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新時代第12回本部幹部会 第12回SGI総会「関西広布55周年記念」広布第2幕・第1回関西総会

2007.11.8 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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1  海外の皆さん、ようこそ! 関西の同志、ありがとう! 本当にありがとう!
 〈池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、入場するや、そばにあったピアノのもとへ。恩師・戸田第二代会長が大好きだった“大楠公”の曲、そして「荒城の月」「さくら」を万感込めて演奏。会場に大きな感動が広がった〉
 どうも、しばらく! 皆さん、お元気ですか!
 きょうは海外から大勢の友が見えておられる。海外の同志の万歳を、そして関西創価学会の万歳をしよう!
 関西は、日本の広布の源流だ。私が築いた関西である。
 〈ここで、関西創価学会とSGIの万歳を全員で行った。
 続いて関西吹奏楽団が関西の歌「常勝の空」を演奏。終了後、熱演を讃えて、関西音楽隊の角穴隊長、同吹奏楽団の長富楽団長に「関西スピリット賞」が贈られた〉
 おめでとう! では次は?〈司会が「池田先生よりスピーチがあります」と力強く〉
 外国の方が大勢見えているのだから、英語なども交えて司会をし、歓迎の言葉を述べてもいい。
 そういう心づかいのなかに「進歩」がある。そのように智慧をめぐらせるのが、幹部の役目である。
 海外の友が心晴ばれ晴れと関西へ
2  雲一つない、秋晴れの本日、勝利と栄光に輝く「常勝関西」での本部幹部会、本当におめでとう!
 嵐を越え、怒濤を越え、すべてを勝ち抜いて、広宣流布に邁進する創価学会を、日蓮大聖人も、諸天善神も、十方の仏菩薩も、大賞讃され、無限の祝賀をされている栄光の総会である。
 世界中から、地涌の菩薩の方々が、心晴れ晴れと、広宣流布を進めゆくために、ここ常勝関西へ集まってくださった。
 学会の原動力となっている関西での本日の記念総会は、永遠に歴史に残りゆく、意義深き、喜びあふれる総会となりました。おめでとう!
 皆様方の「勇気」と「努力」と「忍耐」、そして、「信念」と「正義感」によって、つまり、妙法の偉大なる「信心」によって、創価学会は大発展した。
 なかんずく、わが「常勝大関西」は、広宣流布の歴史に残る勝利、また勝利の大偉業を成し遂げてくださった。
 私はうれしい。ありがとう! おめでとう!
3  世界60カ国・地域から、220人の「広宣流布の指導者」の方々!
 本当に、ようこそ、お越しくださいました。
 尊き皆様方を、蓮祖大聖人が、どれほど、賞讃してくださっていることか。
 大聖人は、寒いなか、険路を越えて、使いを送った女性の弟子を、こう讃えておられる。
 「道を踏み分けて来る人もいないのに、日蓮のことを思いやられてのあなたの御志は、石の中の火のように、火中の蓮のように、信じがたく尊いものです。ありがたいことです。ありがたいことです」(御書1396㌻、通解)
 遠路はるばる集われた、海外の偉大な同志に、万雷の拍手を捧げたい。
4  大福運の新法城
 ともあれ、新しい大関西の法城で、新出発の幹部会、本当におめでとう!
