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日蓮大聖人・池田大作
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新春代表協議会
2007.1.2 スピーチ(聖教新聞2007年上)
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1
断固たる 師弟不二なる 魂を 君よ叫べや 敵を恐れず!
2
輝ける希望の旭日とともに、「前進・勝利の年」が開幕した。新年あけまして、おめでとう!
「希望は世界の柱だ」(北村孝一編『世界ことわざ辞典』東京堂出版)これは、南アフリカの格言である。
「この1年、いやまして広宣流布に戦おう!」「日本中、そして世界中に仏法を弘めよう!」「あの人を救うのだ!」「この人と語りに語ろう!」――わが敬愛する同志の胸にも、広宣流布の“希望の太陽”が、勢いよく昇っていることであろう。
全人類の平和と幸福のために行動し抜く広宣流布こそ、世界最高の希望なのである。
いかなる試練も、どんな迫害も、わが胸中の希望まで押しつぶすことはできない。
希望は「世界の柱」である。「自由の翼」である。
希望を持った人は強い。希望を手放さない人を、だれ人も打ち負かすことなどできないのだ。
その代表が、私も2度お会いした、人権闘争の巌窟王・南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領である。
3
戦う友を讃えよ
27年半――約1万日の不屈の獄中闘争を戦い抜いたマンデラ氏は、牢獄の中で、私の一文を読んでおられた。
それは、私が「青年への希望」を記したエッセーであった。
〈南アフリカの『HIT(ヒット)』という雑誌に、名誉会長の英訳エッセー集『ガラスの子どもたち』の一部が紹介され、それをマンデラ氏は獄中で読んでいた〉
そして出獄後、マンデラ氏のほうから会いたいと連絡をいただき、1990年秋の来日の折、500人の青年の代表とともに、東京の聖教新聞社の前庭でマンデラ氏を盛大にお迎えしたのである。〈1995年には、元赤坂の迎賓館で2度目の語らいが実現した〉
地位や肩書があるから偉大なのか。ちがう。
民衆のため、青年のため、真実の人間の平等のために、権力悪と戦った人間が偉いのである。
その人こそ、マンデラ氏であった。
わが創価学会にあっても同じである。
幹部だから偉いのではない。また幹部だからといって特別扱いをしてもいけない。
仏法においては、広宣流布に戦う人が最も偉大なのだ。仏法を弘める学会員こそが最高に尊貴なのである。
そしてまた、広宣流布の闘士を最大に守り、讃え、支えていく人が本当に偉大な人なのである。
御聖訓に「
法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し
」と仰せの通りだ。
4
大福徳で飾れ!
「大いなる闘いのうちには大いなる喜びがある」(上田吉一訳『完全なる人間』誠信書房)
これは、アメリカの「人間主義心理学」の創始者マズロー博士の有名な言葉である。
来る年も来る年も、広宣流布という人間として最極の「大いなる闘い」に挑みゆく我らの人生には、他の何ものにも代え難い生命の真髄の喜びがみなぎっている。
日本全国、そして世界190カ国・地域の同志とともに、最高に晴れ晴れと、明るく、楽しく、新たな年を出発することができた。
なかんずく、日本第一の新年勤行会の無事故の運営に、真剣に清々しく当たってくださった、創価班、牙城会、白蓮グループ、さらに、ドクター部、白樺会・白樺グループをはじめ、役員の皆さま方に、心から御礼を申し上げたい。
また、各会館の会場を荘厳してくださった、設営・デザインの皆さま方も、ありがとうございます。
そして、多くの方々が、新年を祝賀して、学会本部へお越しくださり、感謝にたえません。
有名な「十字御書」に仰せである。
「正月を祝う人は、月が(その出る位置が)西から東に向かうに従って満ちるように、また日が東から西へ渡っていくに従って明らかになるように、功徳も勝り、また人にも愛されるのです」(御書1491㌻、通解)と。
尊き皆さま方が、新しい1年も、大宇宙の根本の大法則である妙法のリズムに合致して、大福徳を積み、そして、多くの人々から慕われながら、大勝利で飾りゆかれることを、私と妻は、真剣に祈り抜いてまいります。
5
心の壁を壊せ!
