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日蓮大聖人・池田大作

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各部合同協議会  

2007.1.24 スピーチ(聖教新聞2007年上)

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1  広宣流布の本陣に集い合っての各部合同協議会、本当にご苦労さまです。
 去年は戦い、勝った。本年も「勝利」を、「完勝」を頼みます!〈「ハイ!」と決意の声〉
 負ければ、苦しいし、悲しい。反対に、勝つことは愉快である。歓喜がわく。
 ゆえに、広宣流布のために戦い、勝とう! そして、無量の福運を積んでいただきたい。
 かつて、戸田先生の気迫あふれるお姿は、「張り切った戦車のようだ」と同志を感嘆させた。
 「また戦うんだ!どこまでも戦うんだ!」「今まで以上の努力と誠意で戦おう!」――そう、戸田先生は言われていた。
 この大闘争心で進みましょう!
2  心を合わせて」
 私が先生からいただいた雅号は「大城」である。
 きょうは、男性の方々に“君よ、広宣流布の城を厳と護れ! 立派な指揮を執りゆけ!”と申し上げておきたい。
 女性の方々には“創価の城を護れ! 広宣流布のために、一生成仏のために”と申し上げたい。
 戸田先生は常々、言われていた。
 「上の幹部が、自分は動かないで、号令ばかりかけていたら、澱んでいくのは当然である。それでは、あまりにも会員がかわいそうだ」
 「創価学会は、皆が力を合わせてつくった世界である」「これからも、心を合わせて戦え!」
 広布の世界には、絶対に上も下もない。皆が「一兵卒」の心意気で、語り、動き、偉大な歴史を綴り残していただきたい。
3  「悪い枝は切れ」
 日蓮大聖人が後を託された六老僧のうち、なぜ、日興上人だけが師弟の正道を貫くことができたのか。
 戸田先生は、明快にこう指導された。
 「日興上人が、大聖人の一番の弟子である。大聖人のことを、はっきり『大聖人』と呼んでいらっしゃる。お側についておられたからこそ、大聖人が御本仏であられることが、わかっておられたのである」
 日興上人は大聖人に常随給仕された。伊豆や佐渡への流罪はもとより、あらゆる大難を、大聖人とともに忍び、先陣を切って戦った。
 常に師とともに、常に師のために、死身弘法の精神で戦ったからこそ、師匠が御本仏であると確信できたのである。
 次元は異なるが、私にも、戸田先生に一心にお仕えし、尽くし抜いてきた自負がある。
 戸田先生の本当のお心を知り、それを実現してきたのは私である。
4  日興上人の時代、五老僧という、当時の最高幹部たちが、師匠である大聖人の精神に背いていった。
 学会においても、重責を担う立場の人間から、同志を裏切る者が出た。
 戸田先生は遺言された。「悪い枝は切っておかないと、必ず乱される。悪人は、厳しく追放せよ」
 本当に悪い人間は、「このままではかわいそうだ」「何とか立ち直らせたい」という慈悲からの忠告にも、かえって反発し、信心の世界を食い破り続けていくものだ。
 そういう人間には、安い情けは無用である。断固として追放し、清浄な学会の組織を護っていくべきである。
 後世のために、明快に言い残しておきたい。
5  家庭や職場で慕われる人に
 戸田先生は言われていた。
 「偉大な目的に生きゆく人々は、守り合い、共々に励まし合いながら進んでいかねばならない」
 「それでこそ、勝てるのだ」――これが先生の教えであった。
 日蓮大聖人は「男女はきらふべからず」と仰せである。末法において広宣流布に励む男女には、何の差別もない。まったく平等である。
 万が一にも、女性だからといって軽んじるような男性がいれば、とんでもないことだ。
 これからは、ますます「女性の時代」である。学会においても、今まで以上に女性を尊重し、女性の意見を取り入れていきたい。
 男女が互いに力を合わせていく。そこに大いなる発展の原動力があるのだ。
 戸田先生は、ある女子部の友に指導しておられた。
 「家庭や職場で、その場のグループに慕われるようになりなさい。それが、世の指導者になる道である」
 例えば家庭においても、女子部はよき娘として、聡明に和楽の世界をつくっていってほしい。
