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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部代表協議会  

2007.2.27 スピーチ(聖教新聞2007年上)

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2  世界一の笑顔のスクラム!
 それは、ある哲学者の声である──。
 「母は笑顔を忘れるな!
  母の笑顔は、帝王の力よりも強い。
  母の笑顔は、平和と幸福の力である。
  母を讃えよ!
  母を大切に!」
 世界一の笑顔のスクラム・創価の婦人部の皆様方に、最大の敬意と感謝を表したい。
 尊き婦人部の皆様方が、広宣流布の最前線を、来る日も来る日も、どれほど真剣に奔走してくださっていることか。
 たとえ、だれが知らなくとも、大聖人が、すべてを御照覧である。
 大聖人は、日女御前への御手紙のなかで、こう仰せである。
 「女性の身として(法華経を信仰し)法華経のお命を継いでおられることは、釈迦仏、多宝仏、全宇宙の諸仏を生み育まれた父母のお命を継いでおられることになるのです。このような功徳をもっている人は、世界中に、ほかにいるでしょうか」(御書1250㌻、通解)
 広宣流布に生きゆく皆さま方の福徳は無量である。このことを、晴れ晴れと確信していっていただきたい。
 さらに大聖人は、静岡の女性門下であった窪尼御前に仰せである。
 「一切の善根の中で、父母に孝養を尽くすことが第一であり、まして、法華経を信仰しておられるうえでの孝養ですから、金の器に清らかな水を入れたように、少しも漏れることがありません。めでたいことです。めでたいことです」(同1481㌻、通解)
 窪尼御前の娘を讃えての御言葉である。
 健気に信心を貫く人の生命は、それ自体が「黄金の宝器」として輝いていく。父母への孝養の福徳の水は、そこに満々とたたえられていくのである。
3  全宇宙の仏菩薩・諸天善神が守る
 大聖人は、迫害に耐え、神奈川の地で戦っていた日眼女に対して、こう述べておられる。
 「(私が日本中から激しく迫害されて)女性など、仏法を理解していない方々が、日蓮につき従ったことを、どれほどか後悔しておられるであろうと心苦しく思っていたのに、案に相違して、日蓮よりも強盛な信心があると聞きました。
 これは、まったく、ただごとではありません。
 教主釈尊が、あなた方のお心に入りかわられたのかと思えば、感涙を抑えることができません」(同1126㌻、通解)
 大聖人は、厳しい状況のなかで強盛な信心を貫く女性の弟子を、最大に讃えておられた。
 どんな時にも、皆様方一には、大聖人がついておられる。また釈尊も、さらに全宇宙の仏・菩薩一も、皆様方を見守っている。無量無数の諸天善神が、皆様方に付き従っている。
 この大確信をもって、勇気凛々の前進をお願いしたい。
4  自分らしく輝け
 ロシアの文豪ドストエフスキーは記した。
 「花──それは希望にほかなりません」(小沼文彦訳『作家の日記3』ちくま学芸文庫)
 その通りである。
 信仰とは、いついかなる時にも、わが胸に「希望の花」を咲かせ切っていく究極の力である。
 ドイツの大詩人ヘルダーリンは、春を高らかに謳った詩の中で綴った。
 「日々は花のようにかがやいて出現する」(手塚富雄訳「春」、『ヘルダーリン全集2』所収、河出書房新社)
 同じ一生ならば、一日また一日、自分らしく花を咲かせて生き切ることだ。
 「笑顔の花」「励ましの花」「語らいの花」「友情の花」「行動の花」「充実の花」「喜びの花」──。
 ありのままの自分自身の生命を、伸び伸びと、思う存分に光り輝かせていけばよい。
 日蓮大聖人は「自体顕照」の法理を教えてくださった。
 御義口伝には、 「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」と明快に仰せである。
 人を羨ましがる必要など、まったくない。
 自分自身が、かけがえのない、尊貴な、美しい生命の花を持っている。
 自分にしか咲かせることのできない、最高に大切な使命の花を、晴れがましく咲かせ切っていくことが、そのまま「人間革命」の実証となるのである。
 神奈川出身で、第2総東京の天地でも歴史を刻んだ青年詩人・北村透谷は、“自信は心の花なり”と綴っている(勝本清一郎編『透谷全集第2巻』岩波書店を参照)。
 野に咲く花々が、雨にも風にも負けず、凛と咲き誇っていくように、何があっても、自信満々と朗らかに、笑い飛ばしていけばよいのである。
5  強き生命力で!
