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全国最高協議会  

2006.12.24 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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2  それは、15年前の1991年11月29日。東京に大使館を置くアフリカ外交団26カ国の総意として、各国の大使の方々が見えられ、「教育・文化・人道貢献賞」を贈ってくださった。
 この日は、邪宗門の日顕宗から、滑稽きわまる“破門”の通告が届いた日であった。
 どんなに邪宗門が牙をむいてこようとも、創価の人間主義は、世界から厳然と支持されてきた。
 そして15年。今や、アフリカ大陸でも、40の国と地域で、わがSGI(創価学会インタナショナル)の同志が活躍している。
 アフリカでは、とくに女性リーダーの活躍が目覚ましい。
 たとえば、カメルーンのディコンゲ理事長は、首相府の秘書官(事務局長)という重責を担っておられる。
 彼女を中心に、この4年間で、メンバーは3倍に拡大。この新年勤行会には、2,000人近い友が参加する予定である。
 コートジボワールのディアゾン婦人部長(副理事長兼任)は、貿易商社の財務担当役員を務めておられる。
 現在、メンバーは約2万人に拡大し、3総合本部、11本部体制に発展している。
 南アフリカのブレイスウェイト理事長は、弁護士の資格をもつ会社経営者である。
 この女性理事長の就任とともに、5年間で、組織は5倍の陣容に拡大した。
 トーゴのアジェビ理事長は、女性医師である。首都でも屈指の産婦人科と高く評価される、2つのクリニックの院長をされている。
 トーゴでも、メンバーは1,000人を超えている。
 ガーナのコルメガ婦人部長は、西アフリカ地域の「大学受験審査評議会」で人事部長を務めておられる。
 大座談会運動を展開し、現在は毎月、2,000人を超えるメンバーが座談会に集っている。
 アフリカの人々が、どれほど苦労を重ねてこられたか。それは、筆舌に尽くせぬものがある。
 そのアフリカが、今、旭日の勢いで伸びている。
 「21世紀はアフリカの世紀」というのが、私の信念である。まさに、その通りの時代になってきた。
 本当にうれしい。心から祝福したい。おめでとう!
3  “いなくてはならない人”に
 中国では現在、多くの新聞や言論誌が、創価の哲学に言及している。
 つい先日、有名な敦煌とんこうを擁する甘粛かんしゅく省の新聞(「甘粛新聞」22日付)では、「品格を高めていくことが、人の一生によき作用をもたらす」と題する記事が掲載されていた。
 そこでは、牧口先生の言葉を踏まえた、次のような私の言葉が紹介されていた。
 「職場には、だいたい三様の人がいる。絶対にいなくてはならない人、いてもいなくてもよい人、いないほうがよい人。それは仕事の種類で決まるものではない。人によって決まってくるのである」
 人の価値は、職業や役職などでは決まらない。人間性、そして行動によって決まっていくものである。
 私たちは“いなくてはならない人”になっていきたい。
 皆に奉仕すべきリーダーでありながら、威張るばかりで、人に尽くさない。後輩の面倒を見ようとしない。そうした“いないほうがよい人”であってはいけない。
4  人間の成長を最も妨げるもの。広宣流布を阻むもの。それは「増上慢」である。
 新しい勝利のため、一層の前進のため、「増上慢」の生命は、断じて排し、戦っていかねばならない。
 新しい節目の時にあたり、きょうは、この「増上慢」について、少々語っておきたい。
5  “自分は偉いと錯覚し威張る”
 「増上慢」とは「七慢」の一つである。〈七慢とは「慢」「過慢」「慢過慢」「我慢」「増上慢」「卑慢」「邪慢」のこと〉
 「慢」とは、自分を実際以上に高く見せようとする生命である。
 とくに「増上慢」とは、いまだ得ていないにもかかわらず、自分は「増上の法(勝れた法)」などを得たと慢心を起こし、他より勝れているとおごり高ぶる。
 広宣流布のための地道な労苦をうまく避け、役職だけあがって、自分は偉くなったと錯覚して威張る。そうした人間も、本質は「増上慢」である。
6  見栄っ張りの心
