Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新時代第4回本部幹部会 新時代第1回全国青年部幹部会

2007.2.8 スピーチ(聖教新聞2007年上)

前後
2  人間性光る幹部 法に則った組織
 後世のために申し上げておくが、幹部が威張ったり、堕落して、そのために会員が犠牲になるような組織だけはつくってはいけない。
 どこまでも、人間性あふれる幹部であり、組織であり、普遍の法に則った学会であらねばならない。
 もしも、仏法に違背するような幹部が出れば、きっぱりと正しい意見を言い切っていくべきである。その人が本当に学会を守る人である。
3  突破口を開け!
 戸田先生は、生涯をかけての結論として、こうおっしゃった。
 「現在の戦いも、青年で決まる。未来の戦いも、青年で決まる」と。
 このご指導の通りに私は戦い、戸田先生のご構想のすべてを実現してきた。
 師弟の絆というものは、親子以上である。
 真夜中に緊急に、戸田先生のお宅に呼ばれ、未来の布石のために、真剣に協議を重ねたこともあった。
 今とは時代が違うから想像もできないだろうが、それほど厳しい訓練であった。
 55年前(1952年=昭和27年)の「2月闘争」も、遅々として進まない折伏に業を煮やした戸田先生が、 「このままでは広宣流布はできない!」「大作、立ち上がれ!」と叫ばれたことから始まったのである。
 それまで、戸田先生の会社で働きに働いていた私にとって、「2月闘争」は、いわば、思い切り学会活動に打って出る初陣の戦いとなった。
 そして、猛然と限界の壁を打ち破った。
 一人が立ち上がるのだ。一人が大事なのである。そこから必ずや突破口が開かれる。
 〈当時、名誉会長は24歳。1支部で「1カ月に100世帯の折伏」も難しいとされていたなか、名誉会長が支部幹事として指揮を執った蒲田支部が、2月の1カ月で、過去最高の「201世帯」の弘教を達成。ここから恩師の悲願である75万世帯の実現へ広布の炎が燃え上がっていった〉
 いつの時代も、歴史をつくるのは青年である。
 若き池田門下生の自覚と誇りをもって戦うのだ──こう深く決めた人が一番強い。一番幸福なのである。
4  尊き海外の同志の皆さま方、遠いところ、寒いなか、本当にようこそ、お越しくださいました!
 カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フランス、ブラジルの皆さま、有意義な研修会、まことにご苦労さまです!
 私たちは、法華経の通りに、広宣流布の指導者の皆さま方を、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如く」最敬礼をしてお迎え申し上げたい。
 全員で起立して、もう一度、大拍手で歓迎しましょう。本当にご苦労さまです!
 今、全世界で広宣流布の新しい前進の光が輝き始めている。
 一番遠くから来てくださったブラジルでは、今年の5月3日を祝賀して、地上6階・地下3階の堂々たる「新文化会館」も完成する。おめでとう!
