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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第11回本部幹部会  

2007.10.12 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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1  遠いところ、ご苦労さま! 自由に、ゆったりとして聞いていただきたい。
 皆様方のためにスピーチを残すことは、私にとって、重大な責任であり、義務である。ゆえに、きょうも、少々話をさせていただきたい。
 〈冒頭、山梨の光の城合唱団、太陽合唱団と長野混声合唱団が「霧の川中島」「武田節」を、また音楽隊・しなの合唱団が関西創価学園の新寮歌「我らの城」を熱唱した〉
2  世界広布の時代
 海外の15の国や地域から来られた方々、遠いところ、本当にご苦労さまです!
 とくに、研修会に参加されたアメリカの皆様、ブラジルの皆様、台湾の皆様、フィリピンの皆様、インドネシアの皆様、韓国の皆様。
 ご苦労さまです。ありがとう!
 皆様方のお力によって、今、世界の広宣流布の新時代は、一日一日と、目覚ましく前進している。
 こんなに勢いよく発展している教団は、ほかにあるだろうか。大変なことである。
 世界でも、数限りない人々が、創価学会のことを知り、共感を寄せている。
 各国の指導者も、多くの人々がSGI(創価学会インタナショナル)に理解を示してくださっている。そして、大きな波動が、年を経るごとに、世界中に広がっている。
 この10月14日、アメリカのロスでは、5,000人の青年が集って、西部方面の青年文化祭が、盛大に開催される。おめでとう!
 ブラジルでは先月、全国の258の会場で、15,000人のメンバーが教学試験に挑戦した。ご苦労さま!
 フィリピンは、カバワタン新理事長のもと、25,000人の友が集い、新しい広布の前進の総会を、各地で開催された。
 世界の注目の的である。おめでとう、ご苦労さま、と申し上げたい。
 また、台湾は、世界をリードする地域貢献の模範の前進が、社会に大きく賞讃されている。
 年末には、有意義な地区友好総会も予定されている。
 本当によく頑張っておられる。ありがとう!
3  偉大な同志に栄光あれ!
 先ほどは、インドネシアのペーター・ヌルハン議長がスピーチしてくださった。私も、本当に感銘を受けた。
 友好文化祭、各地での支部総会の大成功も、心からお祈りしたい。
 インドネシアは、見事に勝ちました!
 韓国では、明年の春、首都ソウルに、いよいよ待望の「幸福幼稚園」が開園する予定である。いい名前だ。
 きょうは幸福幼稚園のぺク園長をはじめ、先生方がご出席されている。ありがとう。おめでとう!
 ヨーロッパのスコットランドからは、お便りをいただいた。
 この10月21日、友人の方も参加し、文化祭がにぎやかに開催されるとうかがった。
 世界広宣流布の偉大な同志に、栄光あれ! 万歳! と叫び、祝福申し上げたい。
4  きょうは、世界第一の芸術の大王者である、ウェイン・ショーターさんと、ハービー・ハンコックさんが、お忙しいなか、駆けつけてくださった。
 二人は、ジャズの大英雄。世界の芸術の大英雄である。
 アメリカ音楽界の最高の栄誉である「グラミー賞」を、それぞれ9度と10度、受賞されている。
 この文化の宝のお二人は、見事な作品を生み出しながら、地区幹事、地区部長として、学会の組織を厳然と守り、同志を守ってくださっている。
 大変に忙しく、頻繁に世界中を飛び回っておられるが、地区の皆さんからも、ずっと地元にいてもらいたいと慕われている。それくらい、最前線の同志とともに戦い続けてこられた。
 模範である。本当に偉大である。
 ショーターさんのご自宅は、個人会場である。座談会などに集われる同志を、いつもいつも、ご夫妻で温かく迎えてくださっている。
 うれしい。サンキュー!
