような人間は、断じて許してはならない。そうした連中にだまされ、左右されるようになったら、おしまいだ。
 「絶対に恩知らずとは戦え!」とは、戸田先生の遺言であった。
 太陽系には、太陽系の運行の軌道がある。
 銀河系には、銀河系の調和の軌道がある。
 仏法の世界には、人間が人間らしく生きゆく、正しい生命の軌道がある。
 それが「知恩」であり「報恩」の道である。
 これを大聖人は教えてくださった。
 リーダー自身が、この精神を命に刻み、身をもって伝えていくことだ。
19  古今東西を問わず、「忘恩」は厳しく戒められてきた。歴史上の事実である。
 古代ローマの大哲学者セネカは喝破した。
 「すべての悪より低劣なのは、恩知らずである」(小川正広廣訳「恩恵について」、『セネカ哲学全集2』所収、岩波書店)
 恩を忘れるところから大きな乱れが始まる。これまでの退転・反逆の輩も、恩という一点がなかった。
 私は、戸田先生が言われた「報恩の道」を、厳然と開いてきた。
 先生は「大作がいるから、学会は筋を通して、真っすぐに進んでいる」と、ほめてくださった。
 一方で、先生は「組織が大きくなれば、悪い人間も出てくる」と心配されていた。
 だからこそ、私は「関西」の天地に、師弟直結の模範の人材城を築いてきた。
 関西の皆さん、しっかり頼むよ! 頼るべきは、関西である。大関西があるかぎり、学会の未来は盤石だ。
20  戸田先生は、このように、有名な指導を残された。
 「現在の世相を見ると、人の道である知恩・報恩を貫く者は、ごく稀となってしまった。忘恩から、社会の乱れが生ずるのである」と。
 生み育ててくれた「父母」の恩を忘れてしまえば、家庭は乱れる。当然のことだ。
 世の指導者は「民衆」の恩を忘れ去った時、慢心を起こし、狂い始めるのが常である。
 戸田先生は断言なされた。
 「恩知らずから、魔は動く。恩知らずから、堕落は始まる。恩知らずから、畜生になる」――このように厳しかった。
21  「法師の皮を著たる畜生」
 創価学会が、宗門に、どれほどの真心の限りを尽くしてきたか。支え、護り、伸ばしてきたか。
 学会が寄進してきた寺は356カ寺。大石寺への登山者は7,000万人にも及ぶ。
 学会のおかげで、宗門は栄え、発展した。
 宗門のわがまま、無理な要望にも、我慢して、誠心誠意、応じてきた。
 その学会を、日顕宗は、「もう必要ない」と切り捨て、これほどの大恩を仇で返したのである。
 「恩知らずの極みがここにある」と、私は断言したい。
 そして、御書で呵責されている「法師と云う名字をぬすめる盗人」「法師の皮を著たる畜生」そのものであると、明言しておきたい。
 今の惨状に明らかな通り、日顕宗は御本仏・日蓮大聖人から峻厳に叱咤され、断罪されている。
 この日顕宗と対決してきたのが、先ほどご紹介した、正義の同志の僧侶方である。拍手で讃え、これからも、共に戦ってまいりたい。
22  さまざまな「恩」のなかでも、とりわけ大切な、根本の「恩」とは何か。
 それは「師恩」、すなわち、仏法を教え、人生の規範を示す師匠の恩である。
 師恩のありがたさを、日蓮大聖人、そしてまた日寛上人は教えてくださっている。
 〈「報恩抄」で大聖人は、「父母の恩」「師匠の恩」「三宝の恩」「国土・社会の恩」の四つの恩をあげられている。
 日寛上人は、同抄の題号の意義について、通じては、「四恩」に報いる、別しては、「師匠の恩」に報いる意味であると、釈しておられる〉
 戸田先生は、法難の牢獄にまでお供して、牧口先生に報恩の誠を尽くされた。牧口先生にお仕えする姿は、厳粛そのものであられた。
 それだけに、戸田先生は、師恩への違背を烈々と叱られた。
 「師弟」という一点に対しては、それはそれは鋭く、厳しかった。
 ひとたび怒ると、そこに居られなくなるほどの迫力であった。
 その先生に、私は育てられた。10年間、朝から晩までお仕えした。本当に偉大な先生であられた。
23  戸田先生は遺言された。
 「社会的な地位をもっている者が、信心がなくなり、その立場にふんぞり返って、その中に悪鬼入其身して、魔となるのである」
 「師匠のおかげで偉くしてもらいながら、将来、畜生の如く師恩を仇で返し、踏みにじっていく悪逆な連中が出たならば、断じて許すな!」
 創価の師恩を忘れ、増上慢に狂って、学会に弓を引いた輩は、例外なく、厳しい仏罰を受け、無残な末路をたどっていることは、皆様がご存じの通りである。
 私は、そうさせたくないから、人生を勝たせてあげたいから、厳しく言うのである。
 社会的地位は、信心とは関係ない。絶対にその人を特別扱いしたり、威張らせてはならない。