 ブラジルといえば、昨年1月に再選を果たされたルラ大統領から、元日の就任式への丁重な招待状を頂戴した。4年前の就任式にも、ご招待をいただいている。〈いずれもブラジSGIの代表が列席した〉
 また昨年、私が200番目の名誉学術称号をお受けした際にも、ルラ大統領は、真心こもる祝賀のメッセージを寄せてくださった。
 なお、このほど、ブラジル政府の教育省から、公式文書が届いた。
 それは──名門・南マットグロッソ連邦大学から私への「名誉博士号」の決定通知であった。
 これで名誉学術称号は決定通知を含めると「226」となった。
5  「恩師に捧げる」
 すべては、恩師・戸田先生に捧げる栄誉である──この一念で私は生きてきた。
 どんな世界でも、師匠のこを忘れず、師匠に何かで応えいく。それが弟子の務めである。師弟とは、そういうものである。
 いわんや、「師恩」を最も大事にするのが仏法である。それを知るか知らないか。深く実行するかしないか。それで一切は決まってしまう。
 断じて、増上慢になってはいけない。
 そしてまた、この福運は、すべて、わが同志に通ずるものであり、お子さんやお孫さんが、必ず立派に育ち、海外に雄飛したり、優秀な博士となっていく証しなのである。
 さらに、私が代表でお受けすることで、わが同志が、わが弟子が、その国、その地で、未来永遠に絶対に護られ、勝ち進んでいける「信頼の道」を開いていることを知っていただきたい。
 ここに師弟一致の深き意義がある。
 ともあれ、全世界の心ある知性も、指導者も、創価学会の「人間主義」の哲学を求め、その「前進・勝利」を喜び始めた。
 時代は大きく変わっているのである。
6  “宗教革命の若人勇躍、師の下に”
 1951年(昭和26年)の2月8日、戸田先生のもとに、私が選んだ青年の精鋭が集った。
 たったの14人。当時はまだ、本当に信頼できる同志は少なかった。
 そして先生のもとで、訓練が開始された。
 最初の教材は、革命小説『永遠の都』 (ホール・ケイン著)。
 我らの「永遠の都」をつくるのだ! そうした師の心が込められていた。
 『永遠の都』を読め。君の一番信頼している人間にも読ませなさい──こう戸田先生は、事前に私に言われていたのである。
 23歳の私は、日記に記した。
 「宗教革命の若人十四名、勇躍、師の下に集まる」「今夜の歴史的会合、実に三時間以上に及ぶ。皆、真剣なり」
 「吾人等(=我ら)の断行せんとする革命は、それら(=政治革命や経済革命)より本源的な、宗教革命なり」
 「即ち、真実の平和革命であり、無血革命なり」
 厳粛であった。躍動があった。
7  人間讃歌を高らかに!
  『永遠の都』の主な舞台は、西暦1900年のローマである。
 若き革命家たちが、民衆が、時の暴政に立ち上がる。宗教の権威や政治の権力と、敢然と戦う。
 その先頭に立つ一人がロッシイ。学会でいえば、青年部のリーダーである。
 革命児たちは、人間共和の理想を掲げる。
 本来、人間に、上も下もない。皆、平等だ。我らの「人間主義」の信条とも共鳴する。
 「永遠の都」を目指す若人は、絶対の同志愛で、厳冬のごとき幾多の試練を乗り越え、歓喜が躍動する“勝利の春”を勝ち開く。そういう物語である。
 この本を通して、戸田先生は、学会の真髄の精神を教えてくださった。本当に偉大な先生であられた。
 広宣流布とは、平和と文化と教育の「永遠の都」をつくる大事業である。
 正義と幸福の「永遠の都」。
 民衆勝利の「永遠の都」。
 人間讃歌の「永遠の都」。
 生命尊厳の「永遠の都」。
 常楽我浄の「永遠の都」。
 これらの大建設は、人類が何千年来、求めてきた夢である。目標である。この偉業を根底から実現しているのは、わが創価学会しかない。
8  “我らは前進! 勝利の日まで”
 ここで、『永遠の都』から、いくつかの言葉を紹介したい。〈以下、引用はすべて、新庄哲夫訳『永遠の都』潮文庫から〉
 まず、主人公の革命児ロッシイの言葉である。
 「いまほど、未来への強い確信をいだいたことはない。どこへいっても、時代の流れはぼくたちに味方している」
 我々の時代を開こう!──これが革命児だ。青年部の心意気である。
 作品に綴られている。
 「国家には興亡があるけれど、人間は不滅の存在だ」
 一番大事なのは人間である。国家ではない。ゆえに、「人間革命」が重要なのである。
 ロッシイは言った。
 「人間性こそ、この世でもっとも神聖なものです」
 この最も神聖な「人間性」を、仏法を持った人は、最高に輝かせていくことができるのだ。
 さらに、ロッシイの言葉である。
 「道徳に立脚した革命のほかはいかなる革命も永続しない」
 「宗教の名において行なわれた革命は後退することがあっても、勝利をおさめる日がくるまでは絶対に死に絶えない」
 一つの真髄ともいえる言葉である。
 我らが進める「人間革命」の大運動も、まさにこの言葉通り、永遠性をもっている。すごいことである。これ以外に、人間の真の勝利はない。
9  同志とともに!
