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日蓮大聖人・池田大作

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各部最高協議会  

2008.1.2 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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2  旭日のごとく
 ご存じのように、「元日」は「年の最初の日」であり、「元旦」は「年の最初の日の朝」を指している。
 漢字で「元」は始まりを意味し、「旦」は太陽が地上に現れることを示しているとされる。
 また元旦・元日は、「日」「月」「年」の3つの「はじめ」でもあるため、「元三がんざん」「三朝さんちょう」「三元さんげん」「三始さんし」ともいう。
 有名な「十字むしもち御書」の一節には、次のように仰せである。
 「正月の一日は日の始めであり、月の始めであり、年の始めであり、そして春の始めであります。これを正法をもって祝う人は、月が(その出る位置が)西から東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡って行くにしたがって明らかになるように、徳も勝り、また人々にも愛されるのです」(御書1491㌻、通解)
 日蓮大聖人は、正月の初めに真心の供養を届けられた門下の信心を、最大に賞賛された。
 年初より、広布のため、妙法のために尽くしゆく尊き友の福徳が、どれほど大きいか。そのことを深く確信していただきたい。
3  「毎日が元旦」と
 スイスの大教育者ペスタロッチは語った。
 「元日は、この一年間がわたしたちにとってどんな年になるか、そのいっさいが始まる日です」(佐藤正夫訳「新年講演」、『ペスタロッチー全集第10巻』所収、平凡社)
 元日を大切にしたペスタロッチは、自らが創立した学園で、毎年、この日に、新たな息吹で年頭のスピーチを行うのが常であった。
 1810年の元日、彼は、若き学園生たちに呼びかけた。
 「いっさいの悪に抵抗し、いっさいの善に味方する、心の勇敢な、精神の強い人間になってください」(同)
 さらに、ペスタロッチはこう語った。
 「兄弟姉妹達よ、きょうは我々にとって新たな団結の日である。
 我々の事業は我々にとって新らしく、我々の目的は我々にとって新らしく、我々の力は新らしく、我々の意志は新らしくあれ!」(四本忠俊訳「学園講演集」、『ペスタロッチ全集第3巻』所収、玉川大学出版部。現代表記に改めた)
 指導者の新しい決意みなぎる、新しい声の響きが、新しい前進の力を生むのである。
 私が会談した高名な心理学者で、ハワイ大学名誉教授のアンソニー・マーセラ博士は、鋭く洞察しておられた。
 「私の専門である心理学的に言っても、一つの年が暮れ、新しい年の始まる瞬間は新鮮な決意をする大きな動機づけとなる。
 新年の始まった直後は世界中が、時の流れ、生命、そして生命の意味といったものに対して深遠でかつ強烈な意識を持つように思われる。更に、たとえどんなに小さな決意でさえも、宇宙大の確固たる確信となりうる。
 このように新年の決意というものは重要な意義を持つゆえに、軽視されるべきものではない。
 事実、新年に際して新しく変わろうとする努力は、生命の深くに根差した生まれ変わるという原初的な衝動に発していると主張する人もいる」
 「どんなに些細に思われる目標であっても、それはより大きな、人間の蘇生への欲求の一部とみなすことができる。
 それは一人一人の中にある、どんなに苦しい人生を歩んできても、どんなに自分自身の行動に失望しても、新年にはまた新しくスタートすることができる、自己変革ができるという実感である。
 このように、新年は自己の変革に挑戦する決意をする、またとないチャンスである」
 こうした観点からも、新たな前進を誓い合う学会の新年勤行会は、重要な意義をもっているといえよう。
