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日蓮大聖人・池田大作

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第2総東京最高幹部協議会  

2008.4.5 スピーチ(聖教新聞2008年下)

前後
1  アメリカ・ルネサンスの思想家ソローは、春の到来を喜びながら、はつらつと語った。
 「いままで以上に、この一年は若々しい希望で始まる!」(佐渡谷重信訳『森の生活』講談社学術文庫)
 新しい年度が始まった。
 フレッシュな新入生も、新入社員も躍動している。
 新しい人材群を大いに励まし、育て、伸ばしながら、皆が生まれ変わった息吹で、新しい大前進を開始したい。
 焦点は、「青年」である。青年の陣列を築いた分だけ、広宣流布は未来へ発展する。それが方程式である。
 青年とともに、青年のために、青年の心で、朗らかに拡大のスクラムを広げ、大勝利の5月3日を堂々と勝ち飾ってまいりたい!
2  勝つための信仰
 今や、創価学会は、皆様のおかげで、世界190カ国・地域へと拡大した。仏法の人間主義の哲学を基盤とした、平和と文化の大連帯を築くことができた。
 世界の一流の指導者や識者が、創価の思想・哲学に希望を見いだし、絶大な期待を寄せてくださっていることは、ご承知の通りである。
 いよいよ、これからが大事な時である。私はあらゆる分野で総仕上げをしていく決心である。
 仏法は勝負である。
 人生も勝負である。
 断じて勝たねばならない。
 勝たなければ不幸である。
 ゆえに世界中、どの社会でも、どの家庭でも、皆、頑張っている。戦っている。
 勝つための信仰なのである。
 我々の前進は、自分自身の生命を変革しながら、他者をも幸福にしていく戦いである。
 この自他ともの「人間革命」の道にこそ、絶対的な幸福があり、絶対的な勝利がある。
 文豪トルストイは、明快に宣言した。
 「精神革命によってのみ、われわれ一人ひとりは、自分のため、また人々のために人々の望みうるかぎりの最大の幸福、最良の社会を築くことができます」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
 文豪も、「精神革命」「人間革命」を志向していた。
 全人類の宿命をも転換しゆく、人間革命という最高の使命の道を、我らは勇んで進んでいこう!
3  広宣流布は「人」で決まる。
 リーダーが真剣で一生懸命であれば、全体が生き生きと発展の方向へ進む。
 反対に偉ぶって、自分は動かないで、人にやらせるばかりでは、歓喜は生まれない。皆、疲れるだけである。
 「善き人は、自分の身に何が起きるかということよりも、自分のなすべきことをなすことに、より心を配る」(同)
 これも、トルストイの言葉である。
 たとえ、状況がどうあれ、私は私自身のなすべきことを断じてなす!――これが、「勝ち抜くリーダー」の心である。
4  「英知は無限である、――そして英知を身につけて向上すればするほど、ますますそれは必要になってくる。人間はつねによりよい人間になりうるのである」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 これもまた、文豪トルストイの鋭い洞察である。
 人生は無限の求道である。無限の向上である。
 常に「これから!」だ。だからこそ、常に「初心」に帰ることである。
5  日本一の団結で世界一の拡大を
 日本一の団結で、世界一の拡大を!――この燃え上がる決意で、わが敬愛する第2総東京の友は、4月2日「第2総東京の日」を荘厳してくださった。
 男子部も、学生部も、女子部も、全国屈指の広宣流布の拡大、本当にご苦労さま!
 全世界の模範の婦人部を中心に、第2総東京の広宣流布の大発展は見事である。
 今、第2総東京は、幾重にも希望が広がっている。
 待ちに待った東村山文化会館の誕生おめでとう! 最強常勝の村山総区の健闘を讃えたい。
 きょう(4月5日)、意気軒高に総会を行う武蔵野総区では、念願の新・三鷹文化会館の建設が進んでいる。
 特区の誉れ高い町田総区では、町田平和会館が明年春、完成の予定である。おめでとう!
