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日蓮大聖人・池田大作

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創価同窓の集い、未来部総会 天津社会学院「名誉教授」称号授与式

2007.5.5 スピーチ(聖教新聞2007年上)

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2  「わが師匠こそ世界一なり!」
 古代ギリシャの大哲学者プラトン。
 彼は、東奔西走して、人間のため、平和のため、対話を広げました。
 地中海のシチリア島にも、海を越えて、3回、訪問しました。
 紀元前387年ごろ──第1回のシチリア訪問のとき、40歳のプラトンは、強大な大王と会見します。
 この権力者は、プラトンに質問したといいます。
 ──この世でだれが最も幸福な人であるか?
 傲れる大王は、プラトンがへつらって、大王自身の名前を挙げるだろうと思っていました。
 しかし、プラトンは、毅然と答えました。
 最も幸福な人とは──わが師ソクラテスであると。
 晩年、プラトンは、亡き師匠を偲びながら、シチリアの人に書いています。
 “わが師ソクラテスこそ、当代随一の正しい人だと言ってはばからない”と(岡田正三訳「手紙集」、『プラトーン全集第6巻』所収、全国書房を参照)。
3  邪悪な批判は最高の讃辞
 19世紀スペインの人権活動家、作家のコンセプシオン・アレナルを、ご存じでしょうか。
 〈女性や社会的弱者のために、言論で戦った女性作家〉
 彼女の有名な言葉を紹介します。
 「良い時も悪い時も、忘れてはならない。邪悪な人からの非難は、最高の讃辞であることを」
 この言葉の通り、師匠の戸田先生も、弟子の私も、随分といわれなき批判を浴びてきました。
 私は、師匠を貶める虚偽や中傷を断じて許さなかった。恩師の正義と真実を、どこへ行っても叫んできました。
 若き諸君も、真実の私の弟子として、また創価大学の伝統を受け継いで、正義のために、言論で戦う師子となってください。
 ともあれ、自分が賢明になることです。だまされないことです。屈服しないことです。その根本は、自分が強く賢くなるしかありません。
4  19世紀フランスの作家フローベール。
 近代写実主義の最高峰として名高い人です。
 〈作品に『感情教育』『三つの物語』などがある〉
 この作家フローベールが青年作家モーパッサンを、最愛の弟子として、徹して文学の薫陶をしたことは有名です。
 厳愛の教育は、師匠の自宅などで行われました。
 若き弟子モーパッサンは、師匠の真心に応え、実力を磨き、やがて大きく世に認められます。
 モーパッサンは、自身の作品に「誰にも増して敬愛する完壁な師フローベールに」と、感謝の献辞を捧げたといいます(村松定史著『モーパッサン』清水書院を参照)。
 作家フローベールの人生の総仕上げは、愛弟子の成長への歓びで飾られていたのです。
 弟子モーパッサンの名作『女の一生』について、私は、かつて創価女子短期大学の講義で触れたことがあります。
 フローベールは綴りました。
 「熱心な勉強のうちには、高貴な魂に向いた理想的な喜びがあります」(蓮実重彦訳「人生論書簡」、『世界人生論全集10』所収、筑摩書房)
 皆さんも、卒業したからといって、勉強から遠ざかってはいけない。
 一生涯、勉強です。人生に勝つための勉強です。今世だけでなく、来世のためにも勉強です。
 さらにフローベールは続けます。
 「あなたの心と知性とが、同時にひろがる思いをなさるでしょう」
 「もう殻にとじこもって生きるのはおやめなさい。本をたくさんお読みなさい。勉強の計画をおたてなさい」(同)
 私たちは大きな可能性を持っています。
 もっともっと、しゃべってしゃべって、読んで読んで、戦って戦って、「どうだ!」と胸を張って誇れる人生を飾ってもらいたい。
