Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新時代第1回本部幹部会 東京総会、東京青年部総会

2006.11.10 スピーチ(聖教新聞2006年下)

前後
1  きょうは“創価家族”の会議である。一家の団らんのように気楽に、また楽しく朗らかな集いにしてまいりましょう!
 演奏も、ありがとう!〈創価グロリア吹奏楽団が祝賀演奏〉
2  全員が会長 全員が一兵卒
 まず、新しい出発にあたって、一言申し上げたい。
 仏法の世界は「異体同心」である。本来、信心には、上も下もない。会長、理事長といっても、あくまで組織の運営上の立場にすぎない。
 全員が「会長」の自覚と誇りで進む。全員が、「広宣流布の一兵卒」として働く。
 これが永遠の創価の魂である。
 その意味から、原田新会長には、「誠実の二字で会員に尽くせ」と申し上げたい。
 秋谷前会長(最高指導会議議長)には「今までのご恩返しのために、これからも広宣流布のために、不惜身命で戦え!」と申し上げたい。
 正木理事長。創価学園・創価大学出身の第1号の最高幹部になった君には、「『創価の伝統』の光彩を放った歴史をつくり始めよ」と申し上げておきたい。
3  富士は見守る
 ともあれ、11月18日の「創価学会創立記念日」、本当におめでとう!
 また、新しい希望に燃えて前進しゆく新人事、おめでとう!
 けさは、白雪の富士も格別に光っていた。美しかった。我らの前進を、富士は、いつもいつも見守っている。
  美しき
    富士の山あり
      創価には
    使命と勝利の
      不二ふにの山あり
 この歌を、同志の皆さまにお贈り申し上げます。
 我々の胸中にも、永遠に勝利しゆくための、厳然たる「不二の山」が実在していることを、絶対に忘れまい。それが創価学会の信仰である。
4  きょうは、創立76周年を飾る本部幹部会である
 今回は、2001年の1月から数えて、第65回の幹部会となる。新しい時代へ、新しい指導者群が誕生した。
 そこで今回を「新時代第1回本部幹部会」として、新しい創価学会の大建設を開始しゆくことを、私は提案申し上げたい(賛同の大拍手)。
 明年の「前進・勝利の年」へ、そして2010年の創立80周年へ向かって、希望の足音高く、勇猛精進して、明るく、勝ち抜いてまいりましょう! 頼むよ!
 創立80周年までは、絶対に生き抜く。事故を起こさない。病気にならない。きょうは、これを誓い合いたい。
 体を大事にして、健康で長生きして、朗らかに、悠然と、断固たる信念をもって進みましょう!
5  三代で決まった
 大勢の同志の方々の力によって、学会は、隆々たる大発展を遂げた。悠々たる前進の姿となった。
 この偉大な同志の方々に、まじめに、真剣に、誠実に尽くすのが、会長はじめ、幹部の使命である。
 仮にも、威張るなど、もってのほかである。幹部は、会員に奉仕する立場である。
 そして、広宣流布のために、本当に苦労されたのは、初代・牧口先生と二代・戸田先生である。
 お二人の遺志を継いで、三代の私が、創価学会の大発展を決したのである。私自身のことではあるが、未来のために、あえて申し上げておきたい。
 創価の三代には、厳然たる師弟のつながりがある。永久に、これを忘れてはならない。
6  きょうは、東京総会、おめでとう!
 東京は「全世界の中心」である。聖教新聞の拡大は、目覚ましかった。真剣に戦ってくださった。
 特に東京の婦人部と女子部の皆さまには「本当にご苦労さま」「ありがとう」と申し上げたい。
 折伏にせよ、新聞の拡大にせよ、一生懸命にやってくださるのは、いつも婦人部、女子部である。
 それを当たり前と思い、上から命令するような人間がいるならば、とんでもない間違いである。だれにも、そんな権限はない。
 「やらせる」のではない。「やっていただく」のである。
 頑張った同志の方々を「ありがとう!」「ご苦労さま!」と、ひざまずく思いで讃える。
 これこそ、幹部のあるべき姿と知っていただきたい。
7  さらに、海外の尊き同志の皆さま、遠くから、本当にようこそ!