 第2総東京には、あの地にも、この地にも、懐かしい思い出がいっぱいだ。
 本年は、新立川総区の立川文化会館で女子部歌「青春桜」が発表されて30周年の佳節である。
 16年前、桜花爛漫の季節に訪れた、調布総区の調布文化会館も忘れることはできない。
 「王者の町」の誇りで進む府中総区には、師弟の人材城・府中文化会館が堂々とそびえ立つ。
 国立文化会館の桜まつりをはじめ、功徳黄金の小金井総区の地域友好にも喝采を送りたい。
 縁深き多摩池田総区の桜ケ丘文化会館で、福徳満開の人生を誓い合ったことも本当に懐かしい。
 若き日に破邪顕正の大法戦の歴史を刻んだ秋川総区の友も、異体同心の団結で進んでいる。
 そして以前、わが青梅総区の同志に贈らせていただいた一首を、今再び、皆様に捧げたい。
  歓声を
    あげゆく日々たれ
      我が人生
    強き祈りに
      宝は無限と
 また、お世話になっている東京牧口記念会館の共栄会の皆様方に、次の一首を贈らせていただいたこともある。
  御聖訓
    符合のままの
      学会を
    正義の祈りで
      君よ守れや
6  総仕上げの舞台
 この4月2日「第2総東京の日」、私は、皆様方を代表して、ロシアの名門トルストイ記念トゥーラ国立教育大学から、栄えある名誉教授の称号を拝受した。
 じつは、この大学が立つトルストイの故郷トゥーラ州は、わが第2総東京と深く響き合う天地なのである。
 すなわち、このトゥーラ州は、第2総東京のごとく、首都のあるモスクワ州に隣接して、豊かな自然に恵まれている。
 そしてまた文化・教育の発信の拠点であり、青年育成の揺藍でもある。
 この愛する故郷トゥーラ州のヤースナヤ・ポリャーナで、トルストイは、若き人材を育み、荘厳な人生の総仕上げを飾った。
 私にとっては、創価学園を擁する学園総区、創価大学を擁する八王子総区、そしてまた、ここ第2総東京こそが、皆様方とともに、わが人生の総仕上げを果たしゆく本舞台である。
7  拡大の渦巻の中心点!
 20世紀の初頭、人類最高峰の良識トルストイが活動する、このヤースナヤ・ポリャーナには、国を超え、人種や民族を超え、宗教を超えて、世界の知性が勇み集った。
 今もなお、巨人トルストイの足跡を慕って訪れる人々が絶えない。
 わが創価の平和と文化と教育の大本陣である第2総東京も、全世界から、多彩な識者が間断なく訪れる千客万来のにぎわいである。
 かつて、ドイツの作家トーマス・マンは、トルストイがいたヤースナヤ・ポリャーナを、「世界中のひとびとを引き寄せる渦巻の心、中心点」(山崎章甫・高橋重臣訳『ゲーテとトルストイ』岩波文庫)と明言した。
 まことに素晴らしい形容である。私は、わが愛する第2総東京こそ、世界中の人々を引き寄せてやまない「一閻浮提広宣流布の渦巻の中心点」であり、そして「創価の人材拡大の渦巻の中心点」であると、声を大にして訴えたいのである。
 今回の授与式に来日してくださったトゥーラ州のドゥトカ州知事一行も、桜花爛漫の第2総東京の地を訪問できた喜びを語っておられた。
8  また光栄にも、このたびは、「ロシア国立記念自然保護区・トルストイの屋敷博物館“ヤースナヤ・ポリャーナ”」のウラジーミル・トルストイ館長も、来日してくださった。
 〈館長は、トルストイ生誕180周年の激務の中、出張中のアメリカから駆けつけてきた〉
 館長は、トルストイ直系の玄孫(孫の孫)である。
 もともと館長は、国際的に活躍するジャーナリストであられた。
 その後、トルストイの屋敷博物館の館長に就任。わが使命を勇んで担い立たれたのだ。
 このウラジーミル・トルストイ館長は、力強く語っておられる。
 「わがヤースナヤ・ポリャーナは、ロシアの大思想家・大文豪トルストイの人生を語るだけではなく、トルストイが実現しようとしていた構想を継承し、行動すべきだと思っております。
 トルストイは、ここに学校を開き、庭をつくり、広大な事業を展開しました。トルストイ亡き現在も、その事業を継続すべく、尽力しています」
 ただ単に、偉人にゆかりの天地だから、光るのではない。その精神を受け継がんとする真剣な努力と行動、そして後継の人材の育成が絶対に不可欠なのである。
 ゆえに、ウラジーミル・トルストイ館長ご自身が、日々、トルストイの魂の著述を読み返しながら、教育と文化の事業を興隆させゆくために奔走されている。
9  平和と文化と教育の大遠征
 思えば48年前、昭和35年(1960年)のきょう4月5日。
 私は、妻とともに、現在の小平市たかの台を訪れた。
 わが創価学園の建設予定地を視察するためである。
 第3代会長への就任前、私は人知れず未来への壮大な先手を打った。
 この富士が見える武蔵野の第2総東京で、創価学園の創立へ着手したのである。
 これこそ、大教育者であられた初代、二代の悲願であり、創価の大理想を永遠に実現しゆく道であるからだ。
 48年前の4月5日を一つの源流として、師弟不二の魂が躍動する、人材の大殿堂・第2総東京が築かれていったのである。
 創価学園も、創価大学も、第2総東京の同志が、建設予定地の整備をはじめとして、今日まで尊き汗を流してくださっていることを、私と妻は一生涯、忘れない。
 きょう、創価大学の「池田記念グラウンド」が堂々とオープンしたとの報告もうかがった。
