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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部最高協議会  

2008.2.27 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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2  すべてが福徳に
 学会のため、広宣流布のために戦えば、すべてが福運となる。偉大な福徳となって生々世々、わが身を飾っていく。
 これが偉大な仏法の力用である。
 確固たる幸福への基盤を築く。最高の人生を生きる。そのための信心であり、学会活動なのである。
 私は、全同志に“本当に楽しい。幸福だ!”と言えるような人生を歩んでもらいたい。いつも、そう願っている。
 学会の組織においては、さまざまな立場がある。新しい人材が自分に代わって中心者となり、今度は別の立場で、その人を守り、支えていく場合もあるだろう。
 しかし、そうした場合でも、信心は一歩も引いてはならない。引いてしまったら、自分が損をする。
 どこまでも、広布のため、同志のために全力で戦い抜いていく。その気概を絶対に失ってはならない。
3  きょうは、首都圏の代表が参加しておられる。
 東京、第2総東京、山梨の皆さん、いつもありがとう! 立派な人材が、陸続と育ってきている。
 埼玉の皆さんも、ご苦労さま!
 埼玉は大事だ。立派な埼玉を築いてほしい。「埼玉、頑張れ!」と申し上げたい。
 千葉、そして関東の懐かしい同志ともお会いできて、本当にうれしい。
 神奈川をはじめ東海道の皆さんも、ようこそ! 皆さんの活躍は、よく存じ上げている。
 また、わが地域で幸福の連帯を広げゆく全国の友に、最大に感謝申し上げたい。
4  創価の城を守れ
 リーダーの皆さんは、どこまでも創価の「師弟の精神」を根本として、戦い、進んでいただきたい。
 そして、連携を密にして、団結することだ。未来にわたって、学会を守り、師弟の精神を守り抜く。そうした婦人部であってもらいたい。
 もし将来、学会の中に悪い人間が出るようなことがあれば、皆が心を合わせて、一体となって戦うのだ。
 “三代の会長は、こう言っていた。あなたのやっていることは、おかしいではないか!”
 “私は師弟の精神を教わってきた。師匠から、長年にわたって指導を受けてきた。あなたの言っていることは、それと違うではないか!”
 そう言って、立ち上がるのだ。絶対に、悪人を、いい気にさせてはならない。断じて見逃してはならない。
 婦人部がどれほど大事であるか。私は、そのことをだれよりも知っている。だからこそ、未来のために、あえて言い残しておきたいのだ。
5  欧州ポーランドの作家レイモントは、高らかに春を謳い上げた。
 「春はわたしだ。わたしこそ春なのだ」
 「世界がいっせいに、色づき、生命を得、喜び、躍動して歌い始めた」(金子佳代訳「ポーランドの春」、『ポーランド文学の贈りもの』所収、恒文社)
 今、このポーランドをはじめ、欧州の各地でも、厳しい寒さに負けず、創価の女性たちが、生き生きと活躍し、歓喜の春を開いている。
 19世紀のイギリスの女性詩人エミリ・ブロンテは、こう綴っている。
  「危難や悲嘆や暗黒があたりをすべて取り巻こうと
   何のことがあろう、
   ただわたしたちの胸の内に
   輝かしい 穢れなき空を抱き、
   冬の日を知らぬ太陽の光線ひかり
   無数に入り交じり、温かくさえあれば」(川股陽太郎訳「創造力によせて」、『ブロンテ全集10』所収、みすず書房)
 尊極の“妙法蓮華経の当体”である婦人部、女子部の皆さま方が清々しく語り、明るく動くところ、いずこであれ、陽光が輝く。
 春風が吹きわたり、希望の花が咲き薫る。
 このエミリ・ブロンテは、遠く離れて苦労している妹アンに、手紙で呼びかけ励ました。
 「勇気を、勇気を」と(青山誠子著『プロンテ姉妹』清水書院)。
 勇気に勝るものはない。
 勇敢な創価の女性の心こそ、「冬」に打ち勝つ、「春」の生命そのものであるといってよい。
 春は、生きとし生けるものを躍動させる。万物を伸ばし育み、開花させゆく力を持っている。
6  桜を仰ぎながら
 意義深き50周年の3・16「広宣流布記念の日」も、いよいよ間近だ。
 全国に先駆けて桜の季節を迎えた沖縄では、尊き同志が見事なる勝利の歴史を刻んでおられる。
 戸田先生は、にぎやかに咲く桜の花が好きであられた。
 “花が一夜に”の学会歌も、好んで歌われた。
   花が一夜に 散るごとく
   俺も散りたや 旗風に
   どうせ一度は 捨てる身の
   名こそ惜しめや 男なら
 先生は、この歌に、広宣流布への不惜身命の決意を込めておられたのである。
 桜といえば、かつて、東京・信濃町の旧第1青年会館を改築する際、当時の幹部らが、その前にある桜の木を切ったほうがいいと主張した。
 しかし、私は「残すべきだ」と言って反対した。
 最終的に、この桜は残ることになった。私は後に、この桜を「青年桜」と命名した。
 今では毎年、春になると、学会本部を訪れる方々が、この「青年桜」を「素晴らしい!」と仰ぎ見て、讃嘆している。
 また、学会本部の近くの道に、桜の苗木を植えたことがある。当時は、だれも思いもしないことであった。
 桜はやがて大きく育つだろう。私は、「舞い散る花を見つめながら歩みゆくなんて、素晴らしい“絵”のようではないか」と皆に語った。
 今では、皆が感嘆する、美しい“桜の道”となった。
 ともあれ、創価の新しき人材の花が、爛漫と咲き誇る時が来た。
 アメリカの民衆詩人ホイットマンは記した。
 「自らが偉大な人を育てる。そして、偉大な人を育てられる人を育てていく……すべては、そこから始まる」
 新しい人材を育てる。青年を育てていく。そこから、すべてが始まる。広宣流布は、人材で決まるのだ。この一点を、あらためて確認しておきたい。
7  新世代のために
 婦人部の皆様は、平和の先駆者である。
  偉大なる
    母が平和の
      力なり
 広宣流布の戦いは、一日たりとも休みなく進む。
 蓮祖は「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と仰せである。
 私は、文明を結び、人類の未来へ指標を贈りゆく、世界の知性との語らいを、間断なく続けている。
 傑出した国連の指導者として活躍してこられたチョウドリ前事務次長との対談も、いよいよ連載が開始される。〈月刊誌「潮」の5月号からの予定〉
 タイトルは、「新しき地球社会の創造へ――21世紀の国連と民衆を語る」〉
 国連改革から世界市民の育成、さらには、大詩人タゴールをはじめとする文学論等々、幅広いテーマをめぐって語り合っていく予定である。
 チョウドリ前事務次長といえば、「平和の文化」の理念を、国連をはじめ、国際社会に広めてこられたことでも知られている。
 このチョウドリ博士が、「平和の文化」の担い手として、絶大な信頼と期待を寄せておられるのが、創価学会婦人部をはじめ、草の根の女性たちの活躍である。
 それは、なぜか。博士は、対談のなかで語っておられた。
 「女性は、生命を生み、また育むという特質のゆえに、本質的に平和主義者です」
 「社会のために、そして現在と未来の世代のために、女性の方が、ずっと深く心を砕いています。その意昧では、女性こそ、あらゆる社会の屋台骨なのです。女性が社会を一つにまとめているのです」
 この点でも、私たちの見解は一致した。
8  母に感謝を!
