Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第2回本部幹部会  

2006.12.7 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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2  海外の女性の皆さん、遠いところ、本当にようこそ!〈ここで、名誉会長の招きでボリビアSGI(創価学会インタナショナル)の女性の代表2人が壇上へ。名誉会長夫人から、「花の冠」が贈られた〉
 また、「青年僧侶改革同盟」の皆さまも、ありがとうございます。
3  重ねて申し上げるが、この1年、本当にご苦労さまでした!
 会長や最高幹部といっても、自分たちだけで広宣流布を進めることはできない。
 会員の皆さんが真剣に戦ってくださったからこそ、世界広布は現実のものとなった。学会は世界一の団体になったのである。
 リーダーは、このことを絶対に忘れてはいけない。決して自分を「偉い」などと勘違いしてはならない。
 懸命な一婦人部員。生活に苦闘する一壮年部員──そういう方々が戦い、動いてくださったからこそ、学会はここまで発展したのである。また、こうした庶民のなかにこそ、本当に強い信心の持ち主がいるのである。
 ともあれ、この1年も学会はすべての戦いに勝利し、広宣流布の大きな前進を成し遂げることができた。皆さまに、最大の感謝と御礼を申し上げたい。
 これからも、体を大事にしていただきたい。風邪をひかないように気をつけて、最高の新年を迎えていただきたい。
 そして新年になったら、男性は奥さんに対して、「奥さま、おめでとうございます! 今年も一生懸命、働きますので、安心してください」と言ってはどうだろう。
 そう言える男性は偉い。
 奥さんのほうは、ご主人に対して、「おめでとうございます! 本当に昨年は、お世話になりました。どうか、お体を大事にしてください。私も一生懸命、御祈念しています」と言ってあげる。
 そうすれば、うまくいくはずである。
 それを朝から「早く起きなさいよ! きょうは勤行さぼって、お題目三遍で終わり!?」などと言うから、ケンカになる。
 まあ、人生は「劇」だから、いろんなことがあっていいかもしれないが。
 ともあれ、来年も元気に進もう!
 人の批判ばかりしたり、威張ってツンとしていても損をするだけだ。それは愚かであり、人間として敗北の姿である。
 明るく、朗らかで、元気な人にはかなわない。この人が「人生の王者」なのである。
 私たちは、日蓮大聖人に直結して進む。その功徳は無量無辺である。諸天の加護も厳然である。すべて御書に仰せの通りだ。
 信心をやり切って、楽しい人生、愉快な人生、勝利の人生にならないわけがない。仏の境涯にならないわけがない。頑張ろう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
4  仏法の真髄は師弟の精神に
 青春時代、私は師匠である戸田先生のために、すべてを捧げた。
 戦後、戸田先生の事業は破綻し、莫大な負債を抱えた。すると、それまで先生を慕っていた多くの人間が、手のひらを返したように「戸田の馬鹿野郎!」「何だ、創価学会は!」と罵り、去っていった。
 そのなかで、私はただ一人、決然と先生についていったのである。
 人の心は怖い。私は自身の体験に照らして、よく知っている。
 当時、私はまだ20代。「これが師匠を裏切った姿か」と鋭く胸に焼き付けた。
 事業の破綻を聞きつけて、新聞記者がやって来た。また、負債の取り立ても厳しかった。本当に大変な状況だった。
 あの剛毅な先生が、極限の状況まで追い詰められていた。
 私自身も肺病で、体も苦しかった。そのなかを命がけで戸田先生を守り、支えたのである。
 ついに、先生は、学会の理事長を辞任せざるを得なくなった。
 私は、先生におうかがいした。
 「先生が理事長を辞められると、これから、私の師匠は誰になるのでしょうか……」
