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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第13回本部幹部会  

2007.12.6 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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1  忙しい年の瀬だが、きょうは、ゆったりして、楽な気分で聞いていただきたい。懇談的に進めよう。
 一年間、本当にご苦労さま! ありがとう! また、遠くからお越しの海外の方々、本当にようこそ!
 お元気な姿を拝見でき、うれしいです。ありがとう! ご苦労さまです!
 この一年間、リーダーの皆様、さらに、全同志の皆様のおかげで、学会は大きく前進した。勝ちました!
 皆様の「信心」と「正義の行動」によって、世界一の大勝利の歴史を残すことができた。大いなる広宣流布の前進ができた。
 地涌の菩薩である皆様に、私は心から感謝を申し上げたい。そして御本尊に感謝しております。
 来年一年も、皆で勝ち進んでいきたい。なかには、「もう来年の話か!」と思われる方もいるかもしれない。
 しかし、勝利は爽快である。気持ちがいい。また来年も、勝利、勝利、連続勝利の凱歌をあげていきたい。
2  勝利の“秘伝”
 リーダーの皆さん、とくに、大きな責任を担い立つ人は、これまで以上に、同志を心から大切にしていくことだ。
 皆を上から見下すような傲慢は、断じてあってはならない。
 友と出会ったら、さわやかにあいさつをする。感謝の気持ちを表す際には、丁重にお辞儀をする。会合の後には、心を込めて見送る──。
 そうした誠実な振る舞いが、相手を思う深き祈りが、心に橋をかける。強き連帯を広げていくのだ。
 法のため、人のために戦う同志ほど、偉大な人はいない。
 一番、戦ってくださっている人を、一番、大切にする。そこに、何十倍もの力が出る。これが勝利をつかむ、戸田先生の“秘伝”であった。
 同志のために──この一点に徹した人は、皆、大きく成長していった。
 反対に、こうした労苦を避けた人間は、最後は、敗北の人生となっていった。
 大いなる使命に生きゆくリーダーの皆さんは、どうか、「あの人は、品格があるな。素晴らしいな。王者の風格だな」と慕われるような人になっていただきたい。
3  ところで、古来、日本では12月を「師走」と呼ぶ。その由来は何か。
 よく知られるものとして、12月は、師が家々で読経をするために、東西を馳せる。すなわち「師馳せ」の月であることが平安時代の文献にも記されている。これが後に「師走」となったというのである。
 師といえば、大聖人の直系として広布に走る皆様も、一人一人が真実の「法師」である。ゆえに、走っていいのである(笑い、大拍手)。
 ほかにも、年が果てる「年果つ」からきたとする説、「一年の最後に、すべて成し遂げる」という意味で「為果つ」が転じたとする説など、いろいろある。しかし、正確な語源は、はっきりしないとも言われる。
 ともあれ、我らは「全部、勝ち抜いた」「やり、抜いた」「成就した」と言える12月にしてまいりたい。
4  一年の総仕上げを生き生きと!
 ある年、戸田先生は、弟子をねぎらいながら言われた。
 「師走といって、文字通り、“師も走って”いるのだよ。皆さんも多忙だと思うが、私も走っている。広宣流布のために、ひとつ頑張ってくれ」
 この言葉の通り、広宣流布のために走り続けた師匠であった。
 戸田先生のお心は、私もよく分かる。私も、一年365日走り続けている。
 心が停滞した人生には充実がない。
 たとえば、勤行もそうである。やり終えた後には、充実感がある。しかし、さぼってしまったときには、楽でいいなと思っても、後になればどうも調子が悪い。
 折伏も、和合僧の学会の会合も、同じであろう。
 師匠とともに、「広宣流布の大願」のために、生き生きと、心を勇み走らせていく。そうしたなかで、一年の総仕上げをしていきたい。
 ともあれ、人の何倍も忙しくとも、人の何倍も充実した人生。それこそが、勝利の人生である。その人こそ、偉大な人である。
 これは、戸田先生のご指導でもあった。
 もちろん、一年の終わりに、ゆっくりと、英気を養うのも、かまわない。大事なことは、人生の価値ある向上の坂を、悠然と上っていくことである。
 大文豪トルストイは、次のような箴言を引いている。
 「最上の幸福は、一年の終わりにおける自己を、一年の始めにおける自己よりも、よりよくなったと感ずることである」(原久一郎訳『人生読本』社会思想社)
 学会のいき方と共鳴し合う言葉である。
 我らの「人間革命」の前進こそ、一年また一年、まさに「最上の幸福」の年輪を刻んでいるのである。
 明年へ向け、心新たに出発していきたい。そうした決意の大事さを、戸田先生は教えてくださった。
5  幸福とは何か?