 草創期の旧関西本部は、音楽学校の校舎を改装した、古い古い建物であった。大勢来ると、軍艦のように揺れた。とくに、太った人が来ると、大揺れだった。
 だから私は、関西には世界一の法城をと願ってきたのである。
 関西を思う時、私の胸には、ともに戦った懐かしき功労の友の勇姿が浮かんでくる。「常勝の母」と慕われた故・矢追久子さんにも、本当にお世話になった。
 昭和31年(1956年)、大阪の戦いのさなか、大雨で旧関西本部の玄関が水浸しになった。
 私は、初代管理者の故・福生伊八さん夫妻をねぎらいながら、語った。
 「今は、こんな粗末な建物かもしれません。しかし、やがて何千、何万という人を守っていける大福運の関西城をつくります。必ず、世界中から、この関西に集まって来るようになります」
 今や、その通りに、関西は立派に成長した。世界の同志が憧れる関西となった。
 ある海外の方が言っていた。──日本に行ったら、東京もいいが、関西へ行きたい。関西へ行くと、明るい。楽しい。本当に愉快だ。幸せだ──こう言うのである。
 また、別の人いわく。その中間の中部にも行きたい、と。
 ともかく、関西は、皆、平等である。家族である。そこに大きな力がある。
 世界の関西、万歳! 大関西の人材の城、万歳! と私は叫びたい。
5  あの国この地に歴史と詩情の館
 現在、日本には1,200、世界には500の素晴らしい広宣流布の会館が、そびえ立っている。たとえば──
 イギリスの「タプロー・コート総合文化センター」は、ロンドン郊外の丘陵に立つ歴史の館。
 現在の本館は150年以上も前に築かれ、王室、チャーチル首相をはじめ、多くの名士や文化人が訪れた。
 タイの名君・チュラロンコン大王も滞在したことがある。私が3度にわたり長時間の会見を行った、プーミポン国王の祖父君である。
 きょうはイギリス、そしてタイの同志も参加されている。ご苦労さまです!
 ドイツの友も来られている。ドイツSGIの「ヴィラ・ザクセン総合文化センター」はライン河畔の世界遺産の地域に立つ。
 ユゴーが足跡を残し、ゲーテが賞讃した絶景。この由緒ある館の修復・活用に対しては、ドイツ古城協会からも深く感謝され、特別顕彰状をいただいた(2002年)。
 私がお会いした統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領も、喜んで訪問してくださった。1995年9月のことである。
 また、「イタリア文化会館」は、花の都フィレンツェに立つ、ルネサンスに縁ある館であり、永遠の都・ローマへの街道沿いにある。イタリアの皆さん、間違いないでしょうか?〈会場から「その通りです」と返事が〉
 アメリカでは、「ニューヨーク文化会館」が、120年前の歴史的建造物として、市の文化財に指定されている。
 大哲学者デューイ博士も、この場所を7回訪問し、講義している。
 「ブラジルSGI自然文化センター」は、サンパウロ州イタペビ市の花と緑の道場である。この広大な天地に、妻とともに訪れたことは、懐かしい思い出だ。
 信心の道場である素晴らしき創価の法城とともに、一生涯、世界広布の大道を歩み抜きたい。
 そして、アフリカのガーナ。首都アクラに「ガーナ会館」がある。
 これは自分たちの手づくりで築いた会館である。本当に尊い! おめでとう、おめでとう!
 インドの「創価菩提樹園」は約20万坪。首都ニューデリーから、車で約1時間の場所にある。
 クジャクたちが遊び、色とりどりの花がたくさん咲く。3,000本の立派な菩提樹が生い茂る、素晴らしい園林である。
 ともあれ、学会の、平和と文化と教育の大城は、全国に全世界に、盤石となった。世界広宣流布の基盤は、完壁に築かれたことを、ここに、ご報告申し上げたい。
 きょうは、海外の草創からの同志も来ておられる。ますます生き生きと、皆を大きく包みながら、「世界一」の使命と誇りを胸に、前へ、前へと進んでいただきたい。
6  人間革命の哲理を世界が希求!