 方便品には、釈尊がいよいよ真実の法を説こうとした時、5,000人の「増上慢」の人間たちが、座を立ち、去っていったと説かれている。
 荘厳なる法華経の会座でさえ、そうした増上慢がいた。増上慢が出て行って、清浄な和合の世界となったのである。
 御義口伝では、この「増上慢」の本性を、自らのきず(欠点)を隠し、自分を良く見せようとすることであると示しておられる。見栄っ張りの卑しい心である。〈「疵を蔵くし徳を揚ぐるを以て本とせり」〉
7  法華経の行者に敵対する「三類の強敵」の本質も、「増上慢」である。
 仏法に無智で、法華経の行者を迫害する一般大衆が「俗衆増上慢」。
 邪智で、いまだ得ざるを得たりと思い上がった坊主である「道門増上慢」。
 偽善で飾り立て、権力と結託して正義の人を迫害する“偽聖人”である「僣聖増上慢」。
 これら“三種の増上慢”と戦い抜き、打ち破ってこそ、広宣流布は進む。
8  師を軽視した罪
 「増上慢」の末路は、無間地獄である。
 大聖人は法華経方便品の一節を引かれている。
 「増上慢の比丘は将に大坑に墜ちんとす
 仏法史上、教団を堕落・法滅させたのは、「師弟破壊」の増上慢であった。
 中国の天台宗は、師匠を軽視する増上慢の弟子によって濁ってしまった。
 天台大師の死後、新しく伝わってきた経典について、天台の末学たちは“師匠も知らない、この経典のほうが、法華経よりも勝れているのでは”と思った。智慧が浅いゆえに邪義に誑かされ、権勢におもねる愚かな姿であった。
 こうした歴史を、大聖人は厳然と記されている。〈御書301㌻〉
 日本においても同じであった。
 伝教大師の増上慢の弟子も、中国への留学が短期間であった師匠を軽んじ、正しい仏法の流れを破壊してしまった。〈御書には、伝教大師の弟子が心の中で「わが師である伝教大師は、真言宗と法華宗の勝劣は、くわしくは勉強しておられなかった。中国にも長くは留学しておられないゆえに、この勝劣の法門は、おおまかにしか知っておられなかった」(御書280㌻、趣意)と、師匠を軽んじていたことが記されている〉
 師匠を軽く見て、自分の方が偉いと思う増上慢が、仏法を破壊してきたのである。
 大聖人の時代の五老僧の性根も、また同じであった。外の敵でなく、そばにいた弟子が裏切り、仏法を破壊した。これも、重要な教訓である。
 大聖人は、増上慢とは断じて戦われた。
 学会も、こうした極悪とは、徹底して戦っていく。同志のため、正法のためである。
9  大聖人は、経文を引かれて、「法華経の行者」を一言でも謗れば、仏を謗る以上の罪を得ると、それはそれは、厳しく戒めておられる。〈御書1382㌻〉
 法華経の行者とは、いうまでもなく大聖人であられる。そして大聖人の仰せのままに、死身弘法を貫く創価の三代の師弟であり、懸命に広布へ戦う同志である。
 だれが、この偉大な学会を築いてきたのか。だれが、広布のために最も尽くしてきたのか。
 この厳然たる事実を軽視し、馬鹿にする罪は重い。
 大聖人は、「下根に望めても憍慢きょうまんならざれ」とまで仰せである。
 すなわち、機根が劣っている人に対しても、自分の才能に慢心を抱いてはならない、絶対に見下してはならないと、厳格に叱咤されているのである。
10  信心の世界に学歴は無関係
 戸田先生は言われた。
 「いわゆる『二乗根性』で、自分は学者である、優秀である、だれよりも深い学識があると思い、増上慢となった人もやがて退転していくだろう」
 知識を鼻にかける人間、思い上がった人間は、その通りに去っていった。また、そうした増上慢を、清浄な学会の中に入れておいてはならない。
 学会は、信心の世界である。学歴や、世間の肩書などは、本来、仏法とは何の関係もない。
 一生懸命に広宣流布のために戦った人が、最も尊いのである。
 戸田先生は、こうも言われた。
 「婦人部を小バカにし、威張り散らす増上慢の幹部を叩き出せ!」
 広宣流布の最大の功労者は、だれか。婦人部である。
 どんな学者よりも、どんなに社会的地位がある人間よりも、広布に走る一人の婦人部のほうが、ずっと偉大だ。尊貴である。
 学会の中に、もしも、尊き庶民を見下し、裏切る、増上慢の悪人が出たならば、断じて戦わなければならない。
 麗しき学会の組織や精神を、私利私欲のために利用し、悪事を働く人間がいれば、断じて追放していくべきだ。
 広宣流布の世界は、偉大なる正義と善の世界である。
 我らは「正義の学会」「道理の学会」である。断じて、善のスクラムを壊されてはならない。