 先生は言われた。
 「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
 私は誓った。
 すべてに打ち勝って、師匠である戸田先生に、必ず第二代の会長に就任していただくのだ。創価学会を、世界的な団体にするのだ──と。
 私は先生を守るために、大学も断念した。私財もなげうった。そうして、すべてを勝ち越えたのである。
 あの苦闘から半世紀。今、創価学会は世界一の大発展を続けている。
 これはすべて、私とともに幾多の大難を乗り越え、戦ってくださった皆さんのおかげである。
 戸田先生、そして牧口先生が、どれほどお喜びであろうか。
 お二人は国家権力によって、牢獄にたたき込まれた。あらゆる誹謗、中傷を浴びせられた。
 牧口先生のもとで、戸田先生は厳然と戦い抜いた。
 そして戸田先生のもとで、私は厳然と戦った。
 この闘争に、今日の学会の世界的な発展の因がある。これだけの闘争をしてきたからこそ、私は何も恐れない。
5  先生は、私を最大に信頼し、そばに置いてくださった。私は、どこに行くにも先生と一緒だった。
 ある時は、突然、私に「皆さんに、いい歌を歌って差し上げなさい」と言われたこともあった。
 また、夜中に先生から電話がかかってくることもあった。妻がタクシーを探してくれて、私は飛ぶようにして先生のもとに駆けつけた。
 先生と私は「師弟不二」であった。戸田先生と牧口先生も同じである。
 戸田先生は牧口先生について、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」とまで語っておられた。
 この「師弟の精神」にこそ、仏法の真髄がある。人生の真髄がある。これがあったからこそ、学会は勝ったのである。
6  広布の旗の下に人材を集めよ!
 戸田先生の事業が最も苦境にあったとき、先生は、こう言われた。
 「私は、『仏意仏勅の旗』を持っている。『破邪顕正の旗』を持っている。『異体同心の旗』を持っている。『三世永遠に輝きわたる旗』を持っている。
 『勝利栄光の旗』を高らかに掲げよ! 頼むよ大作、一緒に私と戦おう!
 『広宣流布の旗』のもとに大いなる人々を集めてくれ!
 勝つのだ! 頼むよ!」
 先生から譲り受けた「旗」を、私はただ一人掲げて、戦い抜いてきた。そして勝った。その戦いを最もよく知っているのは、私の妻である。
7  学会は勝ちました!
 創価学会は、御書の通りに広宣流布に前進している。これほど尊い団体はない。永久にない。
 創価学会は、御書の通りに「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難を受けきってきた。これほど強い団体はない。
 創価学会は、御書の通りに「法華折伏・破権門理」を実践している。これほど正しい団体はない。
 創価学会は、御書の通りに「不惜身命」「死身弘法」を貫き通してきた。これほど誇り高き団体はない。
 これからも創価学会は、御書の通りに「師弟不二」「異体同心」で、断固として勝ちまくっていかねばならない。頼みます!
8  師恩を忘るな
 紀元前3世紀ごろ、中国・戦国時代末期の思想家に、筍子じゅんしがいる。
 筍子は、思想が乱れきった社会の中で、人間の「努力」を重視した。そして、だれもがたゆみない努力によって、いくらでも自分を高めていくことができると訴えた。
 私は戸田先生の個人教授で、漢文も学んだ。名言や名句は、よく暗記させられた。「この一文は、牧口先生がお好きだった。大作、線を引いておきなさい」などと戸田先生が語りながら、教えてくださったことが懐かしい。
 筍子は一国の学問の中心者として活躍したこともあったが、讒言によってその立場を追われるなど、不遇の時期も多かった。そうしたなかで、黙々と著作と教育に徹し、多くの傑出した弟子を育てていった。
 青年の育成──今、私もこの一点に最大の力を注いでいる。
 次の世代の、本物の学会の指導者、世界の指導者を育てるために、休むことなく考えをめぐらし、人知れず手を打っている。