 勝利の人生のための計画を立てていただきたいのです。
5  臆病を捨てよ
 アメリカの思想家エマソンの言葉にこうあります。
 「吾人は大人物の大読書家たる事を期する」(戸川秋骨訳『エマアソン全集第6巻 文学及社会』国民文庫刊行会)
 読書が大事です。せっかく読むならば、世界的な文学や哲学書を読んでいただきたい。低俗な雑誌などに惑わされては損をするだけです。
 エマソンは、私も読みました。著作は今も大切に持っています。
 また、イタリアの大詩人ダンテの『神曲』に、師匠が弟子を励ます言葉があります。
 「さあ、棄てるのだ、一切の怖れを棄てるのだ」(寿岳文章訳『神曲=煉獄篇』集英社文庫)
 一切の臆病を捨て去ったところから、真理の探究が始まり、真実の人間の成長が始まる──ここに『神曲』の師弟の出発点があると私は思います。
6  「人材」こそ宝
 中国の有名な古典『貞観政要』に学びたい。
 その一節には「国家が数百万貫の銭を余分に得たとしても、一人の才能徳行のある立派な人物を得るには及ばない」(『新釈漢文大系第96巻』原田種成著、明治書院刊)とあります。
 すなわち、莫大な財産も、人民のために行動する、力と徳のある一人の人物には及ばない──というのであります。まことに中国の言は正しい。
 一番、大事なのは「人材」である。
 会社のような組織でも、学校の建物でもない。「人」です。
 自分自身が、どうあるかです。
 今、わが創価学園・創価大学は、日本を代表する名門校として光り輝いています。本当にうれしい。
 これも、同窓の皆さん方が立派に成長して、社会で堂々と活躍してくれているからです。そこから、創価教育への信頼が築かれたのです。
 きょうは、日本全国、そして遠く海外からも、本当に本当に、よく駆けつけてくれました。
 学生時代の成績がどうであったかは、聞かないことにしておきます。
 きょうはありがとう!
7  周総理と温総理は天津の同窓生
 先日、私は、中国の人民の大指導者であられる温家宝おん・かほう総理と再会を果たすことができました。〈4月12日、来日した温総理と都内で会見〉
 うれしいことに、総理の通訳を務められたのも、わが創価同窓の友。中国からの留学生の女性でありました。〈中華全国青年連合会からの派遣で創価大学に留学した張梅ちょう・ばいさん〉
 笑いと拍手が絶えない、和やかな語らいの中で、温家宝総理の明るい笑顔が、一段と輝いた瞬間がありました。
 温総理の故郷・天津にある母校・南開中学の話になり、周恩来総理と温総理が同窓生であることが話題になった時です。
 それはそれは、総理はうれしそうだった。
 同窓の絆は、まことに深い。
 私はきょうの皆さん方に、同じ姿を見る思いがします。本当におめでとう。
 温総理は、「母校の精神(南開精神)は、わが使命の道を不断に前進するよう、私を絶えず鼓舞してくれる」と、美しい感謝と誇りを込めて語っておられます。
 偉大な人生には、必ず偉大な原点がある。原点を忘れない。だから強いのです。
 そして、ここにお迎えした、易明い・めい副院長はじめ先生方も、周総理、温総理の誉れの同窓生であられます。
8  きょうは、私の宝の中の宝であり、わがアメリカ創価大学の同窓会である「創宝会」の友も、世界中から集ってくれました。
 後輩たちのため、道なき道を胸を張って開いてくれている1期生、2期生の歴史に輝く開拓者たちです。
 私と同じ心で、アメリカ創価大学を建設してくれた弟子です。わが同志です。心から感謝し、大拍手をもって皆さんを迎えたい。
9  責任を担い立て
 さて、国際的な港湾都市であり、貴国随一の環境都市である天津は、栄光輝く「革命の源流」の天地でもあります。
 若き周恩来総理も、この天津で学んだ。天津で立ち上がった。そして天津で投獄の難を勝ち越えられた。
 のちに、周総理は、信頼する天津の青年たちにこう語りました。
 「いかにすれば、未来は君たちのものになるか?
