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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表協議会  

2007.9.28 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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2  一切の原点は、師弟の「不二の心」である。これを破壊しようとした悪人たちがいた。
 昭和54年(1979年)、私は第三代会長を辞任した。そして、学会本部ではなく、海が見える、世界につながる神奈川から、新たな広布の船出をしたのだ。
 悪人に誑かされた、愚かな最高幹部もいた。結局、冷酷な陰謀は打ち砕かれた。一番偉大だったのは、信心強き最前線の同志であった。
 師弟の心こそ、学会の根幹である。そこには少しの狂いも、不純物も、あってはならない。
 学会創立80周年にあたる2010年を、一つの目標として、新しい陣列を築きたい。ともに総仕上げをしてまいりたい。
3  真実を記し残せ
 懇談的に、お話ししようと思う。きょうも、戸田先生の指導から学びたい。
 先生は、「聖教新聞によって、広宣流布の土台ができる」と、広布の機関紙に期待されていた。
 全国の新聞長をはじめ、聖教新聞の拡大に尽くしてくださっている、すべての皆様方に、私は心から感謝申し上げたい。聖教を、伸ばしていこう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 私は、先生の指導を克明に記してきた。先生は聖教に期待し、次のようにも言われていた。、「人間は、ともすれば次第に惰性に流されていくものだ。聖教の記事を書くうえでも、惰性との戦いが大事である」
 「新聞もたくさんあるが、聖教新聞は必ず一番にならないといけない。休んではいけない。聖教新聞は必ず日本一に、世界一になるのだ」
 私も、まったく同じ思いだ。ゆえに、これまでも聖教新聞を主戦場として、書きに書いてきた。
 一流の新聞に!──そのためには、「真実」を記し残す以外にない。
 また戸田先生は、報道機関の使命について述べておられる。
 「現在は通信網が非常に発達しているから、新聞などの報道は、社会民衆を指導していく重要な役割がある」
 「新聞記者、雑誌記者に至っては、とくに、天下の木鐸をもって任ずるものである。高潔にして具眼の士がなければならぬ」
 「木鐸」とは、人々を教え導く存在である。
 いよいよ新しい決心で、広布第2幕を開いてまいりたい。
4  頭を使え!
 最高幹部は、しっかりと信心の眼を開けて、同志に対しては、優しく接することだ。
 自分で自分を訓練しなければ、皆も伸びることができない。すべては「人」で決まる。「人」を育てるのだ。全員が勝利者の道を歩む、そのための原動力にならなければならない。
 戸田先生は、最高幹部に、「頭を使え!」と厳しく指導された。
 幹部が形式にとらわれたり、惰性に流されては、組織は停滞してしまう。
 「今、何を考えているのだ」「考えろ! 考えろ!」「頭は、勝つために考えるものだ」とも言われた。
 幹部は、幾重にも考え抜き、祈り抜いて、課題を明確にしていかなければいけない。
 戸田先生は、「何世帯、折伏ができるのだ」「だれが、どうやって進めるのだ」と厳しく問われた。すべてにおいて、曖昧さを許さなかった。
 約10倍の拡大を成し遂げた、忘れ得ぬ「山口開拓闘争」も、戸田先生の「今のうちに至急、手を打つ必要がある!」との一言から出発したのだ。勝負は、時を逃してはならない。
 先生は、常に時代を見据えられ、「即刻、手を打とうじゃないか」と、一つ一つ先手を打っていかれた。
 また、弟子の私に、「最大の手を打ってくれたまえ」と追撃の一手を指示された。
 だから学会は勝ってきたのだ。そういうところが伸びていくのだ。
 勝つためには、抽象論ではいけない。具体的に、今、この時、即座に、手を打っていくことだ。