 ありとあらゆる次元にわたって、第2総東京の皆様は、学園も、創大・短大も、さらに東京富士美術館も、最大の真心で、厳として守り支えてくださっている。あらためて、心より感謝を申し上げたい。
 ともあれ、第三代の私は、平和と文化と教育の大遠征の記念すべき第一歩を、ここ第2総東京で踏み出した。
 本日、東京牧口記念会館に集った武蔵野総区も、その淵源となる「武蔵野支部」が結成されたのは、まさに、私が第三代に就任した昭和35年の5月3日、その日であった。
 明後年は、私の会長就任50周年であり、武蔵野支部の結成50周年でもある。
 ともどもに希望に燃えて、武蔵野の大地に地涌の人材が雲集する第2総東京を、一段と広宣流布の理想郷へと輝かせてまいりたい。
10  きょうは、新時代の創価学会を建設していくために、最も基本であり、最も根幹となる4点を確認しておきたい。
 第1に「祈り」。
 第2に「行動」。
 第3に「異体同心」。
 第4に「師弟不二」。
 これこそが、無上の人生を勝ち開いていく力である。
11  「祈り」が根本
 まず、第1に「祈り」である。
 正しき祈りほど、強いものはない。
 「祈りとして叶わざるなし」の信心である。
 「法華経に勝る兵法なし」の妙法である。
 いかなる戦いも、まず「祈ること」から始まる。そして「祈り抜くこと」である。「祈り切ること」だ。
 この素晴らしき模範を示してこられたのが、わが第2総東京の婦人部の皆様方である。
 まことに有名な「祈祷抄」の一節であるが、あらためて大聖人の御確信を深く拝していきたい。
 「たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空を結びつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことはないのである」(御書1351㌻、通解)
 ここで大事なのは、「法華経の行者の祈り」との仰せである。
 「法華経の行者」とは、いうまでもなく、大難を越えて妙法を行じ、正しく弘めゆく人のことを指す。
 現代でいえば、日蓮大聖人に直結して広宣流布を進めゆく私たち創価学会員である。
 創価の父・牧口先生は、「行者」と「信者」を厳格に立て分けておられた。
 ――自分だけの利益を願い、三障四魔との戦いのない者は、ただの「信者」にすぎない。広宣流布のための菩薩行に励み、三障四魔と戦っていく人こそ、真の「行者」であり、これこそ誉れの学会員である――と教えられたのである。
12  法華経の行者を諸天は必ず守護
 なぜ「法華経の行者の祈り」は叶うのか。
 御聖訓には、諸天善神は法華経に大恩がある。したがって、法華経の行者を守護しないことは、釈尊に対する忘恩になってしまうからであると説かれている。
 釈尊の広大な恩に報いるためにも、諸天善神は、末法に法撃経を弘通する人を見れば必ず、その人を守護する。もし守護しなければ、釈尊をも侮ることになってしまうと仰せなのである。
 〈「(梵天・帝釈などは)どうして、仏前の誓い、自身が成仏した法華経の恩を忘れて、法華経の行者を捨てられることがあろうか」(御書1347㌻、通解)、「法華経の行者を、もろもろの菩薩・人界天界の衆生・八部衆等・二聖・二天・十羅刹女等が、千に一つも来て守護しないことがあるならば、上は釈尊等の諸仏を侮り、下は九界の衆生をたぼらかす罪科を犯すことになる」(同1352㌻、通解)等と〉 
 妙法は、大宇宙の根源の法則である。何よりも大切な妙法を唱え、妙法を行じ、妙法のために戦う人の祈りは、まっすぐに大宇宙の根本の律動に合致していくのである。
 したがって祈りが叶わないわけがない。諸天善神も、仏菩薩も、必ず必ず護るのである。
13  大事なのは、広宣流布のための祈りである。
 すなわち、広宣流布を成し遂げゆく創価学会を護り、強く勝ち栄えさせていくための「誓願」の祈りである。
 妙法の偉大さを、わが人生で実証しゆく「仏法勝負」の祈りである。
 また、広宣流布を阻む強敵を打ち破りゆく「破邪顕正」の祈りがなければならない。
 御本尊には「若悩乱者頭破七分(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)」と峻厳にお認めである。
 苦しみの罪果から救うためにも、断じて邪悪を打ち砕くのだ。
 そして、わが同志が一人ももれなく幸福にと願う、「慈悲と勇気」の祈りを貫くのだ。
 御本尊には「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」ともお認めである。妙法の功徳は、あまりにも大きい。
 御書には「法華経を信ずる人の現世の祈りは必ず叶い、後に善処に生ずることは疑いないことである」(同1352㌻、通解)と記されている。
 広宣流布を断行しゆく、わが創価学会員の祈りこそ、「法華経を信ずる人」の祈りである。そこに、「現当二世」にわたる永遠の幸福境涯が築かれていくことは絶対に間違いない。
14  御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同1124㌻、通解)と、絶対の御約束である。
 法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」とも仰せである。病魔をはじめ、あらゆる魔を打ち破り、退散させていく根源の響きこそ、題目の師子吼なのである。
 御金言には、こうも記されている。