 博士は、こうも述べられている。
 「女性は、苦しみを取り除きます。時には、社会の苦しみを取り除くために、それを我が身に引き受けることさえするのです」
 女性には「奉仕」の心、「慈愛」の心が光っている。
 こうした女性の特質は、社会を発展させゆくために、なくてはならないものであると、博士は論じておられた。
 この“抜苦与楽”の究極の実践を、一日また一日、たゆみなく貫いておられるのが、わが婦人部の皆様方である。
 ともあれ、母の声は「希望の声」である。
 母の祈りは「正義の祈り」である。
 母の行進は「生命尊厳の大行進」である。
 母を見失った時、人は根無し草のように、虚栄と不安と迷走の人生となる。
 母への感謝を忘れた時、世界は冷酷な無慈悲の牢獄となってしまう。
 ゆえに、母に最敬礼して、母から学びゆくことだ。
 女性を最大に尊重していくことだ。
 母の慈愛を根本とし、女性の智慧を大切にしていくならば、どれほど社会は変わることか。
 どれほど文明の“表情”が人間らしく変貌することか。ここにこそ、最も確実に人類史を変えゆく、平和と幸福の大道があるといってよい。
9  チョウドリ博士は、女性と男性の違いを、ユーモアを交えながら、指摘されている。
 「私は、男性より女性の方が、冷静沈着だと思っています。
 男性は激しやすく、不安定の場合が多い。すぐに激高します。
 女性は、その特質と、多くの場合、母親であることによって、人生の苦しみや困難を、より深く受けとめ、これらの苦難を悠々と乗り越えていけるようになるのです。
 それは、男性にはできないことです。男性はすぐ動揺してしまいますから」
 そして「女性の世紀」を展望しつつ、こう結論しておられた。
 「多くの国々において、女性はもはや、男性が女性のために活躍の機会を創るのを待ってはいないでしょう。
 女性は、自分たちの手で創っています」。れから、ますます、そうなっていくでしょう」
 「女性の世紀」の先頭を走りゆく、わがSGI(創価学会インタナショナル)の婦人部・女子部の皆様に、博士は惜しみない賞讃を送っておられる。
 世界のどこに行っても、婦人部や女子部が、その地域で、はつらつと活躍し、貢献している。
 博士は、そうした姿に接することが何よりもうれしいと、折々に声を寄せてくださっている。とくに、創価学会の女性平和委員会とは、長年にわたる交流を続け、その運動を絶讃してこられた。
 チョウドリ博士は語ってくださっている。
 「創価学会の婦人部と女子部の皆さまが、平和の文化の推進、女性と子どもの権利の推進、社会における女性の地位の推進、人類の目標全般の推進のために重ねてこられ貢献を、とても誇りに思います。
 それは素晴らしいことであり、この女性の皆さま方は、SGIの中でも最も活動的で、熱心で創造的な方々です。この素晴らしい団体の一員であることを誇りにしてください」
 これが、人類の議会・国連を牽引してこられた「平和の文化」の先覚者の明言である。
 そして博士は、創価の母たちの精神性、心意気、そしてエネルギーが、次の若い世代に注ぎ込まれていくことを、強く期待されているのである。
 〈チョウドリ博士からは、池田香峯子名誉会長夫人の誕生日(2月27日)にあたり、祝福のメッセージが寄せられている。
 さらに、博士はこうも述べている。
 「香峯子夫人は、物静かで穏やかな、素晴らしい方です。しかし、その優しさの中にさえ、私は強さを見出します。
 その強さは、香峯子夫人の慈愛の深さと、社会の善のために働くという、固い決意から来るものではないでしょうか」〉
10  子を抱きしめ続けた母
 わが創価学会の婦人部が、なぜ、世界一の正義と和楽のスクラムを築き上げることができたのか。
 それは、釈尊、そして日蓮大聖人の仰せ通り、一分も違わずに、広宣流布の信心の正道を歩み通してきたからである。
  あまりにも
    尊き母の
      法戦に
    大聖人は
      涙し守らむ
 御義口伝には、こう仰せである。
 「大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり
 母の慈愛が、どれほど深く、どれほど尊いものか。
 御本仏の大慈大悲も、他の何ものでもない、「母の子を思う慈悲」に譬えられているのである。
 蓮祖は「正法を護り抜く信心」の真髄を、「涅槃経」で説かれた一人の母の姿を通して教えておられる。
 佐渡での流罪中、極寒のなか綴られた「開目抄」で引用されている。〈御奮283㌻〉
 ――居るべき家もなく、助けてくれる人もいない、一人の貧しき女性がいた。
 彼女は、生まれたばかりの愛児を抱きかかえて、他国へ艱難の旅を続けた。その間、激しい風雨に遇い、寒さにも襲われ、毒虫に食いつかれた。
 しかし、それでも、わが子を手放さなかった。
 やがて、ガンジス河を渡ろうとすると、流れが速くて、呑み込まれてしまった。
 幼子を離せば、自分だけは助かることができたかもしれない。だが、母は子を抱きしめ続けた。そして、母子ともに没してしまった。
 しかし、この母は、その後、梵天に生まれた。わが子に対する、深き慈悲の心の功徳のゆえである――と。
 釈尊は、この命懸けの母の慈悲と勇気の行動を通して、弟子、なかんずく男性の弟子たちを厳しく叱咤したのである。