私が尊敬する中国の周恩来総理は言った。
「友人達との会見はどのような時でも人を愉快にするものである」(森下修一編訳『周恩来選集』中国書店)
どうせ生きるならば、愉快な人生を生きたい。
そのためには、自分の“心の壁”を取り払うことだ。大きく友情を広げていくことだ。
また南米ベネズエラの格言にこうある。
「飛び込まない者は海を渡れない」(柴田武・谷川俊太郎・矢川澄子編『世界ことわざ大事典』大修館書店)
第一歩を踏み出さなければ、目的は達せられない。
まず「行動」だ。「一歩」を踏み出すことだ。「前進」即「勝利」である。
恩師の戸田先生は、厳愛を込めて、こう指導された。
「信心は形式ではない。一瞬一瞬を大事に生きるということだ」「一瞬の一念に何を思ったか、行動したのか、行動しなかったのか、その積み重ねの差で、成仏、不成仏が決まるのだ」
大事なのは「今この時」である。「行動」である。
一瞬一瞬を、一日一日を最大に大事にして、最高に充実した、最高に価値ある「大勝利の365日」を勝ち取ってまいりたい。
6
発展の急所は?
組織の発展の急所はどこか?
戸田先生は明快に指導された。
「若い人を、どんどん伸ばしていけ!」
「人一倍、後輩を育てよ!」
「ともに広宣流布へ戦うなかで、青年を育てるのだ!」
先生は本当に鋭かった。
若い人の頭は、時代とともに、どんどん進んでいる。
また青年は、よく見ている。
社会の流れも。学会の幹部の姿も。鋭く監視している。
焦点は青年である。
戸田先生も青年を大事にされた。私も青年を大事にしてきた。
若い人を伸ばしていくことだ。若い人の心をつかめるかどうかである。
また、周恩来総理は、組織の原則にそむく誤りの一つとして、次の点をあげておられた。
それは“新しい活動家の糾合に対して、熱意が足りないこと”であった(『周恩来選集』東方書店から)。
7
歴史を創れ!
建治2年(1276年)の正月、大聖人は、若き南条時光に、こう仰せになられた。
「釈尊滅後の末法で、世が乱れ、王臣や万民が心を一つにして一人の法華経の行者に迫害を加え、この行者が、旱魃のわずかばかりの水にすむ魚のように、また大勢の人間に囲まれた鹿のようになっている、その時、一人、この行者を助けに訪ねてくる人は、生身の教主釈尊を、一劫という長い間、身・口・意の三業相応して供養し奉るよりも、なお功徳が勝れていると、仏の金言である法華経には明確に説かれている」(御書1529㌻、通解)と。
いざという時に、師弟の究極の姿が明らかになる。
昭和25年(1950年)、大聖人に直結する広宣流布の師匠であり、法華経の行者であられる戸田先生は、学会を支える事業の苦境に立たされ、理事長を辞任された。
死さえ思い詰めておられた戸田先生を、私は、ただ一人、命がけでお護りし切った。
「先生、私が戦います。ご安心ください」と。
夜学も断念した私に先生は「すまないな。でも、私が、一生涯、君に勉強を教えていくからな」と毎日曜日に、さらには毎日の会社の始業時間前に、万般の学問を教授してくださったのである。
師子奮迅の戦いで、一切の困難を打開して、先生が第二代会長に就任する道を開いたことは、私の三世永遠の誉れである。
先生が会長になられた時の、あの晴れやかなお顔――。
人前では絶対にほめなかった先生が、だれもいないところで、私に言ってくださった。
「大作は弟子だ。私は師匠だ」「勝ったよ、大作。私はうれしいよ」と。
まさに師弟の勝利劇であった。
私は、経文の通り、御書の通り、まっすぐに広布に戦い抜いた。
「真実の戸田門下生は、これほどまでに戦ったのか!」「これほどに師匠に尽くしたのか!」と次代の青年が驚嘆するような壮絶な歴史を、自らの行動で示し、残しておきたかったからだ。
君よ、青年ならば何かを残せ! 後世に光る何かを残さずして、何のための青春か。何のための人生か――そう恩師は叫ばれた。
そして私は、牧口先生、戸田先生の「生命尊厳の思想哲学」を、「人類救済の大精神」を全世界に宣揚してきた。
今、世界の大学から、200を超える名誉学術称号を頂戴したことは、まさしく、“戸田大学”の勝利の証しであり、初代、二代、三代の「創価の師弟」の勝利の証しなのである。
