Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第15回本部幹部会  

2008.2.6 スピーチ(聖教新聞2008年下)

前後
2  じつは私は、ケネディ大統領から会見の申し込みを受け、お会いする予定になっていた。
 しかし、日本で、ある横槍が入って会見が取り止めになった。
 そして、その年の秋、大統領は、遊説先のダラスで、凶弾に襲われ、亡くなられたのである。
 そうした経緯もあって、弟のエドワード・ケネデイ上院議員(末弟)が、わざわざ、私のもとを訪ねてくださったことがあった。〈1978年(昭和53年)1月12日〉
 会見した場所は、信濃町の聖教新聞本社。
 背が高くて、お兄さんと同じように、さっそうとしておられた。
 「お兄さんに、よく似ていらっしゃいますね」と言うと、「兄弟ですから」と、さわやかにケネディ・スマイルで応えてくださった。
 高き理想を共有するケネディ兄弟に受け継がれた精神的遺産――それが「勇気」であった。
3  勇気と慈悲は表裏一体
 戸田先生も、「勇気」を叫ばれた。
 そして、仏法では慈悲を説くが、慈悲といっても、表は勇気である。勇気をもって、行動に移してこそ、本当の慈悲なのである。勇気と慈悲は表裏一体である――このように、厳しく、先生は言われていた。
 たとえば、重い荷物を持っている人に、「私が持ってあげましょう」と言うのは勇気が必要である。
 私も若いころ、蒲田駅で年配の女性が買い出しの大きな荷物をかかえているのを見て、「代わりに持ちましょうか」と言ったことがある。
 その人も喜んで、持ってあげたのはよかったが、その荷物の重いこと重いこと。
 その人は、森ケ崎のわが家の近くに住んでいた。
 へとへとになって運んであげて、お礼は「ありがとう」の一言。
 こういうこともあるけれど、ともかく、勇気を出して行動してこそ、慈悲が形となって現れるのだ。
 勇気のない、実践のない慈悲は、本当の慈悲ではない。
 せっかく心の中で思っても、何もしない、何も言わないのでは、慈悲とは言えないのである。
 また、学会が嘘八百の悪口を言われば、「それは間違っています」「訂正してください」と鋭く打ち返していく。それができるのが勇気である。
 大事な時に声を発しない。何も言えない。黙る。それは勇気がない証拠だ。間違っていることは、きっぱりと破折する。
 それは一見、厳しい態度に見えるかもしれないが、はっきりと正邪を教えていくことは、結局、相手にとって慈悲となるのである。
 いざというときに、勇気を出せる人が、人間として一番尊い。勇気こそ仏法の真髄である。人間の真髄である。
 日ごろ威張っている男性にかぎって、いざとなると臆病になり、こそこそ逃げ出す場合がある。
 その点、女性のほうが、いざというときに腹が据わっていて、勇気があると言う人もいる。その意見に共感できる方も多いであろう。
4  「私が戦います。安心して下さい」
 私も勇気で道を開いてきた。
 事業に失敗した戸田先生が窮地にあったとき、「私が戦います。安心してください」と申し上げ、ただ一人、すべてを捧げてお護りした。
 戸田先生を誹謗する悪意の輩とは断固、言論で戦った。
 勇気ある人は、信頼できる人である。勝利の扉を開く人である。
 いくら数が増えても、臆病な人間ばかりでは仕方がない。学会は、「信念の勇者」「慈悲の勇者」「勝利の勇者」をつくらなければいけない。
5  尊き求道の心
 海外の尊き同志の皆様方、寒いなか、遠いところ、ようこそ! あらためて御礼申し上げます。ありがとう! サンキュー!
 2月の一番寒い時期にもかかわらず、海外の皆様は、熱き「求道の心」で、はるばると来日してくださった。
 こうした海外の同志から見れば、日本のメンバーが、どれほど恵まれているか。
 それを忘れて、傲慢になったり、怠惰になってしまえば、日本の広宣流布は、たちまち海外に後れをとってしまうであろう。
 ともあれ、アメリカの青年部の皆さん、未曾有の大拡大の勝利、おめでとう!
 アルゼンチンの皆さん、35時間の長旅、本当にご苦労さま!
 ヨーロッパの要の皆さん、いつもありがとう!
 フィリピンの皆さん、新時代の出発、おめでとう!