 ここで、スイスの思想家、法学者で、歴史家としても知られるヒルティについて紹介したい。
 1833年に生まれ、1909年に逝去。
 「スイスの聖者」と仰がれた有名な指導者であり、著作には『幸福論』『眠られぬ夜のために』等々がある。
 言論活動を通して、青年をはじめ、多くの人々を啓発していった。とともに、さまざまな活動にも身を投ずる。
 本物の人間は、社会のために身を投じるのが、当然である。
 お金があるとか、有名だとか、そういうことは、人間の幸福にとって、「迹」であり、「影」である。
 社会の中に入って、人々のため、何をしたか。どう生きたか。これが「本」であり、そこに本当の人生の幸福がある。
 ソクラテスをはじめ、多くの哲学者が、そして仏法者が、一致して求めたものも、それである。
 他者のために尽くしてこそ、真に充実した人間の魂が光り、燃える。
 この生きる意味を教えるのが、信仰であり、教育であると、私は信じている。
 ヒルティは、青年弁護士として戦い、さらに大学教授として、人材の養成に尽くしていく。
 宗教的精神を持つ高潔な政治家としても活躍。また、女性たちの味方となって、女性の権利の拡大を主張。
 「立法議会の誇りであり、議場をてらすともし火」であったと、人々から深い尊敬が寄せられた(アルフレート・シュトゥッキ著、国松孝二・伊藤利男訳『ヒルティ伝』白水社から)。
6  絶えず前へ!
 ヒルティは綴った。
 「絶えず前へ進まなければならない。停止はつねに後退である」(草間平作・大和邦太郎訳『幸福論第3部』岩波文庫)
 停止は、即、後退であるというのだ。学会精神と同じ、仏法と同じである。
 戸田先生は言われていた。
 「厳しく言えば、退転というのは、信心を辞めることだけではない。『進まざる』ことである。今の位置から、『進まない』ということである」
 さらにヒルティの言葉に、こうある。
 「傲慢は常に没落の寸前に現われる」(同第2部)
 傲慢は、没落の前兆であり、傲慢な者は、いずれ消えていく、破滅していくのだと。
 ゆえに、傲慢が心中に生じないよう、心していくことだ。
 さらにヒルティは、「もし財産が人を傲慢や怠惰や無為や欲望や吝嗇りんしょく(=けち)にひき入れる場合には、不幸そのものとさえなる」(前田護郎・杉山好訳「幸福論Ⅲ」、『ヒルティ著作集第3巻』所収、白水社)と語っている。
 よくよく銘記しておきたい言葉である。
 またヒルティは言う。
 「高慢はつねに相当量の愚かさと結びついている」(斎藤栄治訳「幸福論Ⅱ」、同第2巻所収)と。
 御書にも、「智無きは増上慢を起し」との文がある。
 大思想家の言葉は、仏法哲理の正しさを見事に証明している。
 ともあれ、牧口先生、戸田先生の時代も、また現在までも、大悪人や裏切り者らが、自分の名誉と金儲けのために、嫉妬と邪悪な謀略をもって、信心の和合僧を乱し、陰で悪事を働いてきたことは、皆さんもご存じの通りだ。
 こうした者の本性は、皆、増上慢であった。断じて、増上慢になってはならない。増上慢に従ってもならない。
 増上慢は、仏道修行の敵である。自らの成長を止め、前進を止めるだけでなく、同志の団結をも破壊する。絶対に許してはならない。
 増上慢の輩など、正義の言論で叩き切っていけ!──こう戸田先生は厳しく言われたのである。
7  女性を尊敬!