 ハンコック地区部長の地区は、全米第一の王者の地区である。ハンコックさんが、朝の勤行会にも、折伏にも、先頭に立って、アメリカの広宣流布をリードしてくださっている。要領などは微塵もない。真剣に戦っておられる。
 ともかく、お二人と再会できて、本当にうれしい。ますますのご活躍を、心から祈りたい。
5  仏法は勝負
 先ほどは、「霧の川中島」と「武田節」の合唱が素晴らしかった。
 信越と山梨の同志の皆さん、どうか、武田信玄や上杉謙信のように勇ましく、最高の広布の戦をしていただきたい。
 歴史に輝く先人をもつ皆様である。誇りをかけて打って出た英雄たちのように、堂々たる戦いを展開していただきたい。〈力強く「ハイ!」と返事が〉
 仏法は勝負である。今も昔も、すべて勝負だ。生活も勝負である。
 幸福になるか、不幸になるか。勝つか、負けるか、である。
6  末法において正法を弘める戦いは、有名な項羽こうう劉邦りゅうほう(=沛公はいこう)の戦いにも勝ると日蓮大聖人は仰せである(御書218㌻)。
 また御聖訓にいわく。
 「この20年あまりの間、ひととき、片時も心の安らかだったことはない。
 源頼朝が平家と戦った7年間でも、そのなかには暇はあったであろう」(同1514㌻、通解)
 どんなに激しい合戦も、合間に、しばし休息をとることはあった。
 だが、大聖人の広宣流布の大闘争には、一日、片時たりとも、心安らぐ時はなかった。熾烈な戦いの連続であった。
 大聖人は、仏法の平和の大哲学で、全人類を救わんとする、壮大なスケールの闘争を続けられた。これこそ、世界の広宣流布をしゆく、大聖人の「戦う息吹」である。
 この戦う魂を、牧口先生、戸田先生、そして私が、そのまま受け継いできた。大聖人の息吹で戦ってきたゆえに、学会はここまで世界的に発展したのである。
7  弟子の確信
 学会は、三代会長の時代までにおいて、一切の完壁な基盤ができ上がった。
 三代の師弟は、大聖人直結の真の広宣流布の血脈を継承してきた。この偉大なる魂があるからこそ、何があっても、学会は微動だにしないのである。
 本当に大聖人に直結し、広宣流布を進めてきた指導者は、牧口先生、戸田先生、私の三代の会長である。
 三代の会長は皆、牢に入り、命がけで戦ってきた。大聖人が仰せになられた三類の強敵、三障四魔と、敢然と戦ってきた。これが、法華経の行者の魂である。
 未来のために申し上げたい。皆様も、この創価の師弟を中心にして生き抜いてもらいたい。〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 私は、ただ戸田先生を中心に戦ってきた。
 戸田先生の時代、私より年上の大幹部はたくさんいた。
 彼らのなかには、戸田先生を軽んじる人間もいた。先生が苦境に陥るや、誹謗する者さえいた。
 しかし、私は、そうした連中に、はっきりと断言した。
 戸田先生こそが、牧口先生の真実の弟子であり、大聖人直結の大指導者であると。
 だれが何と言おうとも、戸田先生を不二の師匠として進んでいくべきではないかと。
 学会の世界、仏法の世界は、厳粛なる師弟の世界である。
 私は、戸田先生のお心、牧口先生のお心を、厳然と残してきた。師弟の道こそ根本である。
 本年は学会創立77周年。創価の三代の77年の戦いは、「師弟不二」であるがゆえに、「異体同心」であるがゆえに、勝ってきたのである。
 これからも、学会は勝たねばならない。そうでなければ、人類の平和な未来はないからである。
 戦う「名誉」ど「栄光」と「福運」は、無上の永遠なる価値である。
 どうか一緒に、広宣流布のために頑張っていただきたい。頼みます!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 今後、各地に立派な会館をつくる予定である。新しき、そして一段と素晴らしき学会をつくっていく。
 今この時に集った皆さんは、とくに青年部の諸君は、後継者として、頑張ってほしい。一年、また一年と新たな、絢爛たる創価学会の城をつくっていくつもりである。「未来を、よろしく頼む」と申し上げたい。
8  私は青年を待つ
 「捨つる命は惜しまねど旗持つ若人何処にか」。
 これは、戸田先生が獄中で作詞された、「同志の歌」の一節である。
 戦争中の法難の際、牧口先生を“大人”たちは裏切った。
 大人は、ずるい。その心は、利害であり、世間体だった。自己中心であり、保身だった。
 一方、青年は「信ずる」心が強い。そして「まっしぐら」である。
 ゆえに、戦後ただ一人、広宣流布に立ち上がられた戸田先生は、「青年だ」「青年を待っているのだ」と、口癖のようにおっしゃっていた。
9  「慈愛」で育てよ
 60年前、昭和22年(1947年)の8月14日。私は、戸田先生と初めてお会いした。
 当時、戸田先生は47歳。私は19歳であった。
 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。以来、10年以上にわたって、先生のもとで厳しく訓練していただいた。