 そして、「21カ国・地域の偉大な広宣流布のリーダーの皆さん、万歳!」と叫びたい。
 尊き海外の友を、全員で大拍手をもってお迎えしたい。
6  創価の師弟の勝利の証しを
 35年前、イギリスの大歴史家トインビー博士との対談を終える際、博士は私に言われた。
 「トインビー大学の最優等生であるあなたは、必ず将来、私以上に世界中から名誉称号を贈られるでしょう」と。
 この言葉が現実になるとは思いもしなかったが、今、私が、世界の大学・学術機関から拝受した名誉学術称号は「229」となった。
 〈さらに、決定通知が届いている大学等を合わせると、「248」となる。また、このほど発表されたロシア連邦政府からの「友好勲章」も含め世界各国からの国家勲章が「27」、世界の各都市からの名誉市民の称号が「550」を超えるなど、実質的に世界第一の栄誉が名誉会長に贈られている〉
 すべては皆様方のお力であり、私は、全同志の皆様を代表してお受けしているにすぎないことは、これまでも申し上げてきた通りである。
 ただ、かつて戸田先生が、世界最高の知性の牧口先生が獄死させられたことに激怒され、火を吐くように、こう私に厳命されたことがある。
 「迫害のなか、正義のために戦い抜いて、真実の『知性の勝利』の足跡を残せ!」「牧口先生は教育者であった。俺も教育者だ。創価学会は教育の世界だ。その根幹に宗教があり、仏法があるのだ」と。
 第三代の私が、わが同志とともに拝受してきた世界からの栄誉は、初代・牧口先生、そして第二代・戸田先生の「正義と知性の勝利」の不滅の証しであると、私は声を大にして宣言したいのである。
7  女性を大事に そこに発展が
 私は今、アルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士と、対談を進めている。〈東洋哲学研究所発行の『東洋学術研究』で連載中〉
 博士は、女性の偉大さを強調されている。先見性に富んだ、立派な方である。
 対談でも言われていた。
 「平和の文化を構築し、人々の相互理解を築くことが必要です」
 「21世紀において、社会を深く変革していくためには、女性の役割が決定的なのです」
 その通りである。男女の平等を志向された大聖人のお心とも、深く通じ合う言葉である。
 わが学会も、勇気をもって、一番、法を広めてきたのは、女性ではないだろうか。
 そうした偉大な女性を大事にする。そこに徹してきたからこそ、学会は、正しく発展の道を歩んできたのである。
 かりにも、女性を軽く見たり、ふざけ半分で、不愉快な思いをさせるようなことがあっては、絶対にならない。とんでもないことだ。
 御書には「男女はきらふべからず」と仰せである。
 女性を尊重することは、人の生き方としても、正しい道である。
 広布の女性を断じて守る。永遠に、そうした創価学会でいきたい。〈「ハイ!」と賛同の声が〉
 女性は、返事しなくて結構です。しかし、女性にも、男性と同じ権利がある。だから、全員で決議しよう。
8  聡明に、毅然と価値ある青春を
 とくに女子部は、本当に健気だ。若いのに、勇気を奮い起こして、折伏に、聖教新聞の購読推進にと、真面目に戦ってくださっている。
 時には、友人から心ない言葉を投げかけられたり、無理解や偏見に直面したりすることも、あるかもしれない。
 しかし、そうした場合は、男性が厳然と守り、応援してあげるべきではないだろうか。
 女子部は、本当に、大切だ。皆さんは、聡明に、毅然と生き抜いてもらいたい。
 後悔を残す、無軌道な空しい青春であってはならない。お父さんやお母さんを安心させられるよう、幸福への大道を、まっすぐに歩んでいただきたい。
 ともあれ、「平和の文化」を構築する主役――これが、エスキベル博士の考えであった。
 博士は、厳として主張されている。