 また、各国や各都市において、創価の師弟を祝賀してくださる行事が行われている。
 国によって、政治の体制も異なる。宗教も、文化も多様である。
 そのなかにあって、仏法を基調とした創価の平和・文化・教育の連帯が、SGIの良き市民の連帯が、これほど、理解と共感と信頼をもって受け入れられてきたことは、奇跡であるといっても過言ではない。
 ともあれ、南無妙法蓮華経は「久遠元初の法」である。それを唱え行じゆく、私たちの胸中には、久遠元初の仏の生命が赫々と輝いていく。
 御書には「久遠一念元初の妙法」を受け持つことは、「最極無上」の法を授かるということである、と示されている(867㌻)。
 妙法を受持し、広宣流布に生きゆく私たちにとっては、毎日が「久遠元初」であり、毎日が「元旦」である。ゆえに、常に元朝の旭日のごとく、清新な蘇生の光を放ちながら、日の出の勢いをもって向上していくことができるのだ。
4  人類の灯台
 ここで、先哲の言葉を皆様に贈りたい。ロシアの大文豪トルストイは述べている。
 「『自分には、これはできない』という言い方は誤りである。『今までは、これができなかった』と言うべきである。
 この現在の一瞬、私がやりたいと思うことは全部できるのだということを、私はまぎれもなく知っている」
 大事なのは「これから」だ。未来である。自身の壁を破り、新たな歴史を開きゆく一年でありたい。
 スイスの思想家ヒルティは綴った。
 「人間や境遇を測るのに財産をもってしてはならない」(斎藤栄治訳『ヒルティ著作集第2巻』白水社)
 人間の偉大さは行動で決まる。大切なのは、人々のため、社会のために何をなしたかだ。
 ドイツの大哲学者ショーペンハウアーは述べている。
 「偉大な精神たちは、人類の灯台であって、これらがなければ、人類は怖るべき誤謬と荒廃の果てしない大海に没してしまうであろう」(細谷貞雄訳『知性について』岩波文庫)
 ショーペンハウアーは、欧州でいち早く仏教に注目した人物の一人としても知られる。彼は、仏教が、生命への慈愛に満ちた、平和と寛容の宗教であることに着目していた。
 私と対談集を発刊した「欧州統合の父」クーデンホーフ・カレルギー伯爵も、“ショーペンハウアーは仏教徒でした”と語っていた。
 そして、ショーペンハウァーの哲学から自身も影響を受けたと述べ、世界随一の平和の宗教である仏教が、新しい文明の形成に大きな役割を果たすだろうと期待を寄せてくださったのである。今、創価の人間主義の哲学は、人類の「希望の灯台」として輝き、人々を照らしている。
 世界からの期待と賞讃は、ますます大きくなっているのである。
5  学会を護り抜け
 我らが目指す広宣流布の山の登はん。それは人類未到の壮大なる挑戦である。
 それはまた、一次元から言えば、仏と魔との熾烈な闘争にほかならない。ゆえに楽をして勝てるわけがない。
 人類の平和と幸福のために、広宣流布の団体である学会は、断じて負けてはならないのだ。
 そのためにリーダーの要諦を語っておきたい。
 学会のリーダーは、学会を護るために、命がけで戦うのだ。学会員に命がけで尽くすことだ。口先ではない。責任である。行動である。決意である。
 要するに、最高幹部が犠牲になって、苦労していく以外にない。これが栄えていく根本だ。
 どんなことがあっても、学会を護り、師匠の精神を護り抜く。それが創価三代に流れる師弟の心である。
 この一点があるかどうか。この一点を確立していかなければ、永続はできない。
 重要なことを、最高幹部の皆さんには申し上げておく。
 そして、青年を「使う」のではなく、青年に「尽くす」のだ。やらせるのではなく、幹部自らがやって見せて、正しく導いていくのである。
 私が対談したインドの大科学者スワミナサン博士(「パグウォッシュ会議」前会長)は語っておられた。
 「青年を育てあげるべきです。青年に嫉妬を抱かず、青年を育てるように努め、そして青年の成長を認めるべきなのです」と。
