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日蓮大聖人・池田大作

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第2回関西最高協議会  

2007.11.16 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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2  幸せ光る婦人城
 はじめに、愛する関西の皆様に、記念の歌を贈りたい。
  世は移り
    戦乱勝利の
      大阪城
    今は関西
      常勝城かな
 人は城である。人材こそ最高の城である。また、尊き関西婦人部に捧げたい。
  幸せを
    わが胸光らせ
      婦人かんさい
 皆様によろしくお伝えいただきたい。そして新出発した関西青年部に贈りたい。
  大関西
    池田門下と
      勝ちまくれ
3  「関西は一つ」!
 世界の常勝大関西である。
 今回、SGI(創価学会インタナショナル)総会で来阪された世界60カ国・地域の広宣流布のリーダーたちも、関西の同志の熱烈な歓迎を受け、燃え上がる常勝の魂の息吹を全生命で感じ取っていかれた。
 役員の皆様には陰に陽にお世話になり、本当にありがとうございます。
 そして、「関西は一つ」の心で、一切の成功を真剣に祈ってくださった同志の皆様方に、私は心から御礼を申し上げます。
 できることならば、懐かしい関西の全7府県を、くまなく回り、わが同志と心ゆくまで語り合いたい思いでいっぱいである。
 日蓮大聖人は、遠く離れて会えない千日尼に呼びかけられた。
 「私たちは穢土に住んではいますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お顔を見たからといってなんになるでしょう。心こそ大切です。いつかいつか必ず、釈迦仏のいらっしゃる霊山浄土に行ってお会いしましょう」(御書1316㌻、通解)
 この大聖人の仰せにそのまま連なった、わが創価学会は、三世永遠に心と心が結ばれた同志である。兄弟姉妹である。家族である。
 いつでも、どこにいても、同じ妙法を唱えながら、心は一体不二なのである。
 ともあれ、愛する大関西は、全支部、全地区、全ブロックが一丸となって、この創立77周年を大勝利で飾ってくださった。諸天も喜び舞い、諸仏も寿ぎ祝って、常勝の空は、限りなく高い。
4  「力」ではなく「説得」で勝利を
 今月の研修会にはギリシャSGIの代表も参加された。
 ギリシャは、西洋文明の源流である。
 その天地で、初のギリシャ語訳『法華経』が、SGIの協力で、ケドロス出版社から発刊された。今年の6月には、ギリシャの学術界・文化界の代表200人が出席し、出版記念会が開催された。
 大きな反響を広げているとうかがい、うれしい限りである。
 〈ギリシャからは、これまで名誉会長に、「ギリシャ国際作家・芸術家協会」の顕彰が何度も贈られている。同協会は名誉会長の詩を収録した詩選集を発刊している〉
 今回、来日したギリシャSGIのディモプロス理事長が、美しいギリシャの箴言集を届けてくださった。
 我らのふるさとは世界である。ギリシャにも、大切な友人たちがいる。
 ギリシャのことを、もっと知るためにも、きょうは、この箴言集から英知の言葉に学びたい。
 まず、大詩人ホメロスの言葉。「多くの手は、仕事の負担を軽くする」
 成功のカギは、力を合わせることだ。
 ギリシャの哲学者ビアスは訴える。「力ではなく、説得によって、勝利を」
 対話こそ、平和の武器である。
5  健康第一で!
 詩人のヘシオドスは述べている。
 「始めることは、全体の半分を成し遂げたに等しい」
 何事も、まず「始める」ことだ。「出発する」「実行する」「動く」ことである。
 ヘシオドスは言う。「常に夏であるわけではない。収穫できる時に収穫せよ」
 その通りだ。かけがえのない「時」を逃してはならない。
 さらに、ギリシャのことわざにいわく。「偉大な挑戦においては、不本意な結果さえ、栄光である」
 目先のことに一喜一憂せずに進むのだ。すべては次の勝利のもと、成功のもとである。
 大いなる理想に向かって、朗らかに、悠然と、挑戦を続ける。その人に、最後の勝利は輝くのだ。
 健康第一で、我らは、「前進」また「前進」を続けよう!