今年の元旦、私は詠んだ。
勝ちにけり
我は広布に
勝ちにけり
牧口戸田師の
仇を討ちたり
二〇〇七年元旦 広布の城 牧口記念会館にて
8
人知を超えた力
大仏法の力は、皆さんが思っておられる以上に、はるかに大きい。
これまで、それぞれに、御本尊の大功徳を受けてこられたと思う。しかし、「仏の力」「法の力」は、まだまだ、そんなものではない。
戸田先生は、よく語られていた。
「皆さん方の功徳は、私の受けた功徳から比べれば、小さなものである」
あらゆる大難を勝ち越えた先生の大確信であられた。
妙法の力用には、私たちの人知を超えた大功徳力がある。「仏の力」「法の力」は、想像を絶する無量無限の力である。
この力を引き出す鍵は、いったい何か。
それこそが、「広宣流布の師弟の道」に徹しゆく「信力」「行力」なのである。
9
釈尊の「出世の本懐」たる法華経の、肝要である寿量品には、「如来秘密・神通之力」と説かれている。
寿量品の会座では、弥勒菩薩をはじめ諸菩薩が、釈尊に合掌してお願いをする。
「世尊(釈尊)よ。どうか、如来の真実の言葉をお説きください。私たちは、まさに仏のお言葉を信受いたします」
弟子たちは、3度にわたって懇請した。そして、さらに懇請をやめなかった。
この弟子のほとばしる求道の心に応えて、ついに師・釈尊は、法華経本門の甚深の法理を説き始めるのである。
その第一声こそ、「あなたたちよ。明らかに聴け。如来の秘密・神通の力を」であった。
「如来の秘密・神通の力」を深く知れ!
こうした師子吼から、「久遠の仏」が明かされていくのである。
まさしく「如来秘密・神通之力」とは、師弟共戦の言葉といってよい。
10
本門の教えが説かれる「時」
「如来秘密・神通之力」は、これまで説かれなかった、広大無辺な力である。弟子にわからないゆえに「秘」である。
しかし、師匠は知っている。仏には厳然と具わっている。ゆえに「密」である。
いうまでもなく、仏法で説く「秘密」とは、隠すためにあるのではない。万人を救うために、「時」を待って明かさなかったがゆえに、「秘密」なのである。
では、「時」とは、いかなる時か。
それは「本門の弟子が立ち上がる時」にほかならない。本門の弟子が出現した「時」に、「本門の教え」が説かれるのである。
地涌の菩薩が、勇んで、大地から涌き出でたからこそ、寿量品の説法がなされた。
偉大な弟子の登場を待って、偉大な師匠は満を持して、「如来秘密・神通之力を聴け」と言い放ったのである。
――さあ、いよいよ説き明かそう。時が来たのだ。
皆、間違いなく、聴け。そして、実践せよ、と。
11
万人を幸福に
「神通」また「秘密」といっても、いわゆる神秘的なものなどではない。
「如来秘密・神通之力」とは、「南無妙法蓮華経如来」の秘密神通之力である。このことを、日蓮大聖人は明確に示されている。
すなわち、南無妙法蓮華経こそが、真実の如来秘密・神通之力となる。
御義口伝では、こう結論されている。
「
成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり
」
一切衆生が成仏していく。これ以上の「神通」もなければ「秘密」もない。
それが、南無妙法蓮華経の大法の力なのである。
戸田先生は、この深義を、まことにわかりやすく語ってくださった。
「『如来秘密・神通之力』というのは、凡夫をして仏にする力であります」
「南無妙法蓮華経の如来の秘密神通の力というものは、一切の衆生をして幸せにするものであります」
自分自身も、人々も、ともに仏になり、永遠の幸福を勝ち取っていく。その究極の力が、「如来秘密・神通之力」であり、南無妙法蓮華経の力である。
ここに、万人が納得し、万人が実践し、万人が幸福になれる生命の法則がある。
12
広布の同志に仏の大生命が
さらに、戸田先生は強調されていた。
「御本尊様を拝すると、われわれの生命に、南無妙法蓮華経という力があらわれてきます。この己心の南無妙法蓮華経が躍動してくるところに、生命の調和がとれ、病気や経済や生活の問題も打開できる」