 先生は、ご自身より28歳も若い私に、広宣流布の命運をかけてくださった。未来の一切を託されたのである。
 戸田先生は、創価の青年群の中心に、私を据えられた。縦横に青年の力を発揮させた。だから、学会は大発展してきた。
 次のリーダーをどうするか。だれを選ぶか。これに失敗したら大変だ。皆が苦しむことになる。
 後継者を選び、育てていく──これが指導者の重要な役割だ。
 ともあれ、この戸田先生と私の「師弟」が起点となって、地涌の陣列が大きく拡大していった。
 その大発展の力こそ、「青年が大事だ」「青年を大切にしよう」との戸田先生の一念であった。
 先輩の幹部は、青年を叱り飛ばしたり、アゴで使うようなことがあってはならない。
 もちろん、青年には訓練が必要である。
 しかし、何よりも、“学会のため、地域のため、日本の平和、世界の平和のために働いてもらいたい。大きく伸びてもらいたい”──そういう祈りをもって青年を育てていくことだ。慈愛の心で、温かく励ましていくことだ。きょうは、このことを改めて決議したいと思うが、どうだろうか(賛同の大拍手)。
 また、たとえ年配であっても、大事なことは、「心」が若々しいかどうかである。
 牧口先生は70歳を超えても「我々、青年は」と言われた。信心をしている私の魂は、永遠に青年だ、との心意気である。
 全員が「青年の心」で進んでまいりたい。
10  熾烈なる日々
 青年は純粋だ。青年を伸ばしてこそ、永遠の創価学会は築かれる。
 戸田先生、そして牧口先生も青年を大切にされた。私も、その決意でやってきた。
 利害と打算、保身の人間は、信用できない。
 社会的地位でもない。役職でもない。大切なのは「師弟の精神」があるかどうかだ。
 私は戸田先生のために命をかけて戦った。だれよりも働き、学会の基盤をつくった。私ほど、先生のために戦った弟子はいない。
 夜遅く、先生に「今すぐ来なさい」と呼ばれ、駆けつけたこともしばしばあった。当時のことは、私の妻が一番よく知っている。
 学会が、本当に平和のために立ち上がれるか。広宣流布の学会を築くことができるか。それは、熾烈な日々であった。
 また私は、先生を侮辱し、傷つける悪辣な人間は絶対に許さなかった。
 師匠のために、本気になって戦う。言論の力で断固として打ち破っていく。そういう気迫がなければならない。
 師匠を守れない。敵と戦えない。そうした情けない弟子であってはならない。
 「師のための戦い」の苦労をまったく味わわない者が最高幹部になれば、皆が不幸になってしまう。
 学会は、青年を起用し、青年の活力で前進していく。その上で、青年部の皆さんは、壮年部・婦人部の先輩方の心をよく知り、実践していただきたい。
 勝手気ままになったり、いい気になるようなことがあってはならない。それでは、親を大切にしないで、自分だけ自由奔放に生きるようなものだ。
 いよいよ、これからが大事である。
11  世界が舞台だ
 戸田先生の後を継いで、私が第三代会長に就任したのは32歳の時。これほど若い会長が誕生するとは、世間の人は考えもしなかったと思う。
 会長の就任式を終えて、家に帰ると妻が言った。
 「きょうから、わが家には主人はいなくなったと思っています。きょうは池田家のお葬式です」
 仏法のため、学会のために、あなたは思う存分に戦ってください──その決意を、妻は、きっぱりと語ったのである。
 昭和54年4月、私が会長を辞任した時にも、妻は、いつもと変わらぬ笑顔であった。
 「ああ、そうですか……。ご苦労様でした。健康でよかったですね」と語っていた。
 私自身は、微塵も動じなかった。かわいそうなのは、健気な学会員である。
 会長辞任直後の5月3日、創価大学で行われた本部総会の空気を、私は忘れることができない。
 あの時、極悪の反逆者が宗門の坊主らと結託し、陰謀をめぐらした。
 私が会長では邪魔である。悪事を働くことができない。だから、会長を辞めさせてしまえ──。
 本当に増上慢と嫉妬ほど恐ろしいものはない。害毒中の害毒である。
 会長を辞めた私には、本部に指揮を執るための席はなかった。
 5月3日の総会を終えた私は、妻とともに神奈川へ向かった。神奈川には、世界に開かれた海がある。
 これからは世界だ。小さな日本など見おろして世界を舞台に戦うのだ。そういう思いであった。
 ともあれ、どんな状況にあっても、私は大局観に立って、あらゆる手を打ち、行動してきた。
 私は健在であり、厳然と未来を開いた。常に先頭に立ち、広布に生きる方々とともに、学会員の尊い心をだれよりも守り、稀有の広宣流布の組織をつくってきたつもりである。
 今、これだけの力ある民衆の団結は、学会以外にない。
 最高幹部が、悪人と戦う厳しさを失ったり、広宣流布と関係ない事柄でいい気になったり、苦労をしなくなる。そのようなことは、断じてあってはならない。愚かであってはならない。
 同志が一番喜び、威光勢力を増すように、智慧を尽くして、新しい学会をつくっていこう!