6  祈り抜いた日々
 昭和30年(1955年)の12月13日、旧関西本部に「大法興隆所願成就」の関西常住の御本尊が御安置され、落成入仏式が行われた。
 戸田先生は、この御本尊を関西本部に迎えたことを、「無上宝聚・不求自得」であると、大変に喜ばれた。
 また、「経済の中心であり、広布の歴史の新しい関西の発展が東京のよき刺激剤となり、さらに全国への波動を生むことになる」とも語られた。
 今や、この関西の波動が、全世界へ広がりゆく時代となった。
 昭和31年(1956年)の大阪の戦いにあって、私は、この「大法興隆所願成就」の御本尊に向かって、毎朝、早朝勤行を行った。丑寅勤行も行った。
 真剣に祈り切った。祈り抜いた。
 私の祈りの一つ、それは、「大阪のいかなる人であれ、一人でも多く、このたびの戦列に加わって味方となること」であった。
 わが関西の同志は、この私の祈りと心を合わせ、この半世紀、一切を勝ち越えて、仏法勝負の不滅の証しを打ち立ててくださった。
 ともあれ、御聖訓には、こう仰せである。
 「ここに日蓮は、どういう不思議であろうか、(正法時代の)竜樹、天親等、(像法時代の)天台、妙楽等でさえ顕されなかった大漫荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕し申し上げたのである」(御書1243㌻、通解)
 関西は勝った! 世界に向かって、「関西を見よ!」と胸を張れる。
 勝った人間は偉大だ。仏縁の拡大、広布の拡大こそ、最高無上の勝利である。
 この「大法興隆所願成就」の御本尊を「旗印」として、わが愛する大関西は、これからも、ありとあらゆる広宣流布の戦いに勝利しきって、一人ももれなく「所願」を「成就」し、幸福常勝の人生を飾ってもらいたい。
 そして全国、全世界の友も、常勝関西に見習って、人間主義の勝利の旗を、堂々と翻らせていただきたい。
7  「人間革命」の思想を世界へ
 アメリカの著名な仏教研究者であるクラーク・ストランド氏は、「人間革命」の思想の意義について、次のように語っておられる。
 「創価学会の戸田第二代会長は、『仏とは生命なり』と定義することで、万人のための平等な宗教観を確立されました。
 そして、それを池田SGI会長が、人間革命を根幹とした、ヒューマニズムの思想として、世界に開かれました。
 このSGI会長の功績によって、仏教は、特定の人々のための宗教という殻を打ち破り、世界へと広がることが可能になったのです」
 氏は続ける。
 「宗教はまず、自分自身の中に、強き信仰を築くとの思想を育むことが不可欠です。
 そして、自分自身の中に築いた喜びを人々に分かち合い、その共感を広げていくことです」
 「創価学会のすすめる人間革命の運動は、まさに、それを実践されております。SGI会長は、この人間革命の思想を『平和の価値』『文化の価値』、さらに『教育の価値』へと高めるなかで、世界宗教の基盤を築かれたのです」
 私のことはともかく、平和・文化・教育の大道を進みゆく「人間革命の同志」の皆様への評価として、ありのままに、ご紹介したい。
8  中国の名門・福建師範大学の鄭一書てい・いっしょ副学長も、創価の「人間革命」の思想に注目される一人である。
 こう述べておられる。
 「創価学会の発展で、見落としてはならない点は、それが“人間革命”、に象徴されるように、一人一人を啓発し、人格を高めることを、最大の目的としてきたことです。その意味では、『比類なき大教育運動』といえるのではないでしょうか。
 私は、この点こそが、周恩来総理が生前に創価学会に注目した最大の理由だと思います」
 見る人は、まっすぐに見ている。
 人間革命──それは、まず自分が生まれ変わることだ。身近な「一人」を心から励まし、苦楽を分かち合い、ともに立ち一上がっていくことだ。
 人類の希望の大道を、地域から世界へと広げてまいりたい。
 ドイツの哲人 円熟した老人が青年の世話を焼けば、若い精神はいっそうよく伸びる
9  協議を重んじよ
 スペインの人権の闘士アレナルは叫んだ。
 「完壁なる社会とは、多くの人たちが自由に善行のために調和し、仲良く前進する社会のことである。
 また、欠点のある社会とは、多くの人たちが協調性なく、ある時は自らが皆の妨げとなり、個々の利己主義と無関心をむき出しにしながら、異なった方向へ前進する社会のことである」