「清浄な、たくましき、人を救おうとする慈悲が、そして人生を悠々と生ききっていける力が湧いてくるのである」
「南無妙法蓮華経如来」とは、日蓮大聖人の御生命そのものであられる。
「
日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし
」である。
この御本尊を拝し、異体同心で広宣流布に戦う我らには、日蓮大聖人と同じ広大無辺の仏の生命が、満々と湛えられていくのである。
なんとありがたいことだろうか。なんと素晴らしいことだろうか。
日寛上人も、厳然と仰せである。
「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(観心本尊抄文段)
凡夫の私たちが、そのまま、御本尊と同じ生命の力用を発揮することができる。
「蓮祖聖人なり」とお示しのように、日蓮大聖人と同じ生命の力を現すことができる。
自分自身の一瞬一瞬の生命が、久遠元初の仏の生命と一体になる。
13
師弟の偉大さ
この無量の力を教えてくださったのが「師匠」である。
釈尊の時代、「如来秘密・神通之力」の説法を信受した弟子たちは、無量の妙法の力に包まれていった。
さらにまた、大聖人の仰せのままに戦った門下が、「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」との深義を体得することができた。
弟子が師と呼吸を合わせれば、汲めども尽さぬ大仏法の力用を、わが生命に脈動させることができる。これが、仏法の法理である。
現代にあって、この仏法の真実の正道を貫き通してきたのが、牧口先生であり、戸田先生である。
創価の三代の師弟である。
牧口先生は、命に及ぶ投獄の大難にあっても、厳然と叫び、示された。
――いかなる大敵にも負けず、戦い抜いて、人間として最高の理想に達していくことが、如来の力であり、仏の力である――と。
この殉教の父に続いて、創価学会は、第六天の魔王の所領たる裟婆世界で、あらゆる中傷をはね返し、広宣流布の大闘争を、二代、そして三代にわたって繰り広げてきた。
御聖訓の通りに、これだけの「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難を耐え忍び、これだけの「三障四魔」「三類の強敵」を打ち破った。
そして、これだけ多くの同志が妙法の大功徳力を全身に浴びながら、世界190カ国・地域に及ぶ「一閻浮提広宣流布」を成し遂げてきた。
「如来秘密・神通之力」を出ださずして、成就できようはずがない。
14
にくまばにくめ
大難と戦われる大聖人は、堂々と宣言された。「
にく
憎
まばにくめ
」憎むなら憎め。批判したいのならば、勝手に批判するがよい――。
こうした、何ものをも恐れぬ、毅然たる精神が、仏法の魂である。そして、正義を破壊しようとする邪悪な勢力に対しては、猛然と戦うことである。
戸田先生は厳しく言われた。
「破折精神を忘れた者が幹部になれば会員が可哀想だ」
同志を邪悪から守るべき立場でありながら、その責任を果たさない人間は、仏法の眼から見れば、大きな罰を受けてしまう。
いわんや、悪と戦うどころか、善の団結を乱すようなリーダーがいれば、厳しく追及していくべきである。
戸田先生も「幹部間のやきもちは、大事(大きな災い)を起こす」と言われている。
ともあれ、悪と戦わない人間は、心が汚れている。見栄っ張りであり、臆病であり、卑怯である。
牧口先生は「弱さに基づく臆病は、罪であり、悪である」と断じられた。
“罪人”や“悪人〟であってはならない。
自らを覚醒させ、強く、勇気を奮い起こすことである。
私は、戸田先生の弟子である。師匠を守るため、身を賭して戦った。
師匠が悪口を言われているのに、師匠から大恩を受けた人間が、我関せずとして戦わない。それでは、恩知らずである。恩を知らないのは畜生以下である。
中国の古典「韓非子」には、次のような言葉がある。
「徹底した行動がなくては、悪事を糾弾することはできない」(西野広祥・市川宏訳『韓非子』徳間書店)