 「法を護ろうとする菩薩も、まさにこのようにあるべきである」
 「正法を護るためには命を捨てよ」と。
 小さなエゴの壁を破り、偉大な仏の境涯に上りゆくためには、この母のように不惜身命の心で、正法を護り抜くべきであることを、釈尊は示したのである。
 釈尊、そして大聖人が教えられたままに、師とともに、「勇気」即「慈悲」の信心を貫き、正法を護り、正法を広宣流布しゆく創価学会を護り抜いてくださったのが、わが婦人部の皆様方である。
 だからこそ、大功徳が無量無辺に積まれ、梵天・帝釈も動き働いて、仏法史上、いまだかつてない、世界190カ国・地域への広宣流布が開かれたのである。
 創価三代の師弟の道を歩み抜いてこられた婦人部の皆様方にこそ、仏法の正統中の正統の血脈が流れ通っている。
 創価学会婦人部こそ、仏の生命体そのものであることを、私たちは「文証」、「理証」、そして「現証」に照らして、厳然と宣言しておきたい。
 この母の大連帯を、人類の宝とし、希望として、貧困や疫病、紛争や暴力などに苦しむ世界の母と子の悲劇の流転に、断固と終止符を打っていく。
 そして、すべての母と子の微笑みが絶えない、歓喜の旅路を開いていく。これこそが、私たちの広宣流布の挑戦なのである。
11  悩める友を放っておかない
 今年は、「世界人権宣言」が国連で採択されて60周年に当たる。
 この宣言の起草をリードしたのが、エレノア・ルーズベルトである。アメリカの「人権の母」と慕われ、敬われる彼女は、差別と戦い、貧困の克服に尽力した。
 夫のフランクリン・ルーズベルト大統領が病にかかり、両足が不自由になると、夫以上に、支持者や国民のために行動していった。母として、子どもたちを育て上げてもいる。
 以前、彼女の姪にあたる方から、彼女の著作の初版本や直筆署名入りの書簡など、貴重な遺品をお届けいただいた。
 「おそらく」――と、エレノアは言った。
 「多くの女性にとって、人のために行動することは、決して重荷ではないのです。なぜならば、それこそが、人生を生き甲斐のあるものにするからです」というのである。まことに、その通りである。
 創価の母たちの姿が、その何よりの証左だ。
 苦しみ、悩む友を、放ってなどおけない。
 直ちに現場へ駆けつけるスピード。
 わがこととして真剣に同苦する祈りの深さ。
 絶対に変毒為薬できると励まし抜く大確信。
 ともに具体的な一歩を踏み出す智慧と勇気。
 婦人部の皆様方の日々の行動は、一つ一つが、本有無作でなされる、崇高な菩薩、いな仏の振る舞いなのである。
12  「英雄の心を失うな」
 戸田先生は、こうご指導された。
 「創価学会は、苦しんでいる人々を救うため、広宣流布という仏の仕事をする、最高に尊い組織だ。戸田の命よりも大事な組織だ」
 私は、この言葉を、胸に刻みつけた。
 そして、その通り、学会に、広宣流布に、生命を捧げてきた。同志が幸せになるように――そのことを、ただひたすら祈り、行動を重ねてきた。
 それこそが、広宣流布のリーダーの使命であるからだ。
 逆に、責任ある立場にありながら、自分は動かず、人を勝手気ままに動かそうとするのは「権力の魔性」である。
 戸田先生は、こうも断言されていた。
 「どんなに社会的に有名になっても、折伏し抜く闘士、仏法を行じ抜く英雄の心を失えば、一つも偉くない! それは、畜生根性に成り下がった姿だ!」
 社会的地位や学歴は、仏法の世界、信心の世界とは、一切関係ない。御本尊を前にし、「生命」に目を向けた時、いかなる人も、例外なく平等である。
 ここまで世界広布を成し遂げることができたのは、なぜか。
 それは、偉大なる無冠の庶民が、あらゆる風雪を越え、師弟を根本に、固く団結して進んできたからである。
 皆様が、どれほど偉大であるか。たとえ学歴がなくとも、社会的な地位がなくとも、決して卑屈になる必要はない。悠然と、堂々と進んでいただきたい。
 社会的な立場で、人の偉さは決まらない。そうしたことで威張ることほど、愚かなことはない。
 最も尊貴なのは、広宣流布を進め、現実に人々を幸福にしていく人なのである。
 ともあれ、創価の母たちの率先垂範の戦いにこそ、「権力の魔性」の闇を破りゆく、最極の生命の光が輝いている。
 先日、女性平和委員会の方々が、エレノア・ルーズベルトの名著『未来は今にあり』を届けてくださった。エレノア自身のサインが装丁された貴重な書籍である。
 そのなかには、こういう箴言がある。
 「真に人を想い、人の成長を願う心から発した行動であれば、必ず温かな協力が得られ、やがて共に力をあわせて実りある結果をもたらしていけるのです。なぜなら、それは強制ではなく自発の行動であるからです」
 これまた、わが婦人部が立証されている。
 母の笑顔は、最高の指導である。
 母の賢さは、最強の哲学である。
 母の強さは、正義そのものである。
 ゆえに、この母たちの健康と安穏を、皆で祈り抜いていかねばならない。
13  今、日本全国、津々浦々に、青年の“前進の歌声”が響いている。
 その陰で、どれほど、婦人部の皆さんが、激励に激励を重ね、親身に面倒を見てくださり、強い祈りを贈ってくださっていることか。
 本当に、ありがとうございます!