 青年に嫉妬する──そんな低次元の幹部など必要ない。
 学会は、全世界に、そして宇宙にまでも、永遠に広宣流布をしていく団体である。全然、スケールが違う。
 広々と大きな心で青年を包み、育てていってもらいたい。
6  幹部はいたが……
 恩師の戸田先生も、青年である私に、すべてを託された。
 戸田先生の時代にも、幹部は大勢いた。しかし、戸田先生が事業に失敗され、窮地に陥ると、周りは一変した。
 そそくさと逃げ出す者。「戸田のバカ野郎!」と文句を言う者。戸田先生が誹謗中傷されるのを見て、卑劣な笑いを浮かべる者すらいた。
 その根底は、偉大な先生への焼きもちであり、醜い保身と畜生根性であった。
 仏法は「不惜身命」ではないか。法華経の行者に、難や迫害は当然ではないか。
 それなのに、なぜ幹部は先生を護らないのか。戦わないのか。何を甘えているのか。
 「沈黙することはその敵にわが身を結びつけるほどの卑しい下劣さである」(中山昌樹訳『ダンテ全集第4巻』日本図書センター)との詩聖ダンテの叫びが、若き私の胸に、こだましていた。
 戸田先生は、常々、「怖いのは内部だ」と言われていたが、その通りの無慈悲な情けない姿であった。
 私は戦った。青年らしく、弟子らしく、先生を厳然とお護りした。月給もなく、真冬でもシャツ一枚で、借金の返済に駆けずり回った。
 嘘八百の人間には、どこへでも出かけていって抗議をした。
 早朝でも深夜でも、何かあれば、隼のごとく、先生のもとに飛んで行った。
 そんな弟子は、だれ一人いなかった。
 この嵐の中で、戸田先生は、28歳も年下の私に全幅の信頼を寄せてくださったのである。
 「だれも信用できない。信用できるのはお前だけだよ」と。
 大難と戦う師匠を支えたのは、名のある幹部や名士ではなかった。無名の一青年であった。
 一番信頼できるのは、いつも純粋な会員の方々である。それが広布の歴史の真実である。
7  師の命を継いで
 当時、肺を病んでいた私を心配され、戸田先生は、「大作は30まで生きられない」と号泣された。
 また先生は、「私の命をやる」とまで言われ、「大作が生き長らえるように」と祈ってくださったのである。
 私は折伏もやった。不可能と言われた「大阪の戦い」にも勝った。先生亡き後も、先生の心を継いで、死にものぐるいで働いた。
 そして、今、愛する同志とともに、日本一、世界一の創価学会を築き上げたことを、わが恩師に、謹んでご報告申し上げたいのである。
 戸田先生にいただいた命によって、80まで生きることができた。
 妻とともに健康で戦うことができた。今は先生への報恩感謝の心でいっぱいである。これが創価の師弟である。美しき生命の結合である。
 この心を、私は、信頼する創価の青年に託していきたい。
8  真実は黄金のごとく輝く!
 さて、話を世界に向けてみたい。
 「アフリカは未来の国であります」「世界の将来はアフリカで決定されるだろう」(野間寛二郎訳『自由のための自由』理論社)
 これは、ガーナ独立の指導者エンクルマ初代大統領の確信であった。
 私も同じ信条である。
 私自身、「21世紀はアフリカの世紀である」と一貫して主張してきた。
 1960年(昭和35年)、アフリカ大陸で17の国が独立を果たした。この年の10月、私は、ニューヨークの国連本部を訪れた。
 そこで、新たに国連に加盟した、はつらつとしたアフリカ諸国の代表の姿を目の当たりにしたことも懐かしい。
 今年は、「日本アフリカ交流年」である。
 それに先駆けて、先日、創価国際友好会館に、在東京アフリカ外交団の代表として、9カ国の駐日大使の方々をお迎えすることができた。
 光栄にも、まことに意義深き「感謝状」を賜り、深い歴史を刻ませていただいた。
 人類の母なる大地・アフリカの英知の言葉は、まことに味わい深い。
 ここで、その一端として今回、お越しくださった9カ国にゆかりの格言を紹介させていただきたい。
 まず、セネガル共和国の格言。「真実は、黄金のようなものである」
 ガボン共和国の格言。「針が通らなければ、糸は続かない」。道を開く入が大事なのである。