11  転落の方程式
 さらに戸田先生の指導を紹介したい。
 先生は言われていた。
 「真の信仰にめざめた我々には、福運を消し、自分自身をも破壊する増上慢の振る舞いだけは、けっしてあってはならない」
 また、退転者の本質について、遺言のごとく、こう語っておられた。
 「信頼する幹部のなかから増上慢になって出てくる場合が多いものだ。
 偉くしてもらいながら、傲慢になり、信心がわからなくなって、最後は暗き心と化して、反逆者となって狂い始める。
 大聖人の御入滅後も、当時の最高幹部であった五老僧は、『我賢し』と思って、日興上人の正法正義に従わず、退転していった」
 五老僧が退転していった原因の一つは「慢心」であった。重大な歴史の教訓である。
 戸田先生は、断言しておられた。
 「大聖人の仏法の正当派と言いながら、坊主ほど増上慢の連中はいない。坊主で妻帯し、坊主で御供養を受けながら、信徒を見下し、さらに、坊主でありながら金と酒と女におぼれて、衣の権威にすがっている。奴らは必ず滅亡するよ。それらを監督できない、指導できない本山も必ず衰退する」
 まさに、戸田先生が言われた通りの結果となったことは、皆さまがご存じの通りだ。ここに“転落の方程式”がある。
12  悪人を許すな
 学会の未来のため、永遠の発展のため、私はリーダーの皆さまに、大事なことを語り残しておきたい。真実を伝えておきたい。
 そして、本物の学会精神を身に体した指導者を育てたい。
 将来のため、私は懸命に、真剣に舵を取っている。
 今、創価学会には大勢の会員がいる。立派な会館もたくさんある。日本一、世界一の団体となった。
 だからこそ、幹部が心を合わせ、三代の「師弟の精神」を根本に進まなければ大変だ。悪い人間に利用され、食い物にされてしまう。破壊されてしまう。
 これまでも、学会の幹部の中から反逆し、広宣流布の破壊を企てた人間が出た。
 油断してはいけない。賢明でなくてはならない。
 牧口先生、戸田先生は厳しく戒めておられた。
 「悪人がのさばると、毒を流される。ゆえに悪人は、清浄な和合僧の学会の世界から去ってもらった方が、全く嬉しい。そういう連中は、追放することが、最良の方策だ」
 悪人を断じて許すな! 広布破壊の人間は叩き出せ! これが恩師の厳命であった。
 今は本当に大事な時である。このご指導をもう一度、命に刻み、その通りの実践をしていかねばならない。
 悪に対して、変な遠慮や躊躇があってはならない。それは本当の慈悲ではない。大事なのは厳愛だ。
 もう一度、原点に返って、断じて新しい学会を築いていくのだ。
13  大切なのは、皆がしっかりすることだ。
 どうしたら、同志が晴れ晴れと勝利していけるか。そのために祈り、智慧を出すのだ。
 重要な責任のある大幹部に対して、どんどん下から意見を言い、正すべきことは正していくことだ。
 言うべき時に黙っていてはいけない。婦人部の皆さんも、遠慮する必要はない。女性は強い。まじめで、正義感がある。不正を許さない。
 一家においても、婦人がしっかりしているところは繁栄していく。
 男性は、どうしても威張る。見栄を張る。そうした傾向が強い。だからこそ、正義の女性の存在が大事になってくる。
 建設は死闘、破壊は一瞬である。これまで、三代の会長が、同志の皆さまとともに死にもの狂いでつくりあげてきた学会を、絶対に壊されてはならない。
14  「牧口先生の慈悲が私を牢獄に」
 戸田先生は師匠である牧口先生について、こう語っておられた。
 「牧口先生と私とは、親子であると信じています。親子という意味は、先生の精神的財産を、私が受け継いだことであります。
 もし私が牧口先生とお会いしていなければ、いまの私はありません」
 また先生は、戦時中に学会が軍部権力に弾圧され、一緒に牢獄まで行かれたことについて、こう語っておられた。
 「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。
 そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』(=あらゆる仏国土に常に師とともに生まれてくる)と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。
 なんたるしあわせでございましょうか」