 戸田先生は、仏法の難解な法理の意義を、一つ一つ実践に即して、わかりやすく教えてくださった。
 たとえば、法華経寿量品に説かれる「更賜寿命 (更に寿命を賜え)」については、「我らに、あらゆる生活を乗りきる強き生命力、すべての悩みを打開する功力を与えてください」という意義があると語っておられた。
 そして、広宣流布に真剣に励んでいく、わが学会員は「御本尊の大功徳を、身に受け切りながら、仏の寿命も、我々の生命も、永遠だということを、自然のうちに悟っていくことができる」と言われたのである。
 さらにまた「発迹顕本」については、こう述べておられた。
 「行き詰まりを感じた時に、大信力、大行力を奮い起こして、それを乗り越えていくことだ。これが、私たちの『発迹顕本』となる」
 ともあれ、仏法の功力、そしてまた私たち自身が秘めている生命力は、今、自分が思っているよりも、はるかに大きな大きな力である。
 信心で乗り越えられない悩みなど、絶対にない。突き破れない壁など、断じてないのである。
 先生は言われた。
 「宿命は、それぞれ、みな違ったものをもっている。しかし、こうなりたい、ああなりたいと思う方向へ、必ず進んでいけるのが『妙法』である」
 「今、困っていたら、困ったなりに、信心を奮い起こせばよい。そうすれば、その瞬間から仏の生命が、仏の力が、その人の身に顕現するのである。過去に囚われる必要などない」
 妙法は、無限の希望の源泉である。
 ともあれ、戸田先生は「世法で、また国法で、誰が一番、立派か。そんなことは問題ではない。仏法の上で、誰が一番、立派かということが問題なのだ」と断言された。
 この仏法の上で一番立派な存在こそ、日々、広宣流布のために献身しておられる尊き創価の同志である。健気な庶民の皆様である。
 なかんずく、創価の婦人部の皆様方であると、私は強く申し上げたい。
6  地区を頼む!
 草創期、埼玉県の川口市で、婦人部のリーダーが「地区部長」に就任した。
 その方に、戸田先生は語りかけられた。
 「今度、川口の広宣流布は、貴女に頼むよ」
 これが、組織の第一線で戦う同志への戸田先生の信頼であった。
 今回、私が、長編詩「広布第一線・学会の要 地区部長 地区婦人部長の皆様に最敬礼」を贈らせていただいたのも、この戸田先生と不二の心である。
7  教育と果樹園の町に地区が誕生
 私と妻は、日本全国はもとより、世界中の同志から、お便りをいただく。つい先日も、インドの見事に発展する2つの地区から報告があった。
 一つは、ヒマラヤの町「クルー」の同志からである。クルーは、ヒマラヤ山脈の西側に抱かれた美しい「教育と果樹園の町」である。
 近くの中心都市シムラからも、車で約8時間かかる。交通手段は、山道の道路しかない。そのクルーの町に、昨年、初の地区が結成され、今、にぎやかな仏法対話の輪が広がっている。
 このクルーの町に、初めてSGIの友が誕生したのは、今から10年前。
 現在、地区婦人部長を務める、リチャ・クーラーさんが、ヒマラヤ地域のパイオニアとなった。
 クーラー地区婦人部長は、姉妹で創価大学に学んだ留学生であり、学生時代には、私たち夫婦も、幾たびとなくお会いし、ともに思い出を刻んできた聡明な女性である。
 クーラーさんは、創価大学に留学中、札幌創価幼稚園で研修を受け、いつの日か、インドの地でも、創価教育を実践する幼稚園をつくりたいと決意した。
 そして、インドに帰国すると、大都会のコルカタから、ヒマラヤの山深いところにあるクルーの町に嫁がれた。
 この使命の天地で、大果樹園の経営者であるご主人とともに、朗らかに活動に励みながら、幼稚園の開園の準備を進められている。