 そのためには、我々よりも、さらに重い責任を担い立つことだ。我々よりも、さらに真剣に戦い抜いていくことだ」
 未来を勝ち取る力は、真剣なる責任感である、というのです。この言葉を胸に刻んで、頑張ってください。
 そして、この周総理の心のままに、人民の繁栄のため、社会の発展のため、そして世界の平和のため、偉大な重責を果たしておられる「新たな文明建設の牙城」こそ、貴・天津社会科学院である。私はそう信ずるのであります。
 私は、ただ今、何ものにも勝る最大の栄誉を、わが愛する創価教育の同窓生とともに、受けさせていただきました。厚く厚く御礼申し上げます。
10  50年先を頼む!
 きょうは、学会の未来部の後輩も、出席してくれています。皆さん、いますか?〈「ハイ!」と元気な声〉
 未来部が健在であれば、将来の学会もまた健在です。遠いところ、ご苦労さま!
 学会を築いてきたのは、何があろうと、歯を食いしばって戦ってきた無名の庶民です。その学会に、今や世界から賞讃が集まる時代になりました。
 私自身は、どう評価されようがかまわない。私にとって大事なのは、学会員の方々の幸福です。若い皆さんが立派に成長することです。
 どうか、そのことを知っておいてください。
11  私には、こと周総理に関することであれば、徹底して学び、研究してきた自負があります。
 ちょうど50年前、1957年の5月4日のことです。
 周恩来総理は、天津の母校の中学生・高校生に、記念の集いに寄せて、直筆のメッセージを贈られました。
 それは“苦難に耐えて真剣に学び抜け!”“体も強く、頭も強い、英知の人材と育ちゆけ!”との励ましでした。
 この周総理からの渾身の激励を、命の底に刻み、応えていった一人こそ、当時、14歳であった温家宝総理その人でした。
 わが未来部の皆さんも、どれほど無限の使命と力を持っていることか──
 私は諸君を信じます。
 もはや大人は信じられない。
 この大切な創価の世界を乗っ取ろうとする人間、恩を仇で返す人間たちも、私はたくさん見てきました。
 ともあれ、50年先は、今の未来部の皆さんに頼むしかない。
 君たちの50年先の勝利の晴れ姿を、私は祈り抜いています。21世紀の総仕上げを頼むよ!〈「ハーイ!」と決意の声〉
 そうです! いい声です!
12  自ら道を開け
 本日は、憧れのマケドニアからも、人民の幸福のために断固と行動される、崇高な知性の先生方をお迎えできました。
 私たちは、満腔の敬意と感謝を表します。
 マケドニアといえば、2300年前、東西を結び、人類の融合を目指した、世界的に有名な、若きアレキサンダー大王のロマンの故郷であります。
 アレキサンダー大王は、厳然と、こう言い放ったといいます。
 「安逸や贅沢にふけることは、最も卑しく隷属的な生き方である。
 自らの労苦によって、道を開いていくことこそ、最も崇高な王者の生き方だ」(『プルターク英雄伝』)
 人生の真髄を突いた叫びです。
 若き私も、師匠である戸田先生の事業が苦境にあった時、この信念で戦い、お護りしました。
 学校にも行けなくなった。満足に着る服もない。給料も家にもっていけない。
 それでも、じっとこらえて、戸田先生に尽くしました。
 ありとあらゆる大苦難の道を、そして、開拓の人生を突き進んできました。創価の道を、世界に大きく開きました。
 多くの弟子は、ずるかった。恩知らずだった。恩師を批判して逃げていった。
 「情けない奴らだ」
 「浅ましい奴らだ」
 「偉くしてあげたが皆、逃げていったよ。恐ろしいもんだな」
 戸田先生が、そう慨嘆しておられたことが忘れられません。
 仮に将来、創価の世界に、そういう卑怯な人間、また、安逸や贅沢にふける人間が出たならば、21世紀を生きる皆さんは、断固として戦い、追い出していただきたい。