 「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(同557㌻、通解)
 深遠なる「一念三千」の法理にのっとって、題目は、あらゆる人々の生命に仏性を呼び覚ます。
 わが国土に、仏天の加護の働きをみなぎらせていく原動力である。
 さらに大聖人は、教えてくださっている。
 「題目を唱えたてまつる音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目の『大音』に入れて唱えたてまつるゆえに、宇宙の中で到達しない所はない。
 例えば、小さな音声でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである」(同808㌻、通解)
 題目の力が、どれほど偉大であるか。それは、大宇宙を動かしていく究極の力である。題目の音律は、わが生命の仏性を脈動させながら、大宇宙へと轟きわたっていく。
 題目を朗々と唱えゆく人は、わが生命力を満々とわき立たせながら、あの友、この友の生命を変え、そして、わが地域、わが社会、わが世界を、平和へ、繁栄へと向かわせいけるのである。
15  女性を尊重せよ
 大聖人は、「これまで多くの月日の間、日夜読誦しているところの妙法の功徳は、大空にも余っているであろう」(同1194㌻、通解)とも仰せである。
 題目の音声がみなぎる国土は、諸天善神を揺り動かしながら、必ず発展することができる。
 なかんずく、婦人部の真剣な題目の力に勝るものはない。
 とくに、大事な行事のたびに、無事故・大成功・好天を祈ってくださる「晴天会」「太陽グループ」をはじめ第2総東京の婦人部の皆様方に、私と妻は、いつも心から感謝の題目を送っている。
 婦人部が一番、祈っている。婦人部が一番、戦っている。大事なのは婦人部の皆様である。
 この尊き方々に対して、いかなる男性も、威張ってはならない。どこまでも尊敬し、感謝していかねばならない。
 ここに、これからの学会が、さらに栄えていけるかどうかの重大な急所がある。
 リーダーが、第一線で最も戦っている同志を大切にすれば、学会は、ますます伸びていく。それでこそ、学会は光る。
 反対に、立場や肩書にへつらい、虚名ばかりを追えば、必ず失敗する。陰険な悪い人間に威張られて、友の幸せが踏みにじられることがあってはならない。
 ともあれ、女性を下に見るような人間は、リーダー失格である。この一点を徹底するしかない。
 婦人部・女子部こそ、希望の太陽なのだ。
 大聖人御自身が、女性の門下を最大に讃え、大切にしておられた。
 仏法は、平和と幸福のための戦いである。戦っていない人間の声には、重みがない。
 広布のために戦ってくださっている方々の切実な声、真剣な声に、誠実に耳を傾ける。ただちに応える。実行する。
 ここに、万年の発展への道があることを、絶対に忘れてはならない。
 世界一の婦人部・女子部を最大に尊重し、これまで以上に女性が輝く広布第2幕を、晴れ晴れと築いてまいりたい。
16  戸田先生は、よく語っておられた。
 「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が3つある。1つ、題目。2つ、題目。3つ、題目である」
 「題目を唱え奉ることが、仏の境涯を開発することである」
 「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
 題目の力用は、万人が直ちに実感し、そして体得できる仏法の真髄なのである。
 時代は深く病んでいる。この最極の大良薬を、一人でも多くの友に伝え広めていきたい。
 さらに、戸田先生は強調しておられた。
 「先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。これが、学会の目的である」
 ともあれ、誠実に友の幸福を祈る人は、自分自身の生命が歓喜に満ちてくる。
 破折の剣をもって祈る人は、正義の心が躍動してくる。
 広宣流布の大願に立って祈る人は、境涯が大きく広がっていく。
 そして、師弟共戦の誓いをもって祈る人は、師と同じ大生命力をわき立たせゆくことができる。
 「日々、題目をあげ、信心強く生き抜いていることは、毎日、ダイヤモンドの注射を生命に打っているようなものだ」
 これも、戸田先生の指導である。
 白馬がさっそうと大草原を駆けゆくような、凛然たる祈りで、我らは、すべてを強く強く勝ち開いてまいりたい。
17  組織を発展させていく要諦は、何か。
 それは中心者の一念である。どこまでも「師弟の精神」を根本に、学会とともに、まっすぐに生き抜くことだ。
 そして、大事なのは真剣さだ。行動である。
 リーダーが必死に祈り、動いている組織は発展する。反対に、中心者が内では威張ってばかりで外に打って出ないような組織は発展できない。
 自らが率先して、人と会っていく。新しい友情を結んでいく。そして、学会の偉大さ、師弟の素晴らしさを堂々と語り抜いていく。それでこそ、きひら新しい時代は切り開かれていくのだ。
 中心者が本当に真剣に戦って、充実した一日一日を送っていれば、周りにも勢いが伝わる。歓喜はどうの波動が広がっていく。皆も幸せになる。
 組織といっても、中心者で決まる。この一点をあらためて訴えておきたい。