 お会いできて、うれしい。幸せになってください。
 勇んで研修にいらした、アメリカの皆さま、韓国の皆さま、台湾の皆さま、そしてペルー青年部の皆さま。
 本当に、ご苦労さまです。
 新出発のカンボジアの皆さま方、おめでとう!
 カンボジアの同志は、内戦の悲劇を乗り越えて、見事な大発展を遂げてこられた。メンバーの約9割が婦人部と女子部と、うかがった。
 明年には、教学の初級試験も実施される運びである。ご健闘を祈ります。
8  青春万歳!
 青春は美しい。青年の、まっすぐな正義感が、私は好きである。
  青春だ
    桜だ 鳥だ
      万歳だ
 1996年の1月2日に歌った歌を、披露させていただきたい。
 その時、私は、新年も朝早くから、広布のために働く学会の青年部を見て、妻と「美しい姿だな」と語り命っていた。
 凛々しき青年の姿が、鳥が鳴き、桜咲く春の息吹と重なった。“学会の未来は万歳だ”と思った。心に映じたことを、そのまま歌ったものである。
9  「今、何の本を読んでいる?」
 近代日本の思想家として知られる高山樗牛(1871〜1902年)。戸田先生も、青年時代から樗牛を読んでおられた。
 私も、本が好きで、戦後も間もないころ、古本屋で『樗牛全集』を手に入れ、大切に読んだ。
 戸田先生とともに、樗牛について、さまざまに語り合ったことが懐かしい。
 戸田先生は、私の顔を見ると、必ず質問された。
 「今、何の勉強をしている?」「何の本を読んでいる?」「それでは、その本の内容を言ってみなさい」と。
 いつも冷や汗である。本当に困った。
 ともあれ、青春時代から、わずかな月給をはたいて、本を買い求めることが習慣になっていた。
 必然的に家は本でいっぱいになる。本の重みで、家の床が抜けそうになったこともあった。
 私は後継の友に名著に親しみ、読書の喜びを味わってもらいたいとの思いから、大切にしてきた本の一部を、創価大学やアメリカ創価大学などにも置かせていただいている。〈創立者の名誉会長が若き日から大切にしてきた個人蔵書の中から、創価大学には約7万冊が、アメリカ創価大学には4千冊を超える書籍が寄贈され、「池田文庫」として親しまれている〉
10  高山樗牛の言葉に触れたい。
 「心の清きものは偽善を悪まざるを得ず、人の正しきを好むものは不義を憤らざるを得ず」(『樗牛全集第4巻』博文館。現代表記に改め、読みやすくした)
 偽善を憎まないものは、同じく偽善である。
 不義に怒り、不義と戦ってこそ、正義である──このように戸田先生もよく言われていた。これが学会精神である。
11  君よ生き抜け!
 当時、私は戸田先生の会社にお世話になっていた。戸田先生は、私におっしゃった。
 「樗牛のように、書いて書いて書きまくれ!」と。
 これを先生の遺言と受け止めて、私は、今日まで書いて書いて書き続けてきた。それは皆さんが一番ご存じであろう。
 やがて、先生の事業は挫折。私は肺病を患い、いつ死ぬかも分からない。
 怒濤の嵐の中、私は、ただ一人、先生の事業を支えた。命を捨てる覚悟で、先生をお守りした。
 一日一日が1カ月にも2カ月にも相当する壮絶な戦いであった。
 その中で、先生は、私の体を心配され、「無理をさせて、すまないな」「できることなら、私の命を削って、君にあげたい」と深く深く祈ってくださったのである。
 戸田先生は、私に向かって、このようにも言われた。
 「君は妙法の高山樗牛になれ! 彼は31歳で死んだが、君は生き抜け! 絶対に、私の後継として生き抜け!」と。
 まさに、生死を超えた師と弟子であった。これが創価の師弟の姿なのである。
12  師匠のいない人生は暗闇!