 戸田先生は、2年間の獄中生活で、体をボロボロにされた。それまで手がけておられた事業も、壊滅状態に陥った。言葉では表せないほどの辛酸をなめられた。
 その先生が、牧口先生に対して、これほどの感謝を述べておられるのである。なんと崇高な師弟の絆であろうか。
 「我れ(戸田先生)を救いしは、牧口常三郎先生なり」「深く感謝するなり」
 これも戸田先生の言葉である。
 師に仕え、師を守り、師の恩に感謝していく──牧口先生の弟子として、戸田先生はこの生き方を貫かれた。
 あの偉大な、どんな立場の人間に対しても堂々としている戸田先生が、牧口先生には、ひれ伏すようにして仕えておられた。それはそれは厳粛な姿であったと、私はうかがった。
15  師に常随給仕
 私もまた、戸田先生に命がけでお仕えした。
 先生の事業が破綻し、膨大な借金を抱えた時、多くの人間が先生を罵倒して去っていった。
 そのなかで、私一人が残って、先生を守り、支えた。私は肺病だった。時には血を吐きながら戦った。
 体の弱かった私は、医者から30歳まで生きられないだろうと言われていた。
 ある時、戸田先生は、私の妻の実家を訪れて、男泣きしながら私の義父に言った。
 ──大作は私の本当の弟子だ。苦労ばかりかけてしまった。大作がいなくなったら、学会の将来は真っ暗だ──こういう師弟だった。師弟不二であった。
 ある時は、深夜に先生から「すぐに来なさい」と緊急の電話がかかってくる。私は先生のもとへと、ただちに駆けつけた。
 先生は「早かったな」と一言。そうやって電光石火で手を打たれた。今の人たちには考えられないような訓練だった。
 先生を中傷する人間がいれば、私はすぐに会いに行って厳重に抗議した。相手が、その非を認めて謝るまで戦った。
 そのことを報告すると、先生は「よく行ってきたな!」とうれしそうであった。
 私は、言葉では言い尽くせないほど先生に仕え抜いた。先生のおそばで、身に影の添う如く戦った。まさに「常随給仕」であった。
 戸田先生は本当に偉大だった。世界一の師匠であった。天才的な指導者だった。
 私は先生に真実の仏法と人生を教えていただいた。最高の人生を歩ませていただいた。
 その私が、師匠である戸田先生にお仕えするのは当然だ。そう決めていたのである。
16  師の偉大さを全世界に宣揚
 昭和26年(1951年)5月3日、戸田先生は事業の破綻という苦難を乗り越えられて、第二代会長に就任された。
 その就任式で、先生は叫ばれた。
 「私が生きている間に75万世帯の折伏は私の手でする。もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は品川の沖に投げ捨てていただきたい」
 烈々たる師子吼であった。先生は、この時の宣言通り、生涯で75万世帯の折伏を成就されたのである。
 会長就任式から2カ月後の7月11日、先生は、男子部の結成式で言われた。
 「きょう集まられた諸君のなかから、かならずや次の創価学会会長が現れるであろう。かならず、このなかにおられることと信じる」
 「きょうは、この席から、次の会長たるべき方にごあいさつ申しあげ、男子部隊の結成を心からお祝い申しあげる」
 また、昭和27年(1952年)2月17日、青年部の研究発表会で先生は叫ばれた。
 「三代会長は青年部に渡す。牧口門下には渡しません」
 「譲る会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、三代会長を戸田門下が支えていきなさい。
 私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍が品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」
 三代会長を守り抜け!──これが戸田先生の遺言であった。
 私は真実の弟子として、戸田先生が言われたことは、すべて実現した。
 世界広宣流布の完壁な基盤を築き上げた。平和・文化・教育の堂々たる城を世界に構築した。
 先生が亡くなられた後も、私は先生の偉大さを世界に宣揚した。牧口先生の偉大さも、世界に知らしめた。
 今、戸田先生、牧口先生は世界的な偉人として輝く存在となった。世界の知性が、その思想と業績を賞讃している。
 簡単なように思うかもしれないが、これは大変なことだ。
17  一兵卒として!
