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日蓮大聖人・池田大作

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広布第2幕第3回全国青年部幹部会 各部合同協議会

2007.11.28 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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2  普賢菩薩の守護
 世界の広宣流布は、必ず普賢菩薩、すなわち「普く賢い」知性の力によって守護されていく。これが正しき仏法の定理である。
 〈御義口伝に「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」〉
 きょうの青年部幹部会を祝賀するがごとく、新しい「英知の栄誉」が、世界各地の大学から、相次いで寄せられている。
 私が、これまで世界の五大陸の大学・学術機関からいただいた名誉学術称号は224。〈名誉会長夫人には、10の名誉学術称号が贈られている〉
 今後も、中国の医学の殿堂・温州医学院をはじめ、名誉学術称号の授与が続々と予定されていることを、謹んで、わが弟子にお伝えしておきたい。〈同医学院の名誉教授称号の授与式は11月30日に行われ、学術称号の数は225となった〉
 また私は、大学・学術機関での講演も、ハーバード大学での2度の講演をはじめ、世界中で行ってきた。ハーバードからは、「ぜひ3度目を」とのお話を何度もいただき、大変にありがたく思っている。
3  師匠の栄冠は弟子の福徳に
 こうした栄誉の一つ一つが、どれほどの重みをもったものであるか──。ドイツの大詩人ヘルダーリンはうたっている。
 「汚されぬ叡知の旗幟きしには栄光を! 心の正しい者らには名誉と凱歌を!」(高岡和夫訳「調和の女神に寄せる讃歌」、『ヘルダーリン全集1』所収、河出書房新社)
 私は、外国の有名な詩人の作品は、青春時代から、あらかた読破してきた。自宅の本棚にも、ずらりと並んでいたし、どこに行っても傍らに本を置いていた。
 そのほとんどは、創価大学や学園に寄贈させていただいている。東京・大田の小林町(当時)に自宅があった時、訪ねて来られた方に、ほかに贈るものもなく、差し上げた本も多い。懐かしい思い出である。
 ともあれ、ヘルダーリンの叫びのごとく、名誉学術称号とは、その大学の威信をかけて「英知」と「正義」の人格を讃える栄誉である。
 “この人こそ人類の模範なり。青年よ、この人に学べ!”との厳粛なる宣言ともいわれる。
 「創価学会の名誉会長」として、私は、世界で第一の数となる栄誉をお受けした。
 私自身は、それを誇ったり、自分のことを「偉い」と思う気持ちは全くない。
 ともに教育者であった牧口初代会長、戸田第二代会長のお二人が喜んでくださっているに違いないそのことが、うれしいのである。
 牧口先生も戸田先生も、誹謗中傷を浴びせられ、国家によって投獄され、正当な評価を受けることなく亡くなられた。
 私は、名誉学術称号をお受けするたびに、両先生にご報告申し上げる。
 「先生の仇を討ちました」「また一つ、先生の偉業を後世に残すための、礎をつくることができました」と。
 これが、本当の師弟である。
 そして、師弟は不二であるがゆえに、師匠の栄冠は、青年部の皆さんに、すべて受け継がれていく。
 妙法は不思議である。不可思議の法である。
 思うように学校に行けなかった人も、少しも嘆く必要はない。皆さんも、皆さん方のご一家も、永遠に最高の知性と福徳に包まれていく。そのことを確信して、堂々と進んでいただきたい!