 広宣流布を進めるためには、「協議」「協調」が大事である。
 釈尊は「七不退法」と呼ばれる教えを残されている。共同体を衰亡させないための、7つの原則である。
 これについては、現代の「人間の安全保障」の観点から、ハワイの東西センターで講演し、大きな反響をいただいた。
 この「七不退法」の筆頭にあげられているのも、その共同体が「会議・協議」を尊重しているかどうか、であった。
 わが関西は聡明に、仲むつまじく、協議による前進の模範を示していただきたい。
10  ドイツの哲学者シュライエルマッハーは、「円熟した老年が青年の世話をやけば、若い精神はいっそうよく伸びる」と述べている(秋山英夫訳『独り思う』角川書店)。
 関西は、錦宝会の方々をはじめ、百戦錬磨の広宣流布の闘志の皆様が、生き生きと最前線で皆と一体となって活躍されている。
 青年を励まし育てる人は、自分自身が若々しく勢いをもって前進することができる。
 ますます後輩と一緒に戦い、青年を大いに伸ばしながら、「人材・拡大」の大河の流れを、ここ関西から起こそうではないか。
11  青年部よ自己の鍛錬に励め
 今月25日、全国で、伝統の教学部任用試験が行われる。
 昭和31年1月に行われた任用試験の際、私は関西での講義を担当し、受験者の皆様を心から励ました。
 筆記試験前日の夜にも大阪で質問会を行い、最後の最後まで、真剣勝負で激励を重ねた。
 今回の任用試験も、受験者の方々の健闘を祈るとともに、担当者の皆様方に心から感謝申し上げたい。
 あの「大阪の戦い」にあっては、毎朝、勤行のあとに、御書を真剣に拝し合い、皆の勝利への一念を合致させていった。
 不可能を可能としゆく「法華経の兵法」「妙法の将軍学」を心肝に染め抜いた。「絶対勝利」の活力を満々と漲らせて、皆が最前線に躍り出た。そして、勇敢に道を切り開いていったのである。
 御書根本こそ常勝のリズムである。
 戸田先生は、おっしゃった。
 「『教学』を身につける人は『哲学者』である。『哲学』とは、よりよき生活をしていくための『智慧』である」
 女子部に対しては、「女子部は教学で立ちなさい。そうすれば、どんな問題が起ころうとも、決して紛動されることはない」と語られた。
 青年部に対しては、「願わくは、諸君は教学に、信心に、自己の鍛練に、いっそう励んでいただきたい。そしてよき広宣流布の闘士として、末代にまで、自己の名を歴史に残していただきたい」と叫ばれた。
 また、こうも指導されていた。
 「坊主は偉いと思って化儀(=形式)に流れるのは、古い信者である。
 我ら創価学会は、日蓮大聖人と御書を通じて直結して行ずるのである」
 「仏法で学んだことは、どしどし口に出して話しなさい。そうすれば、やがて身につくものです」
 その通りだ。広布のために語った分だけ、知識に血が通う。生きた智慧となるのである。
12  皆で題目をあげて前進!
 大聖人は、四条金吾に仰せである。
 「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし
 厳粛な一節だ。人生においても、社会においても、よくよく拝していくべき勝負の鉄則である。
 勢いよく前進すればするほど、大きくなればなるほど、少しでも油断して、隙が生まれれば、一瞬で崩れてしまう。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、「破壊するのに一日で足りたものも、建設するには1世紀を要する」と綴っている(宮本正清訳「戦いを超えて」、『ロマン・ロラン全集18』所収、みすず書房)。
 だからこそ、広布の戦いにあってリーダーは、常に精神を鋭く研ぎ澄まして指揮を執り、行動していくことだ。それが使命であり、責任である。重大な操縦桿を握っているのだ。緊張感を忘れてはならない。
 皆さんがよくご存じの御聖訓に、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せである。
 もとより、私たちは凡夫であるから、緊張感を持ち続けるのは至難である。だからこそ、たゆみなく「題目」を唱え抜いていくのだ。
 また「妙楽大師は『必ず心の固きによりて神の守り、すなわち強し』と言われています。心の堅固な者には、神の守りが必ず強いというのです」(同1220㌻、通解)とも教えておられる。