 コンゴ民主共和国の格言。「どんなに夜が長くとも、昼は必ずやってくる」
 ザンビア共和国の格言。「太陽が昇っている間に、夜のための薪を集めなさい」。未来のため、勝利のために、周到な準備を、というのである。
 ジンバブエ共和国の格言。「私たちは果実を食べる時、花に感謝する」。私たちも真の恩人を忘れてはならない。
 エリトリア国の格言。「卵は、少しずつかえってくる」。日々の地道な努力が大切である。
 ケニア共和国をはじめスワヒリ語の格言。「勇気は、決意の産物である」
 ルワンダ共和国の格言。「困難の時に訪ねてくる友人が、最善の友人である」
 最後にエジプト・アラブ共和国の格言。「真の友情とは、誠実さに満ちていることである」
 アフリカの同志の活躍も発展も目覚ましい。
 私も、アフリカ大陸との友情を一段と深めながら、「アフリカの世紀」の前進に、さらに貢献していく決心である。
9  ここで御聖訓を拝したい。
 「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分に」と仰せである。
 一年また 年、一日また一日、師子王の心をみなぎらせて、妙法を朗々と唱え、そして新鮮な音声を発しゆくことだ。
 その師子吼こそが、わが正義の陣列を勇気づけ、邪悪の魔軍を退散させていくからである。
 ともあれ、かの大教育者ペスタロッチも、元日より、さっそうと、声高らかに青年を励ましていった。
 リーダーは、声を惜しんではならない。
 語って語って語りまくることだ。
 しゃべって、しゃべって、しゃべりまくることだ。
 リーダーの「確信の声」「安心の声」「正義の声」が新たな時代を開くのである。
 女性の素晴らしい力を、いかにして、さらに輝かせていくか。
 ここに盤石な前進の鍵がある。これからの時代を生きる道がある。
 わが学会も同じだ。
10  人間を尊敬せよ
 すでに18世紀、女性の権利を護るため、毅然と正義の声を上げた先駆の人がいた。
 イギリスの女性の思想家、メアリ・ウルストンクラフトである。
 彼女は、一家の貧窮や家族の不和など、自らの人生の苦悩に挑みながら、人々のため、社会のため、未来のために、行動を続けた。
 『女性の権利の擁護』を著し、男女の平等、女性教育、女性の解放を訴えた。
 38歳の短い生涯であった。しかし、その生命の燃焼から紡ぎ出された強靱な主張は、世界に知られ、不滅となった。
 彼女は叫んだ。
 「友情の大黒柱は、尊敬と信頼である」
 「人間として人間を尊敬するということが、あらゆる高貴な感情の基礎である」
 〈ウルストンクラフトの書葉は白井堯子訳『女性の権利の擁護』未来社から。以下同じ〉
 まったく、その通りである。
 人を尊敬できるかどうか──ここに、人間としての本当の偉さが光る。
 来る年も、来る日も、婦人部、女子部の皆様方が、たゆみなく実践されている仏法の対話は、まさしく他者の仏の生命を尊敬しゆく「不軽菩薩」の実践である。
 御聖訓には、「鏡に向かって礼拝する時、そこに映る影(姿)がまた私を礼拝する」(御書769㌻、通解)と仰せである。尊敬は、深い次元で、相手の尊敬の心を呼び覚ます。
 戸田先生もよく、人に接する時は「感じよく」と教えられた。相手に、こちらの気持ちが伝わるように、大誠実を尽くすのだ。真心は、最後には必ず通ずる。
 創価の女性の対話こそが、この世で最も麗しい信頼のスクラムを広げているのだ。この1月、全国の津々浦々で賑やかに朗らかに行われる、世界一の婦人部の総会を、壮年部、青年部も、最大の感謝を込めて応援してまいりたい。
 ウルストンクラフトは強調してやまなかった。
 「人間というものは、能力を使わなければその能力が伸びないように造られている」
 人生は、行動したほうが勝ちである。
 日々、人々を励まし、希望を贈るために、わが生命を使うことは、「幸福博士」の天賦の才を、最大最高に伸ばしていく道である。
 彼女は厳しく戒めた。
11  不正や侮辱に沈黙するな!