4  本物よ出でよ
 今や、世界の心ある知性の人々が、創価学会を正しく評価し、讃え、守ってくださる時代になった。
 しかし、この麗しき民衆の団結を見下し、嫉妬の中傷を浴びせる人間もいる。増上慢の反逆の輩も出た。
 そうした人間とは、断じて戦うことだ。
 先ほど、男子部の諸君に、師子の像をお贈りした。
 「青年よ、師子となれ!」こう私は申し上げたい。
 本物の師子は今、いったいどこにいるのか。
 戸田先生は言われていた。
 「師子になれ。本物の師子にならなければ、広宣流布はできない。そうでなければ、栄誉栄達のための幹部になってしまう。学会はつぶれてしまうぞ」
 必要なのは「師子」である。一人になっても、正義を叫び切る「師子」である。
 学会の前進を支えてくださっているのは婦人部、女子部の皆様である。
 それを分からず、見栄っ張りで、陰で偉ぶり、「いざ戦い」となると、逡巡して、勝負することができない──そんな情けない人間に、なってはならない。
 師子となる。師子を育てる。これが広宣流布の極意であり、創価学会の使命である。
 私は一人、師子として戦ってきた。広宣流布を妨げ、戸田先生に悪口を浴びせる勢力とは、相手がだれであれ、一人で乗り込んででも戦った。
 青年部の諸君は、勇気を出してもあいたい。師子となっていただきたい。〈「ハイ」と決意の声〉
5  日本の青年部よ世界の模範たれ
 世界各地の青年部の前進は、目覚ましい。
 日本だけではない。世界も動いている。私のもとには、毎日のように、報告が入ってくる。
 ブラジルの青年部は、2005年に150万人の「アミーゴ(友人)運動」を進め、成功させている。今年の総会には55,000人の若き陣列が結集した。
 アメリカの中心は、女性のキンバリー・ハーマン青年部長。
 女性がリーダーのほうが、皆がついてくる。男はすぐ威張る。嘘をつく──と、ある人が言っていた。SGIは女性が輝き、時代の先端を走っている。
 ネイスン・ガウアー男子部長は、アメリカ創価大学の出身。青年がアメリカを引っ張り始めた。
 青年が中核となって、この1年で、全米の弘教は7,000人。人間革命の哲学を求める人が、どんどん増えている。
 私も青年部の時代、戦いに戦った。戸田先生を守り、学会を守り抜いた。これが真実の師弟の姿である。
 あの地でも、この地でも、日本一の折伏の歴史をつくった。何もかも、やり抜いた。
 戸田先生が亡くなられたあと、私は世界に一歩を踏み出した。先生の心をわが心として。
 嫉妬と陰謀により、私は第三代会長を辞任した。その直後には、神奈川へ向かった。そして世界広布の大航海を開始したのである。
 創価の三代の師弟は、身をなげうって戦い、そして勝ってきた。
 師弟の道を外れて、栄光はない。
 そのことを、諸君は生涯、忘れてはならない。
6  人材のスクラムが輝き始めた!
 アフリカのコートジボワールでは、この10年でメンバーが10倍に拡大。2万人になった。その多くが青年部である。
 2002年に内戦が勃発して以降も、平和の対話を貫き通してきた。いつも報告をうかがっている。本当に、よく頑張ってこられた。
 欧州の青年部も、明年の3・16「広宣流布記念の日」を目指し、「10万人の平和の友」対話運動を展開している。
 3月16日にはイタリアのミラノに代表が集い、総会を、盛大に、楽しく行う予定である。
 世界の同志も戦っている。皆で応援の題目を送っていきたい。
 海外だけではない。
 日本の青年部も、この9月の第1回青年部幹部会から、新しい勢いが始まった。
 新しい人材のスクラムが、一段と輝き始めた。拡大し始めました!
 とくに関西は、この下半期、男子部、女子部、学生部で、100万人の友好対話を繰り広げてきた。
 関西青年部として、この1年で、3,200人の弘教を達成されている。
 関西の皆さん、ありがとう!