この通りである。
妥協してはいけない。勇気をもって、徹底して戦おう。(「ハイ!」と力強い返事が)
15
万人の胸中に、仏の尊極の生命が具わり、だれ人も「如来秘密・神通之力」を秘めている。戸田先生は、「全人類の境涯を高めよ」と宣言なされた。
人類を存亡の危機に晒す核兵器の魔性に対しても、断固として立ち向かっていかれた。
その遺訓たる「原水爆禁止宣言」から、今年は50周年の大佳節である。
16
わが「本領の大力」で勝て
御義口伝には、「
神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり
」と仰せである。
神通之力といっても、特別なものではない。妙法に則った私たちの正義の行動と振る舞い――それ自体のなかに神通の力がある。
戸田先生は叫ばれた。
「仏勅をこうむって戦えば、仏と同じ力をもっている」
「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。
気高い心で、人生を勝ち抜くことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない」
どうか、この1年、創価の師弟の旗を高らかに掲げながら、一人一人が、いまだかつてない自分自身の「本領の大力」を出し切っていただきたい。
そして、平和と文化と教育の光を一段と輝かせ、大勝利の金字塔を打ち立ててまいりたい。
17
年頭より、内外の多くの方々から年賀のごあいさつをいただき、あらためて感謝申し上げたい。
雄大な富士を仰ぐ、山梨の同志からも、懐かしい、うれしいお便りを頂戴した。
昭和53年(1978年)の3月。私は山梨で、婦人部の方々と一緒に記念撮影に納まった。
その折、私は、笑顔皺の美しいご婦人に、「100歳を一つの目標として、長生きしてください」と申し上げた。
その方が、この正月で「先生とのお約束通り、100歳になります」とのご連絡をくださったのである。
今も、かくしゃくと、「広宣流布のために、自分ができることを一生懸命やって、お応えしたい」と、意気軒高に対話を重ねておられるとうかがった。
私は早速、詠み贈らせていただいた。
勝ちにけり
何と嬉しき
百歳の
勝利の母の
元旦 晴ればれ
私と妻は、多宝会(全国)、宝寿会(東京)、錦宝会(関西)の、尊き功労の同志の不老長寿、無事安穏を、一生懸命に祈り続けている。
とくに、寒い時期は、年配の方や、体調の悪い方は、無理をして会合に参加したりしては、絶対にいけない。
「油断大敵」であるし、何よりも、御本尊のまします、わが家が霊鷲山である、ととらえていけばよい。
電話などの通信手段もある。家で、いくらでも随力弘通の仏道修行ができる。この点を、皆で再確認しておきたい。
18
人間性で勝て
ここ第2総東京は、広大な天地である。これから、ますます発展し、ますます伸びる重要な天地だ。
第2総東京のリーダーの皆さんは、どの地域よりも、和やかな、親しみ深い人間性で、指揮をとっていただきたい。
御書には「
心こそ大切なれ
」と仰せである。重要なのは「心」だ。「信心」だ。
イタリアの桂冠詩人ぺトラルカは述べている。
「魂の内部にこそ、ひとを幸福にするものと不幸にするものがある」(佐藤三夫著『ヒューマニスト・ペトラルカ』東信堂)
どんな困難も、強き信心があれば、乗り越えていける。変毒為薬していくことができる。
強き祈りと必死の行動が、すべての壁を打ち破っていくのだ。
ペトラルカは手紙の中で記している。
「勇敢に辛抱強くあるように」(E・H・ウィルキンス著、渡辺友市訳『ペトラルカの生涯』東海大学出版会)
「(私は)困難の壁が厚ければ厚いほど、益々熱心にとりくむ」(同)
困難が大きいほど、挑戦の心を燃え上がらせて進む。それでこそ、偉大な人間性が築かれていくのだ。
「偽りのない友情を最も切実に求め、その友情を絶対の信頼をもって暖めた」(同)
これもペトラルカの言葉である。
真実の友情にまさるものはない。誠実と真心の対話で、多くの人と友情を結んでいっていただきたい。
19
断じて友好を!