 牧口先生と戸田先生の時代。そして戸田先生と私の時代。
 この三代の時代は、師弟は完壁だった。厳格だった。この三代の会長に脈打つ師弟の精神を、絶対にあいまいにしてはならない。おろそかにしてはならない。
 師弟を失えば、学会は崩れる。幹部が生意気になったり、いい気になって、峻厳なる三代会長の精神を失えば、学会は壊れてしまう。それは仏法の破壊に通じる。
 私は百千万軍の指揮を執ってきた人間だ。幾多の迫害を乗り越えてきた。あらゆる人を見てきた。
 どんなに表面を繕っても、その人物が本心で何を考えているかは、手に取るようにわかる。大事なのは格好ではない。自分を偉そうに見せたりするのは最低だ。
 まず最高幹部が、広布の最前線に飛び込み、一兵卒として、泥まみれになって戦うのだ。自分が中心なのか。師匠が根本なのか。この一点が狂うと、すべてが狂ってくる。
 厳しいようだが、皆のため、学会の未来のために、私は厳然と言い残しておきたい。
18  創価学会が永遠に勝ち栄えていくために、今、何が大切か。
 胸中の戸田先生と対話しながら、いつもそれを考えている。根本は「師弟」である。
 「師匠」を守り、「学会」を守り、「同志」を守り抜くとの熱い心が、赤々と燃え上がっているかぎり、学会は断じて勝ち栄えていく。
 戸田先生は言われた。
 「いま、こうして私が会長をしていることは、初代会長の牧口先生の恩をこうむっているのはいうまでもないが、私は、牧口先生を、親子として、弟子として、一生涯、自分の生きているあいだは大事にしていく決心であります」
 厳しき獄中生活は、戸田先生のお体を滅茶苦茶にした。
 まさに満身創痍の状態であられた。
 その先生を、広布の大闘争へと奮い立たせたのは、何であったか。ただ一点、師匠である牧口先生への報恩の心であった。
 戸田先生は、こうも叫ばれた。
 「よし、いまにみよ!牧口先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、牧口先生にお返ししよう」
 断じて師匠の仇を討つのだ!──そのために戸田先生は生きておられた。
19  心の歯車を合わせよ!
 私もまた、牧口先生、戸田先生の「正義」を宣揚することに命を捧げてきた。
 「どうすれば、先生が喜んでくださるか」。そして、「どうすれば、学会の同志に喜んでもらえるか」──寝ても覚めても、そのことばかりを考えてきた。
 自分のことなど、これっぽっちもなかった。
 リーダーの一念が、同志のためか、自分のためか。それで組織は決まってしまう。幹部に格好や気取りがあれば、いい学会にはならない。幹部が自己中心であれば、師弟が壊されてしまう。
 リーダーは、同志を尊敬することだ。すべては、そこからである。
 「戦ってくださって、ありがとうございます!」と、すっきりと、さわやかに感謝をしていく。
 幹部が率先して、声を出し、何でも言える自由な雰囲気をつくっていく。
 そうやって、一人一人ときっちりと「心の歯車」を合わせていったとき、全軍に新たな勝利の勢いが生まれるのである。
20  大聖人の仏法の真髄とは何か。
 大聖人は宣言された。
 「仏弟子は、必ず四恩を知って、知恩・報恩の誠を尽くすべきである」(御書192㌻、通解)
 恩知らずは、畜生にも劣る。恩を知り、恩を報ずることこそ、人間としての証しである。
 そして、この知恩・報恩の道を、最も明確に、最も厳然と教え、示したのが、仏法なのである。
 大聖人は、有名な「報恩抄」において、「父母の恩」「師匠の恩」「三宝の恩」「国土・社会の恩」の4つの恩をあげておられる。〈「ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがため」〉
 本抄で大聖人は、通じて、「四恩」に報い、別して、「師匠の恩」に報いていく道を示しておられる。
 大聖人は、修学時代の師・道善房への恩、つまり「師恩」を深く重んじられたのである。
 また大聖人は、師の恩について、「邪道を閉ざしてくださること」「正道におもむかせてくださること」を説いておられる。〈「師はまた、邪道を閉じて正道におもむかせる等の恩が深い」(御書435㌻、通解)〉
 正しい師あればこそ、人間として「邪道」に転落しない。正しい師あればこそ、人間として「正道」を歩み通すことができる。
 まさしく、大聖人に直結の「創価の師弟」は、世界を不幸の流転に陥れる邪道を閉ざし、人類を平和と幸福の正道に導くために広宣流布を断行しているのである。
 戸田先生は叫ばれた。
 「信心は、日蓮大聖人の時代に還れ!」「教学は、日寛上人の時代に還れ!」と。
 日寛上人は、「報恩抄文段」において、報恩の要諦を明瞭に指南されている。
 それは、「不惜身命」の一点である。
 すなわち、「身命を惜しまず邪法を退治すること」、そして「身命を惜しまず正法を弘通すること」である。
 ここに一切の報恩が完壁に含まれる。
 学会は、不惜身命の初代・第二代の師恩に、第三代が不惜身命で報恩を尽くした。
 そして、あらゆる謗法を呵責し、世界190カ国・地域まで、正法弘通を果たしてきたのだ。
21  師弟がなければ広宣流布は断絶
 さらに日寛上人は仰せである。仏法の世界において、弟子を育てる師匠の“志”とは何か?
