Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部合同協議会  

2008.1.29 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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2  師弟不二の心に仏の真髄の力が
 きょうはまず、皆さんに、次の御聖訓を贈りたい。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ
 本陣のリーダーは、全員が師子であれ!──こう強く訴えたいのだ。
 また、日蓮大聖人は、四条金吾に仰せである。
 師匠であられる大聖人をお護りし、自らも難を受けながら、金吾は、勇敢に戦った。
 その弟子の奮闘を最大に讃えられた御文である。
 「日蓮の道(=法華弘通の道)を助けようとして、上行菩薩が、あなたの御身に入りかわられたのだろうか。あるいはまた、教主釈尊の御計らいであろうか」(同1163㌻、通解)
 師弟不二の心で、難との戦いの矢面に立つ生命には、上行菩薩の力、そして、仏の真髄の力が宿るとの仰せである。
 師弟の精神を、わが胸に刻んだ人は強い。
 それが人材の要件である。大聖人直結の我らは、創価の師弟に不可能なし、との大確信で進みたい。
3  わが組織に心血を注げ
 戸田先生は、「戸田の命よりも大事な学会の組織」と叫ばれた。
 これが、世界の大偉人である戸田先生の遺言である。
 本当ならば、日本が大宣揚すべき戸田先生であり、牧口先生である。浅はかな為政者などに分かるはずもない。
 この両先生が命をかけて築かれた学会伝統の組織である。そのなかで戦うこと以上の誉れも喜びもないのだ。
 皆の組織である。
 ゆえに、一人の人間の独裁など許してはいけない。
 また、どんな小さな組織であっても、自分に与えられた組織を、きちっと固め、本当に真剣に発展させていく。
 どんな小さな立場であっても、自らの使命を自覚し、真心で励まし、人材を育てていく。
 一人一人を大事にし、スクラムを拡大していく。
 その地道な、人目に付かない奮闘のなかにこそ、異体同心の団結が生まれる。
 会合で偉そうにしゃべって拍手を浴びている。
 そんなことは、大したことではない。
 組織という“血肉”を大事にして、そこに心血を注いでいけば、そこから新しい人材が生まれ、光っていくのだ。
 組織が育つと、人材が育つ。人材が増える。
 人材が増えれば、さらに、組織は強くなり、大きくなる。
 まさに、組織と人材は、表裏一体である。
 組織がなければ、皆、バラバラ。皆、不幸だ。
 だからこそ、皆で一体となり、団結して、平和と幸福の土台である学会の組織を守り育てていく。それが広宣流布である。
 学会は、世界一の仏法流布の団体である。一生成仏を成し遂げる団体である。
 この組織を壊す罪はあまりに大きい。
4  名前を残せ!
 私は今、全魂を込めて、次の時代への広宣流布の大いなる舞台を、日本中、世界中に完壁に仕上げている。
 わが同志が、地球のいたるところで、胸を張って、「どうですか! 創価学会は素晴らしいでしょう!」と誇り高く活躍してくださることが、私の願いである。
 本部周辺も一段と荘厳していくつもりである。
 私も、そのために、いよいよ戦い、いよいよ働く。決して、油断してはならない。
 どうか皆さんも、広布の歴史に誉れの名前を残していただきたい。
 その功徳が、父母、家族、子孫にと流れ伝わっていくととは、御聖訓に照らして絶対に間違いない。
 青年の時代だ。若手の時代だ。すべては青年部の君たちで決まる。
 また全員が、青年の心で生き生きと戦おう!