 筍子は、次のように主張している。
 “意見を発表する際に、自分の師匠のことに言及しないのは、「そむく」ことである。
 ものを教える際に、自分の師匠のことに言及しないのは「さからう」ことである。
 師匠にそむき、さからう恩知らずを、聡明な君主は決して用いない。人々もまた、道で会っても相手にしない”
 教育の重要性を強調した筍子は、師を尊ぶことを強く訴えた。
 人は「恩」を忘れたとき、自己の原点を見失い、転落していくのだ。
 また、“国が繁栄しようとするときは、必ず師匠が尊敬され、人を育てる人が重んじられている。逆に、国が衰えようとするときは、必ず師匠が侮蔑され、人を育てる人が軽んじられている”とも言っている。
 師への感謝と尊敬を、絶対に忘れてはならない。ここに、発展か衰退かの分かれ目がある。
 学会がここまで大発展したのも、牧口先生、戸田先生を讃え、敬ってきたからである。私は、この原理を厳然と実践し、確たる発展の軌道を築いてきた。この点を、よくよく深く銘記していただきたい。
9  野球の大英雄 セペタさん
 きょうは、野球の大英雄のオーランド・セペダさんをお迎えした。わざわざ来日してくださり、ありがとうございます!〈セペダさんは、アメリカ大リーグの往年の名選手。名門サンフランシスコ・ジャイアンツなどに在籍し、1999年に夢の野球殿堂入りを果たした。
 セペダさんに寄せられる絶大な賞讃は、単に野球の実績ゆえではない。
 1974年に現役を引退後、セペダさんは、悪友に利用され、名声をすべて失う。失意のどん底のなかで、大聖人の仏法とSGIの友に巡りあう。一歩一歩、蘇生の階段を上がり、過酷な運命に打ち勝ち、さらに自らの体験を語るなど、青少年に希望を広げる活動を続けてきた。このセペダさんの人間としての勝利の姿に人々は惜しみない喝采を贈るのである。
 本部幹部会の席上、セペダさんは、自ら渉外担当を務めるサンフランシスコ・ジャイアンツ球団の「名誉選手」の顕彰状を名誉会長に授与した〉
10  世界の野球の大英雄であるセペダさんは、見事に、人生の勝利の大博士になられた。一つの道に徹したことは、すべてに通じていくのである。全世界の同志とともに、私はセペダさんに大拍手を贈りたい。
 きょうは、また、大きな真心と深い意義が込められた「名誉選手」の顕彰状をお持ちくださり、ありがとう!
 憧れの名門の大球団サンフランシスコ・ジャイアンツの皆さま方にも、最大の感謝をお伝えください。サンキュー・ベリーマッチ! 心から御礼申し上げます。
11  素晴らしい自伝の発刊も、本当におめでとう!
 この自伝の中で、セペダさんは、晴れ晴れと宣言されている。
 「よき友人を持ち、自分も誰かのよき友人となり、偉大な人物を師として生涯自分を建設し続けられる人こそ、真に幸福な人間だろう」(東晋平編訳『オーランド・セペダ自伝』潮出版社)
 どんなに地位や財宝を得ても、感謝のない人生は哀れである。不幸である。自分の人生について、何らかの感謝の念を持てる人が、人間として真の勝利者なのである──これが、セペダさんの透徹した人生観である。私は、あっぱれと思った。〈セペダさんは、自伝の中で、人生のクライマックスとなった野球殿堂入りのセレモニーの様子を綴っている。
 時は1999年7月25日。屋外の会場には幾万もの大観衆が詰めかけ、全米の5,000万人がテレビ中継を見守っていた。
 この日のために仕立てた真っ白なスーツをまとったセペダさんは、マイクの前に立ち、こうあいさつした。
 「今日、私があるのは、すべて私の師匠である池田大作SGI会長のおかげです。ここにくるまで、先生がさまざまな激励をしてくださった、そのおかげです。私は先生から、よき人間へと生まれ変わることを学びました。苦しみや怒りや拒絶からは何も生まれないことを学びました。先生、本当にありがとうございました!」
 大観衆から拍手がわき起こった。
 セペダさんは、こうも記している。「私の勝利は第一に、そのまま師である池田先生の勝利である」〉
12  悪友に振り回されない勇気を!
