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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会  

2006.9.22 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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2  戦争と権力に反対する精神
 以前にも、申し上げたことがあったと思うが、終戦のとき、私は17歳であった。
 長兄はビルマの戦線で戦死し、次兄は中国で戦線に参加。3番目の兄も同じく中国で戦わされた。4番目の兄も、中国戦線に参加した。
 昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えた。
 日本にいた兵隊さんが、たくさんの荷物を背負って、それぞれの自宅に戻っていった姿を、今でも覚えている。しかし、わが家の3人の兄が中国から帰ったのは、戦後1、2年経ってからだった。皆、命からがら、わびしそうに帰ってきた。
 わりあい立派だったわが家も、戦争中、強制疎開させられた。東京・蒲田の糀谷から移って、馬込の親戚の側に作らせてもらった家も、空襲で全焼した。
 父親がリウマチを患うなか、母親は、精いっぱい、一家を守ってくれた。
 長男から4男まで戦争に取られ、5男の私は肺病であった。わが家は戦争に翻弄された。あまりにも不平等であり、あまりにも理不尽な現実があった。
 ゆえに、私は絶対に戦争に反対である。戦争と権力に対して、反対する精神を、その時に持った。これが、私が戸田先生のもと、立ち上がった大きな原点である。
 私は、一生涯、庶民の味方である。
3  幹部は威張るな 人間革命せよ!
 戸田先生は、厳しく言われていた。
 ──幹部がだんだんと年を取り、戦う心を失い、自分中心になってしまうならば、新鮮な息吹がなくなってくる。それでは学会の組織は、絶対に弱体化する、と。
 だからこそ、幹部自らが、常に新鮮な息吹に満ちて、生き生きと若々しく、向上していくことだ。その一切の原動力が、師弟の求道である。
 「会員が、あの幹部を見ると、心から安心して信心に励めるといった幹部であってほしい」
 これも、戸田先生のご指導であった。そのための「人間革命」に挑戦していきたい。
 リーダーは、決して威張ってはいけない。傲慢になってはいけない。
 幹部に威張る資格などない。本当に偉いのは会員である。実際に折伏をし、広布を推進してくださっている会員の皆さまである。その方々に、幹部は最敬礼していかねばならない。
 凡夫こそ仏。民衆こそ偉大。そう見ていくのが日蓮大聖人の仏法の精神だ。
 まず最高幹部が、率先して模範を示していかねばならない。
 気取りなど捨て、いい格好を見せようなどと思わずに、一人一人の会員を心から大切にし、誠心誠意、尽くしていくのだ。
 「ありがとう」という言葉もない。言ったとしても、口先だけで心がこもっていない。そんなリーダーのもとでは、皆があまりにかわいそうである。
 広宣流布に戦ってくださる尊き同志に、真心を込めて、「ありがとう」と感謝していく。「よく来たね」「大変だったですね」と、ほっとするような温かい言葉をかけていく。
 皆から愛され、慕われる広布のリーダーとして生き抜いてほしい。その根幹は、師弟の精神である。
4  学歴本位では行き詰まる
 戸田先生は、厳然と言われた。
 「地位や学歴で、人間の偉さが決まるのではない。日蓮大聖人の弟子として『広宣流布に働く人』こそ『一番、偉い人』である。その人を一番、大事にするのだ」
 永遠に銘記すべきご指導である。
 さらに先生は、こう戒めていた。,
 「精神性を重要視する宗教界や思想界が学歴本位になっていけば、その団体は必ず分裂し、行き詰まり、崩壊するであろう」
 なかんずく、「平等大慧」の仏法において、本来、学歴などはまったく関係ない。
 当然、学問は必要である。いつまでも学ぶ心を失ってはならない。しかし、学問と学歴は違う。創価学会は、学歴主義に絶対毒されてはならない和合の世界である。この根本の一点を、きょうは、将来のために、あらためて確認しておきたい。