5  さて、話は変わるが、10年ぶりに大改訂された有名な国語辞典『広辞苑』第6版(岩波書店)が、出版界の大きな話題となっている。
 活字文化の興隆を願う一人として、本当にうれしい限りだ。
 この『広辞苑』は、どこを開いても勉強になる。
 たとえば「慢」という字の意味を引くと──。
 「①おこたる②あなどる③おこりたかぶる④おそい。ゆるやか」とある。〈別冊付録の「漢字・難読語一覧」〉
 「努力を怠る」「油断する」「横柄になる」「対応が遅い」「横着」「いいかげん」──これらは、すべて「慢」の生命だ。
 すぐに動かない幹部ではいけない。真剣と誠実、スピードを忘れるなと申し上げたい。
6  “高貴なものを讃えよ”
 きょうは、シラー(1759〜1805年)について語っておきたい。私が若き日より愛読してきた、ドイツの国民的詩人、劇作家である。
 大文豪ゲーテ(1749〜1832年)との切磋琢磨の友情は、あまりにも有名である。二人はともに、モスクワ大学から名誉称号を贈られている。〈名誉会長は同大学の名誉博士・名誉教授〉
 ゲーテは「巨人」であるだけに、世間からの嫉妬や反発も大きかった。そんな親友ゲーテを擁護して、シラーは言った。
 「彼は正義と善に対してきわめて真剣なのです。それゆえ、口先人間、偽善者、誰弁家がゲーテの近くではいつも居心地の悪い思いをするというわけです。
 彼らがゲーテを憎むのは、彼が怖いからですし、彼が人生および学問において皮相浅薄なものを心底から軽蔑し、人を欺くうわべを忌み嫌っているからなのです」(西山力也ほか訳、ジークフリート・ウンゼルト著『ゲーテと出版者』法政大学出版局から)
 シラーは、高らかに人間の自由と尊厳を叫び、正義を歌った。
 権力に踏みにじられた人間性のために、断じて仇を討つ!
 これが、彼が作品に込めた信念であった。
 シラーは書いた。
 「輝くものを汚し、高貴なものを悪口することを、人間の世は好むものだ。
 しかし、恐れるな!
 高貴なもの、偉大なものを讃えゆく美しき心は、まだあるのだ」
 それでは、人間の世において、最も高貴で、最も偉大なものは何か。
 それは「師弟の絆」であると、私は信ずる。
 青春時代の私は、戸田先生から、さまざまなことを聞かれ、それに答えることを求められた。
 「シラーの詩を暗唱してみなさい」と言われたことを思い出す。
 先生の地方指導にお供する時など、「御書のどの一節を学んでいるか」
 「きょうは何の本を読んだ」と厳しい質問が飛んでくる。
 10年間、仕事の前、そして日曜日も、毎日、先生のもとで学んだ。
 遊んでいる余裕などあったものではない。
 指導者となるために必要なのは、頭だ。根性だ。人間としての大きさだ──そういうお考えで、徹底的に私を鍛えてくださったのである。
7  「君の道を進め」
 師弟とは、ある意味で、親子以上の関係である。崇高な魂と魂の結合である。
 「師匠に“今から雪の中を走ってこい”と言われたら、喜んで走ってくるのが弟子ではないか」
 豪放な戸田先生は、よくそう、例えとしておっしゃっておられた。
 師匠の牧口先生とともに牢獄に入ったことを、無上の誉れとしておられた。獄死された牧口先生の仇を討つために、先生は立ち上がった。
 私も、戸田先生をお守りするために、青春をなげうってお仕えした。経済的苦境を支え、先生に仇なす人間とは、断固として戦った。
 そういう私を、戸田先生も決して離されなかった。
 「ありがとう」とは言われない。しかし私には「戸田先生にお仕えできることがうれしい」という気持ちしかなかった。
 シラーは綴っている。
 「止まることなく、前へと進まねばならない。決して、労苦に負け、沈黙して止まってはならない。君が、完成へと到達したいならば」
 「ねばり強さだけが、目標の達成への道なのだ」
 そしてある時は「聖なる団結の輪をかたくしめろ」(手塚富雄訳、『世界文学大系18』筑摩書房)と。
 後に続く諸君は、創価の峻厳なる師弟の心を、三代が築いた創価学会の組織を、守り、発展させていただきたい。
 つまらない見栄など投げ捨てて、広布の最前線で、もみくちゃになりながら戦っていただきたい。“あの人に続け”と皆から仰がれる、新たな拡大の歴史を残すのだ。
 シラーの「歓喜に寄す」の一節を諸君に贈りたい。
 「もろもろの太陽が/壮麗な青空を飛びめぐっているように/兄弟たちよ たのしく君たちの道をすすめ。/英雄のように喜ばしく勝利をめざせ」(前掲手塚訳)
8  女子部よ育て!