 樗牛は、このようにも言っている。
 ──生きた人の中に師匠と仰ぐ人がいるならば、仰いで師匠とすべきである。過去に模範と崇め、理想と尊ぶ人がいるならば、仰いで師匠とすべきである。もし我らの心に、理想として尊び、光明として仰ぎ、信ずる大人物がいないなら、天に太陽や月がないのと同じく、我らの心は暗闇に迷うのである、と(『樗牛全集第5巻』から要旨を抜粋)。
 なかには、自分一人で自由に、気ままに生きたい、師匠など必要ない、と思う人もいるかもしれない。
 しかし、樗牛の言う通り、師匠を持たない人生は、暗闇だ。最後は必ず行き詰まってしまうものだ。
 さらに樗牛の次の言葉も有名である。
 私も暗記し、よく口ずさんだものである。
 「ああ人や、その青年は朝日の如く、その晩年は夕陽の如くありたいものではないか」「われらは人生の戦闘に打ち勝ち、栄光の雲につつまれて、静かに西方の天に入りたいものではないか」(『樗牛全集第5巻』)
 ここ八王子の地は、夕陽が美しいことで知られるが、けさは、朝日も、赫々として大変に素晴らしかった。
 あるときは、朝日の昇りゆく勢いで、あるときは、黄金の夕陽のごとく荘厳に、わが栄光の人生を、威風も堂々と歩んでまいりたい。
13  一歩でも前へ! それが「創価」
 樗牛はまた、次の有名な言葉を記している。
 「己れの立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらん」(『樗牛全集第4巻』)
 “足下を掘れ、そこに泉あり”私の好きな言葉である。
 大事なのは足元である。自分がなすべきことから断じて逃げないことだ。地道に粘り強く挑戦することだ。
 私は、若き後継の皆さんに申し上げたい。
 「今いるところで、使命の花を咲かせゆけ! 断じて勝利の歴史を開きゆけ!」と。
 さらに樗牛は言う。
 「人間は単に生存するものに非ずして、発達せんがために生存する」(同)
 「発達する」とは、「成長する」ことである。「力を持つ」ことである。「勝利する」ことである。「価値を生んでいく」ことである。
 いかなる困難があろうとも、じっと耐え抜いて、負けない。そして、一歩また一歩と、勝利の方向へ、希望の方向へ、幸福の方向へと進んでいく。生きて生きて生き抜いていく――それが価値の創造である。我ら「創価」の人生である。
14  戸田先生の折々のご指導を紹介したい。
 「時代の主役は、老年ではない。時代は、青年によって一切が決定される」
 これが戸田先生の大確信であられた。
 私も青年であった。19歳の平凡な青年が、偉大なる師匠にめぐり会い、徹底的に訓練を受けて、32歳で会長になり、ここまで学会を築き上げてきたのである。
 牧口先生も、戸田先生も、意気揚々と胸を張って、「さすが、わが弟子よ!」「わが弟子は勝った!」と霊山で讃えてくださっていることは、間違いない。
 牧口先生の「まことの弟子」は、戸田先生であった。戸田先生の「真の弟子」は私である。
 この三代の師弟が盤石であったから、学会は栄えてきたのである。
 仏法は弟子で決まる。「弟子の勝利」こそ、「師弟の勝利」である。弟子が勝ってこそ、勝ち続けてこそ、万代に輝く創価の時代が豁然と開かれていくのだ。
 その一点を絶対に忘れてはいけない。
15  どんどん意見を
 戸田先生は言われた。
 「人事ほど、大切なものはない。本当の人物でなければ、広宣流布の戦いはできないからだ」
 「本当の人物」でなければ、大勢の同志を守ることはできない。いい加減な人間を指導者にしてはならない。これが先生の叫びであった。