 「男女の権利と平等という観点からも、社会や政治や知的分野において女性が中心的役割を果たすことは、大変、重要です。
 女性の社会参加は、今日に至るまで男性が支配してきた人類の歩みに、新たな局面を開くことになります」
 博士が言う通りの新時代は、すでに到来している。
 我々も、徹して女性を大切にしながら、皆で団結をして、勝ち進んでまいりたい。
9  「成仏」とは「勝つ」こと
 あらためて「勇気」について述べておきたい。
 勇気は、勝つための原動力である。
 何ものにも負けない人こそ、真に幸福な人である。つきつめて言えば、自らに勝たなければ、真実の幸福は開けない。
 広宣流布も、勝つことによって進んでいく。
 勝つことで、わが仏の生命は輝いていく。「成仏」とは、真の勝利の異名なのである。
 全員が勝とう!〈「ハイ!」と力強く返事〉
 勝つために、題目をあげるのである。勝つために、自身を鍛えるのである。
 人類初の宇宙飛行に成功したガガーリンは断言している。
 「勝利は、勇敢な者に微笑む」と。
 臆病な人には、勝利は微笑まない。逆に、逃げていってしまう。
 勇気である。信心とは、最極の勇気のことである。仏法の真髄も、勇気である。
10  信仰の魂は実践
 フランスの文豪ロマン・ロランは述べている。
 「信仰は行為である。信仰は生活されなければなんの意義もない」(蜷原徳夫訳『トルストイの生涯』岩波文庫)
 実践が大事であるということだ。学会の考え方と同じである。
 実践なき信仰は、真実の信仰とはいえない。「信心即生活」「仏法即社会」である。
 なかには、私腹を肥やすために、人々の信仰心を利用して、自らを権威化し、民衆を抑圧する宗教者もいる。こうした悪人には、断じて騙されてはならない。
 「信仰は生命の力である。人は信仰なくして生きることはできない」(宮本正清訳「トルストイの生涯」、『ロマン・ロラン全集14 伝記Ⅰ』所収、みすず書房)
 これは、トルストイの確信であった。
 世界一の信仰をもつ私たちである。
 偉大なる生命力を奮い起こして、進んでいきたい。
11  三類の強敵と戦う誉れ
 2月は、日蓮大聖人が、流罪中の佐渡で、「開目抄」を完成された月である。
 それは、寒風が吹きすさび、雪が降り積もり、八寒地獄を感ずる極限のなかで、執筆なされた。
 こうしたことを思えば、いくら寒いといっても、暖房が整っている現代は恵まれている。
 過酷な環境のなかで、大聖人は正義の闘争を展開された。
 「開目抄」で、蓮祖はお仰せになられた。
 「法華経の行者がいれば、必ず三類の強敵がある。三類の強敵は、すでにいる。法華経の行者は一体、だれであろうか。探し求めて師とすべきである」(御書230㌻、通解)
 いうまでもなく、大聖人の御事であられる。
 そして、この仰せのままに、「三類の強敵」と戦い、世界190カ国・地域に「太陽の大仏法」を弘めたのが、三代にわたる創価の師弟である。
 この師弟の大道を勇み進んで、「永遠の幸福」と「世界の平和」へ、開目、すなわち人類の目を開いてまいりたい。
 小さな集いから大いなる拡大の波!!
 会場提供者の皆様へ深い感謝を
12  「座談会で広宣流布はできる」
 次に、きょうは「座談会」の重要性を再確認しておきたい。
 拡大の力は、一にも、二にも、座談会だ。しかし、大幹部でも座談会に出ていない場合がある。それではいけない。
 座談会で広宣流布はできるのだ。これは戸田先生の遺言であった。
 日蓮大聖人が正法を説き始められたのは、「少少の大衆」の会座であった。ここで初めて、正義の師子吼が轟いた。
 小さな集い――ここに原点がある。座談会は、ゆっくりと座って語り合う。そうでなければ、本当のことは友の心に入らないものだ。
 牧口先生は、だれよりも座談会の会場に到着された。座談会に行って話すのが、大好きであられた。教育者であり、真剣で、まじめな先生であられた。