 戸田先生は女子部を大切にされた。幸福を真剣に願っておられた。
 ある時は、こう言われている。
 「きょうから、みんな出発するのです」
 「一人ひとりの生命のなかには、御本尊様がおられる」「いっさいを動かすものが『南無妙法蓮華経』の当体にあると、日蓮大聖人様はお説きなされた。その動かす力が、われわれの生命にある。それを開くのである」
 女子部は大事である。女子部が成長すれば、学会の未来は洋々と開けてゆく。
 その活躍の波動がどれほど大きいか。
 たとえば家庭にあっても、父親は娘からの忠言が一番、怖いものだ。息子では、そうはいかない。
 「女性はウソやごまかしを見破る鋭い感性を持っている。女性を大事にしないところは衰退する」
 これも戸田先生の慧眼である。
 一般的に言って、女性は手堅さ、緻密さという点で男性より優れている。従っているようにみせて、従わせるという賢さもある。
 女性が臆病で言うべきことも言えず、男性が威張り散らしている雰囲気のところは危ない。
 反対に、賢明な女性の存在が光っていれば、男性もインチキや、いい加減なことはできない。きっちりと、組織が栄えていくための土台を築いていくことができる。
9  ともあれ、人材がいるか、いないか。人材をつくれるか、つくれないか。国であれ、団体であれ、それで将来が決まってしまう。
 戸田先生は、歴史をさまざまに洞察されながら、人材の大切さを強調された。
 「この時代は、人材がいなかったから衰亡した」
 「この時代は、人材が大勢いたから栄えた」
 「この難局は、力ある人材がいたから切り抜けられたのだ」と──。
 幹部は、人材を「使う」ばかりでは失格である。「つくる」ことだ。「育てる」ことだ。
 その使命を断じて忘れてはならない。
10  鍛え抜いた青春
 ある時、新しい役職に任命された人が、戸田先生に「幹部として何が大事でしょうか」と質問し、先生が間髪をいれず、「大作についていけばよいのだ」とおっしゃったことがある。
 思えば、先生に鍛え抜かれた青春時代だった。本当にすごい先生だった。そばにいると、まるで嵐のごとき、怒濤のごとき先生であられた。
 その戸田先生が、学会の理事長を辞任された時、喜んでいる、とんでもない連中がいた。
 私は、「どうしてお辞めになったのか!」と、悔しい思いをした。
 失敗した事業を立て直すために、理事長職は辞めざるを得ない、という先生の判断もあった。
 しかし私は、「経済面では、私が先生の代わりに働く! そして必ず、戸田先生に会長になっていただくのだ!」との思いで、必死に戦ったのである。
 こうした真剣な弟子の心がわからない人間のなかから、金銭問題や男女問題を起こしたり、会員を苦しめ、自ら堕地獄の姿を見せる、不知恩の者が出たのだ。
11  「人一倍、後輩を育てなさい」
 戸田先生は「人」の重要性について、「人一倍、後輩を育てなさい。人材は金では買えないのだ」「青年が思う存分、働けるように応援する人間が偉いのだ」等々、ことあるごとに言及されていた。今、これらの言葉の重みをわかる人が、どれだけいるだろうか。
 また先生は、新しい人材を温かく励ましながら、「年々、この人たちが大きな力となっていくのである。指導者に育っていくのである」と喜んでおられた。
 青年部を大事にしたい。また青年部は、期待に応える力をつけていただきたい。
 「文筆の力は大きい。いかなる時代も、文筆の力は絶対に必要である」
 これも戸田先生の重要な指導だ。
 永遠に変えてはならない、聖教新聞の魂こそ「広宣流布」である。
 広宣流布は言論戦である。特にリーダーの皆は、「口」を使ってどんどん語り、「手」を使ってどんどん書くのだ。
 学会の悪口を言われて黙っているような、意気地なしの男子部ではダメだ。女性もまた、毅然と戦っていただきたい。
 悪と戦わなければ、皆が混乱してしまうのだ。
 “臆病者”が指導者になれば、その組織は必ず「魔」に負ける。「魔」の働きは強い。