 また、先生は常に「人材が必要である。いつでも私の手駒となる人材が出てきてほしいんだ」と言われていた。これが先生の切実な願いであった。
 「どこまでも『異体同心』の精神がなければ、広宣流布はできない。『異体同心』の精神に背くならば、日蓮大聖人の教えに背くものである」
 そういう人間は叩き出せ──大難と戦い抜かれた先生は、鋭く言われた。
 幹部になればなるほど、増上慢になって信心を忘れる危険は大きい。
 「団結こそ勝利である。絶対に派閥などはつくるな!」
 これも先生の教えである。厳しく戒めていかねばならない。
 先生は、こうも指導された。
 「上からの指示で動くのではなく、青年が、下から上を動かしていけ!」
 会長や最高幹部に対しても、青年がどんどん意見を言っていくことだ。青年が、上を動かすのだ。遠慮はいらない。
 戸田先生の時代も、私より先輩の幹部は大勢いた。しかし、先生の教えどおりにやらない人間、いい加減な人間に対しては、私は絶対に遠慮しなかった。
 「どうしてですか!」「おかしいじゃないですか!」と厳しく意見を言った。
 そうして、戸田先生のもとに皆を団結させていったのである。
 先生は言われた。
 「先輩など、あてにするな! 全部、青年が青年の責任で理想の創価学会を建設していけ!」
 私は先輩など全然あてにしなかった。先生の言葉通り、青年時代から、自らの手で理想の創価学会を建設してきた。
16  「素晴らしいな」と慕われてこそ
 きょうは、お忙しいところ、芸術部の代表が参加してくださっている。大変にありがとう!
 皆さん、本当に美しく輝いておられる。
 その姿を見れば、「ああ、素晴らしいな」と多くの人が感動し、広布はもっと進むに違いない。
 ともあれ、私たちは皆さんの味方である。最大の支援者である。
 芸術部の友のさらなる活躍を、心からお祈り申し上げたい。
17  戸田先生は、ある女性に対して、こう指導しておられた。
 「あなたは平凡な女性かもしれないが“大法”を持っていることは大変なことである。妙法を持ち、人々に教えながら、広宣流布に生きゆく人生を送っていることは、最高の女性の生き方である」
 男性のリーダーは、健気に戦ってくださる婦人部、女子部の皆さんを最大に尊敬し、大切にしていただきたい。
 万が一にも下に見たり、横柄な態度で接するようなことがあってはならない。
 学会のリーダーは、こうした人間性や道理を、だれよりも大事にしていただきたい。
18  決死の覚悟で
 あるとき、戸田先生は私にこう言われた。
 「君には、本当に苦労をかけた。苦労ばかりかけてしまった。病弱であるのに、死を決意して、私のために戦ってくれた。永久に忘れないよ。君の功績は、大聖人が全部、見通しておられるよ」
 これが学会の師弟である。
 戸田先生の訓練は、それはそれは厳しかった。
 私に対しても、めったに「ご苦労さま」「ありがとう」などとはおっしゃらない。
 大作は戦って当然、勝って当然──そういう振る舞いであった。そのかわり、私がどれほどの思いで先生をお守りし、支えているかを細かに知っておられた。
 偉大な先生であった。あれほどの大人物は世界にいないだろう。
 その先生が、ここまで私に感謝してくださったのである。
 私が、どれほど先生にお仕えしたか。妻が一番よく知っている。妻は牧口先生ともお会いし、まっすぐに信心を貫いてきた。
 師をもつ人生ほど、強く美しいものはない。
19  友のために!