13  戸田先生は言ってくださった。
 「信用できるのは大作だけだ」
 私は、戸田先生が一番、大変な時に、先生の真実と正義を叫び切りました。
 これこそが、真の弟子の道だからです。
 事業が破綻し、莫大な借金を抱えた先生は、学会の理事長も辞めざるを得なくなった。
 しかし私は叫びました。
 「私がいます」「私が借金を返します」「事業を大発展させてみせます」と。
 “絶対に戸田先生に会長になっていただく”という一心でした。
 当時、まだ20代前半です。今のような大きな組織も、建物もない時代のことでありました。
14  弟子で決まる
 本日、お越しくださった大画家の李振甫り・しんぽ先生も、私が対談集を発刊した敦煌の不滅の護り人・常書鴻じょう・しょこう先生のもと、師弟の道を貫き通してこられました。
 師匠である常先生が、弟子である李先生の奮闘を心から讃えておられたことが、私の胸に刻まれております。
 すべては、弟子で決まる。
 わが師匠・戸田先生も、悪口罵詈され、あらゆる非難中傷を受けました。しかし私は、先生の正義を叫び抜き、宣揚し、「世界の戸田先生」にしました。
 師匠に甘え、自分は何の攻撃も受けないで“いい子”になっている。そんなのは弟子ではありません。
 「師匠の本当の偉大さは、こうなんだ!」と残すのが弟子なのです。師匠が自分で残すものではない。
 これが人生の本然の法則であり、一番の究極です。
 それを、きょうは覚えてください。
 本日、晴れ晴れと集った同窓の皆さんは、働き盛り。働くことです。自分のために。社会のために。会社のために。
 皆さんは、私が中国と日本の国交正常化を提言した時と、ほぼ同じ年代です。〈1968年9月、名誉会長は40歳〉
 この提言に対し、当時は非難の嵐であり、味方は、ほとんど皆無に等しかった。
 しかし私は、日本の将来とアジアの未来を見つめ、考えに考え抜いて、提言を発表しました。
 周総理、鄧穎超とう・えいちょう先生ご夫妻も言われる通り、大事なのは「勇気」と「大胆」であり、革命の道は「楽観主義」で、困難に立ち向かってこそ開けるのであります。
 同窓の皆さんも、断じて勝利の歴史を残してください!
 ここで、「偉大なる中国」と「創価同窓の集い」の万歳をしよう!〈名誉会長の提案により、参加者一同が起立し、晴れ晴れと万歳を行った〉
 歴史をつくるのは対話 世界を変えるのは行動
15  「思想の交換で多くを学んだ」
 35年前のきょう5月5日は、私が大歴史家トインビー博士と対談を開始した日であります。
 ロンドンでも本日、記念の展示会や講演会等が盛大に行われるとうかがっています。
 トインビー博士は、天津も訪問されていますが、博士の中国に寄せる期待は、まことに大きかった。
 温家宝総理も、トインビー博士と私との対談集を読んでおられたようで、その話題にもなりました。
 35年前、トインビー博士との1年目の対談を終えてロンドンを発つ際、私は博士に御礼の手紙を出しました。
 すると博士からも、即座に返事が届きました。
 大事なのは、スピードです。創価は、このスピードで、勝ってきました。
 このトインビー博士からの手紙は大切に保管されており、今、東京牧口記念会館に展示されています。
 博士のお手紙には、こう綴られていました。
 「あなたと奥様(名誉会長夫妻)に、直接、お目にかかれたことは、私ども夫婦(博士夫妻)にとって大いなる幸せでした」
 「あなたは、人間の生命および人間の本質に関する最も根本的な問題を提起されました。あなたとの思想の交換によって、私は、じつに多くのことを学びました」
 83歳の世界的な大博士が、40歳も若い私に、このような対話の喜びを書き送ってくださったのであります。
 本当に偉い人は、謙虚です。