 クーラーさんの祈りに引き寄せられるように、今では、45人のメンバーが、この町で活躍するようになった。
 そして昨年、念願の地区の結成となったのである。
 クルーは、「教育と果樹園の町」と呼ばれるように、組織にあっても、教育者が多く、元学長や学部長もおられる。そうそうたる方々である。
8  地区部長は大学の教授
 地区部長は、ヒマーチャル・プラデーシュ大学の傘下にあるカレッジの教授で、経営学部長のナレーシュ・シャルマ博士である。〈ヒマーチャル・プラデーシュ大学からは、2002年、名誉会長に「名誉文学博士号」が贈られている〉
 地区部長のシャルマ博士の奥様も、サンスクリット学部の学部長で、地区の副婦人部長として活躍しておられる。
 これまで、ご夫妻で多くの同僚に仏法対話を重ね、この信仰に導いてこられた。
 地区では、大果樹園の経営者や、弁護士のメンバーなども活躍。地域社会から、絶大なる信頼を勝ちとっている。
 大きな会合があるときは、ヒマラヤの町から、約600キロ離れた、首都ニューデリー近郊の創価菩提樹園へ、皆で意気揚々と駆けつけ、参加されるという。
 求道の心を燃やし、異体同心で進む、まさに模範の地区である。
9  一人の青年が 立ち上がった
 さらに、東インド・オリッサ州の都市「プーリ」からは、青年が中心となって目覚ましい躍進を続ける地区のニュースが届いた。
 オリッサ州は、かつてアショカ大王が戦った「カリンガの戦場跡」で有名である。
 今、この地からも、妙法を持ったインドの青年たちが陸続と誕生するようになった。
 7年前、このプーリで一人の青年が入会した。
 オリッサ州が巨大なサイクロン(台風)の被害にあい、その悲惨な現実のなかから、彼は、信心で立ち上がったのである。
 以来、青年の熱意が青年を呼び、現在では、じつに、140人のメンバーを擁する大地区に発展した。しかも、そのうち120人が青年という、はつらつたる“青年地区”である。
10  プーリは、古くからの伝統や慣習を重んじる地域である。
 そのなかにあって、青年たちは、誠実と真剣で、信仰への理解を勝ちとり、地域に大きな信頼を広げている。
 今、不思議にも、仏教発祥のインドの大地から21世紀の地涌の菩薩たちが躍り出て、生き生きと活躍を開始する時を迎えた。
 大聖人が遺命され、戸田先生が誓願なされた「仏法西還」の花が、今、あの地でも、この地でも、爛漫と咲き始めている。インドは、仏法が還っていく大事な場所である。
 ご存じの通り、国家の発展も素晴らしい。21世紀の「人材大国」として、いよいよ輝きを増している。
 私たち夫婦にとって、このうえない喜びである。
11  ルーマニアにも平和と友情の花
 ヨーロッパのぺーター・キューン欧州副議長(東欧総主事)からは、ルーマニアの地区結成式が、この2月18日、首都ブカレストで盛大に行われたとの報告が寄せられた。
 〈今、メンバーは、名誉会長の「生死一大事血脈抄講義」を学び合っている〉
 社会主義体制の時代に、私が妻とルーマニアを訪問し、ブカレスト大学で講演を行ったのは、24年前のことである。「平和と友情の種」は、必ず花開く。
12  ドバイには湾岸SGI
 中東・アラブ首長国連邦のドバイには、このたび、教育・文化法人「湾岸SGI」が誕生した。
 湾岸とは、ペルシャ湾岸を意味し、広く親しまれている表現である。
 ドバイ政府が運営する教育センター「ドバイ・ナレッジ・ビレッジ」のアブドラ・アル・カラム前会長は、「中東における最初の活動拠点として、わがドバイを選んでくださり、SGIに感謝申し上げます。SGIのメッセージが、広まることを祈ります」と語ってくださっている。
13  京都の地から南米広布へ!