 戸田先生は言われた。
 「世論を喚起することは女性の使命である」と。
 先生の時代から、仏法の理念を広め、共感を広げたのは、多くが女性であった。「女性の実行力は素晴らしいな」と先生は感動しておられた。
 この真剣な女性たちを、先生は、最も尊敬され、大切にされた。
 だから、学会は勝ってきたのである。
 男性の幹部は、婦人部、女子部を最大に尊重していくことだ。
 女性は動いて当たり前などと思うのは大間違いである。
 まず、男性の幹部が、率先して動く。結果を出す。そこに、新しい勝利の要諦があることを忘れてはならない。
8  一日一日を美しく飾れ
 戸田先生は、何かあれば、必ず、「大作、大作」と私を呼ばれた。
 いつであったか、「大作、ゲーテの何を読んでいるのか」と聞かれたことがあった。
 それで、寝る間も惜しんで、ゲーテを読んだことが思い出される。
 ある手紙にゲーテは綴っている。
 「どうか私にならって、一日一日をゆるがせにせず、できるだけこれを美しく飾るようにつとめてください。ただじっとこらえるだけでなく、活動によってこれに対抗してゆくならば、あなたも私と同じように、迷うことなく心から楽しく暮らしてゆけると思います」(小粟浩訳「書簡」、『ゲーテ全集15』所収、潮出版社)と。
 私にならって、私と同じょうに、一日一日を懸命に生き、美しく飾ってください──こうアドバイスを送っているのである。
 またゲーテは、「年を取るということはそれ自体が新しい仕事を始めるということなのだ」(小口優訳『箴言と反省』春秋社。現代表記に改めた)とも語っている。
 年配の皆さん、よろしく頼みます! 仏法を持った人は、いくつになっても、日々出発、日々成長である。
9  良書だけを読め
 ゲーテは言う。
 「人はあまりにもつまらぬものを読みすぎているよ」「時間を浪費するだけで、何も得るところがない。そもそも人は、いつも驚嘆するものだけを読むべきだ。私が青年時代にそうしたように」(エッカーマン著、山下肇訳『ゲーテとの対話(中)』岩波文庫)
 インチキを並べ、真実はこれっぽっちもない。そんな悪口をまき散らす駄文は、最後には、だれからも見向きもされない。
 悪書は心を腐らせる。
 ゲーテの言う通り、驚嘆に値する良書だけを読めばいいのだ。
 戸田先生は低次元の、くだらない雑誌を読んでいる青年を見ると、「なんだ、そんなもの! 読むなら御書を読め!」と烈火のごとく叱られた。
 それはそれは厳しかった。だからこそ、すっきりとした、明るい強さがあったのである。
10  きょうは芸術部の代表が、大勢来ておられる。まるで、一足早いお正月だ。
 芸術部の方々、お立ちください。皆で応援しよう! 盛大に拍手を贈りたい。
 芸術部が動けば、広宣流布が進む。活躍する姿は、皆の誇りだ。同志も「あの人のこと、よく知っているの」と鼻が高い。友人も「すごいね」と感嘆する。仏法即社会と輝いている。
 芸術部は皆、一生懸命だ。素晴らしい活躍を、これまで以上に宣揚していきたい。
11  ゲーテは書き残している。
 「目標に近づけば近づくほど、困難は増大する」(岩崎英二郎・関楠生訳「箴言と省察」、『ゲーテ全集13』所収、潮出版社)
 よりよき社会を築きゆく、我らの戦いも、同じだ。ゲーテは、よくわかっている。
 目標を勝ち取ることが、どれほど大変か。責任ある立場の人間は、だれよりも皆の勝利と幸福を祈り抜いていくのだ。
 同志の労苦を、さも当然のように思ったら、とんでもない。心の底から感謝すべきである。
 広宣流布を進める人ほど尊貴なものはない。日蓮大聖人が、また日興上人も、さらに牧口先生、戸田先生も讃嘆されることは絶対に間違いない。
12  君自身の中にすべてがある
 ゲーテは断言する。
 「忘恩はつねに一種の弱さである。わたしは有能な人たちが恩知らずであった例を知らない」(同)