 もちろん「真剣」といっても、怖い顔ばかりしていたら、皆、逃げていってしまう。心には闘志をたぎらせながら、友に会うときはニッコリと微笑んで、温かく励ましていくことだ。
 ともあれ、信心とは「幸福への行動」である。仏法の生命は、どこまでも「行動」の中にこそあるのだ。
 絶対勝利の4原則の第2は「行動」である。
18  「道の遠さに、志が現れる」
 まもなく、立宗の日(4月28日)を迎える。末法万年の全民衆を救うため、日蓮大聖人は大慈悲で立宗宣言をされた。それは、大難と戦い、尊き弘法の歩みを貫く出発点となった。
 この立宗宣言に至るでの間、若き大聖人は向学の行動に徹していかれた。
 大聖人は述べておられる。
 「随分あちこち走り回り・12・16の年から32歳に至るまで20余年の間、鎌倉・京都・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々、寺々をあらあら学んで回った」(御書1407㌻、通解)
 真実の民衆救済の大法は何なのか――。
 それを明らかにするために、大聖人は仏道を志されて以来、立宗宣言の32歳までの間、諸国を回りに回り、研鑚を重ねられたのである。
 御聖訓には、こうも仰せである。
 「天台大師の御弟子の章安という人は、万里の道を踏み分けて法華経を聴かれた。伝教大師は二千里を経て摩訶止観をならい、玄奘三蔵は二十万里も旅して般若経を得られた。道の遠さに志があらわれるのであろうか」(同1223㌻、通解)
 求道と弘通の仏法者たちは、遠き道のりを、ものともしなかった。ただ民衆救済の大法を求めて、万里の道を歩きに歩いた。その道は、仏法探求の大道であり、仏法弘通の大道であった。
 行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか――そこに本当の信心が現れるのである。
 求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。
 「心こそ大切」である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。
 役職や立場ではない。「行動」という姿そのものに、その人の信心の厚薄が端的に現れるといえる。
 広宣流布のために現実に行動している人こそが最も尊いのだ。その人を大切にすることを、リーダーは決して忘れてはならない。
19  歩きに歩いた
 大聖人は、遠方まで、はるばる御供養をお届けした弟子の信心を、こう讃えておられる。
 「たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが、わかります」(同1554㌻、趣意)
 さらにまた、御書にはこう記されている。
 「一切衆生が法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(歩いて)南無妙法蓮華経を弘通している」(同816㌻、通解)
 釈尊とその弟子たちも、歩きに歩いた。
 大聖人とその門下も、歩きに歩かれた。
 牧口先生も、戸田先生も、歩きに歩かれた。
 「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ、学会にあっては私の真の弟子である」
 この戸田先生の指導のままに、私も、行動に徹してきた。世界中を動き、走ってきた。
 この「行動」によってこそ、太陽の大仏法は、世界190カ国・地域にまで正しく伝えられ、広まってきたのである。
 戸田先生は、「誠意、誠実といっても、行動がともなわなければ、何にもならないぞ」とも、よく言われていた。
 私も「行動」しか信じない。いな、「行動」しか信じられない。
 大聖人は御書の中で、法華経法師品の次の文を何度も引いておられる。
 「よくひそかに一人のためにでも、法華経、乃至はその一句だけでも説くならば、まさに知るべきである。この人は如来の使いであり、如来から遣わされて如来の振る舞いを行じているのである」(同1359㌻、通解)
 妙法を語り、弘めゆく「行動」こそが、仏に連なる道である。これは永遠に変わらざる法理である。
  青春を
    悔いなく飾れや
      自らが
    人間錬磨の
      行動 起こして
 清き心で行動を続ける、白蓮グループの友に贈った一首である。
20  第2総東京の皆様は、新たな広宣流布の拡大の道を開くために、智慧をわき出して、先駆の行動を生き生きと起こしてこられた。
 婦人部と女子部が一体となって『新・人間革命』を研鑚し、友人もともに参加されゆく「コスモス平和大学校」も、まことに素晴らしい。
 また婦人部の「御書アカデミー」も、「行学の二道」の大いなる推進力である。
 女子部時代から、まっすぐに薫陶を受けてきた方々が活躍する、ヤング・ミセスの「マイ・サークル運動」も、さわやかな共感と友情を広げている。
 さらに婦人部の「女性広報部」の人間外交も、なんと清々しいことか。
 愛するわが地域に貢献しゆく、若手の壮年・婦人部の「地域先陣会」の方々も、深く地元に信頼の根を張っておられる。
 さらに、正義と勇気の「教宣部」の皆さま方の健闘も、大聖人は、どれほど賞讃してくださっていることか。
 広宣流布を妨げる悪に対して、ずる賢く沈黙したり、傍観したりすることは、それ自体が悪に通じてしまう。
 御書には仰せである。
 「法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる」(同1412㌻、通解)