 一の暴論には、十の正論で反撃する。真実を叫びきる。この戦う言論の魂を、断じて忘れてはならない。黙っていてはいけない。
 私は、学会を誹謗中傷する悪質なマスコミがあれば、遠くへでも、一人ででも抗議に行った。
 「事実と違います」「ここが違う」「ここも違う」「書き直してください」「謝罪してください」と、誠実に、勇気をもって抗議し、対話した。
 そうやって一つ一つを積み重ねて、現在の学会をつくってきた。
 特に、最高幹部は戦わねばならない。「意気地なし」は「ずるい」のであり、「卑怯」だ。卑怯は結局「敗北」となり、「裏切り」となる。
 日蓮大聖人は、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」と明快に仰せである。
 学会は、この御文の通りに勝負し、そして勝ってきた。
 広宣流布のために、牧口先生は獄死された。戸田先生は2年間の獄中闘争。私は反逆者らの陰謀で、会長辞任を余儀なくされた。そうしたなかで、矢面に立って戦うべき立場にいながら、ずる賢く立ち回った者もいた。
 学会の正義は、牧口先生、戸田先生の魂を継いだ私にあると、後世のために申し上げておきたい。
12  「信心で勝つ」人に幸福と栄光が
 先ほども触れたように、さらなる広布の発展のために、日本でも、世界でも、着々と手を打っている。
 これまで、遠大な広布の展望、視野を理解せずに、皆の足並みを乱す者もいた。そういう愚かな幹部であってはならない。
 剛毅な戸田先生は、「男は戦場で戦え」と言われた。
 折々に語ってきた「大阪の戦い」で、私は、絶対に勝てないと言われていた戦いを勝った。その時、勝てると思われていた東京は敗北した。
 学会が初めて参議院に候補を推薦した、重要な時期であった。
 その意味を理解しない者が、ふざけ半分で指揮を執った東京は、負けたのである。
 戸田先生に会長になっていただけるかどうかを決する時にも、困難な環境の中で私は戦った。
 戸田先生をお守りし、活躍の舞台を、精魂込めて整えさせていただいた。
 内外ともに重大な時期に、また、創価学会が存立するか否かの”天下分け目の戦い”で、私は「勝ってみせる!」と決めて、勝ち続けてきた。
 若い諸君にも、どうかそういう戦いをしてほしいと私は願っている。
 信心で勝てなければ、どれだけ長生きしても、真の幸福はつかめない。栄光も輝かない。
 いよいよ新しい時代である。最高幹部は心して、全同志の幸福のために、全力を尽くしてもらいたい。
13  戸田先生は、女子部に指導された。
 「苦しい環境にあっても、その環境に支配されてはいけない」
 現実を、必ず、いい方向に変えていけるのが、信心の福智である。
 生命力が弱いと、環境に支配され、目標を見失って流されてしまう。
 御本尊への真剣な祈りで大生命力を奮い起こし、今、自分がいる環境を動かしていくのだ。
 先生は、「苦労なくして、真の指導者は育たない」「人間は、鍛えてもらったほうが得である」とも言われていた。
 試練の中で鍛えられてこそ、人間としての力も、大いなる福運も、わが生命に備わっていく。
14  沈黙するな 臆病になるな
 戸田先生は、厳然と言われた。
 「恩知らずの、傲慢な幹部がいたならば、厳しく、遠慮なく叱りなさい。どんどん、自分の真実の思いを言い切っていきなさい」
 下から上へ、厳しく叫べ! それが、牧口先生、戸田先生の鉄則である。沈黙してはいけない。臆病であってはいけない。
 ともあれ、幹部は気取りを捨てることだ。
 格好ではない。リーダーとして大切なのは、「情熱」と「正義感」と「慈愛」である。
 真剣な実践も、拡大の実績もないのに、幹部として偉そうにするなど、もってのほかだ。
 役職など関係ない。上も下もない。
 戸田先生は、師匠のもとで弟子は皆、平等であると強く言われていた。