 この「心」とは、「信心」である。信心強き人を諸天は守る。
 心には無限の可能性がある。心ほど不思議なものはない。
 どんな戦いでも、まず「心」で勝つのだ。
 心を一つに合わせて、きちっと目的を定める。そして皆で題目をあげて、広宣流布の和合僧をつくるのである。
 創価の三代の師弟は、そうやって戦ってきた。そして勝ってきた。
13  友の心を明るく
 戸田先生は、「こんなことまで」と思うほど、人心の機微を捉え、よく覚えておられた。知らん顔で、全部、知っていた。まさに、仏法で磨き抜かれた慧眼であると私は感嘆した。
 師匠に対しては、正直に、まっすぐに、裏表なく、ぶつかっていかなければ、損をする。
 師匠とともに生きる黄金の一日一日、何かで歴史を残すのだ──そう決めて、私は走った。
 リーダーは友に尽くすためにいる。そう戸田先生は教えてくださった。「指導・懇談は、誠実に、わかりやすく。決して、偉ぶって見下して話してはならない」と厳しかった。
 ちょっとした智慧で、友の心を明るくできる。優れた指導者は、気を遣っているそぶりを少しも見せなくても、細心の注意を払っているものだ。
 逆に、最高幹部でありながら、傲慢で、気を遣わず、会員の心がわからない指導者は、その組織にとって“毒”のような存在であるといってよい。これは、どんな世界でも同様であろう。
 また、先生はおっしゃった。
 「ユーモアは、話の中で必要であろう。しかし、真剣に聞く人に対して、ふざけ半分や、いい加減な話をしたら、求道心の人を見下すことになる。そういう幹部であってはならない」
 「ともかく学会員に対しては親切に。学会や世間や会員に迷惑をかける悪い人間は、容赦なく追放しても結構だ。除名しても結構だ」
 責任ある立場をわきまえず、心に“ふざけ”がある人間、同志に迷惑をかける人間を、先生は断じて許されなかった。
14  声は“弾丸”
 広布新時代の最高幹部は、見栄や格好主義など振り捨てて、同志のために死にものぐるいで戦うことだ。
 使命の天地で勝つためには、「ここを素晴らしい地域にするんだ!」と深く決意し、祈りに祈り、命を削って動くしかない。
 口先を動かすだけではダメだ。自分の「生命を揺り動かす」のだ。後世の人から仰がれるような、立派な幸福城を築いてほしい。限りある人生である。力を出しきらなければ、もったいない。
 広布を阻む者とは、リーダーが先頭を切って、「声」で戦うのだ。
 声が“剣”であり、“弾丸”なのだ。敵を前にして、黙っていては卑怯だ。声が仏事を為すのである。
 唱題根本で戦う人の、心のこもった声は、相手の胸に入る。頭にも入る。たとえ細かい部分は忘れたとしても、不思議と心に残るものだ。
 チョウドリ国連事務次長は、私に語られた。
 「政治家に任せるのではなく、民衆が立ち上がってこそ、この世界を、よりよき人間の世界へと変革していけるのです」
 わが学会こそ、この「変革」のための団体である。その潮流を創り出すのも、学会員一人一人の、心からの声である。
 「民衆の声」で歴史を打ち立ててきた関西の皆様に、
  嵐をも
    怒濤も乗り越え
      大関西
    勝ちまくりたる
      皆様 讃えむ
 との一首を捧げたい。
15  わが愛する関西の記念会館で開催された、今回の本部幹部会。
 そこで私は、皆様方への心からの感謝を込めて、“大楠公”などの曲を、ピアノで弾かせていただいた。
 兵庫・湊川の戦いに赴く武将・楠木正成と長子・正行の別れを謳った“大楠公”は、戸田先生の大好きな曲であった。
 昭和32年(1957年)の春4月13日。大阪での激闘のなか、私は、正成が築いた千早城の址に足を伸ばし、関西の同志と思い出を刻んだ。
 正成の本拠地である、大阪の千早城は、周りを深い谷に囲まれ、背後に金剛山がそびえる天然の要害であった。
 地の利を知り尽くした正成は、この山城で防備を完壁に固めた。そして、あらゆる知恵を尽くし、独創的な戦術で、大軍勢の猛攻撃にも耐え抜いていったのである。
 「千人に足ぬ小勢」で「一日が中に五六千人」を打ち倒した──『太平記』には、こう記されている。
 次元は異なるが、広宣流布の運動にあっても、リーダーは、全同志のために智慧の限りを尽くしていかねばならない。
 民衆を苦しめる悪と戦い、幸福と平和の連帯を広げる名指揮を、よろしく頼みます!