 世界広宣流布は、一段と加速度を高め、勢いを増している。
 この全世界の同志が、日本列島の各地の前進・勝利を、真剣に祈ってくれていることを、深く銘記されたい。
 また、これまで世界広布の発展のために、尊き人生を捧げてくださった大功労の友のことも、私と妻は忘れることはない。
 「南米広布の母」と慕われた、ブラジルSGIの故・シルビア・サイトウ総合婦人部長も、世界の婦人部の模範の一人であられた。
 シルビアさんは、誉れの京都女子部の出身。
 昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」に勇んで参加され、常勝関西の息吹のなかで信心を磨いていかれた。
 若いころから喘息で苦しんだ。しかし、信仰によって宿命を転換。
 29歳になる時にブラジルに渡り、幼い子どもたちを抱いて、広大なブラジルの天地に、同志とともに「妙法の種」を一つまた一つと蒔いていかれた。
 現在のブラジルSGIの大発展の礎には、広宣流布の誓いに、まっすぐに生き抜いた女性たちがいたのである。
 見栄も、気取りもいらない。仏道修行に終わりはないのである。
 いつまでも、どこまでも、まっすぐに仏法のために生き抜いていくのだ。その人が、真実の人生の勝利者である。
 ともあれ、若々しく、朗らかに進みましょう!
 妙法に生きる人は、「年は若くなり、福運はますます重なっていく」(御書1135㌻、通解)──このように大聖人は仰せである。これが仏法を持った人の姿なのである。
14  「人間が 動き出しけり 春の風」──四国出身の正岡子規の旬である(『子規全集第2巻』講談社)。
 いよいよ、「行動の春」である。
 小説『武蔵野』などで知られる千葉出身の作家、国木田独歩は綴った。
 「今や冬去り春来り、梅も咲き、桜も笑わん」(「旅行」、『國木田獨歩全集第1巻』所収。学習研究社。現代表記に改めた)
 馥郁と咲き薫る梅花、そして桜花とともに、爛漫たる創価の勝利の春を、皆で明るく、はつらつと迎えていきたい。
 古代中国の思想家・韓非子かんぴしは記した。
 「善の生きるは春の如く、悪の死するは秋の如し」(金谷治訳『韓非子』岩波文庫)
 これは、善行があれば、それを春の恵みのように育てる。反対に悪事があれば、それを滅することには、秋の厳しさをもって臨む、との意味である。
 同志や青年への励ましは、春の光のごとく明るく笑顔で! 友情の対話の拡大は、春の風のごとく朗らかに!
 そして傲慢や邪悪への攻めは、秋霜のごとく痛烈に臨んでいくのである。
15  “本物の弟子”よ、出でよ!
 学会は、異体同心である。さまざまな人が集う。だからこそ、「和合僧」としての力を発揮できるのだ。
 それを、リーダーが派閥のようなものをつくったり、権威ぶっては、断じてならない。
 伝教大師の時代には、中国へ渡る「入唐にっとう」が行われていた。唐に行っていない人、行った期間が短い人を軽んじる風潮もあった。
 日蓮大聖人の弟子のなかにも、三位房のように、当時の京、比叡山に遊学し、いわば“最高の学歴”を持ち、慢心を起こした弟子がいた。
 そうした、世俗の権威や名聞名利に流されるエゴを、大聖人は次のように厳しく叱責されている。
 「総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう」(御書1268㌻、通解)
 大聖人御自身は、海外には行かれていない。日本で仏法を究められた。
 今、いるところで戦う──つまらぬ見栄など微塵もない、「無作三身」そのままの御生涯を通して、御本仏としての真実の姿をあらわされた。
 その戦いをわかっておられたのは、日興上人御一人であった。
16  次元は違うが、戸田先生の広宣流布の戦いもまた、当時、本当にその価値をわかっている人は、周りにいなかった。
 私は、戸田先生の苦境を共に乗り切り、先生の誠を受けて、学会を守ってきた。
 「全世界に民衆の幸福の大殿堂をつくろう!」
 「世界に冠たる学会にしよう」と戦ってきた。
 どれだけのことが、一人の人間にできるか、その限界に挑戦してきた。
 牧口先生には、真剣に仕えた戸田先生がいた。戸田先生には、真剣に仕えた私がいた。