5  仏法の世界の根幹は「信心」
 仏法の真髄は「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)である。信心は「心」の世界である。
 「信心の厚薄によるべきなり」と仰せのごとく、信心の「心」が、厚いか、薄いか。深いか、浅いか。強いか、弱いか。それが一切の根幹である。
 「学歴」や「肩書」などで左右されるものでは断じてない。
 むしろ、高い学歴ゆえに増上慢を起こせば、信心を狂わし、和合僧を濁らせてしまう。
 御本仏であられる日蓮大聖人の御在世にあってさえも、そうした例が見られた。歴史の重大な教訓である。
 あの三位房も、その一人であった。三位房は、早くから大聖人の門下となり、その才知や弁舌によって頭角を現していった。彼は、京、比叡山に遊学した。
 当時の比叡山は、いわば「最高峰の仏教大学・総合大学」ともいうべき存在であった。それゆえに、比叡山で学んだということは、今でいえば最高の学歴を得たことに通じるともいってよい。
 しかも、京は華やかな貴族の都である。三位房は、この遊学で、世俗的な権威に目がくらみ、すっかり心を乱してしまった。
 京に上った彼は、ある公家に招かれて、その持仏堂で説法をした。その様子を彼は、師匠である大聖人に対して、得意げに報告したのである。
 大聖人は、三位房の虚栄と慢心を、次のように烈々と叱責なされた。──おまえは、社会的な地位や名誉を超越したはずの仏法者ではないか。そのうえ、この仏法は世界第一の尊き仏法である。
 それを思えば、(仏と等しい悟りを得た位の)等覚の菩薩でさえ、どうということはない。まして、仏の家来である梵天・帝釈等は、我らを守る立場である。四天王は、その梵天・帝釈等の門番である。
 (その四天王のうち)毘沙門天王の家来が、四大州の王たちである。いわんや、日本の権力者など、その王たちの家来にも及ばない。ただの「島の長」ではないか。
 その長に仕える者たちに「呼んでいただいた」などとは、なにごとか! 「面目をほどこした」とは、いったい、どういうつもりか。おまえは、日蓮を卑しんでこのようなことを書いたのか──と(御書1268㌻、趣意)。
 最高無上の仏法を行ずる、日蓮門下の誇りと自覚を失った心を、師が見逃されるわけがない。
 根本の信心を、師弟の精神を、断じて忘れるな!──大聖人は、弟子を思うがゆえに、それはそれは厳しい叱咤を続けられた。
 「総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。
 三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい」(同㌻、通解)
 三位房は、京に上った後、名前を、後鳥羽上皇の名前である「尊成」と変えた。そして、その名を大聖人に対する報告のなかに、得々と書き記していた。
 大聖人は、厳しく仰せである。
 「京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京(みやこ)なまりになったことであろう。
 ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる」(同㌻、通解)
 貴族ぶって、自分の名前や経歴を飾り立てようとする。なんと浅ましい心であろうか。
6  仏法を行ずる人こそ最高に尊貴
 大聖人は、続けて戒めておられる。
 「言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである」(同㌻、通解)
 仏法を持ち、行じゆく人間は、そのままで最高に尊貴な存在である。
 何の見栄を張る必要もない。格好をつける必要もない。「無作三身」が大切なのである。ありのままの人間性を輝かせきっていけばよいのだ。
 日蓮大聖人の直結の弟子として、だれよりも誇り高く、妙法を唱え、広宣流布に生ききっていけばよい。その真実の行動が光るのだ。
 清々しい信心を、名聞名利に食い破られては、絶対にならない。