 トインビー博士と対話していた時、ある首脳会談のニュースが報じられたことがあった。
 博士は、その時、次のようなお話をしてくださいました。
 ──私たちの対話は、政治家同士の対談に比べれば、目立たないかもしれない。何の役にも立たないように見えるかもしれない。
 しかし何十年か先に、全世界が、「これだ!」と私たちの対話に注目する時が、必ず来るでしょう──
 これが博士の確信でした。まさしく、その通りになりました。
 一流とは学び続けることです。個人であれ、団体であれ、さらにまた一つの文明であれ、傲慢になり、学ぶことを忘れてしまえば、必ず滅び去っていく。
 生き生きと対話し、多くのことを他者から学んでいくところにこそ、真実の勝利と永遠の栄光が輝く。これで私はやってきました。
16  目を使え、耳を使え、頭を使え
 ともあれ、内弁慶では、絶対にいけない。
 心を広々と、社会に勇敢に打って出て、人間外交を繰り広げていくことです。黙っていてはいけない。しゃべるのです。
 これが人生であり、勝利の道です。
 私の友人で、何度も対話を交わしたアメリカのキッシンジャー博士は、著名な外交専門家です。この博士が、周総理の外交に深く感嘆しておられた。
 その周総理が、外交に携わる青年たちに強調されていた心得があります。〈『素顔の周恩来』外文出版社を参照〉
 第1に、「よく目を使うこと」。
 すなわち、読書であり、学ぶことです。
 第2に、「よく耳を使うこと」。
 相手の声に耳を傾け、さまざまな意見を聞くことです。
 第3に、「よく口を動かすこと」。
 明快に、自信満々と、正義と真実を語りに語ることです。
 「声仏事を為す」とは、中国の章安大師の教えです。
 第4は、「よく手を動かすこと」。
 人まかせにしないことです。自分自身で一つ一つ考え、手を打っていくことです。
 第5に、「よく足を動かすこと」。
 座して待つのではなく、自ら歩いて、人と会い、広く社会の中で、友人をつくっていくことです。
 そして、周総理が一貫して訴えられたのは、何か。それは「頭を使うこと」です。
 つまり、知恵の勝負であります。
 わが創価大学の山本新学長も、就任早々、間断なく動き、親友であられる東京大学の小宮山総長をはじめ、幾多の大学の首脳とも対話し、見事な外交を毎日、積み重ねている。
 今どき、そのような聡明な学者は少ないと賞讃されています。
 「動かないのが、学者馬鹿だ」と言った、ある哲学者の言葉を、忘れることができない。動くために学ぶのです。
17  功労者は庶民
 我ら創価は、大誠実の人間外交で、中国をはじめ、全世界に友情と信頼を結んできました。
 この正しい道を歩んだがゆえに、創価は勝ちに勝ったのであります。
 その功労者は、皆さん方の尊き父であり、母であり、無名の庶民です。
 周恩来総理も、愛する天津の青年に訴えました。
 「君たちは、人民の子である。ゆえに、人民のことを決して忘れてはならない」
 私も申し上げておきたい。
 「君たちよ! 晴れ晴れと確信をもって、平和と勝利のための人生を生き抜け! 勝ち取れ! 人間として悔いなき満足の一生を送りゆけ!」
 結びに、天津社会科学院の3つの伝統精神を紹介させていただきたい。
 すなわち、「より高くあれ!」「より新しくあれ!」「より厳しくあれ!」という偉大なる指針であります。
 私たちもまた、この3指針のごとく、希望も高く、信念も強く、そしてまた勇気凛々と、夢に描いてきた新しき大勝利の生き生きとした前進をもって、愉快に、朗らかに、人生勝利に向かって、進んでまいりましょう!
 頼みます!
 大変に、ありがとうございました。謝謝!

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