 同志に支えられ、学会のおかげで偉くなりながら、虚栄に溺れて反逆する。そういう人間は、そもそも無能なのだ。
 恩知らずを絶対に許すな──これが戸田先生の厳命であった。
 さらに、ゲーテの言葉に耳を傾けたい。
 「自分自身に対しても他人に対してもあくまで真実を通すことのできる人は、最大の才能の最善の性質をもっている」(同)
 「きみたち自身のなかを捜したまえ。そうすればすべてを見出すであろう」(同)
 「人間性が最後に勝利をえることは、ぼくも真実だと思う」(小栗浩訳「書簡」、同全集15所収)
 大いなる自分をつくることだ。光る人間になることだ。
 たとえば、お辞儀一つとっても、一流の人間は違うものである。
 容姿や服装で、人の真価は決まらない。
 振る舞いで決まる。誠実で決まる。
 誠実の二字なくして、偉くなった人はいない。
 誠実──ここに哲学の究極があり、人間の世界を照らす光がある。
 ゲーテは呼びかけた。
 「臆した心よ、元気を出して! ああ、希望よ! 希望は、嵐の夜の中に暁の光を差し入れるのだ!」(高橋英夫訳「プロゼルピーナ」、同全集4所収)
 いかなる嵐があろうとも、私は希望に生きた。
 何を言われようと、どこまでも誠実を貫いた。
 だからこそ、世界の指導者と友情を結び、平和へのうねりを起こすことができたのである。
 歴史上、幾多の宗教が無理解の排撃を受けてきたなかにあって、SGIは世界190カ国・地域に信頼と共感の根を張っている。これが、どれほどすごいことか。
 心ある人は、刮目して見ている。精神のルネサンスへ、大いなる期待を託している。
13  きょうは、海外14カ国・地域から、SGI(創価学会インタナショナル)の代表が参加してくださっている。
 特に、尊い研修を行っておられる、アメリカの皆様!
 メキシコの皆様! ベネズエラの皆様! ドイツの皆様! フィリピンの皆様! マレーシアの皆様! 韓国の皆様!
 ようこそお越しくださった。サンキュー!
 拍手をもって、大歓迎したい。
14  新たな大行進を
 ウズベキスタンの大詩人ナワイーは綴った。
 「太陽のように、国中を照らす人であれ! 公明正大においては、永遠の春のごとくあれ! 悪人に対しては、稲妻のごとくあれ!」
 これでいこう! 我らは、悪い人間とは断じて戦うのだ。
 なかでも、学会を内部から破壊しようとする「破和合僧」の人間を許してはならない。こうした悪人を放置しておいたら、大変なことになる。
 どんな幹部だろうが、社会的地位があろうが、悪い人間は許さない。
 学会の大恩を受けながら、同志を裏切り、学会員をいじめる恩知らずとは断固、言論で戦う。
 将来のために、きょうは、このことを改めて確認し合いたい。
15  この一年も、SGIは見事な大発展を遂げた。各国からの信頼も、一段と広がった。本当にありがたいことだ。
 皆様を代表して私が拝受した名誉学術称号は、今年だけで23にのぼり、現在「225」となった。また名誉市民称号も、今年だけで約100の都市から贈られ、まもなく「555」となる。〈12月11日(現地時間)、ブラジルのアラカジュ市から名誉市民称号が贈られ、「555」となった〉
 まさに「世界一」の栄誉であり、心から感謝申し上げたい。
 思えば、「創価の父」牧口先生は、狂った日本の軍部権力に捕らえられ、牢獄に入れられた。
 そして特高刑事からの尋問に答えて、日蓮大聖人の仏法で全世界の人類が即身成仏することができると述べ、広宣流布のビジョンを堂々と宣言された。
 「訊問調書」に、その記録が残っている。
 また不惜身命の恩師・戸田先生は、逝去の直前に「メキシコに行った夢を見たよ」と言われた。世界へ行くことを望んでおられた。
 初代会長と二代会長が願われた「世界広布の基盤」を、三代会長の私が盤石に完成させた。
 いよいよ一閻浮提広宣流布の第2幕となった。楽しく、にぎやかに、全世界の友と大行進を開始していこう!