 ロッシイの同志であるブルーノ。彼は、謀略をはねのけ、最後の最後まで友を信じ抜き、「ロッシイ万歳!」と叫び、死んでいった。
 心から離れない重要な場面である。
 同志を裏切らない。同志を守り抜いて、生涯を全うする。
 今の世には、これと反対の人間が多い。自分はいい子になって、同志を売る──なんと卑劣な姿か。
 戸田先生は、本当に深い考えをもって、この本を読ませてくださった。
 私は、戸田先生のご期待通りに行動し、生きてきたつもりである。
 このブルーノの最期について、美しき女性ローマは綴っている。
 「欺瞞に打ち勝った勝利、誘惑に打ち勝った勝利、嫉妬に打ち勝った勝利、なかでも自分に打ち勝った勝利の声だったのですわ」
 ヒロインであるローマは、こうも語っている。
 「わたしにとって、幸せとは苦しみの中にしか見つからないものですわ」
 その通りである。苦労があるから成長できる。生命の濁りも、信心で浄化される。 「煩悩即菩提」である。
10  再び、ロッシイの信念を紹介したい。男子青年部の諸君のために。
 「こんごどんな事態が発生しようと、そんなことは少しも意に介さないで、民衆のために一身をささげよう。
 自分と、人の世のために尽くすという仕事とのあいだには──たとえどんなことであれ割り込んでくる余地はないのだ」
 そして、ロッシイはこうも綴っている。
 「わが身に課した使命をつらぬくにあたって、いつふりかかってくるやもしれぬ艱難を受け止める覚悟ができていなくてはなりません」
 また、ある登場人物は語っている。
 「山は動かない。しかし、人間は動くようになっている」印象深い言葉である。
11  「何を読んだ?」「どんな内容だ」
 戸田先生は、以前から『永遠の都』を読んでおられた。先生にとって、大事な一書であった。
 そして、私を見つけ、「よし、大作、読みなさい」と薦めてくださったのである。
 訓練は、一対一。私は当時、幹部でもなかった。しかし、戸田先生のもとで薫陶を受けさせていただいた。
 先生に初めてお会いしたのは19歳。大田区の座談会でのことであった。
 先生との日々は、美しい光景となって、今も私の心に焼き付いている。
 戸田先生はよく、世界の名著に触れて、「大作、いい言葉だな」とおっしゃっておられた。
 先生も一緒に読まれた。「どこまで読んだ?」と、よく聞かれたものである。
 会えば、「今、何を読んでいるんだ?」「それは、どういう内容だ?」と聞かれる。先生の訓練は厳しかった。
 ごまかそうにも、嘘は長続きしない。1年365日、油断できない。私の妻も、よく知っている。
 本当に徹底して薫陶していただいた。
12  『永遠の都』には綴られている。
 「民衆の敬愛という広い基盤に立った王座は強く、正しい」
 一番大事なのは、民衆である。民衆の上に、大道は開かれる。民衆よりも大事なものはない。
 また、このような一節もあった。
 「創始者はつねに殉教者だ」
 先頭に立って戦う創始者! 牧口先生も、戸田先生も、そして私もそうである。
 享楽になど見向きもせず、自分をなげうって戦う。それなのに、悪口を言われる。それが、殉教者である。
 私は、戸田先生の遺志を、寸分も違えることなく、実現してきた。この一点を断言しておきたい。
 歴史を見ても、正義の人がヤキモチを焼かれ、中傷されてきた。
 それを見ながら、何もせず、真実を叫ばなければ、その罪は大きい。
 ロッシイは、強い信念をもっていた。
 「殉教にはなんという力があるのだろう! 古代ローマの皇帝たち、貴婦人、宮廷人はいまいずこ? ただのほこりと灰にすぎないではないか。ところが、殉教者はいまの世にも生きつづけているのだ!」
 虚栄の人間がなんだ。殉教者こそ、最も尊いではないか──と。
 ロッシイの言葉には、こうある。
 「正義の精神にのっとった大きな憤りは、人種や国家間のあらゆる障害をうちこわしたのだ」
 壁を壊せ。新しいものをつくれ!