 大聖人から峻厳な御指導をいただいた三位房は、その後、鎌倉へ戻り、いったんは広宣流布の法戦に身を投じた。
 日興上人の富士の弘教の補佐や、諸宗との間答の主任なども命じられている。
 しかし、才知に溺れた増上慢の性根は変わらなかった。そして、どす黒い心に染まって、「熱原の法難」のころ退転し、不慮の死を遂げたといわれている。
 大聖人は、もっともっと厳しく注意しておけば助けることができたかもしれない、と振り返っておられる(同1191㌻)。
 戸田先生も、ある幹部に対して、のちに「もっと厳しく言ってあげればよかった」とおっしゃっていたことがある。
 言うべきことは、言っておかないといけない。
 だから、私も正義を語り残す。
 正しいことを、真実を、どんどん言うのである。言論の自由の社会だ。「声仏事を為す」(同708㌻)である。
 戸田先生 信心は地位や学歴では決まらない
7  妙法の実践者が人生の勝利者に
 御聖訓には仰せである。
 「須梨槃特は、3年かかっても14文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。
 決して他人のことと思ってはならない」(同1472㌻、通解)
 どんなに学歴、学識があっても、信心がなければ成仏は絶対にできない。最高学府を出ても、また最高位の勲位を手にしても、仏法の正道に背き、人間の知恩・報恩の道を踏み外してしまえば、最低・最下位の生命の無間地獄に転落してしまうのだ。
 これが、厳しき因果の生命の理法である。学歴がなかろうが、無名無冠であろうが、まっすぐに信心を実践し抜く人こそが、大勝利者の境涯となり、悠然と成仏できるのである。
8  「へつらうことは法を下げる」
 創価学会の「創立の父」であられる牧口先生は厳然と言われていた。
 「名門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる」
 これが、創価の先師の誇りであられた。
 さらに牧口先生は、「上流に立つ指導階級の流す無意識の害毒が、いかに重大であるか」とも戒めておられた。
 上に立つ幹部が見栄っ張りになり、学歴などを鼻にかけて増上慢になってしまえは、清浄無比な創価学会の世界に毒を流してしまう。
 大聖人の御心に適った学会精神を、永遠に明々と燃え上がらせていかねばならない。そこに、広宣流布の流れがあるのだ。
9  自分に自信を!
 草創期の多くの学会員は、十分に学ぶ余裕もなかった。
 戦中・戦後の時代であり、学校制度も混乱を極めた時代である。満足に学校に行けなかった方々も少なくない。
 私も、戸田先生の事業を支えるために、大学に通うことを断念した。先生にお仕えし、お守りできることを、最大の誇りとした。
 戸田先生は、学校を出ていないことに引け目を感じていた青年を大いに励まされた。
 「学歴なんか、気にするな!」「もっと、御本尊への強い確信をもって、自分の仕事、一切のことに、自信を持ちなさい。引っ込み思案の生き方は価値的ではない」
 そうした青年たちが、一人また一人、頭を上げ、胸を張って、偉大な使命の人生を歩み、人間としての真正の実力を発揮しながら、広宣流布の道なき道を開いてきたのである。そして、皆、勝利していったのである。
10  学校に行けなかった人を幸福に
 戸田先生は、毅然と宣言なされた。
 「学校に行けなかった方々を、最大に幸福にしていくのが、創価学会である」
 これが、学会精神の真髄である。
 「創価学会は、校舎なき総合大学である」とも、先生は言われた。
 また先生は、リーダーの重要な急所について、こう語られた。
 「学会の指導者は、なにをもって一般よりも高しとしうるのであろうか。いうまでもなく『信心』の力である。
 その人自身の持っている『才能』『財力』『社会的位置』等ではない。
 ただただ信仰の道においてのみであることを、深く自覚しなければならぬ」
 さらに先生は、同志に絶対の誇りと自負を贈ってくださった。
 「学会の幹部として戦う。人のため、法のため、平和のために働いている。これほど尊いことはないじゃないか。仏法即社会であり、一番尊い社会的地位だ。それを卑下するような人間は、私の弟子ではない」
11  だれが学会を築いたのか?