 どうか皆さんは、広布のために苦労をいとわず、会員のために誠実に尽くし抜いて、本物のリーダーとして成長していってほしい。
 先生は、さまざまな角度からリーダー論を教えてくださった。
 「立派な指導者となるためには、しっかりした経済観念がないといけない」とのご指導も、紹介しておきたい。
15  戸田先生は、古今の名著を通して、私たち青年を薫陶してくださった。その中でも、『三国志』は、じつに思い出深い。私も、何度も何度も読んだものだ。
 東京富士美術館では、この5月、堂々たる「新館」が落成する。「新館」のオープンを記念して、5月3日より、「大三国志展」が盛大に開催される予定である。
 ある時、先生は、「劉備玄徳は、優柔不断であるから、魏の曹操に敗れたのだ」と鋭く指摘された。
 優柔不断というのは、リーダーにとって大きな欠点となる場合が多い。
 ずるく、卑怯な人間の優柔不断は、結果として、敗北を招く。
 つくべき人を誤ってはならない。
 正義の人、勇気の人、明快なる人についていく。これが大事である。
 先生は、女子部の人材グループであった「華陽会」に出席された折、『三国志』を通して、こう指導された。
 「人物を見る場含、地位とか役職とかによって、こちらで決めてかかってしまう。
 人を見る前に、この人はこういう人だという一つの映像をつくってはいけない」
 大変に重要なお言葉である。
 また諸葛孔明は、「礼に欠ける」のは指導者失格であると戒めていた。
 傲慢になれば、有能な人材を登用することができないからだ。
 リーダーの皆さんは、深く心に留めていただきたい。
16  恩師の遺命の実現へ奔走
 昭和34年(1959年)9月2日、31歳の私は、日記に次のように綴った。
 「一日ごとに、老若の差が開かれていく──。先輩よ、牧口先生のこと、戸田先生のことを、もう忘れたのか、と激怒したかった。
 自己保身、それよりも、王仏冥合、広宣流布の建設と、恩師の勝利の実証を第一義として、総て考えゆくべきだ」
 戸田先生が亡くなられて、約1年半。年配の幹部の中には、師の指導を早くも忘れ、広宣流布への情熱を失って、慢心に陥る人間もいた。
 そうした中、私は総務として一人、学会の全責任を担って立ち、恩師の遺命の実現へ奔走していた。
 戸田先生が逝去されたのは昭和33年4月2日。その直前の3月16日の式典で、先生は、私たち青年に広宣流布の一切を託された。
 本年は、この3・16「広宣流布記念の日」の50周年にあたる。
 ここで、昭和32年の終わりごろから「3・16」までの師弟の闘争を、私の日記などをもとに、振り返っておきたい。
 かいつまんでの紹介ではあるが、少々長くなるかもしれない。
 しかし私は、特に青年の皆さんに、本当の師弟の姿を知っておいてもらいたいのだ。
17  「必ず成し遂げます!」
 昭和32年11月20日──。
 戸田先生は、予定されていた広島行きを中止された。先生のお体を考え、私がお止めしたのである。先生は足に力が入らず、歩行すら困難な状況であった。
 医師の診断では、肝硬変症とのことであった。
 過度の疲労が重なり、黄疸と腹水を併発。全身衰弱が著しく、重篤な状況であった。
 そのため絶対安静とされ、先生は、ご自宅で闘病に専念されることになったのである。
 11月23日、私の妻が先生のご自宅へお見舞いにうかがった。その2日後、私は先生から「留守をしっかり守れ」との連絡をいただいた。
 30日、私は品川での本部幹部会の後、先生のご自宅へお見舞いにうかがった。少し元気になられたお姿を拝見し、安心したことを覚えている。
 12月10日、私は再び先生のご自宅へお見舞いにうかがった。病状が好転されていることを聞き、本当にうれしかった。
 先生に、一日でも長生きしていただきたい。広宣流布の指揮を執っていただきたい──それが弟子としての私の願いであり、祈りであった。
 16日の午後には、戸田先生から電話でご指導をいただく。