 真実の正義の精神、正義の人間性でいけ!
 この心で進もう。ロッシイのごとき、革命児となって!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
13  若者に栄あれ
 青年部の皆さんに、古今の箴言を紹介したい。
 「若者に栄あれ」──古代ギリシャの詩人ピンダロスは謳った(久保正彰訳「オリュムピア祝捷歌集」、『世界名詩集大成① 古代・中世篇』所収、平凡社)。
 頼むのは、青年である。戸田先生も、青年の私に託された。
 青年しか、信じられない。青年部、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 ドイツの大哲学者ヘーゲルは、 「前方を絶えず見つめるのが若者です」と語った(上妻精編訳『ヘーゲル教育論集』国文社)。
 後ろを見たり、横を向いたり、うつむいてはいけない。青年は、頭を上げ、胸を張って、まっすぐ前へ進むのだ。
 戸田先生は語られた。
 「信心は最極の正義である」
 「強く生き抜け! 学会は強気で行け! それが正義のためだ」
 先生は、よくおっしゃっていた。 「強気で行け! 強気で行け!」と。特に、悪に対して、遠慮はいらない。
 戸田先生 学会は強気でいけ!
14  友に希望を! 力を! 幸福を!
 四条金吾は、日蓮大聖人の「竜の口の法難」にお供した。
 健気な金吾を、大聖人は賞讃され、「太陽の前には、いかなる闇も消え去る。それと同じように、不二の師弟は、地獄をも寂光土に変えることができるのです」(御書1173㌻、趣意)と励まされた。
 〈「日蓮と殿(=金吾)とが、ともに地獄に入ったならば、釈迦仏も法華経も、地獄にこそ、おられるにちがいない。たとえば、闇の中に月が入って、あたりを照らすようなものであり、湯に水を入れて冷ますようなものであり、氷に火をたいて溶かしてしまうようなものであり、太陽に闇を投げて闇が消え去るようなものである」(同㌻、通解)〉
 牧口先生は、獄中での尋問に答え、法華経の一節を通して、大聖人の本義と、それに連なる学会の正義を堂々と語っていかれた。
 それは、地涌の菩薩の使命を説いた、神力品の一節である。
 「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く斯の人は世間に行じて能く衆生の闇を滅し」(太陽と月の光明が、もろもろの闇を除くことができるように、この人〈如来の滅後、法華経をよく持つ人〉は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる)
 この経文を、牧口先生がよくおっしゃっていたと、戸田先生からも、うかがったことがある。
 ――社会の中へ、民衆の中へ、勇んで打って出よ! 人間に、庶民に、苦悩の闇を破る、希望を持たせよ! 力になってあげよ! 勝利の方向へ連れてゆけ!──これが、牧口先生以来の、学会の誉れある実践の正道になっている。
 これまで、この精神でやってきた。これからも、これで勝とう!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 学会ほど素晴らしい集いは、世界にない。
15  広宣流布は、戦いだ。抽象論でもなければ、遊びでもない。
 その戦いに臨む心構え、覚悟を、大聖人はこう仰せである。
 「『釈迦・多宝・十方の仏よ! 来り集まって、わが身に入り、我を助けたまえ!』と祈念しなさい」(御書1451㌻、通解)
 「弥三郎殿御返事」で、大聖人が激励しておられる。
 祈りがあれば、すべての仏菩薩が動く。信心強盛ならば、なおいっそう動く。
 我々とともに、何千万、何千億という仏菩薩がいる。
 それは、目に見えないけれども、仏の眼から御覧になれば、厳然と見えているのである。
 毎日、皆さんが唱題する時にも、無数の仏天が、一緒に御本尊に向かっている。
 日々の勤行・唱題とは、そういう儀式であり、「全宇宙が舞台」なのである。
16  一番強い「大願」 それは広宣流布
 さらに御書を拝したい。
