Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修…  

2007.8.23 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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2  誠がなければ何も成就しない
 「人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」(上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波書店)
 こう謳ったのは、北陸・石川出身で、『善の研究』の著作で有名な哲学者・西田幾多郎である。
 正義の道、信念の道を貫く人生は尊い。
 初代の牧口先生と二代の戸田先生は、真実の「師弟の道」を、まっすぐに生き抜かれた。
 暴虐な軍国主義の大弾圧にあって、戸田先生ただ一人が、牧口先生にお供して、獄中闘争を耐え抜かれたのである。
 牧口先生は獄死であった。生きて牢を出られた戸田先生は、恩師の三回忌に厳かに語られた。
 ──牧口先生の慈悲の広大無辺は、戸田を牢獄まで連れていってくださいました、と。
 あの戦時中の牢獄での生活が、いかに惨いものであったか。それを感謝までされる戸田先生。
 私は感動した。戸田先生の深き人間性に。生死を超えた仏法の師弟に。
 「心こそ大切なれ」と、日蓮大聖人は仰せだ。
 心が大事だ。心で決まる。
 私も同じ決心で、戸田先生への「報恩の誠」を貫いてきた。初代、二代の崇高な師弟の心を、寸分も違わず、受け継いできた。
 「事をなすには誠がなければ、あらゆるものは成就しない」(前掲『言志四録』)。これも佐藤一斎の有名な言葉である。
3  師弟を教えたい
 戦後、ただ一人、広布に立ち上がった偉大な戸田先生は、その後、事業の失敗という大難に遭われた。
 このとき、当時の最高幹部の中には、お世話になった先生を守るどころか、その苦境につけこんで、追い出しにかかった冷酷な者もいた。
 私は思った──。
 人間の心は怖い。広布に戦えば、難が起こるのは当たり前ではないか。それなのに、難を恐れ、自分は戦わない。それどころか師匠を悪者にするとは。なんという忘恩か。なんという卑劣な心か。
 私は誓った──。
 何があっても戸田先生をお守りするのだ。そして将来、必ず、学会の会長として指揮を執っていただくのだ。断じて、師匠の仇を討つ、と。
 「阿修羅のごとく戦います」と戸田先生に申し上げた。「その心が、うれしいな」と本当に喜んでくださった。
 「艱難汝を玉にす、逆境は是れ心を練るの好時節なり」(前掲『西田幾多郎随筆集』)。哲学者・西田幾多郎の日記に記された言葉である。
 先生とともに大難を受けきつたゆえに、今の私がある。広布と人生の熾烈な戦いのなかで、私は、峻厳な「師弟の心」を教えていただいた。
 この創価三代の師弟の魂を皆に教えたいのだ。師弟があれば、断じて勝っていける。仏法の根幹は師弟であるからだ。
 「いかなる腐木にも新しい生命の芽がふくことができる。きょう最も楽しかりし」(同)。これも幾多郎の日記だ。
 時は巡り、戸田先生が第二代会長に就任された、あの晴れやかな5月の3日。戸田先生は、「ありがとう!」と落涙された。
 弟子の私の心にも、新しい生命の喜びの芽が大きくふくらんでいた。師弟とは、これほどに崇高であり、深遠であり、美しいのである。
4  インドの大詩人タゴールは、宗教者たちが教えを携え、世界を旅した歴史を通して、高らかに謳い上げている。
 「あらゆる障害を乗り越して路を建設すると云うこと、それは過去における印度の大事業でありました。
 人類が為し得る最高のものは路の建設者になることであります。しかしその路は私益や権力の為の路ではなくて、人々の心が異なれる国々の兄弟達の心に通うことの出来る路なのであります」(北昤吉訳『古の道』プラトン社、現代表記に改めた)
 偉大なる師・戸田城聖先生にお会いして、この60年間。
 私は、ただひたすらに、「広宣流布」という、人類究極の幸福と平和の大道の建設に邁進してきた。
 仏法の生命は、「行動」である。なかんずく、指導者の率先の行動である。