 親を安心させ、親を大切にする。家族から頼られる。また、身近な人々から信頼され、慕われる。
 そういう人が、社会においても立派な指導者として活躍していけるのである。
 また、先生は語っておられた。
 「誰も気がつかない細かいことに、いつも気を配れれば、指導者として一人前である」
 その通りだ。
 反対に、細かいことは、放っておいて、表舞台にばかり出たがる。床にゴミが落ちていても、皆がおなかをすかしていても、ほったらかして、知らんぷり。
 そんな人間は、本当の指導者とはいえない。
 一つ一つのことに気を配る。一人一人の状況に心を配る。心を尽くす。それでこそ真実の指導者である。
6  陰の人に感謝を
 原田会長、正木理事長の新体制が出発して、2カ月余り。いよいよ、新しい黎明の鐘を鳴らしゆく時である。
 戸田先生は、こうも述べておられた。
 「役職は高くなくても、また役職はなくても、本当にまじめな信心の方がおられる。その方々を尊び、心からたたえ、励まし、守っていく心が、自分自身の信心の証であることを忘れてはならない」
 ここまで学会が発展したのも、第一線の庶民の方々が真剣に戦ってくださったからである。
 こういう方々を下に見たり、自分が偉いと思って生意気になるようなことは、絶対に、あってはならない。
 戸田先生は言われていた。
 「目に見えない陰の分野で活躍している人たちにこそ、こまかく心を配り、励ますことを忘れてはならない」
 だれが、どのように学会を護り、支えてくださっているのか。私は、つぶさにうかがっている。
 目立たないところで学会のため、広宣流布のために奮闘してくださっている方々のことは、よく存じ上げているつもりだ。
 そうした方々に少しでも励ましを贈りたい。感謝を伝えたい――私はいつも、そうした思いで祈り、行動している。
7  会員のために! 後世のために!
 万年の妙法流布のために、これからが本当の勝負である。私も全身全霊を捧げて、学会に尽くしてまいりたい。
 学会本部周辺の整備をはじめ、全国の会館の建設などにも全力を挙げて取り組んでいくつもりである。
 全同志の皆さんが、堂々と胸を張れるように、そして後世の学会員が、安心して広宣流布の道を開いていくことができるように、盤石な学会をつくっておきたいのだ。
 海外各国の広宣流布も、これから順次、総仕上げしてまいりたい。
 また、創価大学をはじめ創価教育の充実にも、一段と力を入れていくつもりである。私の人生の最後の事業は「教育」である。
 この1年、私は、偉大なる同志とともに、平和と人間主義の「世界一の民衆の連帯」を断固と築き上げていく決心である。よろしくお願いします!
8  機関誌・紙の使命
 戸田先生は、このように考えていらっしゃった。
 「会員が機関誌を愛し、熟読するかぎりは、つねに新たな組織の伸長が見られるであろう。反対に、編集内容が惰性に流れ、人々が心から親しむこともなく、機関誌を大事にしなくなったときには、学会の発展も止まってしまう」と。
 これは、「大白運華」の創刊号ができた折のご指導であった。
 「大白蓮華」にしても、「聖教新聞」にしても、広宣流布の機関誌・紙の魂は、「学会精神」である。「師弟」の心である。この点を永遠に忘れてはならない。
9  今、世界が創価の「人間主義の大行進」に大きな期待を寄せている。
 今月12日には、アメリカ・ミシガン州のアナーバー市で、私に対する「名誉市民証」の授与式が開催された。グランフォルム州知事やハフジー市長をはじめ関係者の皆さまに心から感謝申し上げたい。
 このアナーパー市は、名門・ミシガン大学などを擁する学園都市。学生部の友をはじめ、地元メンバーの活躍が目覚ましい。
 〈このアナーバー市からの「名誉市民証」によって、世界の都市から名誉会長に授与された名誉市民の称号は、「460」となった。また、香峯子夫人には、これまで「160」の名誉市民の称号が贈られている〉
 こうした名誉市民の称号なども、すべては「良き市民」として地道に社会に貢献しゆくSGI(創価学会インタナショナル)の友への賞讃にほかならない、あくまでも私は、皆さまの代表としてお受けしている。
 また、そうやって、はっきりした“証し”を残しておけば、それがSGIの認識を変えることもあるし、SGIの同志を守る大きな力になることもある。そういう意義も踏まえてお受けしていることを、賢明な皆さま方は知っておいていただきたい。
10  最高の幸福と平和の道を!