 それは、ひとえに、大法を大いに広宣流布するためである、と。〈「報恩抄文段」に「一切の師の弟子を養育する、その志は大法をして弘宣することを得せしめんが為なり」と記されている〉
 師弟によって初めて、広宣流布の大志・大願は継承される。師弟がなければ、広宣流布は断絶する。
 大聖人は、師・道善房に対する弟子の立場から、「日蓮は草木の如く師匠は大地の如し」と仰せになられた。
 師匠は大地であり、弟子は草木である。
 報恩の弟子の勝利は、稲の命が大地に還るがごとく、師匠の栄光となり、福徳となる。
 そして、その師弟の大地から、新たな勝利の花が永遠に咲き誇る。
 これが創価学会である。
22  恩知らずは断じて許すな
 戸田先生は、烈火のごとく叫ばれた。
 「恩知らずの坊主ども、不知恩の元政治家ども、そして元幹部どもなどに、崇高な学会を乱されてたまるものか」
 恩知らずの人間に威張られて、学会員が苦しむようなことがあれば、どんな相手であろうが、激怒して戦うのだ。それが戸田先生の精神である。
 戸田先生は、こうも言われた。
 「師匠のおかげで偉くしてもらいながら、将来、畜生のごとく師恩を仇で返し、踏みにじっていく悪逆な連中が出たならば、断じて許すな!」
 この創価の師弟の大精神を堅持し、いかなる中傷・批判を浴びようとも、断固として仏敵と戦い、学会を守り、同志を守り抜いていくのだ。
 これが仏法である。これが師弟である。
 皆さん方は、一騎当千の最高幹部である。私とともに、牧口先生、戸田先生の魂を永遠に受け継いでいっていただきたい。
 私は、どこまでも、牧口先生、戸田先生の正義を語り抜いていく。
 後継の青年のなかから、一人でも二人でも、本物の弟子が育ってくれれば、それでいいのだ。
 鋭い信心の光線を放ちゆく、「真剣の一人」が出てくるのを私は待っている。
23  和合僧を破るのは師子身中の虫
 ここで「和合僧」の意義について、あらためて確認しておきたい。
 「和合僧」の「僧」とは、もともと、「僧伽」という言葉に由来する。「僧伽」は、古代インドの言葉であるサンスクリット語の「サンガ」の音訳である。この「サンガ」には、「集団」「集会」「会議」などの意味もあった。
 つまり「和合僧」とは、仏道修行に励み、団結をもって、仏法を流布する人々の「集まり」を指すのである。
 戸田先生は、厳然と、「和合僧とは、仏法上の哲理をもってすれば、創価学会のことだ」と断言なされた。
 「和合僧」を破る「破和合僧」の罪は、仏法上の「五逆罪」にあたる。〈五逆罪の内容は、仏典により諸説ある〉
 では「破和合僧」は、どこから起こるのか。
 御聖訓には、「外道や悪人は如来が説いた正法を破ることはできない。仏弟子らが、必ず仏法を破るのである。『師子身中の虫が、師子を内から食う』といわれる通りである」(御書957㌻、通解)と、厳重に戒められている。
 師弟を忘れ、師恩を仇で返し、真の弟子の道を見失えば、そこから「破和合僧」が起こる。「破和合僧」を犯す敵は、内部から出るのである。
 あのアショカ大王の法勅にも、「破和合僧」への戒めが厳正に刻まれている。
 “僧伽を破壊する者は、追放されねばならない。なぜならば、私が願うのは、和合した僧伽を永続させることだからである”
24  大聖人が、中国の不惜身命の仏教者として言及されている慧遠えおんは、“破和合僧は、貪嫉の心から起こる。貪りの心、名聞を求める心、嫉妬心のゆえに和合僧を破壊するのである”と論じた(『大乗義章』)。
 釈尊に反逆し、「破和合僧」を犯した提婆達多の本性も、「嫉妬」であった。大聖人の御入滅後、五老僧が背いたのも、直系の弟子・日興上人への「嫉妬」があった。
 創価の拡大の歴史は、一面から見れば、卑劣な「嫉妬」との戦いであったともいえよう。
 牧口先生は訴えた。
 「広宣流布の和合僧を、自分勝手な我見と増上慢で破壊するような人間は、即座に除名せよ! 