 学会は、全員が青年の心で、青年を先頭に、青年と力を合わせ、励まし讃え合いながら、大いなる理想へ進んでまいりたい。
 「あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして、新しい考え方に柔軟に適応できなくなったからです」
 これは、アメリカの「人権の母」エレノア・ルーズベルトの鋭き警鐘であった。
 私が会見したイギリスの大歴史家トインビー博士の歴史観にも通ずる。
 大きな変化の時代にあって、学会は、今こそ、新しい息吹で、新しい飛躍を果たしていく時を迎えている。
 その新しい力の無限の源泉こそ、わが婦人部であり、わが青年部である。
14  学会活動が生命を開花
 さらに、エレノアは、こうも論じている。
 「能力は使わないでいると、使わない筋肉のように、衰えていくのです。
 多くの人は、教育を受けたといわれる人であっても、その潜在的な能力のほんの一部しか使っていないことは大いなる悲劇です。
 多くの才能は、眠ったままの状態です。
 精神的な能力を開拓していませんし、充実した素晴らしい人生を築いていける大きな力が自分の中に存在していることにすら気づいていないのです」
 学会活動は、まさしく、自分自身の生命を最大に開花させゆく、最も充実した人間革命の運動である。
 そしてまた、妙法は、生命を永遠に輝かせゆく、不老長寿の大法である。
 題目を唱え抜けば、年は若くなり、いやまして福徳に包まれる。
 それが日蓮大聖人の御約束である。〈御書1135㌻〉
15  新しき力で新しき発展
 エレノアは、こうも力説した。
 「地域社会において、平凡な主婦こそが真の力となりうるのです。
 主婦は自分の理念を代表するような組織に加わることもできますし、平和のために行動する組織や世界の相互理解を促進する組織に参加することもできます」
 彼女は、この主婦たちこそが、政治家を監視し、正しく平和へリードしゆく力であるとも強調している。
 今や“世界一の女性の連帯”と讃えられる婦人部の皆様こそ、生命尊厳の「平和の文化」を、地域へ、社会へ、世界へと広げていく主役なのである。
 「新たな課題には、勇気と信念、聡明さと全知力をもって取り組むことです。そうすれば、素晴らしい対応ができるのです」と、エレノアは断言した。
 新しき婦人部と青年部の力を全開にして、わが尊き使命に前進しゆく私たちの学会は、新しき大発展を、威風も堂々と成とし遂げてまいりたい。
16  時を逃さず
 本当に偉い人とは、妙法に生き抜く人である。
  妙法の
    母に勝れる
      ものはなし
    厳と生き抜け
      今日も明日も
 「たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」とは、私の大好きな御聖訓である。
 ここに、勝利の方程式も、発展の方程式も明確に示されている。
 それは、今、時を逃がさず、一つの種を蒔くことである。
 それを、育てていくことである。
 そして、この、「蒔く」「育てる」という行動を、たゆみなく続けていくことである。
 初代、二代、三代が、この一点に徹し抜いてきたからこそ、これだけの壮大な広宣流布の人材群ができあがったのである。
17  折鶴蘭の思い出
 第三代会長に就任する前後の、ある晩のことである。
 蒲田の駅からの帰り道、駅の近くに出ていた夜店の植木屋さんに、妻と二人で立ち寄って、可憐な、小さな「折鶴蘭」を、いくつか買った。180円であったと記憶する。
 安い値段であった。妻は、その折鶴蘭を、小林町のわが家の小さな小さな庭に植えて、大切に大切に育てていってくれた。
 わが家の折鶴蘭は、旺盛な生命力で、ランナーと呼ばれる茎を伸ばし、そこに名前のごとく“折鶴”の姿に似た子株をつくり、どんどん増えていった。
 これをわが家だけで楽しむのはもったいないと、新聞紙に包んで学会本部に持っていき、幾人かの同志に差し上げた。
 また、あの人に、さらに、この人にと、何百軒ものお宅にお贈りした。
 そこからまた、人から人へと、大きく広がっていったのである。
18  最近も、草創の広布の母が言われていた。
 「先生にいただいた折鶴蘭を、ずっと大切に育ててきました。今も株分けした子孫を大勢の方々に差し上げて、大変に喜ばれています」と。
 妻も、うれしそうに語っていた。
 「折鶴蘭の広宣流布が、さらに進んでいるんですね!」と。
 ともあれ、来る月も来る月も、日本中、世界中で、だれよりも地道に勇敢に、そして粘り強く、妙法という「平和の種」「幸福の種」を蒔いてくださっている婦人部の皆様方に、私も妻も、一段と深く強く題目を贈り続けている。
19  輝く帆船の意味
 私は、現在、中国を代表する歴史学者であられる章開璇しょう・かいげん先生(華中師範大学元学長)と対談を連載している。〈月刊誌「第三文明」に「人間勝利の世紀をめざして――『歴史』と『文化』と『教育』を語る」と題して連載中〉
 章先生の夫人である黄懐玉こう・かいぎょく先生は、章先生と同じく、名門・華中師範大学の歴史学部で教壇に立たれていた教育者である。
 ご夫妻は、東京・信濃町の「創価世界女性会館」も訪問された。
 夫人の黄先生は、1階の天井に輝く、帆船をかたどったシャンデリアに感銘を受けておられた。
 こう感想を語られている。
 「この素晴らしい女性の城のホールに、帆船をかたどったシャンデリアが飾られているのは、実に象徴的だと思います。
 女性は、男性や周囲の恩恵を待って、自己を高めるのではない。
 女性の権利は、自分自身によって獲得するものであり、波浪に乗って、さらには流れに逆らって前進しなければならない。そのことを、すべての女性に呼びかけています」
 そして、ご夫妻は、「創価学会の女性の皆様は、まさに、その模範の方々です」と言われていた。
 ご夫妻は、学会の婦人部、女子部との出会いを心から喜ばれ、大切にしてくださっている。
 婦人部、女子部の皆様こそ、「女性の世紀」の先駆者なのである。
20  歴史は善と悪との戦いで進む!