12  新しい力で前進
 わが学会は今、原田会長、正木理事長が誕生し、新しい力で、新しい前進を開始している。
 改めて、二人の足跡を紹介しておきたい。
 原田会長は、昭和16年(1941年)11月生まれの65歳。東京の下町・浅草橋に生まれ、板橋区に育つ。家は縫製(帯作り)の仕事をしていた。
 母に続いて、小学6年生の時に入会した。
 私が初めて出会ったのは、昭和36年の9月。原田会長が19歳の時である。
 戸田先生も19歳で、牧口先生にお会いした。
 私も19歳で、戸田先生にお会いした。
 彼は東京大学で学生部の一員となり、私の「御義口伝講義」に第1期生として勇んで参加し、真剣に研鑚を重ねた。
 卒業後、昭和39年に聖教新聞社に入社。昭和40年、元日号から連載が始まった小説『人間革命』を、第1回から第3巻まで担当した。
 私の直筆原稿を未来に残すため、彼は、一枚一枚、別の原稿用紙に書き写し、それを工場に回していた。
 私は、すべて知っていた。こうした陰の功労があって、今、会長として指揮を執っているのである。
13  原田会長は、言論問題の嵐が吹き荒れるなか、学会本部の要の庶務室長として、私のもとで、勇敢に戦った。
 私の海外指導にも、身に影の添うがごとく、いつも随行してきた。私の行動の軌跡を、一番よく知っている。
 大歴史家のトインビー博士や、中国の周恩来総理との会見の旅にも同行した。
 重大な歴史の証言者であり、証明者の一人である。
 私は、戸田先生のごとく、「三国志」の諸葛孔明のごとく、先を見据えて手を打ってきた。そうやって薫陶してきたのが原田会長である。
 実質的な学会本部の最高責任者である事務総長の職を22年間、務めた。
 名実ともに、「本陣の将の将」として、今日の盤石な土台を作り上げてきたのが彼なのである。
14  正木理事長は、昭和29年(1954年)4月生まれの53歳。大阪・平野区の出身である。昭和36年、7歳の時、両親とともに入会。常勝関西の息吹のなかで、学会精神を学んだ。
 両親が苦しい家計を工面して、「池田先生のもと、広宣流布の役に立つ人材に」と東京に送り出してくれ、創価高校に3期生として入学した。偉大なお父さん、お母さんである。
 創価大学では、学生自治会の委員長として、大学の建設に奔走した。
 卒業後、本部職員となって2年後、高等部長に就任。昭和54年、私が第三代会長を勇退した嵐のなかで、師弟の道を求め抜き、私に直結した未来部を構築した。
 青年部では、創価班委員長、男子部長、青年部長を歴任。第2次宗門事件の際には、日顕宗を断罪する破邪顕正の言論戦の先陣に立った。
 そして、総東京長、壮年部長等を経て、理事長に就任。
 大事な人材であるゆえに、私から、紹介をさせていただいた。
15  大文豪の名を冠した大学の栄誉
 このほど、ロシアの大文豪トルストイの名前を冠した「L・N・トルストイ記念トゥーラ国立教育大学」から、「名誉教授」称号の授与決定の通知書が届けられた。
 トルストイの作品は、青春時代から、読んで、読んで、読み抜いた。とりわけ『戦争と平和』は思い出深い。
 トルストイの故郷・トゥーラ州に立つ同大学の校歌には、「偉大なトルストイの名を大切に守らん」と謳われているとうかがった。
 トルストイは述べている。
 「生命の法則の理解が深まれば深まるほど、人生は豊かになり、誤って理解してしまうと、人生は悪くなる」
 生命の法則を説き明かしたのが仏法である。
 正しい「行学の二道」──これが、人生を限りなく豊かにするのだ。
 トルストイは、こうも言う。
 「愚鈍は──ただ、うぬぼれから」(中村融訳『トルストイ全集18』河出書房新社)