 絶対に、そんな幹部に従う必要はない。『法に依って人に依らざれ』である」と。
 私もまた、「法に依って」進んできた。御書を青年時代から胸に刻み、大聖人の仰せのままに戦ってきた。
 真実を知っていながら、語らず、正義を曲げてしまえば、語らなかった者もまた、罰を受ける。それが、御書に書かれた厳粛な道理である。
 戸田先生は語られた。
 「経文にも和合僧といって、現代でいうならば、その教団の発展、進歩のために、組織をもっとも大切にしてきている。和合僧──という組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行である、ともいっておきたい」
 広布のために、和合僧を厳護せよ!──この恩師の叫びを、断じて忘れてはならない。
25  正義を謗る大罪
 謗法を犯した者の末路についても、あらためて語っておきたい。
 一般的にも、苦しみのあまり泣き、嘆き、叫び、喚いて、救いを求めるさまを「阿鼻叫喚」という。
 本来、「阿鼻叫喚」の「阿鼻」とは「阿鼻地獄」を指し、「叫喚」とは「叫喚地獄」を指す。いずれも、仏典に説かれる「八大地獄」に含まれている。
 「阿鼻」とは「無間」という意味で、間断なく苦しみを受けることを指す。つまり、「阿鼻地獄」とは「無間地獄」のことである。
 「阿鼻地獄」は、その苦しみを話に聞くだけでも、恐ろしさのあまり息絶えるほどだという。
 それでは、この地獄に堕ちる者は、だれなのか。
 大聖人は、次のように仰せである。
 「法華経をよみ・たもたん者を見てかろしめ・いやしみ・にくみ・そねみ・うらみを・むすばん其の人は命をはりて阿鼻大城に入らん
 法華経の行者を誹謗した者が阿鼻地獄に堕ちると、明言されているのである。
 さらに大聖人は綴られている。
 「一切の仏法もまた、人によって弘まる」(465㌻、通解)
 「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を謗ることは、その法を謗ることである」(同)
 「仏の『冥の照覧』に対し、どうして、恥ずかしくないことがあろうか。地獄の苦しみを、恐れるべきである。恐れるべきである。慎むべきである、慎むべきである」(同466㌻、通解)
 大聖人は「不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべし」とも断じられている。
 恩知らずにも、大恩ある師匠を裏切り、大恩ある学会に反逆した者たちの峻厳な仏罰の現証は、ご存じの通りだ。
 この地球上で、唯一、広宣流布を進める仏意仏勅の創価の師弟を誹謗し、和合僧を破壊せんとする者は、どれほど厳しい阿鼻叫喚の苦しみを受けるか。
 すべて、御書に厳然と認められた通りの実相である。
26  有名な「佐渡御書」を拝したい。
 「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(=佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。
 このような歪んだ心の者たちが、(法華経を誹謗する)念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない」(同960㌻、通解)
 だれであれ、このような阿鼻地獄、叫喚地獄に堕としたくない。ゆえに、真の仏法者は、裏切りに対して、破和合僧の仏敵に対して、生命の底から怒り、戦うのである。
 戦わなければ、皆が迷い、破和合僧の動きに乗ってしまう。
 戸田先生は、「学会に反逆した者は、絶対に堕地獄である。必ず、堕地獄の姿を見せて回る」と師子吼なされた。
 「恩を仇で返す者は、必ず地獄に堕ちる」ともおっしゃった。「必ず」の一言に、重い意味が込められている。
 戸田先生は、本当にすごい方だった。仏の生命をあらわされた、希有の大指導者だった。
 幾多の厳しい訓練も、すべて懐かしい思い出であり、無上の宝である。
 本当の私の心を、戸田先生だけが、見抜いてくださっていた。
 わざわざ私の実家に赴かれ、先生お一人で、父と話をしてくださったこともあった。
 師弟とは、こんなにも尊く、深く、無限なのか──そのありがたさは、言葉では表し難い。
 「師弟」という道がなければ、御本尊の偉大さも、信心の本当の価値もわからない。これが私の確信である。
27  善悪を峻別せよ
 戸田先生は、御書を通して述べられた。
 「信心無くして智者・学匠になりても阿鼻大城に堕ちてはなんにもならない」
 自分はいい大学を出た。議員になった──そうした外見で威張る人間ほど、危ない。悪知恵を持ち、ずるい人間になる。
 大事なのは、強き信心があるかどうかだ。
 広布のため、師匠のため、同志のためなら、わが身をもなげうつ。その心が燃えているかどうかである。
 創価学会をつくったのは、民衆である。とりわけ、折伏の先頭に立っているのは健気な婦人部の皆さま方である。その盤石な土台の上に、今の学会の繁栄がある。
 上の立場の人間ほど、自分に厳しくあらねばならない。リーダーが、皆にやらせておいて、威張る。将来、学会を、そんな狂った、おかしな世界にしては、絶対にならない。
 また、戸田先生は言っておられた。
 「いい気になり、増上慢になって弓を引く反逆者は、厳然と追い出せ。
 一生涯、仏法の厳しさを、因果の厳しさを思い知らせよ」と。
 増上慢、策略家、見栄っ張り、恩知らず。そういう人間が増えれば、組織は暗くなる。だんだんと変になる。
 皆が、すっきりと、明るい心になれるように、リーダーは心を砕き、戦うのだ。
 師弟の真実を、だれが本当に守ったのか。創価の師弟が攻撃された時、だれが陰で笑っているのか。だれが悪党で、だれが臆病なのか。
 善は善として讃え、悪とは戦う。正邪を皆の前で証明するのが仏法である。来年も、ともに戦おう!