 「人類の歴史は、善と悪の戦いによって前進する」
 これが、章先生の大きな歴史観である。
 章先生は、私との対談で、声を大にして語っておられた。
 「人類は、絶えず悪を退け、善を広めることによって、はじめて生命を維持しつつ、大同世界(理想の平和の社会)へと向かうことができる」と。
 それでは、その善と悪との絶え間なき闘争のなかで、正義を揺るぎなく貫いていくためには、何が大切か。
 その一つの柱は、「師弟に生き抜くこと」である。この点でも、章先生と私は、深く一致した。
 「師」とは、普遍の鑑であり、正しき針路を示しゆく羅針盤であるからである。
 社会が暗闇に閉ざされるほど、「師弟」という太陽を抱いた人が光ってくる。
 その人は、何があろうとも、正しき善の方向へ、自分自身を、そして社会を導いていくことができる。
21  師匠の大恩にどう報いるか
 私も、恩師・戸田先生に、人生の正しき道を教えていただいた。
 この大恩ある師匠に、どう報いるか。
 大難と戦う最高の正義の人を、どう護り、いかに世界に宣揚していくか。
 ただ、この一点に、弟子の私は、青春を捧げたのである。
 そして、恩師である戸田先生と、不二の心で戦い抜いてきた。
 その戸田先生もまた、恩師・牧口先生に牢獄までもお供されている。
 それが、どれほどの決心であられたか。とても言葉では言い尽くせない。
22  私は、ただ一人になっても、厳然と戸田先生をお護りした。
 先生の事業が苦境に陥り、理事長の辞任を余儀なくされたときも、「わが師匠は戸田先生だ。戸田先生をいじめる連中は許すものか!」と心に定め、立ち上がった。
 事業の再建に駆けずり回り、先生の悪口を言う者がいれば、どこにでも飛んで行って、真実を訴えた。先生のために命を捨てる覚悟であった。
 学会の力は、師弟にある。師弟不二にある。師弟不二でなければ、仏法ではない。学会ではない――そのように戸田先生は教えられたのである。
23  恩知らずにはなるな!
 ところが、これまでにも、社会的に偉くなり、権力に毒されて、同志を裏切り、師匠を裏切り、尊き和合僧を破壊する者が出た。
 最もお世話になった人に嫉妬し、裏切る。
 こうした恩知らずの者が、学会を利用したり、学会員を苦しめたりするのを断じて許してはならない。
 御書には、「仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし」と仰せである。
 自分が受けた恩を、どのように返していくか。これを考えるのが人間である。
 いわんや、仏法の世界は、知恩・報恩の世界である。
 恩を知り、恩に報いるのが仏法者の魂である。
 恩知らずになってはいけない。動物でも恩を知るという。恩知らずは、動物以下である。
24  いざという時に、恩を忘れる。
 それどころか、増上慢になり、偉人に嫉妬して追い落とす。
 この狂った愚行が、歴史上、どれだけの善の人を苦しめ、正義を破壊してきたか。
 ともかく、心ある皆さん方が強くなって、がっちりと題目をあげ、戦う姿勢で団結し、緊張していれば、魔は退散していくのだ。
 油断すれば、魔になめられ、魔が入ってくる。
 信心が厳然としていれば、立ち向かう気迫があれば、悪い人間は、皆、退散するのである。
25  戦う強さを持て
 仏法は、仏と魔との大闘争である。ゆえに、広宣流布のリーダーには、敵と戦う強さがなければならない。
 信心が強いことが幸福と勝利の根本である。
 婦人部は、いかなる時代になろうとも、永遠に師弟の正義を叫び、この尊き創価の勝利と幸福の城を、断じて護り抜いていただきたい。
26  章先生は、こうも洞察されている。
 「歴史は、人間自らが創造するものです」
 「善を為そうとする志を持つ人間が、共に団結し、共に戦っていくならば、それは常に、歴史を、素晴らしい方向へと発展させゆく力になっていくことでしょう」
 この歴史発展の原動力として、章先生は、わが創価の師弟の平和運動に、絶大なる期待を寄せられているのである。
 〈章博士は、さらに論じている。
 「『師弟』の規範に生き抜く時、人間がどれほど強く、どれほど勇敢に、信念と理想の道を進むことができるか。
 それを、池田先生は自らの生き方をもって証明してこられました。人類の人間哲学の系譜に『師弟』という柱を打ち立てられた先生の功績は、まことに大きいといえましょう」
 また、名誉会長を支える香峯子夫人について、中国の「北京大学池田大作研究会」の賈蕙萱か・けいけん会長は語っている。
 「香峯子夫人は、なぜ、かくも偉大でありえるのか――これは、ひとえに、ご自身が、戸田先生という恩師のもと、師弟不二の実践を通して確固たる信念を持ち、胸中に『勝利』の一念を抱きつつ、長年にわたって自らを修練し続けたからに、ほかなりません」〉
27  自ら足を運ぶ
 創価の母への感謝は尽きない。
  偉大なる
    母の願いは
      三世まで
    一族つつみて
      皆が幸せ
 太平洋戦争中の、昭和17年(1942年)ごろのことである。
 ある婦人が学会に入会した。しかし、軍人である夫は猛反対だった。夫は「二・二六事件」も経験した、血気盛んな壮年である。
 その話を聞かれた初代会長・牧口常三郎先生は自ら、東京・品川の、その軍人の家に足を運ばれた。