 この戒めを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 仏法破壊の悪人とは、「言論の剣」で、断じて戦い抜いていくことだ。
 今いる場所を使命の舞台に
21  どんな場所であれ、今いる場所が、わが使命の舞台である。そこで最高の広宣流布の思い出を残していただきたい。
 若き日に私は、東京・大森の「青葉荘」に住んでいた。狭い部屋で座談会も行った。
 その後、大田区山王のアパートを経て、小林町に引っ越した。
 小林町の家は小さく、住み始めた最初は塀もなかった。あの家で、さまざまな方と語り合った。
 「創価学会の会長というのは、こんなに質素な生活なのですか」と驚く方が何人もおられた。わが家に気づかず通り過ぎ、探し回る人もいた。
 大森も、山王も小林町も、いずれも、つましい家だった。しかし、いずれも、青春の金の城だった。私はそれぞれの地を拠点に、広宣流布の理想を抱いて、全力で走り抜いた。そして勝っていったのである。
22  「同体異心なれば諸事叶う事なし」
 仏法の世界が、なぜ美しく、深く、強いのか。それは「異体同心」という究極の団結があるからだ。
 絶対勝利の4原則の第3は、「異体同心」である。これこそ、広宣流布を成就させる要諦だといえよう。
 異体同心の組織は、必ず発展する。反対に“同体異心”“異体異心”の組織は、必ず衰退する。
 「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」とは、永遠に忘れてはならない大法則であり、黄金律である。
 勝負は、ひとえに異体同心の組織をどう築いていくかにかかっていると言っても、決して過言ではない。
23  「水魚の思」で
 幾たびも拝してきた御文だが、「異体同心事」の甚深の一節を、重ねて生命に刻んでまいりたい。
 「一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし
 異体同心の団結があれば、必ず広宣流布できる、必ず勝てるとの大確信であられた。
 有名な「生死一大事血脈抄」には、こう説かれている。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か
 広宣流布は魔軍との戦いである。
 どんな金城鉄壁の城も、一カ所、どこかに隙のある場所、弱い場所があれば、そこから敵に攻こめ込まれてしまう。
 いわんや、城の中に「異体異心の者」がいれば、魔にたやすく城を撹乱される。
 この御文に続けて、「剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」と仰せの通りだ。
 あの熱原の法難(弘安2年=1279年)の前年に、大聖人が「くれぐれも、駿河の人々は、皆、同じお心でおられるように、とお伝えください」(同1487㌻、通解)と強調されたことを、深く拝していかねばならない。
 戸田先生も、「団結第一でいけ!」と徹して訴え抜いておられた。
 また、「御書にあるように『自他彼此の心なく』異体同心であってこそ、生死一大事の血脈、仏になる血脈を継いでいるのだというのです」とも語られた。
24  「信心の団結」を
 また、「水魚の交わり」という言葉もある。
 『三国志』において、劉備玄徳が、智慧の名将・諸葛孔明との絆を重んじた故事に由来する名句である。
 ちなみに、孔明は劉備よりも20歳若かった。しかし、年下だからといって、見下したりするのではない。英知が光り、正義に生きる青年を、一個の人格として、最大に尊敬していったのである。
 異体同心の団結には、上も下もない。
 「同体」ではない。「異体」である。それぞれの個性、特質を大事にして、皆が「同じ心」で、平等に力を合わせていくのである。
 戸田先生は言われていた。
 「創価学会のこれまでの発展というものは、なんの団結によるものかといえば、信心の団結以外には何ものもない。
 異体だが、同心とするものの団結である。
 心などというものは、縁に紛動されて、どうにでもなってしまう。それが同じ心になるというのは、よくよくのことだ。号令をかければ簡単にできるなどというものではないのです」
 めまぐるしく動く、自分の小さな感情にとらわれていては、「異体同心」はできない。
 富士のごとく、どっしりと、何ものにも揺るがぬ自分自身の信念を堅持することだ。そして また、大海原のように境涯を広げながら、同志を包み、励ましていくことだ。
25  一歩一歩、広布の大道を
 戸田先生は、わかりやすく、こうも語っておられた。
 「君も苦労しているか、君も苦しいか――それでは、お互いに御本尊を拝もうではないか。
 これを異体同心というのです」
 御書には、次のように仰せである。
 「絶対に、法華経を受持する者を互いにそしる(悪意の心でののしる)ことがあってはならない。
 その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである」(同1382㌻、通解)
 「法華経を一偈一句でも説く人に対しては、『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理であるから、法華経を持った者は、仏を敬うがごとく、互いに尊敬し合うべきである。たとえば、法華経の宝塔品の儀式のとき、多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座(=並び座る)したように、互いに尊敬し合わなければならない」(同1383㌻、通解)