16  大阪を自転車で
 作家・大佛おさらぎ次郎氏の小説『大楠公 楠木正成』(徳間文庫)には、傑出した智将の姿が生き生きと描かれている。
 正成は、自ら勇んで戦いの先頭を駆けた。大佛氏の作品に、こんな一幕がある。
 「正成自身が、この一日で馬を何頭か乗り潰していた。東口にいたかと思うと、住吉の方角にまた西門の近くに馬を立てていた。今もまた、新しい馬に鞭をあてて、敵の退却と並行して走っていた」
 苦労している友のもとへ──私も、大法戦の指揮を執った若き日に、大阪中をかけずり回った。常に題目を唱え抜きながら、自転車で、辻々を回り、小さな路地へと入っていった。
 車を持っている人など、ほとんどいなかった時代である。自転車を何台も乗りつぶしたことを思い出す。
 苦楽をともにした同志のことを、私は生涯、忘れない。同志への感謝があるところ、力は無限にわき出ずるものだ。
 また大佛氏の作品では、正成の妻、すなわち息子・正行の母にも、光が当てられている。
 正成の死後、妻は、息子の正行を、父の後継者として立派に育て上げていった。
 大佛氏は、こう結論している。
 「(正行を)小楠公として雄々しく出発させる鉄のような意志に変えたのは母である」
 「(母は)泣きもせぬ。歎きもせぬ。ただ、この子を父親と同じものに引上げる。心からの、その祈りであった」
 正行の母の言葉が、関西の広宣流布の母たちと二重写しとなり、胸に迫ってならない。
 そして、わが関西には、この常勝の父母の祈りの通りに、後継の青年部が陸続と育っている。これほど、うれしいことはない。
17  苦境を支える柱
 私は現在、中国を代表する歴史学者である章開沅しょう・かいげん先生と対談を進めている。
 人間の世界は、いつの時代も、どの社会も、矛盾と葛藤と複雑性に満ちている。そのなかで、正義を揺るぎなく貫き通していくための希望の光とは何か。
 それは「師弟」に生き抜くことである。この一点で、章先生と私は深く一致した。
 章先生は、こう語っておられた。「私の人生を振り返っても、最も苦しかった文化大革命の暗黒の時代、私を支える柱となったのは、師である楊東蒓よう・とうじゅん先生の存在でした。そうした師をもてたことは、私の最大の幸福だと思っています」
 また、中国には、古典である『後漢書』の一節に由来する「尊師重道」(師を尊び、道を重んじる)という思想があると述べ、こう言われた。
 「人類の文化の大河が千年万年にわたって連綿と続いているのは、こうした幅広い意味での師の存在を抜きにしては語れないでしょう」
 まことに深い洞察であると思う。
18  戸田先生は語っておられた。
 「古来、師弟の不二なる道ほど、深く尊く、その血脈が永遠なるものはない。師弟の栄光は、永遠である」
 戦時中、戸田先生と牧口先生は、軍部政府の弾圧によって、牢獄へ行かれた。
 牧口先生は獄死。戸田先生も、2年にわたる過酷な獄中闘争で体を痛めつけられた。
 しかし、それでも、牧口先生の慈悲の広大無辺は、自分を牢獄まで連れていってくださった──と感謝しておられた。
 私はこれをうかがい、「師弟の精神の根本は、ここだ」と感動した。本当に尊いことである。
 この根本をはずして、何をやってもだめだ。
 今は経済的にも恵まれ、組織もできた。交通も便利だ。すべてがある。
 草創期は、何もかも、なかった。
 私は、師匠である戸田先生に徹して仕えた。戦後、先生の事業が破綻した時に、私はすべてをなげうって先生を護り、支えた。
 あの時は、本当に大変だった。多くの人が先生のもとを去っていった。
 私は、まだ20代。給料が出ない時もあった。その中で、あちこちを駆け回って、一人一人、味方を増やしていった。一切の責任を担って阿修羅のごとく戦った。
 疲れ果てた。熾烈な日々であった。
 明日のことさえ、わからなかった。私がいなければ、戸田先生は倒れていたかもしれない。それほど、先生のために尽くし抜いた。