7  「犬、野干の如き者を恐れるな」
 戸田先生は叫ばれた。
 「学会は師子の団体だ。師子の集まりだ。臆病者はいらぬ!」
 青年は、師子王の心で、堂々と戦え! 生き抜け!──これが先生の遺言であった。私は、その通りに戦ってきた。
 男子部、頼むよ! 負けてはいけない。男として恥だ。
 戸田先生は、こうも言われた。
 「師子は、百獣のなかで、いちばん力があるのだ。南無妙法蓮華経と唱えるその音声は、師子の吼ゆるがごとき勢いをもつものであると、大聖人が仰せになられているのである」
 題目は、師子の吼ゆるがごとく唱えるのだ。生命の勢いがなければならない。
 題目は、胸を張って! 王者の風格で、朗々とあげるのだ。
 大声で近所迷惑になってはいけないのは、当然だ。また、声が大きくても小さくても、功徳は変わらない。
 そのうえで、力強く祈り、勝つという魂の音律を忘れてはならない。
 戸田先生のご指導に、こうあった。
 「迫害や怨嫉などに驚いてはならない。いかに学会を憎もうとして、いかに学会を陥れようとして誰人が騒ごうとも、彼らは、犬、野干(キツネの類)のごとき連中だ。
 われわれは師子王である。犬、野干のごときものを恐れて、なんとするか!」
 先生の声は、わが胸に深く突き刺さっている。天地を揺るがすような、大音声であった。
8  「生命のある限り戸田先生を護る」
 今から55年前、昭和27年(1952年)の師走。12月18日木曜日、快晴──。
 私は日記に記した。
 この日、学会を中傷する、ある新聞に対して、抗議し、決着をつける打ち合わせをした。24歳であった。
 「(戸田)先生を護ろう、力の限り。先生を護ろう、吾が生命のある限り。
 理由は、唯一つ、先生を護ることが、大御本尊流布を護ることに通ずるからである。
 師弟の道、師弟不二。人類最高の道を、私は、真っしぐらに進むだけだ。戸田先生の偉容が、胸臆から離れぬ。瞬時たりとも、私には。──」
 私は青年時代、戸田先生と学会員を侮辱し、デマを流す人間に対して、断固抗議してきた。創価の師弟を見下す者を許さなかった。
 この道を、私は青年部の諸君に託す。焦点は青年である。
 私が戸田先生と出会ったのは、19歳の夏であった。
 青年は純粋である。「法のために」「人のために」という心で、わが身をなげうって生きるのが青年だ。
9  「私は情熱の塊」
 また私は、昭和28年(1953年)1月、男子部の「第一部隊長」に就任した。25歳であった。
 「私は情熱の塊です。この情熱で、指揮を執っていきます」と宣言し、小岩・向島・城東方面を駆け回った。
 就任当時、337人だった部員数は、1年で4倍に迫る1,233人に拡大した。
 ここから、青年部は本格的に立ち上がった。戸田先生をお護り申し上げながら、怒濤のごとき広布の大行進が始まった。そして今日の学会があるのだ。
 第一部隊長の時期、私は、文京支部の支部長代理も兼任していた。それまで低迷を続けていた文京支部は、「前進! また前進!」を合言葉に、第一級の支部に生まれ変わった。
 また、折伏の成果がなかなかあがらず、戸田先生が「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう。大作、お前が立ち上がってくれないか!」と言われたこともあった。
 私は先生の事業を支えながら、折伏の指揮を執った。過酷な日々であり、意気地なしや臆病者では務まらなかった。
 「お前みたいな弟子をもって、俺は本当に幸福だ。うれしい」。涙あふるる思いで語られた先生。
 生涯の願業であった75万世帯の弘教を達成したときの、先生の喜び。世間の驚き。今も忘れられない、私の喜びである。
 「新しき拡大の波」を起こす。それが学会青年部である。
 大阪でも、文京でも、小岩でも、私は向かうところ、行くところ、旭日が昇るような「時代」を創ってきた。その地域が「明るく」なった。
 「他人にやらせるのではなく、喜んで自分がやろう」。そうやって私は、牧口先生、戸田先生の精神を継いで、学会をここまでもってきたのである。
 ゆえに、だれが本当の師弟の魂で学会を支え、守っているか。だれが生意気な心で学会をバカにしているか。私には、手に取るように見える。
 現在は昔よりも、あらゆる点で恵まれている。最高幹部は心して指揮を頼む、と申し上げたい。