 私は、セペダさんの青少年への呼びかけにも大変に感銘を受けた。
 セペダさんは、“誠実な人間と邪悪な精神の人間とを賢明に見極めよ”“悪い仲間に振り回されない勇気を持て”“素晴らしい人を友人とせよ”と常々、語っておられるようである。
 まことに、偉大な人間教育者であられる。
 御書には、「悪知識を捨てて善友に親近せよ」とある。
 セペダさんが誇りとする最良の友人の一人が、きょう、ここに出席されている「世界の芸術王」ハービー・ハンコックさんである。
 いい人は、いい人を友とする。善人は、善人を友とする。偉大な人は、偉大な人を友とする。師弟も同じである。
 「わがアメリカSGIの同志たちの誇り高き友情、万歳! 美しき団結、万歳!」と私は申し上げたい。
13  セペダさんも、ハンコックさんも、ともに親孝行な方である。
 お二人の勝利は、そのまま、お二人の亡きお父さん、お母さんの勝利であると、私は讃えたい。
 お二人をはじめ、広宣流布に戦う創価学会員の亡き父上、亡き母上は、霊山浄土で、大聖人、また釈尊、さらに三世十方の仏菩薩から喜び迎えられている。
 そして、妙音の調べと「常楽我浄」の風に包まれながら、最大に大事にされていることは、御書に照らして絶対に間違いない。
14  新聞長の皆様に心から感謝!
 この1年、新聞長の皆さま、そして、新聞長を支えた全同志の皆さま、聖教新聞の大拡大、本当にありがとうございました!
 さらに、尊き「無冠の友」の皆さま方、1年間の配達、本当にお世話になりました!
 きょうは、創価大学出身の大投手・八木智哉君のお母さんも、「無冠の友」の代表として出席されている。本当にうれしい。
 20数年前──一番、苦しかった時も、幼い八木君を背負いながら聖教を配達されたことは有名な話である。どんな環境にあっても、広宣流布のためにとの心を忘れない。そこに、まことの信心が輝くのである。
 〈母・八木文恵さんの体験は、本紙の11月15日付の「ひまわり讃歌」で紹介され、全国に反響を広げた〉
 その八木君が、見事に日本一の新人王! 無冠の母の大勝利である。おめでとう!
 ともあれ、全国の配達員の皆さま方のご健康、そして無事安穏を、私は、妻とともに、真剣にひたぶるに祈り続けております。
 さらに全幹部が祈り切っていっていただきたい。なにとぞ、よろしくお願いします。
15  尊き戦友よ!
 きょうは、海外の17の国や地域から、SGIの尊き戦友が参加されている。
 寒いなか、日本に、本当にようこそ、おいでくださいました。
 皆で、大拍手を贈りたい。ありがとう! ありがとう!
 地球の反対側から48時間かけて来日された、ボリビアの婦人部の皆さま、ありがとう! また、おめでとう!
 さらに、南米・ベネズエラの皆さまも、遠いところ、本当にご苦労さま!
 海外から参加される同志のことを思えば、日本で近くの会合に行くのを「面倒だ」なんて、言っていられない。
 まして幹部でありながら、威張ってばかりで動かない人間は、だらしがない。どんどん新しい人に交代すべきである。
 悪い芽を摘まなければ、新しい芽は出ない。もう1回、学会を引き締め、新しい人材を育ててまいりたい。
16  平和提言を教材に採用
 ボリビアSGIは、この数年間、南米の先頭に立って、目覚ましい拡大を達成されてきた。
 「女性平和会議」の貢献を筆頭として、社会からも絶大なる信頼を寄せられている。実証を勝ち取っている。
 ベネズエラSGIも、キクチ婦人部長、ボトメ副婦人部長が誕生し、新出発をした。
 おめでとう! 素晴らしい!
 ベネズエラを代表する名門の国立カラボボ大学では、光栄にも、私の平和提言を教材にした講座が開設されている。
 正式な単位も取得することができる。本年、約4,500人もの学生が、真剣に履修されたとうかがっている。
 この講座を推進されている一人であるトバル助教授も、本日、参加されている。トバル先生は、支部婦人部長としても活躍されている。ありがとう!
17  アメリカの皆さま! 合衆国の誉れの首都ワシントンDCの、大使館が立ち並ぶ最高の中心地に、いよいよ、堂々たる新会館が建設されることになった。晴れの起工式、おめでとう!