 私の小説『人間革命』の原稿は、学会本部に永久保管されている。
 その原稿の“綴り”の第4巻の扉に、私は、ここ関西の地で一文を書き記した。
 「『人間革命』の此の原稿は/わが師戸田城聖先生の真実の/広布への大ロマンにして/弟子池田大作が/確かに書き留めしもの也/一切の批難と謀略の言を/信ずること勿れ/わが門下に深く留む」
 嵐のなかで迎えた昭和55年(1980年)の5月3日、私は、こう厳然と綴り、恩師に捧げたのである。
 小説『人間革命』の主題。それは──
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
 これは仏法に基づいた永遠の法則であり、鉄則である。
 この主題の言葉は、アメリカの箴言集にも、人類史に輝く「珠玉の名言」として掲載された。〈アメリカの著名な出版社であるクロニクルブックス社の箴言集『珠玉の叡智1001の名言』に、日蓮大聖人、釈尊の言葉とともに収録。他に、ソクラテス、プラトン、ゲーテ、トルストイ、ガンジー等の英知の箴言が掲載されている〉
 今、この宿命転換の大哲理を、世界が求める時代となったのである。
 小説『人間革命』の冒頭、私は、「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と綴った。
 そして、小説『新・人間革命』の冒頭には、「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と──。
 アメリカ中部のデンバー市にある「池田桜庭園」、モンゴル東部の「池田平和記念公園」などに、この、小説『新・人間革命』の冒頭の言葉を刻んだ銘板や碑が、設置されていることも、報告しておきたい。
7  偉業を成すには
 ドイツのゲーテは、私が若き日から愛読してきた文豪である。ゲーテ全集は、常に座右の書であった。
 ゲーテは、小説『若きウェルテルの悩み』や自伝文学『詩と真実』など、不滅の傑作を残している。
 なかでも詩劇『ファウスト』の完成にかけた歳月は、じつに60年。
 やはり、偉大なものは簡単にはできない。時間をかけねばならない。
 信心も教学も、広宣流布も同じである。早く、簡単に、終わらせようなどというのは、大きな間違いである。
 時間をかけ、全魂を注いでこそ、偉業を成し遂げられるのだ。
 私も、広布のために、全同志のためにと、長年にわたって、書いて書いて書き続けてきた。
 ゲーテ全集は143巻(ワイマール版)に及ぶが、私の全集は全150巻の構想となっている。
 ゲーテは、ワイマール公国の若き大臣として、庶民のために、政治の改革にも奔走した。大学をはじめ、教育機関の発展、そして文化芸術の興隆にも力を尽くした。
 青春時代より親しんだゲーテについては思い出が尽きない。トインビー博士とも大いに語り合った。
 そして、ドイツのヴィラ・ザクセン総合文化センターが、ゲーテゆかりの地に立っていることは、先ほどご紹介した通りである。〈ゲーテは「ここから見るライン川が、一番、美しい」と謳った〉
 きょうは、わざわざ世界から同志が集ってくださった。
 こういう時は、格式ばった話をするよりも、お茶でも飲みながら楽しく語り合うように、思い出をつくり、心と心を通わせていきたい。それが本当の仏法者であるからだ。
8  広布の友ほど偉大な人はない
 大きく見れば、世界は人間主義に向かって進んでいる。精神の変革が重要であると気づき始めた。
 政治も大事であるけれども、政治は現実の課題である。
 仏法は永遠である。
 「心の世界の法則」による変革を目指すものである。.
 あくまでも、仏法の世界は永遠不変の幸福の根幹であることを忘れてはならない。
 為政者など、偉いように見える人間もいるかもしれない。しかし、仏法流布の方々の偉さは特別なのである。
 「法妙なるが故に人貴し
 私たちは、全人類に希望を贈る、最高の広宣流布の大道を進んでいる。平和と幸福の大建設へ、悠然と前進しようではないか。
9  御聖訓に、「悉達太子は人界より仏身を成ず」と仰せである。
 人間自身の中にこそ、最も尊く、最も強く、大宇宙をも包みゆく、壮大な「仏」の生命がある。この尊き生命を、万人が自分らしく光り輝かせていく──それが「人間革命」である。
 また、大聖人はこう仰せである。
 「この(日蓮大聖人の)法門が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師の説いた法門は皆、日が出たあとの星の光のようなものであり、名匠のあとに拙い者を知るようなものとなろう。