 リーダーは、座談会で皆が集まった後に、偉ぶって入ってくるようではいけない。まず最高幹部が早めに行って、ていねいにあいさつし、温かく友を迎えるのだ。
 生意気で偉ぶっているのは、信心ある者の姿ではない。偉ぶらない人間が本当に偉い。それが真の信心の世界である。
 牧口先生は、まず、会場を提供してくださるご家族に、笑顔であいさつをされ、深く感謝なされた。
 大切な他人の家をお借りするのだから、最大の礼儀を尽くすのは、当然である。感謝の心を具体的に伝えることだ。
 各家庭には、それぞれの状況がある。そのなかで会場を提供してくださっている。幹部がツンとして、まるで自分の家のように威張るようであれば、和合の学会を壊してしまう。喜んで迎えていただけるよう、礼儀正しくあらねばならない。
 会場の掃除や片付けを申し出るなど、自分の家以上に、こまやかに心を配ることである。
 牧口先生は、その家の方がお茶を出そうとすると、「お茶は結構ですから、こちらへ来てお話をいたしませんか」と声をかけ、気をつかわせないようにされた。
 ちょっとした、小さなことが大事なのである。
 たとえば、父親が会社で嫌な思いをして家に帰った時も、娘がニコッと笑顔で迎えたら、もうそれだけで元気になる。それが娘から「お父さん、もう帰ってきたの」と言われ、そのうえ妻からは「ご飯は、まだできていませんよ」。これではかわいそうである。
 温かな振る舞いは、相手を思いやる心から生まれるのである。
13  2月闘争の拠点
 牧口先生は、青年のように目を輝かせ、「自行化他の題目を唱えることが一番大事です」「折伏が宗教の生命です」と、力強い声の響きで語られた。
 私の妻の実家も、草創期の個人会場であった。牧口先生も、戸田先生も、お迎えした。
 牧口先生を駅まで迎えに行き、手を引いてご案内したのが、小学生の妻であった。
 あの蒲田支部の「2月闘争」でも、そこは拡大の拠点の一つとなった。有名な座談会場だった。拠点がしっかりしていたことも、蒲田が伸びた一因だったといえよう。
14  戸田先生は、ある座談会の参加者に、親しく呼びかけられた。
 「今日は、ひとつ楽しくやろう。さあ、みんなこっちへきなさい」
 そして「私の話は芸術だよ。よく聞いておきなさい」と声をかけていれた。まさに先生の話は汲めども尽きぬ智慧とユーモアにあふれていた。
 また、もしも最初から「私の話は仏法だよ」と言われたら、来た人も、嫌になってしまったかもれない。学会の会合に仏法の話が出るのは、決まりきっている。
 「折伏だ」「広宣流布」と、いつも同じ言い方ばかりだと、心に残らない場合もあろう。
 あえて先生は「芸術だ」「楽しくやろう」と言われた。そうやって皆の心を解きほぐし、大きく引きつけていかれたのある。
 さらに、ある座談会で戸田先生は、その会場のお宅のお子さんで、病気と闘う青年を、抱きかかえるように激励された。
 「体を大事にしなさい。体が大事であれば、自分の信心を大事にすることだ。題目を唱えきりなさい。きっとよい結果があらわれるよ」
 悩んでいる人がいれば、全魂を込めて、真心から励ますことだ。
 幹部は決して威張ってはいけない。よく気をつけないと、だんだん慢心に陥ってしまう。
 皆を心から敬い、仏のごとく迎えるのだ。振る舞いが大事である。世界中のリーダーの皆さん、頼みます!〈「ハイ」と大きな返事が〉
15  青年よ座談会に勇んで集い合え
 戸田先生は、出席した座談会で青年部が活躍している姿を見ると、心から喜ばれた。
 「ここの座談会は青年が集まる座談会だ! うれしい、うれしい!」
 青年がいれば、皆がうれしい。多宝の友も、元気になる。
 懸命に戦う青年ほど、美しいものはない。地域の方々にまで、さわやかな希望が広がる。
 青年部は、わが地域の座談会に、勇んで集い合っていただきたい。婦人部も、壮年部も、応援をお願いします!