 広布に戦えば、健康になる。家にいても、寝たり、食べてばっかりでは、かえって不健康だ。
 会合に出て、前進の息吹に触れる。友の悩みに耳を傾け、励ましを贈る。学会活動をすれば、生き生きと輝いていけるのである。
16  わが子のごとく青年に励ましを
 皆様のご支援のおかげで、今、創価大学は大発展を続けている。
 この創価大学の建設のために、尽力してくださった、忘れ得ぬ大学者がおられる。
 それは、本年10月に逝去された笹谷卓ささや・たかし先生である。きょうは、夫人の玲子さんが参加してくださっている。本当に、うれしい。
 笹谷先生は、創価大学の「設立準備委員」として、良き教員を集めるために東奔西走してくださった。
 開学以来、文学部英文学科の教壇に立たれた。
 「創大を世界一の大学に!」──これが笹谷先生の心であり、尊き生涯の行動であった。
 笹谷先生ご夫妻は、まさしく学生を、わが子のごとく慈しみ、育んでくださった。困っている学生がいれば、即座に飛んでいって、激励し、手を打たれた。
 真心の食べ物を差し入れてくださり、寒い冬の日曜には、わが家から大学に電気ストーブを持っていって学生に教えてくださったこともあった。学生が風邪をひかないようにと、心を砕かれたのである。
 また、海外からの交換教員の先生方の面倒も、人知れず、誠実に見てくださっていた。
 同時に、学生に嫌な思いをさせたり、建学の精神をないがしろにする教員の言動を許さない、気迫をもっておられた。
 夫人の玲子さんは、開学当時から、創大の地元の地区の大B担(現在の地区婦人部長)を務められ、コツコツと頑張ってこられた。
 そして、わが家を進んで拠点に提供された。八王子の同志とともに広布の最前線を走って、地域の友好と信頼をすがすがしく広げてこられた。
 全国各地をはじめ海外の卒業生や学者の方々から、ご夫妻への感謝の便りが、今でも絶えないとうかがった。創大の教員は、皆、こういう存在であっていただきたい。
 笹谷ご夫妻は、ただただ学会のため、そして創大のため、青年のためにと、すべてを捧げて戦い抜き、生き抜いてこられた。私たちは心から讃えたい。
17  「読書は冒険と感動の航海」
 フィリピンの英雄で、大教育者でもあったホセ・リサール博士は、子どもたちに「自信」「安心」「自尊の心」を贈ることが必要だと述べている(岩崎玄訳『ノリ・メ・タンヘレ』勁草書房)。
 また「一度みんなの前でほめられた子どもは、次の日にはその倍も勉強して来ます」(同)と励ましの大切さを訴えた。
 きょうは全国各地の未来部長が集われている。皆さんの励ましが、どれほど大きな力となっているか。心から感謝申し上げたい。
 アメリカの“人権の母”エレノア・ルーズベルト大統領夫人は綴った。
 「私たちは、自分自身の心の中にある光りがあかあかと消すことのできない炎をもって燃えるのでなければ、他の人たちの心に永続する光りを投じることは、できないのである」(坂西志保訳『エリノア・ルーズヴェルト自叙伝』時事通信社)
 後輩を育てる。友に勇気を贈る。
 そのためには、まず自分自身の心を燃やすことだ。自らが勇気をもって立ち上がることだ。
 彼女は、こうも記している。
 「読書は、常に探求と冒険と感動に満ちた航海であるべきです。読書の習慣は、人間にとって、孤独への防波堤であり、人生に開かれた窓であり、尽きることのない喜びです。読書は、知識と経験と美に対して開かれた扉でもあるのです」