 この時には、正法時代や像法時代の寺堂の仏像や僧などの利益は、皆、消え失せて、ただこの大法だけが全世界に流布するであろうと説かれている。あなた方は、このような法門に宿縁ある人である。ゆえに頼もしく思われるがよい」(同1489㌻、通解)
 この御金言の通り、人間革命の大仏法が、いよいよ太陽のごとく、世界を、人類を照らしゆく時代に入ったことを、声を大にして宣言したい。
10  愛する関西
 ここで、戸田先生のご指導を紹介したい。
 先生のご指導は、明快である。先生の言葉を、私は何よりも大事にしてきた。妻とともに、先生が言われたことを、毎日、夜遅くまで書き残してきた。今もすべて、大切に残してある。
 それほど、私は、師匠の仰せを大切にしてきた。この魂を忘れたら、学会は無軌道になる。
 戸田先生は、ことあるごとに、東京の幹部に、厳しく命じられた。
 「関西を手本とせよ!」
 まったく、その通りである。
 そして、「関西は東京と並んで、大事な大事な広宣流布の牙城である。関西こそ、広宣流布の決戦場なのである」と言われていた。
 関西の皆さん、頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 私は関西を、最も重要視してきた。今でもそうだ。
 関西は一途である。人間性が光っている。人情味がある。愛すべき皆さんだ。
 この関西に学ばなければならない。人を下に見たり、冷酷であってはならない。
 関西に学べば、学会は、もっと力を発揮することができる。
 リーダーは、立場が上になるほど、皆を大事にしていただきたい。
 上のほうで威張るのではなく、皆の“部下”になって尽くすのだ。その人が本当に偉い人である。
 広布へ進む同志の皆さんを、心から、ほめ讃えることである。
11  師匠のため 同志のため
 昭和30年10月、第1回の大阪・堺支部の総会で、戸田先生は語られた。
 「百年の大計、いな、何千年の平和の大計をたて、もって、日蓮大聖人様の御恩に報ずるとともに、民衆万年の幸福を確立することが、創価学会の使命である」
 リーダーはとくに、この言葉を、深くかみしめていただきたい。
 このご指導の通りに、私はやってきた。
 ゆえに戸田先生は、私に対して、大変な信頼を寄せてくださった。
 先生は、私を離さなかった。急遽、「大作を呼べ!」と言われることも、数知れずあった。
 私は、夜中であろうと、すぐさま先生のもとに馳せ参じた。弟子として、徹底してお仕えした。
 同じ昭和30年の秋、戸田先生は私に言われた。
 「大作、関西に行ってくれ!
 関西がどうなるかで、広宣流布の50年先、100年先の学会が決まってしまうからだ。
 絶対に負けられぬ戦いだ。関西に広布の一大拠点を作ってくれ給え!
 断じて、戸田自身のためにも、勝ってくれ!」
 「大阪の戦い」の前年であった。
 私は、戸田先生のため、同志のために戦った。そして、見事に勝利した。皆様とともに、だれもなしえなかった大偉業を達成することができたのである。
12  全力を挙げて!
 戸田先生はご指導された。
 「青年には意気がある。青年を育成せよ」
 今再び、青年を育成したい。
 全力を挙げて青年部を信頼する。全力を挙げて青年部を尊敬し、青年部を先頭に立てて、前進する。そういう時代である。
 かりにも、青年を下に見たり、利用したりすることが、あってはならない。とんでもないことだ。
 戸田先生は、青年の私を、一番弟子として、それはそれは、大事に育ててくださった。亡くなられる間際まで、薫陶してくださった。
 その先生に、私は命を捧げておお仕えした。
 先生の事業が失敗した時には、夜学を断念して働き、負債を返済するために奔走した。
 戸田先生は私に、「君には恩がある」と、何度も言ってくださった。そして、学問を教えるため、特別に個人教授をしてくださった。
 その私が、今、世界中から知性の宝冠を拝受するまでになった。これが、師弟である。〈池田SGI会長にはこれまで、世界の大学・学術機関から、224の名誉博士号・名誉教授称号等が贈られている〉
 戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布は、一生の戦いである。いな、永遠の戦いである。
 たとえ苦難の嵐があっても、断じて負けるな!