中国の親しい友人の一人に、中日友好協会の宋健会長がおられる。
会長はかつて私に、信義の心光る詩を贈ってくださった。その一節に、次のような言葉がある。
「中日の友誼は天よりも重し。その他、万のことは些細なりしこと」
これは、中国の「改革・開放」政策の道を開いた鄧小平氏の信念を記したものである。
中国と日本は、いついかなる時も、どんなことがあろうと、大局観に立って友好を貫き通すことだ。それ以外のことは、ささいなことに過ぎない――これが、鄧小平氏の思いであった。
氏とは私も2度、北京の人民大会堂で語り合った。
中国と日本、そして世界の未来を展望し、率直に意見を交換したことは忘れ得ぬ歴史である。
20
中国の周恩来総理は述べておられた。
「世界の流れは人民の友好促進です」(森下修一編訳『周恩来選集』中国書店)
私も、この信念で世界を駆けめぐってきた。
平和のため、各国の指導者や識者と幾重にも語らいを重ねてきた。文化・教育交流によって、世界の民衆と民衆を結んできた。
周総理は、こうも語っておられた。
「われわれはイバラの道を切り開いて障害を克服し、中日両国人民の永久の友好のため努力して前進を続けるべきである」(同)
私は、日中国交正常化提言をはじめ、東西冷戦の時代から日中の友好のために、あらゆる力を尽くしてきた。そのために心ない非難や中傷も受けた。
しかし、前進を続けてきた。両国の友好なくしては、アジアの平和も、世界の繁栄も、ありえないからである。
この一点を、私は今、新しい世代に伝えておきたい。
21
気取りを排せ
いかなる組織であれ、中心者の明快なリーダーシップが重要だ。気取ったり、堅苦しければ、皆が何を考えているのかわからないような空気になってしまう。
そういう学会にしてはいけない。裏表をつくらず、真っすぐに、大誠実で進むのだ。そうでなければ、学会はここまで勝ち進むことはなかった。
真っすぐに戦わない人、気取った人に、尊き仏意仏勅の団体の価値を推し量ることなど、できない。創価学会の存在が、どれだけ意義深いものか、わからない。
また、「平等大慧」の仏法である。日蓮大聖人は、当時の京に上った人や、大陸に留学した人が、権威をかさにきて傲り高ぶる心を、厳しく戒めておられる。
増上慢は悪である。さらに悪いのは、純真な会員の信心を利用し、さまざまな立場を悪用する者である。
特に最高幹部は責任を持って、学会利用の輩を、鋭く、厳しく打ち破っていかねばならない。
22
エイルウイン氏から友誼の書籍
東京牧口記念会館には、これまでも多くの世界の指導者の方々をお迎えしてきた。
軍事政権と戦い、民主化を実現した、南米チりの哲人指導者エイルウィン元大統領ご夫妻をお迎えしたことも懐かしい(1994年7月)。
エイルウィン氏と私は、チリの大統領府などでも、出会いを重ねてきた。
対談集『太平洋の旭日』(河出書房新社)も発刊した。
先日、氏は、親書とともに、ご自身へのインタビューをまとめた署名入りの本を届けてくださった。
来日されたご令孫に、「日本に行くなら、私の大切な友人である池田博士に届けてほしい」と託されたのである。
「精神を備えた人々の作品をひらくと、著者たちは“真実の”言葉で我々に語りかけて来る。だからこそ彼らは我々を鼓舞し、我々を養うことができるのである」――これは、哲学者ショーペンハウアーの言葉である(斎藤忍随訳「著作と文体」、『読書について』所収、岩波文庫)。
今回、エイルウィン氏から届けられた本のタイトルは『パラドックスの力――パトリシオ・エイルウィンの人生に学ぶ14の政治教訓』。
氏がインタビューに応じるかたちで、幼少期から、政権を終えるまでを回想されている。
そのなかから、幾つかの言葉を紹介したい。
氏が大統領に立候補する際、政治家として、どのような点に特に注意されたか。こう語っておられる。
「国民に対して、政治計画として公約していることが明快であるよう、とにかく留意をしました。こから、根幹となる枠組みが始まったのです」