 戸田先生は言われた。
 「幹部の責任は、会員を幸福にすることにある。それ以外には、何もない。創価学会の会長は、全会員を幸福にするためにいる」
 威張るために幹部がいるのではない。
 皆を幸福にするために、幹部がいるのだ。
 それを、ただ「やれ、やれ」と言って、皆に命令し、威張る──そんな人間は、絶対に許してはならない。
 会員の幸福を自分のこと以上に考え、祈って祈って、祈り抜く。「あの人の指導を受けてよかった。幸せになった」といわれるような存在になる。それが本当のリーダーである。
 だれよりも同志のために尽くし抜くのが、学会の会長なのである。
 これが戸田先生の教えである。
20  きょうは、新たな出発の日である。
 戸田先生は、ある組織の新出発に寄せて、次のように語った。
 「(前任者の)あとを踏襲するというだけでなく、みんなの団結で新しいものをつくっていってもらいたい」
 大事なご指導である。
 また、「どうすれば人材になれるか」との青年の質問に対して、先生はこう答えておられた。
 「今は時代が違うから私のように牢屋に入らなくてもいいが、広宣流布のために骨身を惜しまず戦うことだ」
 戸田先生は信仰のために牢に入られた。今は、その必要はない。大事なことは「骨身を惜しまず」である。最高幹部が「骨身を惜しんで」、皆にやらせるようになったら大変である。
 私は戸田先生のおっしゃる通りに、厳然たる学会をつくりあげた。尊き同志の皆さまとともに、戦い抜いてきた。
 その精神がだんだんと薄らいできたら、学会は危ない。
 将来のために、あえて言い残しておきたい。
21  戸田先生は、学会出身の議員に対しておっしゃっていた。
 「いかなる立場になろうとも、つつましい生活を忘れるな」
 この指導に反して堕落した人間を許してはならない。
 また、戸田先生は言われていた。
 「だれしも苦労は避けたいものだ。しかし、この世に何も残そうとせず、ただ自分だけで拝み、静かに死後の成仏を願い待つような信心は、大聖人の仏法ではない」
 広宣流布のために、学会とともに、戦おう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 この「戦う心」に、大聖人の仏法は生きている。大聖人も喜んでくださるのである。
22  最悪の苦境の中で宣言
 自分のことで恐縮であるが、『若き日の日記』から、いくつか紹介させていただきたい。
 まず、昭和25年(1950年)11月13日。22歳の時である。当時、戸田先生の事業は最悪の苦境にあった。この前日、創価学会の第5回総会で、理事長を辞任された。
 その時、私は書いた。
 「誰人が、学会の組織上の中心者になっても、師は、戸田先生しか、私にはない」
 苦しい中で、こう宣言して戦った。
 また、同年1129日の日記から。
 「半日、先生と共に語る。私が、師の遺業を、継ぎ、実現せねばならぬことを、沁々しみじみと指南して下さる」
 「先生に、学会に、指一本指させぬ覚悟で戦う決意、更に燃え上がる」
 一番正しい人が中傷されている。その時に正義の声をあげずして、何の青年か。
 一番戦い抜いてきた人間が迫害されている。なのに、だれも動かない。これほどずるい、情けないことはない。
 私は正義を叫び抜いた。これからは、「新しい人」に頼むしかない。
 諸君、頼むよ!〈青年部の参加者から「ハイ!」と返事が〉
23  百年の功も一言で破れる
 さらに、昭和32年11月18日の日記には、次のように綴った。
 「先生の力で、われらはこれまで育つ。
 先生の力で、妙法の境涯を開く。
 先生の力で、われらの力は発揮できた。
 先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。
 忘れじ、われは。
 偉大なる師の歴史を世界に示さん。
 誓う、堅く」
 この誓いの通り、私はやってきた。
 学会の幹部の中でも、特に会長職は、捨て身で、皆のために犠牲になるためにある。その覚悟で私は生きてきた。
 戸田先生は幹部に対して厳しく言われた。
 「臆病で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する──それでは、死身弘法ではない。
 広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」
 臆病者は、出て行け!──これが戸田先生の叫びであった。
 御書を拝したい。
 「千年間もたった苅茅かるかやも一時に灰となってしまい、百年の功も一言でやぶれるということは、物事の道理である」(1091㌻、通解)
 いざという時に、退転してはならない。
 また、「正法誹謗の者に親しみ近づくならば、仏法を修行して得たところの善根は、ことごとく滅して、誹謗の者とともに地獄に堕ちるであろう」(同1374㌻、通解)との御聖訓もある。
 たとえ、かたちは信心していても、正法誹謗をする人間はいる。
 謗法を犯せば、せっかくの善根も消えてしまうのである。
24  人生は戦いだ
 イギリスの大詩人で劇作家のシェークスピアの言葉を紹介したい。戯曲の中の一節である。
 「手をゆるめてはなるまいぞ、完全な勝利を見るまでは」(小田島雄志訳「ヘンリー4世」、『シェイクスピア全集Ⅴ』所収、白水社)
 来年へ、そして創立80周年へ向けて、一丸となって戦おう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 次に、シーザー(カエサル)の言葉。ご存じの通り、古代ローマの英雄である。
 人生は戦いだ。広宣流布も戦いだ。シーザーは、こう綴った。
 「ただ迅速果敢な行動のみがすべてを決定する」(國原吉之助訳『ガリア戦記』講談社学術文庫)
 迅速果敢な行動。そこに勝利がある。
 このことは、戸田先生もよくおっしゃった。
 パーッと、勢いよく前進する──学会は、これで勝ってきたのである。
 有名な評論家も、その点に目を見張っていた。
25  卑怯者になるな
 19世紀イタリアの大詩人レオパルディをご存じだろうか。〈イタリアの友が立ち上がり、「学校で学びました」と〉
 ありがとう!