 嵐の中に、剣を高く掲げながら、時の到来とともに、戦いの雄叫びを上げて進むのだ」
 嵐を突き抜けて、私は戦い抜いてきた。仕事においても、折伏の戦いにおいても、すべて勝利の結果を出してきた。
 ある時、戸田先生は、私の病弱な体を心配し、涙を流しながら言われた。
 「あまりに大作を働かせすぎてしまった。これでは大作は、30まで生きられない」
 そして、「できるなら、私の命とひきかえに、少しでも長生きしてもらいたい」とまで言ってくださった。
 私にとって、不二の師匠である。
 この戸田先生の弟子として、私は、学会を守りに守ってきた。そして、ここまで大発展させてきた。
 真実の学会精神を継承してきたのは、牧口先生、戸田先生、そして私である。
13  命がけの闘争
 創立77周年の今月、小説『新・人間革命』の第17巻が発刊される。
 各界から大きな反響をいただき、感謝にたえない。
 未来のために、私は命がけで書いている。詩を書き、手紙を書き、メッセージを贈っている。この心を知っていただきたい。
 『人間革命』全12巻と、『新・人間革命』の、これまで発刊された部数は、文庫本などを含めて、4,650万部に及ぶ。
 海外でも、世界の11カ国の言語に翻訳され、外国語版は200万部を超える。
 2003年には、インドの「調和を目指す作家フォーラム」が、『人間革命』に対して「20世紀を代表する名著賞」を贈ってくださった。
 この折の証書には、次のように記されている。
 「小説『人間革命』は、日蓮大聖人の精神を受け継ぎ、使命に目覚めた、ひたむきな民衆が、あらゆる艱難と迫害を乗り越えて、世界広宣流布を目指して繰り広げる雄々しき労苦の物語を鮮やかに描き出した。優れた文学作品であり、時代を超える一書であります」
 これは、日々、「人間革命の劇」を演じる皆様方に贈られた讃辞である。
14  アメリカの宗教学者 婦人部の溌溂とした姿が世界の女性に力を与える
 先日、アメリカの著名な宗教学者であるニコラス・ガイヤ博士が、創価学会への評価の声を寄せてくださった。
 博士は、私の著作(『私の仏教観』)を30年にわたって大学の授業で使ってこられた。
 「私は、創価学会婦人部の溌刺とした姿を見て、婦人部の皆さんが、池田博士の激励によって、自らの可能性を開発されているのだと知りました。
 日本の歴史のなかで、婦人の地位は、常に従属的なもので、その状態は現代においても続いているように思われます。しかし、学会婦人部の皆さんの姿を見て、創価学会は、日本の婦人を救済しているのだ、と知りました。いな、世界の婦人に対して力を与えているのだと実感したのです」
 温かな視点に感謝したい。これからの時代は、ますます「女性の力」が発揮されなくてはいけない。
15  昭和54年4月「関西」の怒り
 私が第三代会長に就任した時、全国の学会員の皆様から、お祝いの声が届けられた。
 そのなかで、関西からいただいた声が、最も多かった。
 また昭和54年(1979年)、私が会長の辞任を余儀なくされたときに、最も強い怒りの声をあげてくれたのも、関西の同志であった。
 あの折、会員の皆様からいただいたお手紙やご報告を、私は丁寧に保管している。
 “あの方は、今、どうしておられるだろう”“あの方は、元気でおられるだろうか”と心に浮かぶ。
 今も近況を教えていただくことが多い。
 昭和54年4月24日、会長辞任のその夜。守口門真文化会館で、大阪の緊急本部長会が開催された。
 この夜、西口総関西長(当時、関西長)は、かつて、理事長を辞任された戸田先生に、私が贈った一首の和歌を、皆の前で朗読した。
  古の
    奇しき縁に
      仕えしを
    人は変れど
      われは変らじ
 そして、西口君は叫んだ。
 「たとえ池田先生が会長職を辞めても、関西の私たちの師匠は永遠に池田先生です!」
 会場では「そうだ!」と友が拳を突き上げ、怒りと誓いの拍手が沸き起こったのである。
 関西の友の心は、あまりにも健気である。広宣流布のためには、関西を完壁に仕上げることだ──私は、こう思い、若き日から関西に力を入れてきたのである。
 これまで数多くの広布の戦いをしてきたが、関西が一番強かった。
 〈ここで、昭和35年の第三代会長就任と、昭和54年の辞任について、関西の同志から寄せられた声が紹介された。
 【会長就任に寄せられた声】