 設計は、大使館設計の超一流の専門家による。会館のデザインも「遺産保護審査委員会」の厳格な審査で承認された、まことに壮麗なる外観である。
 1年後に完成する予定である。おめでとう! アメリカ創価大学の宝の英才たちも、ようこそ! うれしい!
 また、ヨーロッパ各国の代表の皆さま方!
 「行学の二道」に励む教学試験も、大成功で終わった。約8,000人が受験し、最大の歴史をつくってくださった。
 うれしい。ご苦労さま。ありがとう!
 さらに、お隣、韓国の「最高協議会」の皆さま方も、いつも、いつも、ありがとう! ご苦労さま!
 素晴らしい墓苑「韓国平和公園」も、まもなく完成し、明年の5月に開園する。
 さらに、2008年の春には、希望あふれる「幸福幼稚園」もスタートする予定である。おめでとう!
 そして台湾SGIは、7度目となる「社会教育功労団体賞」を今回、授賞された。「社会優良団体賞」には、14回連続で選ばれている。
 素晴らしい! 本当におめでとう! ありがとう!
18  「これからは言論の時代だ」
 戸田先生のご指導を拝したい。
 「広宣流布の拡大する戦線には、新聞が第一の武器だ。断じて言論戦で切り拓こう」
 「聖教新聞」である。頼むね!〈「無冠の友」「新聞長」の皆さんをはじめ、会場の友が「ハイ!」と力強く返事を〉
 私は、よく戸田先生と語り合った。
 「大作、これから一番大事なことは、何だと思う?」
 「新聞だと思います」
 「そうだな。俺もそう思う。やろうじゃないか」
 戸田先生と、東京・新橋の小さな食堂に入った時、先生はこう語られた。
 「新聞をつくろう。機関紙をつくろうよ。これからは言論の時代だ」
 聖教新聞は、二人の師弟の対話から始まったのである。
 私はいつも、戸田先生にお供した。そして、先生をお守りし抜いた。
 初めてお会いした時から、亡くなられるまで、ずっと戸田先生と一体であった。そういう師弟のつながりなのである。
19  ロマン・ロランは、戯曲の中で青年に語りかけた。
 「勇敢に人生ととっくみたまえ、闘いの中に飛びこむんだ」「待ってちゃだめだよ」(宮本正清訳「敗れし人々」、『ロマン・ロラン全集12』所収、みすず書房)
 学会精神と同じである。一級の人物は、すべて学会の行き方と同じである。
 古代ギリシャの大詩人アイスキュロス。同じく戯曲の言葉である。
 「生ある限り、日々魂に悦びの気持を持て」(西村太良訳「ペルサイ」、『ギリシア悲劇全集2』所収、岩波書店)
 まさに、私たちが日々実践している勤行が、こうした歓喜のリズムを生み出していくのである。
 インドの皆さんは、古代インドの大詩人・ティルヴァッルヴァルをご存じだろうか。〈メンバーが「はい、有名です」と〉
 彼の言葉には、こうある。
 「妬んで繁栄する者はいない」(高橋孝信訳注『ティルックラル』平凡社)
 重要な教えである。
20  社会の“先頭”に立つ学生部たれ
 きょうは大学会の代表をはじめ、学生部の皆さんはいるだろうか。〈「ハイ!」と会場から元気な返事が〉
 青年が皆、元気だ。すごい学会である。何があっても大発展──こんな団体は、ほかにないだろう。
 東京の麻布公会堂で行われた学生部の結成大会の日、戸田先生は言われた。〈1957年(昭和32年)6月30日。来年が50周年〉
 「うれしいね。学生部は、私が、どうしても創りたかった組織だよ」
 創価学会は、折伏の使命を果たし抜く人々によって築かれてきた。いよいよ、社会で先頭に立つ学会人を育て始めよう!──そのための学生部の誕生であった。ゆえに先生は、「うれしいね」とおっしゃったのである。あの笑顔を私は忘れない。
21  ここに出席されている、アメリカのハサン壮年部長より、今朝、報告をいただいた。
 それは、明年の春より、ニューヨークの名門ホフストラ大学の授業において、「ガンジー・キング・イケダ──平和建設の遺産」というコースが新設されることになったとの知らせである。
 光栄なことに、マハトマ・ガンジー、またキング博士とともに、私たち創価の非暴力の平和闘争が、学問の対象としても、真摯に探究される時代に入った。
 私たちが、そういう道を歩んでいることに、皆さんは誇りを持っていただきたい。