10  強き「唱題の力」「語る力」で勝て
 戸田先生は女子部に指導された。
 「学会は(中略)世界最高の哲学を基礎として、民衆に幸福を与えるのであります」
 「それも、ことごとく若きみなさんの力によってなさねばならぬと確信するのです」
 「みなさんの責任は、重かつ大であると思うのであります」
 私も同じ心境である。
 また、インド独立の父ガンジーの言葉を、青年部に贈りたい。
 「自分の心を統御したら、森の王ライオンのように叫ぶことができます。その咆哮で敵となっていた者の心は裂けてしまいます」(田中敏雄訳『真の独立への道』岩波文庫)
 「百獣の王」の咆哮。それは広宣流布の戦いでいえば、「唱題の力」であり、正義を「語る力」であるといえよう。
 逆に、学会の恩を受けながら、仏法に反し、同志を裏切った者は、師子吼によって悪心を切られる。謗法によって心が裂けた者は、“生ける屍”のようになってしまうのである。
11  昭和25年の年末、新橋駅近くの食堂で、戸田先生から、広宣流布の新聞を発刊しようとのお話をうかがった。これも忘れがたい思い出の一つである。翌年4月、聖教新聞を創刊。聖教新聞は、戸田先生と私を中心に、師弟の手作りで始まったのである。
 また、皇居のお堀端を先生と歩いていて、雨が降ってきたことがあった。
 そのときは傘もなく、タクシーもなかなか来なかった。「二人で雨に濡れていこう」と歩いた。先生は、「あそこにマッカーサーがいるんだ」と指を指された。
 GQ(連合国軍総司令部)本部の入っている、立派なビルである。
 当時の学会は、立派な車もない。むろん、大きな建物もなかった。先生の事業も、最も苦しい時だった。しかし、私は申し上げた。
 「私が働いて働いて、いい車を用意します。必ずビルも建てます。それまでは、どうか、長生きをしてください」
 先生は、ニッコリと笑っておられた。
 今、私が先生にお約束した通りの学会になった。創価学会は、激動の社会に輝く「勇気と希望の光」である。後継の皆さんの使命は、皆さん自身の想像よりもはるかに大きいということを、申し上げておきたい。
12  アメリカの新聞王 「働け働け 考えよ考えよ」
 アメリカの“新聞王”と呼ばれたピュリツァーをご存じだろうか。
 彼の勝利への哲学は何か。
 それは「働け、働け、そして考え、考え、考えよ」であった(W・A・スウォンバーグ著・木下秀夫訳『ピュリッァー アメリカ新聞界の巨人』早川書房)。
 青年は、労を惜しんではならない。真剣であれば、智慧は限りなく出てくる。戸田先生も、そう語っておられた。
 古代ギリシャの詩人テオグニスは述べている。「愛する友、信ずる友を私はうらぎったことはない」(久保正彰訳「エレゲイア詩集」、『世界人生論全集1』所収、筑摩書房)
 いい言葉だ。真実の友情に勝るものはない。
 青年時代、戸田先生と一緒に飛行機や車に乗ると、「大作、この本は読んだか」「この詩人の言葉は知っているか。言ってみなさい」と、しょっちゅう聞かれた。すべてが訓練だった。
 どこから先生の“弾”が飛んでくるか、わからない。勉強不足で答えられないと、「こんなことも知らないのか!」と叱られた。
 北海道をはじめ、各地に先生と一緒に行った。いつも一緒だった。
 先生は、私を絶対的に信頼してくださった。
 「大作を見ろ!」「大作を守れ!」「大作に聞け!」──これが先生の口癖だった。
 皆さんも、そういう弟子になっていただきたい。
 戸田先生は言われた。
 「現在の首脳たちは、私と本当に苦楽をともにして戦ってきて、師匠のもとに飛び込んできた。今度は、新しい人材の君たちが、そうなる時が来たのである。それが新段階なのである」
 今は広布第2幕の新時代である。私は、戸田先生の言葉をはじめ、皆さんにいろいろなことを話しておきたいのだ。
 先生の大事な指導を、私は一つ一つ記し残しておいた。先生が言われたことは、一言一句たりとも、ゆるがせにしない。
13  一番怖いのは内部の増上慢
 戸田先生は言われた。
 「張りつめた信心で、ここまで創価学会はきたのだ。油断するな!」
 「最後まで油断は禁物である。指導的立場にいる幹部は、これを忘れてはならない」
 また、こう厳しく指導しておられた。
 「創価学会という、この偉大な信心の世界を小馬鹿にしたり、批判する者とは戦え!