 「(池田先生に)一番お世話になり、一番苦しい、一番楽しい戦いを池田先生の指揮のもとにやってきた関西のわれわれである。その池田先生が第三代の創価学会会長に就任されたことは一同心待ちにしていたことであります」「そのしらせを耳にした関西の同志の皆さんがどれほど喜び、いかほど祝福したか」(白木義一郎理事)
 「『大阪の戦い』で、ともに戦ってくださった先生。勝つことの喜びを教えてくれた先生。『私たちの先生』が会長になる。先生の晴れ姿にうれしくて涙が止まりませんでした。『先生の顔に泥を塗るようなことはできない。断じて勝利しよう』と固く決意し、東京から帰ってきました」(京都・舞鶴市の婦人部)
 「池田先生の若獅子のごとき気迫。場内に響きわたった声が、今も鮮明に耳朶に残っています」(大阪・淀川区の婦人部)
 【会長辞任に寄せられた声】
 「当時、音楽隊だった私は、ラジオのニュースで先生の『会長辞任』を聞いた時、衝撃を受けました。その日の練習では、『音楽隊の創立者である先生は、会長を辞められても僕らの師匠や!』と、団員一同、固く誓い合ったのです」(大阪の音楽隊員)
 「当時、学生だった私は、知人から折伏を受けていました。その日の夕刻のテレビで先生の辞任を知り、知り合いの学会員の家に飛んでいきました。『何があったのか』と、不安な顔をしてブロックの方々が集っておられました。
 いつも私に親切にしてくれる草創の入信の方は、『なんで先生が辞めなあかんねん』と泣いていました。こんないい人たちに涙を流させるなんて、なんと理不尽なことかと私まで腹が立ちました。その夜、私は入信を決意しました」(大阪の学生部員)〉
16  諸君のなかから必ず学会の柱が
 きょうも、戸田先生の指導を幾つか紹介したい。
 戸田先生の指導は、たくさん残っている。牧口先生の指導は、もらさず戸田先生が残された。戸田先生の指導は、もらさず私が残した。
 師匠の精神を伝え残すことが、未来のために重要であるからだ。
 どんな組織であれ、経済的に豊かになり、社会的に認められると、“自分は大したものだ”と思い込む人間が出てくる。そうなったら、危ない。
 「形態」があっても、「組織」があっても、本当の「精神」「魂」がなければ滅びるのである。
 このことを、私は皆さんの前で言っておきたい。諸君の中から必ず、学会の「宝」が、「力」が、「柱」が生まれると信じるからだ。
 私の思いを、関西の皆さんはわかってくださると思う。
 なかんずく、信心強盛な婦人部の皆さんが大事である。婦人部がおられなければ、学会の勝利はない。婦人部を大事にし、そして女子部の方々を最大に守ることだ。女性の声に耳を傾けるのだ。
17  礼儀正しく剛毅であれ!
 戸田先生は述べておられた。
 「鉄は熱いうちに打て! 人間も若いうちに自らを鍛えねばならない」
 「本当に私の指導を身をもって受けた人間と、そうでない者とは、根本的に力が違う」
 青年時代の訓練が、どれほど大切か。今の私があるのも、ひとえに戸田先生の厳しい薫陶のおかげである。
 また先生は言われた。
 「広宣流布とは、じつに『忍辱の鎧』を着なければ、成しえない大事業なのである」
 「組織が発展しないことは、根本となる幹部の信心の問題である。幹部に成長がないことが、その原因である」
 リーダー自身が日々、成長し、新たな息吹で進んでいるかどうか。そこに組織の発展もかかっている。幹部で決まる。
 先生は、こうも語っておられた。
 「学会のために尽くしてくれた人を、私は放っておかないよ。いな、御本尊が放っておかない」
 大事なお話だ。
 学会のため、広布のために尽くす功徳は無量である。このことを深く確信していただきたい。
 「だれに対しても、『誠実』の二字でつきあっていけ。その場かぎりの適当なごまかしや要領は、絶対にいけない」
 これも、胸に刻むべき先生の指導である。
 ごまかしや要領の人間は、最後は敗北する。
 こうした人間は信用してはならない。鋭く見破っていくことだ。自分が聡明になることである。
 また先生は「青年部は、礼儀正しく、勇ましくあれ! 冷静沈着にして、剛毅であれ!」と訴えておられた。
 この言葉を若き友に贈りたい。
 私は、この指導通りに戦ってきた。すべてにわたって、微塵も先生を裏切ることはなかった。
 それこそ、はたから見れば“バカではないか”というくらい、まじめに真剣に戦ってきた。一切を師匠に捧げてきた。
 しかし、だからこそ私は勝った。師弟とは、こういうものだ。
 親子以上の深い絆で結ばれたものなのである。
18  心晴れ晴れと!