26  「名聞名利」の輩を追い出せ」
 さらに、「異体同心」を固める重要な点がある。それは「城者として城を破る」動きを許さぬことだ。
 師子身中の虫である「異体異心の者」と徹して戦い、その魔性の根を断ち切っていくことだ。
 戸田先生は厳命なされた。
 「いかなる幹部であろうと、広宣流布を忘れ、自己の名聞名利で、自己の派閥をつくろうとする人間には、断固として、幹部が団結し、自分勝手な利己主義の輩を追放せよ」
 “戸田の命より大切”と言われた、この創価学会の和合を、未来永遠に護り抜く。
 広宣流布の命脈は、この一点にあると訴えておきたい。
  千万の
    誉れも高き
      同志かな
    異体も同心
      永遠とわに不滅と
27  「異体同心」の前進のために、一番、肝心なことは何か。それは「師弟不二」で生き抜くことだ。
 「師弟不二」こそ、「異体」を「同心」たらしめる要諦である。それが絶対勝利の4原則の第4点である。
 日蓮大聖人は、油断ならない状況のなかで信心に励む池上兄弟の二人に、こう教えられた。
 「こう言うと恐縮ですが、お二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いと思い合わせていきなさい。もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸仏・諸天等の)加護がどうなってしまうかと考えていきなさい」(御書1108㌻、通解)
 一人一人が、師と心を合わせ、広宣流布に前進する決意を深めていった時に、初めて異体同心の団結が固まる。そこにこそ、妙法の功力が燦然と発揮されていくのである。
 さらに御書を拝したい。
 「師弟相違せばなに事も成べからず
 「日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし
 「もし法師に親近するならば、速やかに悟りの道を得るであろう。この師に従って学ぶならば、恒河の沙の数ほどの仏にお会いできよう」(同1070㌻、通解)
 「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同1151㌻、通解)
 「法華経の大海のような智慧の水を受けた根源の師を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず地獄等の六道の迷苦の生死を巡るという災いにあうこととなろう」(同1055㌻、通解)
 一つ一つの御金言に明確なように、仏法の極意は「師弟」にあるのだ。
28  日興上人は仰せである。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」
 「師弟不二」にこそ、成仏を決しゆく根幹がある。そして「師弟不二」にこそ、広宣流布を永遠たらしめる大道がある。
 これまでも論じてきたように、日興上人と、違背の五老僧を決定的に分けた点が、「師弟不二」であった。
 日興上人は、日蓮大聖人を「末法の御本仏」と正しく拝し、あくまでも自身を「日蓮大聖人の弟子」と誇り高く称されていた。
 それに対して、五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて、愚かにも、「天台沙門」と名乗った。さらに、大聖人が庶民のために仮名まじりで記された御手紙などを、師の恥であるといって、焼き捨てたり、すき返したりした。
 日興上人御一人が、この仮名まじりの御書を大切に護り、未来に翻訳して、中国やインドなど世界へ伝えていくことまで、御心に定めておられたのである。
 〈日興上人は「日本の大聖人の金言も、広宣流布する時は、また仮名文字を翻訳して、インド、中国に流通すべきである」(御書1613㌻、通解)と仰せである〉
 「師弟不二」を厳粛に貫き通された日興上人と、師弟に徹しきれなかった五老僧の違いは、あまりに歴然としていた。
 広宣流布は「師弟不二」であってこそ成し遂げることができるのである。
 「師弟」という柱がなければ、たやすく自分の感情に流され、時代の状況に流されてしまうからだ。「師弟」がなければ、難に直面したとき、あまりにも、もろく崩れ去ってしまうからだ。
 大聖人の御入滅後、日興上人の峻厳なる師弟不二の大闘争は、半世紀以上に及んだ。
 その烈々たる執念の破邪顕正の法戦によって、五老僧の邪義は、完壁に打ち破られたのである。
 戸田先生が逝去されて50年――。
 私は、先生の直弟子として、一点の曇りもなく、万年に輝きわたる「弟子の道」「後継の道」「不二の道」の規範を打ち立てることができたと確信している。
  師子王と
    なりて今世を
      勝ち征かむ
    師弟不二なる
      大道歩みて
 創価の師弟不二の完勝を、私は、第2総東京をはじめ全世界の同志とともに、晴れ晴れと宣言したい。
29  精神を受け継ぎ改革の名指揮を
 トルストイは語った。
 「ただ信仰のみが人間を結合させる」(米川正夫訳「信仰について」、『トルストイ全集』第16巻所収、岩波書店。現代表紀に改めた)
 「団結は、互いを高めるために良いのである」