 大聖人は、法華経授記品から「魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する」という一節を引かれている(同1424㌻、通解)。
 本当に信心が強ければ、魔物も、魔民も、全部、その人を守る働きとなる。敵であっても、味方に変えることができる。
 これが、妙法の力だ。
 「上野殿御返事」には、有名な「願くは我が弟子等・大願ををこせ」との一節がある。
 一番強い「大願」。それは、自他ともの成仏であり、広宣流布である。折伏である。
 大願のために動いた人を、諸天善神が護るのである。これをやってきたから、学会は世界に広がった。
 次の御文も、よく知られている。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ
 愚か者に、笑われてはならない。
 青年部は、皆から「さすがだな!」と言われるような、 「師子」の実力を鍛えていただきたい。
 また、「如説修行抄」には「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」との御金言がある。
 絶対に、退転してはいけない。また恐れてはならない。堂々と生き抜いて、勝つ。だからこそ、学会はここまで来た。
 いい青年部が育ってきた。青年部、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
17  来るべき春に備え力を蓄えよ
 戸田先生の哲学に学びたい。
 「冬は沈思の時ではあるが、引っ込み思案に安閑と過ごす時ではない」──戸田先生は、冬になると、冬の話をされた。夏になると夏の話を、海に行くと海の話を、山に行くと山の話をされた。
 いつも、絶妙な、見事な話をされる先生であられた。皆が、先生から聞いたことを忘れてしまっても、私は全部、覚えている。
 「(冬は)きりっとした身のしまるような気候の中に、来るべき春に備えて、営々と活力を蓄える時である。
 雪の下にも生命の芽生えは、たゆみなく春の準備に忙しいのである」
 いい言葉である。戸田先生らしい、詩人の言葉であると思う。
 「青年は」──よく、先生は話された。
 「青年は、北風に向かって、堂々と進め!」
 「苦難の道に向かって、悠々と走り抜け!」と。
 また、「青年の強みは燃ゆるが如き熱情にあり」と。
 私も、情熱を満々と発揮しながら戦ってきた。
 学会のリーダーは、特に最高幹部は、皆の幸福を考え、生命を尽くして、学会の将来の歴史を刻んでいかねばならない。
18  わが生命が宝塔
 中国の革命作家・魯迅は述べている。
 「今日、何が貴重であり、何が待望されるかと言えば、衆人の騒がしい議論に追随することなく、ひとりおのれ自身の見識を持して立つ人物があらわれることである」(伊藤虎丸訳「破悪声論」、『魯迅全集10』所収、学習研究社)
 なんだかんだと騒ぐだけの、薄っぺらな議論。そんなものに追随する必要などない。一人、己自身の見識と信念を持して立っていく人物が現れることを希望する──。
 これが魯迅の訴えであった。私たちは、この精神で立つのである。
 戸田先生は言われた。
 「誰もが等しく仏子であり、また宝塔であるというのが、日蓮大聖人の大精神だ。だからこそ、万人を救い得る真の世界宗教といえるのだ」
 妙法を唱えゆく、わが胸中の肉団に、御本尊がある。だれもが、わが生命を、妙法蓮華経の宝塔として輝かせていくことができるのである。
 だからこそ、大聖人の仏法は、万人を救う世界宗教だといえるのである。
 戸田先生は、厳しかった。そして、やさしかった。
 戦時中、学会は軍部の弾圧を受け、多くの最高幹部が投獄された。牧口先生、戸田先生は最後まで信念を貫き通された。
 しかし、こうした迫害に恐れをなした幹部は、次々と退転してしまったのである。
 先生は言われた。
 「信心で越えられぬ難など、断じてない。全同志が、誰ひとりとして、負けずに信心をまっとうしてもらいたい」
 これが遺言ともいうべき、先生の指導であった。
 また、先生は「必ずできる! できないと止めてしまえば、何でもダメだよ」とよく話された。
