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北京師範大学「名誉教授」称号授与式  

2006.10.7 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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1  大晴天のもと、伝統の第36回創大祭、そして、第22回白鳥祭、本当におめでとう!
 皆さんの一生懸命の演技に私は100点満点を差し上げたい。本当にありがとう!
 さらに難関の「新司法試験」を堂々と勝利した法科大学院の1期生の皆さん方、まことにおめでとう!
 わが創価大学の新しい歴史をつくってくださり、心から感謝申し上げます。
2  学生が根本
 少子化が進み、今や大学も油断すれば次々と淘汰されていく時代です。大学は学生のためにある。教員は学生のためにいる。それが根本です。
 創価大学は、どこまでも、この「学生第一」の精神を堅持してもらいたい。
 教員の皆さん方は、学生から「いい先生だな」「思い出深いな」と言われるようになっていただきたい。親以上に優しく、いい意味で厳しい、教育の出会いの劇を刻んでもらいたいのです。
3  学生の皆さんは、自分を支えてくれる人への感謝を忘れないでください。
 お世話になった教員を大切に! さらに、お父さんを大切に! お母さんを、もっと大切に!
 環境がよくないとか、生活が大変だとか、いろいろなことがあるかもしれませんが、困難の中で勝利してこそ、「価値創造」です。創価教育で学んだ人の根本の生き方なのです。
4  勝利者となれ!
 ロシアの大文豪トルストイの名作『戦争と平和』は、恩師・戸田先生のもとで、何度も読みました。
 戸田先生は、「本を読め」「古典を読め」と青年を厳しく訓練されました。その薫陶が、今、私のかけがえのない精神の財産になっています。
 『戦争と平和』の一節にこうあります。
 「自らを攻撃さるる立場に置くなかれ、自ら攻撃すべし」(藤沼貴訳、岩波文庫)
 戦いは攻めなければいけない。人生は受け身であってはならない。
 人間の中へ、社会の中へ勢いよく打って出て、大勢の人と関わり、信頼を結び広げていく。そのようにして社会で勝ち、人生に勝ち、誠実に真剣に、幸福の要素を一つ一つ積んでいくのです。
 一時(いっとき)は負けたように見えることがあるかもしれない。しかし、断じて立ち上がり、最後は勝つのである。勝たなければ幸福はない。勝利者こそ幸福者なのです。
 きょうは、全員で、人生の勝利者になることを誓い合いましょう。
5  「いなくてはならない人に」
 青春時代、私は、夜学に通いながら、昼間は懸命に働きました。
 戸田先生の会社にお世話になる前、ある印刷会社(昭文堂)に勤めたことがあります。
 その会社のご主人が私の仕事ぶりを大変に気に入ってくださった。会社を辞める際も、「できることならば、いてくれないか」と、ご主人から随分、引き留められました。
 戸田先生もまた「大作はいくらお金を積まれても絶対に手放さない」と言われ、深い信頼を寄せてくださったものです。
 将来、皆さんも、どのような会社に入り、どのような立場になっても、「いてもらいたい人」「いなくてはならない人」になってもらいたいのです。バカにされるような人生だけは歩んではいけない。
6  信仰とは何か
 さらにトルストイの言葉を学生の皆さんに贈りたい。
 「信仰とは何であろう? 信仰とは──その上に人類の全生活が立っている精神的な足場である」(八住利雄訳『トルストイ未発表日記 1910年』ナウカ社。現代表記に改めた)
 トルストイが生涯最後の年の日記に綴った大変に示唆深い言葉です。
 この最後の年の日記には、次のようにも記されています。
 「人間にとって本来の務めは、精神的完成の中にある」(同)
 これも、よくよく思索していただきたい言葉です。
 人生の目的は、財産とか名声にあるのではない。精神的な完成にこそ、本当の目的があり、本当の満足がある。精神の勝利者こそ、真実の勝利者なのです。
7  中国の『三国志』も、恩師とともに読んだ思い出の一冊です。
 『三国志』の英雄・諸葛孔明の兵法には、こうあります。
 「いかにも温和な顔つきをしているのに、かげにまわって人をだます者がいる。
 表面ではうやうやしい態度をとってはいるが、心のなかでは相手をなめている者もいる。
 人前では勇ましい言辞を弄するが、心のなかではびくついている者もいる。
 また、一見、一所懸命つとめているように見えるが、不純な動機をかくしている者もいる」(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)
 人物を鋭く見極めた孔明らしい言葉ですが、これもあえて解釈はしません。じっくりと思索していただきたい。
8  「逆巻く波浪も恐れるな」
 北京師範大学の草創期、若き英才たちが卒業文集の巻頭言に掲げた、大変に有名な詩があります。
 それは、「わが友よ! 逆巻く波浪も、険難の山々も、断じて恐れるな! 汝こそ社会の指導者である。汝こそ人類の夜明けの光である」と。