 また戸田先生は、威張る幹部は絶対に許されなかった。
 「見栄を張ったりする人間が、学会の幹部になっては、絶対に困る」
 「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる。
 また、皆の支援によって名誉ある議員にさせてもらいながら、信心を失い、退転して、恩知らずな行動をとっていく愚者や卑怯者も出るだろう。こいつらを断じて許してはならない」と、厳しく言い残された。
 ともあれ、今日の創価学会を築き上げたのは、三代の会長とともに立ち上がった、無冠の庶民たちである。
 学びたくても、満足に学校に行けなかった。夜学に行った。貧しさと戦い抜いた。仕事も地道である。そういう皆さまこそが尊いのだ。英雄である。そういう方々が学会をつくってくださった。
 大学に行けなくとも、また夜学であっても、無名の学校であろうと、一切、信心には関係ない。そこに、微塵たりとも差別を許してはならない。
 そうでなければ、一番、真面目な同志がかわいそうである。
 権力を持った議員や、肩書のある人間、学歴を持った人間が威張るようになったら、公平さが失われる。学歴とか勲章とかで威張ったり、威張らせたりするようなことがあっては、絶対にならない。
 それは、仏法とは、まったく異質の世界になり下がってしまうからだ。
12  「三代」に流れる学会精神を守れ
 為政者は、民衆によって支えられている。
 ゆえに、民衆を心から尊敬し、民衆の幸福のために尽くすのが当然である。にもかかわらず、“自分が一番偉い”と勘違いして、民衆を見下し、犠牲にする。これが「権力の魔性」である。
 この権力の横暴を断じて放置してはならない。戦わなくてはいけない。「民衆が主役」の時代を切り開いていくのだそれが学会の三代の会長の決心であり、実践であった。
 牧口先生のことを語るときの戸田先生の姿は、それはそれは峻厳であられた。とくに牧口先生の獄死に話が及ぶと、目に涙を浮かべ、憤怒に震えながら、「権力の魔性」との闘争を誓われた。
 そのようにして、戸田先生は、真実の学会精神とは何かを教えてくださった。崇高な「仏法の師弟」の模範を示してくださったのである。
 私も今、戸田先生のご精神を、そして、ご指導のすべてを後世に伝え残している。それが弟子である私の責務であるからだ。
 偉大な人間とは、偉大な伝統をつくり、示していく人である。
 三代の会長に流れる「学会精神」を守り抜いていくかぎり、創価学会は永遠に発展する。それをきょうは明確に言い残しておきたい。
13  「青年部教学試験」頑張れ
 今、全国で、間近に迫った「青年部教学試験2級」に向けて、懸命な研鑚が続いている。尊き奮闘の様子は、よくうかがっている。
 御書には、平和への光がある。希望の哲理がある。正義の力がある。勇気があり、慈愛があり、不滅の大確信がみなぎっている。
 その一言一句を、日々の激闘のなかで、わが生命に刻みつけるのだ。
 有名な「佐渡御書」には、「くろがねは炎打てば剣となる」とある。鉄は、炎のなかで鍛えられてこそ、輝きわたる剣となる。
 信心という「無敵の宝剣」を磨き抜くのは、青春時代の今しかない。
 どうか、最後の最後まで、使命深き自身のために、悔いなき挑戦を貫いていただきたい。皆、応援を頼みます!
14  私は強く決意している。
 多くの青年たちが、希望に燃えて進んでいける大舞台を、日本中、世界中に堂々と築きたい。広宣流布の法城の整備も一段と進めてまいりたい。
 青年を大事にしなくてはいけない。軽く見るのは、とんでもないことだ。青年を真剣に育てていきたい。
 また、若い皆さんにとっては、すべてが勉強だ。決して、遠慮してはいけない。遠慮したら、力は出ない。中途半端では悔いを残す。
 とくに新任のリーダーは、最初が肝心である。
 「思いきって」やることだ。勢いよく、思う存分、動くことである。
 わが地域に希望の春が来た!──そうやって皆が喝采する歴史をつくってもらいたい。
 先輩の皆さんは、後輩を温かく見守り、もり立てていただきたい。
 「責任は、私がとる。思いっきり、どんどん、やれ! 頑張れ!」。そう言える度量を、先輩はもつべきだ。
 ともあれ、これから先の数百年間、21世紀はもちろん、22世紀、さらには25世紀くらいまでを展望して、平和と文化のために、皆が心広々と戦っていけるよう、あらゆる手を打ち、完壁な基礎をつくりたい。
15  常に「師弟」をど真ん中に!