 こういう「一人」の弟子がいるかどうか。それで未来は決まる。
 私は、悪い人間とは、真っ向から戦った。
 私が陰で必死に先生を護り、苦闘を重ねていた時、一部の幹部は、私のことを罵っていた。“池田は会合にも出てこない。退転だ”と。
 私が朝から晩まで働いて、苦境の打開のために奮闘していたことは知っていたはずである。
 じつに意地悪な、愚かな幹部であった。私は大嫌いだった。いわば“偽の学会”の姿であった。
 こうした幹部は、後に同志を裏切り、学会に反逆した。
19  師の命を継いで
 先生は、ことあるごとに私を呼ばれた。私は夜中でも駆けつけた。
 折伏が進まない。「大作、頼むから、やってくれないか」
 私は、蒲田支部で支部幹事。文京支部では支部長代理。実質的に支部長として指揮を執り、壁を一気に打ち破った。
 学会が伸びれば、社会からの風圧も高まる。先生は私を渉外部長に任じられた。
 私より先輩の大幹部もたくさんいた。しかし先生は、どこまでも若い私を信頼し、頼りにしてくださった。
 先生は言われていた。
 「大作のような弟子を持って、私は幸せだ」
 これが真実の創価の師弟である。
 組織や役職などの「形」ではない。要領でもない。師弟不二の命がけの闘争によって、今日の創価学会ができあがったのである。
 私は勝った。「真実の弟子の姿は、かくあるべきだ」と示しきった。今度は皆の番である。
20  ある時、戸田先生が私の妻の実家を訪れて、男泣きに泣きながら、こう言われた。
 ──大作には、苦労ばかりかけてしまった。大作は、30歳まで生きられないかもしれない。そうなれば、学会の未来は真っ暗だ──。
 剛毅な先生だった。人前で、涙を見せるような方ではなかった。
 その先生が、人目もはばからずに泣かれたのである。
 どこまでも弟子を大切にしてくださった。ありがたい師匠であった。偉大な師匠であった。
 あれだけ体の弱かった私が、来年、80歳を迎える。本当に不思議なことだ。
 戸田先生は、「自分の命を代わりにあげて、大作を、なんとか長生きさせたい」とさえ言ってくださった。
 まさしく、戸田先生からいただいた私の命である。関西で、私は、ますます元気になった。
21  日蓮大聖人に背いた五老僧の邪義を破折した「五人所破抄」には、日興上人の次の主張が記されている。
 「伝え聞くところでは、天台大師に三千余りの弟子がいたが、章安大師一人だけがはっきりと誤りなくすべてに通達することができた。伝教大師にも三千人の弟子がいたが、義真の後は真実の弟子は無きに等しい」(御書1615㌻、通解)
 天台大師の直弟子であった章安大師は、天台大師の講説をすべて領解し、「摩訶止観」「法華文句」「法華玄義」の天台三大部を筆録した。さらに、天台所説の法門を百余巻に編さんした。
 また伝教の直弟子・義真は幼少から伝教大師に師事し、師が中国に渡った際には通訳の任も果たしたとされる。
 釈尊の時代においても、舎利弗や目連、迦葉や阿難などの十大弟子が活躍した。
 師弟一体の闘争によって新たな歴史は開かれる。そして、真実の弟子の闘争によってこそ、師の偉業を世界に宣揚し、後世に伝えていくことができるのである。
 章開ゲン先生は、こうも語ってくださった。
 「創価の師弟は、ソクラテス、プラトンの師弟に勝るとも劣らない、歴史に特筆すべき輝きを放っております」
 また、“創価学会の進んでいる道は正しく、その目標も、全人類が希求しているものです。創価学会の方々は、この偉大な団体のメンバーであることに、誇りを持つべきだと思います”とも述べておられた。
 これが最高峰の知性の言葉である。深い、また温かなご理解に、心から感謝申し上げたい。
22  命を縮めても
 対話こそ、平和の王道である。友情の拡大こそ、仏法の人間主義の真髄である。