 この戸田先生の将軍学を、私は深く心に刻んだ。そして瞬時に行動に移してきた。
 戸田先生 「完璧な仕事は200倍、300倍の労苦を費やさなければできない」
5  環境に負けるな
 戸田先生は青年に語られた。
 「自分の境遇を嘆いたり、怠けているうちに、黄金の青年時代は過ぎ去ってしまう」と。
 時間がない、環境が悪い──こう愚痴を言っている間は成長はない。
 私は、戸田先生のもとで働きに働いて、御本尊の前に座れないときもあったが、歩きながらでも題目をあげた。
 環境ではない。自分に勝つことだ。
 また先生は「くどい話は必要ない!」と厳しかった。
 真剣な話、大事な話ならばいい。内容のない話、ホシをはずした話には、「簡潔明瞭に話せ!」と、一喝された。そういう先生であられた。
6  「完壁な仕事というものは、普通の200倍、300倍の労苦を費やさなければできない」──これも戸田先生の重要なお話である。
 私は、戸田先生のご指導通りにやってきた。先生のために、200倍、300倍、否、千倍、万倍の労苦を捧げてきたつもりだ。
 学会の支援活動の初陣となった昭和30年(1955年)4月の統一地方選──。
 私は、東京の大田区と横浜の鶴見区の両方で、支援の責任者となった。どちらも、最高点で当選した。
 そして昭和31年7月の参院選。
 戸田先生は、とても勝ち目のない大阪の指揮を、あえて私にまかされた。私に大きな試練を与えて、“どこまで、できるか”を試されたのである。
 その結果は──大阪は大勝利。勝てるはずの東京は大敗北。
 口で言うのは簡単だが、私は、厳然と、「仏法は勝負」の証拠を示して、戸田先生をお護りしてきた。戸田門下生としての一番の証しを打ち立ててきた。
 牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。この三代に本当の師弟がある。後世のために明快に申し上げておきたい。
7  栄えている組織では人材が出る!
 戸田先生は指導された。
 「隆々と栄えている組織は、人材をよく輩出している」「私に応えんとするならば、人材を輩出せよ!」
 戸田の命よりも大切と言われた学会の組織である。ゆえに、自分が「人材」となり、人を「人材」に育てることが、師匠に応える道である。
 昭和29年(1954年)の4月30日、戸田先生は、さらなる拡大と飛躍を期して、すべての理事の解任を提案された。〈同年の5月3日の総会で、新たな理事による新体制が決定した〉
 このとき先生は叫ばれた。
 「今こそ、理事の働くときだ」「そこで新たに理事を任命し、この行き詰まりを破らんがために、理事に働いてもらう」「新しい人材が闘争する時代に入ったのだ」
 また先生は言われた。
 「もし部員や後輩に、自分よりも偉大なものが出てきたならば、自分の地位を譲るくらいの度量を持て」と。
 ともあれ、人材が欲しい。人材が大事だ。
 新しい人材を育てることが、さらなる発展の直道なのである。
8  私心を捨てて動く人間が必要
 戸田先生は「日本には人材がいない」と憂えておられた。
 とくに、「指導階級には一身の栄達を図ることに熱心な連中はいても、世のため、国のために、私心を捨てて動く人間が少ない」と言われていた。
 広布の指導者である皆さんは、人間として、人材として、指導者として、最高峰の人々の集まりである。また、そうなっていくよう、努力していくことを忘れてはいけない。
 「法妙なるが故に人貴し」と大聖人は仰せである。
 宇宙を貫く大法を持ち、世界最高の哲学を実践している私たちである。
 その誇りをもって、広布のために力を発揮していただきたい。
9  戸田先生は、停滞している組織に赴かれたとき、「さも信心しているように見せかけている幹部が多い」と指摘されていた。
 鋭い師匠には、すぐに見抜かれてしまう。また、全部、結果に表れてくる。
 「見せかけ」や「格好」で広布は進まない。
 とにかく、本気になって、人を育てることだ。そこに歓喜が生まれる。
 会員には偉ぶり、敵からは逃げるような幹部ではいけない。