 慢心の人間は、愚鈍になる。最後は必ず滅びる。
 トルストイは叫んだ。
 「人間の悪は人間によって根絶さるべきものであり、その点にのみ人々の使命があり、人生の意義があるのです」(中村白葉・中村融訳『同金集19』)
 破折の精神、破邪顕正の言論は、人間として、最も正しい道である。
 トルストイは、少年時代の思い出を、こう振り返っている。
 「賞賛というものは、人の感情ばかりでなく、知性の上にも非常に力つよく働きかける」(中村白葉訳『同全集1』)
 人材は、上手にほめて伸ばしていくことだ。怒るばかり、注意するばかりでなく、励ましてあげる。それが人を育てる根幹である。
16  民衆がすべて
 民衆がいかに偉大か。世界の知性の声に耳を傾けたい。
 「民衆はわたしには神聖である」とは、スイスの大教育者ペスタロッチの言葉である(是常正美訳「時代──わが時代に訴う──」、『ペスタロッチー全集第8巻』所収、平凡社)。
 民衆こそ尊い。学会員こそ最も尊貴な存在なのである。
 きょうはブラジルの同志も見えられている。SGIに深い理解を寄せておられた、ブラジルの文豪アマードは謳った。
 「英雄は詩人のように、民衆の先頭を行く。詩人と英雄は民衆の一員だが、彼らに個性、品格、生命を与える」(神代修訳『希望の騎士 革命児プレステス』弘文堂新社)
 フランスの文豪ロマン・ロランは、戯曲の中で綴っている。
 「崇高な民衆! お前の中に生れたものは幸福だ! お前の幸福のために死にうるものはいっそう幸福だ!」(宮本正清訳「ロベスピエール」、『ロマン・ロラン全集11』所収、みすず書房)
 同志のために、尽くして、尽くし抜いて、死んでいく。これが、一番幸福な生き方である。
 「われわれはいっしょに、すべての民衆の神聖な協力を作りあげるだろう。われわれが擁護するのは、彼らの幸福であり、彼らの権利なのだ」(同)
 これも、戯曲の中の言葉である。
 権力者は民衆を下に見る。しかし我らは、民衆をどんどん結びつけ、その幸福と権利を守る。それが広宣流布であるからだ。
 ロシァの文豪ドストエフスキーも言っている。「毅然としていて力強いのは民衆だけです」(小沼文彦訳『ドストエフスキー全集第17巻』筑摩書房)
 「民衆、これがすべてである」(米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集20』河出書房新社)
 民衆こそ一番正しい。民衆こそ偉大である。民衆の力に勝るものはない。
 「民衆にたいして謙虚にならなければならぬという思想、これにはわれわれも文句なしに賛成である。この思想には、くり返していうが、多くの光明が含まれている」(同)
 このドストエフスキーの信念を、多くの指導者に伝えたい。
17  正義の人は誹謗される
 賢人との語らいほど価値あるものはない。
 中国の国学大師の饒宗頤じょう・そうい先生が、私との対談のなかで、好きな詩人として挙げておられたのが韓愈かん・ゆであった。
 大詩人・韓愈は言う。
 「万事よく修めている、あるいは行ないが立派に修まると、そしりの声がおこり、徳が高くなると、中傷、悪口が流れる」(諸橋轍次『中国古典名言事典』講談社)
 正義の人、偉大な人は必ず誹謗される。悪い人間、要領の人間は悪口を言われない。
 インドの最高裁判所元判事のモハン博士との出会いも、懐かしい。
 博士は述べている。
 「宗教の宗教たるゆえんは道徳性にあります。政治が道徳性を失えば、鼻持ちならないものになってしまいます」
 人間性あふれる社会をつくるために、正しき宗教が必要なのである。
18  真の幸福とは?