 今、世界の知性が、我らの正しき行動、歴史、勝利の姿を見つめている。
22  戸田先生は、総会の折、模範の健闘をされた同志の方々を、壇上に招かれて、讃えられた。
 「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりもさきに、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません」
 「大聖人様はすごい御褒美をくださるでありましょう」
 「どうか皆さん、この方々に、拍手を贈ろうではありませんか」
 仏法の眼からみた場合、広布へ戦う会員の皆さんこそが、だれよりも偉い──そういうお話であった。
 これが、創価学会である。仏法の世界である。
 その一方で、先生は、壇上にいた傲慢な幹部に対して、「生意気な奴は出て行け!」と一喝された。私は「この精神が大事なのだ」と胸に刻んだ。
23  「信心強盛」こそ一年の計の根本
 昭和33年、『大白蓮華』の新年号において、戸田先生がご生涯の最後に執筆された年頭所感のタイトルは、何であったか。
 それは、「勇猛精進」である。その結びに、先生は叫ばれた。
 「新春を迎えるにあたり、学会員の一人一人が、この決意も新たに、広宣流布の大道を勇猛精進せられんことを祈ってやまないものである。
 『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』の御聖訓を日夜誦して、今日よりも明日、今月よりも来月、今年よりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。まず肚を決めよ! 決まったら勇ましく進め!」
 日寛上人は、この「勇猛精進」について、「依義判文抄」で、大要、次のような意義を紹介しておられる。
 「勇」とは、「勇んで行動すること」。
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くすこと」。
 「精」とは、「一点の混じり気もないこと」。
 「進」とは、「間断なく前進すること」。
 この「戦う心」が、仏法の究極であり、仏の姿であると、よく戸田先生は訴えられた。その通り、私はやってきた。
 明年の「前進・勝利の年」は、この「勇猛精進」の大闘争心で勝ち進みたい。
24  この12月5日は、私が中国の周恩来総理とお会いして、満32年の日であった。
 この日を記念して、周総理の誉れの母校・南開大学では、若き英才の学生たちが勇み集って、新たに「周恩来・池田大作研究会」が発足したとうかがった。
 孔繁豊こう・はんほう副学長をはじめ、多くの教授の方々も出席してくださって、記念の講演会が持たれた。
 「周総理と池田先生の平和友好の精神、人類共生の哲学を、21世紀はもとより、22世紀へも伝えていきたい」──そういう心で取り組んでくださっている。
 周総理も、喜んでくださると思う。講演会の夜は、美しい満月が式典を見守っていた。
 周総理は、「闘争を堅持する人民の力はきわまることなく、つきることのないもの」と言った(森下修一訳『周恩来選集』中国書店)。
 闘争していけば、どんどん力が出る。戦いを止めたら、力が出なくなるものだ。
 そして最後に、周総理の「決して敵を恐れるな! 敵との闘争の中で、自分自身を鍛錬していくのだ」との言葉を紹介して、私のスピーチを終わりたい。
 明年が、皆さんにとって勝利の1年、幸福の1年になるよう、私は祈っている。
 皆さん方の幸福、学会の発展、皆さん方のご一家の繁栄、無事安穏、全同志の勝利を、妻とともに祈っている。
 よいお正月を、そして素晴らしい勝利の1年をお迎えください。
 心から、この1年間の感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
 また元気でお会いしましょう! 長時間、ありがとう。来年も勝利の1年を勝ち抜きましょう! 本当に1年間、ありがとう。サンキュー・ソー・マッチ!

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