 創価学会が、なぜ、ここまで大発展したか。
 それは、初代、二代、三代の会長が自ら先頭に立って、「不惜身命」「死身弘法」で、法のため、友のため、奔走し抜いてきたからである。
 この三代にわたる大闘争を通して、創価の永遠の軌道は完壁に築かれたことを、私は、戸田先生の直弟子として、晴れ晴れと宣言しておきたい。
5  学会に深い理解を寄せられ、学会常住の御本尊と関西本部の御本尊を認めてくださった日昇上人は、1955年(昭和30年)の12月13日、関西本部の入仏式の折、このようにおっしゃった。
 「先年は、本部の御本尊といい、ここにまた関西本部の御本尊をお認めすることは、私は実に何たる幸福で、人生の幸福、大満足に感謝にたえません。涙をもって三宝にお礼を申し上げるとともに、皆さまにも感激の涙をもってお礼申し上げる」と。
 これが真実の法主の姿であると思う。また、日昇上人とともに勤行した際、「いい声ですね」とほめてくださったことも懐かしい思い出である。
6  三国四師の精神
 大聖人は、仏法の正統中の正統を貫く流れを、釈尊、天台大師、伝教大師、そして御自身を含められて、「三国四師」と名付けられた。
 この「三国四師」に一貫して脈打つ大精神も、「行動」の二字である。
 きょうは、その軌跡の一端を確認しておきたい。ここに集われた、北海道、東北、中部、北陸、信越の同志もまた、使命深き地域で、尊い仏道修行を繰り広げておられるからである。
 釈尊は、その生涯を通じ、民衆救済のために、広大なインドの大地を歩き抜かれた。
 釈尊の一代の行動範囲を、現代のインドで言えば──東はガンジス河の下流域、西はデリーの東方、南はガヤ(ブッダガヤ周辺)、北はヒマラヤ山麓にあたる。
 その広さは、日本の本州の面積に匹敵するとも言われる。
 「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰せである。釈尊は「人の振舞」の力で、仏法を弘め抜いていった。
 その師に弟子たちも決然と続いた。
 今、この仏教発祥の天地・インドにあっても、創価の友は生き生きと活躍を繰り広げている。
 歴代の大統領も、また最高峰の知性も、絶大なる信頼を寄せてくださっていることは、ご存じの通りだ。
7  中国の天台大師(6世紀)は、浙江省せっこうしょう東部にある天台山を中心として、南京ナンキン江陵こうりょう長沙ちょうさなど広大な範囲で戦いを進めた。
 論難の嵐のなか、天台大師は、厳しく邪見を論破し、正法を明らかにしていった。
 その堂々たる雄姿は、大聖人が「報恩抄」で、「天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし」と綴っておられる通りであった。
8  次に伝教大師(8〜9世紀)について、大聖人は、日本において初めて法華経の実義を弘めた存在と位置づけておられる。
 「開目抄」には、仰せである。
 「六宗の高僧ら八人、十二人、十四人、そして三百人余りの人々、さらには弘法大師らも、伝教大師に責め落とされてしまった。日本国中一人ももれなく天台宗に帰伏し、奈良の六宗の諸寺、真言宗の東寺、そして日本全国の寺院は、みな比叡山の末寺となった」(同190㌻、通解)と。
 中国への求法の旅、そして混迷した諸宗を責め正した果敢な言論戦など、伝教大師もまた、行動の人であった。
9  「多くの人に会ってきた」
 大聖人は、仰せである。
 「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418㌻、通解)と。
 我ら創価の実践は、大聖人が歩まれた広宣流布の対話の道に、まっすぐに連なっている。
 まさしく仏の道である。ゆえに功徳は無量無辺である。
 大聖人は、破邪顕正の言論闘争を続けられて、「日本国中の十人に一、二人は南無妙法蓮華経と唱えるまでになった」(同890㌻、趣意)と仰せの広がりをもたらされている。
 後継の日興上人も、日目上人も、各地で弘教に当たられ、広く教域を拡大されたのである。
10  「法」といっても、それを捨て身で弘める「人」がいて初めて、その偉大さと功徳を広げることができるのである。これは、広宣流布の厳然たる方程式だ。
 だからこそ妙法を「弘める人」の功徳は絶大なのである。