 ウルストンクラフトは喝破した。
 「忍耐強く不正に耐え、また侮辱されても黙ったままでいるような人は、やがて自分も不正な人間になるか、あるいは善悪を見分けることができなくなるであろう」
 まったく正しい。これが、人間の精神の法則である。ゆえに、黙っていてはいけない。
 悪と戦い、正義を叫び切っていくなかにこそ、真実の心の健康がある。創造の炎が燃え上がる。
 一般に、年配になると、詩が書けなくなるとも言われる。
 しかし、私が「世界民衆詩人」などの称号にお応えして、多くの詩を詠み残していけるのも、戸田先生の弟子として、破邪顕正の学会精神で、邪悪と戦い続けているからだと実感している。
 〈名誉会長とトインビー博士の対談集などを翻訳した、スリランカの名門・ケラニヤ大学のパッリヤグル博士は、こう語っている。
 「人は若い時には勇気があり、決意があり、詩を書く。しかし、人生の苦難を経験し、詩を書かなくなる。70代で詩を書き続ける人は、まれである。ところが、池田博士は、青年を励まされる詩を、今も生き生きと書き続けておられる。このような方は、見たことがありません。希有の偉人です。
 現代の詩人は、読者に悲観を与えるようなことばかりを書いています。そのなかで池田博士は、勇気と希望を与える詩を書き続けておられます」〉
 ウルストンクラフトの箴言を、創価の母たちに贈りたい。
 「友よ、ささいな出来事の一つ一つにくよくよしないように注意せよ。微風にそよぐ葦は一年で枯れてしまうが、がっしりとそびえる樫の木は、長年の間、嵐にも立ち向かうのだ!」
 どうか、嵐に揺るがぬ大樹のごとく、強く悠然と充実と勝利の年輪を刻んでいただきたい。
12  「声もをしまず唱うるなり」
 日蓮大聖人は「報恩抄」において、こう仰せになられた。
 「一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし
 いずれも、私たちが生命に刻んできた一節だ。
 南無妙法蓮華経こそ、全人類の仏性を目覚めさせゆく音律である。究極の希望の大法である。
 大聖人が、この題目の弘通を始められたのは、今から755年前の建長5年(1253年)4月28日。故郷・安房国(現在の千葉県の南部)の清澄寺で行われた「立宗宣言」である。32歳の時であった。
 その際の御心境を、「開目抄」に綴られている。
 「末法の衆生が悪道に堕ちる所以は、ひとえに邪法・邪義にある。このことを一言でも言えば、必ず難が競い起こる。もしも難を恐れて言わなければ、民衆の苦悩を放置することになり、無慈悲の謗りを免れない。
 法華経・涅槃経等の文に照らして、言うか言わないかの二つを考えてみるに、言わないならば、今生では何事も起こらないにしても、後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう。言うならば、三障四魔が必ず競い起こるということがわかった」(同200㌻、通解)
 そして大聖人は、「二辺の中には・いうべし」と決意されたのである。
 立宗宣言以降、大聖人の御生涯は、襲撃や流罪など、大難との戦いの連続となる。
 それは、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」等と記されているように、過酷なものであった。
 きょうは、大聖人の忍難弘通の御生涯の出発点となった「立宗宣言」をめぐって、若干の事柄を確認しておきたい。
13  「破邪顕正」は日蓮仏法の魂
 立宗宣言をされた場所は、清澄寺における師・道善房の持仏堂である。時間は「午の時」(正午ごろ)。
 大聖人は、厳しく邪義を破折され、南無妙法蓮華経の大法を説き明かされた。「破邪顕正」は、日蓮仏法の魂である。
 そして、若き日に学んだ地で正法を打ち立て、師である道善房を正法に導かんとする、深き報恩の心を込めておられた。
 大聖人は立宗宣言のころに、それまで名乗られていた「是聖房蓮長」という名前を、「日蓮」に改められたと伝えられている。
 「太陽」は、一切を照らす。「蓮華」は、汚泥の中で清浄無比の華を咲かせる。
 この「日蓮」という御名前そのものが、末法の御本仏であることを明確に示されていると、拝することができよう。
 「清澄寺大衆中」には立宗宣言の様子が詳しく記されている。
 「これを言えば、必ず、日蓮の命にかかわることになるであろうと承知していたけれども、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために、建長5年4月28日、安房の国・東条の郷にある清澄寺の道善房の持仏堂の南面において、浄円房という者、ならびに少々の大衆に、これを言い始めた」(同894㌻、通解)
 ここで大聖人は、立宗宣言の場に集った人々を「少少の大衆」と仰せである。つまり、清澄寺の僧などが集まった、少人数の会座であった。実際に何人が集まったか、具体的な記録はない。