 この学会を全身全霊をもって護り支えていくのが、後輩の生命でなければならない。
 それを、有名人だから偉くなったつもりで生意気な態度を取ったり、恩人や功労者に下劣な、不敬な言葉を投げつけたりする者は、幹部といえども除名せよ! 叱り飛ばし、除名せよ!」
 これが先生の厳粛な遺言であった。
 外から学会を破壊しようとする輩とは、言論の剣で戦わねばならない。しかし、一番怖いのは内部の増上慢だ。こうした人間とは断固、戦わねばならない。
 どんな戦いも、戦い抜いたほうが勝つ。戦いをやめたほうが負ける。これが方程式だ。
 人生はすべて、戦いなのである。
 「生半可な、著名人になったつもりで、学会の仲間を見下げる人間は、叩き出せ! 命をかけてつくってきた学会に、いてもらう必要はない」
 これも先生の指導である。
 純粋な正義の心で、世界の平和を創造しゆかんとする創価の行進ほど、偉大なものはない。日蓮大聖人の仰せ通りの活躍であり、前進だ。
 戸田先生は、“まじめな学会員は本当に尊い。大事にしなくてはいけない”と、よくおっしゃった。
 この前進の中にあって、先生が言われた言葉が今でも忘れられない。
 「有名人だからといって、断じて威張らせてはいけない。資産家であるからといって、決して増長させてはならない。そんな傲慢な連中は、学会から追い出せ! 創価の前進にはまったく必要のない増上慢だ」
 恩師の叫びを、私たちは深く心に刻んでまいりたい。
14  悔いなき青春を
 中国の文豪・巴金ぱ・きん先生とは、4度、お会いした。
 ぜひ池田名誉会長と語り合いたい──そういう思いで、わざわざ静岡研修道場まで来てくださったこともある。世界的な文豪の巴金先生と語り合ったことは、忘れ得ぬ思い出だ。
 巴金先生は、こう述べている。
 「青年よ! もしも美しき世界を実現したいなら、何よりも君自身を創造するのだ!」
 青年よ、進もう!
 青年であること自体がすごいことなのだ。年を取ってから後悔してはならない。それでは、あまりにもったいない。
 働け! 戦え! 生き抜け!──そして、人のために尽くしていただきたい。
15  近代の短歌の世界に新風を起こした女性歌人に、与謝野晶子がいる。私も青春時代からその作品に親しんだ。
 彼女は、関西の大阪・堺の出身。明年で生誕130年を迎える。
 みずみずしい生命の息吹を、伸びやかに歌い上げたことで知られる。
 また、自ら11人の子どもを育て上げた「お母さん」でもあった。
 日露戦争に際しては、従軍中の弟を思い、「君死にたまふことなかれ」と反戦の詩を歌ったことも有名である。
 与謝野晶子はまた、女性の自立と権利を訴えた思想家であり、青年を育てた教育者でもあった。東京にある文化学院の創立(1921年)に携わり、教育にも尽力している。
 彼女は「社会の花は青年」と綴った(『與謝野晶子全集第13巻』文泉堂出版)。
 学会の花は、青年である。広宣流布の花も青年だ。
 また、彼女はこうも述べている。
 「最も光った創造行為は青年時代に於て始められるものです。それですから、青年の無力は社会の沈滞を表示するものとして警戒せねばなりません」(同、現代表記に改めた)
 青年が無力であれば、学会の発展はない。国家の発展もない。社会の発展もない。
 全部、青年にかかっている。学会は、青年部の力で今日の発展を築き上げたのである。頼むよ!