 レオパルディは「真の名誉に誹謗や、憎悪や、妬みが言い寄り」(脇功訳「カンティ」、『カンティ』所収、名古屋大学出版会)と記している。
 日蓮大聖人が、そうであられた。
 まったく次元が違うが、私も、ありとあらゆる難を受けた。正しいこと、善の行為をしながら、誹謗・中傷されたのである。
 誹謗、憎悪、妬み。これらを受けた人が、本当の名誉の人なのである。御書の仰せと同じである。
 悪と戦わないのは、臆病であり、ずるく、卑怯である。
 そうした人間ばかりになってしまえば、学会は、魔性に食い破られてしまう。
 断じて、そうさせたくはない。
26  真心を声に!
 古代インドの大詩人・ティルヴァッルヴァルは「繁栄も衰退も言葉より生ずる」(高橋孝信訳注『エィルックラル』平凡社東洋文庫)と綴った。
 大事なのは、言葉である。それを語る声である。一人の声が時代を変えていくのだ。
 そして、「こころが声とあらはる」と仰せのごとく、真心を声に響かせていくのである。
27  御聖訓には仰せである。
 「提婆達多は、自分のことを人が貴ばなかったので、どのようにしたら世間の名誉が仏に過ぎることができるかと考え抜いた」(同1041㌻、通解)
 嫉妬に狂う提婆達多のような人間には、決して、なってはならない。
 プラトンが書き残した対話篇『国家』。その中で、師ソクラテスがこう語っている。
 「最も邪悪であることが明らかな人間は、明らかにまた最もみじめな人間ではないだろうか?」(藤沢令夫訳『国家(下)』岩波文庫)
 また、「とにかく〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをするのが最善の途だということになる」(同『国家(上)』)と。
 皆さんが、日々実践されていることである。
 プラトンは、こうも綴っている。
 「もし誰かが、何らかの点で悪い人間となっているのなら、その人は懲らしめを受けるべきである」(加来彰俊訳『ゴルギアス』岩波文庫)
 悪いことは、厳しく指摘するのだ。
28  三代の魂を貫け
 日本には、中国から多くの思想や文化が伝わってきた。
 その中国では、「三」を「万物を生み出す原点」ととらえる考え方がある。
 〈12世紀の中国の思想家・程大昌てい・だいしょうは、「『一』をもって『始まり』となし、『二』をもって『継承』となし、『三』をもって『完成』となす。そして万物が、よどみなく生み出されていくのだ」と論じている〉
 創価学会も、初代が創立し、二代が受け継いで発展させ、第三代が完成させた。
 このことは、一流の学者の方々も、指摘してくださっている。
 殉教の師・牧口先生のお名前は「常三郎」。
 常に三代とともに! 三代が盤石であれば、学会は永遠である──こういう意義にも通じると、戸田先生が語ってくださったことがある。
 「三代の師弟」を原点とする限り、創価学会は、万代にわたって発展していく。勝利、勝利を続けていくことができる。
 こう申し上げ、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう! とくに海外の方々、本当にありがとうございます。ご苦労さまです。また、お会いしよう!

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