 また、社会で重責ある立場の人は、自分の分野で立派な成果を上げ、第一線から退いた後も、地域に尽くし、学会に尽くし抜いていく。そういう人生を歩んでもらいたい。
24  インドの提婆達多は、師匠である釈尊の恩を裏切った。
 仏弟子たちは、師敵対の提婆達多に激怒し、責めたと、経典は伝えている。
 ――提婆達多よ、釈尊は、あなたの師匠ではないか。師・釈尊のおかげで、あなたは仏法を知り、深い境地を得られたのではないか。その師匠に敵対するとは何事か――と。
 弟子が大事である。
 弟子が愚かであれば、増上慢の人間に、和合僧の組織を破壊されてしまう。
 恩知らずの人間に対しては、弟子が立ち上がり、戦うことだ。恐れず、言うべきことを言っていくことだ。
25  師恩に報いるための要諦は何か。
 不惜身命で広宣流布のために戦うことであると、日寛上人は、報恩抄の文段で明快に示しておられる。
 いくら口先で師匠を讃えても、「戦い」がなければ、師恩に報いたことにはならない。
 「行動」である。「戦う」ことである。
 大難が競い起ころうとも、身命を惜しまず、邪悪と戦い抜く。そして、正法を弘めて、人々を救っていく――これこそ、師恩に報いる真の道なのである。
 〈「報恩抄文段」に「大難競い起るとも身命を惜しまずして謗法を呵責し、能く大難を忍んで法華経の行者と顕れ、父母・師匠等の大恩を報ずべしとなり」等とある〉
 その通り、一分の狂いもなく、創価の三代は、健気な真実の同志とともに、戦い続けてきた。
 「師恩に報いる」という根本の道を示し切ってきた。
 だからこそ、現代史の奇跡とうたわれる、世界広宣流布の時代が開かれたのである。
26  この創価の師弟の歴史を讃嘆する「普賢菩薩」の守護の働き、多宝の証明が、続々と現れている。
 私が世界の大学・学術機関からいただいた234の名誉学術称号も、知性と良識の守護であり、真実の正視眼の証明にほかならない。
 多くの識者の声が寄せられている。
 〈ブラジル・北パラナ大学のラフランキ総長は、池田名誉会長への名誉博士号の授与の際、語っている(1998年11月30日)。
 「私たちは、池田博士の師匠に対する『師弟不二』の一念に心より感動しております。報恩の心は、善人の心にこそ、そして、平和を愛する人の心にこそ宿るのです」
 韓国・鬱陵ウルルン郡の鄭宗泰チョン・ジョンテ郡守は、名誉会長夫妻に、「名誉郡民」称号を贈り、こう述べている(1998年10月17日)。
 「池田会長は、師匠の恩を忘れず、発展させていく『弟子としての行動』を一心に貫いてこられた。これこそが、現在のSGIが築かれた原動力であり、これからも永遠に発展させていく原動力であると、確信いたします」〉
 世界からの期待に応えて、私たちは「師弟の道」「報恩の道」を堂々と進んでまいりたい。
27  仏法で説かれる「師子」とは、「師匠」と「弟子」との一体不二の生命にほかならない。最強であり無敵なのである。
 師恩に不惜身命で応えゆかんとする弟子の「信力」「行力」にこそ、無限の「仏力」「法力」が厳然と現れる。
 師弟の心が合致すれば、恐れるものはない。何ごとも、必ず成就することができる。
 わが青年部よ。子孫末代まで、この法則、この法理を絶対に忘れず、後悔なき「この道」を堂々と進みゆけ!
 偉大なる青年部よ。きょうも明日も、永遠に勝ち進め!
28  勝利の師弟の姿を忘るな!
 戸田先生は晩年、慟哭しながら、語ってくださった。
 「大作は体が弱いのに、師匠である私のために、これほどまでに、命を削って、言語に絶する師子奮迅の努力をしてくれた」
 亡くなられる直前、固く手を握られ、「ありがとう」「ありがとう」と言ってくださった。
 私が、先生の後継の第三代に就任したのは、昭和35年(1960年)の晴れわたる5月の3日。
 妻はこの日を、わが家の葬式と覚悟した。
 以来、1年また1年、戸田先生からいただいた命で、私と妻は、あらゆる三障四魔に打ち勝ってきた。今日の学会を築き上げた。
 もし私がいなかったならば、学会は宗門に乗っ取られ、内部の師子身中の虫たちに撹乱され、今日の姿はなかったという人もいる。
 しかし私は、大聖人のか御加護をいただき、ますます健康で、全世界の指揮をとり、学会を守っている。
 だれ人も想像できなかった姿であろう。
 この現前たる師弟の勝利の姿を忘れることなく、勝ち進んでいただきたい。
 こう申し上げ、私のスピーチを終わります。
 常勝関西はじめ、全世界の同志の幸福、万歳! 長時間、ご苦労さま。ありがとう! お元気で!

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