 あの人間には注意せよ! あの人間には厳重に指導せよ!──先生は、病床にあっても、未来のことを案じて厳しく語っておられた。
 翌日の朝、私は先生のご自宅を訪れ、1時間にわたって指導を受けた。
 この時、75万世帯を達成した後の目標についておうかがいした。
 先生は、命を振り絞るようにして言われた。
 「大作、あと7年で、200万世帯まで戦いたい。できるか!」
 私は即座に、お答えした。
 「やります! 必ず成し遂げます! 勇気百倍、断固、戦います!」
 2カ月後、先生はさらに「7年で300万世帯」の目標を示してくださった。この大目標も、私は4年後に達成した。
 師匠が言われたことは絶対に成し遂げる。それが真実の弟子であるからだ。
 年末の29日にも戸田先生のご自宅へ、あいさつにうかがった。先生は学会の将来について、こまごまと注意、指導をしてくださった。
18  「10年間、苦難の道を歩みゆけ!」
 年が明けて、昭和33年1月。先生は病気を克服しつつあった。
 しかし、2年間の獄中生活をはじめ、長年にわたって酷使を重ねてきた肉体の衰弱は、いかんともしがたいものがあった。
 先生は、ご自身に残された時間をご存じであったのであろう。
 「もし私が死ぬようなことがあったら──」と言われ、連日のように、大切な指導をしてくださった。
 17日には、学会本部で先生から、人事などについて注意をいただいた。
 その翌日、私は3月の総登山の運営に関して、首脳が現実を掌握せず、現場の青年たちが苦しんでいることを、先生にご報告した。
 先生は、厳然と言われた。
 「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と。
 “青年の手で新しい学会をつくれ! 君たちが次の時代を開くのだ!”との深きお心であった。
 2月13日の夜、私は先生のご自宅へうかがった。
 先生より、①学会青年部の未来性への指示②学会幹部の指導原理③仏法と社会への指向④学会の究極の使命について、種々、お話をいただく。2月19日にも、先生のご自宅へ。私が3月から学会本部の職員となることについて、先生は「君の本部入りは天の時だ」と語られた。
 また、「10年間、苦難の道を歩みゆけ」と厳愛のご指導をいただいた。
 さらに2月22日、先生は師子吼された。
 「阿諛諂侫の輩(=口先巧みにへつらう、邪な心の人間)は全部切る!」
 「組織を乱しゆく者、信心利用の者も、また同じである」と。
 未来を見すえての、遺言のごとき、烈々たる叫びであった。
19  次の50年を託す
 そして3月。私は、20万人総登山の運営の全責任を担った。
 1日、戸田先生とともに、学会が建立した大講堂の落成の式典に出席。終了後、エレベーターの中で、先生は私をじっと見つめて言われた。
 「これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
 電撃が私の五体を貫いた。
 5日。大阪事件の裁判で関西に向かうため、私は戸田先生にごあいさつ申し上げた。
 先生は言われた。
 「君は罪を一身に背負おうとした。本当に人の良い男だな。でも、だからこそ安心だな、学会も」「最後は勝つ!」
 「真実は、必ず明らかになる。堂々と、堂々と男らしく戦え!」
 先生は、私の苦衷をすべてわかってくださっていた。本当にありがたい師匠であった。
 どんなことがあっても、必ず裁判に勝利して、先生にご報告をするのだ──私はそう固く心に誓った。
 このころ、戸田先生に対して、ある青年部幹部が「これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」と質問をした。
 先生は、厳しく言われた。
 「敵は内部だよ」
 この質問をした幹部は、後に名聞名利に信心を食い破られて退転し、学会に反逆した。先生は、その本質を鋭く見破っておられたのである。
 そして3月16日!。