 同志には謙虚に接し、敵には傲然と戦っていく、慈愛と勇気の指導者となるのだ。
10  戸田先生は、これからを担うリーダーに呼びかけた。
 「どうか十分な闘争をし、私と不離の間柄になってもらいたい」
 師匠と一体不二で戦ってこそ、本物の弟子である。
 「大作は本当に戦ってくれた」
11  昭和32年(1957年)の「大阪事件」の際、無実の選挙違反容疑で逮捕された私が出獄した後、先生は言われた。
 「国家権力は、民衆を組織した学会の団結が怖いのだ。民衆が力を合わせれば、どんなに大きな力になるかを知っているから、学会を叩きつぶそうとしたのだ」
 そうさせなかったのは、私である。
 戸田先生は、私を大事に、大事に、大事にされた。
 「大作は、本当に学会のため、広布のため、俺のために、心血をそそいでくれた。わが身をなげうって戦ってくれた。弱い体だから心配だ。長く生きられないかもしれない」
 そう言って、落涙されたとも、うかがった。
 私と妻が結婚するときには、私と妻の実家を、お一人で訪問され、それぞれの両親に丁寧に話をしてくださった。
 ありがたい、誠にありがたい大師匠であられた。
 広宣流布の指揮を執られる師匠を、命を捧げてお護り申し上げることが、日蓮仏法を護ることだ。学会を護ることだ。会員を護ることだ。
 これが一切の根本である。要の中の要の一点である。
 三類の強敵と戦わない。三障四魔も起こらない。そんな人間は、本当の広布の指導者ではない。
 信ずべきは、ただ一人の師匠である。
12  戸田先生は言われた。
 「政治家から学者から役人にいたるまで、宗教の何ものなるかを知らない。実に哀しむべし、哀しむべし」
 これが、日本の状況であった。
 宗教に対する無知。生命に対する無知。それが社会全体を広く覆っている。宗教は一切の根本である。根本が揺らいだとき、そこから、社会は崩れていく。
 創価学会は人類の宿命転換を成し遂げる、偉大な宗教を実践する団体である。
 大事なのは、学会を強くすることである。広布の土台を堅固に固めることである。
13  戸田先生は、かつて綴られた。
 「(大聖人の)おおせには、『大衆一同の異の苦しみは、日蓮一人の苦しみ』と。慈悲の広大をうかがえるとともに、政治の要諦は、この一言に帰するのである」
 御書に「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と仰せである。
 この御文を拝しての戸田先生のお言葉には、世を思い、民衆の幸福を願う、真情があふれている。
14  民衆自身に光を
 権力の悪を、どう抑えるか。いかにして理想の社会を築くか──この点も、戸田先生の考えは明快であった。
 戸田先生は、こう指導されたことがある。
 「政体とか政権といったものは、大きくみれば、民衆の意思によって、その時代時代で変わっていくものだ。
 そんな移ろい易いものに眼を奪われ、民衆自身に光をあてなければ、この厄介な社会を寂光土化する広宣流布の仕事は決してできない」
 大事なのは「民衆」である。学会の広宣流布の運動の目的は、どこまでも「民衆の幸福」にある。
 「権力というものは一切を飲み込んでしまう津波のようなものだ。生半可な人間の信念など、ひとたまりもない。死を覚悟しなければ立ち向かうことなどできない」
 これが、国家権力と戦い、投獄まで経験された先生の結論であった。
 権力は魔物である。権力は恐ろしい。その虜になり、堕落していく人間が、これまでもいた。
 戸田先生は慨嘆しておられた。
 「日本の現勢をみるに、ただただ、おのれの権勢を張り、名誉欲を満たさんがために、一党一派のなかに閉じこもり、その党派のなかに、また党派を作って、しのぎを削っている」
 権力に屈せず、権力者に断じて威張らせず、「民衆の砦」として前進する創価学会が、どれほどすごい団体であるか。
 学会という尊い民衆の団結を、断じて崩させてはならない。
 創価学会の地盤を固めるために、広く社会に打って出て、痛快な勝利の歴史をつくろう!
15  黎明の朝だ!