 私の胸にも大きく太陽の光が輝きました。この言葉は今もって忘れておりません。
 この誇りと勇気を抱いて、20万人を超える尊き人間教育者を育成してこられた、最高峰の名門こそ貴大学なのであります。
 その104年の荘厳な伝統に最大の敬意を表しつつ、私は貴大学の名誉ある一員とさせていただきました。ありがとうございます。
 尊敬する、若き葛建平かつ・けんぺい副学長、また諸先生方、きょうは、まことにまことに、ありがとうございます。
 海外のご来賓の皆さま方、そして、日本の各界を代表される先生方、ご多忙のところ、ご臨席たまわり、厚く厚く御礼を申し上げます。
 先ほどからお話をいただいておりますように、世界から拝受した栄えある名誉学術称号は、光栄にも「200」に達しました。
 日本中、世界中の方々から多くの祝賀のメッセージをいただき、望外の喜びであります。
 この身にあまる栄誉を、私は、わが創価教育の友、そしてまた、世界190カ国・地域の全同志とご一緒に、分かち合わせていただきたいのであります。
 恩師・戸田城聖先生への報恩感謝は当然として、この栄誉を謹んで報告申し上げたい、3人の方がおります。
 そのお一入は、中国の周恩来総理であります。もうお一人は、旧ソ連のコスイギン首相であります。そしてさらに、お一人は、英国のトインビー博士なのであります。
9  北京での語らい
 周恩来総理とお会いしたのは、1974年の12月5日。寒い寒い北京の夜でありました。
 総理が入院先に招いてくださり、私と妻と二人で会見させていただきました。そのすべての言葉が、今もって私の耳朶から離れません。
 周総理は、私が大学・学園を創立したことも、よくご存じで、「教育に力を入れておられることが素晴らしいですね」と過分な賞讃をいただきました。
 「教育は民衆のものである。教育は人民に奉仕しゆくものである」
 これは、教育を最重視された総理の確固たる理念でありました。
 周総理は、若き日の日本留学の思い出も、私に淡々と語られました。
 その心をしのびつつ、私は会見の翌年、日本の大学として真っ先に、新中国からの留学生6人を創価大学にお迎えしたのであります。
 そして、周総理が大変お好きであった桜を大学に植樹し、「周桜」と命名させていただきました。
 総理は、青春時代、日本の留学から帰国したのは、桜の季節であったと回想されておりました。
 帰国は1919年の4月。総理は21歳でした。
 その総理に、再び、桜花爛漫の「周桜」を見ていただきたいこれが私の最大の願いでありました。
 今は、この周桜も大変に有名になりました。満開の時には、大勢の方々が喜んで観賞している姿を、私は本当にうれしく思っております。
 この周桜とともに、立派な成長の年輪を刻んだ留学生の方々も、今や多くの国々の重責を担い立たれ、世界の大舞台で活躍しておられることも、謹んでご報告させていただきます。〈ここで創立者は、式典に参加している47カ国・地域からの留学生に声をかけ、激励した〉
 ともあれ周総理は、「平和友好の正義の事業は破壊されるものではない」と宣言されました(森下修一編訳『周恩来選集』中国書店)。
 なかんずく、総理とお約束した日中の平和友好は、絶対に崩れない、いな、永遠に磨きあげていくべき「金の橋」であると確認しあいたい。
10  冷戦の渦中に
 次に、私が「200の栄誉」を報告したいのは、旧ソ連のコスイギン首相であります。
 首相とは、あの「東西冷戦」と「中ソ対立」の渦中、2度にわたってお会いしました。
 最初の出会いは1974年秋の9月17日。クレムリンの執務室で、朝10時から1時間半にわたる語らいとなりました。
 当時70歳の首相は、鋭い眼光で、46歳の若い一民間人の私に尋ねてこられました。
 「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」
 私は、即座に答えました。──仏法を基調とした平和主義であります。文化主義であります。教育主義であります。そして、その根底は人間主義であります──と。
 この一言から、友好を結んだのです。
 この日この時、私は、信念の大教育者・牧口常三郎初代会長を源流とする、「平和」「文化」「教育」という創価の根本の路線を、世界に宣言したのであります。
 首相が深くうなずきながら、「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」と賛同されたことを、今もって私は忘れることができません。
 この会見の次の年の5月27日、モスクワ大学から、私にとって第1号となる名誉博士号をいただきました。
 その翌日に再会したコスイギン首相が、笑みを浮かべて祝福してくださったことも、忘れ得ぬ人生の劇となっています。
11  「人類の諸問題を語り合いたい」
 さらに私が、「200の栄誉」を捧げるとともに、深く御礼を申し上げたいのは、トインビー博士であります。
 この20世紀を代表する大歴史学者との出会いこそ、私にとって、世界の知性との対話の原点であるからです。
 トインビー博士から、“人類の直面する諸問題を語り合い、未来の平和を一緒に展望したい”と丁重な招へいのお手紙を頂いたのは、1969年の秋。