 「開目抄」には仰せである。
 「伝教大師は奈良の諸宗の人々に『最澄(伝教大師)は、まだ唐の都を見ていない』と言われた。これらはすべて法華経のゆえであるから恥ではない。愚人にほめられることは第一の恥である」(同237㌻、通解)
 まことに重要な御聖訓である。
 伝教大師の時代(8世紀後半〜9世紀前半)は、仏法をはじめ、あらゆる文化を求めて中国に渡る「入唐にっとう」が盛んだった。
 今でいえば、海外の有名大学に留学して、最先端の学問を学ぶようなものともいえよう。
 伝教大師は、日本にいるうちに、諸宗を広く学び抜き、法華経を第一とする天台の教えの精髄を深く把握していた。そして、その奥義を確認し、人々に伝えるために、勅命を得て、中国に渡った。
 ゆえに伝教大師は、入唐中の8カ月間、法華経の精髄が伝わっている天台山などで、学ぶことに専念したのである。
 それを“唐の都を見ていない”などと批判するのは、仏法の正道を知らない、見当違いの言いがかりであった。
16  御本仏である日蓮大聖人は、海外には行かれていない。日本で仏法を習い究めていかれた。
 「(日蓮は)遠国の者・民が子」と誇らかに叫ばれ、五濁悪世の日本の真っただ中で、仏法の大革命をなされたのである。
 この民衆仏法の尊極なる魂が脈打っていたからこそ、大聖人の仏法は広宣流布してきたのだ。学会も、この大聖人の御精神を、永遠に持ち続けなければいけない。
 あの50年前の「大阪の戦い」でも、私とともに、多くの民衆が立ち上がってくれた。無名の庶民が、勇猛果敢に戦い、不可能を可能にして勝ったのだ。
 常に「師弟」をど真ん中にして、にぎやかに勝利へ突き進む。これが大関西の魂である。
 ともあれ、一番大事なのは民衆だ。そして、戦う心である。格好や形式ばかりにとらわれ、本当の開拓精神を忘れては、絶対にならない。
17  大哲理を学ぶ世界唯一の殿堂
 「学歴」は、信心とは関係ない。
 しかし、「学問」は大事だ。「一切の法は皆是れ仏法」であるからだ。
 わが愛する、優秀な学生部員たちが、多くの大学で真剣に学んでいる。また、海外に留学し、世界に雄飛する青年たちのために、私は全力で道を開いてきた。
 学べ! 学べ! 大いに学べ! 徹して学べ! 大いなる理想のために学ぶのだ。信心を根本に、学ぶことである。
 学生部が結成されたとき、戸田先生が、どれほど喜ばれたことか。
 先生は言われた。
 「学生部は、校舎なきユニバーシティーだ。世間の大学は、学問を詰め込むが、ここでは、人間の中身を詰め込んでくれる」
 さらに先生は、「一念三千の大哲理」は創価学会の中でしか学べない。世界で唯一の人間学の殿堂であると断言された。
 今、“創価の大学校”の中で、老いも若きも、大学に行かなかった方も、皆、生き生きと、仏法の人間主義を、平和と文化の道を学んでいる。
 戸田先生は、強く深く語っておられた。
 「妙法という最高の法を受持した諸君は、いかなる高位の人間よりも、はるかに尊貴な『信心の王者』『人生の皇帝』『生命の帝王』なのである」と。
 この言葉を、私は万感の思いを込めて、すべての同志に贈りたい。
18  本当に偉大な先生であった。
 そして、厳しい先生であった。
 地位や権威を鼻にかける人間には、ことのほか厳しかった。傲慢な人間に対する先生の怒りは、それこそ、雷が落ちるような激しさであった。
 大難のなか、私は必死の思いでお仕えした。あまりの厳しさに、逃げ出す者もいた。先生は「去りたい者は去れ!」と一喝されていた。
 だれよりも庶民を愛したがゆえに、だれよりも庶民の敵を許さない──そういう先生だった。
 ともあれ、民衆を馬鹿にし、私利私欲に走る人間とは、断固と戦うことである。邪悪を追及し抜くことである。
 悪と徹底的に戦うことが「善」である。