16  「正義の批判を鈍らせるな」
 与謝野晶子は記した。
 「古来の地上に最も価値ある事業の大部分は、青年の頭脳と、心臓と、筋骨とから作り上げられた。人は青年期が改革的精神の頂上である」(同)
 私も、青年時代から戦いに戦って、現在の学会をつくり上げた。戸田先生が言われた通り、戦ってきた。
 彼女はまた、「正義は空論で無くて実証のものです」(『同全集第10巻』)と述べている。
 何事も空論では意味がない。
 学会も「実証」で勝ってきた。
 「人類の幸福も光栄も青年が開拓し創造する」(『同全集第11巻』)
 これも彼女の言葉である。人類の未来は、青年にかかっている。
 彼女はまた、民主主義の前進を妨げる存在に対して「正義の批判を鈍らせてはいけません」とも述べている(『同全集第10巻』)。
 青年の鋭き言論こそ、社会を変えゆく原動力である。
 さらに、彼女の言葉をいくつか紹介したい。
 「私は青年の溌剌とした、優勢な創造能力に由って常に新しく開拓されて行く社会を、最も理想的な社会として熱望します」(『同全集第13巻』現代表記に改めた)
 青年で決まる。学会は、青年の育成に力を入れている。
 学会の青年は、これからどんどん伸びていく。また、そうでなければ大変だ。
 「青年男女が無くては其處に新しい元気も活動も生じない」(『同全集第11巻』)
 青年をどこまでも、大事にすることだ。
 「自分の身を以て新しい歴史を実現する外に人の生活はありません」(『同全集第10巻』)
 新しい歴史を、自分の行動で切り開くのだ。
17  古代ギリシャの詩人ヘシオドスの言葉に、こうある。
 「悪人はねじけた作り話を言いひろめて、潔よいひとを傷つけ、しかも誓ってそれは本当だと言うだろう」(真方敬道訳「仕事と日々」、『世界人生論全集1』所収、筑摩書房)
 これが、いにしえより現代まで変わらぬ、人間社会の実相である。
 また、古代ギリシャの詩人テオグニスは、こう言った。
 「美わしい青春が身をつつむ。それこそが人生の富なのだ」(前掲久保訳)
 青春を生きる人は、最高の幸せに包まれている。
18  学歴なんか気にするな!
 さらに続けたい。きょうは大阪をはじめ、各地から友が集ってくださっているから。
 戸田先生は言われた。
 「学歴なんか、気にするな! 学歴や地位など問題ではない。
 もっと御本尊への強い確信をもって、自分の仕事、一切のことに、自信を持ちなさい。
 引っ込み思案の生き方は価値的ではない!」
 大学を出ていようといまいと、たとえ小学校しか出ていなくても、妙法を持った人は、全部、仏である。
 社会的にどんなに高い地位の人間よりも、偉大なのである。
 学歴などで自分を卑下して、引っ込み思案になっては、損をしてしまう。
 学歴や地位などに関係なく、本当の人間をつくり、本当の立派な指導者をつくっていくのが、仏法の世界である。
 学歴があるからといって、いい気になり、人をばかにする人間は最低である。学会の世界は、そうであってはならない。
19  師匠は、厳しい指導をしなければならないこともある。
 戸田先生は言っておられた。
 「獅子は、わが子を谷底へ落とし、はい上がった子だけを育てるという。小さい慈悲ではだめなのだ」と。
 厳愛は一番、正しいのである。
 「師匠の教えたことを、たとえ一つでもわかってくれることが、私は一番、うれしいのだ。そうした弟子が、かわいいのだ」
 師匠とは、そういうものである。師匠の教え、師匠の心を生命で受けとめ、理解していくのが本当の弟子である。
 「自分で威張るつもりはなくとも、自然に威張るようにさせられてしまうことが、怖いのだ。
 学会も、幹部になれば、周囲が、自分を何か偉い存在のように作ってしまう。それに乗ったら恐ろしいそ。くれぐれも気をつけよ!」
 地位のある人間、重要な立場にいる人間は、深く心に刻みつけてほしい。
20  「迷ったときは出発点にもどれ」
 初代会長・牧口先生は、よく「迷ったときは出発点にもどれ」と言われた。
 何かあったら、私どもは、つねに「信心」に戻っていくことだ。
 戸田先生の言葉を、続けてご紹介したい。師の言葉は、すべて遺言である。
 「青年としての特徴は、情熱と思索だ。それがあれば年を取らないのだ」
 「信・行・学は、われわれ信者が欠かしてはならない条件である。
 そして折伏は、広宣流布を誓った人間の必須条件である。日蓮大聖人は、一生、折伏されたのである」
 「幹部は指導力がなくてはならぬ。それには教学をきっちりと身につけることだ。
 そして御本尊には絶対に功徳があるという確信に立って、いかにして人材を養成するかを心がけねばならない」