 自分が日本を訪れたいが、心臓が悪いため、それは難しい。池田会長にロンドンを訪問していただき、大乗仏教についても語ってもらいたい──博士は、こうした思いを抱いておられました。
 私が「日中国交正常化」の提言を行ってから、1年後のことでありました。
 対談の開始は、1972年の5月5日の朝。
 ロンドンのご自宅に伺うと、博士は40歳も若い私を「オー!」と両手を広げ、本当にうれしそうに迎えてくださいました。そして、まず家の中を全部、案内してくださったのです。
 清楚なアパートのソファに、博士と私が並び、横に通訳がつきました。その傍らには、ベロニカ夫人と私の妻が座って、静かに見守っておりました。
 対話は2年越し40時間に及びました。
 現在、この博士との対談集も、世界26言語で発刊されております。
 博士との対談は、何人かの人に通訳をしてもらいました。しかし、対談の内容が難しかったこともあり、うまく訳すことができなかった。
 本当に困りましたが、博士にゆっくり、わかりやすく話していただいたりして、対談を続けることができたのです。
 また、トインビー博士の招きを受け、博士とともに、著名な紳士しか入れない(会員制の)クラブに行ったこともあります。だが英語が苦手な私は、冷や汗をかく思いでした。
 私も若き日に、個人教授を受けるなどして英語を習得しようとしましたが、さまざまな事情で十分に勉強できませんでした。
 若い皆さんは、語学を勉強していただきたい。これからの時代は、ますます語学が重要になってくる。
 トインビー博士から紹介していただいたペッチェイ博士をはじめ、私はイタリアやフランス、ドイツの識者とも語り合ってきました。そのたびに、語学の重要性を感じてきました。
12  存分に学べ!
 トインビー博士と語り合っていた時に、ある国家の首脳同士が会談し、その模様がテレビで大きく報道されていました。
 今、こうして首脳の会談が報道されていますが、それは一時的な現象に過ぎない。私たちの対談は、今後、長年にわたって人類の指針となっていくものです。それほど重要なものなのです──そのように語っておられたことが、今でも忘れられません。
13  私は17歳の時に、終戦を迎えました。父親はリウマチ。私は肺病だった。
 4人の兄たちは皆、兵隊に取られて外国に行っていたため、戦争が終わっても、しばらく復員してきませんでした。長兄は戦死です。
 戦争中は自宅が強制疎開させられ、ようやく建てた家も空襲で燃えてしまった。どれほど戦争が嫌いか。どれほど苦労をしたか。
 今は皆、思う存分、勉強ができる。勉強をしなければ損です。
14  日中韓が協力を
 トインビー博士は、私との語らいで、万物の調和と共生をめざす東洋の深遠なる生命観に、新たな未来への希望を見出しておられました。
 今、環境問題は、一段と深刻になってしまった。地球温暖化をはじめとして、人類の生存の危機さえ憂慮される重大な局面に入っております。
 未来の世代のため、この最重要の環境問題に、今こそ、日中両国が英知を結集して、本格的に取り組むべき時を迎えていると思いますが、皆さん、どうでしょうか。
 両国の間には、すでに「日中環境保護協力協定」が結はれ、「日中友好環境保全センター」などの貴重な活動も進められてきました。
 この流れを、さらに加速させていかねばならない。そのために、100年先の長期展望に立った、包括的かつ実効的な「日中環境パートナーシップ(協力関係)」の構築を、私は、ここに強く提言しておきたいのであります。
 具体的には、①環境汚染の防止②省エネルギー・循環型社会への転換③環境問題への理解を深める教育──この3つが、大きな柱になると考えられます。
 そして日中両国が、大切な隣国である韓国とも力を合わせて、「環境調査」や「技術協力」、「人的交流」や「人材育成」等を、より強固に推進していくならば、その波動はアジア全体はもとより、全地球的なスケールで広がっていくことは絶対に間違いないと、私は確信するものであります。
15  平和へ! 世界の青年とともに
 思えば、アメリカの高名な大教育者デューイ博士も、貴・北京師範大学で講演し、歴史を残しました。
 「人間の交流を広げ、深めていくことこそ、文明の証しである」との言葉は、博士の不滅の叫びであります。
 今、全世界の知性との活発なる交流のなかで、「新しい人材」が陸続と躍り出る「新しい時代」が始まりました。
 どうか、わが創大生、そしてわが短大生は、未来に向かって、前に向かって、平和に向かって、そして勝利に向かって、世界の青年たちとともに、新しい英知と創造と平和の旭日を昇らせてください。
 大切なのは青年です。国においても、会社においても、そして社会においても、そうです。
 最後に、敬愛する貴大学が、その校歌に謳われるごとく、教育という「千秋(=千年)の偉業」を、さらに晴れ晴れと、遂行されゆくことを、私は願ってやみません。
 そして、ご列席の皆さま方が、天座に光る満月のごとく、「所願満足」の栄光の人生を飾りゆかれることを心からお祈りして、私の御礼のスピーチといたします。
 ありがとうございました。

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