 さあ新時代の2月闘争だ。青年部が座談会を軸にして、広宣流布を拡大する――戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
 そして3・16「広宣流布記念の日」の50周年を、新しき師子の陣列で、晴れ晴れと迎えていただきたい。
16  昭和31年5月。私が指揮を執る大阪支部が「11,111世帯」の大折伏を達成した。
 戸田先生は、かつてない拡大を、こう讃えてくださった。
 「この大阪の素晴らしい拡大の結果に学んで、他の地域でも、大阪のように座談会を主力にしてやろうという方針となった。その意気に燃え上がってきた所で、多くの弘教ができたのである」
 常勝の歴史は、座談会によって築かれたのだ。
17  戸田先生 「百万の理論より一つの座談会」
 私は戸田先生の指導を、きちんと記録し、残してきた。
 先生は強調された。
 「座談会をやって、二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
 戸田先生が拡大の中心軸に据えられたのは、座談会であった。
 「われわれは最初、座談会をやったときは、一人か二人、あるいは三人のため、遠いところまで出かけたものである。その原点へもどって、まじめに、真剣に、会員を育ててもらいたい」
 今年、座談会に出た人は?〈「ハイ」と全員から元気な返事が〉
 座談会に行かなくなったら、もう折伏の戦列から離れてしまっている。
 戦後、出獄された戸田先生は、「学会の再建にあたっては、座談会の復活が根本である」と一貫して訴えていかれた。
 そして、こう言われていた。
 「百万言の耳当たりの良い理論よりも、一つの座談会の実践のほうが、はるかに広宣流布の歯車を回すことになる」
 多忙であっても、できかぎる限り時間をこじあけて座談会に集い、広布の息吹を呼吸していくのだ。
 「本当に正しい折伏の場は、創価学会の座談会以外に絶対にない」
 「大聖人の仏法の座談会である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」
 この先生の叫びを心に刻みたい。
18  師の大願を果たすのが弟子
 座談会について、戸田先生は、こうも語られていた。
 「創価学会の妙法流布は、海外であっても、どこへ行っても、最後まで、座談会中心の個人折伏が原則である」
 その通りだ。心が通い合うのが座談会である。
 先生は、「座談会は、幹部の“独演会”ではいけない。“全員参加”を忘れてはならない」と厳しかった。
 「『座談会に、あんな幹部に来てもらってはたまったものではない』とか、『幹部づらして、あんなうるさいのが来ては困る』とか、そんな苦情がくる。幹部は、自分が好かれているように思っているが、案外きらわれている場合もあるから気をつけよ」
 全リーダーが肝に銘ずべきご指導である。
 さらに先生は、座談会の会場の意義について、こう教えられた。
 「拠点は重要な信心の『城』である。私たちがお世話になっている、この『城』は大切な広宣流布の発信地であり、人材錬磨の偉大なる『城』である」
 広布の法城を提供してくださる尊き皆様に心から感謝し、この2月も、伝統の座談会から、人材・拡大の大波を起こしてまいりたい。
19  弘教の輪の中へ
 戸田先生は、女子部の人材グループである「華陽会」で、『三国志』を通して指導された。
 「多くの人物が戦場で尊い命を捨てているが、革命というものは、すべて流血がつきものである。
 しかし、学会は宗教革命であり、断じて無血革命である。これは、あなたたちがやっていくのだよ」
 「まったく正しい道だから、しっかり進んでいきなさい」――こうおっしゃった。
 女子部がはつらつと座談会に出ている。弘教の輪の中に入っている。それだけで、皆が安心する。希望がわく。女子部の皆さんは、非常に大事な一人一人なのである。
 また、男性の諸君は絶対に、尊き女性を下に見るようなことがあってはならない。最も折伏をしているのは婦人部の方々である。
 青年部は、婦人部・壮年部の先輩方に負けないよう、折伏をはじめ、すべての戦いをリードしていくのだ。
 ともあれ、「広布第2幕 池田華陽会」の結成、おめでとう!
 これまで、戸田先生と私が名付けた会の皆が原動力となって、学会は大きく発展してきた。世界的な規模になった。21世紀の「平和革命」「幸福革命」を、よろしく頼みます!
20  1年で4倍に!