 反対に、悪と戦わない。見て見ぬふりをする。これでは、厳しく言えば「同罪」になってしまう。
 いくら表面は人が良さそうに見えても、内実は、善の勢力を破壊する悪の存在になってしまう。
19  心が人を高貴に
 人の尊さは、地位や立場では決まらない。こうした仏法の人間観は、世界の英知と響き合う。
 古代ローマの哲学者セネカは言った。
 「人間を評価するのに、ただ着物か地位だけからするならば、それは大馬鹿者です」
 「心のみがわれわれを高貴にします」
 「心が没落したならば、他のものも結局は滅亡に帰します」(茂手木元蔵訳『道徳書簡集』東海大学出版会)
 私が若き日からひもといてきた書に、フランスの思想家ルソーの名著『エミール』がある。そこには、こう記されている。
 「これまでわたしは身分、地位、財産などの差別をみとめていないが、これからもいままで以上にみとめるようなことはほとんどしないだろう。人間はどんな身分の人間でも同じだからだ」(今野一雄訳、岩波文庫)
 インドネシアやマレーシアなどに伝わる、庶民の英知の格言には、こうある。
 「稲のように熟するほど頭を垂れよ、葦のようにますます頭を高くするな」(『世界ことわざ大事典』大修館書店)
 地位が上がるほど、謙虚に自身を律していけ、ということである。
 ロシアの文豪ゴーゴリは語った。
 「今のわたしにはあらゆる職務が平等であり、下から上までのあらゆる地位が、それらをよくよく眺めさえすれば、同じように重要であることが分る」
 「どのような地位にいても多くの善をなすことができるのである」(灰谷慶三訳「評論」、『ゴーゴリ全集6』所収、河出書房新社)
 いわんや、広宣流布をなしゆく同志は、いかなる立場であれ、皆、平等であり、皆、重要である。
 中国の民主革命の父・孫文は訴えた。
 「第一に人民をして主人たるの地位を恢復せしめ、一切の公僕をして其の能を尽して人民の為に服従せしめざる可からず」(外務省調査部訳『孫文全集 第7巻』第一公論社)
 まったく正しい叫びである。民衆こそが主人公である。すべての指導者は、民衆に仕えるためにいる。
 立派な教育を受けた人間は、その力を、人々に君臨するためでなく、人々に奉仕するために発揮すべきなのだ。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーも戒めている。
 「若し吾々が高い地位を占めたとしても、自己の優越を誇ったり、眼下の人を見下してはならない。吾々は眼下の人が働くと同じように働かねばならぬ」(福永渙訳『ガンヂーは叫ぶ』アルス。現代表記に改めた)
 さらにアメリカの詩人ホイットマンは謳っている。
 「一般に、特権を備えた特別な地位を獲得するために大衆から抜きん出ようとする野心が存在する。
 しかし人生の真の巨匠は、大衆の単なる一部であることに偉大さと成功を見る。共通の地盤ほどよき効用のあるものはない……」(青木順三訳、トーマス・マン著『講演集 ドイツとドイツ人 他5篇』岩波文庫から)
 人生の最後の最後まで、大衆とともに、大衆のために、そして大衆の中で、戦い、殉じていく人生こそが、最も高貴なのである。
 インドのネルー初代首相は、こう指摘した。
 「自惚れというものは、人間のからだの脂肪のように、知らないうちに次第にふえていくものであって、それにとりつかれた人は毎日これがふえてゆくのを自覚しない」(磯野勇三訳『ネール自伝1』立明社)
 まことに巧みな比喩である。
 人は、気づかぬうちに堕落していく。ゆえに、あえて自己に厳しく、謙虚に心を鍛えていく努力が必要である。
 また、名作『若草物語』の作者として知られるオルコットは、小説の登場人物に次のように語らせている。
 「名声というものは多くのひとがほしがって海にもぐり、ほんのすこしのひとしか得られない真珠のようなものです。