 古今の哲人の言葉を紹介したい。古代ギリシャの歴史家ポリュビオスは述べている。
 「輝かしい名声を勝ちとった行為というのは、激しい嫉妬と容赦ない中傷を生み出す」(城江良和訳『歴史1』京都大学学術出版会)
 その通りであろう。
 ドイツの文豪ゲーテは綴った。
 「功績だけではなく誠実というものが、人を人らしくする」(池内紀訳『ファウスト 第2部』集英社文庫)
 誠実が、人間を真の勝利者にするのである。
 また、ゲーテは詩の中でこう記している。
 「足どりは喘いでも/歯を喰いしばって登るのだ!/さあ行け 休んではならぬ/希望を胸に頑張るのだ!」(山口四郎訳「くさぐさの歌」、『ゲーテ全集1』所収、潮出版社)
 毎日毎日、すべてが挑戦だ。
 自転車に乗って走る。友のもとへ向かう。バス代やタクシー代がなくなって、仕方がないから歩く。
 しかし、心は晴れ晴れと前進するのだ。
 ゲーテは綴った。
 「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』/何でもないことさ つねに大いなるものに喜びを感じることだ/偉大なものはいつも新鮮で心を暖め活気づける/ところがつまらぬ奴らは つまらぬものにかまけて凍えているのだ」(内藤道雄訳「エピグラム風に」、同)
 つまらないものにとらわれると、心が貧しくなってしまう。
 大いなる目的に生きゆく人は、いつまでも若々しい。年齢を重ねても、常に「青年」の気概で前進したい。
19  後世の人を驚嘆させる歴史を!
 また、ゲーテは詩劇の中で綴る。
 「この地上には/まだまだ偉業をなしとげる余地がたっぷりあるんだ」(山下肇訳「ファウスト 悲劇第2部」、『ゲーテ全集3』所収、潮出版社)
 本当に、その通りだ。
 さらに、「驚歎すべきことを成就することこそ私の意志さ、/思いきってやるだけのことをやる力を私は感じるのだ」(同)と。
 後世の人たちを驚嘆させるような偉大な勝利の歴史を、今度は、関西の青年部が打ち立てていくのである。
 我らには、成し遂げなければならないことが無眼にあるのだ。
 さらに、ゲーテは記している。
 「たじろぐな/立ち向かえ/果敢に打って出れば/何だってできるもの」(池内紀訳『ファウスト 第2部』集英社文庫)
 関西青年部に、この言葉を贈りたい。青年が先頭に立って、積極果敢に打って出よう!
20  これまでも何度かお話ししてきたが、かつて私と妻は、東京の大田区小林町(当時)の家に住んでいた。
 本当に、小さな、質素な自宅で、せっかく、わが家に来てくださった方が、すぅーと通り過ぎて、気がつかないということが、しばしばあったほどである。
 あの晴れわたる昭和35年(1960年)5月3日の朝──。
 この家から出発して、第三代会長就任式に向かい、一切を終えて、この家に帰った。
 その日、妻は、私に言った。
 「きょうは、池田家のお葬式です」「きょうから、わが家には、主人はいなくなったと思います」。学会のため、同志のため、思う存分、働いてください、との心であった。
21  世界へ行こう!