 広宣流布の模擬試験となる儀式が、晴れやかに行われた。
 式典には、時の首相が参加する予定であったが、残念ながら出席できなくなった。代理として首相の夫人と娘婿らが参加してくださった。
 式典の司会を務めたのは私であった。
 戸田先生のお体は、すでにかなり衰弱しておられた。しかし、全生命を振り絞るようにして、男女青年部を前に話をされた。
 そして、「創価学会は、宗教界の王者である!」と高らかに宣言されたのである。
 3・16の儀式については、これまでもさまざまな形で語ってきた。
 この日、戸田先生は、私を中心とした青年たちに、広宣流布の一切を託してくださった。
 それから50年。今、私は、だれよりも信頼する青年部の諸君に、広宣流布の「炎のバトン」を託したい。
 若き君たちに、雄々しき師子となって、次の50年の勝利を開いていってもらいたいのだ。
20  誠実で道を開け
 戸田先生は言われていた。
 「指導者になろうとする者は、何があっても読書を忘れてはならない」
 先生の厳しい訓練のもと、私は徹して読書に挑戦した。その一つ一つが、すべて私の血肉となっている。
 ここで、世界の先哲の言葉を紹介したい。
 インドの大詩人タゴールは歌った。
 「君の心を束縛するすべての鎖をたち切って/前に向かって突進せよ──/よろこびと悲しみとを超えているものに向かって」(片山敏彦訳「渡り飛ぶ白鳥」、『タゴール著作集第1巻』所収、第三文明社)
 いい言葉だ。
 我らには妙法がある。御本尊がある。
 どんな苦難も乗り越えて、さっそうと進むのだ。わが生命の凱歌をあげゆくのだ。
 近代日本の詩人であり、作家の国木田独歩は綴った。
 「要は、誠実に働くのみ。其のうちに意味あり、希望あり、幸福あり」(「家庭小話」、『國木田濁歩全集第1巻』所収、学習研究社。現代表記に改めた)
 大事なのは誠実だ。誠実が、人の心を動かす。誠実の行動が道を開くのである。
 19世紀フランスの科学者ルイ・パスツール。
 彼は、恩師であるジャン=バチスト・デュマへの感謝を、こう語っている。
 「先生の講義の後で、何時も私はソルボンヌから恍惚として、時としては涙ぐむ程感激をして出て来たものであります。
 この時以来、先生の教授としての才能、先生の不朽の業績、先生の高貴なる性格は私の心に崇拝の念を起させ、それは私が齢を重ねるに伴って、強まるばかりでありました」(ヴァレリー・ラド著・桶谷繁雄訳『ルイ・パストゥール』冨山房、現代表記に改めた)
 パスツールは、偉大な師であるデュマを「心の灯」と呼んだ。
 輝かしい業績を残した晩年においても、“私は、師匠デュマに激励された弟子である”と幾度も語ったという。
 師弟に生き抜く人生は美しい。
 師弟に生き抜けば、無限の力を発揮していくことができるのである。
21  真剣に訓練を
 必勝の条件とは、何か。その一つとして、中国の古典『管子』は、こう説いている。
 「たゆまぬ訓練を行なうこと。たゆまぬ訓練は無敵である」(松本一男訳『中国の思想8 管子』徳間書店)
 広布の戦にあっても同じだ。
 戸田先生は、一面、本当に口やかましかった。そうやって、青年を育ててくださった。
 今は口やかましい人が少なくなった。“我関せず”と、悟り澄ました格好をする。それでは、人が育つわけがない。真剣に訓練していかなければいけない。
 『管子』も、戸田先生のもとで、暗記するくらい懸命に学んだことが懐かしい。先生の訓練はすべて、学会の将来を見すえたものであった。
22  中央アジア・ウズベキスタンの大詩人ナワイーは、高らかに歌った。
 「疲労やわびしさ、悲哀など吹き飛ばすのだ。迫害の嵐にさらされる運命にあっても、心軽やかに乗り越えていこう。
 どんなに大きな困難があっても、心軽やかに立ち向かう人が勝利者となるのだ」
 この言葉を、自分に言い聞かせながら、あらゆる苦難をバーッと吹き飛ばして、心軽やかに前進したい。
23  一騎当千たれ!