 それを手に入れるとこんどはもっともっとと望むようになって、それを獲得するためにあくせくしてもっと大事なものを失うようになってきます」(吉田勝江訳『第4若草物語』角川文庫)
 聡明な言葉だ。見栄を張り、名声ばかりを追い求める人生には、決して真の満足や充実はない。むしろ、絶えず、むなしさがつきまとうものだ。
20  生活の中で教養と人格を磨け
 世界人権宣言の起草にも尽力した、アメリカの“人権の母”エレノア・ルーズベルトは述べている。
 「教養は生涯をずっと通して行われるものですし、学校ばかりでなく、実生活のなかからも得られるものです」(出口泰生訳『愛すること 生きること』大和書房)
 その通りであろう。
 日々の現実生活のなかで、教養を深めていく。人格を磨いていく。その人が生涯、向上の人生を歩んでいけるのである。
 オルコットは、26歳の時、日記にこう綴った。
 「大忙しの生活、講演や本、よい人々からできるかぎり学ぶ。人生は私の大学。立派に卒業して優等賞をもらえますように」(師岡愛子編著『ルィザ・メイ・オルコット──「若草物語」への道』表現社)
 “人生が大学──素晴らしい言葉である。
 オルコットは経済的な事情で、若き日から、さまざまな仕事をしながら学んできた。そうした労苦を自身の糧として、世界的な文学作品を世に送り出したのである。
 わが尊き同志の皆さまは、「人生の大学」というべき学会の中で、最高峰の哲学を学んでおられる。そして、無上の幸福の大道を歩んでおられる。
 とりわけ“創価の太陽”である婦人部、そして健気なる女子部の皆さまは、その模範の存在である。「人生の幸福大学」の最優等賞を、三世十方の仏菩薩から贈られる方々であると賞讃申し上げたい。
21  信心根本の人材主義で
 中国の周恩来総理は論じておられた。
 「西方(=西洋)の発明家はみな大学卒業生とは限っていません。たとえば、ワットがそうです」(米谷健一郎編『周恩来 日本を語る。』実業之日本社)
 ワットは蒸気機関の改良や、数々の発明で有名である。
 18世紀、英国スコットランドの腕のいい職人だった彼の才能も、封建的な徒弟制度の中で埋もれそうになっていた。
 そのワットの実力を見抜いて、グラスゴー大学の職員として雇い、研究できるように道を開いたのが、「経済学の父」アダム・スミスであった。
 学歴や社会的な地位を超えた、この実力主義による登用が、蒸気機関の改良につながり、絢爛たる産業革命の突破口となったのである。
 12年前の6月、私は、名門グラスゴー大学からの名誉学位授与式に臨んだ際、その歴史を感慨深く偲んだ。
 ともあれ、学会も、学歴主義ではなく、信心を根本とした「人材主義」で、新たな宗教革命を起こしてきた。
 これからは、ますます少子高齢の社会となる。
 年配の方はもとより、かけがえのない一人一人の人材が、伸び伸びと、勇気と希望と自信をもって、何倍もの力を出せるように、皆で祈り、心を砕いていかねばならない。
 学歴等の形式にとらわれて、本当に信心のある、優れた人材が埋もれてしまうようなことがあれば、活力を失い、衰退してしまうだろう。
 また、学歴がないから、学歴のある人に対して、意見を言うのを遠慮してしまう──そうした寂しい思いを、大切な大切な同志に、絶対にさせてはならない。
 万代の発展のために、「深く、多角的、多元的に、人材に光を当てよ!」と私は申し上げたい。
 なお、私が世界の大学・学術機関から贈られた名誉学術称号は、まもなく200となる。すべて、全世界の同志を代表しての受章であり、創価の平和・文化・教育運動への信頼と賞讃の証しである。
 そして健気なる、わが友が、生々世々、大知性に光り輝いていく象徴であると、私は祈り、確信している。
 これらの栄誉を、私は、大学へ行けなかったわが同志とともに、深く広く分かち合わせていただきたい。
22  打って出よ!