 かのトルストイ家の子どもたちが通い、トルストイ自身もしばしば訪れた学校の場所に立っているのが、トゥーラ国立教育大学である。
 今回、お越しくださった、聡明な女性教育者であるシャイデンコ総長の指揮のもと、トゥーラ国立教育大学は、ロシアの名門教育大学として大発展されている。
 じつは、総長は、母校であるトゥーラ国立教育大学の総長に就任されたとき、ロシアのなかで最も若い総長の一人であったという。
 若き総長は、年齢が自分より上の経験豊かな教員や、かつてお世話になった教員の方々も、リードしていかなければならなかった。
 礼儀を尽くし、調和を図るのは当然としても、遠慮したり、委縮していては、改革や前進の指揮を執ることはできない。
 そのなかで、英邁な総長は、トルストイの精神遺産の継承を高らかに掲げ、団結のリーダーシップを見事に執ってこられた。そして真剣に、誠実に、忍耐強く力を発揮して、皆の信頼を勝ち得てこられたのである。
 トゥーラ国立教育大学は、トルストイという大師匠のもと、皆が団結して進んでこられた。
 学会の組織にあっても、「広宣流布」という大目的に向かって、「師弟の精神」のもとに、皆が団結していくことだ。また、皆を団結させていくことである。
 先輩は、若いリーダーが伸び伸びと力を発揮できるように道を開いてあげる。後輩は、尊い功労者が張り合いをもてるよう、心を配る。
 大事なことは、全体が、広宣流布へ、新たな一歩前進をしていくことである。
30  若き友に“精神の宝”を贈れ
 トルストイは、2歳になろうとする時、母を亡くし、さらに9歳になる前、父も失った。
 若くして、そうした深い悲しみを乗り越えた魂こそが、人類を照らし、励ます光を放っていくのである。
 父母を亡くしたトルストイを、父のごとく、母のごとく支えてくれたのが、美しく豊かな故郷トゥーラの大地であった。
 また、母に代わって、トルストイを育て、深い影響を与えた一人が、ヨールゴリスカヤという遠縁にあたる婦人であった。
 青春時代の試練のとき、彼女は、こう激励してくれた。
 「愛しいリョーバ(トルストイの名レフの愛称)よ、こういう嫌なことも、忍耐強く、逞しく耐えるのです。
 人生は、いつもバラ色の時ばかりではないのですから。勇気を失ってはいけません」
 温かく見守ってくれている婦人の存在が、どれほど若きトルストイを勇気づけたことか。私には、未来部の担当者の方々の姿と重なりあって迫ってくる。
 第2総東京は、未来部育成においても、模範を示している。
 若き友を大いに励まし、育て、伸ばしていこう!
 トルストイにとって、ヨールゴリスカヤは“心の美しさの手本”であった。彼女から“人々に尽くす献身の姿勢を学んだ”と、トルストイは感謝を込めて語っている。〈『復活!! トルストイ――生誕100年祝典号』昭和女子大学学園本部トルストイ室を参照〉
 言葉だけでなく、先輩の姿が、振る舞いが、生き方それ自体が、後輩の手本となる。
 そして、心の美しさこそ、最高に尊い。精神を育む糧こそが、最高の宝なのである。
 トルストイは喝破した。
 「外部の優秀さのみを誇る者は、精神の価値や、その高邁な意義を解さぬ人である。何故ならば、精神的の価値は、物的のそれとは比較にならぬ程高いからである」(小西増太郎訳『生きる道』桃山書林。現代表記に改めた)
 真心からの励ましの一言が、どれほどの精神の糧となるか。
 「善は他人の心に善を喚び起こし、たとえそれが外に見えずとも、確かにその効果を生ずる」(八杉貞利訳「訓育に関する諸考察」、『トルストイ全集』第20巻所収、岩波書店。現代表記に改めた)。
 反対に、心ない一言が、どれほど人の心を傷つけてしまうか。
 「一語は大事である。一閃の火が全村を焼き得る如く、一語から至大の不幸が生じ得る」(八杉貞利訳「修身問題に関する児童達との対話」、同)
 トルストイの人材育成についての言葉である。
 御聖訓には「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」と仰せである。
 いかなるときも、私たち創価家族は、温かく励ましあって前進していくことを忘れてはならない。
31  「常楽我浄」の生命の旅路を
 トルストイの生命観に――
 「生命は死によって滅びるものではなく、形を変えるだけである」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
 「もし生が――幸福であるならば、生の欠くことのできない条件である死もまた幸福である」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 「他者を助け、できる限りのことを為したとの実感があれば、死さえも、苦しみではなく、歓喜となる」と。
 私が、ハーバード大学での2度目の講演(1993年)で論じた「生も歓喜、死も歓喜」という生死観とも響きあっている。
 この私の講演を基軸として、今、アメリカでは、最高峰の知性の先生方が考察を深めてくださっている。ともあれ、世界は、大仏法の哲理を志向している。
 この「常楽我浄」の生命の旅路を、さらに誇りも高く、ともどもに、明るく朗らかに、そして、勇敢に堂々と進みゆくことを決意しあって、私の記念のスピーチとしたい。ありがとう!

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