 どれだけ仏法のために、自ら足を運んだか。
 どれだけ人々のために、仏法の哲理を語り、綴り残したか。
 どれだけ多くの指導者に、正義の法理を勇敢に打ち込んだか。
 どれだけ多くの民衆を温かく励ましたか。
 この人間主義の行動のなかにこそ、人類を救う仏法の威光勢力の拡大がある。
11  御聖訓にいわく。
 「日蓮にりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」と。
 この大聖人に直結する学会は、今や名実ともに、日本の柱となった。日本の人々の魂の存在となった。学会が日本の命運を左右する時代に入っているのだ。
 学会の力で、広宣流布をし、仏国土を大建設していくという、これ以上の誉れの人生はない。
 そのことを互いに銘記し合って、新時代へはつらつと出発してまいりたい。
12  人生は心の若さで決まる
 いくつになっても、心は若々しく! 人生は年齢では決まらない。心で決まる。年は若くても、心は老いた人もいる。
 ある詩人は謳った。
 「ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」(サムエル・ウルマン著、作山宗久訳『青春とは、心の若さである。』角川文庫)と。
 偉大な人物は、皆、心が若い。
 イギリスの歴史家トインビー博士は、1956年(昭和31年)の秋、2度目の来日をされ、北海道、東北、信越など各地を訪問されている。
 私がロンドンを訪れ、博士のご自宅で対談を開始したのは、1972年(昭和47年)5月のこと。当時、博士は83歳であられた。〈名誉会長は44歳〉
 博士の「座右の銘」をうかがうと、間髪をいれず、おっしゃった。
 「ラテン語で『ラボレムス』──『さあ、仕事を続けよう』という意味の言葉です」
 毎朝6時45分に起床。
 気分が乗ろうと乗るまいと、とにかく、机に向かって仕事を始めることを日課にしておられた。
 博士を思うとき、私の胸には「戦う魂」がわき上がってくる。
 御聖訓には、妙法に生きる人は「年は若くなり」(御書1135㌻、通解)と仰せである。
 生涯、前進! 生涯、挑戦! それが仏法者の生き方である。ここに希望が!
13  この秋、アメリカのボストン21世紀センターでは、第4回「文明間の対話のための池田フォーラム」が開催される。
 「女性と友情の力」をテーマに、「生命の世紀」を開きゆく女性の役割について、当代第一級の知性が集われて、有意義な討議が活発に行われることになっている。
 このフォーラムでは、私と妻が忘れ得ぬ出会いを刻んだ、エマソン協会の会長で、著名な女性詩人でもあられるサーラ・ワイダー博士が基調講演をされる予定となっている。〈博士は、名門コルゲート大学の講義で、名誉会長の詩集を教材に授業を行っている〉
 先日、ワイダー博士が、ご自身の人生哲学を通し、このように語ってくださった。
 「人生は、いいかげんな態度で、物事に立ち向かっても、前に進むことはできません。前に進むためには、気概に満ちた精神を持たねばならないのです。
 自らが置かれた状況に悲観的であれば、状況はますます困難になるでしょう。現実の厳しさは知っている。しかし、それでも最大の希望を生み出して進むのだ……。
 私は、SGI(創価学会インタナショナル)の方々が、常にこうした姿勢で、その思想を実践しておられることをよく知っております。私もまた、SGIの皆様のように、その精神を、私自身の人生に反映させていきたいと願っております」
 温かなご理解に、心から感謝申し上げたい。
 この人生、希望に燃えて生きなければ、損である。「創価」とは「無限の希望」である。
 その希望の前進に、アメリカを代表する詩心と知性の指導者も、真心からのエール(声援)を贈ってくださっているのである。
14  死の問題こそ人生の一大事
 「死の問題を解決するというのが人生の一大事である、死の事実の前には生は泡沫の如くである、死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることができる」(上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波書店)
 戸田先生と同じ石川出身の哲学者・西田幾多郎の言葉である。