 戸田先生は、女子部の友に力強く宣言された。
 「創価の師弟に、一生をかけていけ! 後悔は絶対ない。勝利の笑顔で、勝利と幸福で、人生を必ず飾っていけるよ!」
 大聖人は、東京の同志の先達である池上兄弟に仰せである。
 「値い難い法華経の友から離れずに信心を貫けば、わが身が仏になるだけでなく、(法華経の信心ゆえに子として)背いた親をも導くことができましょう」(御書1092㌻、通解)
 同志から離れてはいけない。現代の和合僧である創価学会から離れてはいけない。三世にわたる、そして一家眷属の末代にわたる幸福への大道は、学会とともに進む中にしか開けないからだ。
16  「古いものの滅亡に従って新しいものの誕生が始まる。そして、暗黒の夜が過ぎると黎明の朝が来る」(大林しげる・北林雅枝共訳『巴金写作生涯』文芸東北新社)とは、中国の文豪・巴金ぱ・きん先生の言葉である。
 静岡研修道場まで、「池田名誉会長のいる所なら、どこへでも」との思いで、はるばる訪ねてくださった思い出も懐かしい。〈1980年4月、作家の謝冰心女史らと来訪〉
 学会にも黎明の朝が来た。いよいよ新しい人材が躍り出た。
 新進のリーダーに、山岡荘八氏の小説『徳川家康』の一節を贈りたい。
 「戦はの、始まったら士気の鼓舞じゃ。いったん火蓋を切ったうえはつねに陣頭に立つほどの覚悟がなければならぬがの、始まる前に知っておかねばならぬことは、掛け声や、空威張りの擬態ではない」(『徳川家康17』講談社文庫)
 指導者は、ひとたび広宣流布の舞台に立ったならば、常に先手、先手を打ち、死にものぐるいで、後世のために道を切り開かねばならない。
 私は、どんな苦境にあっても、その実践を貫いてきたつもりである。
 1万日の獄中闘争を戦ったマンデラ前大統領(南アフリカ)が述べている。
 「人格はきびしい状況のもとでこそ測られる」(東江一紀訳『自由への長い道(下)』日本放送出版協会)
 多忙な日程を割いて、会いに来てくださったことを、私は忘れない。〈1990年10月、聖教新聞本社で初会見。95年7月に迎賓館で再会〉
 また、広布の指導者は、会合での話一つをとっても、新鮮味がなければならない。そこから、波動を起こさなければならない。
 話に幅がない。体験がない。勉強がない。求道心がない。それでは幹部失格である。
 自分に求道心なくして、相手に求道心がわいてくるわけがない。
 一対一であれ、会合の形であれ、人間の語らいは、一念と一念のぶつかりあいだからである。
17  学会本部のある信濃町には、マンデラ前大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、世界の数多くの国家元首や指導者が訪ねてくださっている。
 モンゴルのエンフバヤル大統領も、そのお一人であり、創価学会の運動に深い理解を寄せてくださっている。〈93年11月に聖教本社で初会見し、本年2月に都内で4度目の会見〉
 大統領は語っておられた。
 「恩師は、私にこう教えてくれました。『人間は道をつくらなくてはいけない。それが何であれ、何かの分野で道をつくるのだ』と」
 「そして私は、道をつくる人生の手本を、池田会長の人生に見つけたように思うのです。
 池田会長は、創価学会という運動を通して、『大きな道』をつくっておられます。私たちがつくっている道は、池田会長の道と合流していくと信じています」
 私への過分な評価も含まれ、恐縮だが、ありのままに紹介させていただきたい。
 〈2003年11月の会見で。さらに2001年2月の会見では、こうも語っている。
 「池田先生は、日本一国にとどまる方ではありません。
 世界の多くの国々が先生を尊敬し、国連においても大変重要な立場にあると理解しております。
 世界の人々が先生の声に耳を傾けています」〉
18  有言実行の人に
 私は、一人の青年として、学会の一リーダーとして、すべて、戸田先生のおっしゃる通りに実践した。
 日蓮大聖人の仰せの通りに、大難と戦い、世界広宣流布を進めてきた。
 自ら誓ったことは、すべて成し遂げた。「有言実行」を貫いた。