 私も、世界を舞台に心と心を結ぶ対話を広げてきた。そのなかでも、ひときわ印象深いのが、中国人民の父、周恩来総理との会見である。
 それは、昭和49年(1974年)12月5日の夜。場所は、北京の305病院。周総理は、ガンで入院しておられた。
 こちらは、私と妻のみ。先方は、中日友好協会の寥承志りょう・しょうし会長らが同席。
 周総理は、私の手を強く握りしめて、おっしゃった。
 「池田会長とは、どうしても、お会いしたいと思っていました。お会いできて本当に、うれしいです」と。
 さらに総理は、私が同年の5、6月に初訪中したときは、「病気がひどい時分で会えなかった」と包み隠さず話してくださった。
 この日も、総理の医師団は、健康を気遣って、会見を制止した。
 しかし、会見は、総理の強い希望であった。
 〈このとき医師団は皆、会見に反対した。しかし総理は「ぜひ会うから呼んできてくれ」と。医師団は、どうしてよいかわからなくなり、夫人の鄧穎超とう・えいちょうさんに止めてもらうように相談した。鄧穎超さんは「ぜひ会わせてあげてください」「命を縮めても会わなければならない人がいる。それが、今です」と答えた。こうして歴史的な出会いが実現した(ジャーナリストである西園寺一晃氏の講演を参照)〉
 会見の途中、医師から、「総理、そろそろお休みください」と、メモが入った。しかし、総理は、それに目を通さず会談を続けた──そのように会見を通訳した林麗韞りん・れいうんさんが語っておられる。
 ともあれ、周総理は会見で、若き私に日中友好の未来を託された。
 総理との誓いを、私は、片時も忘れたことはない。
23  友好の扉開いた 春4月の来日
 1990年7月27日、第5次訪ソの折、私は、モスクワのクレムリンで、ゴルバチョフ大統領とお会いした。
 午前10時半から、約1時間10分にわたった。
 会見には、ゴルバチョフ大統領の母校でもあるモスクワ大学のログノフ総長、世界的な作家のアイトマートフ氏など、政治、教育、文化の各界の指導者が同席された。皆さん、私の親友の方々である。
 〈このときの名誉会長との会見で、ゴルバチョフ氏は、翌年春の訪日を明言。当時、氏の訪日が危ぶまれていただけに、そのニュースは、テレビ・新聞で大々的に報道された。そして約束通り、ゴルバチョフ氏は、ライサ夫人とともに、91年の4月、ソ連(当時)の最高首脳として初の来日を果たし、友好の扉は大きく開かれた。
 この会見だけをとっても、名誉会長の日露友好における貢献は特筆すべきであるとの評価や感謝の声が関係者から寄せられている〉
 本年6月にも、ゴルバチョフ氏とお会いし、9度目の語らいを重ねた。
24  橋を架けよう
 文化大王として名高い、タイのプーミポン国王を、3度にわたり表敬させていただいたことも、私の誉れの歴史である。〈88年、92年、94年のいずれも2月〉
 また、1996年6月25日には、首都ハバナ市の革命宮殿で、キューバのカストロ国家評議会議長とお会いした。
 カストロ議長との会見は、午後7時半にスタート。「後継者論」「人生哲学」「人材育成論」などを語り、あっというまに1時間半が過ぎてしまった。
 じつは、同じ年の2月、キューバ領空に入ったアメリカの民間機を、キューバ軍が撃墜するという事件が起きていた。
 アメリカの経済封鎖は強化され、キューバは孤立していた。
 こうしたなかで私は、文化交流、教育交流の橋を架けるために、キューバを訪問したのである。
 利害でもない。立場でもない。どこまでも、「同じ人間」として、語りに語り、友情を結んでいく。そこにこそ、確かな平和の地盤が築かれる。一対一の対話が、差異の「壁」を破るのである。
 正義を嫉妬する連中が、いかに卑劣な中傷を浴びせようとも、「誠実」の二字で結んだ友情は永遠に不滅である。
 大関西の主役は女性
25  自分の地域をよくしよう!