 昭和26年(1951年)の、晴れわたる5月3日。戸田先生は、学会の第二代会長に就任された。今でも忘れない光景である。
 会長推戴のために署名した同志は、約3,000人。それが、当時の学会の実力であった。
 戸田先生は、生涯の願業として、「75万世帯の折伏」を宣言。しかし、遅々として進まない。
 翌27年の年頭、学会の世帯数は約5,730。この年の1月の折伏成果は、12支部の平均で約50世帯である。
 当時は、「A級支部」でも、折伏は「1カ月で100世帯前後」が限界とされていた。戸田先生の大願を成就するためには、まず、この「壁」を突破せねばならなかった。
 先生は「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう」とおっしゃっていた。本当に真剣な先生だった。
 そして24歳の私を、蒲田支部の幹事に任命された。
 「師匠への報恩」の要諦とは何か。それは、日寛上人が示されているように、身命を惜しまず「邪法」を退治し、「正法」を弘通することである。
 私は、日蓮大聖人への報恩、そして人生の師匠である戸田先生への報恩のために、前人未到の広宣流布の拡大を誓った。
 ふるさとである大田の同志も、私の心を心として、一緒に戦ってくれた。そして2月に、壁を破る「201世帯」の折伏を達成したのである。
 蒲田支部は、その後も5月には300世帯、11月には400世帯を突破した。
 蒲田の躍進が大きな牽引力となって、この年、会員数は22,000世帯を超えた。1年で約4倍の拡大が成し遂げられたのである。
 戸田先生は、それはそれは喜ばれた。この「2月闘争」から、75万世帯達成へ向けて、全学会に大折伏の勇気と確信がみなぎっていったのである。
21  戸田先生に「大作、お前が立ち上がってくれないか!」と言われ、私は、先生の事業の挫折をはじめ、すべての問題を引き受けた。自身の肺病とも闘った。
 先生は私に、通っていた夜学も断念するように言われた。その代わり、学問は「全部、私が教える」と――。壮絶な師弟の共戦であった。
 私一人を信頼される先生に、私は結果で報いた。幾多の危機も乗り越え、先生に会長に就任していただいた。
 「全部、大作がやってくれた」と、先生の喜ぶお姿が今も目に浮かぶ。師匠に満足していただき、笑顔になっていただくのが、弟子の誉れである。
22  恩を忘れぬ人に
 ここで、『三国志』に登場する諸葛孔明の信念を紹介したい。
 「貴ばるるも驕らず」――自分が尊重されても傲り高ぶらない。
 特に最高幹部は、常に自らに問いかけねばならない。
 「委ねらるるも専らにせず」――権限を委ねられても、自分一人で勝手気ままにはしない。
 すべて、周りとよく相談することである。
 「扶けらるるも隠さず」――人から助けられたことを隠し立てしない。その恩義を忘れない。
 一女子部員、一婦人部員が学会を守ってくれたことが、今までもたくさんあった。私は、大事な方々の恩を絶対に忘れない。
 「免ぜらるるも懼れず」――人事で交代があっても、驚かず恐れない。学会の人事でいえば、これまでの自分の役職に後輩が就く場合などが考えられよう。いい人材を、どんどん伸ばしていく。後輩の成長を喜んでいく心が大切である。
 そして、これらの条件を備えた良将の行動は、「壁の汚れざるがごとし」――宝玉が何ものにも汚されぬように、いつも光り輝いているというのである。
 さらに、孔明の言葉に学びたい。皆に、諸葛孔明のような名将になってほしいからである。
 「指導者の道は、多くの人の声を聞くことにある。皆の意見や報告を、きちんと聞くことだ。皆の目を自分の目とし、皆の耳を自分の耳としていくのである。
 多くの人の声を尊重してこそ、智者となることができる。
 そうでなければ、やがて誰も正しい意見を言わなくなる。その結果、邪な人間がはびこり、国の害となってしまうのである」
 非常に重要な話だ。
 また、「驕れる者はみずから墓穴を掘り、自分勝手な者は禍の種をまく」ともある(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)。
 かつて、学会にもこの言葉のように、傲慢ゆえに学会員を苦しめた者がいた。最高幹部は、よくよく心していきたい。
23  19世紀、イタリアの作家デ・アミーチスが書いた有名な小説『クオレ』に、「人間の中で最も栄光のある人でも、母親を悲しませ、軽蔑するようでは、ただのちっぽけな人だ」(千種堅訳、潮文庫)という言葉がある。
 まったくその通りだ。
 母親を大事にすることだ。どれほどの指導者になろうと、政治家になろうと、有名人になろうと、母親を大事にできない、守れない、母に喜んでもらえない人は、「敗北者以下」であると言っておきたい。
24  孔明は、「よく戦う者は怒らず、よく勝つ者は懼れず」(前掲『諸葛孔明の兵法』)とも指摘している。
 戦いの上手な者は、感情に左右されず、味方を大切にし、敵には断固、勇敢に立ち向かっていくのだ。これが勝利の要諦である。
 名将は威張らない。また、どんなに中傷されよが、恐れないのが名将である。
 中国の人民は、抗日運動の際に、次のような心で奮起したといわれる。