 この師弟の心を、だれが本当にわかってくれるだろうか。師の仕事を、たとえ億万分の一でも、担い立とうとする人がいるだろうか。創価の魂を継ぐ、“本物の弟子”が出てくるまで、私は断じて生き抜かねばならない──今、そのように思っている。
17  これまで、心ない誹謗中傷が学会を襲った。戸田先生が攻撃された時、私は、すべての敵と戦った。
 しかし、師の近くにいるにもかかわらず、師の偉大さがわからない。師の心に近づいていけない愚かな弟子がいた。
 なかには、学会の内部から混乱をたきつける者もいた。先生を罵倒する者さえいた。
 その卑劣な反逆の姿に、 「異体同心ではないか!」と激怒することもあった。
 外見は、いい格好をして、腹の中は、ふざけ半分で、インチキやずるさを隠す。そういう情けない人間の世界があることを、私は知っている。
 そうした動きは全部、わかるものだ。透き通るようにして、見えてしまうものだ。それが仏法の力である。
 中途半端な、卑しい心でつくり上けることのできる創価学会ではない。
 今日の世界的発展を、牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでおられることだろうか。
18  心の富める人生
 明治の作家・樋口一葉は、今年、生誕135周年を迎える。
 彼女は、1872年の3月生まれ(旧暦)。1871年生まれの牧口先生と同世代である。樋口一葉は、現在の東京・文京区や台東区などを舞台に、青春の生命を燃焼し尽くし、生ききった。
 その「日記」に、こういう一節がある。
 「世の中というものは本当にわからない所ですから、ただ見た目や噂だけでは信用できません。
 地位や身分が尊いからといって恐れる必要は少しもなく、みすぼらしい家に住んでいるからといって軽蔑してはいけないのです。名前と実質とは常に一致するとは限らないのです。
 要するに馬鹿にしてはならないのが世の中というものです」(高橋和彦訳『完全現代語訳 樋口一葉日記』アドレエー)
 たしかにその通りである。
 他人がどうあれ、世間がどうあれ、自分自身として、「誠実一路」を貫き通した人こそ、人間としての勝利者である。
 気取りは禁物だ。誠実にかなうものはない。
19  そして一葉は、こうも語っている。
 「心の中のダイヤモンドを捨てて、何故に外界のダイヤモンドをこれ程までに求められるのだろう。
 心のダイヤモンドはこれを磨けば、心貧しい人を豊かにもすることが出来るし、濁ったわが身を清らかにすることも出来るのです」(同)
 日夜朝暮に、わが心のダイヤモンドを、怠らずに磨いておられるのが、信行学の実践に励む皆様方である。
 仏道修行で、行く場所がある。会うべき人がいる。実は、これほどありがたいことはない。これほど「心の富める人生」は、絶対にないのである。
 仏法は厳しい。全部、道理である。
 今世で戦いきれば、来世もまた、悠々と、幸福勝利のドラマの主人公として歩むことができる。
 どこに生まれようと、「最低」の状況から、その国土を「最高」に善くしていく。そういう“仏法の達人”の力を持った、悠々たる自分自身を築いていけるのである。
 皆様は、どうか朗らかに、偉大な歴史を残していただきたい。
20  中世最大の知恵の女性
 かつて私は、ライン川が流れる、ドイツの「ビンゲン市」から、市にゆかりの偉人の記念メダルをいただいた。
 その偉人とは、ヒルデガルト(1098〜1179年)。
 「ビンゲンの宝石」と謳われ、「中世最大の知恵ある女性」と讃えられた。
 このビンゲン市には、SGI(創価学会インタナショナル)のヴィラ・ザクセン総合文化センターが立っている。
 〈ヒルデガルトの生誕900年記念メダルが、1997年、名誉会長に贈られた。これは市の重要文化財であるヴィラ・ザクセン総合文化センターを保護・活用していることに感謝したもの。
 また、センターを通じた文化貢献を讃え、市から「金のペン」特別顕彰(2002年)、銀製の「市の紋章」と特別顕彰(2005年)等が名誉会長に贈られている〉
 今、私どもの平和・文化・教育の連帯に、ドイツをはじめ世界の多くの識者が正視眼の評価を寄せてくださっている。