 ここで御聖訓を拝したい。
 大聖人は、「喜びの時でも、『今世の喜びは、夢の中の夢のように、はかないものである。(三世永遠の成仏という)霊山浄土の喜びこそ、まことの喜びである』と思い合わせて、また南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して」(御書1386㌻、通解)いきなさい、と仰せである。
 人生の真実の喜び、幸福とは何か?──ここに信仰の結論がある。
 たとえ、いくらお金があっても、幸福とは限らない。社会的に偉くなっても、必ずしも幸福ではない。幸福そうに見えるだけである。
 この仏法の実践によってのみ、わが胸中に永遠の「幸福境涯」を開いていくことができるのである。幸福とは、自分の心のなかに築くものだ。
19  さらに青年に箴言を紹介したい。
 インドの大詩人タゴールは綴った。
 「臆病者に、敗北よりほかの何が望めるものか」(山室静訳「黄金の舟」、『タゴール著作集第2巻』所収、第三文明社)と。
 その通りである。
 また明治の詩人・国木田独歩の言葉に──「薄弱は悲惨の極なり。剛毅の徳は人間の第一なり」(『欺かざるの記』潮文庫)とある。
 強く生きるのだ! 強く! たとえ信仰をもったとしても、臆病であったり、ためらったり、尻込みをしていれば、自分を変えられるはずはない。
 さらに、イギリスの劇作家シェークスピアは戯曲「ヘンリー6世」に綴った。
 「邪悪な人間は、なんという悪事を働くことか。そうすることによって、彼らは、自らの頭上に不幸を積み上げているのだ」
 よくよく思索していただきたい言葉である。
20  ここで一つ、海外から届いたニュースを紹介させていただきたい。
 この10月5日、インドのチェンナイで国際的な詩のシンポジウムが開催され、その席上、私は、光栄にも、世界詩歌協会から「世界民衆詩人」の称号をお受けした。
 このシンポジウムには著名な詩人をはじめ、700人が参加されたとうかがっている。まずは、世界の同志の皆様方に、謹んでご報告させていただきたい。
 〈これまで、名誉会長には、1981年に世界芸術文化アカデミーから日本人初の「桂冠詩人」の称号が贈られ、1995年に世界詩歌協会から第1号の「世界桂冠詩人」賞が授与されている。
 今回の栄誉により、名誉会長は、「桂冠詩人」称号、「世界桂冠詩人」賞、「世界民衆詩人」称号の3つを受けたことになる。
 また、5日の授章式に際し、世界詩歌協会のパドマナーバン副会長は、名誉会長への深き尊敬の思いを、こう述べている。
 「歴史を読む人は数多くいますが、歴史を創る人は稀有です。そのなかで、池田博士は、歴史を創っておられる偉大な方です。博士は平和の使者として、静かに、しかし着実に、一人で大きな偉業を成し遂げてこられました。現代の混沌とした世界のなかで、聖人といえるのは、池田博士ただお一人です。その池田博士のリーダーシップのもと、善の団結を絶え間なく拡大されているSGIの民衆運動は、本当に素晴らしいと感嘆しています」
 さらにインドの高名な哲学者であるラダクリシュナン博士は、こう語っている。
 「池田博士は、仏教の精神に基づき、宗教の壁を超えて、さらに広く大きなヒューマニズムの中に、世界の人々を結びつけておられます。きっと将来の歴史家は、池田博士が推進されている偉業を、『人類の生存のために極めて重要な、傑出したものであった』と記すことでしょう。池田博士とともに、この闘争を戦うことは、博士が卓越したリーダーシップで展開される『歴史を創造する偉業』に参加することなのです」〉
21  自我偈の文
 先日、法華経研究の母として世界的に有名なヴォロビヨヴァ=デシャトフスカヤ博士(ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部)が、東京で講演会を開催された。〈9月24日〉
 席上、博士は「法華経は、釈尊の最高の教えとして、池田氏の時代に、日本のみならず、世界中に広く流布されました」と、私どもの運動に高い評価を寄せてくださった。
 さらに席上、博士は次のように述べられた。
 「法華経の寿量品は、釈尊が自分自身への問いかけをするところで終わっています。
 『毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身』──『私(釈尊)は、常に、このことを念じている。すなわち、どのようにすれば、衆生を無上の道に入らせ、速やかに仏身を成就させることができるだろうか』──つまり、『どうすれば、民衆を成仏させることができるのか』との問いかけです」「池田氏は、ご自身の生き方そのもので、この問いに答えておられると思います」と。