 女子部をはじめ青年部の皆さんは、ぜひ良書に親しんでいただきたい。
18  戸田先生が男女青年部に薦められた本を、いくつか紹介したい。
 まず『永遠の都』。昭和26年(1951年)の新春、先生の事業が最も大変な時、私に読むよう渡してくださった。
 男子部の「水滸会」、女子部の「華陽会」の教材として取り上げられたのは、『水滸伝』『三国志』『平家物語』。
 そして『モンテ・クリスト伯』『ロビンソン・クルーソー』『隊長ブーリバ』『九十三年』『二都物語』『ポンペイ最後の日』。
 さらに『人形の家』『スカラムーシュ』『若草物語』『テス』等々。どれも、素晴らしい、大事な本である。
 これらを通して、正義とは、革命とは、友情とは、幸福とは何かを教えてくださった。
 大教育者であられた先生は、弟子たちに、深き人間学を授けてくださった。悪書など断じて読ませなかった。
19  「卑しい奴らは感謝をもたぬ」
 古代ギリシャの詩人に、テオグニスがいる。紀元前6世紀ごろの人物とされる。
 祖国の内部の争いのなか、彼は友人に裏切られ、国外に追放された。苦難の人生であった。
 その詩には、悪への激しい怒りがある。何より正義を重んじた。ソクラテスも、その詩を引いて対話したといわれる。
 テオグニスは叫んだ。
 「卑しい奴らは感謝の気持をつゆほどももたぬ」(久保正彰訳「エレゲイア詩集」、『世界人生論全集1』所収、筑摩書房)
 大恩があるのに、感謝の心を持たない。それは畜生である。どんな立場にあろうが、そういう人間は叱り飛ばすのだ。
20  詩人の誇り
 詩の世界における最高峰の宝冠。
 それが「桂冠詩人」「世界桂冠詩人」「世界民衆詩人」の栄誉である。
 それらを拝受したことは、詩人として、これほど誇り高いことはない。
 また、世界の文学・学術団体から数々の称号をいただいた。
 民衆の大叙事詩を綴りゆく、創価の師弟の宝である。〈名誉会長は世界詩人会議名誉総裁、アメリカ・ソロー協会終身名誉会員、ブラジル文学アカデミー在外会員、アマゾン文学アカデミー在外会員、中国の北京魯迅博物館名誉顧問、上海魯迅記念館名誉顧問、冰心文学館名誉館長、インド国際詩人学会特別会員、ケニア作家協会名誉会員、パン・アフリカン作家協会名誉創設会員などに就任。またフランス共和国芸術・文学勲章、キルギス共和国アブドモムノブ賞、ケニアロ承文学協会口承文学賞、フィリピン・リサール協会最高文学賞、中国作家協会・中華文学基金会「理解・友誼国際文学賞」、ギリシャ国際作家・芸術家協会顕彰状、マレーシア全国作家協会連盟最高文化賞など各国から文学の最高栄誉を受賞。さらに世界の19大学から名誉文学博士号などを贈られている〉
21  戸田先生 「日本中の人に聖教新聞を」
 戸田先生は、聖教新聞に大いなる期待を寄せ、こう語られた。
 「地涌の菩薩を旗頭として、広宣流布の使命完遂のために聖教新聞は働くのである。
 じつに名誉ある新聞とほめたたえてさしつかえない。願わくは、一日も早く、日本中の人に、この新聞を読ませたいものである」
 先生の熱い思いを、そのまま伝えたい。私も先生と同じ気持ちである。
 この聖教を支えてくださっている、尊き「無冠の友」そして「新聞長」の皆さん!