 その人が、何を為したのか。その団体が、いかなる貢献をしているのか──この現実の行動に対して、まっすぐにとらえ、率直に讃えてくださっている。
21  さて、ビンゲン市が誇る女性、ヒルデガルトは、「知の巨人」であった。
 彼女は、科学者でもあり、芸術家でもあり、作家でもあった。女性が社会的に差別されていた時代に、多くの分野で業績を残した。
 とくに、彼女の「医学」と「自然学」の先駆的研究は、近年、あらためて評価されている。
 〈ヴィラ・ザクセン総合文化センターでは、ヒルデガルトに関する講演会や展示会も開催されている〉
 きょうは、女性ドクターのリーダーも出席されている。
 常日ごろの偉大な献身に、心からの敬意と感謝を表したい。
22  腐敗の坊主は闇
 ヒルデガルトは、宗教者でもあった。腐敗した聖職者を厳しく批判した。〈以下、ヒルデガルトの言葉は、H・シッペルゲス著、熊田陽一郎・戸口日出夫訳『ビンゲンのヒルデガルト』教文館から〉
 「あなたたちは闇を呼吸する夜である、すっかり裕福な状態にあって、もはや光のなかを歩まない頑迷なる民である」
 「あなたたちはもはやよき範を示す生き方ができない」
 「嘔吐をさそうがごとき金銭と欲望のために、もはやけっして自分の民を養成することがない」
 古今東西、いずこの世界でも、腐敗堕落した坊主の姿は、どれほど愚かで、自己中心で、浅ましいことか。
23  「輝く宝石」のように!
 ヒルデガルトは、積極的に社会の人々と関わっていった。医療についても、苦しむ人々に奉仕する心の重要性を訴えている。
 彼女は、隣人や他者に対する慈愛を失うことを、「あらゆる悪しきこと」のうちで「最悪のこと」と戒めている。
 彼女は、こう綴っている。
 「だれにでも助けを差し伸べようという思いで、わたしのこころは充ち満ちています。
 わたしはあらゆる苦難に心を配ります。くずおれた人を助け起こし、彼らを快癒させます。
 わたしはどんな痛みも癒す香油であり、わたしの言葉はよい働きをします」
 ともあれ、婦人部・女子部の皆様方は、勇気と慈悲をもって、常に、“あの人のため”“この人のために”と心を砕いておられる。
 悩める友に励ましの言葉をかけ、希望を贈り、勇気を贈っておられる。
 そして、仏法の生命哲学はもとより、社会のさまざまな知識を学びながら、勇敢に地域貢献に奔走しておられる。
 皆様方こそ、愛する、わが地域の「輝く宝石」であると、最大に讃嘆申し上げたい。
24  ところで、近代日本の公認第1号の女性医師と言われる荻野吟子(1851〜1913年)、第2号の女性医師・生沢クノ(1864〜1945年)を輩出したのは、埼玉である。
 二人とも、“病に苦しむ女性を救うのだ”という強い決意で、近代日本の女性史を切り開いた。
 その道を開く苦闘について、荻野は述べている。
 ──嘲り、罵りは、一度に、私に向かって湧いた。進退は、ここにきわまり、あらゆる方策も尽きてしまった。
 しかし、わが体は衰えても、精神はいよいよ激しく高ぶる──と。
 〈「嘲罵は一度予に向って湧きぬ。進退是れきわまり百術総て尽きぬ。肉落ち骨枯れて心神いよいよ激昂す」(韮塚一三郎著『埼玉の女たち』さきたま出版会〉
 荻野は、女性教育、婦人運動にも携わった。女性自身の変革、女性の地位向上にも戦った。
 たとえば、当時は、女性に選挙権がなく、帝国議会の傍聴さえ、女性には禁止された。
 荻野らは、傍聴禁止の撤回を求めて運動を起こし、撤回を実現している。
 これは、婦人団体の政治運動が勝利した、日本で最初の成果と言われている。
 わが創価の女性たちの地道な行動も、時が立てば立つほど、歴史的な意義が燦然と光り輝いていくことは間違いない。
25  気取りなく 民衆と共に
 第2号の女性医師・生沢クノは、生まれ故郷・埼玉の深谷をはじめ、寄居、本庄、川越等で、地方医療の発展のために尽力していった。
 町の医者として、地域の人々のために奔走した。名聞名利を求めず、無名の献身の道を生きたのである。
 ゆえに、生沢の足跡に関する資料は、決して多くない。