 最初は偏見と悪意に凝り固まっていた夫も、牧口先生の確信に満ちた姿と誠実な人柄、そして、くもりなき仏法の平和の正論に、心を大きく揺さぶられた。
 軍人である自分に対して、恐れることなく、人間同士が殺し合う戦争は絶対悪であることを諄々と諭される牧口先生。彼は深く胸を打たれた。
 そして、夫人の信心に理解を示し、見守るように変わったのである。
 最も大変な同志のところへ、即座に足を運び、手を打つ。これが“創立の父”が示された、学会精神の真髄である。
 婦人は、牧口先生が投獄された後も信心を貫いた。その祈りに護られたのだろうか、夫も無事に終戦を迎えた。
28  戦後、この一家は大田区へ移った。そして夫も昭和26年(1951年)3月に、晴れて入会したのである。
 〈夫妻の長女は回想している。
 「ある時、父が言いました。『すごい青年に会ってきた。会った瞬間、若いのに頭が下がるような青年だった。筋を通して話された』。そして『今日から私も創価学会に入信する』と、家族に宣言したのです」
 その青年は、23歳の名誉会長であった〉
 また、夫妻の長女は、学会活動を始めたものの、なかなか学会の組織になじめずにいた。しかし、女子部の一人の班長との出会いによって、積極的に活動に参加するようになった。その班長とは、私の妻であった。
 長女は、こう振り返っている。
 「奥様は当時、銀行に勤めておられ、清楚で物腰も柔らかな対応でいらっしゃいました。こういう方が創価学会にいらっしゃるんだ、こういう方が信心をしているのであれば、私も頑張らねばと発心したのです」
 うれしいことに、牧口先生が妙法の種を植えられたこのご一家は、お孫さん方の代に入り、いやまして立派な信心で活躍されているとうかがった。
29  皆さんも、ご家族が未入会の場合でも、少しも心配することはない。焦ることもない。
 一人の母、一人の娘が立ち上がる。それは、一本の希望の灯台が、光を放ち始めたということだ。
 暗夜の海をゆく無数の船を導いていくように、一家眷属を、必ず永遠の勝利と幸福の航路へ導いていけるのである。
 御義口伝には、「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」と仰せである。
 自分の周囲の環境も、縁する人々も、皆、無量無辺の福徳と智慧で包むことができる。これが妙法である。
 創価学会には、やりがいがある。そして全部、結果として自分のため、一家のためになっていく。
 学会を去ったならば、生命の“ともしび”が消えてしまう。
 妙法を教え、伝えていくことに勝る大善はないのだ。かりに全世界の財宝を贈ったとしても、その人を永遠の幸福の軌道へ導くことはできない。幸福を得るには、妙法を受持する以外にないのである。
 「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり
 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり
 この御聖訓を心肝に染め、広宣流布の精神、折伏の精神を燃え上がらせて、自信満々と、仏縁を結び、広げてまいりたい。
30  毅然たる創価の女性の怒り
 いついつも、創価の母たちは、紛然たる「三障四魔」の来襲も、陰険な「三類の強敵」の迫害も、皆「風の前の塵」と振り払って、正しき師弟の大道を、真っ直ぐに歩み抜いてこられた。
 昭和32年の7月。「大阪事件」のあの時、獄中の私の無事を祈り続けてくれた“常勝関西の母”は誓った。
 「戦いは、絶対に勝たな、あきまへん。断じて負けたらあかん!」と。
 昭和45年。会長就任10周年のあの時、四面楚歌のごとき非難中傷の烈風のなかで、ある母は毅然として言った。
 「御書の仰せの通りに生きるならば、難があるのは当然です」と。
 さらに嵐の昭和54年。
 第三代会長を辞任した時、老いたる四国の母は、「悔しい。悔しい」と訴えながら、遺言のごとく家族に語った。
 「正義は、必ずはっきりしますよ。大聖人の時代でも、反逆の五老僧が出たじゃないか。それに踊らされるのは、信心がないんだよ」
 臆病な幹部たちが、反逆者の謀略に惑わされ、学会精神を失っていったあの時――。
 私の姿を見つけ、だれ憚ることなく「先生! 先生!」と声を上げて、涙を流して駆け寄ってこられたのは、幼子を連れた、いじらしい大東京の母たちであった。
 こうした正義の女性たちの、怒りの叫びは、枚挙に暇がない。
 創価の師弟の勝利は、婦人部の勝利なのだ。
 だらしない幹部たちは、戦う師匠を護らなかった。ヤキモチ焼きの男性幹部たちの、あまりにも情けない姿を、婦人部、女子部の方々は、今でも笑っている。
 私たちは、広宣流布をしているのだ。師弟が一体になって進まなければ、日蓮大聖人に申しわけない。学会は師弟が大事である。どんなことがあっても師匠を守る――牧口先生、戸田先生、そして私は、そうやって広布に生きてきた。
 この広布の大道を教える人がいなくなれば、次の世代の学会はめちゃくちゃになる。私はそれが心配である。
 戸田先生、牧口先生の遺志の実現のため、私と妻は命をかけて、真っ直ぐに進んできた。一番、正しい道であったと確信する。それゆえに一番、大変な迫害にも遭った。
 私は、「師匠が迫害されて何もできない弟子など、いないほうがいい」と思って闘ってきた。