 この一年も、本当にありがとう! 心から感謝申し上げたい。
 聖教ほど、素晴らしき使命の新聞はない。人間革命の哲学が光る、価値のある新聞である。
22  信心で戦い勝て
 戸田先生は、力を込めて断言された。
 「希望も絶望も、他人からもたらされるものではない。境遇でもない。ただ自分からくるのだ。ゆえに自分自身に生ききれ!」
 何があろうと、負けてはいけない。だから、題目をあげるのだ。
 信心で戦い、勝って、一生を飾る。そうすれば、わが生命は三世永遠に輝きわたる。
 敗残者の生命は、哀れであり、わびしい。
 広宣流布に戦う人の功徳が、いかに大きいか。
 先生は言われた。
 「その人の日常は御本仏に感応して偉大な生命力を涌出して、いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、体は元気に満ちていく」
 これが広布へ戦う題目の功徳であり、皆さん方の実相である。必ずこうなっていくのだと先生は教えてくださった。
  恐るるな
    仏の力は
      偉大なり
    若き血潮に
      たぎらせて立て
 この恩師の和歌を、愛する青年部に贈りたい。
23  「将来のために毎日奮闘だ」
 戸田先生が、獄中で綴られた手紙がある。それを読むと、先生の偉大さに感嘆する。
 「精神を豊かにし、力強くし、暖かくし、明るくし、明らかにし、丈夫にし、愉快にし、将来ある様にと毎日奮闘だ」
 獄中に囚われても、じっと我慢し、心に太陽を昇らせる。これが先生の大境涯であられた。
 「われわれは和合僧なり! と心から叫ぶ団体が、創価学会である。
 当然、その団結を破る人間は、最も悪い。しかし、破られる方も悪い。
 確固不動の信心に立ち上がれ!」
 この先生の精神に立って、学会は進もう! 青年部、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
24  皆に尽くし抜け
 戸田先生の大事な指導を胸に刻みたい。「幹部は、みずからを、会員や部下の小使だと思え!」
 先生の遺言である。
 私も、こうして壇上にいるけれども、この心で人生を生きている。責任ある幹部になるほど肝に銘じるべきだ。
 戸田先生は、こうも言われた。
 「自分の世界を不満に思う者は偉くなれない。また、人の悪口を言い、自分の失敗を弁解する人間も偉くなれない」
 その通りだ。
 ともあれ、先生の指導は、すべて残してきた。夜中までかかって、記録してきた。わが人生の師であるからだ。
25  「私は不屈」
 きょうは、吉田松陰の弟子・高杉晋作についても少し話しておきたい。
 戸田先生は、私のことを「大作」ではなく、「晋作」と呼ばれることがあった。先生は、身分の違いのない「奇兵隊」をつくった高杉晋作がお好きであり、晋作の話をし始めると、止まらなかった。
 晋作は、数え年の29歳で死んだ。幕末から明治へと、大きく時代を変える立役者の一人だったが、病に倒れた。
 私も体が弱く、医者から「30歳まで生きられない」と言われたこともあった。
 しかし、身を粉にして働きに働いた。学会の折伏・弘教の道を開き、戸田先生の事業を守り、世界広布の手を打った。そして今日の学会をつくったのである。
 戸田先生に、「私はいい弟子をもった」と喜んでいただけた。
 青年部の諸君も、そう言われるような、力ある「一人」になっていただきたい。
 今、これだけ大勢の陣列がそろったことがうれしい。世界一の人材群である。
 晋作は、獄中で「私胸中は日月照臨、百折不屈に候」と書いた(堀哲三郎編『高杉晋作全集(上)』新人物往来社)。
 また彼は、「獄につながれてますます心奮い立つ」「私は知る 真の楽しみは苦中にあると」という意味の漢詩をつくってもいる(冨成博著『高杉晋作 詩と生涯』三一書房)。
 青年部もまた、こうした「人としての強さ」を持ってほしい。
 晋作は日本人の傾向性について、「ああ日本人因循苟且いんじゅんこうしょ(=古い慣習にこだわり“間に合わせ”でごまかすこと)にして果断(=思い切って行動すること)に乏し、これ外国人の侮りを招く所以にして歎ずべく、また愧ずべし」と手厳しく批判している(前掲『全集(下)』。現代表記に改めた)。
 学会青年部は、まさにこの悪弊を打ち破る存在である。思う存分に戦っていただきたい。
26  最高峰を目指せ
 中国の周恩来総理は言い残している。
 「人間はたえず前進しなければならない。みんなで互いに励ましあい、ともに進歩しなければならない」(中共中央文献編集委員会編・中共中央ML著作編訳局訳『周恩来選集(1949年〜1975年)』外文出版社)。