 一切衆生の境涯を開き、末法万年尽未来際まで轟きわたる南無妙法蓮華経の法理は、ごく少人数の会座から説き明かされていった。大人数ではなかった。
 ここに、我らが進める広宣流布の、原点の実像があるととらえたい。
 創価学会の活動の根幹である「座談会」もまた、少人数の対話で進めている。
 なかんずく、婦人部の皆様方によって行われる「婦人部総会」から、本年も対話の輪が広がっていく。その様子を、大聖人がどれほど喜び、讃えておられるか。その意義も福徳も、計り知れない。
14  “自身の功徳は師匠に”との思い
 ところで、御書を拝すると、清澄寺にまつわる僧の名前を、10人以上、数えることができる。
 その全員が、立宗宣言の場にいたとは限らない。しかし多くは、立宗宣言の場で大聖人の説法を直接、聴聞する機会を得たのではないかと推察される。
 彼らのうち、大聖人に随順した者はどれほどであったか。それは、およそ半数であった。
 では敵対者は、どれほどであったか。これも、およそ半数である。
 彼らについて、簡潔に触れておきたい。まず、大聖人の出家の時の師匠・道善房である。道善房は、地頭である東条景信の迫害に恐れをなし、大聖人を守ることができなかった。
 その後、大聖人の折伏によって法華経を信じたが、信仰は中途半端であった。大聖人は、厳愛をもって破折されている。また、道善房は大聖人の流罪先の佐渡に便りを送ることもなかった。
 しかし、道善房の死を知られた大聖人は、「報恩抄」を綴られた。そして、御自身の広宣流布の功徳が、師であった道善房に集まると述べられ、懇ろに追善回向されたのである。
15  浄顕房と義浄房は、幼少の大聖人を教導した兄弟子である。大聖人が東条景信から狙われ、清澄寺を退出した際、二人して大聖人をお護りした。
 この二人に対して大聖人は、「報恩抄」などの重書を贈られている。
 「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」との一節が有名な「華果成就御書」も、この二人に与えられた御書である。
 その他、大聖人に随順したと思われる人々に、浄円房、別当御房、聖密房がいる。いずれも大聖人から御書を賜っている。〈別当御房は義浄房であるとの説もある〉
16  「天下第一の法華経の奉公」
 一方、大聖人を迫害した者には、円智房、実成房がいる。ともに東条景信と結託し、迫害に加わった。東条景信と同じく仏罰を受け、道善房よりも早く、重い病などで死んでいる。
 また、円頓房、西堯房、道義房、実智房は、社会的には尊ばれていたが、大聖人に敵対し、4人とも臨終の際に悪相を示したようである。
 こうした群像のなかで、いざという時に大聖人をお護りした、浄顕房と義浄房の功労が輝いている。
 その功績を大聖人は、「天下第一の法華経の奉公なり」と賞讃された。
 「法華経の奉公」とは、現実に難を受けながら広宣流布を断行する師匠を護ることである──私は、そう銘記した。そして、この心で戸田先生に真剣にお仕えしたのである。
 ともあれ、大聖人の立宗宣言は、周囲に敵の悪心も渦巻くなかで行われた。
 この事実を、よくよく心肝に染めたい。
17  「日蓮一人」から190の国々へ
 大聖人は仰せである。
 「去る建長5年の4月28日より、今の弘安2年11月に至る27年の間というもの、退転なく、強盛に南無妙法蓮華経の弘通に努めてきたことは、月が満ち、潮が満ちていくごとくであった。
 はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていたが、見る人、会う人、聞く人、いずれも耳をふさぎ、眼を怒らせ、口をゆがめ、手を握りしめ、歯がみをして、父母、兄弟、師匠、同僚までも、敵対した。
 後には故郷の地頭や領家も敵対し、ついには、一国をあげて騒ぎ、万民が驚くありさまになった。
 そうしたなかで、人の口まねをして南無妙法蓮華経と唱える者がいたり、あるいは悪口のために唱え、あるいは信ずるに似て唱え、またあるいは誹謗するに似て唱える者などがおり、すでに日本国の民衆の10分の1は、一向に南無妙法蓮華経と唱えるようになった」(同1332㌻、通解)
 創価三代の師弟は、この大聖人の闘争に直結して、三類の強敵と戦い続けてきた。
 蓮祖の「立宗宣言」の魂、広宣流布の大精神は今、わが学会に流れ通っているのである。
18  大聖人は、「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」と力強く言明された。御義口伝には、「南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり」と説かれている。