 青年部に──。
 「妙法という偉大な哲学に目覚めた、正真正銘の社会の指導者に成長し、思う存分に活躍してもらいたい。
 これが、乱れきった末法における民衆救済の大道なのである」
 社会を変え、民衆を救うのは、青年である。
 戸田先生は、若き日の日記に綴られた。
 「戦闘準備なり。開始せば死を賭して健闘し、天下に獅子吼せよ」
 我らもまた、この若き日の先生の気迫で進んでまいりたい。いったん戦うと決めた以上、師子のごとく戦い、勝たねばならない。
 今、皆さんは、日々、真剣に折伏に挑戦されている。
 牧口先生は、こう言っておられる。
 「折伏は、どこまでも相手を救っていく厳然たる態度を忘れてはならない」
21  信心の王者に
 戸田先生は言われた。
 「諸君は若い。若いというだけで、どんな人間よりも偉大なのだ」
 「生き生きとした青年であること、これ以上の財産はない。幸福はない。いわんや、妙法という最高の法を受持した諸君は、いかなる高位の人間よりも、はるかに尊貴な『信心の王者』『人生の皇帝』『生命の帝王』なのである」
 本当に、先生の言われる通りだ。
 「新しい芽は強い。学会青年部は、新しいから強いのである」
 三代の師弟は、つねに新しい青年の息吹で間断なく前進している。だから強い。「進まざるは退転」である。
 民と命運を共に
22  中国の周恩来総理の言葉を紹介したい。
 「自分は頭がよいと思う人に良い結末があるわけがない。世の中で最も聡明な人とは、最も誠実な人である。誠実な人こそ、事実と歴史の試練に耐えうる」
 至言である。誠実の人こそ、最も聡明で、最も強い人なのだ。学歴を鼻にかけ、自分は頭がいいとうぬぼれている人間のほうが、大きな悪事を働く場合が多い。
 さらに、周総理の言葉である。
 「我々は人民の公僕である。民衆と同苦し、命運を共にしなければならない。もしも享楽をむさぼり、苦難を恐れ、いわんや裏で工作をしたり、特権化したりすることがあれば、民衆は憤怒するであろう」
 民衆の目は厳しい。すべての指導者が、深く銘記すべき箴言である。
23  明朗の人は大成
 戸田先生は指導された。
 「苦しいことがあっても、明朗であれ。これが大成する要因なのだ」
 この点、学会の婦人部は模範である。何があっても、明るい。朗らかだ。
 先生はまた、「学会の指導者は何をもって優れていると言えるか。それは言うまでもなく、信心の力である。その人の持っている才能や財力、社会的立場などでは断じてない」と厳しく言われた。
 大事なご指導である。
 学会の指導者は、何よりも、慈愛と確信に満ちた「信心の力」を磨いていくべきである。才能とか社会的立場に惑わされてはならない。
 また、牧口先生は常に言われていた。
 「恩というのは大事なことだ。恩を忘れるようなことがあっては、絶対だめだ」と。
 これまでも、学会のおかげで偉くしてもらいながら、世間の名声や権力の“魔酒”に酔い、増上慢になって、恩知らずにも、学会を裏切っていった者がいた。断じて不知恩になってはならない。知恩・報恩こそ、人間の道、仏法の道である。
 御書には「不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべし」と説かれている。そうなっては、かわいそうだから明確に申し上げておく。
24  戸田先生は言われた。
 「青年部は、いつ、いかなる大任を受けても、悠々と引き受けてもらいたい。そのために、しっかり信心に励み、教学を身につけるのだ」
 青年部の諸君、頼むよ!
 また、女子部に、こう話されたことがあった。
 「ここに集まった女子部の皆さんと会った以上は、私は、皆を幸せにしてあげたいと思う。そして5年、10年たった後、『先生、私はこんなに幸せになりました』と言ってきてほしい」
 女子部の幸福を心から祈っておられた先生であった。
25  「師の仇を討たずにはおかない」
 戸田先生は、しばしば、幕末の志士・高杉晋作と、その師・吉田松陰の話をされた。
 私の名前は「大作」であるが、戸田先生は、よく私を、「晋作」と呼ばれた。常に革命児たれとの気迫があった。
 晋作、数え21歳──。
 師・吉田松陰が幕府により、理不尽に刑死した時である。
 晋作は、ある手紙に綴った。
 「ただ日夜我が師の影を慕い激歎仕るのみ」
 「私共も師弟の交わりを結び候程の事故、仇を報い候らわで安心仕らず候」(堀哲三郎著『高杉晋作全集上巻』新人物往来社)
 ただ日夜、わが師の影を慕い、激しく嘆く。松陰の弟子として、きっと、この仇を討たずにはおかない!