 今もなお、世界各地で続いている戦争や暴力、人権の蹂躙に立ち向かう勇敢なる女性たちがいる。
 そうした方々を支援するために、世界を駆けめぐっておられるのが、南米アルゼンチンの人権活動家エスキベル博士である。
 現在、私は、エスキベル博士と対談を進めている。〈「人権の世紀へのメッセージ──“第三の千年”に何が必要か」とのタイトルで『東洋学術研究』に連載中〉
 博士は言われていた。
 「困難にも負けず、公平で人間的な社会を築こうと抵抗運動に参加する女性もいます。彼女たちは、とにかく、その存在と人生の証として、その場所で立ち上がったのです。彼女たちは顔もあり名前もある人間で、私たちに新しい道を照らし出してくれているのです」と。
 だれにも、人生の舞台となる地域社会がある。そこで、筆舌に尽くせぬ苦悩を受けることもある。
 しかし、どれほど苦難の嵐があろうと、「自分が生きる地域社会をよくしていこう」「自分自身の勝利の証しを残していこう」──そう勇気をもって立ち上がったとき、わが地域社会は、使命の舞台と変わる。
 地域社会に貢献し、深く根ざしていく生き方は、男性よりも女性が主役となっている。
 大関西の常勝の「歴史を創る主役」もまた、女性であった。
 エスキベル博士は、創価の女性運動にも、絶大な期待を寄せておられる。
 「(女性の)皆様が地域のためにできること、それはどんなことであれ、すべて人類全体に役立ちます」と。
 私たちの「地域のため」の活動は、そのまま、「人類のため」の貢献となっている。
 また博士は、このようにも言われた。
 「女性は生まれもった性質上、生命を与えるものであり、人々に希望をもたらし、生命や人生に豊かさを与える存在です。女性はつねに、勇気と決意を示してきており、日々の具体的な戦いのなかで、抵抗と円熟の模範を示しています」と。
 女性の「勇気」と「決意」が、人々に、大いなる「希望」と「豊かさ」を与えていることを確信していただきたい。
26  正義の怒りを
 私とエスキベル博士には共通の友人がいる。
 「世界子ども慈愛センター」のベティ・ウィリアムズ会長である。
 ある母子が北アイルランドの紛争に巻き込まれ、母親の目の前で3人の子どもが犠牲になった。ベティ・ウィリアムズ会長は、故郷でのこの事件をきっかけに、正義の怒りを燃やして、平和と人権のために立ち上がられた。
 私がウィリアムズ会長に、「不屈の平和行動を貫いた支えとなったものは何ですか」と尋ねると、こう答えられた。
 「信念です。強い意志です。自分の中にある確信について、『勇気を持つ』ことが重要です。何事も、続けなければならない。だれが何と言おうと、あきらめてはならないのです」「これは、アイルランドの国民性のおかげでもあります。『それは無理だ』と言われると、『やってみせる!』と思うのが、アイルランドの女性なのです」
 まさに、関西婦人部の明るい明るい「負けじ魂」の大前進も、全く同じであると申し上げたい。
27  強くなれ!
 古代ローマの哲人セネカは綴る。
 「何の妨げにも邁わなかった幸福は、どんな一撃にも堪えられません。だが、絶えず自分の障害と戦って来た者は、(中略)たとえ地面に倒されても、膝で立って戦いつづけるのです」(中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』岩波書店)
 何の苦労も、努力もなしに、幸福になれるはずがない。戦いがあるから、強くなれる。強いことが幸福なのである。
 さらに、セネカは言う。
 「早くに死ぬか遅く死ぬかには、何の意味もありません。大事なのは、善く死ぬか悪く死ぬかということだけです」(同)
 仏法の哲学とも響き合う言葉である。
28  結びに、大阪事件の出獄後、旧関西本部で、戸田先生が、しみじみと語られた言葉を紹介したい。
 「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践がある。それを断行するならば、当然、難が競い起こるぞ」
 「しかし、そんなことを恐れていたのでは、仏法者の本当の使命を果たすことはできない。われわれが宿業を転換し、一生成仏を遂げていくためには、法難にあい、障魔と戦って勝つしかないのだ。だから私は、社会の建設に向かって舵を取り、三障四魔を、三類の強敵を呼び出したのだ」
 「大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になるのだ」
 関西は、私とともに、真正の師子となった! 関西よ、広布第2幕の創価学会を頼む! 21世紀の広宣流布を頼む! そして、創価の師弟の永遠の常勝を頼む!
 こう申し上げ、私のスピーチとしたい。
 どうか、大阪、京都、滋賀、福井、兵庫、奈良、和歌山、そして全関西の尊き不二の全同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 258回目の関西訪問に寄せて、皆様に感謝の一首を捧げたい。
  おお関西
    私の第二の
      故郷かな
    兄弟姉妹に
      勝りし同志か
 常勝関西、頑張れ! 皆さんお元気で! 長時間、ありがとう!

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