 戸田先生は厳然と指導された。
 「広宣流布は最高の善行である。絶対に確信をもって進むべきだ。批判など恐れるな! これ以上、人間の幸福と世界平和に尽くす大道はないからだ」
 法華経の行者には、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難が必ずある。御書に仰せの通りである。
 だからこそ、悪意の中傷や批判など、断じて恐れてはならない。言うべきことは毅然と言い切っていくのだ。
 こういう場合、男性よりも、かえって女性のほうが、心が決まっていて、動じないものだ。
 勇敢に言論で戦ってこそ、広宣流布のリーダーである。
 悪口を言われても、何一つ言い返せない。反論しない。そんな、だらしのない、意気地なしの幹部であってはいけない。
 どんなに相手が社会的に偉い立場にあろうとも、広宣流布に進む私たち以上に、偉大な人生を歩んでいる人はいないのである。
11  敵をも味方に変えていけ
 戸田先生は、外交戦を非常に重視された。
 私も戸田先生の事業が破綻し、大変ななかで、外交をまかされたが、それによって徹底的に鍛えられた。
 「敵」をも「味方」へと変えていく、一人の外交戦の勇者がいれば、それは百人、千人の力に匹敵するといっても過言ではない。本当に外交戦は大事だ。
 ともあれ、戸田先生は叫ばれた。
 「我々は師子王だ。野犬が吠えることに、絶対、負けてはならぬ」
 この大確信で進もうではないか!
12  最後は勝つ!
 今年の1月25日で、あの「大阪事件」の「無罪」判決の勝利から45周年を迎える。
 この事件は、昭和32年(1957年)の4月に行われた参院選の大阪地方区の補欠選挙に関して、事実無根の「戸別訪問の教唆」の容疑で私が起訴されたものである。
 公判は、大阪地方裁判所で昭和32年10月18日の第1回より、4年3カ月、84回にわたって行われた。
 私は、23回、出廷した。会長に就任してからも、法廷での戦いが続いた。
 戸田先生が逝去される直前の昭和33年3月5日、裁判のため、大阪に行くことをご報告すると、戸田先生は病床から身を起こされて、言われた。
 「君は、私のため、学会のために、罪を一身に背負おうとしてくれた。本当に、人の良い男だな。
 裁判は容易ならざる戦いになるだろう。しかし、最後は勝つ。金は金だ。真実は必ず明らかになる」
13  しかし、私の弁護を担当する弁護士は弱腰であった。
 「無実であっても、検察の主張を覆すことは難しい。有罪は覚悟してほしい」という態度であった。
 青年部出身の幹部の有志は、「弁護士だけに任せておくことはできない」と、自分たちで合宿し、事件の経過を洗い直した。そして、弁護団に猛然たる反撃を迫ったのである。
 裁判において、私は、主任検事に対して、自ら質間し、その巧妙な筋書きを、一つ一つ打ち破っていった。
 昭和36年11月1日、第80回の公判で、裁判所は、検察の4通の調書を、すべて「証拠能力なし」として却下した。
 これによって、検察側の唯一の根拠が総崩れとなった。
14  昭和37年(1962年)1月25日、木曜日。その日、大阪は、よく晴れていた。
 朝10時、大阪地方裁判所の2号法廷に、田中勇雄裁判長が入廷。
 「それでは判決を言い渡します」と、「主文」を、穏やかだが明晰な声で読み上げ、最後に、こう厳然と述べた。
 「池田大作は、無罪」
 そして田中裁判長は、大要、次のように「無罪の理由」を説明した。
 ――畏敬の念に充ちた被告人から、直接、たのまれ、もしくは、命令されたと仮定するならば、これを聞いた百名以上の学会員のうち、一名のみが、戸別訪問し、他の誰もがしないということは、およそ考えられないことである――
 ――選挙における最高責任者であった同被告人が、百名以上の聴衆を前にして、戸別訪問を依頼するような言辞を弄することは、常識上からも、はなはだ疑問である――
 ――謀議したことを認め得る証拠は何ら存在しないのであるから、結局、いずれも犯罪の証明がないことに帰し、無罪である――
 検察は、控訴を断念し、2月8日、私の無罪が確定した。
 私が「控訴なし」の電報を受けたのは、訪問先のエジプトの首都カイロであった。
 〈『平和と文化の大城 池田大作の軌跡』(潮出版社)には、次のような事実が記されている。
 田中裁判長はのちに、「池田会長は他の人と違う。輝いている。この人は将来、ものすごく偉くなる人」と周囲に印象を語っていた。
 また、公判担当の検察官は、判決の直後、池田会長のもとに駆け寄り、「このような結果になるのではないかと思っていた」と語りかけたという〉