 我ら学会は、この御本仏の仰せのままに、世界190の国や地域にわたる妙法流布を成し遂げてきた。
 尊き同志の皆様は、いかなる社会の変化にも即して、使命の天地で、地道に妙法を弘めてこられた。良き市民としての模範を示し、愛する国土の繁栄に尽くしてこられた。ゆえに、今日の発展があるのだ。
 御聖訓には仰せである。
 「一切の事は国により時による事なり、仏法は此の道理をわきまうべきにて候
 その地の国情や慣習を完壁に尊重していかなければ、かえって法を下げてしまう。
 妙法は「妙なる法」「不可思議の一法」である。どのような社会の形態にも、いかなる時代の変遷にも、自在無碍に合わせながら、その地の人々の幸福の道を開き、その国土の平和と安穏の道を開いていけるのである。
19  「清澄寺大衆中」には、「今年はことに仏法の邪正たださるべき年か」との一節がある。
 仏意仏勅の学会に怨嫉した邪宗門の、滅びゆく姿は、眼前にある。
 新しい一年も、創価の正義と真実を、勇敢に叫び切っていくことだ。
 大聖人が発せられた、広宣流布への大音声を、我らも轟かせよう。そして、新たな地涌の人材群を、一人、また一人と呼びいだしてまいりたい。
20  智慧の光で人々を照らせ
 「減劫御書」には仰せである。
 「智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。
 世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(同1466㌻、通解)
 この御文に続いて、仏法の流布以前に、民衆の幸福のために尽くした歴史上の智者の名前が挙げられている。
 その筆頭に掲げられた偉人が、中国の太公望である。暴虐の限りを尽くした殷の紂王を打ち倒して、周の太平の世を開いた、英明な指導者である。
 大聖人は、太公望が世に出て「民衆の嘆きを止めた」(同㌻、通解)と記されている。
 この太公望を、その内心に仏法の智慧を体現しながら、教主釈尊の使いとして民を助けた智者として位置づけられている。
 太公望が、文王の要請に応えて、その真価を発揮していったのは、何歳であったか。
 それは、一説に80歳であったと伝えられている。あくまでも伝承であるが、年齢を重ねれば重ねるほど、偉大な智慧の光を発して、人々を照らし導いていけるという、一つの証左といってよい。
21  広宣流布の勝利の大道を永遠に
 有名な中国の孔子の言葉に、こうある。
 「吾十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順う。
  七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」
 動乱の世にあって、幾多の試練を乗り越え、偉大な境地を開きながら、門下を薫陶してきた孔子ならではの人生観である。
 孔子は、「八十」については論及していない。
 あとに続く青年の薫陶に心血を注いでいた孔子の心情を勘案し、あえて、私なりに現代的に申し上げるならば、たとえば──
 「八十にして、青年と共に未来を開く。
 八十にして、世界の知性と共に平和の世紀を開く」となろうか。
 もちろん、これは、私自身の決意でもある。
 大仏法の不老不死の大功力を生き生きと示しながら、何よりも大切な後継の青年たちのために、私は生き抜く。
 そして、目覚ましく成長する頼もしき青年たちと共に、永遠に広宣流布の勝利の大道を開いてまいりたい。
22  栄え光らむ 広布の陣列
 第2次世界大戦で、ナチス・ドイツの猛攻を跳ね返した、イギリスの首相チャーチルは叫んだ。
 「団結すれば、我々は世界を繁栄と自由と幸福に導くことが必ずできるのだ」
 「我々が勝ち取った素晴らしい勝利の夜明けは、我々自身にとっても、我々の偉大な歴史においても、素晴らしい瞬間だ。至福の時であるだけでなく、さらなる決意の時だ」
 「我々の前に立ちはだかる課題を、恐れてはならない。ひるんでもならない。我々には、すべての困難を乗り越える力、活路を切り開く力があることを疑ってはならない」
 「冷静なる知性と、強靱なる心をもって、勝利に向かって、共に前進だ!」
 「完全勝利を勝ち取るまで、ひるまず、動ぜず、屈せずに進め!」
 さらなる決意で広宣流布の大闘争に挑みゆく我らの合言葉もまた、「勝利に向かって、共に前進!」である。
 結びに、わが大切な全同志の健康と長寿を祈りつつ、記念の一首を贈り、私の新春のスピーチとさせていただきたい。
  誕生日
    功徳に囲まれ
      創価城
    栄え光らむ
      広布の陣列
 本年一年、どうか、よろしく頼みます。
 学会は、行動者の集まりだ。広布へ動けば、健康になる。共に悔いなく戦おう!

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