 この一文を綴ったとき、西田は、6歳の二女を亡くしていた。
 だれもが、いつかは死ぬ。「死の問題」は避けては通れない。
 ゆえに、死について考えることは、人生にとって何より重要なのである。
 そしてまた、「死」を学ぶことが、「生」を学ぶことである。「よりよく生きる」ことを学ぶことになるのだ。
15  御書には、こう説かれている。
 「(人間は)命が終われば3日のうちに、その体は水となって流れ、塵となって大地にまじり、煙となって天に昇り、あとかたもなく消えてしまう。(しかるに、末法の衆生は)そのようにはかない、わが身を養おうとして、多くの財産を蓄える。このことは昔から言い古されてきたことであるが、現在のその有様は、あまりにも哀れでならない」(御書1389㌻、通解)と。
 仏法が説く永遠の次元から見れば、この世でわが身を飾っている地位とか名誉とか財産など、はかないものだ。
 日本の伝教大師は「生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪とならん」(塩入亮達校注「願文」、『仏教教育宝典3』所収、玉川大学出版部)と、生命の因果を明快に示している。
 大事なのは、自分自身が「どんな人間であったのか」「どれだけ人に尽くしたか」である。
 結論から言えば、最高の妙法に生き抜く人生ほど尊いものはない。
 人のため、法のため、広宣流布に生き抜くことは、わが生命に何があっても崩れない福徳を積んでいるのである。
 仏の仕事
16  皆さんは、学会の広宣流布の闘争に勇んで参加された。その福運は、永遠に続いていく。
 財力よりも、権力よりも、名声よりも、信心は百千万億倍、偉大である。
 広宣流布という大目的のために戦っていくことは、仏にしかできないことである。
 その精神と自覚をもって戦ってもらいたい。
 絶対の確信をもって、指揮を執っていただきたい。
 その功徳は、子孫末代までも続く。いな尽未来際までも絶対に困らない。
 人間的に豊かになるだけでなく、社会的にも偉くなり、必ず勝ち栄えていく一族となることができる。
 大聖人の言葉に嘘はない。仏法には嘘はない。
 悔いなく、勇敢に戦い進んでいただきたい。
17  18世紀フランスの思想家ヴォーヴナルグは言う。
 「自分には大きな成功を生みだす力がないと気づいたとき、ひとは大きな計画を軽蔑する」(竹田篤司訳「省察と箴言」、『世界人生論全集9』所収、筑摩書房)
 “自分には力がない”などと思ってはいけない。それは畜生の命だ。すべての人に、自分にしかない「使命」がある。何かの「才能」がある。
 哲学者・西田幾多郎は綴る。
 「自分の生命のあらん限り何処までも向上発展し自己自身にあるものを何処までも進めて行きたい」(前掲『西田幾多郎随筆集』)
 自分を信じ抜くのだ。同志を信じ抜くのだ。命ある限り、「大いなる理想」に向かって進んでいくのだ。
18  幸福の鍛冶屋
 私が親交を結んだロシアの大文豪ショーロホフ氏は、1966年(昭和41年)に来日した折、北陸・富山などを訪問している。
 私が1974年9月、モスクワでお会いした際、氏は69歳。氏は、私に語った。
 「我々は皆、『自分の幸福の鍛冶屋』ですよ」
 幸不幸は、「運命」が決めるのではない、「自分」が決めるのだとの文豪の確信であった。
 氏は、あるとき、祖国の未来を見つめ、こう語っている。
 「言葉に実行が伴わないことが起こっていないでしょうか。たぶん官僚主義と無関心におおわれているのではないでしょうか。このことを各人が自己点検することが必要です」(月刊誌「潮」1975年7月号)
 言葉に実行が伴わない。氏はそれを“官僚主義”という。学会のリーダーは断じて、そうなってはいけない。
 さらに氏は言う。
 「われわれは立ちどまることはないでしょう。われわれは計画を具体化するために一層の努力を傾けるでしょう。その邪魔をするものは、断固撃退しなければならないでしょう」(同)
 信心にも停滞があってはならない。進まざるは退転である。「いよいよこれから!」の心で、新たなスタートを切ってまいりたい。
19  人材は必ずいる
 思想家・佐藤一斎は語った。
 「世の中に沢山人はいるが、いないのは立派な人だ。しかし、いないようでいるのも立派な人で、何処かに隠れているものだ」(川上正光訳『言志四録』講談社)