15  関西婦人部の日
 この裁判の間、わが関西婦人部は、真剣に丑寅勤行を続け、無罪勝利を祈り続けてくださった。
 傍聴席には、常に、必死の祈りを込めて、裁判を見つめる関西の広布の母たちの姿があった。
 今、この無罪判決の「1月25日」は、「関西婦人部の日」として光り輝いている。
 「断じて、負けたらあかん! 戦いは、絶対に勝たなあかん!」
 これが、この日に込めた、常勝の母たちの誓いであり、決意である。
 末法は、「闘諍言訟」の時代である。さまざまな争いや論争が、絶えることなく渦巻いている。
 その中で、堂々と戦い抜き、勝ち抜いていくことが、広宣流布の実像である。
 三代の私は、自ら先頭に立って、あらゆる正義の闘争に勝利した。本末究竟して等しく、学会の正義が永遠に勝利できる道を開いたのである。
16  御書は心で読め
 日蓮大聖人の御書を拝読する際、特に会合など、皆の前で拝読する場合は、「自分の心に読む」ように、真剣に心がけることである。
 皆の代表として、声を出して読むのは、自分自身の声を通して、「聞く人の心に読ませる」ということだ。
 ゆえに、相手の心に響かせるためには、まず、読む人自身が、「自分の心で読む」ことが重要なのである。その努力が、「色読」「身読」にもつながっていく。
 戸田先生 大信力と大行力で無量の功徳をつかめ
17  仏の生命力を現す信心
 日寛上人は、「観心本尊抄文段」に記された。
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」と。本尊をわが身にあらわし、日蓮大聖人と同じ生命の力を、あらわすことができる。偉大な境涯となる――そう、日寛上人は拝された。
 広宣流布のために、南無妙法蓮華経を唱え、行動する人は、何よりも尊い存在である。ゆえに、純真な学会員をいじめたら、必ず仏罰を受けるのである。
 日寛上人は、「唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ」とも綴られている(「観心本尊抄文段」)。
 戸田先生は、この信力・行力について、次のように指導された。
 「我々の信力と行力が御本尊の仏力・法力に照らされ、化合することで、功徳が生じるのである。信力と行力が燃え上がって、化合しなければならない」
 「大信力があったとしても、これを行ずる力なくては、仏力・法力は現前しない。このゆえに、大行力を行じなくてはならぬ。
 大信力あって、唱題に、折伏に、大行力を行ずるならば、仏力・法力の現れぬということは絶対にありえない」
 広宣流布の「実践」こそ、幸福を開く力となるのだ。
18  魂の中に「正義」を持つ人が尊い
 また、戸田先生は言われていた。
 「信力と行力が一丸となってこそ、仏力・法力となってあらわれる。
 そうすれば、しぜんに広宣流布の大道を進むことになるのです」
 この原理に則っているがゆえに、学会は強い。
 さらに戸田先生は、おっしゃった。
 「大聖人は大病大難を受けて、そして、我々に、自分の運命をそこから切り開いていけ! と、教えて下さっているのです。ありがたいことだ。私もその命がけの教育を、大聖人から受けてきました」
 「本因妙の仏法だから、こうなりたい、病気を治したい、そう御本尊にお願いすれば、もう原因は含まれているのだから、きちっと結果はあらわれるんだよ」
 これが、戸田先生の確信であられた。我々もまた、この強盛な信心で進みたい。
19  戦乱の世を勝ち抜き、300年近く続いた徳川幕府には、「行軍守城用 勿作尋常費」という戒めがあったという。
 重要な戦(行軍)や、防御(守城)のための貯えは、通常の用途で使ってはならない、という意味である。
 ここには、金銭には厳格であれ、という大切な教訓があるといえよう。
 また古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉に、「わたしは、魂のなかに正義を持っていることのほうを、財産において富んでいることよりも尊いとする」とある(加来彰俊訳、『法律 下』岩波文庫)。
 この精神を、わが後継の皆さんの、未来の勝利のために申し上げ、スピーチを終わりたい。
 長時間ありがとう。体を大事にして、風邪をひかないようにしてください。今年も勝とう! 戦おう!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 この1年も、よろしく頼みます。ありがとう!

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