 戸田先生は私と妻に、お前たち二人がいるから、私はどれだけ非難されても安心だよ、と言ってくださった。
 師のおかげで偉くなりながら、師を護らない。かえって、師を左右し、陥れようとする。そうしした所業は、三代の師弟が積み重ねてきた行動の正反対である。皆さんは、絶対にそうなってはならない。
31  私と妻の祈り
 竜樹の『大智度論』には、次のような説話が記されている。
 ――悪逆の提婆達多が山上から大石を落とし、大恩ある師匠の釈尊を亡き者にしようとした大事件の後のことである。
 一人の仏弟子が、提婆達多の悪行を大きな声で叱り責めていった。
 この正義の弟子は、いったいだれであったか。
 それは「華色けしき比丘尼」という女性の弟子だった。師敵対の悪行に怒りの声を上げたのである。
 創価の婦人部、女子部の皆さんもまた、悪に対し、勇気の声を響かせてこられた。
32  偉大な仏への嫉妬に狂った提婆は、女性にまで拳をあげた。
 提婆が犯した「三逆罪」の一つで、「阿羅漢を殺す」とは、この正義の女性に暴力を振るい、死に至らしめた極悪非道の大罪なのである。
 提婆達多が正義の女性に向けた報復は、問答無用の暴力であった。まことに重大な教訓である。
 絶対に、婦人部、女子部の皆さんを、いかなる暴力からも断固として護り抜かねばならない。
 ここに、青年部時代からの私の決心もあった。
 御聖訓に説かれる「三類の強敵」は、すべて一身に受け切って、同志、なかんずく婦人部、女子部の方々が傷つくようなことがあってはならない。
 これが私と妻の祈りであり、厳とした誓願であり、戦いであった。
 現在、世界各地に、SGIの研修センターや広大な庭園が、立派に建設されている。
 「婦人部の皆さんのお子さんたちや、皆さん自身が将来、悠々たる境涯で、行けるように」と、私は世界中に手を打ってきた。
 いよいよ若々しく、ともどもに歩み抜いてまいりたい。
  偉大なる
    母の勝利は
      佛かな
33  心強き女性は太陽である。
 輝く一人の女性がいれば、周囲も、どれだけ明るくなるか。生き生きとした喜びと慈愛の光が広がることか。
 広宣流布の未来を照らす女性の使命は、あまりにも大きい。
 戸田先生は婦人部、女子部を大切にされ、自ら徹して薫陶された。
 私もまた全力を挙げてきた。今の婦人部の中枢は、私が、女子部時代から指導と激励を重ねてきたリーダーである。
 女子部の皆さんも、婦人部の先輩とともに、新しい友情の春風を、幸福は花園を、地域へ世界へと広げていっていただきたい。
 新時代をリードする女子部の前進、おめでとう!
 かぎりない希望のスクラムの拡大も、本当にうれしい。
 青年が大勢いる。これが学会の一番の強みだ。一番の誇りである。
 男子部の使命と責任が大きいのはもちろんだが、なによりの強みは女子部が多いことだ。。一家においても、息子よりも娘のほうが、かわいい」という人がいた。
 心一つに団結し、最高に素晴らしい女子部の黄金時代を、晴れ晴れと築いていただきたい。
 女子部の皆さんは、将来、婦人部になり、それぞれ、大切な立場で活躍されるだろう。また、活躍してもらいたい。
 今や学会の婦人部には日本と中国をはじめ、全世界に友好の橋をかけゆく、女性の一大平和勢力として、大いなる期待が寄せられている。そのことを、誇り高く、胸に刻んでいただきたい。
34  「どこにでも春はやってくる」
 有名なカナダの女性作家モンゴメリの作品には、朗らかな『赤毛のアン』シリーズと並んで、『エミリー』という名作がある。今も世界各国で愛読する人が多い。
 若くして父母を失った乙女エミリーが、毅然と、たくましく成長しゆく青春の物語である。
 その中に、余命幾ばくもない最愛の父が、あとに一人残される娘エミリーに、強く深く語った励ましがある。それは、“恐れてはならない”ということであった。
 「おまえはなにも恐れることはない」
 「宇宙は愛に満ちている――どこにでも春はやってくる」
 「生きていくことで、おまえはなにかを手に入れる――お父さんにはそれがわかる。恐れることなく、そのなにかに向かって歩いていきなさい、いいね」(いずれも神鳥統夫訳『エミリー[上]』偕成社)
 父母亡きあと、孤独な境遇となった乙女エミリーには、人々の冷酷な仕打ちが待ち受けていた。
 しかし彼女は、打ち続く試練にも、父との約束“勇気をもつ”ことを忘れないで、頭を上げて、懸命に立ち向かっていった。
35  「のぼるんだ! 高き使命の丘へ」
 ある時、亡き父が貧しかったことを侮辱された。エミリーは、きっぱりと反論した。
 「だけどね、お金がなくても、人は裕福になれるの」(同)
 その通りであった。彼女は、父たちから、素晴らしい最高の宝を受け継いでいたのである。
 それは、「戦う力――耐える力――思いやる力――深く愛する力――喜びを見いだす力――そして、最後までがんばりぬく力」(同)であった。
 まさに、「精神の宝」に勝るものはない。
 胸中に「精神の宝」を抱く人生は、いかなる境遇にあっても、必ず光っていくものだ。
 もとより次元は異なるが、日蓮大聖人は仰せになられた。
 「日蓮は、世間から見れば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法をもって論ずれば世界第一の富める者である」(御書988㌻、通解)