 その通りだ。新しい人材を見つけ、鍛え、伸ばす。そこに、広布発展の鍵がある。
 一方で、戸田先生は、「こういう幹部は学会から切っていけ。遠慮なくやめてもらえ」と厳しく言われた。
 それは、社会的にも信用がない。学会的にも信用がない。友人間でも信用がない。何をやっているか分からない。勤行をしていない。会合に出ない。まったく退転と同じ状態である。社会的にも、学会的にも、困った人物である。皆が嫌っている──こうした幹部は容赦なく責め抜き、正していけと、戸田先生は戒められたのである。
20  中部ゆかりの思想家・細井平洲と、東北・米沢藩の名君・上杉鷹山の師弟は、あまりにも有名である。細井平洲は、指導者・教育者の要諦として、こう訴えている。
 “人から親しまれたいと思うのであれば、まず自分から人に親しみ、人から敬われたいと思うのであれば、まず自分から人を敬っていくのだ。そして万事、自分が人からしてもらいたいように、まず自分から人に施していくのだ”(後藤三郎解説・柳町達也校註「細井平洲集」を参照、『世界教育宝典』所収、玉川大学出版部)
 これもまた、重要な指導者論である。指導者自身の「人間革命」から、新時代の勝利の行進が始まるのだ。
21  学会の真実は三代の師弟に
 広布の戦いは、どんな場所であれ、“新しい組織をつくる”くらいの気持ちでやらないと、結局、惰性で終わってしまう。
 最高幹部は、何の飾りもなく、裸一貫で、自分に対する甘い根性は全部捨てて、指揮を執らないといけない。
 広布のために、勝つか負けるかである。
 負けない人が同志。勝つ人が地涌の菩薩だ。
 初代、二代、三代は、この決心で戦った。真実の学会の魂は、三代までに刻まれている。
22  20世紀の中国を代表する女性作家・謝冰心しゃ・ひょうしん先生は、こう綴っている。
 「母親の愛は柔和であり寛容でありますが、また同時に最も厳格であり強烈であり、最も反骨精神や正義感に富んでいるのです」
 その通りである。偉大なる女性の強さ、婦人部の強さによって、学会は支えられている。そのことを、男性幹部は軽んじてはならない。
23  ローマクラブのホフライトネル名誉会長は、かつて語られた。
 「現代世界が直面している最大の問題は、文化の崩壊です。
 文化の崩壊が価値観の崩壊を招き、世界から誠実さが失われ不確実性が増大しています。
 そして価値観の崩壊とは、つまり宗教の崩壊にほかなりません」(「潮」1996年5月号)
 この世界的な課題に勇んで挑戦しているのが、皆様方の日々の対話であると、私は思っている。
 私たちの民衆運動の大切な意義を、深く自覚したい。
24  気取りを排せ
 インドの詩聖タゴールは記した。
 「だれか偉大な精神、言いかえれば真理を愛する人が、彼ら(=古い過去にしがみついている人たち)の殻を打ち破って、そこに思想の光や生命の息吹きをみなぎらせるとき、彼らは苛立って怒りだすのである。
 思想は運動をひき起こすが、彼らはすべての前進を自分たちの倉庫の安全を脅かすものと考えている」(森本達雄訳「芸術家の宗教」、『タゴール著作集第9巻』所収、第三文明社)
 私たちの思想、運動もまた、常に新しくなければならない。心にできる壁を、打ち破るのだ。
 「気取り」や「見栄」は、「驕り」になる。これらの心の動きが、信心をいちばん傷つけるのだ。
 この点、戸田先生の訓練は、それは厳しいものだった。牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私の師弟は、峻厳そのものであった。
 「不借身命」と、御書に記されている通りの行動をする、法華経の行者、信心を貫く人を、見くびってはいけない。
 つまらない地位や学歴などによって推し量れるような、大聖人の仏法ではない。
 そのような輩は、果敢に責め抜き、尊き学会員を断じて護ることだ。
 そして、きょう集った皆さんが率先して、師弟の精神みなぎる創価の城、希望の城、安心の城を、わが天地に堂々と打ち立てていただきたい。
 長時間、ご苦労さまです! お会いできなかった同志にくれぐれもよろしくお伝えください。ありがとう!

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