 また、先ほども触れたが、私は、昭和54年の4月24日、第三代会長を辞任した。
 その背後には、広宣流布に命を捧げてきた私の心など知ろうともしない、野心と嫉妬の輩による卑劣な陰謀があったことは、皆さんがご存じの通りだ。
 理不尽極まる辞任の日の夜、自宅に戻った私を、妻は、いつものように、ニコニコと微笑みながら迎えてくれた。
 そして、「これで世界中の同志の皆さんのところへ行けますね」「自由が来ましたね」「本当のあなたの仕事ができますね」と明るく励ましてくれたのである。
 続く5月3日、実質的に会長辞任の総会となった八王子での本部総会を終えて、私は、学会本部には戻らずに、神奈川へ向かった。
 神奈川文化会館から見た海は、青く、また清く、どこまでも広がっていた。
 この海は世界につながっている。私は世界へ行こう! ちっぽけな日本に未練はない。戸田先生の不二の弟子として、全世界に広宣流布の波動を広げていくのだ!──それが当時の私の強き決心であった。
 そして今、SGIの平和と人道の連帯は、世界190カ国・地域に広がった。
 著名な世界の指導者や識者の皆さんも、SGIの民衆運動に限りない期待と賞賛を寄せてくださっている。
 SGIの勝利こそ、私の祈りであり、私の勝利である。
 皆さん、ありがとう! 私は本当にうれしい!
22  天が見ている! わが道を堂々と
 私が19歳から信条としてきた言葉を紹介したい。
 それは、幕末の思想家・佐久間象山の一詩である。
 「謗る者は汝の謗るに任せ! 嗤う者は汝の嗤うに任す/天公 もと我を知る/他人の知るをもとめず」
 ──謗る者は、勝手に謗るがよい。笑う者は、勝手に笑うがよい。天は私のことを知ってくれている。他人から認められようなどとは、いささかも思っていない──
 天が、太陽が、我らを見ているのだ。ゆえに、だれに何と謗られようとも、自らに恥じることがないかぎり、堂々とわが道を行け。今いる場所で断じて勝つのだ──この決心である。
23  幸福の大道とは
 大聖人は仰せである。
 「只南無妙法蓮華経と唱へたてまつる」、「只是れ妙法蓮華経の五字なり」、「唯南無妙法蓮華経なり」と。
 題目こそ、信仰の根本である。題目をあげる以外に、幸福の大道はないのである。
 大聖人は、こうも仰せになっておられる。
 「およそ信心というのは、特別にこれといって難しいものではないのです。
 妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のために命を捨てるように、親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(御書1255㌻、趣意)と。
 自分にとって、一番大事な人──子どもと言う人もいれば、恋人と言う人もいるだろうが──その大切な人を思うように、御本尊に向かえばいい。
 何も特別なことではないのである。
 戸田先生は、御本尊に向かう心を、大聖人に恋愛するような気持ちだよと、よくおっしゃっていた。それでいいのである。
 法華経寿量品には「心懐恋慕、渇仰於仏」──心に恋慕を懐き、仏を渇仰して──と説かれている。
 一生懸命に、純粋に唱えた人は、すべて勝っている。すべて祈りが達成されている。
 青年部の皆さんは、信仰という本当の崇高な魂の世界を知っていただきたい。
 軽薄な世間の風潮に流されて、だまされたり、利用されて、不幸になることだけは絶対にあってはならない。
 文豪トルストイが、愛娘のアレクサンドラに贈った言葉にこうある。
 「自分を磨くことは、人生のどんな目的より、はるかに重要です。そのような人生は、決して退屈であるはずがなく、逆に喜びに満ちているのです」
 信心こそ、学会活動こそ、自身を最高に磨き抜いていく道である。絶対に幸福になっていく道なのである。
24  最後は必ず勝つ
 ともあれ、関西の大発展と創価学会の大勝利のために、不滅の人材城を、我々の力で築いてまいりたい。
 仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、一喜一憂する必要はまったくない。
 最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
 この大確信で進んでいこう! 胸を張って!
 最後に皆で、お題目を100遍、唱えたい。〈SGI会長を導師に全員で唱題する〉
 皆さん方ご一家が、永遠に幸福であるように祈らせていただきました。
 海外の皆様、本当にご苦労さまでした。
 日本の皆さんは、海外の同志を最大に大切にしてあげてください。よろしくお願いします。
 以上で、私のスピーチを終了します。
 お体に気をつけて! 長時間、ありがとう!

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