 まず自分が立つのだ。人まかせではいけない。
 すぐに「できない」と決めて、あきらめてしまう──そんな人間になってはならない。「必ずできる!」。この精神で進もう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
19  困難から栄光が
 戸田先生は言われた。
 「信心は形式ではない。命を打ち込んで、御本尊に祈り抜くのだ。その根本を忘れてはいけない」
 そうでなければ、自分が損をする。
 牧口先生は訴えておられた。
 ──近年ほど、指導者階級が指導力を失った時代はない。後輩に対する権威が失墜することは、皆を善導する力の源泉が枯渇することである──
 指導者に哲学がない。確固たる目的がない。だから、皆を導いていくことができないのだ。
 また、戸田先生は言われた。
 「広宣流布の長い旅路には、いろんなことが起きる。だが結局は心配ないものだ。妙法の偉大な力というものは、何ものも遮ることができないからだ」
 この確信を忘れるな!──これが先生の叫びであった。
 キューバの外交官であり、作家であったゴンサロ・デ・ケサーダ。ケサーダは、キューバ独立の父であるホセ・マルティの愛弟子であった。
 私もまた、戸田先生の“愛弟子”であった。
 先生の友人で、著名な日本の指導者にお会いした時のことである。
 「池田さんのことは戸田先生から、よく聞いています。戸田先生の愛弟子ですね」──そう言われて、こちらが驚いた。
 どこに行っても、こうしたことがあった。
 これが師弟である。
 師匠ほど、ありがたいものはない。師の心を知れば知るほど、そのことがわかる。しかし皆、なかなか師匠の心がわからないのだ。
 ケサーダは述べている。「困難が極まれば極まるほど、勝利の栄光は増すばかりだ」
 なんの困難もなくして、大きな事業は成し遂げられない。栄光は勝ち得ない。
 対話も、友好の拡大も、すべてが挑戦だ。簡単なことなどない。しかし、全部、自分のためである。広宣流布のためであり、創価の道を開くためである。
 一切が福運となって、わが身を飾るのである。このことを確信していただきたい。
20  大いなる喜び!
 「大いなる闘いのうちには大いなる喜びがある」(上田吉一訳『完全なる人間』誠信書房)
 これは、アメリカの著名な心理学者であるマズロー博士の言葉である。
 博士は「人間主義心理学」の創始者であり、実業界など各界に影響を与えた。
 私は、このマズロー博士について、インドの「緑の革命」の父であるスワミナサン博士との対談でも、語り合った。
 闘いの中に、喜びがある──学会活動にも通じる言葉だ。
 何もしないで、ただ遊んで、ダラダラと過ごしている。それでは心からの喜びはない。ずる賢い、怠惰な、動物的な生き方になってしまう。
 我らは、人のため、法のため、そして社会のために動き、働く。これほど尊いことはない。これが真の人間としての生き方である。
 アメリカの民衆詩人ホイットマン。
 私は桂冠詩人であり、若き日から、ホイットマンの詩を愛誦してきた。
 ホイットマンは謳う。
 「健康に金はかからぬ、気高くあることにも金はかからぬ、/節制がいちばん、ごまかしは禁物、大食や淫欲も禁物」(酒本雅之訳『草の葉(下)』岩波文庫)
 これまで、学会の同志のおかげで社会的に偉くなりながら、堕落し、嘘をつき、ついには裏切っていった人間がいた。
 そうした輩にだまされてはならない。断固として、戦っていかねばならない。
21  信頼される人に
 きょうは、韓国の皆さまも参加されている。仲良き前進を心から讃えたい。
 韓国には、大切な友人の方々が、たくさんおられる。私が、かつて韓国を訪問した際も、本当に誠実に真心をもって迎えていただいた。
 深き尊敬と感謝を込めて、箴言を紹介させていただきたい。
 約200年前の韓国の思想家・丁若鏞チョン・ヤギョン先生は、こう書き残している。
 「人間がこの世界で最も尊いとするものは、誠意であり、決してごまかしがあってはならない」
 心に深く刻むべき言葉である。
 さらに丁先生は言う。
 「師匠を得てこそ、学べるのだ」
 非常に深い思想である。