 生沢クノが亡くなった後、地域の住民が語った証言が残っている。〈以下、生沢クノに関する証言は、田中正太郎著『日本女医第2号 生沢クノ伝』生沢クノ伝記刊行会から〉
 「クノ先生の生活態度は清潔と質素そのもので、己れを持するに厳格」
 「人情深く貪しい病人には無料で医療を施したことを、数多く耳にしております。
 研究心も旺盛で夜おそくまで勉強に励んでいる姿を、硝子戸越しによく見かけました」
 「母の生命を助けてもらった喜びが忘れられない」
 こんな言一葉も残っている。
 「あのクノお婆さんが日本女医界の開拓者の一人ですって、そんな偉いお婆さんだったとは夢にも思いませんでした」
 それほど彼女は、なんの気取りもなく、民衆の中で、民衆と共に生き抜いたのだ。
 クノは最晩年、取材を受けて、自分が「日本女医の道を開いた」一人である誇りを、静かに、しかし厳然と語ったという。
 無名であってもよい。いな、無名だからこそ尊い。自分らしく、道を開くことだ。
 庶民の中で、庶民の幸福のため、地域の安穏のために尽くす人生には、人間としての、ひときわ大きな誉れが輝いている。
 いわんや、広宣流布に生き抜いた境涯は、三世永遠に、歓喜の中の大歓喜に包まれていくのだ。
26  風が自由に空を吹き渡るように
 法華経の神力品には、仏の滅後、なかんずく末法において、正法を持つ者のことが、こう記されている。
 ──楽しんで法を説いて、終わることがない。それは、ちょうど風が空中を自由自在に吹きわたって、何ものも妨げることがないようなものである──
 広宣流布に勇んで戦う皆様方に、この自在の力が涌現しないわけがない。絶対に行き詰まることはない。
 日蓮大聖人は、新潟の佐渡で戦う千日尼に仰せである。
 「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし
 さらに、病の幼子を抱えた四条金吾夫妻へは、こう励まされた。
 「災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同1124㌻、通解)
 戸田先生も言われた。
 「御本尊を信じ切り、唱題で勝ち抜く以外にない」
 「題目は多い、少ないだけではない。信心の真心がこもっているなら、必ず御本尊に通ずる」
 法華経に勝る兵法はない。絶対勝利の信心である。
27  賢明なる女性の言葉を紹介したい。
 アメリカの女性人類学者マーガレット・ミードは言った。
 「良識あるわずかな人間の集まりが世界を変える可能性がある。実際、世界を変えてきたのはそういう人たちだけなのだ」
 また苦難を乗り越えて社会福祉に尽くしたヘレン・ケラーは語った。
 「友がいれば、世界は日々生まれ変わります。友の温かいはげましがなければ、どれほど勇気があろうとも強く生きることはできません」(ジュディス・セントジョージ著、片岡しのぶ訳『ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士』あすなろ書房)
 大切なのは、友との語らいであり、励まし合いである。
 さらにヘレン・ケラーは綴っている。
 「ときには、望むものすべてをやりとげることなどできない、と思ってしまいます。でも、できると考えるつもりよ。だって、忍耐と根気が最後には勝つ、とわかっていますから」(同)
 きょうは、「アメリカ婦人部の日」であり、さらに「ブラジル婦人部の日」でもある。
 世界中の婦人部の皆様方から、多くの祝賀と喜びの声が寄せられていることを紹介させていただく。
28  結びに、わが婦人部の皆様方に3首の歌を贈り、記念のスピーチとさせていただく。
  喜びも
    共に光らむ
      創価かな
    偉大な母をば
      蓮祖は守らむ
  
  人生の
    幸福長者の
      母なれば
    富士は見つめむ
      世界は誉めなむ
  
  広宣を
    喜び祝う
      母たちを
    諸天の善神
      守りに護らむ
 愉快に進もう! 皆が楽しく勝利できるように、男性も明るく進んでいこう! 長時間、ありがとう!

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