 私には、何の悔いもない。若き青年部の諸君もまた、そうあってもらいたい。
 私が、若き日に、どれほど力を尽くして戸田先生にお仕えしたか。
 夜中に先生から電話がかかってきて、急きょ、呼び出される──そうしたことが、何度もあった。車がないので、タクシーをつかまえて、飛ぶようにして先生のもとへ駆けつけた。
 またある晩は、先生のお宅の外に立って、先生をお護りしたこともあった。
 口先ではない。観念でもない。
 私は、師匠のため、学会のために、すべてをなげうって戦った。「師弟不二」で戦い抜いたのである。
19  常勝将軍たれ
 弘教においても、私は弟子の勝利の歴史を打ち立てた。
 昭和27年(1952年)のことである。この前年、戸田先生は第二代会長に就任され、75万世帯の弘教を誓願された。しかし、折伏は遅々として進まなかった。
 当時、全国には十数の支部があった。しかし、ほとんどの支部が、1カ月で数十世帯の折伏しかできなかった。
 戸田先生は言われた。
 「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう。大作、お前が立ち上がってくれないか!」
 先生の命を受け、私は蒲田支部の支部幹事として、弘教の指揮を執った。そして、当時の限界を打ち破り、1カ月で200世帯を超える折伏を成し遂げたのである。
 ここから、壁が次々と破れた。500世帯、1,000世帯、そして2,000世帯──弘教の波動は、大きく広がっていった。
 蒲田での2月闘争が、75万世帯達成への突破口を開いたのである。
 また、その翌年、私は戸田先生の任命で、文京支部の支部長代理に就いた。そして、全国で最下位クラスだった文京支部を、第一級の支部へと発展させた。
 仏法は勝負である。何事も、戦う以上は、勝つしかない。私は、先生から命じられた広布の戦は、断じて勝ち抜いてきた。連戦連勝であった。
 あの豪気な、めったに人をほめない先生が「大作のおかげだ。お前には本当に感謝している」と何度も言われた。これが本当の師弟である。
 皆さんも「常勝将軍」であっていただきたい。
 戦うことだ。悔いのない、偉大な人生、素晴らしい人生を生き切っていくことだ。その功徳は、生々世々しょうじょうせぜ、子孫末代まで全部、流れ通っていく。
 〈ここで名誉会長に促されて、参加者の代表が立ち上がって発言を。創価学園の出身者が、先日、修学旅行で東京を訪れた関西創価小学校生を名誉会長が激励したことへの感謝を述べた〉
 私は学園生を心から大事に思っている。誇りに思っている。そして今、どんどん、人材が育っている。それが私はうれしい。
 今は少子高齢化の時代である。この大変な時代のなかで、学会はどう進んでいくべきか。私も真剣に考えている。
 まずは青年の連帯を広げることだ。未来部の育成も重要な課題である。担当者の方々の使命は、はかりしれない。
 ともあれ、大事なことは、今いる学会の同志が、組織の上でも、人間的にも、がっちりと団結していくことだ。一人が万人の力を発揮していくことだ。
20  具体的に語れ
 きょうは、女子部のリーダーの代表も参加しておられる。
 女子部の皆さんは、くれぐれも、帰宅時間が遅くならないように気をつけてほしい。無事故で、健康第一で、進んでいただきたい。
 皆さんは、何よりも、朗らかであってほしい。そして、同志が皆、元気で、喜んで一緒に前進できるように、一人でも多くの人が仏法を持つようにと、御本尊に語りかけるように真剣に祈っていくことだ。
 また、大勢の前で話をする時は、抽象的な話ばかりしてはいけない。それでは皆の心を動かすことはできない。
 身近な実践や具体的な事実を通して、明快に語っていくことが大切だ。
 女子部は全員、幸せに! そのために聡明であっていただきたい。皆で心から応援していきたい。
 きょうはご苦労さま! 皆、それぞれの持ち場をしっかり守っていただきたい。後輩を大事に育てて、同志と仲良く! 大切な大切な、広宣流布の城を頼みます! 長時間、本当にありがとう!

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