28  共に世界平和へ
 明年は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」から50周年の佳節を迎える。
 〈1957年(昭和32年)9月8日、戸田第二代会長は、横浜市の三ツ沢競技場で「原水爆禁止宣言」を発表した。核兵器を「絶対悪」ととらえ、その存在自体を否定した宣言であった。核兵器の脅威が広がる現代にあって、恩師の先見は、いや増して光彩を放っている〉
 核兵器廃絶のために戦い抜いた、ノーベル平和賞受賞者の故・ロートブラット博士が共感を込めて、次のように語ってくださったことがある。
 「私は仏教徒ではありませんが、池田会長と私は『世界平和』という同じ目的に向かって、同じ信条を共有しています。
 そして、深い友情で結ばれているのです。池田会長とお話ししていると、私たちの波長がピッタリ合っているのに気付くのです」
 ロートブラット博士とは対談集(『地球平和への探究』)も発刊した。
 人類は、世界平和という同じ目的に向かって進む友人であり、同志といっていい。
 仏法の根本も友情である。善友の拡大である。
 平和のため、人類の幸福のために、あの地でも、この地でも、美しき対話と友情の花を咲かせてまいりたい。
 私たちの本領発揮の時は、いよいよ、これからである。世界中が私たちの活躍に期待し、創価の人間主義の勝利を待っている。
 断じて、明年も勝ちましょう! 一大平和勢力として、日蓮大聖人の「立正安国」の大精神を世界に堂々と広げてまいりましょう!
29  皆さまありて!
 この1年も、陰に陽に広宣流布の前進を支えてくださった皆さま方に、私は妻とともに、心から感謝を申し上げます。
 創価班、牙城会、白蓮グループの皆さん、婦人部の香城会、壮年部の王城会、会館守る会、創価宝城会、白樺会、白樺グループの皆さん、さらにサテライトグループ、設営グループなどの各種グループの皆さん、本当にありがとうございました。
 また無冠の友、新聞長、儀典長・儀典委員の皆さん、教宣部、書籍長、文化長、文化班、統監部の皆さん、そしてまた、大事な未来部を担当してくださる未来部育成部長、21世紀使命会の皆さん、1年間、本当にご苦労さまでした。
 さらに民音推進委員、そして個人会館、個人会場を提供してくださっているご家族の皆さま方にも、深く深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 固い握手を!
30  一、また、本年最後の最高協議会、ご苦労さまでした。この1年、本当によく戦い、美事な指揮を執ってくださった。心から感謝いたします。
 来年はさらに、大勝利への前進のために、「大いなる指揮」「賢明な指導」、そして「大胆な信念と包容力」をもって、大切な大切な後継の同志の励ましをお願いしたい。
 1年間、本当にありがとう。来年もまた、連続勝利の大指揮を頼みます。そして、勝ちまくって、固い握手をして、また固い固い握手をし抜いてまいりましょう!
 「如来秘密・神通之力」を確信して、大勝利をお願いします。
 それでは、来年、元気いっぱいにお目にかかり、ともに出発いたしましょう!
 各方面に帰られましたら、皆さまにくれぐれもよろしくお伝えください。
 風邪などひかないように。よいお正月を! 長時間ありがとう!

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