 そのために、松陰門下は、命を賭して戦った。
 弟子の双壁の一人、久坂玄瑞らが先頭に立って、師の刑死の汚名をそそいでいった。
 一方、高杉晋作は、師の理論を基盤にした、民衆による「奇兵隊」を創設。数え29歳という若さで、この世を去った晋作だが、死の前年には幕府軍に勝利を収め、倒幕・維新という、歴史回天への道を開いていったのである。
 大事なのは、弟子である。一切は、弟子で決まる。
 戦時中、牧口先生と戸田先生は、不敬罪・治安維持法違反の容疑で投獄され、まさに「国賊」と罵られた。牧口先生は獄死されたのである。
 私は、両先生を、命をかけて世界に宣揚してきた。口先でも、形式でもない。事実の上で、師の正義を世に認めさせ、後世に厳然と留めて、師の仇を討った。
 この仇討ちの魂を、青年部は断じて忘れてはならない。
26  さらに高杉晋作の言葉を紹介したい。
 「強兵の本は人心を一にするにあるなり。人心一ならずんば、すなわち五事七計の謀ありといえども、ついに百戦百勝の利を得る能わざるなり」(同下巻)
 心一つに──そのために、会議、打ち合わせが大事である。
 戸田先生も、それを教えられた。
 ただし、いくら会議で話をしても、「師弟」がなければ、全軍の団結はない。
 「師弟」を根幹にした異体同心の陣列こそ最強である。
 この方程式でやっていくならば、我々は百戦百勝である。
27  「困る」というのはありえない
 晋作は語る。
 「つまらぬことに何の気もなく困ったという癖がある。あれはよろしくない。いかなる難局に処しても、必ず、窮すれば通ずで、どうにかなるもんだ。困るなどということは、あるものではない」(一坂太郎著『松陰と晋作の志』KKベストセラーズ)と。
 「ああ困った」と悩んでいるうちは、まだ余裕がある。本当に窮地に立たされたならば、祈るしかない。戦うしかない。
 私たちには、「不可能を可能とする信心」があるのだ。
28  師子王の心で!
 「英雄は志を遂げるために/誠の一字を貫くのみ」(冨成博著『高杉晋作 詩と生涯』三一書房)
 これも晋作の言葉である。
 策略や陰謀に溺れた人間の最後は破滅である。
 大事なのは大誠実だ。真実の言葉だ。強き一念だ。
 「名利の門をくぐるな/よこしまな企みにかかわるな」(同)
 名聞名利の門をくぐるな! 金儲けや偉くなることばかり考え、派閥をつくったり、正しい人材を批判したり、人を陥れたりする。そういう下劣極まる人間にだけは断じてなるな!──それが革命児の叫びであった。
 さらに晋作は言う。
 「胸中いささかもやましさなければ/人生に身を処してつねに泰然」(同)と。
 その通りだ。
 私たちの妙法は、正義の中の正義である。
 勇敢に、この道を貫いていく限り、恐れるものは何もない。
 たとえ雨が降ろうとも、嵐が吹こうとも、わが胸中には、燦々と太陽が輝き、爽やかな青空が広がっていく。
 ともどもに、師子王の心で、堂々と進んでいきましょう!
 以上をもって、本日のスピーチを終わります。
 皆さん、お元気で!
 新たな第2幕の勝利と全同志のご健康とご多幸を祈って、全員で「創価学会、万歳」をやろう!〈参加者で元気よく万歳三唱。続いて、名誉会長を導師に全員で唱題する〉
 長時間、ご苦労さまでした!
 本当にありがとう!
 お父さん、お母さんを大切に!
 これから、日本中、世界中の総仕上げをしていきます。本部周辺も一段と荘厳します。後に続く皆さんのために!
 どうか、風邪などひかないように。またお会いしましょう!

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