いかなる戦いであれ、目標は明快でなくてはならない。
また、その目標が、普遍妥当性をもって、人々に伝わっていかねばならない。
言葉が大事である。声が大事である。そこから一切の戦いが始まるのである。
氏は、どのような決意で選挙に臨まれたか。その心境を、こう簡潔に述べられた。
「全身全霊を傾けて挑みました。任務は勝利することであり、完勝することでした」と。
「全身全霊で、完勝を目指す」――この一念こそ、すべての戦いの要諦である。
23
鉄は炎打てば剣となる
また、氏は語っている。
「私は『人と会うこと』が好きでした。『人々の問いかけに答えること』が好きでした」
「国をまわるのも大好きでした。(それは)政治から離れた次元で、日常の現実のチリを発見できるからでした」
学会活動も、「人と会う」ことが根本である。
エイルウィン氏は、指導者としての心構えについて、こうも語られている。
「(批判や攻撃という)“平手打ち”をも我慢し、戦い抜かねばなりません。怖気づいてはなりません」
「私は、人と対立することや、人を不愉快にすることは嫌いでした」
「しかし、戦わなければならない時は戦います。そんな時は、見せかけだけの調整や、ネクタイを緩める(=油断する)こともありません」
その通りである。戦わねばならない時に戦わない人間は、ある場合には、悪よりも悪い存在となる。
また、日蓮大聖人は、「
鉄
くろがね
は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし
」と、厳然と仰せになられた。
真剣な戦いは、何よりも、自分自身を鍛えあげるのである。この視点を忘れてはならない。
24
さらに氏は、指導者の条件について述べておられる。
「目指すべき国と社会についてのビジョンがなければなりません。
わが国が、どういうものであるか。国がどのようになってほしいのか。これが、政治家になるための基本です。
現実を知り、目標を見すえた志を持つこと。それから、目標に向かって、どのように進むべきかの作業があるのです」と。
現実への見通しを持つ人は、正しき哲学を確固として持つ人である。このことが、どれほど大切か。
大聖人の仏法の根幹である「立正安国」の意義も、ここにある。
氏は、「後世には、どのような人物として語り継がれたいですか?」との質問に、こう答えられた。
「法律にのっとり、正義のために尽くした男として」――。
私たちは、大宇宙を貫く「妙法」にのっとり、広宣流布を進めている。尊貴なる法に、日々、尽くしている。ゆえに、世界に広がる創価学会となったのである。
本年も、ともどもに、いっそう力強く、栄えある広布史に名前を刻んでまいりたい。
25
師弟の闘争からルネサンスが
ヨーロッパの同志からも、新出発の躍動の報告が届いている。
なかでもイタリアSGI(創価学会インタナショナル)の発展は目覚ましい。
メンバーは皆、社会に深い信頼を広げており、私が全力で育成してきた青年たちが、立派な指導者に育っている。本当にうれしいことだ。
イタリアといえば、かつて私は、世界最古の総合大学ボローニャ大学を訪れ、記念の講演を行った。忘れ得ぬ歴史である。〈1994年6月。同大学からの名誉博士号授与を記念して、「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して講演〉
このボローニャ大学で学んだ一人が、14世紀の桂冠詩人ペトラルカであった。
ペトラルカは綴った。
「私は叫びつづける。平和、平和、平和」(前掲『ぺトラルカの生涯』)
この桂冠詩人は、虚偽や凶悪や戦争で荒れ果てた「野獣性」の世界と決別し、平和な「人間性」の世界を構築することを目指した。
そのために、「人間主義」にもとづく古典文学の研究と、新たな文学の創造に取り組んだ。後継の弟子たちも、師の起こした運動を、さらに拡大していった。