 戸田先生は、「外交で勝て」と繰り返し教えてくださった。
 外交のできない人間は、学会のリーダーにするな──これが先生の考えであった。
 創価の正義と真実を堂々と訴えていく。言論の力で敵を打ち破り、多くの人々を味方へと変えていく。
 そうした力がなければ、多くの友を守ることはできない。新たな時代を切り開いていくことはできない。
 大切なのは青年だ。若い人に光を当て、どんどん育てていきたい。
 また青年は、自ら外に打って出て、自身を鍛えていただきたい。実践のなかでこそ、真の実力が培われるのである。
23  日蓮大聖人は仰せである。
 「(妙法信受の人は)生まれたばかりの王子が産着に包まれたようなものであり、生まれたての大竜のようなものである。
 軽んじてはならない。蔑視してはならない」(御書342㌻、通解)
 これが、妙法流布に生き抜く学会員の尊き立場である。断じて、わが同志を蔑むようなことがあってはならない。また、だれ人にも絶対に蔑ませてはならない。
 御聖訓には、こうも仰せである。
 「妙法蓮華経の五字を弘められる智者に対しては、いかに賤しくても、上行菩薩の化身か、または釈迦如来の御使いかと思うべきである」(同550㌻、通解)
 「(三類の強敵による大難に)耐えて、妙法を弘める人を、釈迦仏は必ずや衣で覆い守ってくださるであろう。諸天は必ず、その人に供養するであろう。また肩にかけ、背中に負って守るであろう。その人こそ、大善根の人である。一切衆生のためには大導師なのである……」(同1359㌻、通解)
 大聖人は民衆の一人として、あらゆる苦難を乗り越えて、妙法を弘められた。その御心のままに広布のために戦いゆく友が、どれほど尊い存在であるか。このことを決して忘れてはならない。
 戸田先生も語っておられた。
 「けっして特別な偉い人というのはいるものではない。しかし凡夫の姿、凡夫の位でありながら、あらゆる人を救うところの力をもつようになるというのです」と。
 凡夫の姿のままで、苦悩する人々を救っていく。絶対的幸福への方途を教えていく。
 これほど偉大なことはないのである。
24  力を引き出せ! 勝利の名指揮を
 今、私は台湾・中国文化大学の張鏡湖ちょう・きょうこ理事長とも、対談集の発刊へ対話を重ねている。
 張理事長は著名な地理学者であり、環境問題、エネルギー問題の大家でもあられる。
 かつて張理事長は、こう述べておられた。
 「民主の時代のリーダーとは、あたかも、交響楽団の指揮者のようなものである。
 必ずや、それぞれの役割を深く理解していかなければならない。さらに、多くの協調と対話を進めていかねばならない。そうやって、“皆を楽器のごとくに生かしていく”ことができるのだ」
 どうか皆さまも、賢明に、勇敢に、全同志の力を一段と引き出し、一段と結合させながら、「勝利の名曲」を奏でゆく、見事なる名指揮をお願いしたい。
 また、今年は、四国で「紅の歌」が誕生してから25周年となる。
 学会歌の歌声が響くところには、喜びがある。広布の発展がある。私たちは、にぎやかに、そして高らかに、学会歌を歌いながら、生き生きと前進してまいりたい。
 各方面に戻られたら、わが敬愛する同志の皆さまに、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 きょうは本当にありがとう! また、お会いしましょう!

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