 「革命のために戦った歴史は自分で壊さない限り、他人に消し去ることはできない」
 その通りだ。要は「自分が、どうなのか」である。よりよき自己を完成させるために、学会の組織があるのだ。
 また、先ほども触れたヒルティの言葉を、いくつか引いておきたい。
 「若い時代には、およそ鍛錬が望ましい」(前田護郎・杉山好訳「幸福論Ⅲ」、『ヒルティ著作集第3巻』所収、白水社)
 「清らかに保たれた青春は、いつもかわらぬ生の喜びの泉である」(斎藤栄治訳「幸福論Ⅱ」、同第2巻所収)
 若さこそ最高の財産である。若き日に大聖人の仏法と巡り合った人は幸福である。
 「人間のなすあらゆる偉大な精神的進歩というものはまず信仰にもとづくものだ」(同)という一言も、正しいと思う。
 信仰──人生をかけて信ずる何かを持たない人は、真に充実した人生を生きられないのではないだろうか。
 彼は若者に対して「ただちに最高のものを目ざして努力しなさい」(同)と述べている。
 また、「悪は究局において愚かであり、人間を愚かにする」とも綴った(草間平作・大和邦太郎訳『幸福論第3部』岩波文庫)。
 青年ならば、「最高峰」を目指すのだ。努力の人の心は、素直であり、謙虚だ。愚かしい“驕り”や“嫉妬”に毒されない。
 行動者だったヒルティは、「人生には、信仰と行為がまさに二つとも必要である」と言っている(前掲『著作集第3巻』)。
 「実践」と「信仰」。学会員の皆さんは、この二つを持っている。ゆえに尊い。三世永遠に尊貴な「民衆指導者」の皆様方なのである。
 その方々をバカにして、あごで使うような幹部は、絶対に許してはならない。
 さらにヒルティの知恵に学びたい。
 「心の喜ばしさは、つねに信仰のまことの証明である。心の喜ばしさがない場合には、信仰もまだ初歩である」(前掲『幸福論第3部』)
 「信仰は極めて雄々しいものであって、その雄々しさがほんものであるならば、世の人を感服させるし、またさせなければならない。そして子供っぽさや甘さに決して堕してはならない」(前掲『著作集第3巻』)
 これらは、私たちの世界にも当てはまる法則であろう。
 信心とは、「困難に立ち向かう心」「現実の中で戦う心」である。この心が生き生きと通うところに、喜びが生まれる。そして、自分自身の宿業を乗り越えた体験、喜びこそが、人に力強い共感を与えていく「因」となるのだ。
27  法華経を「身読」
 法華経の化城喩品に、「在在諸仏土 常与師倶生」という有名な一節がある。
 これは、「あらゆる仏の国土に、常に師とともに生まれる」──師と弟子が、常に一緒に生まれ、広布のために戦い抜くという意味である。
 戸田先生は、獄死された牧口先生の3回忌で言われた。
 「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。
 そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。
 なんたるしあわせでございましょうか」
 私も、この法華経の一節を胸に刻んでいる。師に仕え、師を守り、師の大願をすべて実現してきた。
 そして今も、「常に師と共に」の心で、戸田先生と不二で戦っている。
 法華経の極意は、師弟不二にある。正しき師弟の継承によって、正しき法が伝わり、弘まってきた。
 師弟の宿縁は、三世永遠である。永遠の師弟の共戦によってこそ、広宣流布の大道は永遠に続くのである。
28  学会は2010年に創立80周年を迎える。仏法では、「八」とは「開く義」と説かれる。
 日蓮大聖人は、8歳で成仏した竜女の姿を通して、「八とは色心を妙法と開くなり」等と仰せになられた。
 戸田先生は、青年部に対して「八方に戦いの火ぶたを切れ!」「新しい勝利の道を開き、つくれ!」と師子吼された。
 広布拡大の好機は、あらゆるところにある。
 創立80周年を目指し、いいお正月を迎えて、来年もまた若々しく、自分自身の偉大な境涯を開くため、家族のために、子孫のために、そして学会のために勝っていこう!〈参加者から「ハイ!」と元気な声が〉
 同じ生きるなら、高い次元に立って、最高に価値ある目的のために、頑張っていきたい。
 1年間、ありがとう。海外から集われた皆さんに、心から感謝申し上げます。
 ここで皆でお題目を唱えたい。海外の方々の無事故の帰国と、ご多幸を祈念して。〈名誉会長を導師に全員で唱題する〉
 本当にご苦労さま。ありがとう。来年もよろしく! サンキュー・ソー・マッチ!

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