 きょうは大事な協議会である。そして、学会が一段と発展していけるかどうかの分かれ目が「今」である。
 この時に、心に隙があれば、大きく崩れてしまう。今いる皆さんで、未来は決まる。ゆえに、断じて手を抜くことはできない。
 未来のために、もう少々、語っておきたい。
 学会は、大きく発展した。これだけの世界的な学会になった。盤石な土台ができ上がった。
 その上に見事な大建築をつくり、広げていくのは、若き君たちである。
 すべては「人」で決まる。これからの「人材」で決まる。
 一人一人が一騎当千の将となって、世界一の大人材城を築いていただきたい。
24  「慈悲」を世界へ
 私が現在、月刊誌「潮」で語らいを連載している、中国の国学大師の饒宗頤じょう・そうい博士は、次のように述べておられた。
 「私は池田先生と出会って、今、『創』という言葉を、人生のテーマとしようと決意しています。『創価学会』の『創』、牧口常三郎初代会長の言われた『価値創造』の『創』です。池田先生は常に、尽きることなき創造力をもって、多くの人々を鼓舞してこられました」
 「池田先生が法華経の本義に則り、慈悲の精神を宣揚し、これを世界に広め、人材を育てていらっしゃること──そこから学ぶ者は『火宅も清涼となる』の感を抱き、『暗闇も暁となる』という目覚めの讃歎を叫ばざるを得ないのです」
 すべて創価の平和・文化・教育運動への評価である。世界の知性の声を、ありのままに紹介させていただきたい。
 饒博士は、こうも述べている。
 「(日本や世界の青年に知ってもらいたい文学・芸術作品は何か、という質問に)もともと読書が好きな人に対しては、私が紹介するまでもないかもしれません。しかし、今日、平和な世界を築くという意味において、池田先生の思想と境涯を、皆が深く学ぶべきだと思います」
 さらに「池田先生が強固な信念のもと、中国のみならず、世界の各世代、各分野のリーダー、そして民衆と友情を結んでこられたことは、誠に偉大です。これほど広範かつ長きにわたって交友を温めてこられた方は、極めて稀ではないでしょうか」と語っている〉
25  若々しい声で
 リーダーは、声一つ、言葉一つで、皆に勇気と希望を与えていくのだ。
 覇気のない、枯れ果てたような声では、だれも感動しない。
 「春が来た!」「いいな!」と感じさせるような、生き生きとした声で、同志を鼓舞していっていただきたい。
 妙法を持つ我々は、年齢には縛られない。年を重ねても、若々しく、福徳を増しゆく不可思議の法であるからだ。
26  全員が責任者!
 リーダーは、「全員が会長」「全員が広布の最高責任者」との深き自覚に立っていただきたい。
 これまでも、どんな嵐にも揺るがず、わが地域の同志を守り抜き、道なき道を切り開いた庶民の王者がたくさんおられた。その方々のおかげで、学会は、もっているのだ。
 今や、世界190カ国・地域に広がる創価の大連帯である。
 中核となる人材を、100人、1,000人と、今、つくっておかなければ、大変なことになる。
 中国の古典『書経』に、「指導者の心得」が記されていた。
27  「師を求めれば王者となる」
 キューバ独立の父ホセ・マルティは綴った。
 「行動力は若さの象徴である」(柳沼孝一郎・青木康征訳『ホセ・マルティ選集第2巻』日本経済評論社)
 行動しなければ、人も、団体も、伸びない。学会は、行動し抜いてきたからこそ、すべてに晴れ晴れと勝ってきたのだ。
 中国の『書経』には、「能く自ら師を得る者は王たり」──「自分から師とすべき人を求めえたものは天下の王者」となれるともあった(小野沢精一著『新釈漢文大系26 書経(下)』明治書院)。
 反対に、師を求めようとしない人間には、成長も、進歩もないであろう。
 戸田先生は私に、「お前は、本当に師匠を大事にした。王者だよ」と語ってくださった。これこそ、わが青春の誉れである。
 戸田先生との思い出は尽きない。
 戦後間もないころ、学会はまだ小さかった。一番大変だったその中で、私は先生に、「将来必ず、学会を世界的に大きくします!」と申し上げた。
 弟子の誓いに、先生は涙しておられた。
 肺病の私を心配され、「俺の命をあげたい」とまで言ってくださった先生である。
 この先生の心があったから、私は戦えた。
 師弟があったから、学会は勝ったのである。
 次は、君たち青年の番だ。青年部に、一切を託したい。
 役職が上だから偉いのではない。信心で決まる。行動で決まる。青年が、下から上を動かしていくのだ。
 そのためにも、若き諸君が、学会精神を忘れることなく、しっかりと戦い抜くことである。こんなに素晴らしい団体はないのだから。
 未来は、すべて若き皆さんにかかっている。よろしく頼むよ!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 きょうは長時間、本当にありがとう!

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