 続いて、16世紀の韓国の女性の書画家・申師任堂シンサイ・ムダン先生の教え。
 「悪友と付き合えば、後に必ず苦しみを味わうことになり、成熟した人々と付き合えば、いざという時に互いに助け合うことができる」
 その通りである。
 「どこに行っても相手に信頼され、また必要とされる人になれ」
 これも申師任堂先生の言葉である。彼女は大学者・李珥イー・イのお母さんでもある。韓国では、とても有名な女性である。〈韓国のメンバーが、「ええ、有名です!」と声をあげた〉
 日本人は、あまりにも韓国のことを知らなすぎる。中国にしても、韓国にしても、日本が、どれほど多くのことを教わってきたか。文化の大恩人の国なのである。
22  20世紀の韓国の女性の画家・羅蕙錫ナ・ヘソク先生は訴えておられる。
 「どんな外面的な幸せがあっても、どんな外面的な幸せを失っても、幸せの泉である自分の心だけは忘れてはならない」
 幸福の泉──それは信心である。信心だけは忘れてはならない。
 羅蕙錫先生は、こうも述べられている。
 「私たち女性の力は偉大なものである。文明が発達すればするほど、その文明を支配する者はもっぱら私たち女性である」
 まさしく広宣流布の偉大なる力は、女性の皆さまである。最大の賞賛をこめて、大拍手を贈りたい。
23  近代看護の母ナイチンゲール。彼女は、こう述懐している。
 「私はこれまで先頭に立って働くことで、何とか他人に影響をおよぼしてきました」(エドワード・T・クック著、中村妙子・友枝久美子訳『ナイティンゲール その生涯と思想Ⅲ』時空出版)
 尊い生き方である。
 地域に希望を広げる創価の女性と同じだ。
 ロシアの大文豪 もっと勇気を! これが青年に必要なこと
24  沖縄よ幸福に!
 沖縄の皆さん、おられますか?〈代表が元気に立ち上がる。この日2月8日は、1974年に那覇市で行われた、沖縄広布20周年記念総会を淵源とする、「沖縄の日」であった〉
 愛する沖縄の大勝利、おめでとう! 沖縄の新出発、おめでとう!
 私が沖縄を初訪問したのは1960年。ちょうど会長に就任した年の真夏の7月16日。
 日蓮大聖人が「立正安国論」を提出して国主諫暁されてから満700年のその日であった。
 以来、沖縄には17回の訪問の歴史を刻んだ。
 私は願った。
 「沖縄を東洋のハワイに!」
 沖縄は大変だった。戦争で蹂躙され、苦しみ抜いてきた。
 一番、苦労した沖縄が一番、幸福に!
 そう心から祈り、励ましを贈り続けてきた。
 今、まさに、皆が憧れる幸福島となった。
 昨年、行われた「地域元気度」の調査でも、沖縄が“日本で一番、元気がみなぎっている県”になったとうかがった。
 〈民聞調査会社「ワード研究所」と市民グループ「市民満足学会」が実施。「あなたの地域(市区町村)は元気ですか」との設問に答える「地域元気度」、さらに将来元気度、本人元気度、家族元気度で沖縄が1位となり、総合元気度でも沖縄が全国1位となった〉
 また沖縄は、「行ってみたい県、住んでみたい県」として注目されている。それが経済にも好影響を与えている。
 沖縄は勝った! 大発展する沖縄は、広宣流布のモデル地帯である。
 私はうれしい。「沖縄、万歳!」と皆で讃えたい。
25  最後に、世界の英知の言葉を贈りたい。
 ドイツの詩人・ヘルダーリン。
 「安息はわたしを幸福にせぬ」
 「悩みは若者の胸を高める」(生野幸吉訳「いらだち」、『ヘルダーリン全集1』所収、河出書房新社)
 そしてロシアの大文豪ドストエフスキーは、青年を、こう励ました。
 「粘り強さを持った人はかならずいつかは物になるものです」
 「失敗をしない人間などいるものですか? 第一ずっと波風の立たない人生などに、なんの値打があるでしょう。
 もっと勇気を出して自覚を高めること──これがあなたに必要なことです」(小沼文彦訳『ドストエフスキー全集第17巻』筑摩書房)
 勇気──これが人間として、青年にとって、最も大切なのだと申し上げ、スピーチを終わりたい。
 長時間、ご苦労さま! とくに海外の皆さま、ありがとう!
 皆、どうか、風邪をひかれませんように。また、お会いしましょう!

1
2