 ――「三人集まれば諸葛亮」という。民衆には偉大な創造力がある。中国人民のなかには、何千何万の「諸葛亮」がいる。すべての村、すべての町に「諸葛亮」がいる――と。
 わが創価学会も、この方程式である。すべての地区に、広宣流布の諸葛孔明がいる。
 孔明の智慧と団結がある。だから強い。いろいろなことを話し合い、作戦を練って、勝ち戦の原因をつくるのだ。仏法の真髄は、この智慧と団結の歩みに、脈打っているのである。
25  異体同心で進め
 フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユは綴った。
 「すべて第一級の芸術は本質からして宗教的なものである。(今日ではこのことが忘れられている)」(渡辺義愛訳「重力と恩寵」、『シモーヌ・ヴェーユ著作集3』所収、春秋社)
 宗教性のない芸術はありえない。
 また、信仰なくして真の幸福もありえない。
 このことを忘れてしまったことが、現代の不幸の一囚である。わびしい時代といえよう。
 ドイツの文豪ゲーテは記している。
 「真に志を同じくする人間とは、いつまでも不和が続くことはない。いつかかならずまた心が通いあうものだ。本来志を異にする人間と協調を保とうと求めてもむだである。そのつどかならずまた決裂が訪れる」(「箴言と省察」から岩崎英二郎訳、『ゲーテ全集13』所収、潮出版社)
 志を同じくする「同志」であれば、たとえ少々ケンカをしたとしても、また一緒に前進していくことができる。
 妙法を唱え、広宣流布へ生きる学会の同志は一体である。意見や性格の相違があったとしても、信心を根本に、異体同心の団結で進んでいくのだ。
 しかし、本当に悪い人間は別である。学会を破壊する悪人とは、断じて戦わねばならない。
26  ロシア連邦・サハ共和国のヴラーソフ元首相は述べていた。
 「自分を選出してくれた国民を代表して、『国民の利益を将来まで展望し、開いていける人』が、本当の政治家だと思います。
 しかし、一度は、そういう思いでいても、世間の荒波にのまれて(理想を失い)消えていく政治家は、サハでも枚挙に暇がありません。
 人々のことを考えない政治家は、政治家ではなく、いずれ消えてしまう運命にあります」
 ヴラーソフ首相(当時)とは1999年3月に会見した。
 私はこれまで、世界中の指導者や識者とお会いしてきた。ありとあらゆる人と、平和への語らいを重ねてきた。
27  タゴール広場を
 この中に、創価大学の出身者はいるだろうか?〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 ご存じの通り、明年3月、創価大学に、新た「タゴール広場」が誕生する。
 タゴールは、人間共和と生命の尊厳を高らかに歌い上げた、近代インドの大詩人だ。「詩聖」と讃えられている。
 私は、これまで、皆様を代表して、この詩聖の名を冠した「タゴール平和賞」を受賞したほか、タゴールが創立した「タゴール国際大学」、タゴールの生誕地にある「ラビンドラ・バラティ大学」から名誉博士号を受章している。
 タゴール広場には、インド文化関係評議会から寄贈された、高さ約3メートルのタゴール像が設置される予定である。どうか楽しみにしていただきたい。。
28  命をかけて!
 戸田先生は烈々と言われた。
 「(昭和20年)1月8日に、11月の(牧口)先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」
 「命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか」
 牧口先生の獄死は、一生忘れない! 生涯をかけて仇を討つ!――戸田先生は泣きながら、こう誓われた。
 そして、牧口先生の名を全世界に残す! 仏教史上に残す! そのために命を捨てて、牧口先生の弟子としての本望を遂げてみせると叫んだのである。
 これが牧口先生と戸田先生である。本当の師弟だ。師の正義の仇討ちのためにすべてをかける――今、この覚悟を持った人間が、どれくらい、いるだろうか。
 戸田先生は、命がけであったから、だれに悪口を言われようが、脅されようが、非難されようが、恐れなかった。
 私も同じだ。戸田先生のお心が、私にはよくわかる。
 皆さんには、この師弟の心を知っていただきたい。頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
29  朗らかに進もう!
 御書には「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せだ。師子は、何があっても悠然としている。
 皆さんは、何があっても、ニコッと微笑みながら、「私が行けば、大丈夫だ」と、すべてに打ち勝っていく――そういう「師子」であっていただきたい。
 〈ここで名誉会長の導師で題目を唱えた〉
 皆様の健闘を祈って会合を終わります。
 きょうは長時間、本当にありがとう! 海外の方、特にご苦労さまでした。
 どうか風邪をひかれませんように!
 春は、もうすぐだ。
 帰ったら全同志に、よろしくお伝えください。ありがとう!

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