その師弟の戦いが、あの絢爛たるルネサンスとして花開いたのである。
ぺトラルカは述べている。
「他人からうけた恩恵は絶対に忘れないことを率直に誇りとしている」(同)
忘恩は、人間として最悪の罪である。
仏典には、「重恩に違背する人間が、どうして永く苦海に沈まないことがあろうか(必ず沈むのである)」と述べられている。
またベネズエラの格言には、「恩知らずで地獄はいっぱい」とあった(柴田武・谷川俊太郎・矢川澄子編『世界ことわざ大事典』大修館書店)。
師匠や友人から受けた恩を忘れず、恩に報いていく――ここに人間としての正しい生き方の軌道がある。
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「悪い人間は 叩き出せ!」
さらに、ぺトラルカの言葉を贈りたい。
学会は指導主義である。世界の知性の言葉を紹介するのも、そこから大切な何かを学び取っていただきたいからだ。
「真実こそ馬上で勝ち誇り 嘘は大地に叩かれるがよい」(池田廉訳『カンツォニエーレ』名古屋大学出版会)
嘘は必ずばれる。悪事は最後は暴かれる。また、そうしていかねばならない。
彼は、こうも記している。
「無知は魂の大きな貧困」(近藤恒一著『ぺトラルカ――生涯と文学』岩波書店)
「誤った考えをいだくのは無知のしるしだが、誤ったことを厚かましく主張するのは、無知でしかも高慢であることのしるしだからね」(近藤恒一訳『わが秘密』岩波文庫)
学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、尊き学会員を見下すような人間は、絶対に許してはならない。
傲慢な人間、悪い人間は叩き出せ!――これが戸田先生の教えであった。悪と戦う破折精神が学会精神なのである。
ぺトラルカは、こうも綴っている。
「われわれの語りかけによって人びとの心を、おおいに援け励ましうることは、疑う余地がない」(近藤恒一著『ペトラルカ研究』創文社)
「
声仏事を為す
」である。
温かな「声」で、友に励ましを贈る。確信の「声」で、同志に勇気を贈る―そのためにリーダーがいるのだ。
また、ぺトラルカは記している。
「道をいそぎ、うしろをふりかえらないことだ。過去のことは忘れ、将来のことを考えたまえ」(前掲『わが秘密』)
何があっても、カラッと明るく、前へ、前へ! 前進することが重要である。明るいことが幸福である。
過去がどうであろうが、人がどう言おうが、未来へ向かって朗らかに生き抜くことだ。その人が真実の勝利者なのである。
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偉大な名指揮を
最後に戸田先生の指導を紹介し、「前進・勝利の年」の最初のスピーチを結びたい。
先生は言われた。
「反応が早ければ、気持ちいいではないか。特に日本は、対応が遅いと、それだけで不誠実と思われてしまう。
一流は、皆、迅速だ。一流は、賢い人生観を持っている」
スピードが勝負だ。あいさつにしても、御礼にしても、連絡にしても、もたもたしていては、手遅れになってしまう。それでは敗北だ。
打てば響くような迅速な反応――これが勝利の要諦である。
先生は訴えておられた。
「地涌の菩薩の我々は、断固として戦うのだ! 勝つのだ!」
この言葉の通り、断固として勝利、勝利の1年を飾ってまいりたい。
原田会長はじめ、各方面長、各婦人部長など、幹部の方々は、大切な会員の皆さまのために、素晴らしき指揮、指導を、心よりお願い申し上げます。
この1年、皆さま方がご健康で、そして、勝利・完勝の無量の功徳輝く人生たれと、お祈り申し上げ、私の新年のあいさつとさせていただきます。
今年も一緒に頑張ろう! きょうは本当にありがとう!
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