 「心は、法華経を信ずるがゆえに、梵天・帝釈をも、恐ろしいとは思わない」(同258㌻、通解)
36  エミリーには信頼で結ばれた友や味方が、次第に増えていった。
 そして「あたしは、自分の歴史をつくりたいわ」「わくわくするような人生を送りたいの」と、朗らかに進んでいったのである(前掲『エミリー』[下])。
 この乙女は、良き教育者の励ましを受け、“高い使命の丘に向かって、険しい坂道を勇んでのぼり始める。
 「のぼることがきみの使命なら、のぼらなくてはならない。世の中には高い丘へ目を向けなければならない人がいるものだ」「続けるんだ。のぼるんだ!」(同)
 女子部の皆さん方には、自分で考えている以上の、誇り高き使命がある。計り知れない福運がある。
 何があっても、大宇宙の根本の法則である妙法を朗々と唱え抜きながら、幸福勝利の大地である学会の庭で、自分らしく、悔いのない青春の花を、思う存分に咲かせ切っていっていただきたい。
 それが必ずや、父母も喜んでくださる、一家眷属の「所願満足」の大境涯を永遠に開いていくからである。
37  母の励ましこそ
 母の心ほど深いものはない。母の心ほど温かいものはない。
  尊貴なる
    母の前には
      誰人も
    慈愛の心に
      安息 見つけむ
 中国の明代の短編小説集『喩世明言ゆせいめいげん』に、こういう一節がある。
  「水は、揺らさないと波は立たない。
   人は、激励をされないと奮い立たない」
 大事なのは、励ましである。
 母鳥の翼の下から若鳥が巣立っていくように、慈愛の婦人部に背中を押されてこそ、無数の青年たちは威風も堂々と羽ばたいていくのである。
38  大聖人は、妙の功徳について言及され、「たとえば、秋冬に枯れてしまった草木が、春夏の太陽にあって、枝や葉を茂らせ、花や実をつけるようなものである」(御書944㌻、通解)と教えられている。
 妙法という春夏の太陽にめぐりあって、無上道を求める心の花が咲く。そして一生成仏という生命の最高の結実がもたらされていく。これほど偉大な妙法を、我々は持っているのである。
 この妙法を唱えに唱え、青年の心に励ましの光を注ぎゆかれる婦人部の皆様方の戦いほど、気高いものはない。皆様ありて、蘇生のドラマは爛漫と咲き薫っている。
39  「摩訶波闍波提比丘尼まかはじゃはだいびくに」は、仏教最初の女性修行者である。釈尊の養母でもあった。
 この母に、釈尊は法華経で「一切衆生喜見如来」(一切衆生喜見仏)として、未来の成仏の記別を与えられた。
 「一切衆生が喜んで見る仏」との名前を授けられたのである。
 日蓮大聖人は、この「一切衆生が喜んで見る仏」という名前に値するのは貴女ですよ――と、無名の母に述べられた。〈御書1420㌻〉
 彼女は、夫に先立たれて、頼れる後ろ盾もなかった。皆から悪口罵詈もされた。そのなかを、名聞名利など眼中になく、師の仰せを違えず、命をかけて妙法に生き抜いた女性であった。
 この母を見れば、あらゆる人が歓喜する。
 この母に会えば、あらゆる人が元気になる。
 この母と語れば、いつでもどこでも、平和と希望と勇気の笑顔がはじける――。
 まさしく最も地道で、最も苦労しながら、広宣流布の最前線で戦う創価の母たちこそ、「すべての人が喜んで仰ぎ見る仏」の名にふさわしい。
 この尊き婦人たちに対して、自分の下に見たり、傲慢な態度をとったり、生意気な姿で接しゆく幹部は、学会の幹部ではない。「魔」の存在である。断じて仏罰を受ける。
 賢明な婦人部の方々から見れば、そのような威張り腐った幹部は、哀れな畜生に映っても仕方がない。
 だれ人たりといえども、婦人部から信頼される一人一人にならなければ、尊き仏法を広めゆく幹部の資格はまったくない。
 「平等大慧」「異体同心」この姿こそが、学会の実相であらねばならない。
 ともあれ、21世紀を「生命尊厳の世紀」へと開きゆかれる、広布の母たちの「生きる喜び」に満ちた仲良き前進に、心ある世界の識者たちは、感謝の最敬礼を送り始めわている。「正義」と「和楽」の朗らかな明るい婦人部の大行進が、人類の万雷の大喝采に包まれゆく時代が、いよいよ到来したのである。
40  心一つに広布へ
 創価の母たちの福徳は、三世永遠にして、無量無辺である。
  厳寒の
    彼方に春の
      花咲かむ
    三世の生命は
      満開なるかな
 賢明な「地涌の菩薩」である婦人都は、今や、全日本に、いな全世界に誇る、希望と幸福の大連帯となった。
 日本の広宣流布も、世界の広宣流布も、盤石な土台ができあがった。
 その地道にして、尊い礎になってくださっているのが、婦人部の皆様方であられる。
 大切な婦人部の皆様方のご健康とご長寿、そして勝利と幸福を、日蓮大聖人は厳然と守護し、讃嘆してくださるであろう。
 私たち男性も、婦人部、そして女子部を、さらに守り讃えて、ともどもに異体同心の前進を、朗らかな前進を、勝利のための前進を、幸福のための前進をしていくことを、晴れ晴れと誓い合って、きょうのスピーチを終わらせていただきたい。
 長時間、ありがとう。どうか、お元気で! 私と心一つに勝ち進もう!

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