 私自身のことはともかく、世界の心ある一流の識者の方々が、仏法を基調とした創価の人間主義の運動を真剣に求め、研究する時代に入っていることを知っていただきたい。
 また、法華経の寿量品といえば、中国の饒宗頤先生が、この自我偈の結びの文を、墨痕鮮やかにしたため、贈ってくださった。深き友誼のお心に改めて感謝申し上げたい。
 〈饒博士は、「池田先生の行動は、この自我偈の経文通りと思い、渾身の力を込めて、したためました」と語っている。この傑作(縦225㌢×横540㌢)は、神戸の関西国際文化センターで開催中の「長流不息──饒宗頤」展で展示されている。28日(日)まで〉
22  私利私欲の幹部を許すな
 結びに、戸田先生の遺言のご指導を青年部に捧げたい。
 「広宣流布の行動をしているように見えながら、すべて自分自身の利害のために動いている人間は、私の敵である」
 戸田先生が、このように強く叫んでおられる。ゆえに私も厳しく注意をするのである。
 自分の私利私欲のために動く幹部や、同志のおかげで偉くなったにもかかわらず、増上慢になって威張ったり、立場を利用して私腹を肥やしたりする人間が出たならば、断じて許してはならない。
 それは、仏法の敵なのである。よくよく考え、厳重に注意していくべきである。
 さらに先生は指導された。
 「世法で、また国法で、だれが一番、立派か。そんなことは問題ではない。仏法の上で、だれが一番、立派かということが大問題なのだ」
 広宣流布の最前線で戦う、わが創価の同志が、一番、立派なのである。真剣な第一線の学会員こそが、一番、偉大なのである。これが戸田先生の思想である。
 たとえ、最高幹部であっても、年をとり、第一線を離れて、要領よくなってしまえば、幹部失格である。
 どこまでも、一兵卒として、会員と一緒に戦っていかねばならない。欣喜雀躍して、学会の大方針は師弟不二であり、この道こそ一番の後悔なき道であることを、声を限りに叫び、自らの姿で示していくべきだ。
 今一度、学会は、青年の心で進み、若手もどんどん登用して、「若い創価学会」で出発してまいりたい。
23  新たな劇場で 君よ乱舞せよ
 戸田先生は、「青年よ、誠実であれ! 策や要領ではいけない!」とおっしゃった。この通りに私も進んできた。
 さらに、こう遺言された。
 「青年の成長なくして広宣流布も、時代の未来も開けない」「次の学会を、青年部、よろしく頼むよ!」と。
 今、青年部は、一番大事な時を迎えた。
 上げ潮から、引き潮になり、また上げ潮になっていくように、時代は、大きく回転している。
 わが創価学会は、ひと回りも、ふた回りも、大きな土台を持った「新しい段階」へと発展していく幕が開かれたのだ。
 若き青年部の君たちが大活躍していく、そのための舞台は、ほぼつくり終わり、その形が、ほぼ見えてきた。
 あとは、この大劇場で、青年部の諸君が乱舞して、次の大きな学会を、世界平和の不滅の基盤となる学会を、いかなる嵐にも揺るがぬ勝利の学会をつくっていくのだ。青年部の諸君、頼むよ!〈「はい!」と大きな返事が〉
24  戸田先生は青年に烈々と叫ばれた。
 「一番かわいい青年たちに、自分の思想を全部、託したい」
 「若い時代に、苦労せよ! 苦労せよ!」「若い生命を、尊い広宣流布の使命に生きて、東奔西走していきなさい」
 「創価学会は人材の集団である」
 「人材をどんどんつくれ! 探せ! 人材、人材の創価学会たれ!」
 「師匠の話を全身で受け止めなさい!」
 「次の時代は、君ら青年がやる以外にないのだから、しっかり頼むぞ!」
 すべて、私が深く心に刻んできた戸田先生の大事な遺言である。
 それを、信頼する青年部の皆さんに託したい。
 そして、ともどもに、明年の「人材・拡大の年」へ、意気軒高に前進していこう!
 長時間ありがとう! とくに海外の方々、本当にご苦労さまです。
 最後に海外の同志と日本の同志の皆さんの幸福を祈念して、お題目を唱えたい。〈名誉会長の導師で、参加者一同で唱題を〉
 皆さん、本当にありがとうございました。お体を大切に! 幸福を祈ります! お帰りになられましたら、お会いできなかった皆様に、くれぐれもよろしくお伝えください!

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